白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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当日記は移転しました。下記で更新を続けています。
引越し先 白い木蓮の花の下で


2003年05月31日(土) 出発の朝に。

おはよ〜ございます。

今日は社員旅行へ行かなきゃいけない訳ですが
早起きしちゃったので、ちょっとだけ。ちょっとだけ。

大阪地方は、スゴイ風です。昨夜もスゴイ風でした。
嵐の夜というのはアドレナリンを増幅させる効果があるのでしょうか?
ドキドキしちゃうのです。訳もなく。
幼い頃は、もっとドキドキしたものでした。

「なにかスゴイことが起こるんぢゃないか」って。

スゴイことが起こったことなど、1度たりともなかったのですが
それでも毎回、そう思ってしまったのでした。
この年になると、流石に「スゴイこと」が起こるかも……とは思わないのですが
それでもドキドキしてしまうところだけは健在なのです。
嵐の夜にドキドキしちゃう人って、あんがい多いような気がします。
人間以外の動物……野生の本能が強かったりすると
そのドキドキは不安だったりするようだけど。

朝っぱらから轟々と唸る風の音を聞くのも良いものです。
では行ってまいります……ってことで
今朝の日記は、これにてオシマイ。


2003年05月30日(金) 週末なのに。のに・のに。

しばらく留守にします……と言っても、一泊二日のことですが。

明日、明後日と社員旅行で西伊豆・芦ノ湖方面へ行くのです。
芦ノ湖は、大好きな小説の舞台になっているので
是非とも1度は行ってみたいと思っていました。
井上靖の『愛』って言う短編小説なのですが、しみじみ良い話なのです。
ま。本の話はともかく、とにかく旅へ出るのです。

50人もの団体旅行なんて、生まれてはじめての体験です。
観光バスで行くのだそうです。なんだか修学旅行みたい……
たとえ台風と共に移動するのだとしても、それも良い思い出となるでせう。
たとえ富士山が見れなかったとしても気にすることではないのです。
旅先でのアクシデントは、存外、心に深く刻まれるものですから。

西伊豆では船にも乗るのです。
私、車酔いはしないのですが、どうも船とは相性が悪いようです。
でも大丈夫。酔い止めという心強い味方がいますから。
第一、台風の影響で船が出ないかも知れないですし。
ノー・プロブレムです。なんの問題もありません。

もしもSARSが流行らなかったら、今年の社員旅行は中国だったという
素敵な計画があったってことを、ちょっぴり恨めしく思ったりもしますが
中国は逃げたりしませんもの。
お楽しみは後にとっておくのが良いのです。

それは、それは素晴らしい旅行になることでせう。

だから私。「ぢつは行きたくないんだなぁ」なんてこと
これっぽっちも思っちゃいないのです。
休みの日まで会社の人間と顔をつき合わせたくない……とか
なにが嬉しくて、集団行動に参加しなきゃいけないんだろう……とか
宴会が目的なら、近場に行けばいいぢゃないか……とか
大雨で観光できないとなると、ただの「お泊り会」だよなぁ……とか
そんな、ふてぶてしいことを考えたりはしないのです。

週末にのに。あぁぁぁ。

では、みなみなさま良い週末を。
旅行から戻りましたら、お会いいたしませう。
そんなこんなで、今日の日記はこれにてオシマイ。

<追伸>
ウダウダ言っても仕方がないので、美味しい海の幸を堪能してまいります。
途中、浜名湖でウナギも食べたりするのだそうです。
浜名湖周辺で食べる観光客向けのウナギは美味しくないと聞きますが
その真実やいかに? 確かめてまいりますです。


2003年05月29日(木) 憧れの職業。

今日、お弁当を食べていたらば、天敵(大ボス)から声を掛けられた。
「お弁当は、毎朝作ってもらっているのかね?」と。
馬鹿言っちゃぁ困りますぜ。これでもお弁当作りは15年のキャリアでさぁ。
……なんて言い方はしなかったが、自分で作っていると答えたら
「嘘をつくな。嘘を」と言われてしまった。

………。ジジイを騙して、なんのメリットがあると?
仲良しぢゃないのは確かだが、そんな子供みたいなことはしないってば。

天敵の目に映る私は、洗剤を入れて泡だて器で米を洗うような
パンツの畳み方も知らないような女なのだろうなぁ……
好きな人から嫌われたり、目の敵にされるのは辛いが
嫌いな相手から、そうされても、痛くも痒くもないので構わないのだが
彼はどうしたものだか何かにつけて突っかかってくるのだ。
仕事のことしかり。プライベートなことしかり。つくづく、暇な人である。

そりゃ、そうと。

社会人になってから知り合った人からは
「白蓮さんって結婚しても仕事を続けていくタイプだね」とよく言われるが
究極の野望は専業主婦だったりする。子供がいたら最高。いなくても可。
専業主婦には、専業主婦の辛さもあるだろうが、なんか憧れちゃう。
食事を工夫して節約生活したり、手作りで色々なものを作ったり。
「生きるために必要な作業」って感じで好きなんだな。家の仕事って。

チラシをチェックして特売のものを買いに行っちゃう。
専業主婦だったら町内会活動だって協力しちゃう。
溝掃除だろ〜が、子供会の廃品回収だろ〜が、そういうのも頑張っちゃう。
季節行事の食事は、コンプリートしちゃう。
雛祭りには散らし寿司。お彼岸にはオハギだって作っちゃう。

憧れちゃうなぁ……専業主婦って。

だが、しかし、それはあくまでも「憧れ」レベルのお話。
夢……と言うりも、むしろドリーム。
↑敢えてカタカナで書くあたりに薄っぺらさを表現してみた。
現実問題として考えると、私は、死ぬまで働いているような気がするのだ。
そして働くからには、それなりに頑張って仕事しているようにも思う。
あぁ働きアリ人生。女王アリとは言わないが、兵隊アリくらいに昇格したい。

さてと。明日もお仕事。お仕事。
「ジジイ。どっからでも、かかって来やがれ!」と勢いをつけてみたところで
今日の日記は、これにてオシマイ。

<追記>
もしも一生食べていけるだけの現金を手にすることがったなら
専業主婦になるよりも先に、ご隠居様になります。
若隠居……想像するだに、ウットリ。ウットリ。


2003年05月28日(水) 宇宙へ行った犬の話。

自分ち(HP)の掲示板でクドリャフカの話題になった。

クドリャフカって言うのは、初めて宇宙へ行った地球生物である。
なにげに書いた話だったのだが、知っている人がいて嬉しかった。

ちなみにクドリャフカは人間ではなくて犬である。
ロシアで暮らしていたライカ犬だった。女の子であった。
ねぇ。みなさん。はじめての宇宙旅行体験をしたのは女性だったんですよ。

……犬だけど。

人類初の宇宙旅行なんだもの。成功するかどうかなんて誰にも分からない旅だった。
て・ゆ・か。最初から「帰り道」は用意されていない旅だったのだ。
スプートニク2号は、地球から飛び出して、宇宙を泳ぐだけで精一杯だったのだ。
クドリャフカは死ぬために宇宙へ行ったのだ。
まぁね。特攻隊とか、自爆テロなんかも「死ぬための目的」て感じなので
クドリャフカの犬生が、取り立てて不幸だとは言えないような気もする。
世の中には、彼女よりも不幸な犬がいるかも知れないのだし。

だけど私は、彼女のことを考えると、泣きたいような気持ちになってしまうのだ。

訴える術を持たないクドリャフカは狭い宇宙船の中で
1人ぼっちで、なにを考えていたのだろうなぁ……とか
そ・ゆ・ことを、思ってしまったりするのだ。
犬好きだから……とか、動物好きだから……て訳ではなくて
彼女は、なんの因果で、そんなとこで死ななきゃいけなかったのか。
「死ぬ時は畳の上で」ではないけれど「犬小屋で死にたい」とか
そ・ゆ・ささやかな幸せもなかったのだと思うだに切ないのだ。

クドリャフカの人生は、あまりにも悲劇的ではあるけれども
人間の一生も、クドリャフカの人生と、少し似ているように思ったりもする。
個人の意思とか、努力とか、そういうものとは関係なしに
乗っていかねばならないことが、あったりするとか、そう言う部分で。
ただ人間は、ライカ犬ではないので
自分の気持ちを訴えたり、伝えたりできる分だけラッキーだけど。

余談ではいるけれど、クドリャフカは打ち上げから数時間のには死んでいたらしい。
打ち上げ直後から衛星内の温度と湿度が上昇して
5〜7時間後にはライフサインがなくなっていたそうな。
ゆえに、案外、寂しかったり、切なかったりはしなかったのかも知れない。
そりゃあ……まぁ……拷問されて死んだも同然ではあるのだけれど
私などがクドリャフカを偲んで感じるセンチメンタルとは
ほど遠い最後を迎えたようである。

