嗚呼!米国駐在員。
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2004年01月31日(土) |
マイナス30度の世界 |
今日は事務所の移転。 なんやかんやで、本当にくたくたになってしまった。
夜8時に終了してスタッフ含めて食事。今週は仕事も多忙で今日は疲労のピークに達しており、彼らのおもしろくないアメリカンジョークの応酬に、いつもの愛想笑いをする気も起きなかった。まあ、何を言ってるのかも集中力がなくてさっぱり分からなかったが。 輪からはずれてついついと、日本の居酒屋で仲間の馬鹿話していた頃を思い出してしまった。
今日はついにマイナス30度Cに突入。 テレビのニュースでも Dangerous Cold として、なるべく外に出ないようにと伝えていた。 レストランから駐車場への数メートル歩くのさえ厳しかった。本当に息が出来ない。 冷え切った車でエンジンが温まるまで待たねばならない辛さは経験したものでなかれば分からないであろう。筋肉も収縮してしまった感じで体力が一気に衰えた気がする。 温泉があればなあ。冗談抜きで今なら100ドル出しても入りたいな、と思う。 今日の寒さにちなんでラジオでは、「誰がシカゴで一番寒い仕事をしているか」という馬鹿げた企画があり、自分こそ、と思うリスナーからの電話を募っていた。街角のビラ配りや、外で作業せねばならない工事業者などが、俺こそ一番寒い!とまくしたてるのだが、その度にアナウンサー(ホスト)が、 I cannot imagine! とか Oh My God! と連発。 幸せなことである。
帰宅すると、自宅に東京本社の人間から電話。 日本は土曜の朝だというのにご苦労な事である。こっちは夜の12時前っちゅうねん。 事務所引越しで何も仕事が出来なかったことを詫び、1時間ほど打ち合わせと雑談。3月の人事について色々動きがあるようである。これまた米国駐在員などにはさっぱり情報は入らないのだが。
明日は土曜日。ああ、ゆっくり寝れるのが本当にうれしい。
今日は寒いを越して「痛い」1日だった。 気温は摂氏1度、つまりマイナス18度という全く未体験の領域だ。 血も凍るシカゴとはよくいったもので、ほんとうに血液の流れが悪くなっている気がする。明日はもっと寒くなりそうだ。といってもこればかりはどうしようもない。
先日、昨年秋にテヘランに駐在した高校の同級生からのメールがあった。 テヘランで暮らすというのもなかなか出来ない体験、なかなか楽しそうではないか、とメールしたところ、いやいやとんでもない、と真っ赤になって(見えないけど)返事してきた。
79年の革命以後、外国人のコックにVISAを発給しておらず、どのレストランもオリジナル料理からかけ離れすぎており、しかも頗る不味く、これが最大のストレスの一因との事。 もう二度と外食はしないと心に誓っていた。 具体例としては、数少ない中華料理屋にちょっとはましなものが食べられるかと思って行ったところ、ラーメン頼んだら麺がスパゲティーの麺だったという始末だったそうな。この料理は簡単に想像できるけども、ここしかないと期待した結果がこれではやってられんわな。
また、交通渋滞及び大気汚染も半端でなく、生活においてのハードシップが高く疲れるばかり。また、良いのか悪いのかお金を使うところが全くといって良いほどなく、これまたストレスが溜まる、と。出るわ出るわ文句のオンパレード。
もっとも、酒も外食もゴルフもレジャーもなにもない世界では、何をどうしていいのやら。こちらもイメージさえわかない。 といっても仕事だけは結構忙しく、大変さはさほど東京時代と変わらないようで。 これじゃストレスたまるよな。 お前なんか天国だよ、と言われるのも返す言葉が見つからないし、自分があれやこれやと文句を言っているのも恥ずかしくなってしまった。 いつの日か、お互い異国の地で成長して、日本で一緒にうまいもの食べられる日を本当に楽しみにしたい。
今日も仕事がたまって朝からばたばたとしていた所に、誰かのパソコンがウィルス汚染されたのか、おかしなメールが入ってくる。 東京の本社からも、おかしなメールがこちらから送られてきてタイトルだけついているが何なのか、という問い合わせが入った。どうやら、保存メールが無作為にばらまかれているといった、非常にたちの悪いウィルスのようだ。会社であるから、当然秘密と思われる文書も一応あるはずで、これが取引先などにまかれると冗談ではすまない。 ただ、一体何がどういう原因でこうなっているのかがさっぱりつかめないので、後は米国本社のシステム管理に任せておくしかなかった。 困るのは、どこの誰に対してどんなタイトルの内容文書が流れたのかさっぱりわからないという事。
日本で働いていたときは、大元のサーバーでがっちりと管理されていたようなので、全くこんな問題は起きなかったが、やはり海外支店はそこまで金もかけていなかったという事だろうか。こんなことは金の問題ではないと思うのだが、あきらかに管理不足だろう。取引先に流れた時には誰が頭をさげなくちゃならないと思っているんだよ!、と、申し訳ないながらも、いつでも管理部隊への風当たりはきつくなる。
所詮、所帯の小さな海外駐在事務所であり、こんな問題が起きたら仕事に火がついていようと全部自分で対処しなくてはならない。日本はよかった、内線一本で担当が飛んできて面倒見てくれたからな。 まさに今日は仕事でやる事は山ほどあったのだが、ウィルススキャンや関連ネットを見てたりしていたら何もしないうちに時間だけが経ってしまった(昨日と同じですな)。 こんな日を、非生産的な一日、というんだろうか。
午後6時過ぎてようやく一服。 ようやく仕事をこなすかと思ったら、こんな日に限って朝を迎えた日本からの電話が何本も入る。 相手も、ここぞとばかりにあれもこれも言うし、こちらも負けじとあれこれ伝えてしまうので、ついつい長電話。気がついたらもう午後8時。やれやれ。これから仕事もする気にならず日記をアップする(会社でやるなよ)。
いいなあ、こちらのスタッフは定時ぴったり、それも見事に定時ぴったりに何もなかったように「グッナアーイ」だもんな。 駐在員になって日本みたいに回りの目もなければ嫌味をいう上司もなし、何の気兼ねなく定時ぴったりで帰ることに問題はない。‘今日はぴたりと終わって米人スタッフと一緒に駐車場に歩いていこう’、と毎朝のように決意して家を出るのだが、実現できたのは一度もない。要領悪すぎるな。
ここまで書いてまた日本から電話が入った。気がつくと午後9時ですっかり暖房が切られて冷えてきた。 もう仕事はやらずに帰る事に決めた。やれやれ何してるんだか。
昨日は突然(珍しく)上司に誘われて夜は日本食へ。といっても会社を出たのが午後9時で店は10時に閉店だから、本当の夕食といった感じだった。この上司は話し出すと止まらないので、客がいようがオーダーしようがあっさり10時で店を閉めるこちらのスタイルはむしろ都合が良かった(おいおい)。
なつかしの味噌カツ定食にサッポロビール、なんでもないメニューだがやはりほっとする。 こちらの店に行くと、パスタでも肉でも、どうだ!やるならやってみろ!という感じで、ドドーンと皿に盛って料理が出されるのでまるで戦いを挑まれている気になり落ち着かない。 小さい頃から、残さず食べろと言われてきたからか、戦いに挑むと本当に食べる事に疲れてしまうのだ。 この点、日本食だと適当にペース配分が出来るような気がしてやはりよい。 といっても、やはり何を頼んでも当然割高感はあるしチップも払わなければならないから、未だに誘われる以外に自ら日本食を食べに行ったことはないのだが。
日本食といえばシカゴ郊外にも数件あるのだが、赴任当初はどこに行ってもそのマズさに本当に驚いた。しかし半年も立つとどこで何を食べてもそこそこいけるようになってしまったが、やっぱり舌がおかしくなってきたのだろうか。
