喫茶店がマイブームだ。
小洒落たカフェも好きなんだけど「純喫茶」って但し書きがあるような、古き良き昭和の香りがただようような喫茶店が良い。毒々しい色のクリームソーダとか、先の細くなった上げ底の器に入ったチョコレートパフェとか、缶詰とバナナと牛乳で作るミックスジュースとか。二段重ねのホットケーキとか。そしてベタベタ甘いスパゲティナポリタン。ウェイトレスさんの持っているお盆は銀色。室内の照明は暗め。ちょっぴり湿度が高い感じがそそられる。
私が理想とする喫茶店は、めっきり数が少なくなったように思う。明るく感じの良い喫茶店とか、洒落た感じのカフェとか。スターバックス形式のところとか。そういうのも嫌いぢゃないし、むしろ好きだが、喫茶店がこうも減ってくると、かえって入りたくなってしまうと言うか。
数年前、浅草の喫茶店でメニューに「昆布茶」を発見して驚いた覚えがある。あの喫茶店、場所などとんと忘れてしまったけれど、私が理想とするタイプの喫茶店だったような。その時の記憶もひっくるめて、ちょっと懐かしい。
昨日、私の理想とするような喫茶店に入った。椅子がとっても素敵だった。木製で、背もたれと座る部分は臙脂色のビロード張り。すわり心地より見た目重視で選ばれた椅子は、喫茶店の暗い照明に溶け込んでいて、すっごく良い感じであった。メニューも理想的。オヤジとアルバイトの女の子とで切り回している感じ。隣のカップルが注文していた「スパゲティナポリタン」が、やたらと大容量で感動してしまった。
ちなみに私はクリームソーダを頼んだ。やけに美味しかった。
クリームソーダって本当はそれほど美味しいものではないように思う。必要以上に甘いソーダと、安物のアイスクリームのコンビネーションが醸し出す偽物めいた味。だけど「わぁ。美味しい」と思ってしまうのは、クリームソーダの見た目とか、その他諸々のシュチュエーションに酔っちゃってるんだろうなぁ。
今日は街へ買い物に行く予定なので、時間があったら理想の喫茶店を探してみようかなぁ……ってか、しばらくは喫茶店探訪が熱いだろう……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。
珈琲よりも紅茶が好きだ。
喫茶店やなんかで注文するのは決まって紅茶。珈琲が飲めない訳ではないが、出されたら飲むという程度。年に数回ばかり「美味しい珈琲が飲みたいなぁ」と唐突に思って注文することもあるけれど、正直なところ珈琲の味なんて、まったく分かっちゃいなかったりする。「美味しくない」「なんか美味しい」の違いくらいは分かるのだけれど。
そんなに珈琲を飲まない人間なのに、毎朝ペーパードリップで珈琲を立てている。カフェ・オレにして飲んでいるので「毎朝珈琲を飲みます」とは言い難いのだが、とにかく毎朝珈琲を立てている。
珈琲を立てるようになったのは、東京のFの家に泊まりに行って、生まれて初めて自分で珈琲を立てたのが始まり。すっごく楽しかったのだ。挽いた豆の上に、お湯を細く垂らした時に、ふわっと立ち上る香りとか、じわぁっ……と待っている時のドキドキ感がたまらなく良くて、珈琲を立てる幸せに目覚めてしまったのだ。大阪に戻ってきて、矢も立ても溜まらず珈琲サーバーを購入した。
以来、ほぼ毎朝、珈琲を立てている。どこかで飽きるかと思っていたのに続いていると。ちなみに今朝も立てた。なんちゅーか。今朝のカフェ・オレは格別に美味しかった。だって今日は仕事に行かなくてもいいのだもの。休日のカフェ・オレはことのほか美味しい。もっとも……お盆休みも後半戦に差し掛かったのだが。
ま。なんだかんだと「少々難アリ」な毎日だけど、毎朝珈琲を立てる幸せを感じつつ、本日も1日愉快に過ごしたい……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。
2005年08月13日(土) |
手土産とか、贈り物とか。 |
友人の家へ遊びに行った。今日は「第2回昼酒を飲む会」。大きめの鞄に、誕生日に貰った白ワインと、昨日図書館で借りてきた川上弘美のエッセイを入れて出発。
途中、百貨店で桃を買った。
