白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

目次未来

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当日記は移転しました。下記で更新を続けています。
引越し先 白い木蓮の花の下で


2001年10月31日(水) 自慢話・・・とか。

私には足掛け10年にもなろうかというペンフレンドがいる。
「文通」などという古めかしい通信手段は
お互いの気持ちと努力が続かないと続けられないものだから
10年近く文通をしているというのは、かなり自慢だったりする。
今日はs特に「自慢話」モードが入っているので
人の自慢話を聞くのが苦手なかたはご遠慮ください。


・・・・・・・で。

ちなみにペンフレンドは私の親よりも年上の女性だ。
某オペラ歌手のファンクラブ会報にて互いの存在を知り
そこからはじまった文通だった。
当初は音楽の話に集中していた文通だったが
いまでは、キッカケになってオペラ歌手の話題は、ほとんど出なくて
「よもやま話」の文通で、半年に1回くらいのペースでお会いしている。
2人で美術館に出かけたり、京都の寺院を散策したり
コンサートに行ったり
年齢は離れているが、ごくありふれた女友達と大差はない。

昨日は久しぶりにペンフレンドと会ってきた。
気候の良い時期なので、どこかに出掛けようと計画していたのだけれど
このところ私の方が多忙にてグロッキー気味だったので
お気に入りのイタリア料理店で夕食をとることになった。

ワインとシーフードを中心としたイタリア料理を堪能。
美しい髭をたくわえたお洒落なマスターが経営している店で
私と彼女がとても気に入っている場所なのだ。
その日、仕入れた魚介類を、その魚にあった方法で料理してくれる
料理の注文もマスターや店の人と相談しながら決めることができる
アットホームで楽しくて、ワインも豊富ときてるのだから
もはや文句のつけようがない一軒だ。
↑関西方面にお住まいで「ぜひ行ってみたい」という方がいらっしゃいましたらメールしてください。こっそり場所をお教えいたします。

でも1番の楽しいのは、何をおいても「お喋り」なのだ。
彼女は魅力的な女性で本当に話題が事欠かない。
今は「登山」に夢中だとか。
「中高年の流行に乗っかっているみたいねぇ」
そういいながら、楽しそうに山の魅力を語ってくれた。

私は「仕事のこと」だの「お見合いの話」だの「本の話」だの
まぁ、この日記に書いていることと、そう変わらないことを話した。
最近ちょっと行動や人間の幅が狭くなっているような気がした。

それにしても楽しい夜だった。
友人と逢うと元気をもらったような気がする。
年齢の離れた友人とは「また逢いましょう」と言って別れた。
次にお逢いするのはたぶん春。
その頃、私は何をしているのだろうか?
ふと、そんな事を思った。

で。

・・・ぢつは、ご機嫌で帰宅したらば
かなり凹む出来事があった。(すっごく私事なんですが)
そんな事で凹む私もどうかしていると思いつつ
感情のコントロールは上手くいかない。
上手くできたら日記なんて書いてない。
↑あくまでも私の場合。

嬉しいこと。哀しいこと。
色々あった1日だった。


2001年10月30日(火) お見合い。その後。

いやぁ。うっかり、うっかり。
せっかく、この日記に「お見合い」の話を書いたのに
「その後」の話を書くのをすっかり忘れておりました。

「お見合い」とは名ばかりの食事会の後
「あれでは、いくらなんでも人となりが分からないのではないか」
・・・と言うことで、あらためて相手の男性と2人で会ってまいりました。
いわゆる、ひとつのデートなのでしょう。

相手の男性は地元の公務員。見た目はまずまずの好青年。
誠実そうで、真面目そう。快活で朗らか。
父上の災難のおりにも頑張っておられたらしく困難にも強そう。
なんと申しましょうか・・・
「結婚の条件」としては文句の付けようのない方でした。
色々とお話をしましたよ。
趣味のこと。家族のこと。思い出話。考え方。etc。etc。

人間として尊敬できる「いいヤツ」だなぁ・・・って思いました。
だけど、やんぬるかな。
私とは趣味とか、考え方が全く正反対でした。

私は本を読むのが大好きだが、彼は1冊も読まない。
私は映画が大好きだが、彼は年に1本も観ない。
私は好奇心旺盛だが、彼は保守的で好奇心は薄い。
私は広い世界を求めているが、彼は狭い世界が好きだ。

だからって、正反対の性格や嗜好をもっている者同志でも
「正反対」ってところに惹かれあって恋愛するってことだってありますよね。

で。
私が彼に対して感じたのは・・・

「厚い友情」あるいは「同志だという意識」または「貴重な体験への共感と同感」

・・・でした。
そして、その結果・・・・

まっ。秋らしくっていいんぢゃない。
・・・ってな感じでしょうか。
ひゅるりら〜〜〜と風が通り抜けていくのを感じつつ
本日の日記は、これにて終了。


2001年10月29日(月) メールについて色々と。

「メールってむつかしいよね」
・・・と友人が言った。

1  自分のところにきたメールにたいして全て返事を書くのか。
2  すぐに返事を書かないと失礼なのか。
3  出したメールの返事が来ない時は嫌われたということなのか。

・・・など、他にも色々と話をした。

ちなみに私の場合。
1  基本的にすべてのメールに返事を書く。
    ただし相手が「生」でよく会う間柄の場合は当てはまらないことも。
2  1週間以内に書こう・・・と思っている。時と場合によるけれど。
    特に親しく甘えられる相手だと甘えて遅くなりがち。
3  相手や自分のパソコンの調子が悪いことも考えられるので
    再度メールをしてみて、それでも返事がこないときは諦める。

そして私の場合、ネットでしか繋がっていない方にメールを書くときで
他愛もない内容だったり、感想だったり、励ましだったりするメールの場合は
「気持ちを伝えたかっただけなので返事は不要です」
・・・のような内容を必ず付け加えるようにしている。
以前は、まったく気にしていなかったのだけれど
私が書いたメールに対して返事を書かなかったことを
心のどこかで気にしていた・・・って方がおられたので。

私自身は、どんなメールに対しても「まずは必ず返事を返す」を身上にしている。
もちろん、場合によっては返事がいらないだろう場合もあるのだが。
↑たとえば、また○○でお会いしましょう・・・みたいな時。
私はメールに限らず「無視」という行為が嫌いなのです。
相手に対する完璧なまでの否定って感じがするから。
だから、時間はかかっても返信していないメールを削除したりはしない。