今、何が食べたいと言われれば、やっぱりうまいラーメンか。 寿司や新鮮な魚介類なんかも魅力だが、ラーメンの奥深さはなかなか簡単に真似できないだろう。 飲んだ後の一杯のラーメン。サラリーマンの小さな幸せかもしれない。こんなときにラーメン食ったら、明日胃がもたれるな、なんて後ろ髪ひかれながらも一杯やった仲間と無言ですするラーメン。ロスやニューヨークならば可能なんだろうけど、こちらでは無理だな。(こんな話をするとオハイオとかサウスカロライナとかの駐在員にいつも怒られるのだが)ああ、ほんまに食べたくなってきた。
今日は、朝からばたばたと打ち合わせやら事務処理やら。 来週もそろそろ出張で客先周りをしなくては、と思いながらも今朝からの大雪を見てしまうと二の足を踏んでしまう。 今日も朝から出張のはずだった同僚が事務所にいる。きくとフライトが雪でキャンセルで、客先への訪問やら日本からの来客との待ち合わせをどうするかとか、電話連絡をばたばたしていた。
といっても、朝、雪で真っ白な道路を、タイヤをギシギシ言わせながら車で走るのは、なんともいえずすがすがしい。 でも、道路は込んでくるし、やはり早く終わって欲しいこの季節。そろそろ下手なりにゴルフもしたくなってきたなあ。
2004年01月27日(火) |
遅ればせながら紅白歌合戦 |
夜にメラトニンを飲んだ為、ぐっすりと熟睡できた。 薬に頼るのは嫌いだが、ふと目を覚まして眠れない方が苦しいのでやむを得ず。(情けないですな)
昨夜7時からはゴールデングローブ賞の生中継。 渡辺謙の助演男優賞受賞を確認するつもりだったのだが、7時の中継開始早々ばたばたと発表が始まり、わずか5分で落選が決まりテレビを消すはめとなった。 THE LAST SAMURAI での彼の演技は素晴らしく、米国の評判も上々だったのでかなり期待していたのだが残念。
という事で突然する事もなくなったので、しょうがなく知り合いの知り合いから回ってきた紅白歌合戦のビデオをセットする。ちなみにこれまでは紅白などほとんど全く見た事もないし、何の興味もなかった。学生時代は、年末になって実家に来い、と言う親に向かって、つまらぬ紅白などを見なければならないので帰省したくない、と言ったほど。(←ひどい奴だ) こちらの時間で12月31日の昼には日本の紅白は終了しているから、「おおみそかの夜はオンタイムで紅白のビデオを!」と日本人相手の店がなんと15ドルで紅白をレンタルしていたが、あっというまに予約で一杯になったようだ。これも全く信じられなかった。
なんだか間抜けな松井の実家から始まった中継。 ところが、いやいや、最高に面白いではないか。最後まで一気に見てしまった。 あれだけの大物をそろえて、それも台本通りにテンポよく一発生本番。アメリカじゃ、逆立ちしても真似できないでしょう。すきでもなかった演歌もしみじみ聞くと味わい深い。
以下、勝手なコメント。 −女子アナのマイクの持ち方が気になった。あれはNHKならではなのか? −安室は全く冴えがない。お情けで出してもらったのか。休業の時にきっぱり引退しておけばもっといいイメージのままだったのに。 −伊東のソーラン節とやらは初めて聞いたが、元気があってよかった。 −SMAPは圧巻。すっかり貫禄もでてきた。あの直後に投票じゃシロの圧勝に決まっている。それにしてもあんなにいい歌詞だったとは知らなかった。 −モーニング娘の半分はもう分からなかった。加護ちゃんがえらい大きくなっていたな。 −長山洋子は三味線持ってかっこよかった。歌も抜群。アイドルやめてよかったよな。 −はなわとかいう若手がちょろちょろと目障りだった。 −阪神タイガースの優勝というのが、如何に昨年の日本で大きな出来事だったのかが良くわかった。でも日本一ってダイエーではなかったっけ? −松井の実家生中継も、雰囲気がこてこてでなんだか許せてしまった。 −平井賢と坂本九の歌は素晴らしかった。見事な企画。誰が考えたのだろうか。 −昔のヒット曲も多かったが、いいものはいい。これからも別に無理に新曲歌う必要ないのではないか。 −曲間の学芸会が少なかったが、これくらいで十分。
こんな事を家族であれやこれやと言いながら、紅白を見るのがどんなに楽しいものか、今更ながらよく分かった。 今年の年末は15ドル払っても必ず見たい、と思ってしまう。
年をとったという事か、海外に来て自分の中身が変わったという事か・・・.
昨日までの疲れでぐっすり睡眠。朝10時起床。 自宅で出張レポートを作成し、東京の朝一番に確認できるようメールで送っておく。うーん、便利なようである意味不便になったものだ。 出張には必ずパソコンを持参するタイプの人とそうでない人がいるが、自分の場合は完全に後者だな。携帯もなるべくなら持ちたくないと思う。これを仕事熱心ではないといわれればそれまでなんだが、出張まででて放っておいてくれよ、と勝手ながら思う。もちろん、海外駐在員としての安全確認を考えるなら話は別なんだが、出来れば毎日毎日追いかけられるような状況は自分で作りたくない。
今日のCHICAGO TRIBUNEのTRAVELページの特集は JAPANであり、興味深く読んだ。 いつだって、海外の日本紹介は日本人からみればおかしなものなんだけど、逆にいえばこんな見方をされているんだ、と新たな発見さえさせられる。
記者は、アメリカ人が感じるであろう日本への観光旅行を遠ざける原因、何でも価格が高いことと言葉の壁があるという2点に注目している。価格については、イタリアの観光地 BOLOGNAと京都、それぞれのホテルや食事を比較して‘決して日本は高くない’としている。 うーん、確かに京都もホテル過剰みたいなので最近は価格が下がっているのだろうか。ちなみに、具体例を出されたのは新都ホテルのダブルルーム($212.19)であったが、ここは学生時代に4年間バイトをしていたので思わず笑ってしまった。悪いホテルではないと思うけど、狭いしいわゆるツアー客ばかりで高級感のかけらも当時はなかったけど。対するイタリアのホテルはGRAND HOTEL BAGLIONI,BOLOGNAで$281.43。こちらはさっぱりイメージが沸かないけど名前だけではそこそこのホテルのイメージ、単純な比較をしていいのだろうか。
言葉の壁については、記者が浅草や歌舞伎座に行く際に道に迷った際のエピソードを紹介している。 道を尋ねると、ほとんどの日本人がおそらく英語を理解していないようだが笑顔で案内してくれた、確かに言葉の壁は多いが、日本人の親切心がそれを越える、気にすることない、としている。 まあ、われわれは基本的に困っているのをみれば無視することはしないし何とか手伝ってあげたい、と思うにしても、もしかしたら‘本当は忙しいし面倒くさいのだが、英語で断るのも何を言えばいいのか分からない。近いのでいっそ案内した方が楽だな’という気持ちも 道を聞かれた人はあったのかもしれない、と感じた。←勝手に判断するなよ!
そのほか、安いホテル、旅館、レストラン、ガイドの探し方なども載っており、全体的に「躊躇しないで日本にいってみようよ」、というメッセージが読み取れた。 ただ、出てくる写真がお寺と七五三の着物を着た親子、それとレストランの商品ケースにある食べ物の見本。ちなみにこの見本は焼肉屋のショーケースのようで、ハラミ1800円、カルビ1200円、キムチ500円とある。こんな少量の肉であまりに高いので驚いた。でも、日本にいるときの焼肉って1人5000円くらいしていたからな(食いすぎ)。
未だに、お前も日本に戻ったら着物を着るんだろ、なんていう質問を米人から受けることもあるのだが、やはりこういった日本特集でアメリカ人に与える印象は強いのだろう。といって、自分が日本特集を組むならば、やっぱり京都、そして渋谷の交差点、朝の東京駅丸の内口のサラリーマンの群れ、くらいの写真を載せるかな.