手土産に、なぜ桃を選んだかと言うと、私が欲しい物を選んだ…とうシンプルな理由から。スーパーで並んでいる廉価品ではなく、少し良い桃。自分では、ちょっと手が出ない…ってところがポイント。2家族分の桃を包んでもらったら、えらい大荷物になってしまった。まるで孫の土産を山程抱えて田舎から出て来たおばあちゃんのようで、大荷物ゆえ最寄り駅からバスに乗るのをあきらめてタクシーに乗ってしまった。ケーキか和菓子にした方がスマートで良かったかも…と少しだけ後悔した。
手土産にしろ、贈り物にしろ、「相手にしてあげる」という大義名分はあるけれど、実は自己満足の結晶なんぢゃないかなぁ……と思う。他の人はどうだか知らないけれど、私の場合は間違いなく。よほど相手の好みを知っていて贈ることもあるけれど、たいていは「私が好きなもの・シュチュエーション」を強引に贈りつけているに過ぎないのだ。なので、相手の好みを外していることもあるだろうと思われるのだが、そのスタンスは崩せなくて、プレゼント1つとっても、カードや手紙1通にしても、自分ありきになってしまう。今日の桃も、そんな感じ。
パンとチーズとワイン。手料理が数皿。あれこれ喋りながら、美味しく戴いた。食事の後はゲームをしたり、友人が持参した「ポップコーン製造機」で作ったポップコーンを食べたり。塩加減を間違ったポップコーンは恐ろしく塩辛くて、今までの人生で最高にマズイポップコーンだった。が、楽しかったし、きっと後々まで忘れない記憶になるだろうと思う。
有意義なことは、何一つしなかったが、良い時間を過ごさせてもらった。
こんな風に時間を過ごせる友人がいるのは本当にありがたい。また、こんな時間がもてるといいなちぁ……と思いつつ帰路についた。今日は盆休み2日目。まだ4日も休めるのかと思うと幸せでならない。明日も楽しく過ごしたいものだ……ってことで、今日の日記はこれにてオシマイ。
お盆休み初日。
いつもと同じ時間に起床。午前中は乙女な母の病院送迎。それに掃除・洗濯などの家事全般。シーツを洗ったり、床を磨いたりと、精力的に働いた。もうちょっと家を小奇麗に保ちたいと思うのだけど、理想と現実の間には深くて暗い川が流れているらしい。まぁ、あまり躍起になるのも馬鹿馬鹿しいし、出来る範囲でやれば良いかと、あっさり諦める。
午後からぶらぶら図書館へ。
ここのところ、読書熱が低下していて有吉佐和子などを再読してばかりいたのだけれど、ちょっと新しい風を入れてやろうか……と。本当は図書館でなく、大きな書店に行った方が刺激が強くて良いのだけれど、体力的に駄目駄目の時に、そういう場所へ行くと、刺激が強すぎてクラクラしてしまうのだ。その点、たくさんの人の手に渡った図書館の本達は、自己主張が控えめで、気だるく手に取ってみるには、いい具合なのだ。兄さんが良いと言っていた、荻原浩を借りてみた。その他、軽めの読み物を数冊。
帰宅して、羊羹を食切った。羊羹を食べる時は必ず、谷崎潤一郎『陰影礼賛』の一節が頭をよぎる。もはや刷り込みの世界。頂物の羊羹は、黒糖入りとかいうもので、味が濃厚で美味しかった。2時間ほど午睡。もっとも、午後からも片付けものをするつもりだったのだが、気がついたら夕方だったのだ。
せっかくのお盆休み初日だと言うのに、普段の週末と大差ない1日だった。が、明日も明後日も、その次も仕事に行かなくていいというのは大違い。せっかくの休暇なのだもの。楽しく過ごしたいなぁ……と思う。明日は友人の家へ遊びに行く予定。さてと、これから図書館で借りてきたエッセイでも読むかな……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。
明日から待ちに待ったお盆休みに突入する。
みな休暇を待ち焦がれていたらしく、今日の職場は異様な空気に包まれていた。不必要にテンションが高いと言うか。「まず手始めに明日は何をする?」という質問を受けて「とりあえずゴロゴロする」と答えたらば「私も〜」という言葉が木霊のように響き渡り、そこにいたメンバーで顔を見合わせて笑った。なんちゅ〜か。長い休みに入るというだけで、ここまで気持ちが穏かになるんだなぁ。