でも、相手に対してメールの返事を強要したくはない。
私は「筆まめ」「メールまめ」な性質だけれど、そうでない人もいらっしゃるから。
メールに対して感じている個人の「温度差」もあると思うので。
どうしても返事が欲しいような場合に返事がこない時は、ちょっと凹むけど。
そう言えば1度だけ「今回はどうしても返事が欲しい」と書いたことがあったっけ。

「会ったことのない人とのメールのやりとりするの最近なんだか怖くって」

・・・と言う友人もいる。
実際、メールがらみのトラブルは多い。
悪質なウィルスメールもさることながら
「返事がくる・こない」だの「口喧嘩になってしまった」だの
とかく「すれ違う」トラブルが多いように思う。

私の場合「電脳」の世界に足を突っ込んでもうすぐ3年。
メール関係で痛い思いをした事だって1度や2度はある。
でも私はメールが好きだ。
人を信じていたい・・・
みたいな子供っぽい甘さがあるからかも知れない。

複雑なのはメールやネットに限ったことぢゃないんだよね。
ほんとは。

今日は友人と語り合ったことを、そのまま文章にしてしまった。
そして思えば、昨日もネットがらみネタだったが、今日もネットがらみネタ。
短絡的かつ衝動的。書きたいことだけ書いているという感じだ。
なんだか「日記」っぽいなぁ・・・とて1人満足しつつ今日は終了。


2001年10月28日(日) 不器用な人々

ふうっ。
「その日にあった出来事を書く」っていうのが日記の定義だとすれば
私の日記は、日記とは言いませぬ。
卑下しているのではなくて「日付の前日」に書いてるから。
もっとも、公開日記の場合は
書きたいことが「日記」ではなくて「主張」だったりする事もあるので
かならずしも「日」にこだわる必要はないのかも知れませんが。

それにしても・・・・・・
色々な日記を探訪していて思うのだけれど
どうして日記を書く人って不器用な人が多いのでしょうね。
↑もちろん手先の・・・ではなく生き方の。
私自身が器用な性質ではないので、不器用な人の日記って
心にビンビン響いてまいります。

なんで、こぅ・・・どうして、もっと上手いこと生きられないのかなぁ。

不器用なことは罪ではないし
不器用だからって人に迷惑はかけないのにねぇ。
だけど不器用だと疲れるのよねぇ。
生きにくいのよねぇ。

不器用だってことを素直に書いている人もいれば
器用を装った不器用な人もいる。

不器用なのを歯がゆく思っていたり
不器用なのを矯正したいと思っていたり
不器用と向き合いたいと思っていたりするのかなぁ
・・・って、これは私の勝手な想像ですが。

不器用な人の日記は愛しいです。
文章が上手でも、そうでなくても愛しいです。

私と、私の知る不器用な人々の物事が上手く運びますように
そう思いながら誰かの日記を読んでいます。
そう思いながら日々書き連ねています。

だから何?

そう突っ込まれたら返事ができないのだけれど。
まぁ、これも不器用ゆえ・・・ってことでご容赦くださいまし。


2001年10月27日(土) 妄想という名のフィルター

出勤途中、奈良盆地、某所にて素敵な女性をお見掛けした。

年の頃なら65歳〜70歳くらいだろうか。
グレーの御髪を、さっぱりとショートカットに刈り上げて
うなじが妙に色っぽくてドキドキしてしまった。
黒いタートルシャツに、カーキ色のジャケット。
スリムなパンツを完璧にはきこなして、手には茶色い皮のバッグ。
たぶん、なにがしかして働いておられる女性なのだろう。
颯爽と歩く、その姿は、ひときわ美しく光を放っているようで
私も、かくありたいものだと思った。

文章に書いてみると「うわぁ。小説に出てくる女性みたい」
・・・ってな感じだけど
実際は、小洒落た初老の御婦人だったのだと思う。
だけど私の目には「妄想」と言うなのフィルターが付いているので
そう見えてしまうんだな。きっと。

「ふぅ。いいもの見たなぁ」

そう思いながら、ぼさぼさ頭で、ろくに化粧もしていない私は
職場の近くにあるローソンに入って
お弁当を食べる時に飲む「なめこ味噌汁」と
疲れがピークに達した時に飲む「アリナミンV」を買った。
理想への道は遠く険しい。

「きみは素敵」

そう感じる人の、なんと多いことか。
・・・って「妄想フィルター」ちょっとパワー過多?
何につけ私は調整能力が低めかも知れません。
嫌なこともパワフルに感じますが
楽しいこともパワフルに感じます。

人生2倍、得してるかも。
もちろん、損だって2倍。2倍。

あの素敵な女性・・・
もう1度、道ですれ違えたら嬉しいのになぁ。


2001年10月26日(金) 横風に弱いようで。

私がココで使っている「白蓮」というハンドルネームは
この日記専用で、ふだんは別のハンドルネームで通している。
「白蓮」は使いはじめて日が浅いので
まだ同名の方と遭遇したことは無いのだけれど
ふだん使っているハンドルネームの方は、たまに同名の方と遭遇する。

で。

つい、先日も同名の方と遭遇してしまった。
なんだかんだとお世話になっているHPの関連で
私自身は「見てるだけチーム」の人間だったのだが
「詩」のHPで同名の方が詩を投稿されていたのをお見掛けした。
私はそのHPさんの管理人さんとは、顔見知りだったので
○○さんのHPでお見掛けする××さんですよね♪
・・・と、管理人さんは同名の方が「私」だと勘違いされたのだが
同名の方が「いいえ違います」と否定されたことので
その話は一件落着と相成った。

広いネットの海の中では同名の人なんてたくさんいるはずだし
実際、同じハンドルネームの人と遭遇したのは初めてではない。
とりたてて騒ぐような出来事ではないのだけれど
「名前が同じだけでなく、文章の雰囲気も似てる」とか
「あの人はココには来ないと思うから、いいのではないだろうか?」とか
私のいない場所で、私が語られている場面を見るのは
私にとって途方もなく哀しい出来事だった。
誰1人として私を否定していた訳ではないのだけれど。

自分という人間に対する通知表を、こっそり覗いてしまったような
・・・そんな感じ。

私と同じハンドルネームを持つ人は、いったいどういう方なのだろう?
気になるところなのだけれど私は2度と、その場所へは行かないと思う。
私は同じ名前を持つ人が作った作品を読みたいとは思わない。
まして、似ているね・・・なんて言われた日にゃぁ。
似ているも、似ていないも、私はその場所で発言したことなど
ただの1度もなかったのだから。