ホワイトソックスと高津投手が契約をした。 欲を言うならカブスに来て欲しかったけど、シカゴに来てくれただけでも本当にうれしい。
シカゴのニュースや新聞でも、高津投手が特集されている。 もちろん、地元シカゴ以外で活躍するイチローや野茂、松井以上の取り上げぶりだ。
CHICAGO TRIBUNEを見ると、高津投手がホワイトソックスを選んだのはもちろん抑え投手として期待されているというのもあるが、奥さんが2年間シカゴで留学していた事があるのもその理由とある。へえ、知らなかったな(知るわけないか)。 シアトルマリナーズの大魔神佐々木投手をセーブ記録で抜いた、日本一の抑え投手という反面、安打数と四死球をイニングで割った数字(こんな基準は日本にあったっけな?)をみると「並みの成績」とピシャリ。
繰り返されているのが、「日本にいれば倍以上の年俸が約束されていたのに、夢を追ってメジャーを選んだために75万ドルで契約した」とある。また、高津は仲のいいドジャースの石井、マリナーズの長谷川の活躍に影響された、とか野茂とは違ってとても明るい、なれない英語で記者会見までやって頑張っている、という記事まであった。シカゴ紙が独自の取材網なんて日本にあるのかどうか分からないが、日本の記事からの転用にしてもかなり細かい情報か。
最後に気になったのは、「日本人はカリフォルニアかニューヨークに住むものなのに、高津はシカゴを選んだだけでチャレンジだ」とあった。おいおい、われわれは一体どないなるんや.
2004年01月24日(土) |
フライトキャンセルされたその後 |
22日は終日インディアナの片田舎で商談。 昨日(23日金曜日)は商談を済ませた後、OMAHAからCHICAGOに最終便で戻る予定だったが、CHICAGOが雪で着陸待ちのフライトが既に順番待ちであふれている、ということで離陸してもどうなるかわからぬ、と搭乗させてもらえない。 どうせ夕刻のフライトは毎回必ず遅れるので、またかUNITED!しょうがないな、と思いながら日本からの来客とビールを飲みながら待っていると、なんとキャンセルになってしまった。 翌日早朝のフライトを調べると、なんと8席しか空きがない。われわれは5人。
日本からの取引先の人2名は、翌日12時のフライトで帰国予定。なんとしても朝一番のフライトに乗らねば戻れない。あわててカウンターを見ると、キャンセルされた人たちでうんざりするような長蛇の列。絶望的な瞬間だったが、同行したうちの米国人スタッフが、「俺に任せろ、お前たちはバーでビールでも飲んでいてくれ」という。 こちらもすっかり何もやる気も起きず、お言葉に甘えて(といっても正直、何も期待していなかったが)彼に全てを任してまた日本人だけでビールを飲んでいた。 なかなか戻らないので気の毒に思い、気になってカウンターで列を見回しても彼の姿はない。しばらく探すと、なんと控え室のような所からそのスタッフが出てきた。チケット5枚を手に満面の笑みで。 見事に明朝1番のチケットが取れていた。
一体何をやったんだ、と聞いてみると、「カウンターはキャンセルされた人たちが、みんな怒りをぶつける。航空会社の人たちも自分が悪いわけではないのに、文句ばかり言われて面白いはずはない。だから俺はたまたま歩いてたunitedの人に、笑顔でHOW ARE YOU?と話しかけたんだ。彼女はそれに答えてくれた。ちょっと立ち話をしてから、実は日本からお客が来てるんだがフライトがキャンセルになって困っているんだ、明朝の便に乗れないと日本に戻れないんだ、と言うと、じゃあこちらにいらっしゃいよ、と言われて裏口にいくと、そこですんなりと予約手続きをしてくれたんだ。彼女はジャクソンビルに3歳と5歳の孫がいて、好きな食べ物はなんとかで・・・」 見事なものである。 でも本当にこんな事が許されていいのだろうか、と思うよりも、無事にチケットが取れたうれしさから全てを受け入れる気になってしまった。 それにしてもアメリカでうまくやっていくにはかなり時間がかかりそうだなと感じた。 日本でやっても多分うまくいかないだろうが、一度同じ手を試してみようか。まあお高そうな日系航空勤務者からは全く相手にもされそうもないな。
ちなみに、フライトキャンセルになったのは初めてのこと。 天候不順は誰のせいでもないと分かっていながらも、ホテル代くらいどうにかして欲しいよな。今回は出張で会社のお金だからいいのだけども。
2004年01月22日(木) |
PICK UP CUSTOMER |
ヤクルトの高津投手がシカゴにきてくれるようです。 これまで日本人メジャーが不在だったので非常にうれしい!ホワイトソックスも日本で人気が出るのかな? いずれにせよ、注目が集まるでしょう。うれしいニュース、頑張ってほしい。
昨日は日本からの来客を空港ピックアップの後、商談、夕食。 来客をオヘア空港のゲートで待っていたのだが、このクソ寒い冬のシカゴにみんな一体何をしにくるのか、と思うほど次から次へと人がでてくる。中国系が目立ったように思ったが、やはり旧正月の影響なのか。
夕食で焼肉と食べた後、客先をホテルまで届けた際にロビーで夜11時までミーティング。 やはりシカゴと日本は遠いのか、メールのやり取りだけでは誤解ばかりだった面も、直接話す事でかなりお互いの理解が深まったと思う。やはり人間、FACE to FACで話をすることが大事だと感じた。
今日は朝10時から午後5時半まで取引先訪問。 色々頭の痛い話ばかりだったが、もつれた糸を出来る事から少しずつゆるめていく。久し振りにこういった面談に出るとどっと疲れがでる。 こんなに長々と会議室にこもるのは、やはり日系企業特有なんだろうな。 短時間ではっきりさせるために結論決めてズバっといかないと。←ひとごと。
明日は朝からインディアナポリスに出張でそのままOMAHAに飛ぶ。ハードだが内容の濃い出張になりそうだ。
2004年01月21日(水) |
CREDIT HISTORY / X`MAS CARD |
朝6時半に東京本社からの電話で目が覚める。 いやな目覚めだが一気に眠気がふっとぶ。いい話なら大歓迎だが、東京本社から自宅にかかってくる電話は、100%よくない話だ。まあ当然か。先方も、早朝自宅に電話をかける事で気を使うのだろうが、それなりにこちらに伝えねばならぬという考えのもとでの事であろう。 内容が厳しいものですっかり頭が仕事モードに切り替わってしまった為、朝食が全く食べられなかった。←弱いな。
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日本のニュースをネットで見ると、お年玉つき年賀はがきの当選発表がされたようだ。 もっとも、こちらは年賀状などというものはない訳で、昨年は初めての海外生活となりどうしようかと思っていたが、毎年年賀状のやりとりをしている人に対してはクリスマスカードを送った。 さて、何通くらい返事がくるものか密かに楽しみにしていたのだが、なんと半分どころか20−30%くらいしか返事はもらえなかった。返事をもらった人を見ると、海外生活体験者とか貿易関係の仕事をしているとか、いわゆる海外へ手紙を送り慣れている人ばかり。おそらくたいていの人は、クリスマスカードなんてもらっても返事をどうしていいか分からないし、海外へ送るには年賀状にも切手を追加せなばならないだろうし、まあ面倒臭かったのだろう。
こちらも返事を期待してクリスマスカードを出したわけではないので、まあしょうがない、といった感想しかないが、長年の友人から何も来ないと多少はさびしいものである。まあこんな世の中でメールで気軽に連絡を取ってはいるのだけど、こんなものに多少でもこだわる面が自分にあったとは驚いた。 オヤジ化してきたのか、こてこての日本人ということなのか。
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先日、新規クレジットカードを申し込みした際に、クレジットヒストリーが不十分で結局カードの発行は認められなかった。その際に、自分のクレジットヒストリーを知りたい場合の連絡先があったので、当時の日記を読んで頂いた方の親切なアドバイスのメールを頂いた事もあって、内容報告の送付を依頼したいた。先般、その報告書が届いた。
見ると、ガス会社から電話会社から銀行から、昨年のある時点での全ての取引先からの請求金額とそれについて支払いを滞ることなくされたか、という報告がされている。幸い、どの項目も、NEVER LATE とあるので問題ないはずなのだが、じゃあ一体何で断られたのだろうか。申し込みカードのCREDIT LIMITが多すぎたのだろうか。駄目もとでもう一度違う会社に当ってみようと思う。
報告書には、あなたのレポートはいついつに以下のこんな会社にも発行されています、なんて書いて会社名が羅列してあるが、こんなのは依頼受けたら簡単に発行してしまうんだろうか。 国民背番号ともいうべきSOCIAL SECURITY NUMBER 1つで、その人がいつどこで何を買ったかまで全て分かってしまう。理屈では分かっていたが、こう目の前にいろんな情報を並べた報告書が来ると、別に悪いことはしていないのだが、何か恐ろしくもある。アメリカに住み始めてわずか1年も立っていない人間に対して、これだけの情報を集めているとは、ある意味で恐れ入った。
日本も似たようなシステムがあると某カード会社の友人が言っていたが、発行を求めたら本人に開示するといった点で、アメリカの方が進んでいるのだろうか。別にこんな情報要らないし、お金はきっちり払うからカード1枚作ってよ、と思うのだが、他民族国家のアメリカではそうもいかないのだろうか。
夕方から客先のピックアップと会食。今週も忙しくなりそうだ.
