4つの季節を重ねながら

2001年10月30日(火) 硬水で石けんを使うには

以下、28日の予告とは違う話です。

今日は久しぶりにお風呂場と台所の排水溝から、1リットルの熱湯を流しました。

普段、市販の石けんよりずっと油分の多い石けんを使っています。これは身体にはやさしいけれど、配管にはやさしくないのです。結局は油を流していることになりますから。そして、硬水なので、石けんカスも日本よりずっと多く出ます。

パイプに油汚れがついて、そこに石けんカスがくっついて、さらに流れてしまった髪の毛なんてついたら一発で詰まってしまうので、2,3週間に一度、熱湯を流すことにしているのです。年に2,3度くらいの割合で、もっと丁寧に掃除するためには熱湯のまえに重曹と食塩を半カップづつ配管に流しています。

あと、ときどき気がついたらクレイを少々振りかけているかな。



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今日はまた1つおもしろいサイトを見つけました。

日・パ旅行社のサイトで紹介されていたフリージャーナリストの田中 宇さんのサイトです。冷静に丁寧に取材されています。現地に赴いているわけでもないし、英語と日本語でしか情報収集されていないわりには、偏りのない視点だと思いました。

ただ、おもしろいのは、やはり本業が作家である池澤 夏樹さんの文章のほうがずっと柔らかいんですね。 お2人とも同じトピックについて、かなり近い視点で書いていらっしゃるんですが、文章から感じられる人柄が池澤さんのほうがずっと柔らかい。

でも、それは田中さんの文章の価値が劣るという意味ではなくて、とても良心的なジャーナリストだと思いました。いつか時間ができたら、アジア関連の記事も読んでみたいなと思っています。

大新聞社では、自分が興味を持ったトピックやテーマを追い続けるという仕事の仕方はできないでしょう。また今回のアメリカとアフガニスタンで起こっているような事件の場合、社員の安全を考えるとあまり現地にたくさんの人を送り込むわけにはいかない。結局、アメリカの情報もアフガニスタンの情報も関係している他国の情報も大半は、通信社の送ってくる情報をアレンジして伝えるのが精いっぱいなのではないかなと思います。しかも主にアメリカの通信社の。以前、日本の TIME Inc. でアルバイトをしていたとき(日本の TIME Inc. という会社は単なる米誌の販売会社なので、アメリカの TIME Inc. のようなエリート・ジャーナリスト集団ではありません)、よく定期購読者をしているお客さんから「日本の新聞はしばしば独自取材のような顔をして TIME の記事をパクっている」と聞かされました。

日本の報道がアメリカ寄りなのは、日本の経済がアメリカに依存しているからだけでなく、新聞記者の大半は外国語は英語しかできないこと、署名記事でないために「パクる」ことが可能であることも一因かと思います。新聞記者だけでなく、外務省の人たちも英語と日本語しか話せない人のほうが多いでしょう。

今後もっとインターネットが発展したら、こういった個人で良質な情報を提供してくださっている方たちのサイトのほうが大新聞社のサイトよりも信頼を集める日もくるかもしれませんね。


それにしても、わたしのこんな日記にも感想をメールで送ってくださる方がいたり、池澤さん、田中さんのほかにも、カブール・ノートなど、良心的に深く問題を取り上げようというサイトがたくさんあって、日本人の精神の健全さを改めて実感させられています。

フランスのTVはフランスが爆撃に参加するかどうかまだ決めていなかったころ、某ラジオ局のTVコマーシャルをもじって、

   「共に生きるためには、死ななければなりませんかぁ〜?」

というTVスタッフの自家製ミュージック・クリップを流していました。アメリカのために、なぜフランス人が死ななければならないのか、と。それはそうなんだけれども、アフガンの人たちのことを考えようとしている日本人と比べると、自分が死にたくないから戦争反対というのは、正直とも、性格悪いんじゃないかなぁとも、思いますね。(苦笑) 日本の場合は徴兵制がなくて一般の人が死ぬ可能性は少ないからこういう声は出てこないのでしょうか。アメリカと行動を共にしたら最後、自分たちもテロの標的になる可能性があるとはあまり考えられていないのかな?

フランスの会社はお金がないので、あのビルのなかには中堅の銀行が一行と、引越し中の会社が1つあっただけでした。その中堅の銀行も、24階だったかな?ずっと下のほうにいたのです。

不良債権をたくさん抱えていて、政府からの援助が必要なはずの銀行があんな家賃の高そうなビルの、しかもさらに家賃の高そうな上のほうのフロアにオフィスを構えていたことを、わたしは忘れません。そこから撤退しようとしなかった、日本の本社の偉い人たちにも、現地の支店長さんにも、従業員の死については間接的に(でも多いに)責任があるでしょう。まともな経営をしていれば、社員は死ななかった、という意味で。

(家賃が高くなかったという情報をお持ちのかたはぜひ、教えてくださいね。いまのところ、いくら最新のビルでなかったとはいえ、あれだけのネームバリューのあるビルで、しかもほかのビルでは味わえない眺望があったのですから、安かったわけはないと踏んでいます。しかも普通家賃は階が上がるほど、金額も上がりますよね)

それから、富士銀行。

わたしは今現在の重役と日本各地の支店長クラスが全員退職するまでは、たとえ他の銀行と合併しようとも、富士銀行にだけは口座を持たないことにしようと決めました。日本に対して犠牲者は12人と発表、ところが現地採用の社員を合わせると62人いたそうですね。

普通現地採用の社員には海外勤務手当ても出なければ、住宅手当と称して家賃をほぼ丸ごと肩代わりすることもないので、給料水準は半分以下になるのです。フランスでは 1/3 以下だと聞いたことがあります。そして当然ですが、現地採用のスタッフには出世の道もありません。そういう条件で雇っている人たちを「社員ではない」という扱いにする神経。しかも、1人ではなく、50人もです。よく忘れられたものです。

わたしはたいした資産もないので、わたしが口座を作らなくても、富士銀行さんには痛くも痒くもないことはよくわかっていますが、そのような神経の会社とはできるだけ関わりを持ちたくない。日本にいる家族にも口座はできるだけ解約してもらうように頼むつもりです。それがわたしにできる小さな小さな抗議です。