足元をすくわれたようだった。

こんな些細なことを気にしてしまう自分って嫌な性分だと思う。
大きな波風にはサクサク立ち向かっていけるのに
どうしたものだか「横風」「横波」には滅法弱い。

で、なんとなく落着かないまま
日記と言う名の隠れ家へ来てしまったのだ。
そして、とりとめもなく日記を書き終えようとしている。

こんなこと、すぐに忘れるよ。
たぶん・・・・・・


2001年10月25日(木) バレた。

「また懲りもせず日記なんか書いてるの?」
パソコンに向かう私の背中から唐突に声がした。

弟だった。

そう・・・普通の人間より指が2本足りない、あの男だ。
彼の名誉に掛けて書かせていただくと
彼は姉のプライバシーを探るような人間ではない。
ただ、なにげ〜に垣間見た姉のパソコンの画面に
「日記」と言う名のフォルダーを見つけただけであり
それ以外にも、私自身の管理不行き届きが重なって
私の「こっそり公開日記」が彼にバレてしまったのである。

以前、書いていた公開日記で行き詰まりを感じていた時は
私と同じく、ネット・サーフィンを趣味とする弟に
「なんか、良い子ぶるのって疲れちゃってさぁ〜〜」
・・・なんて散々、愚痴っていたのにもかかわらす゜
あらためて公開日記を書いている姉に、弟は呆れたようだった。

でも、もう、いいや。

弟にバレたことで私は、さらなる開き直りの境地を開拓してしまった。
姉の書いた駄文、読みたかったら、読めばいい。
嫌なら読まなければいいのだ。
それとも、まったく興味無し?

ともかく、こうなったら、なんでも書いちゃえ・・・ってなもんだ。
いまさらテンションを下げる気なんてサラサラ無いし。

父が、どんな風に死んで、私が、どう思ったとか
祖母が、どんな風に死んで、私が、どう思ったかとか
現在進行形の重要事項とか。
書きたいこと、書きたかったことは山のようにある。

もう、どうにでもなりやがれ。

弟が事故で指を失った事においては
ショックではあったけれど、そう大した問題ではなかったりする。
まだ若いのだから、自分の力で乗り越えやがれ!
・・・と私は思っている。
私だって、いつ死ぬか分からないのだし
なにより「一家の大黒柱」という立場で踏ん張っているのだから
弟の人生にまで気配りをしている余裕なんてありはしない。

あぁぁぁぁ。
それなのに、こんな私の日記を訪ねてくださって
掲示板に足跡を残してくださったり
「エンピツ日記」の投票ボタンを「ぽちっ」と押してくださったり
「エンビツ日記」の「My日記に追加」してくださったり
そんな方がいらっしゃるのは、ありがたくて涙が出そうです。
↑口だけぢゃなくて、マジで、そう思っています。

弟よ。読みたくなかったら、読むな。
そして・・・
それでも付き合ってくださる方は、これからもよろしくお願いします。

人間、ある程度追い詰められるとキレると言いますが
私も少々キレ気味かも知れません。
でも一応、他者への悪意なんかは発信していないつもりです。

なんとかなるかなぁ・・・と楽観しつつ本日は終了。


2001年10月24日(水) ダン!

『檀』 沢木耕太郎  新潮文庫 を読んだ。
久しぶりに骨太で読み応えのある1冊に巡り逢えて嬉しくてたまらない。
↑基本的に私は本読み虫なのだ。

タイトルの『檀』とは作家、檀一雄のことであり
彼の妻(作品のヒロイン)檀ヨソ子をさしている。
檀一雄は『火宅の人』『リツ子・その愛・その死』を執筆した作家で
「無頼派」に分類される「まい・ふぇいばりっと」作家である。
私は心底、檀一雄と、その作品が好きなので
『檀』の評価にはファンの贔屓目がかなり入っているかも知れない。

檀一雄のファンなら「ふ〜ん。そんなの知ってるし〜」
・・・ってなエピソードが多くて『火宅の人』とかぶる部分もあるのだけれど
檀一雄の妻の視点というのが面白かったのと
何よりも彼がもだえ苦しんだ末期は興味深かった。
奔放で、かつ豪快そうに見える人に対しても
「生・老・病・死」は分け隔てなく訪れるのだなぁ。
などと当たり前のことをあらためて感じた。

放埓に生きた夫に心乱され、嫉妬に苦しんだ妻ヨソ子が
それでも最後まで夫を嫌いになれなかった・・・というくだりは
心あたたまる箇所ではあったのだけれど
恐らく、心の深い部分で求め合っていたのだろう夫婦が
最後まで互いの気持ちを上手く通わせることができなかったあたりは
「切ない」などという
あまりにも安易な言葉でしか表現しようがない。

人の心の内なんて、本人にしかわからないことだから
端から見て「あの人は幸せだ」とか
「あの人は不幸だ」とか
評価することなどできないのだけれど
誰かの人生を端から見ることによって
何かを感じることなら出来るのだなぁ
・・・と、そんなことを思った。


2001年10月23日(火) 日記作家さん達を思ふ。

自分が日記を書くようになってから
自分以外の人の書く日記を読み歩くようになった。

ココで書く前は「さるさる日記」さんでお世話になっていた。
そこでも「日記仲間」と呼べる方が何人かできて
私が日記を辞めた後もネット上ではあるけれども
親しくお付き合いしている。

しょせんは素人の日記・・・なのだけれど
ハッとするほど感性の鋭い人
会ったこともないのに共感してしまう日記を書く人
文章を書くのが好きでたまらないのだろうと思われる人
自分の心を整理するために想いを吐き出している人

色々な人がいて、毎日訪ねていると不思議な親しみを感じる。
エッセイでも小説でもない文章。
それでお金がもらえる訳でない文章。
だからこそ「生」っぽくて、そこが魅力なのかも知れない。

「ねぇ、ちょっと聞いてよ」

どの日記からも、そんな想いに似た囁きが聞こえてくる。
↑これは私が勝手に感じていることなのだけれど。
ぢつは私も囁いているのだ。

「ねぇ、ちょっと聞いてよ」

聞いてもらうだけでもホッとしたりするし
聞いてもらうだけども救いになったりもする。
そんな訳だから、なかなか離れられないんだよなぁ。
日記って。

そして私は知人に知らせていない、この日記に助けられている。
私って、こんなに好き放題書ける人間だったんだ!
……なんてのは、ちょっとだけ嘘。
まだまだ「暴走」という程ではないと思ってたりする。