2004年01月20日(火) |
PUBLIC UTILITY |
10時間睡眠で9時起床、快適な祝日の目覚め。 さて、今日はなにをするかな、と考えつつのんびり自宅のパソコンでメールチェックすると、東京本社から自宅アドレスにメールが入っている。そういえば、万が一の為に教えておいてあったっけ。実際に自宅アドレスで仕事メールを受け取るのも初めての事なのだが、こんなとき、メールを開く前からほぼ100%悪い話であることは容易に想像がつく。案の定、のどかな祝日の朝がふっとぶような内容であり、メールの最後は あとはそちらにお任せします、と締められた。 なんともぶつけようのない苛立ちと怒りで一杯になってしまった。 こんな内容のメールを送りっぱなしにするなよな、いったいどういうつもりや!と電話で真意を確認したかったが、東京は夜中の12時。メール見なけりゃよかったとも思ったがどうしようもない。うーん、内容からすれば明朝1番で動かねばならない。
迷ったあげく家で悶々としてても埒が明かないので、とりあえずジムに行って頭を冷やすことにする。 マシンに身を任せのんびりと歩きながら、冷静に考える。 仕事のメール1通でこれだけ怒れるという事は、逆に自分はひょっとしてこの仕事が本当に好きなのではないか? 自分に合っているという事ではないか? いやいや、単に客先に対して悪い話をしたくないだけのかっこつけという事だろうか? 商社という仕事の曖昧さがいけないんだ、交渉すれば何とかなるケースとなんともならないケースもある、ついつい他人任せで 本社の交渉が足りない、と思ってしまう事に原因があるんだな。とはいえ事実として交渉不足の時もあるからなんともいえない、何をどうすればよいのか結論はでない。 結局、最後には 「今までだってそうだったように、まあなるようになるだろう。誰かを責めても始まらないな」と無理に思い込む。日本であれば、電話一本で情報を取りまくり解決策に少しでも向かう事が出来るのだが、海外駐在員はそうもいかない。時期が来るときまでじっと自分の中で問題を抱えておかねばならない。
という訳で、やっぱり休日出勤。 いろんな雑務を整理している内にだいぶ気分が楽になった。 誰かに言われた事があるのだが、やるべき仕事が多くて混沌としているときには、一番簡単な問題から処理していけ、と。そのうちに頭もすっきりしてきて大きな問題も捉え方が変わってくる、という事だが、まさにそのとおりだと感じる。たまには誰もいない事務所で淡々と仕事をするのもはかどるものだ。
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電話会社のSBCとの問題がようやく解決した。 全く頼んだ覚えのない、SBC YAHOO! とやらのプロバイダー料金が長々と毎月徴収されてきた。毎月10ドル程度とはいえ、電話料金が月に10ドルくらいなので、請求書の半額はこの覚えのない料金だ。電話でもメールでも何十回となく、外すように指摘、1回外れて喜んだらなぜかまた翌月よりチャージされてきた。電話では、分かった分かった、すぐ手続きしますといつもオペレーターが言うが、全く直る気配がないので、先月のチェックを送る際に、身に覚えのない数か月分のチャージは絶対に払うつもりがない、ときっぱり明記したレターをつけたのが効を奏したのか、この数ヶ月分チャージを差っ引いた新規の請求書が届いた。 一度アメリカ人スタッフに「日本人だからって馬鹿にしてるんじゃないか」と文句を言ったら、「俺だって引越しして3週間も電話回線を繋いでもらえなかった。アメリカ人だってうまくいかないんだから気にするな」と笑われた。やはり1社独占で競争もなし、アメリカでもSBCのはサービスの悪さが問題になっているとの事。 やれやれ、とにかくこれ以上トラブルはごめんだ。
そういえば、入居してからガスや水道は請求が来るのに、電気料金だけは数ヶ月こなかった。 「電気料金滞納」としてこんな冬場に突然電気止められても困るので、気になって電話をした所、何と登録がされていなかったらしい。なら何で電気が通ってるんや!と突っ込みもしたくなったが、「ともかく請求書を出してくれ、支払いはすぐにする」と善良な消費者ずらしていうと、じゃあ本日入居扱いで登録します、なんて言う。 まあ単純に4ヶ月くらいの料金は得するので、おっしゃられる通りに従いました(当然)。 こういうのは本当にいい加減だよな。
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さて、明日から日本より来客で週末まで付きっきりでアテンド。 東海岸には寒波がおしよせてきていたようで、飛行機などが止まらぬよう祈るのみ.
2004年01月19日(月) |
THE SOONG SISTERS |
昨日のんびりしたからか、9時にすっきり起床出来た。 昨日鍛えた胸筋の筋肉痛が心地いい。外は本当に久しぶりに晴れているが気温は11度F(マイナス11.6度C)で ピリッとした寒さ。オイル交換の後、今日もジムでのんびりと筋トレ。
午後は買い物へ。 衣服は一部ブランドを除けば、確実に日本のほうが割安感がある。10年前は確実になんでもアメリカのほうが日本で買うより安かったと聞いたが、デフレがやまない日本の物価がいかに下がったかという事か。現在アメリカで売っているほとんどがアジア製品であるというのも大きな理由か。
HUGO BOSSのワイシャツを50ドルで購入。日本では1万2千円くらいしていたから、これはお得。ただし、サイズが合うのかどうかがよく分からない。店員に聞くと、お前の腕が長すぎるからは合うサイズはない、などど言われたが、どうみてもワイシャツのサイズ表記を見ると問題ない。赴任当初だったら、こういった店員の言葉に素直に耳を傾け購入は躊躇してたんだろうが、今は違う。自分を信じて自分の判断が必要という意味が痛いほど分かっている。勉強と思って1つだけ購入。 といいながら、帰宅後 やっぱり腕が短いやんけ、とがっくりくるのが嫌で試着はまだ。
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昨晩はDVD 「THE SOONG SISTERS(宋家の3姉妹)」鑑賞。
昔から気になってた映画で、アマゾンでも在庫がなくなったままだったのを何とか探して入手した。
今世紀初頭の中国。裕福な宣教師 宋家で生まれ育った3人の姉妹が、アメリカで学んだ後、ひとりは革命家・孫文の妻となり、ひとりは孔子の末裔である大富豪の妻となり、ひとりは青年将校・蒋介石の妻となる。それぞれ別々の道を歩み、時に反発し、時にかばい合う姉妹の姿を通し、激動の中国近代史を描いた歴史大作。それぞれのまっすぐな生き方と、姉妹の絆が印象的であった。恥ずかしながら、この時代の中国の歴史がそれほど詳しくなかったが、しっかり勉強してもう一度見てみよう、という気にさせる映画。
当然 会話は中国語で字幕は英語なのだが、やはりアジア人だからか、これまでアメリカに来てから何十本となくこちらの映画を観たが、そのどれよりも胸に訴えるものがあった。現実にこんな3姉妹が実在したとは、中国という国の歴史と大きさを感じざるをえない。 3姉妹に焦点が当たったため、当然ながら旦那へのスポットライトがそれほど多くないが、もっともっと奥深く観てみたいと思わせる内容。
映画の中心は2女、3女であるが、やはり主人公が多いのと、蒋介石、孫文まで盛り込まねばならず少し慌しかったのは残念。調べると日本企業も出資した映画という。デザイナーも日本人で、音楽は喜多郎。そのためか中国侵略した日本軍もそれほど悪い描写もなかったような気がした。3姉妹の演技も素晴らしく、本当によく出来た映画と思ったが、こちらで在庫もないままという事は、中国の歴史を描いた映画はアメリカ受けはしないのだろうか?