気持ちが軽くなるのと同時に、口まで軽くなったのか、同僚から面白い話を聞いてしまった。26歳のNさん♂と27歳のSさん♂発のナイショ話など。つい先日、和歌山の現場に行った帰り道……美しい海岸沿いを車で走っていた2人は、どうしても我慢できなくなって、夕暮れの海を真っ裸で泳いだとのこと。「これから、あなたたちの事を裸族と呼ばせてもらうよ」と大笑い。
2人の名誉のために付け加えておくと、真っ裸で泳いだと言っても海水浴場ではなく、人気のない岩場だったとのこと。それにしても、仕事でクタクタになっているだろうに、泳いでしまうだなんて流石は若者だなぁ。毎日仕事に追われて、休みもろくに取れなくて、そんな時に美しい海を観て、つい出来心を起こしてしまったのであろう。誉められた事では無いのかも知れないけれど、ちょっぴり羨ましいと思ってしまった。いくらなんでも女性には出来ない芸当である。
お盆休みは、取り立てて遠出はしないのだけど、友人に会ったり、その他諸々、楽しいことが山盛りである。友人が贈ってくれた虎屋の羊羹を食べるのも、お楽しみの1つ。お盆休み中に、ゆっくり身体を休めて鋭気を養いたいと思う。明日からの日々にワクワクしつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。
本日は定時ダッシュで帰宅した。
背中から追われていたかと思っていたのに不意の休息。仕事の波は突然に引いてゆくのだ。浮き草稼業の運命でござる。もっとも、このゆるやかな凪が永続するはずもなく。のんびりな時は、目一杯のんびりを満喫しようと心に決める。
帰り道、駅前のスーパーでみかんの缶詰を買った。
昨日、有吉佐和子『有田川』を読んでいたら、みかんの缶詰が食べたくなったのだ。物語の終わりの方で登場するみかんの缶詰が美味しそうなことと言ったら! 帰宅してすぐに冷凍庫に放り込み、食後のデザートに開けてみた。みかんの缶詰を食べるのは数年ぶりのことだったが、たまにはこういう素朴なおやつも悪くない……と思った。
それにしても、たかが缶詰。されど缶詰。中国産の缶詰と、国産の缶詰とでは、お値段が2.5倍も違ってくるとは驚きである。これが日本の現状。国産の食べ物の方が安全で、味も良いと分かっていても、外国産の物を買ってしまう(買わざるをえない)消費者が多いのだろうなぁ。かくいう私もその1人で普段はアメリカ産のブロッコリーとか、中国産の椎茸なんかを、ためらいもなく買っているが、今日は「夏バテ気味な私へのご褒美」とて、国産の缶詰を買った。
飽食の傍らにある現実。消費者達が努力すれば多少の改善は出来るだろうが、私自身「国産のものを食べよう。昔の日本人のような生活をしよう」なんて、とても言えやしない。安かったり、便利だったりする方に安易に流れてしまうのだ。そうした方が良いのだと知っていてもストイックに生きるのは難しいのだ。
さて。のんびりな時間、何をして過ごそう……とりあえずお風呂に入って汗を流してこようかな……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。
最近、プリンだのゼリーだのといった口当たりの良いデザートを食べることが多い。とくにコンビニデザートで。贔屓の品もあるけれど、基本的にチャレンジャーな私は「新発売」に手を出すことが多い。いまどきのコンビニデザートは、優等生が多くて、どれを食べても75点という印象。「不味くて食べられなかった」なんて品物に行き当たることなど、まずない。
まぁ、ほどほどに満足できるデザート生活な訳だが、最近のプリンって、なめらか過ぎるというか、ゆる過ぎるような気がしてならない。「なめらか」を通り越して「カスタードクリームを食べたい訳ぢゃないのに…」と呟いてしまうほど、ゆるいプリンさえあるのだ。
そう言えば、コンビニのプリンに限らず、洋菓子屋さんで作ったようなプリンでも、ゆるい物が多いような気がする。これって流行なんだろうか? やわらかいプリンも好きだけど、たまには「安っぽいプリン」を食べたい…とてプッチンプリンを食べてみたらば、やけに美味しかった。