犬も人間も、その真実を、そう簡単には、はかれないと言うことか?
それとも「何を感じ・考える」のかが大切なのか?
その辺のことは、ちびりちびりと考えてみるということで
今日の日記は、これにてオシマイ。


2003年05月27日(火) お子様メニュー♪

お弁当を作ろうと、冷蔵庫をのぞいたら、ロクな材料がなかった。
作るのをサボって、お昼はマクドナルドの「豆腐マック」でも食べてこようかと
そんな事を思ったりもしたのだけれど
「どうしても、お弁当を作れない日」ってのもある訳で
作れる時は、ズボラをせずに作ろうと珍しく殊勝なことを考えた。

……とは言うものの、材料に乏しかったので
滅多に作らないオムライスを作って持っていくことにした。
鶏肉と玉葱ぢゃなくて、ウィンナーと玉葱のオムライスだけど。
ブロッコリーが少しの残っていたので、さっと茹でてオムライスに添えた。

子供の頃、私は「オムライス」という料理があまり好きではなかった。
乙女な母は、そこそこ料理上手な人だと思うのだが
洒落た洋食を作るのは苦手だったようで、その影響もあったとは思うが
基本的にケチャップ味とか、ソース味の食べ物は、さほど好きぢゃない。
「嫌いだから食べない」ってほどのものでもないのだが
わざわざ作ったり、注文したりはしないなぁ……ってレベル。
なので、自分で作ったオムライスを食べるのは画期的な出来事なんである。

オムライスだけぢゃ、ちょっとサミシイかと思い
出勤途中、コンビニでインスタントのワカメスープを購入。
なんだかんだと、いつものお弁当よりも、ずっと豪華な感じ♪
あり合わせの、やっつけ仕事で、豪華な昼食になるだなんて
ふと『スープの石』の話を思い出してしまった。
あの話、大好きだったんだなぁ……出来上がったスープが妙に美味しそうで。

自作のオムライスは、とても美味しかった。
たまには、こういう「お子様メニューもいいなぁ」と思った。
そして唐突に「お子様ランチ」が食べたくなった。
最近は「お子様メニューは中学生以下のお子様限定メニューとなっております」
……のようなな但し書きがしてあるお店が多くなってきて
いざ、食べたいと思っても食べられないことが多かったりするので
「食べたい」と思ったところで、そうそう食べられるもんぢゃないんだけど。

さてと明日は週の半ばの水曜日。
先は長いけど、頑張りましょうかねぇ……ってことで
今日の日記は、これにてオシマイ。


2003年05月26日(月) 物に刻まれる物

図書館で借りた本って、なにげに汚いことが多かったりするのだけれど
先日借りた『体の贈り物』レベッカ・ブラウン は強烈だった。
本の角っちょが異様にボロボロだったのだ。

もしかして、これって……歯型?

じっくり観察してみると、それは動物の歯型ではなくて人間のものだった。
大きさから推察してみるだに、歯が生えたばかりの乳幼児……って感じ。
図書館の本は公共物なので、基本的に汚して返すのはNGだけど
思わずニンマリとしてしまった。
この本を読んだ人は、子育て真っ最中の若い母親だったのかなぁ?
それとも、孫を預かっているような爺婆だったのかなぁ?
……などと、妄想の翼がバタバタと騒いでしまったのだ。

古本を買うと、とんでもないモノが本の間に挟まっていることがあるけれど
期間限定で、短い時間しかしか手にすることのできない図書館の本にも
それなりのドラマが刻まれているのだなぁ。
物の価値ってはの、所有している数ではなくて
刻まれているもの重さなんぢゃないかと思ったりする今日この頃。
借り物なんてツマラナイと思っていたのを、考えなおそうかと思った。

図書館の本を齧った赤子は、どんな大人に成長するんだろうなぁ……

私は、その子の顔も知らなし、その子と関わることもないのだけれど
このことは、きっと覚えているような気がする。
良い子に育って、幸せに生きていってね……とか思ったりした。

ちょっぴりイイ人モード全開で、なんだけど今日の日記は、これにてオシマイ。


2003年05月25日(日) 母の直感。

昨夜は家族サービスDayだった。
↑サラリーマンのお父さんみたいで嫌な感じだけど。
私がお気に入りの飲茶屋さんへ食事に出かけた。
それなりに喜ぶ乙女な母&愚弟。喜んでくれると非常に嬉しい。
最近、私はイライラしがち。
取り立てて問題があるって訳ではないのだけれど
書き物をしていたり、本を読んでいたりする時間に
乙女な母&愚弟に声をかけられるのが、とっても苦痛なのだ。

お願いだ……ちょっぴりでいいから、静かにしててくれたまへ。

自分の殻にこもって陰気に暮らしていたい訳ではないのだが
1人で過ごす時間ってのも、やっぱり必要な訳であり。
贅沢な悩みかも知れないけれど、ほとほと草臥れる今日この頃。
乙女な母がプチキレた事件以来、なにげにバランスが悪いように思う。

昨夜、乙女な母はとてもご機嫌で。食事もお酒もたいそう進んで
気持ち良く酔っ払って寝床に入ってから、ポツリと言った。

「なんで、今更、髪を染めたの?」

私は美容師の兄ちゃんの情熱にほだされて染めたのだと説明したが
乙女な母は質問を引っ込めようとはしなかった。
「人から言われて動くような、あなたじゃないでしょう」と。
まったくもって、直感だけは鋭い人だ。確かにその通り。
美容師の兄ちゃんの職人気質に惚れこんだのも事実だが
ちょっと自分にハッパをかけたくて染めたというのが本当の理由。
いま、私。ちょっと、やる気なのだ。
髪を染めた自分を見るたぴに、初心を思い出すのもいいかな……なんてさぁ。

ちなみにビジュアル的に言うなら、ロマンチックな髪型の方が好き。
ショートカットは生活に便利ってだけでイマイチ好きぢゃないのである。

なんだかんだと誤魔化して、その場を収めてみたのだが
乙女な母はイマイチ納得していなかったのだろうなぁ。
今日は乙女な母の買い物に付き合って、運転手をしてきたのだが
何を思ったのか、私にと可愛らしいイチゴプリントのタンクトップを買ってくれた。
誕生日でも、クリスマスでもないのに
乙女な母からプレゼントを貰うなんて、驚き、桃の木、山椒の木。
↑ブリキにタヌキに洗濯機……と続けられたヲタクは逝って良しです(笑)

閑話休題。

今日は、ゆるゆるとした1日を過ごした。
新しい1週間も頑張らねばなぁ……ってことで
今日の日記は、これにてオシマイ。


2003年05月24日(土) 役者の仕事。職人の仕事。

昨日は贔屓にしている劇団☆新感線のお芝居を観に行ってきた。
相変わらず馬鹿馬鹿しくて、人生の役に立ちそうもなく
それでいて、底抜けに楽しい芝居をする人達だった。

毎回「生産性のない芝居だなぁ」と思うし「マンネリだなぁ」とも思うのに
それでも彼らのスタンスは大好きなので、ついつい劇場に足を運んでしまうのだ。
私にとって、彼らの芝居はエアポケットのような存在なのだと思う。
下品なギャグや、不必要に大掛かりな舞台装置や、凝り過ぎた衣装が
非・現実である芝居の世界に引きずり込んでくれるような気がして好きなのだ。
彼らの芝居を観た後は「さて。また頑張って働こう」って気になるから不思議だ。
どこか麻薬めいているのだなぁ……ま。それが道楽の醍醐味なのだろう。

あと10歳若かったら、役者か舞台関係者になりたいと思っただろう。
役者と乞食は3日やったらやめられないと言うけれど、なんとなく分かる気がする。
一段高いところに立って「人に見られる」快感があるだろうし
毎日が祭り。毎日が「特別な日」ってノリを味わっちゃったら
普通の仕事なんて、とてもじゃないが、やってられないだろう。

以上、昨日の日記。そして本日。

また髪を切りに行ってきた。
この前バッサリやった時のように「区切りをつけたかったから」なんて理由ではなくて
1度短くしたので、なんとなく弾みがついてしまったってだけの話。
また一段とスッキリ・サッパリ。当社比1.25倍てな感じ。
そして、もう染めることはないだろうと思っていた髪を染めた。
「染めた方が絶対によくなりますよ」と熱心に語ってくれた
美容師の兄ちゃんの情熱にほだされてしまったのだ。
今度の担当さんは、基本的に無口なのに(美容師さんは無口な人の方が好きだ)
髪型を語る時だけは熱かったのだ。瞳がキラキラしていたのだ。
私は職人の熱さに弱らしい。ビバ・職人気質。
嬉々として仕事をする職人の姿が見たいめに髪を染めたような気がする。
それにしても、染めるのって時間が掛かるし面倒だなぁ。
また染めなきゃいけない時が来るのかと思うと、ちょっとウンザリ。
いっそ外国人になりたい。もちろん、この場合は黒髪の民族は対象外。
世の中の茶髪の人達のマメさ加減に、いまさらながら敬服した。