まとまりなく、色々なことを感じて、思って、考えて。
私はそんなことが好きみたいだ。


2001年10月22日(月) 隷嬢のごとく。

私が派遣されている会社はリストラがらみの人員整理の影響で
毎日、毎日、吐きそうなほど忙しい。
「労働基準法って何?」
・・・ってなもんだ。

「ジュースでも飲む?」
「お菓子、どう?」
「明日も来てや」
「辞めるとか言わんといてな」
「仕事、頑張ろ〜な」

ある意味において「お姫様」か「女王様」のように厚遇される毎日。
他人から尊重されるって悪い気はしないのだけれど
「仕事をして欲しい」「仕事をしてもらわないと困る」
・・・という事実がベースになっているので
本質的には「お姫様」とか「女王様」には、ほど遠い。
敢えて何かにあてはめてみるなら「隷嬢」と表現した方がしっくりくるかも。
↑「隷嬢」って言葉を知らない方のための、ひと口メモ。
  隷嬢 とは「SMプレイ」におけるM(虐げられる側)女性のこと。
隷嬢シュチュエーションで状況を説明すると
拘束具を付けられて、縛られて、天井から吊り下げられたって感じ。

私の資質としては「M」ぢゃなくて「S」なんだけどなぁ。
↑そんな問題ではない?

「SMプレイ」だと「S」と「M」との間には信頼とか愛情が存在するが
私の場合は会社と「契約」が交わしてしまったし
生きていくのにお金が必要だから
仕方なく現状に甘んじているに過ぎないので
身悶えするほど働くのが嫌でたまらない瞬間がある。

「お金は、もういらないので早く帰らせてください」
・・・などと口走ってしまいそうな時が多々あるのだけれど
だからと言って、私とて良識と常識のある凡庸な社会人なので
そんな事は決して言ったりしないし、誠実に仕事をこなしている。

「今の時代、労働できるというだけでも幸せである」
・・・って頭では分かっているのだけれど、とてもそうは思えない。
頭と心は別のものだと私は思う。

今日は「お下劣&陰気」な日記になってしまったなぁ・・・・・・
読みにきてくれた「あなた」には申し訳ないと思うのだけれど
野良犬に噛まれたと思って諦めてください。
いやぁ。かたじけない。
「白蓮」なんていうハンドルネームから程遠い内容になってしまった。

でも、書いちゃったら気分がスッとした。
こういうのって、便秘のあとの・・・と似てるかも。
↑重ねかさね、かたじけない(ぺこり)


2001年10月21日(日) ワカレ・ノ・サミシサ

私の大好きなHPが近く閉鎖されるそうだ。

そのHPの管理人さんとは私は
別のHPの掲示板で知り合った。
ひょんなキッカケからメールを交換するようになり
そうこうしているうちに、その人はHPを立ち上げた。
その人のいる、その場所は
私にとって居心地の良い隠れ家のような場所だった。

・・・などと、こんな書き方をすると
私とその人が、ほのぼのとした心温まる交流を続けてきたような
そんな印象を与えてしまいがちなのだけれど
ぢつは、私がやらかしたメールでのトラブルのほとんどは
その人との間で交わしたものだった。

メールでのトラブルと言っても全ての原因は私だった。
私が無神経に言った言葉が相手を傷付けてしまったり
励まそうと思ってウケ狙いで書いた言葉がその人を追い込んでしまったり。
今、思い起こしても心が痛む。

自分で言うと非常に嘘臭いのだが
私は「人の嫌がる事を進んでする」タイプではないと思っているし
「自分が好意を持っている人には笑顔でいて欲しい」
・・・という程度の良心は持っているつもりだ。

それなのに、どうしたものか、その人とは
どこまでも言葉が行き違い、はからずも傷付けあったりした。
嫌いでないのに「ソリ」や「ノリ」が合わないなんて
まったくもって不可解としか言いようがなく
その人と、どこかの時点で決裂しなかったのが不思議だと思う。
↑決裂しなかったと思っているのは私だけかも知れないが。

別れはいつだって寂しい。
去って行く者よりも、残された者の方が数倍寂しい。
さみしくてたまらない・・・・・・
大好きなHPが閉鎖したあとで
その人に感謝の気持ちを込めてメールを書こうと思っている。
↑失敗せずに書けるかどうか、かなり心配なのだけれど。

サミシイナァ。

自分の気持ちを相手に伝える術が欲しいと思った。


2001年10月20日(土) 友達同志って・・・

「あぁ。あの2人は友達同志なんだろうなぁ」
・・・と思われるような女性の2人組って
どことなく雰囲気が似ていたり、服の趣味が似ていたり
まとまりがいいなぁ〜と感じることが多い。

私の場合は友人と休みが合わないので
私が休みの日、友人の勤務が終わるのを待って
待ち合わせて「飲む」とか「食べに行く」といパターンが多いせいか
どうも友人と2人並んだとき、アンバランスな2人組になる。

なにしろ私は休日で「ジーンズ&Tシャツ&ディ・バッグ」だったりするのに
友人はOLらしい、感じのいいお洒落をしているので
友人と自分がショーウィンドウのガラスに映っているのを見て愕然としたことがある。
まっとうなOLと年下の彼(遊び人)って感じで。
↑髪がベリー・ショートの時の話。

それでは哀しい気分になってしまうので
「よし。今日はお洒落してキメてやるぜ」
などと気合を入れて、挑んだとする。
それでも、やはりどこかズレてしまうのは、どうしたことだろう。
どう贔屓目に見ても
まっとうなOLとチャラチャラ、スカシタした馬鹿女
・・・だったりして。

仕事の時は「それなり」の格好で出掛けるのだけれど
休みの日まで、そんな堅苦しい服を着るのは嫌なので
好きなものを、好きなように着ると
どうも方向を間違ってしまうことが多いようで・・・

私の友人はみな心が広いので「いいかげん、どうにかしたら?」
なんてことを言うヤツが1人もいないのはありがたい。
親しい友人と似ていない・・・というのは、ある意味嬉しいのだけれど
ちょっと寂しさを感じてしまうこともある。

あ〜なに書いてるんだろ?
今日は何が書きたかったんだろう??
そうそう。街を歩いていて
すっごく「似た感じ」の友達連れを見かけて
「いいなぁ。そ〜ゆ〜の」とか思ったんだったっけ。

どんどんまとまりない方向に走っていきそうなので
今日のところは、これにてお開き!