プッチンプリンは私にとってプリンの原点なのかも知れない。いかにも偽物くさい味だけど、そこがまた魅力的なのだ。「ぷっちん」して食べると、なお良し。
お盆休みまで、あと3日。あと少し頑張ったらば夢の6連休。長い休みを励みにして、プッチンプリンを友として、明日もまた働こう…点ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。
今日は1日自宅で過ごした。
午前中は家事専従。午後から昼寝。昼寝って、ほんの少ししただけで疲れが随分取れるような気がする。そう言えば子供の頃、夏は強制的に「お昼寝」をさせられていた記憶がある。お昼寝から起きて、西瓜だの葡萄だのチューペットなどのオヤツを食べるのが楽しみだったような。
私が暮らしているのは平屋建て2個イチの長屋。居間になっている八畳間に面して、ベランダ……とは言い難い、板張りの洗濯干し場がある。一応、軒がついていて、軽い雨ならしのげるようになっているのだが、最近その洗濯干し場が野良猫の遊び場になっているらしい。
長らく空き家なっている向かいの長屋の床下で、この春、野良猫が子供を3匹産んだ。母猫は、もうどこかへ行ってしまったようだが、子猫達はこの周囲が気に入ったのかずっと同じ場所で暮らしている。流石に生粋の野良猫だけあって、3匹とも痩せていて精悍な顔をしている。
今朝、洗濯を干そうと洗濯干し場に出たらば、カゴに入れていたはずのハンガーが見事に散らかっていた。昨日の夕方はちゃんと片付いていたはずなので、夜に遊びに来たのだろう。人間の顔を見ると、飛び上がって逃げる猫達だけど、人の目がなければ、子供らしく、ハンガーなんかで遊んだりするんだなぁ。遊んでいる姿わ想像して、ちょっと笑ってしまった。
それにしても、こう毎日暑いと野良猫達も過ごしにくいだろうなぁ。野良猫ともなればクーラーの効いた部屋で、寛ぐこともないだろうし。まぁ、しかし彼らが飼猫よりも不幸せとは言い切れない訳で。野良猫にエサをやろうとか、そういうことは思わないけれど「元気で大人におなりよ」と無責任なことを思ってしまった。
明日からまた仕事の日々。お盆休みがあるので今週は1日ばかり稼動日が少ないのが励みである。頑張って働かなくちゃね……ってことで、今日の日記はこれにてオシマイ。
何年かぶりに花火大会へ足を運んだ。
昨年の夏、遊園地の花火(夏休み中ずっとしている小規模なもの)を観たけれど、ちゃんとした花火大会とは、とんと縁がなかったのだ。毎日ばてばてで、出掛けるのが億劫になりがちなのだが、今日は出掛けて良かったと思う。日中はうだるような暑さだったが、夕立のおかげで、花火を観るには丁度良い感じで涼しかったのはラッキーだった。
最近の花火は、私が知っていた頃のものより、ずっと技術が向上していて驚いた。私の記憶に残っている花火は、もっと地味で愛想のないものだった。イラストが浮かび上がる仕掛け花火や、円の上下で色が変わるもの、土星のような形で球体に輪がかかったようなもの、びっくりするくらい明るい光を持つもの……つくづく見事だった。
途中、花火の上がっている空に稲妻が走る……という珍しい場面にも遭遇。偶然にも面白い図を観ることが出来て、ちょっと得しちゃった気分だ。
一瞬で消えてしまうものに対して、こんなに沢山の人が夢中になってるって、なんだか不思議だなぁ……と、人混みの中で思った。人が大勢集まる場所って、そう得意ではないのだけれど「大勢の人から愛されるもの」には、それ相応の魅力がある訳で、たまには奮起してみるのも良いなぁ……と思う。
花火を観て気持ちがリフレッシュしたように思う。明日は家にいて身体を休めることにしよう……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。
2005年08月05日(金) |
読書の母…とか、とりとめもなく。 |
夏バテの影響なのか、活字が頭に入ってこないので、こよなく愛する有吉佐和子の作品などを再読している。私の読書人生において、父なる作家と母なる作家を挙げてみるなら、父は遠藤周作。母は有吉佐和子と即答出来る。彼女の作品によって育ててもらったと言っても過言ではない。何度となく読み返した本を飽きもせずに再読するのは、夏休みの宿題をする小学生と少し似ている。その行為に意義があるのか分からないけれど「たぶん、意義深いんぢゃなかろうか…そんな気がする」てな感じで。