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Maman という名前で、母へのプレゼント石けんを作りたいともう3カ月くらい前から考えていて、未だに実現しないでいます。

高血圧と、更年期障害への対策と、肝機能を促進するハーブやエッセンシャル・オイルを使うつもりで、まずはオイルに Saint-John's Wart というハーブを6週間以上浸け込む必要がありました。

そのあと、体調を崩したので、エッセンシャル・オイルの強い香りを嗅ぐのが耐えられなくなったのです。いくら天然物とはいえ、植物の血液と言われるほど凝縮されていますから。冬の帰国前に使える状態になるためにはもうそろそろ仕込まなければ間に合わないんですけどね〜。 早く本調子にならないかな。



2001年10月28日(日) 気がつけば

このところ毎日のように、パソコンに向っています。

フランス語版と英語版を早く作らなくちゃ。
リンクバナーを早く作らなくちゃ。
タイトルが文字だけなのをなんとかきれいにデザインしなくちゃ。
エッセンシャル・オイルのショッピング情報を早く更新しなくちゃ。

といろいろ思いながら、結局、いまアフガンで起きていることをどう捉えるか、という部分が気になって、それについての情報を読みあさってしまって、更新が進まない。(苦笑) 長年のドライ・アイは最近買ったウィッチ・ヘーゼル・ウォーターをコットンでまぶたにつけることで、だいぶ楽になるので、身体のことはあまり振り返らずにやっています。

ウィッチ・ヘーゼル・ウォーターは日本だとハーブ屋さんや LOFT のハーブコーナーで売ってるのかな?保存料とか添加物とか含めて品質はいろいろあるだろうし、敏感肌の人は気をつけてくださいね。わたしにはよく効いても、だれにでも同じ効果があるとは限りません。


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1時間前に夏時間が終りました。パリは今年、びっくりするくらい暖かい日が続いています。10月も末だというのに、いまだに暖房をつけたくなる日はほとんどないし、かといって、家のなかでセーターを着ているわけでもない。長袖シャツと、ウィンブレ1枚で日が落ちてから外に出てもちっとも寒くない。落ち葉だけははらはら舞っていて、(たぶん)通りをはさんだお向かいの家から真っ赤な蔦の葉が1枚、うちの日当たりの悪い植木鉢に遊びに来ました。

池澤夏樹さんの新世紀へようこそのバックナンバーで知ったのですが、9月25日のニューヨーク・タイムスに歌詞一行だけを書いた全面広告が載ったそうです。

   Imagin all the people living life in peace

紙面に提供者の名前はなかったけれど、実はオノ・ヨーコだったのだそう。イチローよりもずっとずっとかっこいい日本人がアメリカにはいるんだなと思いました。

だって、イチローは仕事で野球をしているのです。成績が悪かったら、辞めざるを得なくなる。自分のために、がんばってあたりまえ。(もちろん、すごいな〜とは思っています)オノ・ヨーコは、自分のために広告を出したのではないでしょう。職業として表現する者は、社会の病を背負うものだといった河合隼雄さんの言葉を思い出しました。河合さんと村上春樹さんの対談をわたしは愛読していました。また対談をしてくれるといいな。



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今日の掲示板にあった書き込みには、とても胸を打たれると同時に、自分がどうしてパリに来ることにしたのかを思い出させられました。自分の原点に帰った気分。明日か明後日、思ったことを書ける時間を作れるといいなと思います。



2001年10月27日(土) やった〜!!

今日は2つの「やった〜」がありました。

1つめは、ついにハーブ辞典を買ったこと。やった!

去年から今年にかけて、定評のある英語版のハーブ辞典がいくつか改訂になりました。もうそろそろフランス語版も出たかな〜と本屋さんに行ったら、お目当てだった本は2冊とも改訂版が出ていました。

これを待ってたのよ〜。

ほかの本もじっくり読み比べて、結局目当てだったほうの1冊を買いました。約3000円也。550 種以上の薬用ハーブについて、植物のどの部分をどのように使うと、どんな効果があるか書いてあります。中国、インドなどでの伝統的な考えかた、利用法についても触れられています。未だにフランス語より英語のほうが読むのは早いし、よくわかるのだけれど、ハーブ屋さんに買いに行くときに、ハーブのフランス語名が必要なんですね。(苦笑)

買わなかったほうの1冊の英語版を Amazon.fr に注文しようかな〜、どうしようかな〜と迷っているところです。選ばなかったほうは載っているハーブの種類は少ないのだけれど、それぞれのハーブについてより丁寧な記述があったので惹かれています。英語での説明はインターネットでも見られるのだけれど、やっぱりせっかく植物なんだから、きれいな写真が出ているほうが嬉しいな〜。

ハーブやアロマテラピーを始める人はたいてい、自分の身体の変調に以前より敏感になったと言います。風邪をひきはじめたかな?と思ったら、すぐに免疫力を高めるハーブの成分をアルコール抽出したものを飲む、とかする。ハーブにしろ、アロマテラピーにしろ、西洋医学では検査しても異常が見られないような症状や風邪ややけどによく効きます。でも民間医療ですから、もうすっかり悪くなってしまってからでは効きが悪くて、悪くなり始めだと、びっくりするくらいよく効くわけです。だから、身体がなにかシグナルを出しはじめたら、さっさと対応するのが大切。


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第2の「やった〜」はしつこいと言われそうですが、ブッシュ大統領について。

朝日新聞のサイトに池澤夏樹さんが書いている新世界へようこそ。これはいつまで朝日のデータベースに一般の人がアクセスできる状態で残っているかわかりませんが、読んでいて手を叩いてしまいました。

やった〜!わたしの10月20日の仮説、そんなに馬鹿げてもいなかったじゃん!

と無邪気に喜んでいられる平和な世界に住んでいる幸せっ。ぜひ1度お読みくださいませ。池澤さんはそこに書かれている仮説を100%信じるわけではないけれど、荒唐無稽と切り捨てる気にもなれないと、書いています。わたしは自分の仮説にぴったりきたので、97%くらい信じちゃうな。

それにしても、石油のない国の問題はいつでも無視されるとリンクページに書きました。アフガニスタンには石油はありませんが、すぐそばのご近所さんにはあったんですね〜!

