V字経営研究所・酒井英之の4行日記
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2002年10月31日(木) 200人を偉くする

「自分の目標は、自分の部下を200人偉くすることだ」ある大手企業のF部長の人生観である。200人という数字も凄いが、「部下を偉くする」という目標を持っていること自体が希有なのだ。私は20代のとき当時の上司から言われた「お前を営業所長にしてやりたい」が忘れられず、今でも彼を尊敬している。部長たるもの、せめて3人の部下は育てて頂きたい。


2002年10月30日(水) 業界の困った人々

200社以上を集めた講演会後、聴講生からこんなメールを頂き嬉しくなった。「こんないいお話を惜しげもなく披瀝されてしまうと、コンサルタント業界の面々から渋い顔をされませんか」。今、この業界は米国MBA型の理論理屈が主流。が、そのまま試して失敗し傷ついた企業も少なくない。分かり易さと実現性こそ第一だと支持してくれる企業も少なからずいるのだ。


2002年10月29日(火) わかりやすい政治・見えない経済

外交問題をはじめ最近、政治が分かりやすい。それは加害者と被害者がハッキリと国民に見えているからだろう。モノごとを理解する基本は「可哀相なのは誰で、どうしたら救えるか」を考え「そうなっている原因はどこ(誰)にあるのか」を突き止め改めることだ。経済問題は不良債権を抱える銀行・企業が加害者なのか被害者なのか、よく分からない。それゆえに不透明なのだ。


2002年10月28日(月) コメンテータよ、優等生ぶるな

竹中案を潰す抵抗勢力。そんな面々に「自分は責任を取ってきたのか?」とコメントする識者。そんな人物評論や責任論はもういらない。識者たるもの竹中案とこのまま案を比較して、今から3年・5年・10年後の日本経済をシュミレーションして解説して欲しい。国民が欲しいのはどっちが得かを自分で考えられる判断材料であり、識者の個人的な安っぽい正義感ではない。


2002年10月27日(日) わが社の求める人材像

S社の管理者とわが社の若手社員のあるべき姿(求める人材像)を議論する。出てきたのは「自分の意見・考えを言う人」。具体的には「私にやらせてください。最後までやります」「こうしたら売れます」等と言える人材だ。こんな人材を得るには管理者が「君ならどうする?」と、常日頃から部下に問い掛けることが肝心。育てることは、辛抱強く待つことなのだ。


2002年10月26日(土) 問題点の共有化

某社のマネージャーは毎週の部内会議で、各自報告ではなく「問題点を出せ」と言っている。そして各々の対策を考えて取り組むようにしている。そのため「先週問題点として上がった事項が今週も問題点として上がると、自分が何も仕事をしてないことが証明されて恥ずかしい」と語る。部内で共有化しなければならないのは情報ではなく問題点なのだ。


2002年10月25日(金) スタンディングオベーション

大変立派な会計事務所の講演会に招かれ恐縮するほどの歓待を受けた。色紙や著書にサインを求められ、所長と握手をした写真を撮り、講演会では聴講生が一同スタンディングオベーションで歓送してくれた。その献身ぶりに自信のある人の美しさを見た。自信があるからこそ苦もなく低姿勢が取れる。そして尊敬をされる。弱みを隠そうと虚勢を張る人とは大違いだ。


2002年10月24日(木) 17年目の逆襲

学生だった17年前、コピーライターに憧れ大手広告代理店への就職を夢見ていた。しかし当時の自分は試験に通るはずもなく、落選。その後紆余曲折を経て、コンサルタントになった。今日、かつて憧れていた大手広告代理店に招かれ、講演をした。そして自分が考案した時代のキーワード等を代理店の社員の方がメモしてくれた。こんな運命に感謝したい。


2002年10月23日(水) 結局損をする延長戦

講演でつい時間をオーバーして話してしまう。話したいことが一杯あって、聴講者の御役立ちたくてついそうしてしまうのだが、時間内に終えるのが最高のサービスのはず。延長で削られるのは散会後の名刺交換や個別相談の時間。それを失うのは、聴講者はもちろん、私自身にとっても惜しいことだ。講師たるもの時間内終了、自分の為に身につけるべき技術である。


2002年10月22日(火) 活貝がうまい居酒屋

札幌の『海鱗丸』という店で飲む。メニューに「活貝(本間さん)」問いのがあって驚いた。訊ねると本間さんという漁師が獲った活貝のことで、その日取れた分を仕入れ無くなったらおしまい。また、本間さんの水揚げがなかった日は、そのメニューは中止だという。自然溢れる土地なのに、一人のプロを信頼しきっているオーナーの経営姿勢をとても気持ち良く感じた。