2004年01月18日(日) |
KAFKA ON THE SHORE |
予定通り今朝は11時に起床。どうせ外はいつものように灰色だし、特に予定もなかったのでもっと寝てもよかったのだが、夜になって「なんと無駄な1日か」と後悔するのも嫌なので起きる。
昼からは久しぶりにスポーツジム、LIFETIME へ向かう。 日本でもジムには通っていたが、当たり前だが規模が全く違う。はじめてみたときはその駐車場と建物の大きさから、冗談抜きでどこかのショッピングモールかと思った。ここで、いわゆる有酸素のマシーンが400台ほどあるのだが、前方の大画面(10画面くらい。MTVとかスポーツチャンネルとかが常時放映)を見ながら、ウォーキング。15分かけて1マイルをゆっくりと走る、いや歩くか。 たまたま昨日、同じく昨年赴任したロスの駐在員と話したが、お互いアメリカに来て全く歩く事がなくなった事に対する不安をもっていた。赴任して8-9ヶ月で歩いた距離は、東京時代の1週間分に相当するかどうか、とも言っており、これはおおげさにしても、間違いなくAMERICAでの歩行距離はほとんどない。 朝は自宅ガレージからそのまま会社のガレージへ。昼飯も店のまん前のガレージへ。 まあ国土が広くて車社会、どこでも駐車場は余るほどあって、当初はなんて便利だろう、と思ったものだが、こうも歩かないと知らぬ間に足の筋肉が退化しているんじゃないかと不安になる。(実際にかなり衰えているはず) という訳で、無理に歩く機会を見つけねばならないのも、不思議なものだ。たかだか1マイルだけで早くも疲れてしまうが、久しぶりにうっすら汗もかき、身体が甦ってくる気がした。 それにしても、ダンベルコーナーで鏡の前で自分の肉体美にうっとりする輩は、日本もアメリカも変わらないな。
その後は、ASIAN NUDOLE というベトナム麺の店でフォーを食べる。 従業員もてきぱきとしており気持ちがいい。うちの会社の米人スタッフのおばさまが、アジア系の店はゆっくりできないから嫌いだ、と言ってたが、たかだか麺を食べるのに、40分も50分もかけてるのがおかしいんちゃうか、と思う。概して、アジア系の店は回転も早いように感じて、われわれ日本人も居心地がよい気がする。
「海辺のカフカ(上.下)」(村上春樹著)読了。 日本人向け本屋では下刊しか見当たらず、またえらく高いので、岐阜の田舎の両親に頼んで送ってもらった。ちなみに、両親は御丁寧に実家に残していった村上春樹の小説を数冊一緒に送ってくれたが、なんと発送料が1万円近くもしていた。こんなにかかるんだったらこちらで注文して買った方がよかったかな。悪いことをしてしまった。後で聞くと、両親が住むのは小さな田舎町なので、ダンボールでアメリカまで荷物を送るというだけで、応対した郵便局員もあわてふためき大騒ぎだったようだ。(これも親孝行と勝手ながら思い込む)
村上春樹は、学生のころはさっぱり理解できなかったが、働き出して自分も多少は成長したのかよく分かるようになってきた。何度も読み返して新たな発見が出来るところが気に入っている。 内容は、15歳の家出少年の物語だが、全体を通して「一旦起こってしまった事は元にもどらない。昔を懐かしがったり自分に同情するよりも、新しい世界と向き合ってそこで頑張るしかない」というようなメッセージを感じた。まさに自分のおかれた立場にもあてはまり、共感を得た。 状況は違うが、自分も希望かどうかは別にしてともかく会社の命令で米国駐在となった。 当然だがはじめての異国で、商売から生活からうまくいかないことばかりだ。赴任後数ヶ月は、過去の自分から断ち切ることが出来ずに、自分は日本ではこうだったのに、とか、相手が悪いのだ、とか、何でこんなところで働かねばならないのだろう、と思い込んでしまう事が多かった。でもこれじゃ駄目なんだよな。 もう自分は別の世界に足を踏み入れてしまったのだから、ともかくそこで頑張ろう、改めてそのような気持ちにさせてくれた。
米国に来てから、なかなか手に入らない日本の本が読みたくて読みたくてしょうがない。なんで日本にいるときにはこんな気持ちにならなかったのだろうか。
今日はせっかく上司もおらず、3連休前の金曜日でのんびりするかと思いきや、まれにみる忙しさだった。このクソ寒い中にも関わらず来週日本からの来客があり、その資料作成等準備をしているとあっという間に時間が過ぎる。こういう時に限って、いろんな話が次から次へと飛び込んできてその対応に右往左往であった。 こう忙しくなると不思議なもので、髪をきらなきゃとか歯医者にも行きたい、車のオイル交換に、バーゲンも覗きたい、DVDもたまってるな、とあれこれやりたいものがでてくる。たいしてする事もないときには、何も出てこないのだが。
そういえば19日は休みと聞いたが、なんの日だったのか。 調べると、Martin Luther King Jr. DAY とある。取引先は休暇じゃない、やっていると言っていたが、こちらの祝日は一斉に休みにならないのでどうもはっきりしないな。 いずれにせよ、こちらもちょっと会社でないと回らないかもしれないな。
年明けから体調がどうもしっくりこない。こんなのは初めてだ。 土日は嫌になるほど睡眠をとって来週に備えるしかない。
2004年01月16日(金) |
QUESTION FROM LOCAL STAFF |
昨晩はデトロイトまで車で移動。ちょうどミシガンに入ったあたりか、突如雪が激しくなりハイウェイは雪まみれになってしまった。除雪車も間に合わないのか、どんどん雪が積もってくる。おりしも既に4時間くらい運転しており、あたりも真っ暗、ほとんど道がどこかも分からぬ中、集中力を振り絞って運転した。こうなるんならば、先ほどの休憩の時に同行の米人スタッフと運転変わっておくんだったな、と後悔したが時既に遅し。制御がきかなかったのか側道に突っ込んでいた車も散見された。「俺はこんな雪道を運転した事などないぞ、初体験だ」と言ったら途端に米人があわて、「Take it easy! Take it wasy!」と繰り返す。何とかホテルにたどり着いた時はこちらもへとへとだった。 このあたりは、寒いなりの対策が万全で大雪が降っても除雪車がさっと現れて、まあ大体の道路の運転は問題ないとされるが、よく降り始めは注意しろと言われたがまさにそれを体験したという事になる。とにかく何事もなく一安心。
今朝方 無事に商談を終えて、再び5時間かけてシカゴに戻る。
アメリカで仕事すれば英語が出来るようになるといわれており自分もそう信じていたが、実際の世の中はE-MAIL世界であり、仕事で英会話の機会は思ったほどない。スタッフとの雑談が良い機会なのだが、こういった車中はまさに絶好の機会。このスタッフとの外出もこれが数回目でお互いだいぶ慣れてきたのか、色々質問を受けた。
「日本人は電話で もしもし、というが、目の前では もしもし、と言わない。何故だ?」 (そりゃ、英語はどちらもHELLO!を使うだろうが、何故だと言われてもな) 「日本人は目上の人ほどお辞儀の角度が深いと聞いたが、何故だ」 (別に意識してないけど、そういわれればそうなってるのかな?) 「日本は単一国民と聞いたが、イタリアンレストランもあるのか?何故だ?」 (そんなもん何故だって言われてもな。。)
こてこてのアメリカ人にとっては、やはり日本は不思議な国なようだ。こちらもこう改めて質問されるとうまく答えようがない。 このスタッフはこちらがうまく応えられないのを見て、いつものように 英語がうまくないからしゃあないか、と言った表情をするのだが、語学力の問題じゃないんだよな。 我ながら情けなかった。