やっぱり世界は石油というものを中心に回っているらしい。アメリカはあれだけ国土が広いと自動車だろうと飛行機だろうと、石油がなければやっていけない。世界中どの国だって、農産物も、ATMに入っている現金も、石油を使った自動車で運ばれている。電気だって、石油を燃やした火力発電に頼っている国がほとんど。なので、電車も、日々の生活もいろいろなものすべてを石油に頼っているわけです。

アメリカは国内に油田をたくさん持っているのに、まだ外国の石油にこだわる。自国の油田より先に他国の油田を枯れ果てさせるつもりでしょうか?そうなれば値段を上げて大儲けできることは確実なのかな?

日本の政府は頼りないから、日本の企業ががんばって石油に頼らないエネルギーを開発してくれますように。技術を独占しないで、途上国に安く還元してくれますように。



2001年10月26日(金) はなずきんさんのメールから

掲示板でのウミウシさんへのコメントを書いたあと、なんだか自分で書いた言葉がしっくりこなくて、考え込んでしまいました。

   「このお医者さんの言うことは信じない」

この言葉は単に、わたしの誰かへの依存を示しているだけなのではないか、たとえどんな難病だろうと、お医者さんが治してくれるというのは、ちがうんじゃないかと。

結局、自分の身体は自分で治していくしかなくて、お医者さんたちはそのための専門的なアドバイスをくれる人、あるいは専門的な技術でサポートしてくれる人。でも、う〜ん、どう書けばいいんだろう、お医者さんや薬は即物的な Physical な意味で、身体の一部の悪い器官を治すことはできても、「人」を根本的に病気から立ち直らせることができるのはその人自身だけなのではないかなと思うのです。

病気になって、身体が思うようにいかなくなると、気が弱くなって、とりあえず自分よりは病気について知識のある人(母やお医者さん)に依存してしまいがちでしたが、どんなお医者さんの言うことでも、もう1度自分の身体にほんとうに必要としているか訊いてみることが大切かなと思いました。アトピーという症状はきっと特に、○○さんの言う通りにしていれば大丈夫!というわけにはいかないものですよね。

自分がアトピーでもないのに、どうしてこんなにアトピーのことが気になるのか、いまだにはっきりとはわからないのですが、これが今日、わたしがアトピーの人たちから学べたことです。

なぜか、アトピーについて、病気とか闘病と書くことに抵抗があります。いくつかのサイトを見ていると、重い症状の人たちはほんとうにたいへんな思いをしていることは感じられるのですが、「根絶」をめざすよりは、相談しながら、なんとかいっしょに生きていくもののように見えるのです。人間関係で、あまりしっくりいかない人を根絶するわけにはいかないように。そして、一緒に生きていく過程で、アトピーのほうが望めば消えていくでしょう。これは苦しんでいないものの、勝手な言い草でしょうか?



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自分の体調を髪質から知ることができるようになりました。体調を崩して、だいぶ良くなって、でもまだ本調子じゃないな〜と不安があったころは髪がばっさばさ。そして、そろそろ行けるかな〜と思っていはじめたら、気がつくとしっとりな髪に戻っていて。

以前は硬水の地域に住むたびに髪はばさばさのボロボロで、日本に帰るたびに、2日目には髪が柔らかくなるのを繰り返していました。日本から帰ったばっかりの柔らかい髪を空港に迎えに来た彼に触ってもらったこともありました。(笑)だって髪も気に入ってほしかったんだぁ〜。

髪は女の命、そんな時代にヨーロッパに生まれなくてよかった。石けん万歳!



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エコ生活のほうでリンク許可をお願いしたはなずきんさんから、返信に添えて、わたしの 24日の日記について、ご指摘をいただきました。なにをどう書くかのだいたいの方向はもう決まっているのですが、もうちょっとゆっくり頭のなかを整理してからていねいに書きたいと思います。

さて、1日過ぎてしまいましたが、はじめます。
はなずきんさんは初め、こう書いてくださって、次に補足のメールをいただきました。括弧内は補足の内容です。

> 自衛隊の幹部はおろか、防衛庁長官でさえ自衛隊の行動を勝手に
> 決めることはできません。国内の災害派遣の時ですら、首相の
> 「要請」がなければ動けないのです。

(「自衛隊派遣を要請する」のは都道府県知事で、内閣総理大臣(私は首相と書きましたが、自衛隊法では内閣総理大臣と記載されています)はそれを受けて「出動を命令」する立場です。

また内閣総理大臣は「内閣を代表して自衛隊の最高の指揮監督権を有する」立場にあります。防衛庁長官は「内閣総理大臣の指揮監督を受け、自衛隊の隊務を統括する」立場です。)

> 海外の邦人を救出するため
> に行った先で、人質になっている邦人を守る時に「自衛隊員自身
> が危機にさらされた場合しか武器の使用は認められない」と決め
> られていたために敵に直接攻撃できず、わざわざ自分達が人質の
> 「盾」になってから敵に攻撃した…という話もあるくらいです。
>
> おそらくたいがいの自衛隊員は、いつかは死ぬかもしれない、と
> いう覚悟で入隊していると思いますよ。戦争にならなくても、普
> 通の職業よりはよっぽど死亡率は高いのですから。命令されれば
> 戦闘地域にだって入って行くはずだし、隊員達も自衛隊は実質的
> には「軍隊」だと思っているはずです。今回の件もいつどこで戦
> 闘に巻き込まれるかわからないのですから、死を覚悟していない
> わけはないと思います。
>
> 自衛隊は常に、政治の都合でそのときどきのいいように解釈され
> て使われてきた組織です。ふだんは憲法違反扱いされているの
> に、よその国には軍隊扱いされて侵略うんぬん言われるし、災害
> 救助ともなれば「働いてあたりまえ」と思われる損な役回りで
> す。いっぽうで任務のために(日本国民を守るために)命を落と
> している自衛隊員とて決して少なくはありません。自衛隊の行動
> に問題があるとすれば原因は政治のほうにあるのであって、隊員
> たちの覚悟の問題ではないと思うのです。その点だけは、理解し
> ていただけたらと思いました。