2001年10月19日(金) 非・恋愛体質

先日「見合い」という奇妙な出会いの場に参加したので
今日は、その続き(?)で
「恋愛」というものについて考えてみた。

世の中には「恋愛体質」の人と「非・恋愛体質」の人がいるんぢゃないかと
最近つぐづく思っている。
かく言う私は、ここんとこ「恋愛」という人生行事からは御無沙汰している。
まぁ、私の場合は、ここ何年間か
1年のうちの大半が「家族の誰かが入院中」だったりしたので
29歳という年齢で、そ〜ゆ〜行事に御無沙汰していたとしても
世間様から罵倒されるようなことは無いのだけれど
実際問題として考えてみると
そんなことは恋愛から遠ざかっている理由にはならない。

大変な時ほど恋愛に突撃していく人だっているぢゃないか。

自ら「非・恋愛体質」を自覚している私としては
「恋愛体質」の人々が羨ましくてたまらない。
最近、どうしたものか出版物も恋愛モノが多いような気がする。
書店に溢れる文字。文字。文字。もうほとんど洪水の域。
恋   愛   切ない思い   恋情  慕情   好き  など。など。
命短し 恋せよ 乙女 ・・・ってなもんだ。
「非・恋愛体質」の人間には、なにかと肩身が狭い今日この頃。

いやね。
だからって悲観してる訳でも、世を拗ねてる訳でもないのだな。
「非・恋愛体質」の人間だからって恋愛しないって訳ぢゃないし。
ただ、ちょっとばっかし・・・テンポがズレてるってだけのことで。
いやね。
「非・恋愛体質」人間が皆そうだって言ってる訳ではないんだけどね。
私の場合です。あくまでも。
ようするに私は恋愛中の人が羨ましいのだな。
片恋でも。らぶらぶでも。

肩肘張らずにいきたいもんだなぁ・・・と思う。
なかなか、そこがムツカシイんだけど。


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「ぽちっ」と投票してくださったり
「My追加」してくださる「あなた」へ。
ありがとうございます。なんか嬉しいです。
ひとり言ぢゃないんだなぁ〜と思うと、ほんと嬉しいです。
元気、いただいてます(ぺこり)


2001年10月18日(木) 見合いに挑んだ29歳の秋。

「見合い」をした。

私は「来る者拒まず」をモットーとしているので
人間に限らず「出会い」や「きっかけ」には
必ず首を突っ込むことにしている。
29歳の現在まで見合いをした数なんて
もう覚えていないくらいだし、相手の顔もほとんど忘れている。

私の名誉にかけて言わしていただくと
見合い写真をバラまいたことは1度もない。
今回の見合い相手なんて、笑っちゃうようなキッカケだった。

弟が入院していた時、隣りのベッドで療養していた「おやぢ」の息子。

入院も長期なると、同室の人とは家族ぐるみで親しくなったりする。
「おやぢ」は交通事故で足。弟は勤務中の事故で手。
互いに病む場所は違っていたし、年齢も親子ほど離れていたけれど
何か友情のようなものがあったようだし
私や母も「おやぢ」や「おやぢの妻」には親しみを感じていた。

で。

どうしたものだか、双方の親同士で話が盛りあがり
私の知らない間に「見合いさせてはどうでしょう」なんて事になっていた。
正直なところ、今はまったくフリーなのだけれど
↑これは相当、悲惨な現実なのだが。
愛よりも時間。お金よりも時間。恋人よりも休養時間。
・・・・・・が欲しい私としては
まったくもって、降って湧いた厄災のようなものだった。

そして「見合い」

見合いする当人同士だけ、顔も知らない
・・・という奇妙な状況の中で「見合い」と言うより、むしろ
「退院祝い夕食会の集い」
とでも銘打った方が相応しいような集いが催された。

で。

実際、和やか&和気あいあいとした楽しい夕食会になった。
なにしろ『九死に一生スペシャル』ってTV番組に出演できそうな体験して
なにくれとなく苦楽をわかちあった2家族なのだ。
入院していた時の苦労話だの、退院の喜び等の話に花が咲いた。
料理も美味しかったし、話も弾んで楽しかった。

が。

「見合い」と呼ぶにのはどうだろう?
・・・という疑問が湧かないでもない集いだった。
双方の家族が楽しい時間を過ごしたのは有意義だったと思うけれど
ちょっと腑に落ちない複雑な心境だ。
「見合い」を否定する訳ではないのだけれど
「ところで、どんな感触?」
などと感想を聞かれても答えようがないのだ。
一目惚れでもしないがきり、わずかな時間しか過ごしていない相手に
好意を抱けるくらいなら、すでに恋人の1人や2人いるぜ!
・・・ってなもんだ。

見合いに挑んだ29歳の秋・・・
ふけゆく秋の夜に溜め息ひとつ。
ふうっ。


2001年10月17日(水) 煮詰める。煮詰まる。焦げ付く。

昨日、今日は休日だった。
某住宅会社でCADオペレーターをしている私は
一般の勤め人さんとは休日形態が違うのだ。
週に2日。火曜と水曜。
これが私の週末。

先日、親しくしていただいている先輩から
弟の退院祝いだと、極上の牛肉をいただいた。
先輩のご実家は精肉店を営んでおられて
ことあるごとに素晴らしい牛肉を贈ってくださる。

今回は時節柄「もし気にしないのなら・・・」
と遠慮がちな申し出だったのだが
狂牛病といっても、脳や骨髄や小腸を食べなければ安全なのだし
第一、私自身、そのテの事に関しては神経質ではない性質なので
ありがたく頂戴した。

スキヤキ用だの、煮込み用だの、使い勝手を考えた詰め合わせの中から
昨日は煮込み用にカットされた大ぶりの牛肉を使って
朝からビーフ・シチューを作った。

美味しい材料には、それなりの礼をもって応えるべし。

ハーブもワインもケチらず投入。
玉葱だって、あめ色になるまで炒める。
もちろんアクはこまめにすくう。
こと・こと・こと・こと煮込む。
手間隙を惜しんではならない。

「材料」が「食べ物」に変化していく不思議。
煮込むことによって
煮詰めることによって料理が美味しくなっていく不思議。

よく考えが行き詰まっている時
「頭が煮詰まっている」なんて表現を使うことがあるけれど
煮詰まってしまうまで悶えた先に、何が待っているのだろう?
料理なら美味しく出来上がる。でも人間は?