一般的に、米人スタッフは我々日本人駐在員を、あまり快く思っていないものがあるという。 自分達より待遇もいい、給料も高いだろうし、日本語で話されるとはさっぱり分からないし、数年間したら日本に戻ってしまう、愛想笑いも米人を馬鹿にしているように見えるという。もちろん今の所はそんなことは直接聞いたことがないし、みんながそんな事を思っているとは考えられない。 ただ、こちらもそれなりの覚悟で異文化に飛び込んでおり、決して見下すことをせずに一緒になって頑張っていきたいという気持ちでやっている。こんな気持ちをダイレクトにはうまくいえないが、こうした会話の中でわかってもらえればな、と勝手ながら感じた。(言うべき事ははっきりいわなくちゃいけないのだが)
日々是学習、色々な経験が出来るのを幸せに感じねばならない。
どうも食欲が沸かない。 毎日外に出る事もほとんどない生活を3ヶ月。朝から晩までどんよりとした空。午後4時には真っ暗。 客先はどこも飛行機に乗らねばならぬほど遠く、そんなにしょっちゅう外出出来る訳ではない。じーっと事務所で画面に向かっているのも、変な疲れがでてくるようだ。 これまでの人生ではじめての生活サイクルに身体が変調を訴えているのか。 慣れるしかないな。
今日は夕方からデトロイトまで5時間のドライブ。明朝の商談に備えて前泊。 考えてみれば、東京−大阪間の距離を車で向かい、商談後日帰りで戻る事もある。何もない田舎道を爆走するのも最初は新鮮だったが、ちょっと飽きてきたか。特に冬場は天気も悪いし気が向かない。
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どうやらアメリカ、特にメジャーリーグというものをまだまだ理解していなかったようである。 昨日クレメンスへの期待を記したが、地元ニューヨーク紙の見出しはそれどころではないようだ。「裏切り者」「詐欺師」「恥知らず」…。米ニューヨーク・ポスト紙は、ヤンキースで引退を表明しながらアストロズと契約したロジャー・クレメンス投手を、痛烈に批判した。 復帰そのものを責める事は出来ないにしても、ファンはとても納得いかないのだろう。
日本でも工藤投手がFAで巨人に移った際も、ルールに乗っ取って行われた移籍にも関わらず非難の声があがった。中村ノリが近鉄に残ったときも、有力候補だった阪神のファンから非難を受けたという。ファンは理屈じゃないんだな。理屈じゃないのがファンなのか。
ここまで1選手に一喜一憂できる事はうらやましいものだ。 村上某の小説で「中日が勝ったって負けたって、俺の何が変わるんだ。何も俺は変わらないじゃないか」というような一文があったが、そんな理屈じゃ片つけられない所に熱狂的ファンは存在して、そのファンに支えられてプロスポーツが存在するんだな。 クレメンスが、こんな批判は屁とも思わず大活躍する事を期待したい。
2004年01月14日(水) |
ROGER CLEMENS |
昨夜は睡眠中に目がさめ、あれこれ考えていると頭がさえて全く眠れなくなってしまった。 眠れそうかなと思ったら既に朝になっており、どうもすっきりしない。こんな事を繰り返しているから、週末にまとまった睡眠が必要になるんだろうか。
商売はパッとしないのに、仕事以外にやたらとやるべき事は多い。 今日も業界コンペで8月のゴルフ場予約をしたが、対応にでた姉さんと、そんな先の予約は分からない、いいから押さえてくれ、もっと遅い時間ならいい、と無意味なやりとりをしている内にあっという間に時間が過ぎた。といっても、メールやFAXだと絶対に返事をくれないしな。
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ヤンキースのロジャークレメンスが引退を撤回してヒューストンアストロズと契約をした。 一旦 引退を表明して、最後の先発とされたワールドシリーズ4戦目の降板時には、全観客そして相手チームからも拍手で称えられただけに、本当に引退を撤回するとは思っていなかった。もちろん、全ては自分で決める権利があるし、ファンとしてはうれしいものがあるが、一旦引退と決めて気持ちが途切れることはないんだろうか。 立場は天と地ほど違うのは百も承知だが、サラリーマンが転勤の辞令など受け取ると気持ちが完全に切れてしまうのだが。(だから全く話が別だって) 米国代表としてオリンピックで投げる為に、一時は日本球界移籍への噂で持ちきりだったが、米国代表がまさかの予選落ち。これもメジャー復帰の理由のひとつなのだという。 もっとも、昨年17勝9敗。まだまだ引退するには早すぎる。
日本だと、議論がわかれて新聞によっては、「引退撤回を考える」とかいうミニコラムまででそうなものだが、当地新聞の見出しは「NEVER MIND!」の一言。これが全てです。
昨日はシカゴ日本商工会が開催する新年会。 日曜なのにスーツを着て来いと言われて、面倒臭いなと思ったが、ゲストが綾小路きみまろというので参加してみた。 きみまろ、と言っても当方赴任前後にパクリ川柳だとかで、その名前を耳にした事があるだけで、テレビでもみた事ないし、米国に来てからはもちろん知る由もない。年末は紅白に出たとか聞いたので、日本ではかなりの人気となっているのだろうか。 会場に行くと何と参加者900人。シカゴにこんなに日本人がいたんだと驚いた。きみまろも目的なのだろうが、大福引大会を楽しみにしている人も多い。
食事の後は、おまちかねのきみまろ氏が登場。いやあ、笑った笑った。テンポよく毒舌が繰り出され、大多数の聴衆にも関わらずがっちりと心を捉えてうまくリードしていた。このきみまろ氏、わずか3年前に演歌司会者から漫談家に転向したようだが、御本人の人柄なのか皮肉、毒舌も全く嫌味なく、明るく笑わせることのできる話術をもたれていた。いやあ、さすがプロ。1時間も自分の身一つで、しかも客はお堅い勤め人ばかりで、あそこまで客を惹きつけられる技術は素晴らしいと感動した。十分お金を取れる。 本人は、芸能界は一寸先は闇、私も今の人気なんて続きません、なんて言ってたけど、たとえテレビでなくても公演などでかなり引っ張りだこになるのでは、と思う。 個人的には、たけしの毒舌がNo.1と信じて疑わなかったが、別にNo.1 も No.2も関係ないや、と思ってしまった。 いつの日か、こちらのTVでやっているアメリカンジョークも、こんな風に自分の中にうまく入ってきて心から笑える日がくればいいのだが。(無理だって)
公演の後は、大福引大会。 協賛企業が寄付金や商品を出すのでかなりのボリュームになる。目玉は航空会社4社それぞれから出される、シカゴ-日本のビジネスクラス往復(ペア)。気球無料体験とか、ホームシアターセットとかもある。全部で60数種類あるのだが、金額順に上から10番目までは、壇上できみまろ氏が抽選にあたって盛り上げる。たまたま、一緒に行った同僚の奥さんが抽選に当たって壇上に上り、きみまろと握手してインタビューされていた。残念ながら、というかもちろん当方の抽選番号は日の目をみる事無かったが、まだまだ1年は長いので、これぐらいのことで運を使わなくてよかったと思い込む。強引に思い込む。(実は期待で一杯だったが。。。)
1月12日、日本は成人の日で休暇。よって今日の出社は特にメールも多くなく平穏無事であった。 ただ、ちょっと全体的に環境が悪くなってきており、商売はしばらく苦戦が続きそうだな。これから予算のシーズンで頭が痛い。
2004年01月12日(月) |
DIFFICULTY |
昨晩は、去年たまたまゴルフ場で知り合った知人と韓国料理で焼肉。 氏は37歳くらいで駐在3年を迎えようとしている。普通はゴルフ場で知り合ったとはいえ、後日食事までするような関係にはならないのだろうが、不思議と気が合うような気がして連絡を続けており、今回がはじめての食事で久しぶりの再開となったもの。シカゴの生活情報から語学学校、仕事のこと、アメリカそのものについていろいろ語った。 お互いせっかく駐在しており、駐在前には夢があったが現実に来てみると、足元の生活に必死でなかなか理想の自分になりきれないもどかしさをもっている。特に、氏は技術者でありやはり日本のきめ細かな技術力はアメリカは勝てない、という感を抱いているが、会社のアメリカ人スタッフは、100%アメリカがNO.1と強く強く信じており、そのあたりの戸惑いがあるようだ。まあ、これは技術に限らないのだが。アメリカ人に日本の総理大臣をしっているか、と聞いて答えが返ってきた経験は未だにない。