明日はウキウキ楽しい日曜日。
来週の休みは社員旅行で潰れてしまうので、その分だけ楽しんでおかねば。
とりあえず、そんなこんなで今日の日記はこれにてオシマイ。


2003年05月23日(金) ホラふき20年。

昨日、TVに映った猪の映像を観ていた愚弟が嬉しげに言った。
「俺が子供の頃に入院してた時、おばあちゃんと姉で猪の子供を捕まえたんだよね」と。

「は? なんておっしゃいました?」

私、自慢ぢゃないが、色々な動物を自宅に連れて帰った経験がある。
犬、猫、カメ、スズメ、ツバメ、カラス、ヒヨコ、ニワトリなどなど。
道端に落ちていたりする彼らを見つけたらば
自宅に招待して差し上げるのが礼儀だと思っていた節があるのだが
いくらなんでも大阪の住宅地でウリ坊を拾ったりする訳がない。
愚弟が入院していた……というのは、私が小学校低学年の頃だった。
あの当時、父はイカレポンチ全開だったから、息子が病気であろうが
元気一杯、愛人のもとへ通っていて、家庭なんてかえりみちゃいなかったので
まだ60そこそこで元気だった祖母が、孫の面倒を見に来てくれていた。
祖母との生活に不自由はなかったが、あの頃は私自身も病持ちだったので
祖母と2人してウリ坊が棲息するような山へ遊びに行ったとは考え辛い。

私は「そんなことは、ありえない」と否定したが
愚弟は「いや、間違いなく、猪の子供を捕まえたって話を聞かされた」と言う。
幼子の妄想かと思いつつ、詳しく愚弟に話を聞いてみたらば
祖母と2人して、愚弟にホラ話を聞かせたことを思い出した。
あの当時は、しょっちゅう、そのテのホラ話をしていたので
小さなエピソードなど、いちいち覚えちゃいなかったのである。
兄弟関係、あるいは従兄弟関係の中で「年下の子」は
年上の子の玩具にされるのが、世の中のサダメというものだ。

あの話は、すべてデマカセだったと愚弟に告白すると同時に
今まで、その話を1度も疑ったことはなかったのかと聞いてみたらば
「姉なら、猪の子供でも捕まえかねないと思って疑問はいだかなかった」と言う。
その上「テレビやなんかでウリ坊を観るたびに、そのことを思い出していた」とも。

20年以上も、騙しつづけてしまって、ごめんよ>愚弟
だけど、いくら姉でもウリ坊を捕まえる訳ないってことに
今の今まで気づかなかった君って,相当どうかしていると思う……
悪いと思いつつ、力いっぱい笑わせてもらった。

……と、ここまでは昼休みに製作。
今日はご贔屓の劇団の舞台を堪能してきた。またその話は明日にでも。
明日も午前中出勤なので、早く寝なくちゃなぁってことで
今日の日記はこれにてオシマイ。


2003年05月22日(木) 革の栞。

先日、友人から栞を貰った。

私は本を読む時、栞を使う習慣はないのだが
せっかく戴いたということで、最近は意識的に栞を使うようにしている。
栞が嫌いという訳でもないのだが、すぐに無くしてしまうし
第一、栞がなくても本を読むのに支障はないので使っていなかったのだ。
新潮文庫についているような紐の栞だけは使っていたのだけれど。

友人から貰った栞は、茶色い革製で、私の名前が刻まれている。
どんな物にも当てはまる事だが、名前の入った物ってのは特別な感じがして
不思議と「大事にしよう」という気分になるようだ。
もっとも私の持っている「名前入りの物」と言えば
貰った栞の他だと、袱紗と風呂敷くらいのものなのだけれども。
茶色い革の栞は、頂き物の中でも、かなりのお気に入りである。
映画の観すぎ、小説の読みすぎで、そう思うだけかも知れないけれど
名前入りの革の栞は「頭が良さそう」っぽい雰囲気を醸し出すような気がする。
広い書斎にある、どっしりとした机の上に置いてありそうな、そんな印象。
無くさないように気をつけなくちゃなぁ。うむ。

閑話休題。

私の職場内の敵……大ボスことクソジジイが3日ほど欠勤している。
「趣味は仕事」と言うような、仕事好きな人が3日も休むだなんて
よほど体調が良くないのだろうなぁ。
大っ嫌いなのに、気になってしまうから不思議だ。
だからって「早く良くなって出社して欲しい」と思っている訳でもないのだが。
会いたくないのに気になってしまうとは、これいかに?
彼は私にとって、職場における七味とか、山椒のような存在なのかも知れない。

不愉快な刺激も、多少はあった方が張りが出て良いのかもなあ。

明日は大好きな劇団の芝居を観に行く予定。
馬鹿笑いして、エネルギーを分けてもらってこよう。
明日は夜にお楽しみがあるから、頑張って働けそうだなぁ
……ってことで、今日の日記はこれにてオシマイ。


2003年05月21日(水) 同志Fの近況。

今日は、ものすごく久しぶりに同志Fの話など。

「東京でシナリオライターになる」と公務員を辞めて上京した同志Fだが
今ではすっかり「回転寿司店勤務フリーター」が板についてしまっている。
言っちゃぁなんだが、当初の志など、もはや無いも同然だ。
今のところは「スマップの応援をするために上京しました」てな感じ。
志は地に落ちてしまったが、同志Fは毎日愉快に暮らしているようだ。

そんな同志Fに面白い話が舞い込んできた。

大阪時代、一緒に同人誌を作っていたUが
もしかしたらプロの漫画家デビューするかも知れないのだが
Uは、絵の実力は確かなのに、話作りはサッパリな人で
同志Fが漫画原作として、Uを手伝うことになったのだ。
同志Fのが自分の力で手に入した話ではないものの
ちょっとでも好きなことをして、お金が貰えるというのが尊い。

たとえUのデビューする漫画雑誌がエロ雑誌であったとしても……である。

どうやらUは、東京で同人誌でエロ漫画を描いていたらしく
即売会でエロ漫画の編集さんの目に留まったらしい。
とりあえず20枚で描いて欲しいとの依頼がきたのだとか。
もともとUは、その手のものが好きなので、良い話だと思うのだが
同志Fがエロ漫画の原作って言ってもなぁ……原作と言っていいものかどうか。
エロ漫画雑誌を読んだことのある方ならご存知かと思うけれども
商業エロ漫画には、まずもって「筋」というものがないのだ。
起承転結の「起」と「結」以外はムニャムニャしてるとこばっかだもんなぁ。
オーソドックスなところで女教師ネタで描くとのこと。

ま。いいんだけどさ。とりあえずアルバイトになる訳だし。

Fが手伝った漫画が、雑誌に載ったら買ってやってね♪
……と声を大にして言えないところが、ちょっと残念である。
エロ漫画雑誌なんて、手に取ったことさえない人だっているだろうしなぁ。
とりあえず私は買うけどさ。うむ。

Uがエロ漫画家として大成したりなんかしたら
それは、それで面白いよなぁ……なんてことを思いつつ
今日の日記はこれにてオシマイ。


2003年05月20日(火) じぃぃぃっと待つべし。

どうにも、こうにも気鬱である。

自分の力で、ど〜にでも出来る事柄ならば
徹夜しよ〜が、ど〜うしよ〜が、ど〜にでも解決できるのだが
そうでない場合はジワジワと悶々な気持ちが堆積していくような気がする。
ま。とりあえず、やるだけの事は、やってみよう。
気鬱の原因については、気が向いたら日記に書くかなぁ。

ま。鬱陶しい話はさておいて。

宝くじのシーズンがやってまいりましたね。
私は買わないけれど、愚弟は今回も買うようだ。
もしも3億円が当たったら、私にも分け前をくれるそうな。
引越し費用と、1人暮らしセット一式を用意するから
心おきなく家を出て行ってもいいと言う。
↑先日、母が切れて「出ていけ」といったネタで引っ張っているらしい。
「へぇ。やけに太っ腹だねぇ」と言ったらば
「いや……それが手切れ金ってことで」と愚弟のたまう。
「えっ! 手切れ金もらうような付き合いしてたっけ?」
↑思わず、イヤラシイ方面の想像をしてしまう、お下劣な私。
「そうぢゃなくて、宝くじの分け前は、もうない……ってこと」
「それにしちゃぁ安すぎやしないかい。3億円もあるのに」
「ぢゃあ最新のPCと、スーパードルフィーと人形の服もつけるよ」
「よし。それで、手を打とうぢゃないか♪」

ちょっと納得のいかない話と思えなくもなかったが
スーパードルフィーにつられて思わずOKしてしまった。
フルチョイスでオーダーして作ってもらうんだぁ♪
13番ヘッド、美白タイプで、瞳の色は紫がいいなぁ。
そんな訳なの愚弟に宝くじが当たった暁には
私、オーダーした人形とともに、家を出て行くことになりました。
当選結果の発表が待ち遠しいです。
毎回、宝くじシーズンになると、似たようなことを書いていますが
その辺は気にしないでいただけるとありがたいです。
きっと次の宝くじシーズンも似たようなことを書いていると思われるので。