煮詰まっていく鍋を見ながら、他愛もない事を考えてしまった。
私も煮詰まっている。
牛肉を贈ってくださった先輩も煮詰まっている。
もちろん、原因も形も違うのだけれど
なんと煮詰まっている人の多いことか。

煮詰まって、焦げ付いてしまわない程度に
駄目になってしまわない程度に
すべてが進んでいくといいのになぁ・・・と思った。


2001年10月16日(火) 日記の目指すところ。方針など。

この日記を書き始めてから1週間が過ぎたました。
「エンピツ日記」のジャンルとしては「日常・生活」に登録したのだけれど
情けないことに・・・・・・
あらためて読み返してみると私の書くものって「日常・生活」と呼ぶには
あまりにも愚痴が多すぎるし、ウエットな話が多いようです。

『白い木蓮の花の下で』なんて、スカしたタイトルよりも
『ウエット&ダークで』に改名しようかと思うほど
どよどよした日記が続いています。
そして、いまだ知人に知らせないまま書き続けていたりして。

なんだかなぁ・・・・・・

いや・・・ぼやいてみたところで、しょせんは個人の日記。
誰かのために書いている訳ではなくて自分のために書いている日記。
ウエットだろうが、ダークだろうが、愚痴だろうが
気にせずカンガン書いていこうって気分になってきました。
もう、知人に知らせる気もなくなってたりします。
↑でも訪ねてくれる方は嬉しいし
広いネット上で偶然知人に会うとしたら、何かの縁ってものです♪

ちなみに、この日記の目指すところは・・・
私自身の心のバランスを保つこと。

ただ、その方向だと「日常・生活」というジャンルに居を構える
少々、相応しくないような気がしてきました。
いくら「個人の日記」とは言うもの
「日常・生活」というジャンルに、そうでない話が連なっているのは
それほ読みたくて、訪れてくださる方々に
騙まし討ちをしている気がしてならないので
「苦悩・心」にジャンルを引越しさせていただこうと思います。

鬱々とした内容が続くかも知れないし
案外、吹っ切れて楽しい日記が書けるかも知れない。
自分自身、この日記が、どうなっていくのか分かりませんが
ただ「嘘」だけは書きたくないのです。

そんなこんなの拙い日記でありますが
それでも読んでくださる方がいらっしゃいましたら
今後もお見知りおきのほどをお願いします

また、新しいジャンルのみなさま方も、よろしくお願いします。
毎日、文体、書いている内容、テンションもバラバラだったり
急に真面目なこと書いたりするような
バランスの悪い日記になっておりますが・・・
それでも明日も書いてます。
よろしければ、お立ち寄りくださいませ。

<追記> ジャンル変更が完了するのは火曜の朝だそうです。


2001年10月15日(月) 秋なのに・・・

どうしたものやら、最近、私の周囲には元気のない人が多い。
↑特にネットで知り合った関係の方々。
体調だったり、ハートだったり、とにかく草臥れておられるようだ。
掲示板にお邪魔していても、居たたまれない事が多々ある。

そんな時は・・・

食欲の秋でねえ〜〜食べ物が色々と美味しくなってますね。
私などハーゲン・ダッツのマロングラッセ味のアイスとか
栗蒸し羊羹とか、すっかり栗にハマっています。

などと、食べ物ネタを振ってみたりするのだけれど
ぢつは、真っ赤な大嘘だったりするのだからタチが悪い。
↑こ〜ゆ〜のを「偽善」とか「見栄っぱり」と言うのだ。

食べることは大好きだし、ダイエットしている訳でもないのだけれど
何を食べてもたいして美味しくないし
だいたいからして食べること自体が、おっくうでかなわない。
「美味しい」と感じるのは梅雨の頃に自分で漬けた梅酒くらいなものだ。
『どっちの料理ショー』とか観てもドキドキしない自分に気付いた時は
あぁ。ここまで来るとヤバイかも・・・と思った。

原因は単純明解。
マリアナ海溝より深い悩みがある訳でもなんでもなくて
単なる肉体疲労。

今年の夏は、弟が長いこと入院して何かと大変だったし
その上、夏からずっと仕事の方が大忙しだし。
「あれもしたい」「これもしたい」と思うほど気力は漲っているのに
どうしても身体がついてきてくれない。

秋なのに 食欲からも 見離され 白蓮 溜め息の一句

現時点において、私の元気の素は「本」と「日記」と「梅酒」の3つ。
秋の味覚達が旬を過ぎる頃には、きっと元気になっている
・・・はず。

さて。
せっかく今日は残業無かったんだし
「日付フラング」日記はこの辺にして、さっさと寝ようっと。


2001年10月14日(日) たまには真面目に「臓器移植」の話題など。

今日は、公開日記再デビューしたら
「絶対に書くぞ」と思っていたテーマにトライしようと思う。

「臓器移植を考える」

臓器移植って「角膜」だの「腎臓」だの
死者でも提供できる臓器もあるのだけれど
まだまだ「脳死者」でなければ提供できない臓器が多い。
「脳死」については様々な場所で議論されているし
私が、ど〜のこ〜の言う問題ではないのかも知れないが
どうしても、どこかに書いておきたかったのだ。

私は「脳死者」からの臓器移植を賛成するし
私自身が「脳死」となった場合
使える場所は、余すことなく使って欲しいと願う。

人の生命の重さは、どんな人だって、みんな一緒なのよ。
・・・なんて言葉があるが、それは違うと私は思う。

まだ幼い子供。
守らなければならない人がいる人。
それなりに人生を楽しんでいるが取り立てて責任のない立場の人。
ある程度の人生を楽しんでこられた年配の人。

それぞれの生命の価値が同じだなんて、私には思えない。

私は独身者で子供もいないけれど
もしも自分の子供が病に冒されて「臓器移植」をすれば助かると知ったら
「臓器移植」をしてでも助けてあげたいと思うだろうし
また「私が守ってあげなければならない人」がいた場合は
「臓器移植」をしてでも助かりたいと思うだろう。

現実問題として考えると、脳死者からの臓器移植は
様々な問題が山積みである。
生存率の問題や、臓器移植後もずっと薬を手放せないという現実。
「そんな事までして、医療に頼って生きている必要があるのか?」
そう考える人も少なくはない。

しかし、私は思うのだ。
「生きていたい」と熱望する人や
「生かしてあげたい」と思わずにはいられない人には
「臓器移植」という手段を用いても生きていて欲しいと。

私の家族は3人とも「脳死」になった場合は
臓器を提供しようと決めている。
たとえ、どんなに哀しくても・・・だ。

「臓器移植を」する、しない。
「臓器を提供を」する、しない。

それは個人の自由だと思う。
どちらの気持ちも尊重したいと思っている。

ちなみに亡父は「死んでから身体にメスが入るなんてゾッとする」
と生前から語っていたので、父が亡くなった時は彼の意思を尊重して
死後の解剖も丁寧にお断りした。

私は本来、議論好き人間なのだけれど
人間の生死が絡む問題については「その人の自由意志」を尊重したいので
理屈で相手を論破しているのを見たり、読んだりするのは苦手だ。
↑苦手だからと言って、目をそむけたりはしないが。

なかなか思うようにはならない人生で
本当に自由に使えるのは、自分の生命だけだと思うから。

まずは自分の生命を有意義に使うところからはじめたい。


2001年10月13日(土) すべての・・・は消耗品?

