回転寿司を食べに行く。どうせならネタの良いものを食べようと、100円均一皿の店を避け、最高500円の皿がある店へ。さぁ、と最初は高い皿を取る。が、だんだん安い皿を取るようになり、最後は100円の皿を意図的に選ぶ。それを見たカミサンは「この店に来て100円の皿を食うのなら、100円均一皿の店に行くのと何ら変わらないじゃん!?」。貧乏は染み付いた性。見栄を張ってもとロクなことがない。
某出版社の経営理念。「利益は少ないかもしれませんが、学校を出て入社一年目の社員が、当社の新刊を自宅に持ち帰って、堂々と親に披露できる本の出版したい」。理念に具体的なシーンを盛り込む説得力と力強さ。先日、無添加にいち早くこだわったコンビニの幹部が「うちの弁当が幼稚園の給食に採用されました。それが嬉しくって…」と語ってくれたが、『志の産業』が今、一番パワフルだ。
誰からも慕われる人が、引退の日を迎えた。誰よりも早く出勤し、自主的にコピー機やテーブル拭きをやり続けた姿に本当に頭が下がる。別れの挨拶をすると、記念にカードをくれた。『永い間お世話になりありがとうございました』のユリカ(地下鉄のプリペイドカード500円分)。普段から他人に気を遣う人は最後まで細心を払う。その人がどういう人だったかは最後に現れるというが、本当だ。
次々と新機軸を打ち出すコンビニA社でその秘訣を聞いた。「競合は?」と質問すると、「競合はいません」。そして「当社には『これを買いなさい』というほどのマーチャンダージング力はありません…が、生活者のセーフティネットとして与えられるものはなんでも与えられるものになりたい」という。敵を想定しないから振り回されない。どこまでも謙虚に我が道を行く。21世紀に強い企業の姿である。
社員が取得した資格をすべて同じサイズにコピーし、同じ額に入れて壁一面に張り出す。こうした水道工事屋は多数ある。が、資格を取るごとに自分のヘルメットに、その資格の認定証を縮小コピーた紙を貼っている会社があると聞いて驚いた。心理学では「帽子は自己顕示欲の現れ」という。職業柄使う道具を、自分の力でその人の生き様を映すオンリーワン・ヘルメットに変えることができる。
中日新聞で連載中の夏目漱石の『坊ちゃん』。このコーナーの読書率は40%を超えるという。通常の新聞連載小説が読まれるのは7%あれば十分だから、驚異的な数字だ。今の人でなくとも昔、偉大な人がたくさんいたのだから古典に学べばいいという発想から始めたという。日本人がダメになったのは中国古典(論語や孫子、菜根譚)を学ばなくなったからというが、古典回帰は現代の根本ニーズかもしれない。
当世流行のレストランウエディングに出る。仲人を立て両家がスピーチ合戦する結婚式は、見合結婚主流の時代に作られたスタイルだ。見合いだから両家が正面から向き合う形式が必要になる。しかし恋愛結婚主流の時代は、大半の参加者が二人の馴れ初めも生業を知っている。だから堅苦しい紹介も儀式もいらない。と、頭でわかっていても、違和感を禁じえない自分は過去の産物だろうか。
某地銀の支店長の話。「数年前に交通事故で複雑骨折。その後腸膜炎を起こし腸の殆どを摘出する手術を受けた。三途の川を渡りかけたが、今は運良く現役を続行している。事故と病気を経て自分は変わった。生かしていただいたのは、この世でまだ何かをせよという証。出世などはどうでもいい。何人育てたか・育てられるかが私の目標です」。学歴でなく苦暦(くれき)を持つ人は天命を知る。
どう考えても赤字にしかならない某社の新事業案。部下2人に柔軟な発想を求めるが、私と同じで起死回生の手段は出てこない。誰だって「やめたら」に辿り着いてしまう。しかし「やめなさい」と言えば、事業も自分も前には進まない。そこで諦めずに考える。3日目。突然思いがけぬプランを探り当てた。あることに集中して考えると情報感度が高くなるが、そのお陰。諦めない限り失敗はないのだ。
なかなかV字回復できない大手家電メーカー。その根本原因を社長は「これまでは、社内の管理者育成を目途とした社員研修しか行ってこなかった。逆にお客様に対するプロを育成する研修を怠ってきた」と語ったという。管理者を育成しても部課長の職位にアグラをかいて会社に活力が出ない。プロを育てられる指導者は、部下に成功体験を作ってやれる人。それを意識している管理者が少なすぎるのだ。