2002年10月21日(月) エンジニアとの接点

飛行機に乗るとき搭乗口左手で迎えてくれる整備士にいつも感心する。出発時間が遅れたときなどは「焦って整備したのかな?」と整備品質がいささか心配だ。そんな心配を、誇りに満ちた整備士の挨拶が打ち消してくれる。エンジニアが客に挨拶する機会は、他の乗り物は勿論、一般商品でもまずない。いろんな商品でもっとエンジニアと接点を持ちたいものだ。


2002年10月20日(日) 世界一大切なお客様

ジュニア向け子供服で有名なN社長を訪ねる。行くと「ちょっと待っていて。大事なお客様が来ているから…」。果たしてその大事なお客様とは小学校の女の子3人だった。同社の顧客層は小学生。会社見学に来た小学生に、ファッションへの興味や生活のことを社長直々にインタビューしているのだ。社長曰く彼女たち部屋のインテリアは実にインビジブル(見えない/知られていない)な世界。なるほど世界一大切なお客様である。


2002年10月19日(土) 生活者視点

中部マーケティング協会で『生活者視点』を教えている。生活者視点の解説を問われたので以下のように答えた。「想定したターゲットがビックリするほどの費用対効果・利便性・情報交換によって商品の価値を認めてもらい、顧客満足を創造する活動」。とにかく「ビックリ」させねば話にならない。ビックリが消えたら消費者は去り、付加価値は取れない。


2002年10月18日(金) 1を聞いて10を知る人

忙しさの余り、客先への封書を出張先から送ることになった。出かける前、アシスタントがくれた投函用の封筒を見て驚いた。宛名と差出人が記され、切手が貼ってあり、裏には両面テープを施され、中身ができたらそのまま投函できるようになっていた。おまけに「明日、出張先より投函します…」と客先に連絡済み。その気配りと手回しに心から感謝したい。


2002年10月17日(木) 黄金のカルテット

ジーコが監督になって中田-小野-稲本-俊輔が中盤を固める『黄金のカルテット』が誕生した。W杯から僅か数カ月、同じ人材から全く別の組織ができ上がったのだ。管理者の戦術次第で、同じ人材から違う成果が生まれる。経営でも活性化のために管理者を変更するケースは多い。肝心なのは一度変えたら辛抱強く、部下を信用して使い続けることだ。


2002年10月16日(水) 24年ぶりの再会

拉致被害者の帰国を歓迎する同級生等のコメントを新聞で読んで、電車の中で涙が止まらなかった。是非24年ぶりの再会が実現することを願う。自分にも20数年間会っていない、同級生が何人もいる。今どこで何をしているか分からないが、同じこの国にいるのだろう…というだけで安心できる。同じ国に住んでいる、ということは実はとても幸せなことなのだ。


2002年10月15日(火) 頑張れ眼鏡屋

私は眼鏡をかけないから分からないが、眼鏡をかける人はおよそ2~4本は持っているようだ。ところが4本持っている人も2本の人もバラバラの店で買っている。つまり従来の眼鏡店には「今度は別の店の方がいいかも…」と思わせる弱点があるのだ。それを改善し同じ人に複数の眼鏡を買って貰える仕組を作れば、成長することができるだろう。


2002年10月14日(月) 黄色い歓声を聞きながら

ウルトラマンに大声で「がんばれ~!」と叫ぶ子供たち。その純粋な姿は、感動ものだ。惜しむらくはそんな子供たちがどんどん減っているという事実だ。私の小学区では現在1学年50名。自分のときが約140名だから凄まじい少子化だ。将来、自分の存在そのものが年金・税金面で彼らに負担をかけると思うとやりきれない。少しでも良い未来を残したいと思う。


2002年10月13日(日) 本物と子供騙しの差

子供に連れられてウルトラマンコスモスショウを見る。残念だったのはウルトラマンのスーツと、その中に入っている人のサイズが合わなくて、ウルトラマンが皺だらけだったことだ。いくら精巧なものを作っても、サイズ違いというほんのちょっとしたミスが、観る者を夢の世界から現実へと引き戻してしまう。「子供騙し」を象徴する悲しい皺だった。


2002年10月12日(土) 男の意地が燃える秋

「畜生!あいつらには絶対に負けないぞ!」某社の企画担当者はそう息巻いて会議室を出てきた。立案した企画を説明した上役に、完膚なきまでに叩きのめされたからだ。「最大の敵は社内にいた」と、多くのプロジェクトの成功者が語るように、彼もまたその壁にぶつかったのだ。それを乗り越えるのは己の意地のみ。その意気やよし。応援は私の仕事だ。


2002年10月11日(金) みんな仮面ライダーに成りたい

西友が偽装表示した肉の代金を払い戻したら、実売額の3.5倍の要請があり、返金を途中で打ち切る騒ぎが起きた。西友がショッカーになった途端、仮面ライダーがたくさん現れた現象だ。普段正義に無頓着な人も、本当は正義の士に成りたいのだ。正義の価値観は、昔は国が与えてくれた。今は企業が創り守る。正義を示せば共鳴した社員は付いてくる。