昨日「My追加」について色々と考えながら
ほかの方の日記を覗いていたらば

「My追加」していただければ励みになります。
「投票」していただければ励みになります。
・・・と書いておられる方が想像以上に多くいらしたので
思い切って「My追加」を利用することにました。

どんな感じで表示されるのか、よく分かっていなかったので
まずは、自分自身の日記を「My追加」してみして・・・
ふむふむ。と納得して、ちょっと使ってみました。
物事、屁理屈こねて考えるばかりが能ぢゃありませんね。
だいたい、こんなことについて「あ〜だ、こ〜だ」考えてるのって
非生産的過ぎて、情けなくなってきます。

・・・と、まぁ、この話はここでオシマイ。


昨日は仕事帰りに古書店で
村上龍 『すべての男は消耗品である。』 角川文庫 を50円で購入しました。
彼の小説やエッセイは毒気がキツクてどうも苦手なのですが
その考え方は、なかなか賛同できる何かがあるので
毒気にあてられて「うぇっ」となりながらでも、結構読んでたりします。
読んでるってことは、心のどこかで好きなのでしょう。

『すべての男は消耗品である。』はちょっとマイルド・ティスティでした。
一応、生物学的に「女」の部類に俗する私といたしましては
「男って大変だねぇ」と思わず溜め息を漏らしてしまいました。
「男の哀愁」とか「男の辛さ」とか
その他諸々の「大変さ」がスコールのように降り注いできたような・・・
心の一部をナイフでメッタ切りにされたような・・・そんな感じ。

みんな血を流して暮らしているんだろうか?

なんだか死にたくなっちゃうような酷い言葉が連ねてあったのに
さほどガツンとこたえなかったのは
作品の中に「おぅ! おぅ! みんな頑張れよ」
・・・ってなエールが込められているからだと思います。
こんな道徳的に評価されるのは村上龍の本意ではないでしょうけれど。
↑村上龍の作品に対していつもそう感じるわけではありません。
 『イン・ザ・ミソスープ』などは読後しばらく凹みました。

ドロドロの中にも爽やかさは見出せるし
また、その反対もしかり。

エミィ(山田詠美)も解説していたけれど
「消耗品」は男に限ったことではないと思う。
私は女だけれど、かなり摩滅していますもの。
メンテナンスに励み、消耗に耐えうるモノになりたいです。


2001年10月12日(金) 「My追加」の使い方って?

亀の歩みのように遅まきではありますが
エンピツ日記の書き方に慣れてきました。

私は相当面倒くさがりなので
設定やなんかは、もう、いぢらないかと思います。
文字数とか、レイアウトとか、ちょっと工夫すれば
もっと読みやすくなるのだろうけれど
「まっ、いいか」
・・・とて安易な方向に流れていきそうです。

随分慣れたんですけど・・・
でも、いまだに「My追加」の使い方については
妙に考え込んでしまうところがあるのです。
↑ 「My追加」について?な方がおられましたら
   「エンピツ日記」のHPの説明を参考にしてくださいませ。

ぢつは「エンピツ日記」の中に
ずっと日参させていただいている日記が、いくつかあるですが
それまでは「エンピツ日記ユーザー」ではなかったので
お気に入り(ブックマーク)に入れて読んでいました。
でも、自分自身が「エンピツ日記」ユーザーになったからには
「My追加」に入れた方がいいのかなぁ
・・・と思ったりして。

「My追加」ってなかなか良いシステムだと思ってます。
日記作家さん同志の交流に、ひと役も、ふた役もかいますよね。
そ〜ゆ〜繋がりって大切だなぁ・・・って思いますし。

でも「My追加」に登録しちゃうってことは
「いつも読ませていただいてます」って意思表示になると同時に
「よろしければ、うちにも遊びにきてね」って意思表示にもなる訳なのです。

公開日記って、読んでくれる人がいると励みになる
・・・って方が多いと思うのですが(少なくとも私はそうです)
「こんにちわ」のひとことも言わずに
リンクを張る事だけが「読んでる証明」になるのって
どうしても、足踏みしてしまったりするのです。
↑「掲示板」を置いたのは、そんな気持ちがベースになっています。

それゆえ、いまだに「My追加」の機能は使ったことありません。
その上、いまだ、この日記の存在を
「生」及び「ネット」知人には知らせられずにいます。

こ〜ゆ〜のって、小心者的な発想だなぁ。
・・・ふうっ。
多くの日記作家さんは、どう考えておられるのでせう?
・・・と言うか、ちょっと考え過ぎって感じかも。

もっと軽やかな気持ちでネットの海に遊びたいものです。

どんな、ご縁か分かりませんが
これを読んでくださっている「あなた」様。
「誰か読んでくれてるのだなぁ」と思うだけで
すっごく励みになっています。
この場を借りて、お礼をば。

ありがとうございます。
カウンターが回っていると嬉しくてたまりません。

それと・・・

もしも、お気が向いたなら「掲示板」に足跡を残していってくださいませ。
日記、HPをお持ちの方は、アドレスを残してくださると嬉しいです。
昨日は、1つ、嬉しい繋がりが出来たので
他にも繋がりが出来ると嬉しいなぁ〜
・・・などと欲の皮のツッパッタことを企んでおります。

そして最後に1つ懺悔をば。
まだ日にちが変わっていないのに日記を更新しちゃいます。
ちょっと眠くて。疲れてるもので。
「あれっ。ズルしてやがる」と気付いた方おられましら
ごめんなさい。そんでもって、おやすみなさい。