在庫を把握するとき、多くの企業が月単位で行う。在庫が「三か月分」というが「180日分」とは言わない。ところがトヨタグループとその取引先には「月」という単位はない。「日」だけである。月を消したのは、月で管理すると狂うからである。今年度、最も営業日の多い月と少ない月の差は5日だ。月で管理すれば22%も誤差が発生するのである。これを全社員・全Gに徹底しているトヨタは凄い。
反省の大切さは誰でも知っている。が、反省会を開いている会社のなんと少ないことか。中古品の専門店「コメ兵」は、毎月一回定休日に「死に筋研究会」を開催している。売れなかった商品ごとに、値段設定が悪かったのか陳列がまずかったのかを徹底検証する場だ。その反省が中古品販売に欠かせない買取ノウハウとして蓄積される。反省の時間は意図的に作らないと存在しないのだ。
某住宅会社の社長の名刺。社名・名前・連絡先に加え写真と自己紹介あり。「生年月日、出身の後、昭和×年創業、これまでの○万棟・○万戸の住宅を建築させていただきました。お客様にご満足いただく家造りを心がけ入居後、安心24時間サービスにより、緊急のトラブルにも対応させていただいています。宜しくお願いいたします。」知ってもらおう、愛されようと一生懸命なのがよくわかる。
七五三で写真館に行く。撮影前に、アンケートを書かされた。内容は子供の呼び方、親の呼び方、クラス名、担任名、好きなキャラクターなど。なぜ…と思ったが、その謎はすぐ解けた。撮影中「山田先生ってこんな顔?!」ってカメラマンが豚の鼻をすると、子供は大笑い。そこでカシャ!。子供を笑わせるために必要な情報を事前に入手したのだ。子供相手でも情報収集は儲けの源泉なのだ。
面白い葉書が来た。以下、裏側の全文。「大感謝状 繁盛研究所殿 二〇〇三年で一番嬉しかったことは、あなた様にお逢い出きた事。このご縁を大切にする事を誓いここに大感謝状を送らせて頂きます。××屋葬儀社 ○○○男」。大袈裟ではあるが、悪い気はしない。こういうことができてしまう大らかさを羨ましく思う。この人と近く再びお会いするが、この葉書のおかげで一段と楽しみだ。
トヨタ店で定価337万円のクラウンを見る。その窓ガラスには、毎月14,600円の72回払い、ボーナス時25万円払いで買えると表示されていた。単純計算で合計405万余円。定価との差額約68万円は手数料であり金利である。手取り30万円の家庭なら、2ヶ月以上銀行員らのためにタダ働きする計算だ。そうまでしてクラウンに乗る必然性はあるのだろうか…。考えてみたが私には見つからなかった。
どう見てもおかしい2005年愛知万博の前売り開始広告のコピー『人生一度は万博だ』。新幹線の車額を見た人も多いだろう。40歳以上の世代は大阪万博を経験した人ばかり。なのに「人生一度は…」とは…。また「人生一度は…」言われた方は、言う側の先輩面した無責任さを感じて不愉快になるものだが、今回も鼻につく。万博なんだからもっとワクワク・ドキドキする言葉が欲しい。
監督には2種類の人がいる。一人は駄目なチームを短期間に蘇生してしまう魔術師。もう一人は長期に安定した黄金時代を作る人。前者は社員の潜在能力を引き出しリストラにも積極的。後者はメンバーの規律を厳しく管理する。前者の代表が三原や星野、根本。後者が広岡や森、川上。星野が勇退を決めたのは、後者は自分に向かないと中日時代の経験で知っているからかもしれない。
社長が異常に元気で、会社を引っ張り続けるB社。社長は自分の引退後を心配する。優秀な人材には事欠かないB社が心配しているのは「エネルギーの継承」。顕在+潜在能力が高い社員も、それらを継続的に引き出す雰囲気が整なければ休火山となる。そのために社内ベンチャー制度を導入。新しい事業が生まれるときの力を社内に充満させて続ければ、他部門も燃え盛るからだ。
講演会ではアドリブが過ぎて予定した内容を話しきれないことがある。そんなときは自己嫌悪に陥りながら家路に着く。先日もそうだったが自宅近くの駅で見知らぬ紳士から「あ、先日はありがとうございました」と笑顔で声をかけられた。「?」と思っていると「先日、講演を聞かせていただきました」という。その紳士はそのまま立ち去ったが、神様が「それでいいんだよ」と言ってくれたようで救われた。
「洗剤のいらない洗濯機」は、すべての汚れが落ちるわけではない。ひどい汚れのときは洗剤を使い、そうでない場合は使わずに済ます。その判断は顧客に委ねられているのだが、それこそこの商品の魅力だろう。なぜならば顧客が考えることにより環境問題に対する参加意識を持つことができるからだ。環境関連商品は、顧客に運用を委ねると愛される。全自動が必ずしもベストではないのだ。