わたしが、

> あの文章を書いていて、まず自衛隊に対して「じゃあ行くな」と
> 思い、そのあと、でも命令がないなら動けないだろうということで
> 首相批判になりました。 でも、自衛隊に対しての部分を残した
> のは、自衛隊のなかの上の人や防衛庁の意向であったかもしれない
> と思ったからです。
 
と書いたことに対して、

> 防衛庁や自衛隊の幹部がどういう考えでいるのかは私もわかりま
> せんが、国会を通過した内容以外のことを自衛隊が行うことはで
> きないのは確かです。これは私の推測ですが、防衛庁や自衛隊幹
> 部はむしろ積極的に活動を行いたいのに、いろいろ行動に制約が
> かけられていることのほうが不満なのではないでしょうか。

とお返事をいただきました。

もともと自衛隊の幹部や防衛庁の人を念頭に「死ぬ覚悟がないなら..」と書くのは乱暴でしたね。「自分の命令で誰かが死ぬ重責に耐えられないなら」と書くべきでした。

首相から出動を命令される前後には、自衛隊や防衛庁の上の人たちから首相に対して、いくらの予算であれば、どういうことができるかというプレゼンテーションがあるだろうとわたしは勝手に思っていました。以前、小泉首相が自衛隊派遣について、「どういうことができるかは専門家が考えればいい、政治的配慮は政治家がやる」という発言を読んでいたので、自分の推察には疑いを抱かなかったのですが、はなずきんさんのメールによると、自衛隊の人たちは自衛隊の人たちでジレンマがあるようです。

そのジレンマのなかには、わたしのように事情をよくわかっていない人間からの事実に基づかない批判による部分もあるのでしょう。ですから、「死ぬ覚悟がないなら..」の部分は訂正というより取り消します。あのままでは誰が読んでも派遣された隊員に対するものだと誤解するし、真剣に自衛隊で働いている人や彼らに近い人たちを傷つけてしまうでしょう。そのことについてはお詫びしたいと思います。

でも、それではだれが何を決めたのか、という疑問がわたしのなかに残っています。首相が自衛隊の設備、装備、それぞれの性能、隊員の能力について仔細に精確に把握しているとは思えませんし、国会で審議される前には誰かが提案をしているはずです。日本の議員さんたちはヤジ以外は棒読みが多い、ということはその原稿を書いた人がいるはずなのです。


それから、今回、メールをいただいたはなずきんさんには、法律的な用語まで確認していただきました。ご指摘、ほんとうにありがとうございました。まず、こんな長い文章を読んでくださっただけでも、とてもありがたいと思っています。ほかのかたでも、もし今後、わたしの事実誤認を見つけたら、ぜひ、ご指摘ください。いま、アメリカとアフガニスタンで起きていることについては、自分の論を誰かに押しつけるために書いているわけではなく、事実とか真実にいちばん近いものを探すために書いています。事実も真実も、立場や主観によって多いに変わるものではありますが、「報道=論理」では割り切れない部分を探していきたいなと思っています。



2001年10月25日(木) 札幌から来たメール

Date: Thu, 25 Oct 2001 18:40:12 +0900
Subject: 講演会に行って

なかめいです。

昨日、中村氏の講演会に行ってきました。こうやって書き始めたものの、一体何から書いていけばよいのかな。ただ、感じたことを、時とともに風化させてはいけないということしかはっきりとは言えないのですが、最も印象的だったことは、私がこれまで見聞きしてきたことと、実際にアフガンおよびその周辺で起こっていること、人々が感じていることの間には、想像以上のギャップがあったということでした。初めは単に驚きました。そして時間がたつにつれて、怒りと無力感とが入り混じったものに変わっていきました。「一体私はこれまで何を見てきたのだろう」と。もちろん、それはメディアに対してのことだけではなくて、自分自身の積極性の足りなさに対してのものでもあります。

話が逆になってしまったね。すでに知っていることもあるとは思いますが、とりあえず聞いてきたことを簡単に書いていきます。

ぺシャワール会は、’84年に中村医師が知人の勧めでパキスタンのぺシャワールに赴任したあたりから始まります。最初は山岳地帯を中心としてハンセン病の治療を行っていました。’79年からソ連軍の侵攻が始まり、それ以来、しばらくの間は難民がかなりいたようです。医療活動の規模は次第に広がり、そして、’91年、ソ連邦が崩壊して軍隊が撤退しました。難民は自分の故郷に帰りましたが、長らく続いた戦争のせいで町は機能を果たせる状態ではありませんでした。アフガニスタンは、国民の約95%が農業で生活をしているところです。そこでぺシャワール会は医療活動だけではなく、農村復興をも始めました。そんななかで、’93年、あの辺り一帯でマラリアが大流行し始めました。患者数はものすごい数だったそうです。一日中、寝る時間以外、ずっと診療にあたっても、全くこなしきれていない、そんな状況でした。ある夜、不安と焦りで人々が暴徒化しました。発砲もあり、職員の2人が亡くなりました。アフガンの人々は基本的に「復讐の民」だそうで、そのとき、現地の職員は当然報復に出るものと思っていました。そこで中村医師は「報復行動は一切しない。もしも発砲するのなら、私はその人を殺して報復を阻止する」と言ったそうです。彼らの論理ではやり返さないと面子が立たないのだそうですが、今ここで争ってもマラリアが大流行しているという状況は全く改善しないのだということを職員に説きました。そして、次の日、人々を集めて、誰のためにやっていると思っているのだと、声を荒げて怒りました。民衆は悪かったと深く反省し、診療は元通り再開されました。そして、ここ3年ほど大旱魃が続いていることは、知ってのことと思います。そこでぺシャワール会は2000年7月から、井戸掘りを始めました。会の活動規模を拡大して現地のスタッフを増員し、結構うまくいっていたところに、今年1月からのUNによる経済制裁が始まりました。中村氏はとても驚いたと言っていました。それはそうでしょう。食糧援助ならまだしも、その正反対のことが起こったのですから。