今日は上司が代休を取っていたので、私もそれにあやかって、早い時間に店仕舞い。夏物のバーゲンに繰り出そうか……というような元気もなくて、一目散に帰宅した。ここのところ「いかに早く寝床につくか」ということばかりを考えているような気がする。
自宅最寄駅から、家に帰るまでの時間は、たいてい脳内シュミレーション。「今日はまず…荷物をおいて、PCの電源入れて、化粧落として……食事しながら母と犬の相手して。メールチェックは、食器洗ってからにしよう…」などと、どう動いたら効率が良いか…なんてことばかりを考えている気がする。
そんな自分が、ちょっぴり不憫だ。今日も腰は痛いし、整骨院には間に合わないし。
だけど、そんな細々と精一杯な日々を、なんだかんだ言っても、愛しているんだなぁ……と思わずにはいられない。夏パテしても夏が好きなように、色々あっても好きだと思えるものもある。
とりあえず明日は仕事に行かなくていい……ってことが素敵だ。ウダウダしてないで、食器を洗ってお風呂に入りつつ明日のシュミレーションをするかな……ってことで今日の日記の日記はこれにてオシマイ。
すっかり夏バテにハマってしまったらしい。
「身体がだるい」「食欲がない」など、薬用養命酒のCMのような症状で、怪しげな健康食品の広告とかが、やたらと気になってしまう今日この頃。雑誌や電車の吊り広告で「夏のスタミナ料理」なんて文字を見ても、ちっとも心がときめかない。
どうして夏バテにハマっちゃったのかなぁ。
暑いといっても、1日中暑いところにいる訳でなし。腰痛をやらかしてから冷たい飲み物は避けているので「冷たいものの飲み過ぎ」って訳でもなし。比較的夏バテには気をつけていたつもりだったので「理不尽だなぁ…」と思わずにはいられない。ま。夏だし、しょうがないかな……と自分を慰めている。
夏バテしても夏が好きだ。
自分ばかりが夏バテしている訳でもないし、文句ばかり言いますまい。仕方がないので秋までじっと耐えるべし……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。
日中、街を歩いていたら『エリーゼのために』を奏でるピアノ音が聞こえてきた。
『エリーゼのために』ピアノを習ったことのある人なら、誰もが目標にする曲ぢゃないかなぁ……と思う。かつての私もそうだった。「ピアノの発表会で『エリーゼのために』が弾きたい」と思う少女だった。が、私のピアノの師匠は私の本質を知っていたのか『エリーゼのために』とは程遠い個性的で激しい曲を私に与えた。ちなみに……しっとりした曲を弾かせてもらえるようになったのは20歳を越えてからのことだ。ベートーベンの『月光』を弾いたとき「やっと、こういう曲が弾けるようになったねぇ」と、師匠に言われたのを今でも忘れることが出来ない。
そんなこんなでピアノを習っていたにも係わらず、私はピアノ曲の定番『エリーゼのために』を弾く機会が無かった。そうこうしているうちに、ピアノを手放してしまったので、結局弾けないままでいる。ついでに書くなら『ねこふんじゃった』も弾けない。なので「ぢつは昔、ピアノ習ってたんだー」と言った事が無かったりする。日記にだったら書けるのに、なんかこう…ピアノを習っていて『エリーゼのために』が弾けないなんて……モグリみたいな気がしてならないのだ。
まぁ、そりゃそうと。ピアノを習っていたのは、今になれば良い想い出だ。セピア色の写真が素敵に見えるのと同じで「子供の頃、ピアノを習ってたなぁ」ってだけで、ほんの少しだけ…心の隅っこが柔らかくなるような気がする。
いつか遠い日、またピアノを弾くことがあれば『エリーゼのために』を弾いてたいなぁ……と思った夏の午後である。ってか、想い出に浸っている時間があれば、なすべきことを早く済ませて、一刻も早く寝て、元気を温存した方がいいよね…ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。