2002年10月10日(木) 出世競争の果てに

ポストを狙うことにシャカリキな同世代がちらほら出てきた。しかし考えてみれば、部長や役員として腕を振るえるのは精々5年。50歳を過ぎれば別会社に出向・転籍し、60で否応なく定年だ。一方、自分で会社を興してしまえば定年もなく、自分の果たした役割も体感できる。出世のための社内戦に心身を酷使し時間を浪費する。何とも惜しいことだ。


2002年10月09日(水) 名こそ惜しめよ

福留が首位打者を獲るため欠場気味である。が、欠場して首位打者を獲ったところで人々は彼をすぐ忘れるだろう。逆に、最終戦の打席まで普通に試合に出て凡打をし結果的に松井に三冠王を獲られても、福留は爽やか男だと人は忘れられないものだ。82年の首位打者・大洋の長崎の名は忘れた。しかし敬遠のボールを振った田尾の顔と名は皆、今も覚えている。


2002年10月08日(火) セーラー服も売る薬屋

新しくできた健康がテーマのドラッグストアを覗く。1Fの健康食品はパワー増強!系商品が多数。2Fはクスリを中心としたコーナー。そして3Fは『通販マニア』。通販でしか買えないような健康グッズ+コスプレグッズが多数。健康食品・器具でパワーアップした人が、人に言えない趣味にチャレンジ!。ドラッグにコスプレを併せる発想に、思わず唸らされた。


2002年10月07日(月) ペイオフ延期連想ゲーム

ペイオフ延期から連想ゲーム。→銀行の信用不安が一層高まるから=大型倒産続出予定→銀行を救う→公的資金の投入→銀行の業績回復を義務づけ→貸し剥がし、高利貸し、店舗数減少→中小企業倒産&銀行の倒産→失業率増加→止まらぬデフレ。今日の講演先の勝ち組社長はダウ平均が$6,000の夢を見たといった。日本経済は戦後最悪の事態を迎えそうだ。


2002年10月06日(日) 背景のストーリーが人を呼ぶ②

昨日と違い、近所のハウジングセンター見た無料のハリケンジャーショウは秀逸だ。特撮の多い番組をどうやって再現するのかと興味津々だったが、男女入り乱れたアクションは迫力あった。また番組のコンセプトである「守るための戦い」「一本気の友情」等が盛り込まれた、真摯な内容だった。コンセプトの維持と誠実なアクションは人を感激させるのだ。


2002年10月05日(土) 背景のストーリーが人を呼ぶ①

地元の祭で市民が英傑に扮した武者行列を観るが、選出のいい加減さにガッカリだ。丹羽長秀は20代の女性、竹中半兵衛、織田信忠は50代の男性、眼鏡をかけた武将もいて時代考証が目茶苦茶だ。せめて信長が岐阜を納めたときの年齢に統一するなど背景のストーリーを守らないと、目が肥えた市民は離れくだろう。手抜きといえばローラー付きの御輿もいただけない。御輿は担ぐモノだ。


2002年10月04日(金) 勝ち組の人そだて

『勝ち組になる会社なれない会社』のタイトルで週2回以上講演するようになって1年余。最近は1度講演した先から「今年も是非…」と依頼される。日記に書き溜めたお陰で新ネタは一杯。が、90分にまとめる軸とツカミとオチ、ギャグはどうすれば…などと悩む。試行錯誤の末ようやく「あ、これでいいんだ」と自信を掴んだ。『勝ち組の人そだて』。今後はこれで行こう。


2002年10月03日(木) 「いかに透明か」が問われている

20代の若手社員から、今後の「営業のキーワード」を教えて欲しいとの質問を頂いた。大競争時代の勝負は、期待を超えるQDCSが実現できるかどうかだ。よって売り手はお客様に「ね、驚いたでしょ」と言えれば勝ち。そして「そのカラクリのすべてを見せなさい」と要求する買い手に対し、弊社が「いかに透明か」を示す。そんな正々堂々とした企業が勝つのである。


2002年10月02日(水) 人体を地球に換えて考える

食品業界で、人体に害を及ぼす原材料の使用が企業のリスクとして問われ始めた。あらゆる産業の中でマーケティングが最も進んだ食品業界のこの動きは、やがて全産業に波及するだろう。それは人体を地球に置き換えてみればわかる。地球環境に影響が出る素材の使用した企業がその責任を問われると…全産業で同じようなリスクを負うことになるからだ。


2002年10月01日(火) 恐くて売りに行けないよ

「恐くて売りに行けやしないよ」と嘆く食品問屋のF社長。スーパーに納めた商品が、メーカーのミスでもし無許可添加物使用物だったら①回収費②焼却費③謝罪広告費④機会損失を負担せねばならないからだ。特に恐ろしいのは④で、営業停止期間中売上を全額補填しなければならない。損害保険制度があるそうだが、セキュリティは立派な経営資源である。


酒井英之 |MAILHomePage

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