アフガニスタンはもう結構寒くなってきたようです。メディアではあれこれと連日報道していますが、現地の人々にとって今一番の関心事は「生きて冬を越すことができるか」ということです。食糧が絶対的に不足しているこの状況のなかでは、政権を担うのがタリバンであろうと北部同盟であろうとどちらでもよいのです。彼らの基本的な生活単位は村のような小さなコミュニティであり、そこで大概のことは解決されます。たとえば、誰かが何か納得できないことがあったとして、そういうことは週一回あるモスクでの集会でみんなに提案し、そこで話しあわれます。それによってコミュニティの秩序は保たれているのです。彼らが最も欲しいものは、水、食糧、そして平和な暮らしです。従って、そういったものが得られるのであれば誰が政治を行ってもよいのです。かつて共産党政権が崩壊し、その後北部同盟が政治を行うようになったとき、とても治安が悪くなり、そこにタリバンが現れ、秩序が回復しました。しかし、だからといって、人々はタリバン政権を全面的に支持しているのでもありません。あくまでも、”秩序が保たれている限り”のことです。

タリバン政権が女性の人権を(私たちの視点からみて)ほとんど無視している点について外国から批判があることについて、中村氏は「では、あなたは彼女たちをどこかほかのところへ連れて行くことができますか」と問いたいと言いました。つまり、彼女たちは生まれ育ったアフガニスタンで、ずっとその価値観を持って暮らし、その中でいくつかの大切なものを手に入れ、また幸せを感じたりしているのだということです。これはこれでひとつの考え方である、としか私には言えません。本当に中村氏が一人の人間として思っているのかもしれないし、あるいは、(こっちのほうが尤もらしいと思いますが)外国で滞りなく活動をするためには、政治的な意見をしないのが良いからかもしれません。私としてはやはり不平等だと思うし、何事に対しても、誰かが何か意見することはそれ自体抑止力になると思うので、こういう風に批判があるのはいいのではないかと思います。

話を食糧不足の事に戻します。ぺシャワール会では、主な活動地域である東部において、この冬一割の人間が餓死するであろう、と予測しています。あの地域は非常に厳しい山岳地帯で、一般的な暮らしとしては、暖かい夏にアフガンの山岳地帯で生活し、寒い冬には比較的温暖なパキスタン側に移動するということを繰り返します。しかし、今年は旱魃のせいで暮らしは一層厳しく、移動することすらできず、寒いカブールに残っている、というのが現実なのです。メディアでは難民の大量発生がパキスタンに大きな負担になるとか、西側の国境は封鎖されたとか、いろいろと言っていますが、難民になることができればまだよいのです。なぜなら、移動するのにはお金が必要だからです。つまり多くの人たちは難民になることさえも出来ないほど貧しいということです。そこで今回ぺシャワール会では、なんとか少しでも餓死者がでないようにと、約一億円を目標とした募金を始めたのです。食糧は少しずつ現地に輸送されており、昨日、第一団が届けられたとの連絡が入ったと言っていました。講演のあと、輸送は安全なのか、という質問がありました。現在のところは全く心配はないそうです。というのは、アフガン自体が親日的(それも政府が米国寄りのため今は少し危うい)であること、そして長い間かけて築いてきた信頼関係や実績があるからとのことです。しかし、今後、本格的に地上戦になった場合はどうなるか分からない、状況が悪くなれば撤退することも大いにありうるとのことでした。そのときは”こうさくたい”になるのだとスタッフに言ったそうです。もちろん”工作”ではなく、”耕作”です(笑)。

中村氏はやや小柄で、顔立ちは写真で見たとおり、特に人目をひく感じでもなく、彼らが実際に行っていることの偉大さとは対照的な地味な人でした。しかし、彼の言葉には重みがあり、それは、心の声に従い行動してきた人だけが持つ、静かで力強いものだったと今改めて思います。昨日のことは「良い経験をした、いい話が聞けた」とか「すばらしい人だった」とかいった言葉で表せるものではありません。確かに、ふつふつと湧き上がる熱い思いはありますが、何かもっと重要なことについて考えざるをえません。

私たち(3人で行った)が着いた約一時間半前はほとんど誰もいなくて、一体どれくらいの人が来るのだろうかと思っていましたが、開始時間が近づくにつれ、椅子が全く足りなくなり、前列に座っていた私たちなどは地面に座りました。ステージが低くかったので、ステージに上がって聞いていた人もいました。後ろで立ち見の人もいました。ものすごい熱気でむんむんしていました。いくら現地の状況を知っても、私たちひとりひとりの力は悲しくなるほどちっぽけで、大した事は出来ないのですが、それでも何かをせずにはいられない人がいて、そしてそれを心から支援する人がいて、共感することが出来る、そのこと自体はとても美しいものだと思いました。とにかくなんとかして生き延びて欲しいです。

多くの人に読んでもらいたいので、掲示板に書きたかったのですが、方法がわからないのでメールにしました。もしもどこかに移したいというのであれば、どうぞ好きにしてください。

ながーい文章に付き合ってくれてありがとう。こういう気持ちを分かち合える友人がいることはとても幸せだなと思いました。



2001年10月24日(水) 今度こそ「日本のこと」

日本については朝起きてからまた書きます。
と書きつつ、結局夜になってから書いてます。

フランスには徴兵制があります。その期間に事故にあって、障害者になる人もいます。湾岸戦争後くらいから、徴兵制による兵士達では、結局いざというときに使いものにならないからと、軍隊のプロ化を進めようという方向で議論されています。

 徴兵制による兵士:
  10代後半から20代前半くらいに1,2年訓練を積み、
  終ると学校や職場に帰って行く人たち。

 プロの兵士:
  希望出願して、軍隊に入隊する人たち。

この図式で行くと、日本の自衛隊というのはアルバイトちゃんではなく、プロということになります。お遊びでやってるんじゃないぞ、と。そういう制度を持った日本以外のほとんどの国の人に「いや、自衛隊は軍隊ではないんだ」とわかってもらうためには、ひじょーーーにうまく、丁寧に説明する必要があるのです。

フランス人はたいていアメリカ(の政治)嫌いなので、

「日本は戦後占領されてたから、アメリカが作った憲法をそのまま受入れたの。その憲法に軍隊は持たない、って書いてあるの」

と言っておけば、「へんなの〜」と言いつつ、受入れてくれますが、ほかの国ではどうでしょうね〜。ちなみに第2次大戦後、フランスにもアメリカ軍は残ろうとしていたそうです。それをド・ゴール将軍が「アメリカ、ノー、出ていけ」と言ったのだとか。