三洋電機の「洗剤のいらない洗濯機」を作った設計者と話す。この商品のキャッチフレーズは「日本の洗濯を変える」。それを見て本当に羨ましいと思った。彼は「どんな仕事をしているの?」と聞かれれば「日本の洗濯を変えるのが仕事です」と応えることができる。シェア競争に疲弊し、巨大化への憧れがなくなった昨今、「誰かの××を変える」と応えられる仕事は、ビジネスマンの憧れだ。
某大手ハウスメーカーの講演会に招かれる。講演前、社長とホテルで二人きりになった。が、うまい話題が見つからない。やっとこさ頭に浮かんだのは、カバンの中にある地元の合資会社の販促物。それを取り出し、社長が知らない超零細企業ならではの素晴らしい作品を見せた。結果は予想通り社長の関心を引き、間を持たせることに成功。ハイクラスにはロークラスの想いを具体的に示すと効果的だ。
昨日の統率力の話で中日の新監督・落合の場合は、技術25%は申し分ない。問題は「部下と想いを共有するの感性50%」があるかだ。その点、部下の潜在能力を10%アップさせれば外人もトレードもいらないという姿勢は評価できる。部下に「お前を信じた。お前ならやれる」と言っているのと同じだからだ。部下を「できる・できない」で判断せず「育てる」上司を、部下は期待し信頼するだろう。
研修をただ受けただけで終わらせないようにするには、どうしたらよいか。某社の支店長の質問に、「上司も研修を受けること」と答えた。部下にやらせて自分は知らんぷり…では部下は「上司は本気でない」とアッサリ見破ってしまうからだ。すると支店長、忙しい合間を縫って合宿研修に参加した。研修中に出た会社への意見も、正面から受け止めて回答。この行動力が信望を集める源泉だ。
この秋も講演会が目白押し。どのテーマでも最後はいつも同じ話で終わる。その話が他のどんなネタよりも喜ばれるからだが、本音を言えば変えたい。自分の進歩が止まった気がするするからだ。が、それに優る話が作れない。サザンの桑田も『勝手にシンドバッド』以上に盛り上がる曲が作れない、と嘆いていた。25周年の今年も彼はそのパターンを繰り返した。ライブとはそういうものなのだ。
住宅産業は自動車産業より10年遅れている、が私の持論。10年前にカー・オブ・ザ・イヤーを受賞したアコードのキャッチコピーに『スタイリッシュ』だ。自動車には当たり前のように使われるこの言葉。果たして住宅には…どうか。近頃ようやく使われ始めたようだ。『渡辺篤史の建もの探訪』には「スタイリッシュ」編がある。「スタイリッシュ」な暮らしが演出できる家は、今、人気だ。
某社常務に煙草をやめた秘訣を聞く。「煙草はやめようと思うから辛い。煙草を忘れたんだ」。忘れるとはどういうことか。「山手線の中では、ちっとも煙草を吸いたくなかった。煙草を忘れているからだ。ところが降りた途端に吸いたくなる。思い出すからだ。そのとき気を紛らわして、煙草を忘れるようにした。そうしたら苦もなくやめられた」。「やめる」と「忘れる」。小さくて大きな発想の転換だ。
息子が「仮面ライダー555と武蔵とどっちが強い?」と聞く。私「う〜ん…仮面ライダーかな」息子「仮面ライダー555は刀と鉄砲を持っているもんね」私「武蔵だって刀は持っているよ」息子「武蔵は刀を持っていないよ。武蔵が持っているのは『棒』だよ」。これにはまいった。確かにTVの武蔵は木刀で戦うことの方が多い。先入観でものを見て、いかに観察をしていないか思い知らされた。
新事業を考えている若手研究者と話す。彼「5億円の設備を投資すれば作ることができるのです」私「でも他社だって同じ設備を買えば、同じ商品ができるじゃないの?」彼「それは違います。設備はあっても知識とノウハウは私が持っています!」。若い人のこんな気持ちのいい啖呵を聞いたのは久しぶり。彼が正しいか否かを証明するのは難しいが、この熱い自負こそが人を動かす。
コンビニなどで、美味い飯がいつでも買える。酒は酒ディスでいつでも安く手に入る。外に行かずとも美味いものが家で食える時代。そんな時代に外食産業が生き残るには、非日常的な空間を演出する必要がある。自分がキレイに映る照明か。相手と心地よい距離の座席か。トーンが癒される懐かしいものか。「家でTV見てないで、ここで話をしようよ」顧客にそう伝える店が強い。