金色の夢を、ずっと見てる

2017年01月10日(火) 新年のご挨拶&2016個人的重大ニュース

明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い致します。

…もう年明けて10日経ってますけどそこはまぁ、ね(苦笑)


さて、今回も1年間の個人的ニュースをさくっと振り返っておきたいと思います。今回は本当に個人的なものから世間的にもニュースだった事まで、いろいろ入り交じる予感。


まずは5位
猫エイズ陰性だった!

先日の日記にも書いてるんですが、2015年6月に我が家に来た2匹の猫。当初は猫エイズ陽性でおそらく母子感染だろうと言われてたのが、2016年秋に再検査したら陰転してた、という。

母猫が陽性の場合、産まれて半年ぐらいは母乳の影響で子猫にも陽性が出る事があって、でもそれは感染してるとは限らず、乳離れしてしばらく経つと陰性になる事があるんだそうです。その『しばらく』の目安が生後半年で、うちの子達は最初に検査したのがちょうど生後半年経った頃だったので、ギリギリで陽性反応が出ちゃっただけだったようです。

そう頻繁にあることではないようで、獣医の先生も驚いてました。いや〜でもホッとしたな〜。


4位
T.UTU with the Band 復活


ウツがソロデビューした時の名義がこれ。馴染みのあるサポートメンバーから「え、この人が?」と驚くような人まで、豪華なメンバーです。そのバンドが突然復活。ファンを驚かせてくれました。

完全なオリジナルメンバーではなかったのですが、ソロデビューから24年。メンバーもそれなりに年を取ってるのに、24年前に負けないぐらいカッコいいってすごいよ。今年はソロデビュー25周年。何をしてくれるのか楽しみです。


3位
SMAP解散


これはね〜…特にファンじゃなくてもやっぱりショックでしたよ。『特にファンじゃない』とは言っても、好きか好きじゃないかで言ったらそりゃやっぱり好きですよ。それにSMAPが結成された時、私は中学生でした。まだデビュー前のSMAPをアイドル雑誌で見て
「え、小学生がいるの!?自分より年下のアイドルが出てきた!」
と驚愕したのを覚えてます。

大学時代にカラオケ行けば誰かがかならず歌うし、飲みに行っても誰かが歌うし、社会人になったらなったで
「あ〜あの曲、誰かの結婚式で歌ってたな〜」
とか、とにかくいろんな曲にそれぞれ思い出がある。

迷ったけど、結局買ったんです、最後のベストアルバム。シングルだけじゃなくてアルバムからも選ばれてるという事で、半分ぐらいは知らない曲でした。でも
「あ〜これ知らなかったけどいい曲だな〜」
とか、歌にのせてメンバー紹介する曲があったり、ライブでコール&レスポンスやったら楽しそうだな〜って曲とか、本当にファンが選んだ曲なんだなってのが伝わってきて、なんか切なくなりました。解散の本当の理由は結局はっきり判らないままだけど、何年か経ってまた5人がそろう日が来たらいいなーと思います。



2位
引っ越した


2015年8月に台風で家の屋根が降っとんで以来ずっと私の実家に居候してましたが、2016年4月、やっともとの校区内に引っ越せました。

小学校への送迎も必要なくなったし、娘は自力で友達の家と行き来できるようになったし、私は職場も近くなったし。特に夫は、不満を口にした事はなかったけど、やはり妻の実家でサザエさん状態ってのはしんどかったと思います。まぁなかなか実家から引っ越せなかったのは私のせいではないんですけどね(笑)

あと、両親が家の中で動物を飼うのが苦手なので猫は2階の6畳間だけで暮らしてたんですが、地味に猫もストレスためてたようです。実家にいた頃は布団への粗相が本当に多くて、しょっちゅう布団を洗濯してたんですよ。夏はともかく冬になると、まず羽布団を洗うのが大変だし、洗ったら洗ったで冬の日差しじゃ乾かなくてコインランドリーに乾燥機だけかけに行ったりして。いくら洗える羽毛布団といっても、ニ○リさんもこれほど毎日のように洗濯されるとは想定してなかったろうに、と思うぐらい。

それが、引っ越してからはほとんどなくなりました。夏の間は何度か肌布団に粗相されたりしたんですが、何度かやったらそれっきり。『羽布団は鳥(=猫にとっては獲物)の臭いがするから、そこに粗相してしまうのはマーキングのようなものなので対策はない』というのをネットで見て
「じゃぁ冬になっても羽毛布団は出せないの!?」
と思ってたんですが、少なくともこの冬は1度もやられてません。毎晩一緒に寝てます(あったかい)。あれはやっぱりストレスのせいだったのかねぇ、と旦那と話してます。



そして1位

熊本地震

やっぱこれでしょうねぇ…。

2位の『引っ越した』のわずか1週間後でした。幸いうちの辺りは震源地からも遠かったし、山沿いで地盤が固い地域らしくほとんど被害はありませんでした。実家や妹宅では食器が棚から飛び出して割れたとかあったようですが、うちはそれもなく。しばらく断水して不自由はしましたが、よくニュースで流れてたような被害の大きかった地域に比べると、うちなんて被災者と名乗るのも申し訳ないぐらいのレベルで。

でもね、地震から半年経ったある日、震源地に比較的近かったある村からテレビの中継がありました。そこは私にとっては祖母の家がある場所です。見慣れた場所の、見慣れぬ風景。あぁ、あの場所はもうなくなってしまったんだなぁ…そう思ったら涙が出ました。

もう祖父母も伯父も鬼籍に入ってて、その家に住んでるのは伯母だけでした。でもその家はもう住める状態ではなく、伯母は仮設住宅に入り、おそらくあの家はいずれ取り壊されることになるのでしょう。大好きだった『おばあちゃんち』がなくなってしまった。そうか、私もやっぱり被災者なんだ…と初めて思いました。

年が明けて、冬休みの間に子供を1日ぐらいどこかつれてってあげないとね、と出掛けた先が、その村の近くでした。帰りに夫に頼んで少し寄り道してもらい、お墓参りに行ってきました。

震災直後に祖父母宅の近くにある伯母(上記の伯母とは別です)の所に様子見舞いに行った時、墓地への入り口は瓦礫で塞がれてて入れなかったんです。お盆の時期もあれこれと都合がつかなくて行けず、ずっと気になってました。リアシートで子供が寝てたので夫には車で待っててもらったんですが、1人で行って良かったです。

メインの墓石こそ無事に立ってましたが、お墓全体で見たらあちこち崩れてました。昇り口にある灯籠、囲い、階段。崩れ、倒れ、欠けたお墓。周囲の他のお墓に比べたらそれでもマシな方で。自分達の生活が優先で、お墓まではなかなか手が回らないのです。他のお墓の持ち主の方達がどんな思いでこのお墓を放置してるのか、それを考えるのも辛かった。

もちろん、私にとっては『おばあちゃんち』だけど母や伯母にとっては実家であり、住んでた家だったわけです。それを失った辛さは私なんかとは比較にならないだろうし、そう考えるとやっぱり私なんて被災者とか言えるレベルじゃないとも思うんだけど…大丈夫なつもりでいたけど、自覚してる以上に傷ついてたし疲弊してたんだな…と最近になって思うようになりました。



台風で屋根が飛んだってのもなかなかない体験だったけど、まさかその翌年に震度7を体験する事になるとは思いませんでした。いろんな意味で激動の年だったけど、2017年はもうちょっと明るい話題が多い年になるといいな。


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咲良 [MAIL]

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