2001年10月11日(木) 髪でも伸ばしてみましょうか

髪でも伸ばしてみましょうか
長い髪の人が好きだという
あなたの瞳に少しでも
私が映っていられるように

……朝っぱらから乙女ちっくでかたじけない。

だいたい嘘っぱちなんて書いちゃいけませんね。
何も好きな人に気に入られたくって
髪を伸ばそうと思っているのではないのですから。

私ここ何年かは「ショート」または「ミディアム」
……を続けてきたのですが
ポリシーがあって、その髪型続けていた訳ではなかったのです。

ふふふふっ。
何を隠しましょう。
今まで我が家には「シャワー」ってものが無かったのです。

今の長屋に引っ越してきた時、シャワーが無いのには驚きました。
だって、もの心付く頃からシャワーってものは
「あって、当たり前」な存在だったのですから。
シャワー無しで髪を伸ばそうと思うほど
髪に対する思い入れが無いものだから
勢い、手入れのしやすい形を守っていた訳なのです。

でも。
弟の左手が不自由になったのを気に
我が家もシャワーを設置しました。

いいいですね。シャワー。
便利ですね。シャワー。

ここ数日はシャワーのある喜びを噛み締めています。
「泡風呂の素」を買ってきて楽しんだり
映画みたく「スタンディング・シャワー」してみたり。
滑稽なまでに嬉しくてたまりません。
せっかくシャワーを付けたのだから
髪でも伸ばしてみようかと思っています。
↑シャワーのおかげで髪を洗うのも楽チンですし。

つまんないことで、落ち込んだりしますが。
つまんないことで、幸せになったりもします。

まぁ、そんな感じです。


2001年10月10日(水) 人の弱みにつけこむヤカラ

昨日に引き続き、進歩の無い愚痴を書き連ねてみようと思う。
・・・と言うか、愚痴を書くことで自分の気持ちを整頓したいのだろう。

わざわざ読みにきてくださったのに
気持ちが重た〜くなるような日記を読まされた方々には
まっこと申し訳ないと思うのだけれど
それでも奔放に書いてしまおうと思っちゃったりしたりするのは
私は自分が世の中で1番大切だと思っている証
・・・なのかも知れない。

私は・・・って言うか
うちの家は4年連続で結構な事件が起こってしまった。

1年目。 父が自営していた商売が失敗して
      何もかも失い超貧乏になった。
2年目。 離れて暮らしていた祖母が老人性鬱病の末、自殺しまった、
3年目。 父がアルコール性肝炎の末、脳味噌まで犯され
      長い闘病生活の末に死去した。
4年目。 弟が仕事中の事故で、指を2本、失った。

まぁ、ぶっちゃけて言うなら「最悪」って感じかも知れない。
けれども私は「最悪」なりに、借金もず(父の借金はちゃんと返済した)
自分を切り売りすることもなく、それなりに暮らしていた・・・と思う。
こんな風に書いてしまうと傲慢だと思うけれど
「頑張ってねよね」と言われることがあったとしても
けなされるような生き方はしていないはず。

でもさ。
人の弱みにつけこむヤカラってのもいるんだよね。
何か悪いことが起こるたびに、酷いこと言ってみたりなんかする。

「家相、見てもらえ」とか
「先祖の供養が足りない」とか
「宗教を信心したら、何もかも上手くいく」とか
「適齢期に(私が)結婚してたら、旦那が力になってくれただろう」とか
「何かの祟りがあるだろうから、お払いしてもらえ」とか

それは、それは、入れ替わり、立ち替わり、色んな人がやってくる。
ぢつは、昨日も母の友人で某宗教団体にハマッてる人が
家まで押し掛けてきたらしい。
おかげで、毎日元気印が自慢の母が心身不安定に陥ってしまった。

言葉は非常に汚いけれど、いつの日か、暴言を吐いていきやがった連中に
「ざまぁ、見やがれ」
・・・ってなセリフが吐けるような境遇になりたいものだと思う。

ふうっ。
こんな事、真剣に考えてる人間って、かなり心が貧しいなぁ。
自分でもよく分かっているし
そんな事を考えてる暇があれば前に進めばいいと思う。

でも・・・
とらわれてしまう自分がいる。
足元をすくわれてしまう自分がいる。
まっ、そんなもんだ。

でも、きっと、やるよ。


2001年10月09日(火) 妖怪人間ベム・・・ではないが

私の弟は指が3本しかない。
それも「妖怪デビュー」したのは今年の夏だった。
仕事中の事故で、左手の親指と人差し指を切断してしまったのだ。

「妖怪人間ベム」の3人は
自分達の手に指が5本しかついていないことで
非常に苦しい思いをしていたが
私の弟も同じ道を行く者となってしまった。

やれやれ。

古き良きアニメ作品など、引き合いに出して茶化しているが
実際はかなり大変な出来事だった。

あるべきものが、そこに無い。
直面するには重過ぎる現実。

もちろん悲観して死んでしまうほどのものであるはずもなく
毎日は普通に過ぎていくのだし
弟自身も、自分の心とそれなりに折り合いを付けて暮らしている。

「障害なんて、なんのその。人間、頑張ればなんだってできる」

口にするのは容易いが、実行するのは相当キツイ。
けれど……
癒しの風が吹かずとも、それでも進むしかないだろう。

自らの心の赴くまま、燃え盛る洋館に消えていった
あの、妖怪人間達のように
自らの心の赴くまま、日々を過ごすしかないだろう。


2001年10月08日(月) 公開日記を書くということ

以前、私は、かなり熱心に公開日記を書いていたことがある。
↑エンピツさんではなかったけれど。

毎日が楽しくて、嬉しくてたまらなかった。
掲示板なんかも設置しちゃったりして
それゃぁ、もぅ、せっせと書いた。

だけど……

「日記」ってヤツは、ものすごく個人的な物だったってことを
私はまったく理解していなかったのだ。
友人、知人、ネットで知り合った方々……
読んでくれる人の存在を感じ初めてから
何も書けなくなってしまったのだ。

その時、書いていた「日記」の私は元気な私。
困難にも「うりゃ!」と立ち向かっていく私。
自分とのギャップが頂点に達した時
私は日記をやめてしまった。

で今回はハンドルネームを変えてのリペンジ。
まだ知人には知らせていない。
しばらくは奔放にいこうと思う。


2001年10月07日(日) 月夜の晩に

月夜の晩に日記を書いた。
だって、あまりに淋しくて。

うすら寒い部屋に居たらば
泣きたくなってきたのです。
だからって泣けるもんぢゃない。

だって、大人なんだもの。
泣いたところで、どうにもならない。

「泣く大人」だっているけれど
私は泣けない。

思いつくまま始めた日記は
どこまで続いていくのやら。

まずは、初日。
そして、明日。

明日は無いかも知れないけれど。




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