あ〜。それにしても、パーッと遠くへ出掛けたいような気分なのに
今日は、まだ火曜日なのだなぁ……先が長過ぎる。
停滞中とか、気鬱の時ってのは、やりきれなくあるのだけれども
あんがい事が動き出したら、なんてことなく転がったりもする物なので
じぃぃぃっと待つべし。待つべし。
とりあえず、そんなこんなで今日の日記は、これにてオシマイ。


2003年05月19日(月) へたれマニア。

「へたれ」な犬が好きだ。

「へたれ」という言葉は共通語かと思っていたけれども
関西以外では通じない場所もーあるらしいので解説をば。
関西では「駄目な人」とか「根性のない人」を「へたれ」と呼ぶ。
ちなみに「へたれ」は侮蔑として使われるのではなくて
むしろ愛情を持って使われることの方が多い。
「しゃぁないなぁ。ほんまに「へたれ」やねんから」……てな具合に。

今朝、出勤途中で、へたれな犬を見かけた。
飼い主と散歩の途中だというのに、やたらと恨めし気に飼い主を見上げていた。
「もう。帰りたいんだけどなぁ。早く帰って、ご飯にしようよ」
とでも言っているのか、ものすごい甘え顔で媚びていたのだ
尻尾に噛り付いてやりたいくらいに愛らしかった。

我が家の犬も、相当へたれである。へたれな上に、ちっともお利口ぢゃない。
「いささか お利巧な犬」とか「やや お利巧な犬」とかいう感じ。
人を噛んだり、テーブルのものに口を出したりはしないけれど
芸の1つもできないような、そんな犬なのだ。お利口でないところが可愛い。
もしも、我が家の犬がパトラッシュやラッシーみたいな名犬だったら
これほどまでに愛せなかったんぢゃないかと思う。

私は人間も「へたれ」の方が好きだ。

ちょっと駄目だったり、へたれだったりする方が可愛いように思うのだ。
なんちゅ〜か。味がある……って感じ?
ものすごく、よく出来て、立派な人にも憧れちゃうけど
へたれには、へたれの味わいというものがあるように思う。
完璧に色々なことが出来る人って、ちょっぴり威圧的だったりするし。
いちがいには言えないけれど、へたれの人は優しいように思う。

今日は何が書きたかったかというと「へたれ」でも、いいぢゃん。て・事。

あ。しまった。今日は友人宅へ遊びに行った話を書く予定だったのに。
まったく、なにやってるんだか>自分
なにやら、いまひとつ主旨が定まらぬまま
今日の日記はこれにてオシマイ。


2003年05月18日(日) 本の整理。

そろそろ増えすぎた本を処分したいと考えている。

本当は、自分で買った本は1冊たりとも手放したくないのだが
収納場所の関係上、そういう訳にはいかないというのが悲しい。
最近は、もっぱら図書館生活者なので、本の増殖はゆるやかなのだが
それでも、1冊、また1冊と増えていくことには変わりない。
問題は「どの本」を捨てるか……ということだ。

イマイチ「面白くなかった本」を捨てるのが得策なのか
それとも「2度と手に入りそうにない本」を捨てるのが得策なのか
「読書録に感想を書いた本」を捨てるのが得策なのか

本棚机の1段を占拠している遠藤周作の文庫については
文学全集にも載っている作品がほとんどなので捨ててもいいように思うのだが
ハードカバーは重くて持ち歩きには向かないことを思うと捨てたくないし
児童書や絵本といった子供向けの本は
一般書以上に、手放したら最後、手に入りにくいから捨てたくないし
「ほとんど攻略したぜ」っていうような思い入れのある作家さんのは
もちろん捨てたくはない訳だし……

私。物を捨てる技術は持っているつもりだ。
勿体なくても「使いそうにないものは捨てる」ってのが鉄則。
本に関して言うなら「読みそうにもないものは捨てる」のが正解。
だけど悩んでしまうのだ。児童書なんて読まないのになぁ。あぁ……

ぼっちら、ぼっちら本の整理をしていて、ふと思った。

縁起でもない話だが、今ここで私が急死しちゃったら
この本達は、どうなっちゃうんだろう? って。
いくら好きだといっても、死んじゃったら読めない訳なので
ブックオフあたりに、タダ同然で引き取ってもらえれば良いかと思う。
実際、私が思いいれを持っている本というのは
金銭的価値に換算すれば、ゴミも同然。貴重本は、まずない。
欲しい人の手に渡ってもらいたいと思うのなら
わずかな可能性にかけて流通に載せるのが良いんだろうなぁ……
本好きとしては、愛する本は、ずっと誰かに愛してもらいたいのだ。

だけど宝物である『遠藤周作文学全集』だけは売ってほしくないような……
ものすごく貧乏な時期に、せっせと買い揃えたくらいに
欲しくて、欲しくてたまらなく手に入れた本なのだもの。
「本当に遠藤周作が好き」な人以外の手に渡って欲しくないのだ。
だからって棺に入れてもらいたくはない。焼くだなんてとんでもない話だ。
今のうちに「もしもの時に引き取ってもらう人」を探しておいて
遺言をしたため、家族に念押ししておくと良いかも知れない。
問題は「引き取ってくれる人」を探し出すことだろう。
そんなことなど、聞いてみたこともないが
友人で欲しいと思ってくれる人は、いないと思われ。
やはり、まとめてブックオフに流されちゃうんだろうなぁ……

それにしても……である。

片付けをしている最中というのは
どうしてつまらないことばかり考えてしまうんだろう。
自分が死んだ後の本の処遇を考えてるだなんて馬鹿げた話である。
2ちゃんねる風に言うなら「逝ってよし」って感じかも。

あ。そろそろ、PCを離れなくては。
今日はこれから友人宅へ食事をご馳走になりに行くのだ。楽しみ・楽しみ♪
……ってことで、今日の日記はこれにてオシマイ。


2003年05月17日(土) 馴染む・馴染まない

たまには仕事や、会社の話など。

本日は午前中出勤。朝1番にHPのアップロード作業など。
会社のHPに手を入れるのは今回で3回目。
自画自賛だけど、ちょっとは見られるHPになったと思う。
一応、CADオペレーターとして入社したのだけれど
最近は図面描き半分、PCでする雑用半分って感じ。
図面描きとしては物足りないと思う反面、良いこともあったりする。

HPだの、カタログだの、関連会社から頼まれたチラシなどを作っていると
嫌でも会社で扱っている製品には詳しくなるというもので。
前の職場のことを思えば、ものずこいスピードで製品に詳しくなっている。
あまり馴染みのない製品ばかりで「これは仕事だから」と割り切っていたのに
ここのところ、そいつ達の写真を見ると「愛い奴め」とか思ってしまうのだ。
実際のところ、ビジュアル的には、これっぽっちも可愛くないし
業界のことも、よく知らないので性能だって分かっちゃいないのだが
毎日、宣伝活動のようなことをしていると情が移るから不思議だ。
「手をかけた子は可愛い」って言うのと、ちょっと似てるかも知れない。

最初の頃は、吃驚するこばかりだった社風にも慣れてきた。
同僚とも、上司とも、おおむね上手くやっていると思う。
先日、そんな話をしていたらば
白蓮は、どこへ行っても上手くやっていくタイプだけど
どこへ行っても馴染んでないよね〜
……と言われてしまった。なかなか鋭いツッコミである。

確かに前の職場の時にしても、上手くはやっていたけれど
「馴染んでいたか?」と問われたら、そんなことはなかったように思う。
かなり同僚と親しくなっていただろう、最後の最後まで
職場の行事や、歓送迎会のような飲み会は大嫌いだったし。
ちなみに今月末は「社員旅行」があるので、ちょっぴり憂鬱。
派遣の時はパスしていたが正社員だものなぁ……
休日くらい、会社の人間の顔は見たくないんだがなぁ。

そりゃ、そうと「馴染む・馴染まない」ということに関しては
私自身が「馴染みたい」という意識を持っていないのが問題なのだと思う。
周囲からは仕事熱心だと評価されがちだし
私自身、それで糧を得ているという意識があるのと
「せっかくするなら、いい仕事を」くらいの良識は持っているのだが
根本的なところでは「働く」のが好きぢゃないのだろう。
ゆえに「やることさえ、やっときゃ、いいか」と言うような
どこか、おざなりな部分が出てきてしまうのだと思う。
……胸を張って書けるような話ぢゃないのだが。

そんな訳で、とりあえず休日は嬉しいな……ってことで
今日の日記は、これにてオシマイ。


2003年05月16日(金) 読書欲とかマスクとか

ここのところ読書のペースが鰻登りで自分でも、ちょっと怖い。
何年来……と言っていいくらいの勢いである。
これほどまでエネルギッシュに読むなんてのは久しぶり。
通勤電車では読むけれど、それ以外には読まない……ってスタンスだったのに
PC机に向かって読んでいたり、寝床に持ち込んで読むことが多い。