日本のことに話を戻すと、

> アフガン難民への支援物資を積んだ自衛隊の輸送機がイスラ
> マバードに到着した。日の丸のついたテントや毛布を
> UNHCRに引渡し、滞在時間わずか2時間で帰国の途についた
> とのこと。往路2泊3日もかけて、文字通り『日本の旗を見
> せに行った』ということでしょうか。
(日・パ旅行社サイトより)

だなんて、よくもまあ、そんなに恥知らずなことをできたものです。

プロの集団なんですよ。わざわざ軍用機を使って行ったのです。これがどこかのNGOのやることなら、行っただけでお見事ですけど、希望して自衛隊に入って毎日毎日、1年間に何十億円も税金を使って訓練を重ねてきた人たちなのですよ。

地雷の原をかき分けてでも、直接難民の人たちに手渡してほしかったです。徹夜で現地の言葉を覚えて、豚は入ってないって説明するとか、でなければ小麦粉を持っていって彼らが安心して食べられるナンを焼くとかしないなら、なぜ行ったのでしょう?

TVのないアフガニスタンで、いったい何人の人が日本人が来た「映像」を見ることができたのでしょう? アメリカのいったい何人の人がそんな報道を目にしたでしょう?地雷をどかしながら進めないなら、いったいなんのために毎日税金を使って訓練していたのでしょう? アルバイトちゃんではないのですよ。自ら希望して入った人たちなのです。

わたしは自衛隊の存在には反対でも賛成でもありません。
自衛隊の派遣にも賛成でも反対でもありません。
軍隊を持っていない国なんて想像できないという人たちに囲まれて暮らしています。

でも、

   死ぬ覚悟がないなら、入るな!
   
と思う。そして、

自分の采配で誰かが死ぬかもしれない重責に耐えられないなら、

   国家元首になんかなるな!
   特別立法とか言うな!
   顔の見える貢献とか言うな!
   憲法改正とか言いだすなーーーーー!!!!!
   
といいたい。政治的にも人道的にも完全に無意味な行為。

ブッシュ大統領は9月11日に、あと1機でも不審な民間機が見つかったら、撃ち落とせと言ったそうですね。彼は当選前からフランスのTVに馬鹿にされ通しだったけれど、一応、自分が軍隊と核兵器を持つ国の国家元首であることは自覚してて、いざというときには、一般市民の命はどうでもいいと言える強い子ちゃんであったわけです。

日本の首相には強い子ちゃんになるか、でなければ、自らが弱い子ちゃんであることをきちんと自覚しておとなしくしててほしいです。日本という国の首相は弱い子ちゃんでもやっていかれるだろうし、弱い子ちゃんなかわりに頭を使っていやな場面からは逃げまくってくれたほうが、多くの国民にとっては嬉しいでしょう。

いや、個人的にお友だちになるなら、強い子ちゃんより弱い子ちゃんのほうが好きですよ、もちろん。(笑)


それにしても、ここ数年間自衛隊にかかった費用対効果って、いったい...

   構造改革よりまえに、首相自身の意識改革!


追記)
読んだかたから事実誤認を指摘するメールをいただきました。その方の許可があり次第、メールの引用とこの文章の訂正をしたいと思います。



2001年10月23日(火) ハーブ、彼のこと、日本のこと

この日記の分類は衣・食・住です。(苦笑)
なので、今日はひさしぶりに生活のことについて。

3週間くらい前から体調を崩していて、かなり良くなったのだけれど、まだ本調子ではありません。そこで、いいものを食べなくっちゃと、日本食料品店でお豆腐や納豆を買ってきたり、自然食料品店で、有機野菜を買ってきたりしています。

有機野菜はいつもいつも新鮮なものが手に入るとは限らないし、ちょっと高いのですが、やっぱり値段分の価値はあるな〜と実感しました。農薬は根っこに溜まると聞いたので、人参、じゃがいも、玉葱など、シチューや煮物の材料を買ってきました。火が通るとね、すごくいい香りがしてくるんです。しかもその香りが強いの。だから、しばらく隣の部屋にいて、必要なことをして、匂いがしてきたらお料理に戻るということができます。じゃがいもも人参も皮つきのまま入れたのだけれど、その皮の部分もとってもおいしい。

それから今日はハーブを2種類オイルに浸け込みました。1つはアルカネットという天然の染料です。オイルに入れたとたんに、オイルはかなりどぎついチェリーレッド色になりました。オリーブオイルに少しと、ヘーゼルナッツオイルにも少し。オリーブオイルのほうは石けんの原料に使うつもりです。型入れまえに少し加えると自然でやわらかな桜色の石けんが出来上ります。ヘーゼルナッツオイルのほうは蜜蝋と合わせて、淡いピンク色のリップクリームを作るつもり。リップクリーム自体はピンク色になるはずだけれど、その色はグロスのように唇にまで残るのか、実験です。

もう1つのハーブはカレンデュラ。山吹色のオイルができます。これはひまわり油に浸けました。カレンデュラは傷んだ肌を回復するのに役立ちます。これも淡いオレンジ色のリップクリームを作るのに使う予定。

それから、今日知ったのですが、ハーブティはゆっくり口に含んで飲むと舌の下にある血管から成分が吸収されて良いのだそうです。ハーブのアルコール浸出液を舌の裏に直に垂らす人もいるのはそういうわけだったんですね。


       *          *          *


オサマ・ビン・ラディン氏について以前から丁寧に調べていたと思われる日本語の記事を見つけました。カブール・ノートNo.4「オサマ・ビン・ラディンという現象」です。

読んでいると、ビン・ラディンという人は一生懸命人一倍がんばるけれど、それを認められないとしゅんとなってしまうような弱さも持った人なのかなと思いました。「がんばる」のレベルはそれはそれはすごいのだけれど、あまりにも純粋すぎというか、机上の空論というか、学生が簡単に革命を夢見るのと同じというか...。自分のこころのなかの理想と、現実の世界との折り合いをどうつけていくか、という部分が一番大事なのに、折り合いをつけることを拒否しているんですね。