ともにアメリカ生活で納得できない事が特にお金のやりとりで多い、という点で意見が一致。銀行やカード会社でさえ、問い合わせに答えてくれない、放ったらかしにされてしまう事に、苛立ちを感じてしまう。 2人とも留学経験もなくいきなり駐在となったため、逆にアメリカ生活の素晴らしさと華々しさに夢ばかりを描いただけに、現実生活とのギャップを痛感しているといったところだろうか。所詮、世の中はないものねだりの比較社会。 こんな文句言いながら、結局日本に戻ったらあのころはよかった、なんて話するんだろうな、とお互い笑ってしまった。
自分と同じように苦労して、悩んでいる人、それでも頑張っているというのを認識すると非常に刺激になる。 駐在すると、奥さん連中はそれこそ趣味を通じて友達の輪が広がるが、男性はなかなか会社以外の付き合いを広げるのが難しいようである。そんなに日本人世界を広げようとは思わないが、職場以外にこういった場がもてるのはうれしいことと感じた。
久しぶりにビールをたっぷりとトニックを2杯だけ飲んだが、朝は軽い2日酔いでまたもや起きられなかった。酒はどんどん弱くなってきたのは確実だ。日本の接待漬けの生活にはもうとっくに戻れない身体になってしまったかな。
午前中は、オイル交換の為に Fire Stone に出向いて車を預ける。オイル交換だけならば、まさにドライブスルーのようにお手軽な店があり、わずか10分程度で交換してくれ早くていいのだが、どうも仕事振りが不安で あり、出来ればもっとじっくり扱ってもらえる店に行くようにしている。 その後、久しぶりにLIFE TIMEというスポーツジムに行く。 雪が目立つようになってからは、もうすっかり歩くこともなくなってきており、それが原因なのか明らかに体力の落ち込みを実感する。これが年齢によるものか、先日の風邪によるものなのか、初めての異国生活のストレスによるものなのかは分からないが、いずれにせよ体力の落ち込みを感じるのはあまり気分のいいものではないな。
久しぶりに動いたからか、午後2時過ぎから6時前までぐっすりと眠ってしまった。 自分の場合、平日は仕事のことを考えてしまい睡眠不足になり勝ち。とはいっても、仮眠程度と思ってこんなに眠ってしまうとさすがにある種の罪悪感と不安を感じる。 年を取ると眠れなくなるというが、実際には年々睡眠が増えているのは明らかであり、特にアメリカに来てからは顕著になった。
まだ冬のシカゴの過ごし方がしっくりこない。 あと3ヶ月は我慢しかないか。
2004年01月10日(土) |
UNABLE TO APPROVE YOUR REQUEST.... |
今日は現地スタッフのおばさまと外出。彼女はもう20数年のベテランで、年齢55位か。うちのシカゴ事務所のことは何でも知っている。まああまり仕事熱心でもないのだが、いわゆる日本人英語も良く理解してくれるし英語もゆっくりでわかりやすいので、こちらもドライバーに使われている事は分かりながらも、自身がいい英会話の勉強になっており一緒にいるのは嫌ではない。立派な胴回りをされておられるようで、シートベルトが足りなく最後は上着を脱いで強引に詰め込んだ。 (遠慮がちでしたが手伝いました) アメリカでは必需品のマップクエストというサイトから引っ張り出した地図を片手に、客先訪問。日本で持っていたカーナビの事を説明したら驚いていた。まあこんなに国土が広いと、カーナビなんてのも作るのが難しいんだろうなあ。それでなくとも、道が単純だから必要ないといえばないか。
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戻ってから遅めのランチで、1人のこのこと近所のマックに行く。ここはいつも日本のカウンター前のようにきちんと列がなっていなく、なんとなく人だかりがある感じで、これまたなんとなく次は自分だとか判断しなくちゃならない。今回も、自分の前に店に入った学生風の男がいたのでその次だな、と思っていた。その男が注文を始めた時に、いきなり横のおばさんが「あんた 何やってるの。あの男が先に注文始めてるわよ、何で文句言わないの!あんたが先なのに」とえらい剣幕でまくしたてた。「俺は彼の後だから問題ないよ」と返したら、えらいふてくされてたけど、何でこんな事をわざわざ言われなければならんのだろうか。こういったおせっかいというか親切な人がシカゴ北西部には多いのも事実。 ちなみに この女性は、デザートでソフトクリームを頼んでいた。
それにしても、平穏無事にハンバーガーを食べる事に何故こんなに困難を感じるんだろうか。。。 ワハハ!
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先日、見知らぬ住所から封書が届いた。 読むとクレジットカードの応募有難うございます、とある。そういえば、もう米国半年以上経つしクレジットヒストリーもそろそろ出来ただろう、と思ってクレジットカードの申請をしていたんだった。 読み進めると、審査が下りないのでカード発行が出来ない、という結論。御丁寧に、調査会社によればあなたは最近ローンをたくさん組んでいる、それが理由です。と明記されている。 一体いつどこで誰がローンなんか組んだんだ!ローン組めるくらいなら、最初からカードとっくに作ってるだろ、と事実無根の理由に腹が立った。問い合わせの電話番号まであったので、よっぽど電話をしようと思ったが、またいつものようにコンピューター音声のたらい回しで結論でず、時間の無駄だろうと思い、やめてしまった。これまた情けないが、自分では2度とここは使わないと決めただけ。 ある意味ではしっかり理由つきの文書でお断りが来るんだから丁寧と言えなくはないけども。。果たして文句言ったら訂正してくれるんだろうか?興味あるので一回言ってみよう。
何か今週は疲れた一週間だった。 毎日空も鉛色で雪が降っているし、商売も低調。 新年会もなく 最近全く飲みに行っていないが、こんな酒のない日々は初めてだ。
ニュースで見たが、$162 Mil (170億円相当)のロトくじ当選がでた。手取りでもなんと$67.2Milに相当するという。
これだけでも驚いたが、当選した女性に対して、「当選くじはもともと私が買ったが落としてしまった。買った私に当選金を受け取る権利がある」と告発に動いた女性が出てきた。新聞でもテレビでも、どちらが真実かと報道されていたが、訴えた女性は本日になってあっさりと、「嘘をついていました」と告訴取り下げ。騒動は幕を下ろした。
既に当選女性が、同じ店で当選くじと同じ時間帯に販売された一連のくじも保持していることから、もう誰が見ても白黒は明らかだったが、これだけの金額がからむと一発勝負に出てみようと思ったんだろうか。どちらも黒人女性でテレビに出てきてたが、その表情だけでもどちらが嘘をついてるか分かってしまった。最長6ヶ月の刑務所暮らしをかけての決心だったが、やはりストーリーに無理がありすぎるよな。まさに一角千金が身の回りにある国ならではなのか。 日本は宝くじ、誰が当たったかもいつ換金されてるのかも全く見えないから、こんな事はありえないけど、同じ様な境遇の普通の女性がこれだけの金額を手にして、何で私にはないのか、とでも思ったのだろうか。 いずれにしてもこんな金額は現実味がないし、もし自分が当選したらなんて考えた事もないなあ。
ましてやこのLotteryとやら、抽選が毎日夜9時のニュースの終わりにやるんだが、何がなんだかさっぱり仕組みが分からない。小市民には縁のなさそうな話ということか。
昨日の薬の効果か本調子とまでいえないが急回復した。医者が、「この薬は効きますから」と力説してたがこんなに効果あるとはなあ。やはり米国は日本のものよりも成分が強いんだろうか。