本を読む以外にも、やるべき事はいっぱいあるのに。

そう思うのに、うっかり読んでしまうのだ。
仕方がないので、せっせと読書録に覚書を書いている。
本の感想を書くのは、苦にならない……というか楽しい作業なのだが
毎日書くエネルギーはどこからくるのだろうかと不思議に思ったりする。
アドレナリンの異常分泌とか、そういうことはないのかなぁ……とか。

もぅ。読みたくて。読みたくて。

猛烈な読書欲の原因は2つ。
1つは、図書館へ通うようになって読みたい本がワンサカ手にはいるから。
1つは、探し物をしているから。

探し物は見つけにくいと相場が決まっているのです……なんてね。

まぁ、冗談はさておき、ものすごい勢いで自分でも吃驚。
ただ読書の神様からは見放されているらしくて
大当たりが少ないのが悩みの種。
ガツガツ読んでいる分だけ、ハズレ遭遇率も高くなっているようだ。
読書にも「波」のようなものがある。
どんなに読んでも当たらない時は、当たらないものだ。
ここは、じぃっとビッグ・ウェーブが来るのを待つしかないのかも。
いっそ、漫画とかゲームに目を向けてみるのも良いかもなぁ。
長編漫画の一気読みとか、ギャルゲーのコンプリートとか。

なんて、そんなことはさておき。

今日は会社で募金箱がまわってきた。
台湾の関連会社にマスクを送るとか、なんとか。
台湾では外国からの荷物の規制が厳しくなっているらしく
マスクなんかが大量に送られてきたら没収されてしまうとかで
「マスクを送るための注意事項」が書かれFAXが台湾から届いていた。
メールとか、電話とか、FAXとかって、こういう時は便利でいいなぁ。

冷たいけれど、あたたかい。なんかそんな感じで。

なんだかかんだと書きたいことは、いっぱいあるんだけど
いまひとつパワーに欠けるので今日の日記は、これにてオシマイ。


2003年05月14日(水) しゃぼん玉♪

最近、入浴するのが、とても楽しい。

お風呂嫌い……というわけではないと思うのだけれど
私は入浴を「面倒くさい」と思ってしまう性質で
長風呂することは滅多になくて、たいていサッサと済ませてしまう。
髪を伸ばしていた頃は「今日頑張って洗っても、また洗わなきゃいけないしなぁ」
などと思うだけで入浴が憂鬱になったものだが
髪を切ってからは、洗髪の憂鬱とも無縁なのだ。

しかし入浴が楽しくなった根本的原因は別にある。

我が家は、石鹸とかシャンプーにこだわりを持つ人間がいないので
石鹸はもっぱら、戴き物で間に合わせている。
先週、新しい石鹸をおろしたのだが、その石鹸が素敵なのだ。
なんだか、とってもいい匂いだし、泡立ちも良い具合だし。
なにより「大きなシャボン玉」が出来る……ってことろがツボだったりする。

私はお風呂に入ると、よほどのことがない限り
両手でもってシャボン玉を作ることにしているのだが
今、使っている石鹸でシャボン玉を作ると
自分の顔より大きなシャボン玉が出来るのだ。
あまり夢中になってシャボン玉を作るものだから
湯船に浸かる頃には軽い眩暈を起こしてしまうほど。

大きなシャボン玉に毎晩エキサイトする私って……
スッポンポンで一心不乱にシャボン玉を製作する三十路女。
人として、こんなことで良いのだろうかと思ったりしつつ
今夜もまたシャボン玉を作ってしまうのだろうと思う。

これを読んで「お風呂でシャボン玉を作ってみるか」と思った方は私の仲間。
これを読まなくても「そんなの毎晩やってるし」って方は心の友。
↑「心の友」って書くと、なんだかジャイアンみたい。

ずっと前にTVで人間をすっぽり覆うしゃぼん玉を作っているのを観たけれど
私も、しゃぼん玉の中に入ってみたいなぁ……なんだか楽しそうだし。
きっと、しゃぼん液でベタベタになっちゃうだろうけど。
お風呂で作るしゃぼん玉も良いけれど
晴れた日に、外でしゃぼん玉を飛ばしたら気持ちが良いだろうなぁ。
なんてことを妄想しつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。


2003年05月13日(火) 忘れてはいけない……のに。

帰宅したらばペンフレンドからグリーティングカードが届いていた。
「誕生日を覚えてくれていてありがとう。嬉しかったです」
そうなのだ。今日はペンフレンドの誕生日だったのだ。
PCにグリーティングカード、ご自宅にはプレゼントを贈ったのだが
私はギリギリまで彼女の誕生日を忘れていて
携帯電話のスケジュール機能の通知で知らされたんである。

私は人の誕生日を覚えるのが苦手だ。
「覚える気がないんぢゃない?」と言われれば、それまでだが
とにかく覚えられないのだ。なんだか人として失格っぽい。

私はそれほど手広く人付き合いをしているわけでもないので
誕生日にカードを贈ったり、プレゼントを贈ったりする人の数は限られているのに
これが、なかなかプレッシャーだったりする。
自分の時に祝ってもらった喜びは、人にもちゃんと返したい。
誕生日って特別な感じがするだけに、どうしても押さえておきたい。
なにはなくても、とりあえず「おめでとう」の言葉くらいは……

私には、これがプレッシャーなんである。

自分がそんな人間だから、こういう心配りをサラリと出来る人に憧れてしまう。
誕生日のことなんて話した覚えはないのに
「白蓮さんって、たしか今月誕生日だったよね」なんて言えるような人って
それだけで素敵に思えてしまうのだ。そういう人に私もなりたい。
人の誕生日を1度聞いただけで覚えちゃう人なんていうのは神にも等しい存在だ。

来月は、愚弟とNさんと、Iさんと、Yさんの誕生日。
翌月は、マダムSと、向かいの婆さまの誕生日。
そして、その次は……え〜っと。

とりあえず今回はハズさなくて良かった。文明の利器に感謝。
て・ゆ・か。根本的な解決方法を考えた方が良いのかも知れないけど。
その辺のことは、追々考えるってことで、今日の日記は、これにてオシマイ。


2003年05月12日(月) 挨拶攻撃

新人さんの研修だか、なんだか知らないけれど
通勤の乗り換え駅で「ご乗車ありがとうございまぁす」攻撃が盛んである。
「朝から元気一杯でいいねぇ」と思う人もいるかも知れないが
私はあまり好きぢゃない。だって、ウルサイし恥ずかしいし。
ご近所の人や、顔見知りの人から挨拶をされたら
よく知っている人ぢゃなくても「おはようございます」って言えるのだが
見ず知らずの、私の生活には関与してこないだろう駅員さんから
めいっぱいの声でもって「オハヨー」とか、色々とって言われたって
どうしていいか分からないので、困ってしまうのだ。

「おはよう」と言えばいいのか?
「毎朝たいへんですね。ごくろうさまです」と言えばいいのか?
それとも「いつも乗せてもらっています」が正しいのか?

チェーン店系の居酒屋さんでみられる「喜んで〜」攻撃も苦手だ。
注文がくると嬉しい……ってのは理解できるのだが
なにも、店中の人間が揃って合唱しなくたっていいぢゃないか。
「喜んで〜」と言われたら「どういたしまして」と返すべきなんだろうか?
どうでもいいことだが、ちょっと気になる。
しかし、気になりつつも追求するほどのことでもないので
イマイチ居心地の悪いまま、やり過ごしてしまうのだ。

挨拶は人間づきあいの基本だけれど「挨拶攻撃」を挨拶と定義して良いのだろうか?
どちらかというと「儀式」のような気がする。
そして儀式を楽しいと感じるのは参加している人間に限られる。
自分が参加しない儀式を見るのって、面白くもなんともないのだ。
卒業式だって、入学気式だって「送る側」とか「迎える側」の立場だと
退屈だったような気がするのだが、私だけだろうか?
……てことは「挨拶攻撃」も自分が参加すれば楽しくなるのだろうか?
居酒屋でバイトしたりしたら楽しく「喜んで」とか言ってるのかも知れない。

毎朝、駅で挨拶攻撃を受けるたびに
どうにかして反撃したい衝動にかられるのだが実行しないまま現在に至る。
たぶん明日も、所在なげ〜に視線を泳がせて通り抜けるのだと思う。
でも、いつか反撃したいな。うむ。
とりあえず明日も出勤……ってことで、今日の日記はこれにてオシマイ。


2003年05月11日(日) 短所

今日は昨日の話の続きで、自分の短所を書こうと思っていたのだが
自虐的になったって、なんら良い事はなさそうなので止めることにした。
とくに今回の諍いは「行動」が原因で起こったことではなく
人としての本質についての問題だったのだ。
過ちや、失敗が原因なら、反省したり謝ったりすれば良いだろうが
そうでないのだから「それはそれ」として受け流してしまうことにする。