> 98年のあるインタビューで、オサマはアメリカ国民に何かメッセージは
> あるかと 訊かれて次のように答えたことがある。
>
> 「一国民としてのアメリカ人に告げる。兵士の母たちに、一般の
> アメリカの母 親たちに告げる。自分の命と子供たちの命を大切に
> 思うなら(中略)、自らの 国益を求めて、他人、他の土地、他人
> の名誉を攻撃しない、まともな政府を求 めよ。それがアメリカ国
> 民への私のメッセージだ」

言っていることは、非常にまともなんですけど、じゃあ、日本では一般の人が望んでいるようなことを実現してくれる政府を日本人は選挙によって作れたことがあったか?民主主義って、たしかに大義名分はかっこいいんだけど、現実はそんなに単純じゃないんだよね〜、って思いません?(笑) フランスではいろんな公共施設に「自由・平等・博愛」って書いてありますよ。でも、少なくとも外国人であるわたしにとっては自由ではまったくないし、周りの人の話を聞いていると、美術コンクールなど、ちっとも公正ではないらしいので、平等とも言いがたいし、博愛?ふふん、パリにはないわよ、少なくとも、って感じです。

彼の激烈な努力の一端を見ると、彼の理想が叶わないのは、ちょっとかわいそうだなぁと思います。でも、他の兄弟と同じように、欧米に留学すればよかったのにねぇ〜とも思ってしまう。そしたらたぶん、少しは現実を動かすことの難しさを知ることができたんじゃないかな。

カブールノートはどれもこれもわたしにとっては新しい知識ばかりで興味深いのですが、No.6「アフガニスタンの女たち」と、国連機関がなにをしているのかわかるクエッタ・ニュース 10. 千夜一夜なんやかんや物語も良かったです。


       *          *          *


日本については朝起きてからまた書きます。



2001年10月22日(月) ほんとうのことのかけら

さて、まずは 19 日の続きから。

わたしはアメリカの一般市民はたいていの場合、好きです。オープンだし、気さくだし、温かいし、パーティとか野球とか、みんなで集まって楽しもうとするところも、大好き。フランス人よりアメリカ人のほうが好きだな〜と思うことも多々あります。(フランス語では書けないセリフだな(苦笑))

アメリカ政府については...障害者支援政策の充実ぶりは素晴らしいと思う。
でも、外交政策は....。

タリバーンの人たちは、電気が通ってないからTVはない、小学校も出てない、そんな環境にいて、アメリカの一般市民とアメリカ政府の外交政策を区別できないのは、無理もないんじゃないかなと思います。だって、だれからも、理性的に物事を見て、判断することを教わっていないのです。それは彼ら1人1人の責任なのだろうか? (もちろん、幸いにして、わたしの家族や友人はNYでのテロの犠牲になっていないから、こんなことを書いていられるという自覚はあります)

ペシャワール会の中村医師の言葉
  「アフガンに小麦をあふれさせること 。それが最大のテロ対策」
  「2000円で10人家族が一ヶ月暮らせる」

(寄付希望のかたはこちらから)


  
こんなに貧しい人たちの頭の上から、爆弾を落とそうというのは、ずいぶん切ないことです。わたしの生まれ育った国はそれを支援すると言ってる。

オサマ・ビン・ラディン氏はいまではだれでも知っているように、昔アフガンでの対ソ連戦のためにアメリカが育てた戦士です。彼にとってのアメリカは、自分たちの理念を理解して支援してくれているのかと思ったら、イスラームを攻撃するイスラエルにも多額の武器、兵器、資金を提供していた国。民主主義を謳いながら、独裁的なサウジの王室とも仲良くしている国。要はなんの理念も持ちあわせず、状況を悪化させるために、より多くの殺し合いを続けさせるためにどんどん武器を送り込んでくる国に見えるのでしょう。

彼はサウジアラビア出身で、アフガニスタン人でも、タリバーンでもない。

あなたの家に、旧友がやってきて、あなたはもてなしている。そこに突然、外国人がやってきて、いまおまえの家にいるヤツは俺の家の息子を殺したから、俺はそいつを殺しに来たと言ったら、どう思いますか?
まずは証拠を見せろ、というタリバーンの反応はしごく当然なように思えます。

「証拠がないなら、我が家の大切な客人を渡すことはできない」

客人をもてなすのが好きなイスラームらしい温かい言葉だと思います。相手は外国人であって、警察ですらないのです。手渡したらリンチで殺されるとわかっていて、昔からの苦楽を共にしてきた、幾晩も語り合った友人をあなたは渡すでしょうか?友人の言葉と外国人の言葉、どちらを信じますか?

それにタリバーンが「証拠を」というといつもアメリカはヒステリックに「話し合いはしない」というのです。NYのテロの実行犯は大半がサウジアラビア人で、アフガン人はいない、とのこと。自分たちはテロをやっていないのに、攻撃される。攻撃なんてされなくても、放っておいたら死んでしまうくらい貧しいのに。お金持ちらしいビン・ラディンの一派とタリバーンの一般の人たちは区別して考える必要がある。現地に行ったことがないわたしにとっては、しばしばごっちゃになってしまうのですが、でもやっぱりここは頭を働かせないといけない。

アメリカ軍などが投下する食料はたとえばビスケットにも豚の油がつかわれているかもしれないから、すべて集めて処分されていて、人々の口には入っていないそうです。

日本の支援はというと、

> アフガン難民への支援物資を積んだ自衛隊の輸送機がイスラ
> マバードに到着した。日の丸のついたテントや毛布を
> UNHCRに引渡し、滞在時間わずか2時間で帰国の途についた
> とのこと。往路2泊3日もかけて、文字通り『日本の旗を見
> せに行った』ということでしょうか。

と、日・パ旅行社のサイトの緊急レポートのなかにありました。このことについてはまた明日以降、書きたいと思います。

最後にアメリカのこと。ほぼ日刊イトイ新聞のなかの翻訳前のアメリカというトピック(10月21日)には、日本の新聞には載らないアメリカのことが出ています。



2001年10月20日(土) へんな言葉



   「文明の衝突」


TVや新聞の見出しとして、使いやすいすっきりした言葉。なんだかすべてを説明してくれているような気になれる言葉。でも、それを言うすべての人に訊いてみたい。

   あなたはどれだけイスラム教徒のことを知ってるの?
   彼らの生活をどれだけ共有したことがあるの?
   アメリカの文明を、ヨーロッパの文明を、
     どれだけほかの文明と冷静に比較したことがあるの?
   そもそも文明ってなに?
   あなたにとっての文明の定義は?

