2004年02月20日(金)
例の一児の母が同僚になったって話は暫らく前に書いたはずだけど、最近どうも私は奴を尊敬したくなっている。 どう考えても、それはそれでおかしい(失礼)のだが。
経緯はどうあれ、大方の予想通り、大方の予想通りの状態になってるH(27)……奴は今日デートだとかのたまっていた。 Hのことだからどこまで本気かわからないし、状況を考えればまぁごたごたにならない程度なら、それで本人が楽になるならそういうのもありかなと言う気がして、でもやっぱり道義的にはよくないような、でもいかにもあいつらしいようなとつい混乱してしまうところだけど。 すごいなと思うのは、あの自信の程と、本気なら本気なりに、遊びなら遊びなりに「付き合う」ことができるという、まぁこの年齢だったらそれほど珍しいわけでもないようなこと。 私は結果がどうなるのであれまず余計なことを色々考えてしまうし、真似事にしたって社内恋愛なんてとてもじゃないけどできそうにない。 私にとって一緒に仕事してる人は「同僚」という生き物と「上司」という生命体であって、個として区切るよりもその役割でまず分類してしまうから、人間同士の「付き合い」にはなかなか発展しない……って、確か以前本屋関連の愚痴で似たようなことを言った気も(^^; よしんば「それ」に発展する余地があったとしてもその先にあるのは勿論「お友達」という区分であって、それ以外の選択肢はないも同然。なにしろ「同僚」や「上司」が人類であることは知っていても、同じ人間であると感情的に認識する回路が通常は遮断されているから、ふとした弾みに彼らが人間であると気付いた瞬間、軽い錯乱状態に陥ってしまうほど。 もっとも、たとえ相手が人間だってちゃんとわかってるときでも、自分の気紛れさ加減を知る身としては後の気まずさを思って「知り合い」や「お友達」以外の枠を意識的にも無意識的にも排除してしまうんだけどね。 そんな私にしてみれば、結婚して、子供までいて、しかも恋愛を楽しむことができるHは驚異の人(もともと驚異の塊だが・笑)に見えてしまうのも無理はない。 「出会いがない」って嘆く大学時代の友達のメールを眺めてて、改めて思った。 例えいくら出会いがあっても役に立てられない朴念仁が此処に一人……(−−;
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