たぶん、こんな風に自分の中で解決しちゃうところが
私の短所の1つなんだと思う。逆をかえせば長所でもあるのだけれど。
自分に自信がある訳ぢゃないが、自虐的になる必要はないと思っているので。

一昨日、大泣きして、大騒ぎした乙女な母だったが
一晩明ければ、ケロッとしていた。
根に持っている部分は往々にしてあると思うのだが追求はすまい……
和解の印のつもりなのか、昨夜は彼女のお小遣いでワインを買ってくれた。
釈然としないものはあるが、なんとなくやり過ごして事態は収まった。

乙女な母の大泣き事件のことで愚弟と少し話をした。
「母から出て行けと言われたんだけど、出て行ってもイイ?」と私。
愚弟は石の地蔵様みたく黙り込んでしまった。ズルイよなぁ。愚弟も。
まぁ、実際問題として考えると、不可能ではない話なのだ。
行方不明になったり、失踪したりなんて話は掃いて捨てるほどある訳だし。
とりあえず、私はそんなことをするつもりはないのだけれど
1つの手段として頭の隅に置いておくのは悪くない。

愚弟が言うところによると
ギャルゲー(エロゲー)のキャラクターにたとえると
乙女な母はヒロインで、私はマニア向けキワモノキャラなのだとか。
なるほど上手いこと言うなぁ〜と感心するが
「キワモノで悪かったな」と思う部分がなきにしもあらず。
もしも「生まれ変わる」なんてことが出来るのならば
花のように可憐な女の子……ヒロインタイプの女性に生まれるか
いっそ男に生まれたいなぁ……などとツマラナイことを思った。

今回のことは、なんかけっこう、まいっちゃったので
グズグズ・メソメソしてみたのだが
考えてもはじまらないこし、メソメソしたってどうにもならないので
解決することは不可能だったとしても
騙し騙し、乙女な母とつきあっていくしかない……という結論に至る。

とりあえず、気を取り直して頑張りましょうかね
……ってことで、今日の日記はこれにてオシマイ。


2003年05月10日(土) 母キレル

昨夜は乙女な母にキレられて大変だった。

母がブチ切れてしまったきっかけは
私が新しく資格を取るための勉強をしようかと思う……という話だった。。
愚弟もそろそろ落ち着いてきたことでもあるし
先行きのことを考えると「安定した収入」はどうしても保持したいし
それに資格が直接仕事に結びつかなかったとしても
何かあったときに手持ちのカードが多い方が有利だと思うのだ。
そりゃぁ「最強のカード」を持っていれば問題はないのだけれど
私は強いカードを持っていないので、数で勝負しようか……みたいな。

母は何かにつけてガツガツしたところのある私が好きぢゃないらしい。

そして今回、タイミングが悪かったのは「付き合っていた人と別れた」こと。
なんだかんだ言って乙女な母は「結婚至上主義」であり「子供至上主義」なのだ。
今回のことでは、いつかドカンと来るだろうと予想はしていたのだが
……やはりキレられてしまった。
お酒が入っていたこともあり、他にも色々とブチまける母なのであった。

白蓮は子供の頃から屁理屈ばかり言って、お父さんには懐いても
お母さんには、ちっとも懐いてくれなかった。

乙女な母は、そう言って泣いたのだが、それを言われると返す言葉もない。
実際に私は屁理屈ばかりだし、父が好きだったかどうかは別として
子供の頃から母のことは好きぢゃなかった。むしろ嫌いかも知れない。
「屁理屈ばかり」と言われれる……というのも原因の1つだが
乙女な母と私とは感覚的なところで接点が少なすぎるのである。
たぶん2人がクラスメイトだったとても、仲良くはならなかっただろうと。
乙女な母は私のような女をムシの好かないタイプだと思っただろうし
私は乙女な母のような女には興味を持つどころか顔も覚えられなかっただろう。

生活に対してガツガツしているところ
乙女な母をちっとも好きぢゃないところ
結婚していないことを指摘されると私は何も言えないんである。
とりあえず反論してみたりもしたが「また屁理屈」と言われて泣かれるし。

乙女な母は「子供の負担になる親ってのは切ないものだ」と言って泣く。
彼女は経済的なことを差しているようだったが
私が乙女な母をお荷物であると感じるのは
彼女がそんなことを言って泣いたりするタイプの人間だってことだ。
何かにつけて誰かに依存していまうタイプの人間だってことだ。
彼女はそのことに、ちっとも気付いていないけれど。

憂鬱なことこの上ないし、本当に嫌になってしまうのだが
逃げるわけにも、棄てるわけにもいかないてので
ぼちぼち付き合っていきたいと思っている。
今日は乙女な母の問題点について書きつらねてしまったので
明日はフェアーに私自身の否を書いてみるかのぅ。

ま。とりあえずそんな感じで今日の日記はこれにてオシマイ。


2003年05月09日(金) 通勤の技術。

都会へ通勤するようになって4ヶ月とちょっと。
4年間も奈良の田舎に通勤していたものだから
「通勤地獄」に耐えられるかと、ちょっぴり心配だったけど
あんがい、そつなくこなしているなぁ……と思っていた。

が。今日は大失敗。

そろそろ日差しがキツクなってきたので、今年はじめて日傘をだして
「日傘ってナイスアイテムだよねぇ」とて、ご機嫌で出勤したのだけれど
電車の扉に日傘が挟まって抜けなくなる……という道化たことをしてしまった。
乗り換え駅で『おおきな おおきな かぶら』に挑む人みたいに
日傘を、ヨイショと引っ張っていたらば
見知らぬオジチャンが、日傘を引っこ抜いてくれた。
恥ずかしいやら、嬉しいやら、ありがたいやら。
私は米つきバッタのように頭を下げて電車を降りた。

私が利用している乗換え駅はJRと私鉄の交差ポイントで
ややもするとダッシュしなければ乗り継ぎが悪かったりするせいか
ホームをダッシュする人が多くて、要注意ポイントだったりするのだが
私は、こともあろうか、ダッシュしてくる人にボヨヨンとぶつかって
コントでしかお目にかかれないような派手なアクションでひっくり返ってしまった。
今度は見知らぬオバチャンが助け起こしてくれた。
恥ずかしいやら、嬉しいやら、ありがたいやら。
私は米つきバッタのように頭を下げて、その場を去った。

1日に2度も失敗するなんて、どうかしている。
……と言うよりも通勤技術のレベルの低さが、ここにきて露見したと言うべきか。
駄目人間っぽくって、なんだか嫌な感じである。
今さら田舎通勤なんてしたくはないが、通勤の大変さにウンザリしてしまった。
て・ゆ・か。働くのが嫌いなんだろうなぁ。
とか言いながら休みが明けたら、また頑張って働くんだろうけど。

閑話休題。

足繁く通っているサイトをチェックしていたらば
掲示板に「いま、まさに書き込んだ発言」に出くわした。
遠い空の下で、同時に「そこ」を見ていたという偶然に
ささやかな幸せを感じてしまった。本当にささやか過ぎる幸せではあるのだけれど。

明日は待望の休日。とりあえず、ゆっくり過ごしたい。本の仕入れにも行かねば。
今週は、やけに長く感じちゃったなぁ……ってことで
今日の日記は、これにてオシマイ。


2003年05月08日(木) それはカタツムリの餌。

ぽつぽつと紫陽花が咲き始めると「そろそろ梅雨なんだなぁ」って覚悟ができる。
今のところ、咲き始めたといっても、緑色の小さな花の集合体……て感じだけど。
長雨は好きぢゃないけど紫陽花は好きだ。
毎日、花の色が変化していくところが良い。しかも長持ち。
こんなに長いこと楽しませてくれる花って紫陽花だけぢゃなかろうか。

子供の頃、紫陽花はチューリップに次いで嫌いな花だった。
じわじわぁ〜っと変化しながら、長持ちしてしまうあたりに
「シミッタレ」みたいな物を感じてしまって好きになれなかったのだ。
当時の私にとって紫陽花は、愛でる花ではなく、カタツムリの餌だった。
カタツムリの餌の分際で「6月の花」の代表みたいに出張っているところが
どうにもこうにも気に喰わなかったものなのに
いったい、いつ頃から好きになっちゃったんだろ。

紫陽花といっても、種類によって見た目が違うし
同じ紫陽花でも、土の具合によって色が変わったりする。
私が子供の頃によくみた紫陽花は、淡い色をしていたけれど
最近は、自己主張が激しそうな濃い色の紫陽花をよく見かける。

私の好きな紫陽花は神戸の北野町にある珈琲屋さんの庭先に咲いている紫陽花。
くど過ぎるほど濃い色をしているのだ。日本の花ぢゃないみたいに。
北野の街の雰囲気と、よく合っているようなバタ臭い色が素敵なのだ。
今年も観に行きたいなぁ……て・ゆ・か是非行こう。