フランスの報道では「アメリカの物質主義の象徴が倒された」とは言っているけれど、「欧米の文明の象徴が」なんて言っていない。

わたしの友人に、イスラム教徒の人がいる。彼はサンドイッチ屋さんに行けば、中身のハムをチーズか卵に変えてくれないかと頼む。1月には、たとえ窓のない密室で肉体労働をしていたとしても、日没まで食事をしない。密室で太陽なんてみえないのに、時間を気にしている。隣にいるフランス人が、今日の日没は○時×分だから、おまえもう食べられるよ、と声をかける。ほんとに?ちゃんと調べた?と不安そうな顔。ちゃんと新聞で調べた時間だから大丈夫と、太鼓判を押されて、ようやっと彼は食べ始める。

彼は奥さんとうまくいっていないとき、なぜだか突然「ぼくは奥さんと別れて、かなと結婚するんだ」と言いだした。わたしは現実的に彼に訊く

「わたしは日本人で、たいせつなビタミン源としても豚肉を食べる。わたしが豚肉を食べたお皿や、料理に使ったお鍋で、あなたの食事はできるのかしら?」

みんなで一緒に食事をしていても、ハムのお皿があるところには絶対に近づかない。でも彼は1日に5回も礼拝したりなんてしない。NYで生まれ育った彼の奥さんもイスラム教徒だけれど、髪をショールで隠したりはしない。頻繁に家に招いてくれて、手料理で厚くもてなすのが大好きな人たち。

イスラームだっていろんな人がいるし、彼らには彼らの生活のしかたがある。それだけのことなんだ。

いま、パレスチナや、タリバーンやパキスタンにいる人たちをイスラム教徒としてひと括りにするのは無理がある。彼らは生まれたときから戦争に囲まれて暮らしてきた。目の前で父親と兄を殺され、目の前で母親と妹がレイプされる、それが日常だった人たちだ。近所中がみんなそんな目に遭ってきた、十分な食料も、医療も教育もなかった人たちだ。そして、父と兄を殺した武器は、母と妹を犯した男が載っていたジープは、アメリカのお金で買ったものだと知って、怒っている人たちだ。

こんなことを偉そうに書いているわたし自身、パレスチナとタリバーン、パキスタンのそれぞれの事情の違いまではよくわからない。想像できるのは、戦争のなかで生まれ育った人たちは、わたしとは全く違うものの見かた、考えかたをするだろうということ。1日1回の食事(しかも具のないスープや固いパンだけの)にありつくのが精いっぱいの人たちが狡猾になったり、嘘をついたり約束を守らなかったとしても、ちっとも責められないこと。家族・友人以外の人の命が大事だなんて、彼らが考えなかったとしても、それは無理もないこと。彼らを責めたり、裁いたりする権利はわたしにはないこと。

文明の衝突というよりは、貧富の衝突、国境のない革命というべきだろう。貧困のどん底にいる人たちが、金持ちの横暴さに腹を立てているとき、わたしは貧しい人たちへの同情を禁じえない。

ましてや、わたしはまだ彼らがやったという証拠を見ていない。

一般人やタリバーンには見せられない証拠ってなに?
(非合法の諜報活動で得た情報だからと、アメリカは説明したんだろう)
証拠を見せるのに、あれだけ時間がかかったのはなぜ?
(解読にかかった時間だとアメリカは言うだろう)
(でも、ねつ造していた可能性はゼロではない)
あれだけの大掛かりなテロを実行できた組織が大型機の手動運転までできた組織が最後に使ったホテルにわざわざコーランを残していくようなまぬけなことをするだろうか?

クリントン元大統領と関係のあった女性が大統領の精液のついた洋服を保存しておいた。
(複数の女性に尋ねたけれど、やっぱりみな、それは変だという)
ゴア大統領候補はへんな票の集計トラブルで落選。
ブッシュ氏が大統領になってから、イスラエルはやたらと強気な軍事行動をとり始めた。

アメリカのなかで、だれかがずっとまえから戦争をしたがっていたのではないか?
その人は戦争に Yes! という大統領が必要だったんじゃないか?

なぜ報道されることを真に受けることに、とまどいを覚えるのだろう?



2001年10月19日(金) 好きな言葉


   Cher ami, Cher ennemi, bonjour!

これは、TVの司会者が番組のはじめに必ず言う決まり文句。どこの局かはわかってるけど、どの番組か、何時なのか、まるで覚えてない。(苦笑) はじめはシェール・アミ、シェール・アミって2回同じことを繰り返してるんだと思ってたほど、まじめに聞いていたことなんてなかった。その人のインタビュー記事を街で見かけて初めてわかった。


   Dear Friend, Dear Enemy, Good day!


みんなで仲良くできたらとても嬉しいと思う。でも現実はそうじゃない。好きな人、できれば近寄りたくない人、いろいろ。普段はとても気が合うのに、ある1点に関してはまったく合わない人もいる。自分のこころのなかで、見たくない部分、弱いところを取り繕ったりしない言葉。逃げない言葉。自分は世界中のすべての人を受入れられるような優しい人間ではないことを見つめる言葉。

それでいて、相手を否定したりはしない言葉。自分とはうまくいかないけど、でも相手を尊重する言葉。

そして、敵とも共に生きていこう!という言葉だ。



2001年10月15日(月) ポラロイド倒産!! (not finished)

破産法の適用を裁判所に申請。
銀行団からの融資を受けて事業を継続するが、
資産の一部や会社全体を売却する方針。
負債総額は約9億4800万ドル(約1150億円)」

日・パ旅行社のこと。



2001年10月14日(日) ベアトリス・ダルの復活 (not finished)

おととい、病院の待合室で手に取った、だいぶくたびれた雑誌にベアトリス・ダルのインタヴューが出ていました。もう1カ月以上まえに公開された映画「Trouble Every Day」について。



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