すっきりした気分で出社してメールチェック。案の定、休暇前に色々頼んでいた回答が来てないなぁ。参った。 特に中国からはメールさえない。彼等はまだ休暇中なのか? この数年、更なるコストダウンを強いられた米国企業は中国との取引を模索している。確かに中国の価格は驚くべきなのだが、世間で言われる様になかなか実際の取引、とくに新規は難しい。実際に、赴任した直後にある客先に中国からの輸入を提案して価格までOKをもらったが、いざサンプルを要求するとうんともすんとも言ってこない。すったもんだしたあげく分かったのが、その会社は全く基準どおりのものを輸出出来る体制になってなかった。後日分かったのはその会社は価格を出した製品の生産そのものさえ行っていなかったという状況であった。まあ貿易のプロとしては詰めが甘かったと言ってしまえばそれまでですが。。。 まあこんなのは例外中の例外と信じたいですが、その会社も何で価格まで出したんだろうか。その意味が全く理解出来ない。。
午後からはネクタイしめて値上げ交渉に赴く。 こんなときになんでも矢面にたつのが商社。日本からは簡単にこれからはこの値段で売ってくれ、とサラリトした連絡が来るのだが、やはり余計な金を払う客にとっては全く面白くない。「何しに来た!こんな価格表はいらん」の冷たい対応にもすっかり慣れてしまったのが怖い。そのまま受注が減ってよければ全然問題ないのだが、これをやりながら受注量を増やさねばならない。 営業だから数字が命です。トホホ。
帰社するとまた事務所室内が肌寒い。 スタッフにポーランド系とドイツ系の驚くほど体格の見事なおばさまが、外は氷点下にも関わらず 「うーん、この部屋は暑い」と直ぐに温度を下げる。彼女等もTシャツいっちょというのも驚きだが。アジア系スタッフと日本人は上着を着ても寒い寒いと連発するが、なかなか大ベテランに寒いんだから温度上げろ、と文句もいえないのは日本と同じか。一体我々と何が違うのか、肌の厚さも違うし体感温度も違うんだろう。こんなことでまた風邪を引いたらやってられんなあ。
昨日からやや体調がおかしかったが、目覚めた瞬間身体が動かなかった。頭痛と発熱で完全な風邪。という訳で、赴任してから初の病欠。いやあ、情けない。 たまたま近所に日本人医者がいるので、初めての診察に行く。今日はマイナス10度位で、駐車場から入り口までの数十メートルでさえ寒さで顔が痛く辛かった。症状を話すと「いやあ、インフルエンザの顔ですな」。頭は真っ白のまま精密検査をしたら、やはり単なる風邪だった。脅かすなよな。部屋が乾燥しているので水分不足にならぬよう、後は薬を出します、と。 診療は10ドル。 薬は近所のDOMINICSというスーパーの一角に薬局コーナーがあり処方箋を持ち込む。対応した白髪のおじいさんが、登録するので名前を言えという。頭痛でぼんやりしながらたどたどしくスペルを言うと、お前はどこどこに住んでいるだろう、しっかりデータにあるぞ、と言う。そんなもの知らんと言って再度スペルを復唱すると、さっきのは間違いだ、と言う。どこをどう間違えたらそんな登録が出てきたのだろうか。 更に処方箋を前に、アレルギーはどうかとか質問攻め。朦朧とする中単語も難しくイライラしたが、何とか終了。 誰も客はいないのだが並んで待て、と言う。 そこでもう1人の白髪おじいちゃんが登場。おしゃべりしながらのんびりと薬をいろんな棚から出す。その間25分。もっと何とかならんのか、と会計すると3種類の風邪薬で120ドル近い。一体どうなっているのだろう。 家に戻って確認すると、抗生物質が3粒しかないのに60数ドル。ひえ〜一粒20ドルか。ただ、日本と違って、それぞれの薬ケースに本人の名前から処方した医者名から、もちろん服用法、効果、影響(眠くなるとか)など情報がびっしり。もちろん価格も明確。薬をもらう際にはサインも必要。なんか信頼感と安心感を感じた。そのスーパーの中にある薬局も朝9時から夜9時まで毎日営業。 果たして日本人にも合うんだろうか。まあ日本の医者が処方するくらいだし、他に選択肢はなくとりあえず飲み込みもう一寝入りしようか。20ドルもする薬だから効果てき面と信じたい。
まあ風邪くらい日本でも年に1回は(もっとや!)あったので、別にシカゴの寒さは原因でないでしょう。こんなときに日本の本でも雑誌でもあるといいんだがなあ。 外は文句のつけようのない快晴。だが、気温はもっと下がりそう。全く雪も解けそうもないな。
2004年01月06日(火) |
GREAT START |
今日から仕事始め。 昨日から積もった雪が解けるはずもなく、大雪の中の出勤。でもこんなとき、除雪車がどこからともなく街中にあふれ、まあたいていの道路は全く走行に問題ない。東京だったら中央線が止まってホームに人があふれて大パニックになるだろうな。(98年だったか、えらい目にあいました) タウンハウスの前もガレージの前もきっちり賃貸契約通り夜中に人が来て雪かきをしてくれたのには恐れ入った。 という訳で、気持ちよく初出勤をしようと年末に約30ドルかけて車をぴかぴかにしてもらったのもガレージを出た瞬間にドロドロ。まあこんなもんですな。
出勤後、休暇明けでは恒例だが米人スタッフと休日をどう過ごしたか話をするのだが、まだまだこういった会話を楽しめない。これは語学の問題ももちろんあるんだろうが、日本にいたって朝からそんな会話しなかったのに突然米国でやれっていったって無理だよな。
風邪気味でなんだか憂鬱な中、久し振りのメールチェック。日本も5日は初日で新年挨拶やら何やらで忙しいはずなのに、いきなり仕事メールの山で参ってしまう。といってもこちらの取引先も初日だからそんなに急に仕事も進まないだろう、という甘い予想をしてしまう。(別に初日でなくてもそんなに進まないのだが)どうも日本の感覚で仕事をするとあまりの取引先リアクションの遅さにイライラしてしまうが、かといって取引先の立場に立てば米国に来たばかりのに日本人にあれしろこれしろとPUSHばかりされるのも嫌だろうな、と考えてしまう。 つまりはまだまだ米人顧客との関係が築ききれていないんだろうな。ははは。
少なくとも2004年中には、せめてもう一段上のレベルで悩みたい所です。
2004年01月05日(月) |
BLACK RAIN |
シカゴは今日は朝から大雪。こんな雪が積もったのは日本では見たことがない。 こんな時にガレージ付きの家は助かる。 愛車のキャディラック4駆も、迷ったあげくスタッドレスに換えておいてよかった。さすがに街には車どおりもほとんどなかったが、他の車が不安定な走行を強いられてふらふらしている中、スーパーへの買出しも全く問題ない。こんなときは既に8万キロを走った中古だったとはいえ愛車が心強い。シートヒーターやミラーヒーターもこんなもんいるのか、と思っていたが大活躍だったな。
帰宅してアマゾンで買ったブラックレインを見る。10年振り位に観たと思うが、誰よりも松田優作の演技が光っている。仕草の1つ1つや表情がかっこいい。なぜかこのDVDには字幕(もちろん英語しかないが)設定がなく、マイケルダグラスとアンディガルシアの聞き取りには苦労した。ただ、一回見ているので流れでなんとく分かる。高倉健はいまひとつだったかな。 5年間過ごした大阪が舞台だったのでそれも懐かしかった。マイケルダグラスが屋台でうどんをすするシーンがあったが、これも日本にいたらなんとなくやりすごすシーンだろうな。たまらなくうまそうだった。
どうも THE LAST SAMURAIに感動して以来、日本の映画が妙に気になってしょうがない。といってもこちらで手に入るのは限られているんだな。しょうがないけど。 シカゴの冬は本当にやることが限られる。日本人は、日本人向けのレンタルビデオ屋でドラマとか借りるのを楽しみにしている人が多いようだけど、まだそんな気にならない。といよりも、みたくてしょうがないのだが、癖になりそうでまだ手をだしていないのが現実。
Kyosuke
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