年を追うごとに「花好き」になっていくような気がするなぁ……
花が好きなんだか季節を探してるんだか分からないようなノリがある。
こんなにまでして「楽しいこと」を探さなくちゃいけないものなのかと
逆説的な疑問を感じなくもないのだけれど
まぁ。楽しみは少ないよりも多いほうがいい訳で。
しばらくは紫陽花観察が楽しめそうだ。
まだ小さい蕾だが、徐々に大きくなって色づいてくるだろう。
来月末くらいまでは楽しませてくれるかのぅ。
あぁ。それにつけても、やっぱり紫陽花って……(以下省略)

さて。連休明けの長かった1週間も明日でオシマイ。
もうひと頑張りしなくっちゃね……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。


2003年05月07日(水) はやりもん

そうぢゃないかと薄々は感じていたのだけれど、やはりそうだった。
あらためて書くほどの事ではないのだけれど、私は流行に鈍感な性質らしい。
世間でブームが去る頃になって、はじめてハマるなんてのは日常茶飯事だし
もっと酷い時にはブームあったことさえ知らずに終わることもある。

今回も、まさにそんな感じ。

風薫る五月。スギ花粉一過の爽やかな季節を迎えたいま
どうやら私は何かの花粉に反応してしまったらしくて
今朝がたから、鼻がズルズルである。
一瞬「風邪かも?」などと思ったりしたが、目も痒い……風邪ぢゃなそうだ。
鼻がズルズルしているおかげで、目は腫れてくるし最悪って感じだ。
いつ、人に殴りかかったって不思議ぢゃないくらい凶悪な顔になってしまった。

どうせならブームの時になっておきたかった。
「今年のは酷いね」とか「甜茶が効くらしい」とか「どのティッシュが良い」とか
同志達と、そういう話題で盛り上がりたかった……

給湯室で、鼻をズルズルさせながら、お湯呑を洗っていたらば
「泣いてるのかと思って、吃驚したよ」と言われてしまった。
断じて泣いていないのだ。泣きたい気持ちは山々だが。

メェ〜

明日は耳鼻科に行ってみるか……とおもいきや木曜日の午後は休診だったりする。
こりゃぁ、もう潔くズルズルを受け入れるしかないようだ。
ここは1つ、奮発して「高級ティッシュペーパー」でも買っちゃおうかなぁ。
「はやりもん」は、流行ってるときに乗るのがいいと思う。
流行遅れはいただけないってことで、今日の日記はこれにてオシマイ。


2003年05月06日(火) お〜い。お〜い。

今日はHPの1周年記念日。おめでとう&ありがと。

勢いだけで作ってみたHPだけれど、ちゃんと1年続けられて、とても嬉しい。
自画自賛になるけれどリニューアルのたびに少しづつ良くなっていると思う。
……て・ゆか。最初のものがお粗末だったという説もあるのだけれど。

エンピツ日記を書き始めて1年半。HPを立ち上げて1年。

ネット生活では、たくさんの人との出会いがあったけれど
たくさんの人が、姿を消してしまった。
私はよほど執念深い性質なのだろうか?
はじめて掲示板に遊びにきてくれた人の名前だって覚えているし
はじめてメールをくれた人の名前だって覚えている。
すごく凹んでいる時に叱咤してくれた人や
さり気なく笑わせてくれた気配りの人のことだって忘れちゃいない。

だけど、たくさんの人がいなくなってしまった。

ネットで遊ぶよりも、もっと楽しいことを見つけて
元気で暮らしておられるのなら嬉しいことだし
ネットは続けているけど「出不精になっちっゃてね」ってだけでもいい。
いまでも、元気でおられるのだろうか……などと気になることがある。

根が寂しん坊なので、別れはあまり得意じゃないのだ。

匿名性があって、スマートな付き合いができるのがネットの特徴だと思うのに
私はいまだに「ネット的付き合い」に慣れていないような気がする。
実生活でお付き合いしている人であるなら、どこかで会うこともあるだろうし
年賀状で、なにげに近況報告をすることだってできるけど
ネットで知り合った人の場合は
1度切れてしまえば、それっきりになってしまうことが多い。
思い切って、メールでも書いてみようかと思ったりすることもあるけれど
けっきょくは出せず仕舞いで終わってしまうことの方がずっと多い。

本当のところを言うとHPを続けていくのは楽しいことばかりぢゃない。
楽しくネット生活を過ごしたいと思うなら
いつまでも「お客様」でいた方がいいんぢゃないかと思ったりするほどに。
それなのに、どうしても辞めることが出来ないでいるのは
出会った人達と完全に切れてしまうのが嫌だから……なんだと思う。
ま。たった1年ぽっち続けただけで大きなことは言えないんだけど。

私は決して忘れない。ここで会った人達のことを。
中学や高校のクラスメイトの顔や名前は、ほとんど忘れてしまったけれど
この場所で出会って、話をした人達のことは決して忘れない。
ちょびっとでも気持ちが触れ合った人達を忘れることなんてできない。

お〜い。お〜い。お元気ですか? 私は、それなりに生きてます。
↑虚しく呼びかけてみたりする。

そんなこんなを思ってみるだに「いま私の前にいる人」というのは
なんと嬉しい存在なんだろ〜なぁ〜と思う。
どうもありがとう。そして、これからもよろしくお願いします。
この先、不貞腐れて、雲隠れすることがあるかも知れないですが
基本的には「辞めない」ってことだけが目標だったりするので
末永く、お付き合いしていただけると嬉しいです。

1年を振り返りつつ、今日の日記はこれにておしまい。


2003年05月05日(月) 遺品。

今日は大阪北地方へ遠征して、Nさん&Iさんにお逢いしてきた。
目的は慰労を兼ねたお食事会。
豆腐料理屋さんが経営している中華レストランへ行く。
美味しいものを食べて、贅沢して心の洗濯をしよう……てな感じ。

そこで私はNさんから、母上の遺品を戴いた。

遺品と言っても、母上が愛用されていた品物というわけではなくて
母上が元気になったら使ってもらうべく購入されたもので
Nさんの母上は、それを使わないままに他界されたのでまったくの新品だった。
Nさんの母上と私は、服のサイズから足のサイズまで同じだったのだ。
これも何かの縁なんだろうか?
Nさんは「嫌でなければ使ってくれるかな?」と遠慮されていたのだが
家族の優しい気持ちのこもった品物だもの。喜んで頂戴した。

私が「形見」らしきものを頂戴したのは、人生で2度目のことだ。
最初に貰った形見は祖母からだった。
父は借金いがい、何も残しちゃくれなかったけど(笑)
実際のところは「遺品」とか「形見」とかっていうものは
「物」自体には、それほど重要な意味はないように思う。
大切なのは、その人が「そこにいた」という証なんぢゃなかいと。

「思い出」という言葉で括ってしまうには、ちょっと軽過ぎるような。

太陽が沈んでもなお、大地があたたまっているように
なにか、こう……余韻を残していくというのだろうかなぁ。
手にとって感じることも、見ることもできないけれど
ちゃんと残していくものがあるような気がするのだ。
そして、先に死んでしまった人の残していったものが
これから先も生きていかなくちゃいけない人の力になればいいのに……と思う。
慰めでも、気休めでもなくて、そういうものって、あると思う。

明日から、また頑張って働かなくっちゃ……てことで
今日の日記は、これにてオシマイ。


2003年05月04日(日) こんなことは2度とするまい。

つい、この間、付き合っていた人と別れた。

この日記には、そういう話題を書いていなかったので
いきなり最終回だけ放映したような感じで間抜けなこと、この上ない。
日記に書いても良かったのだが、日記に書くほどの付き合いでもなかったのだ。
その人は私にとって「つきあっていた人」ではあったけれど
「恋人」というような感情は1度も抱けなかったのだから。
付き合い始めたのは2月の初めだったので3ヶ月弱と短いお付き合いだった。

一方的に好きだといわれて、大切にされるのは、ちょっぴり気持ちが良かったので
「そういうのも良いかな」などと付き合うこと同意してしまったのである。
その人のことは嫌いではなかったが、小指の先ほども好きにはなれなかった。
まったく興味を持てなかったし、その人を、もっと知りたいとも思わなかった。
「付き合っていくうちに好きになるかも?」なんて思っていたのも本当だし
相手に貢がせたとか、そいういことは1度もしなかったが
色々と打算的な考えがあって、付き合っていた。
打算で付き合ってもいいかと思うくらい私には過ぎた人だったのである。

朝晩のようにメールを交わしたり、仕事帰りに食事へ行ったり
お弁当を作って出掛けたりと「絵に描いた」ような定番の付き合いをしたのは
とんと久しぶりだったので、ある意味において新鮮だったのだが
それ以上の感情を抱くことはできなかった。

打算だけで人と付き合ったのは生まれて初めてだった。

書くまでもないことだが、そういう気持ちで付き合うのは良くない。
一応「今のところ好きではないけど、いいですか?」と確認していたとはいうものの
やはり「好きになれそうな気がする」くらいの気持ちがないのなら
最初から断るべきだったのだと思う。断れなかったのは私のズルさゆえのこと。
そして、そんな付き合いを、ずっと続けられる訳もなく
将来のことなども考えるだに、そろそろ引かないと厄介なことになりそうで
「ごめんなさい」とお断りしたのであった。
付き合うよりも、別れる方が大変だというが、今回は本当にくたびれた。
それもこれも自分の蒔いた種なのだけれど。
相手の人には悪いことをしてしまったと心から思っている。
もっとも、そんなことを言ってみたところで
どうにかなるような問題ではなかったのだけれど。

それにしても、ほとほと、まいってしまった。

打算で人と付き合うだなんて、まったく私らしくない。
ちょっと気弱になっていて「もう、いいか」とか思っていた部分もあったのだと思う。
しかし、そういう形で人とかかわるのは相手に対しても失礼なだけでなく
自分自身も貶めているなぁ……と思った。
費やした時間は、ちっとも楽しくなかったし、後味も悪かった。
どうして、そんなことをしてしまったのだろうなぁ……
「どうかしていた」というだけでは片付けられないように思う。

もう2度と、こんなことはしないと自分に誓おう。

もっともっと、自分が望むことをして生きていこうと思う。
今回のこともそうなのだが、他のことにおいても
「あまり気がすすまないけど、とりあえず頑張るか」
なんてシュチュエーションに慣れすぎてしまったような気がする。
私は、自分をしっかり持っていそうでいて、主体性のない部分があるらしい。

頭を冷やして、しばらくはゆっくり暮らそうと思う。
あまり愉快な話ではないので、日記には書かないでおこうかと思っていたのだが
自戒のために書き残しておくことにした。2度と同じ過ちは犯したくない。
後味悪く、歯切れも悪い文章になってしまったのだが
とりあえず、今日の日記はこれにてオシマイ。


2003年05月03日(土) 火遊びの女。

今日は会社のバーベキュー大会だった。

昨日の日記にも書いたけれども、私は「会社付き合い」が大っ嫌いである。
なので、あまり乗り気とは言い難かったのだが
「どうせ参加するなら楽しまなきゃね」てのが私のポリシーなので
それはそれは積極的に活動してきた。

て・ゆ・か。

大人数でバーベキューをすると、メンバーの中に必ず1人か2人は
「食べるより、飲むより、火の番が好き」という焚き火族がいるものなのに
焚き火族が1人もいなかったので、今日はビール片手にずっと火の番をしていた。
バーベキューセットの組み立てからはじまって、火をおこし
肉を焼き、給食のオバサンみたく大量の焼きソバを作った。
もちろん私1人でしたわけではないのだけれど
なぜかバーベキューを仕切る羽目になっていたのだ。
仕切り屋のいない団体ってのも珍しいよなぁ……

左手にビール。右手に火箸。
それに咥えタバコが加われば最高のオヤジってな風情である。
残念ながら私はタバコを吸わないんだけど。
会社のボーリング大会で、女だてらに焚き火族だと風潮していた女性がいたので
彼女に期待していたのだが、焚き火族と名乗るほどのものでもなくて残念だった。

なんだか、ものすごく働いたような気がする。
それにしても言っちゃぁ、なんだが、バーベキューってのは
自分も積極的に参加しないと面白くないと思うのは私だけなのだろうか?
焼肉を食べて、ビールを飲むだけなら
あえて暑い中、混雑を押して出掛けなくてなくてもいいのになぁ……と思った。
参加する楽しさを知らないというのは、なんだか勿体ないように思う。

ま。なんだかんだ言いながらも、私はたっぷり火遊びが出来て満足だったりする。

私は「真性焚き火族」ではなくて、ごく生ぬるい焚き火族なので
メンバーの中に本物の焚き火族がいたら、楽しい仕事は彼らに譲ることにしているから。
それにしても焚き火族がいなかったのは大いなる謎だが
「肉焼き職人」とか「世話好きオバチャン」がいなかったのも謎である。
独身の女性に焼きそば係を任すだなんて、私のプライドが許さないわ!
……なんて女性が1人くらいいるものなのになぁ。

ちなみに我が家の夕食はカレーライスだった。
私は腹ペコで帰宅したので、カレーライスがやけに美味しかった。
太陽の下でいっぱい働いて、いっぱい遊んだので
今夜はきっと「オヤスミ3秒」で眠れるだろう。

お風呂に入って、早く寝るかなぁ……ってことで今日の日記はこれにてオシマイ。


2003年05月02日(金) 黄金週間を前にして。

突然ですが、愚弟が退院しました。

黄金週間が明けてから退院する予定だったのですが
傷の回復が良い感じだったらしくて、予定よりも抜糸が早く済んだのです。
「早く帰りたい?」と主治医に聞かれて
「そりゃぁ、もう」と答えた愚弟なのでありました。
予定外のことだったので、嬉しいと言うよりも
あっけに取られた……てな感じの姉なのでありました。

おかげさまで、心置きなく黄金週間を迎えられそうです。

明日(あっ。もう今日だ)は職場のバーベキュー大会に参加する予定。
人一倍「職場付き合い」が嫌いな私ではありますが
これもまた時間外業務だと思って、行ってまいります。
いや、なに。野外でご飯を食べる……ってのは好きなのですけどね。
なにも毎日顔を合わしている人達と……とか思ってしまうだけで。

そうそう。

昨日の日記を読んで、メールをくださった方がおられるのですが
その方のメールを読んで「あの書き方はマズかったのかも」と思い、補足をば。
恋愛感情とか、そういった意味での「気になる」ではないのです>パンチさん
真面目日記ばかり書いていたので、たまには、いいかなぁ〜と思って。
「気になる」ってのと「パンチパーマに興味アリ」ってことは事実ですが
なんと言いましょうか……ちょっとデフォルメが過ぎたのかも知れません。
愚弟が急に退院するとは思っていませんでしたが
黄金週間明けに退院するのは分かっていたことですし
パンチさんと、ど〜のこ〜のなろうと思っていた訳ではないのですよ。

メールしてくださった方も、そうでない方も
心配したり、ヤキモキしてくださった方がおられましたら、ごめんなさい。

報告&言い訳を書き捨てて、今日の日記は、これにてオシマイ。


2003年05月01日(木) あの人のこと。

愚弟の病院に気になる男性がいるのです。

同じ病棟に入院している、車椅子に乗った男性……
ディ・ルーム(食事室兼談話室)で、ひと目みた時から
彼は特別な特別な存在になりました。
誰かの姿を見ただけで、頭がカッと熱くなる感覚なんて、もう何年もご無沙汰で
自分でも、どうしていいか分からないような状態です。
愚弟と同じ入院患者さんなのですから「お怪我はどうですか?」とかなんとか
自然に話しかけるチャンスはあるのに、キッカケさえ掴めずにいます。
なんだか初めて恋を知った女子中学生みたいで恥ずかしいのですが
名前も知らないその人に、私は自分だけの呼び名をつけました。

パンチさん。

パンチさんは、年の頃なら42歳くらいでしょうか。
今では見かけなくなったパンチパーマをしているのです。
私の予想ですと、お仕事は運送業か建築業。
兄貴肌で、ゴールドのアクセサリーが好きそうな、そんな男性です。
パンチパーマ……なんて尊い存在なのでしょう。
床の間に飾っていたい……
許されるなら、その頭を「わしゃ・わしゃ」とこの手で触ってみたいのです。

そして、昨日、何があったのかは知りませんが
愚弟はパンチさんと、いっそく飛びに親しくなったようでした。
夕食の時、病院食を嫌って、お弁当を買ってきたパンチさんは
愚弟に「兄ちゃん、病院の飯だけじゃ、腹ふくれへんやろ?」と話しかけると同時に
愚弟のお皿に自分のお弁当のエビフライを入れたのだそうです。
互いに傷病歴を語りながら、パンチさんは次々と……やや強引に
愚弟のお皿に自分のお弁当のオカズを移動させたのだそうです。

やはり……パンチさんは兄貴肌だった!

自分の予想が当たった時の嬉しさったらありません。
しかし、私の予想は大きく外れていたということも書いておかねばなりません。
パンチさんは運送業を営んでおられる方のようでしたが
そのお年は若干33歳でした。私の予想より遥かにお若くて吃驚です。

愚弟が退院するまでに「弟がお世話になっています」とか言って
ぜひともパンチさんと親しくなって、まじかでパンチパーマを鑑賞したいと思います。
私にとってパンチパーマとは、坊主頭に匹敵するくらい「萌え」な髪型なのです。
女性と生まれた私は、坊主頭にするのも不自由な存在ですが
坊主なら出来なくもありませんが、流石にパンチパーマとなると……

愚弟が退院するのが先か、私がパンチさんと仲良くなるのが先か
微妙なところですが、チャレンジは始まったばかりです。
愛しいパンチさんのことを書いてみたところで
今日の日記は、これにてオシマイ。


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