2007年04月26日(木) |
「日本一」監督への取材 |
先日、日大三高・小倉全由監督、智弁和歌山・高嶋仁監督と、二人の「日本一」経験監督に2日連続で取材をするという、大変幸せな時間を過ごしてきました。
お二人ともに、取材をするのは初めて。さらに取材がやや難しいテーマだったため、取材が始まるまではドキドキでした。「うまくいくのかな」という思いと、「オーラがあって怖いかも…」という二つの不安。 ところが、取材が始まると、そんな不安は一掃されました。小倉監督も高嶋監督もサービス精神旺盛で、よく喋る! さらに記憶力が抜群で、5年以上前の出来事にもかかわらず、「●回表、●が打って、●が送って、その次に●が●球目を打って、ホームランでしょう」ってな具合に、ほんとによく覚えているのです。
日大三は、選手のコメントを読むと「小倉監督を胴上げしたい!」という声が多いんですよね。それがどの代でも続いているのがすごい。 練習量はかなり激しいことで有名な学校ですが、それでいて、「監督を胴上げしたい」。う〜ん…。普通は厳しすぎると、監督と選手に距離ができるようにも思うんですが…。三高の場合は違うみたいです。
で、それほど選手を惹きつける小倉監督とはどんな人なんだろうか。取材テーマとは別でしたが、そんなことにも興味がありました。 お話をしてみると、とにかく情熱家。で、選手の悪口を言わない。けなさない。「●●はよく頑張っているよ!」と、必ず誉める。
取材中、「今年のチームはどうですか?」と聞くと、たまたま小倉監督の近くにエースの池田がいました。すると、小倉監督は「こいつがエースなんだけど、いま頑張ってんだよな。な、池ちゃん!」。 その話し方が、すごく自然で、選手との距離をまったく感じさせないことにびっくり。池田も、小倉監督と普通に会話してましたし。
そんな小倉監督の人柄だからでしょうか。昨年と今年の誕生日には部員からネクタイをもらったそうです。それも、小倉監督がいつもネクタイを買っているお店を選手たちが調べて、わざわざ買いに行ったそう。 その話をしている小倉監督の顔がとっても嬉しそうでした。
結局、取材予定時間を大幅にオーバーして、3時間近くも話をしてくださいました。ありがとうございました!
日大三の取材終了後、新横浜へ移動して、そのまま和歌山へ。翌日は智弁和歌山の取材でした。
「授業がないから午前中はヒマ(笑)」という高嶋監督への取材です。 甲子園で見ると、オーラがあって、めちゃくちゃ怖そうですが、実際にお会いしてみると、まったく怖くなく、ホッと一安心。グラウンドでの姿を見ると、また違うのでしょうが。
高嶋監督には確認したいことが一つありました。 以前、智弁和歌山出身の先生が、「高嶋先生は、100本単位で本数が増えていく」という話をしていたのです。100メートルダッシュなら、100本、200本ってな具合です。 その話を振ろうと思っていたところ、話の流れで、高嶋監督自らこんな話を始めました。「夏の県大会で優勝したあとは、甲子園に向けて、100メートルダッシュ100本を2日間やる」。いやいや、「100本単位」は本当だったんだ…。
と、このような感じで、幸せすぎる2日間を過ごしてきました。 取材の模様は、5月10日発売の『野球小僧』に掲載されます。強力打線の作り方などなど、興味深い話が盛りだくさんです!
2007年04月21日(土) |
川崎北、ベスト16で敗退 |
■春季神奈川大会4回戦 in平塚球場
川崎北高 011000000|2 立花学園 00020010×|3
前半は川崎北ペースも、投手陣が踏ん張りきれずに惜敗。3回戦の桐蔭学園戦に続く、私立撃破はならず。
試合後、選手がどんな表情で出てくるか。佐相眞澄監督はミーティングで何を話すのか。そのあたりが気になった。 桐蔭学園に勝ち、ベスト16入り。夏の第三シードを勝ち取った。この日も負けはしたが、私立の強豪立花学園に1点差の惜敗。「よくやった」と満足してもおかしくはない…。
そんな思いをめぐらせながら、試合後、一塁ベンチ裏に行くと、佐相先生の厳しい声が響いていた。 公式戦敗戦後、こんなに厳しい佐相先生を見たのはいつ以来だろうか。少なくとも、川崎北に移ってからは一度もないのではないか。それだけに、新鮮な「怒り」だった。 ベンチ裏の通路から、球場の外に出てきた選手たち。見ると、泣いている選手が多い。レギュラーだけでなく、二桁番号の選手も。 「春に負けて、泣けるのはいいことだよ」と佐相先生。 その後のミーティングは、厳しい内容のものとなった。 そして、終わり際、佐相先生から選手へメッセージ。 「これで春のメンバーは解散! また、ゼロから始まるぞ!」
翌日は日帰りで茨城遠征が組まれていた。 早速、佐相先生は遠征に連れていく1年生をピックアップ。38人も入部した1年生は素材のよさはもちろん、「川崎北で野球がやりたい」「佐相先生の下でやりたい」という強い心を持って入ってきた選手たちだ。その気持ちが、何より心強い。今夏、1年生のメンバー入りも十分ありうる。
これから夏に向けて、毎週末に練習試合が組まれている。日藤、国士舘、関東一などなど。熾烈なベンチ入り争いが始まる。
2007年04月14日(土) |
川崎北、桐蔭学園を破りベスト16進出 |
■春季神奈川大会3回戦 in桐蔭学園グラウンド
川崎北高 000110000|2 桐蔭学園 001000000|1
試合終了の瞬間、優勝したかのような喜びを見せた川崎北の選手たち。これ以上ない、快勝だった。この勝利で神奈川ベスト16入り。夏の第三シード以上を確定させた。
先発のマウンドに送ったのは背番号11の田中。県大会の組み合わせが決まってから、「桐蔭まで隠しておく」と、一度も投げさせなかったサイドスローだ。 私立を抑えるには、サイドの技巧派が効果的。その狙いが見事に当たった。3回裏に外野手のミスから1点を失うも、なおも1アウト三塁のピンチでは4番石井を内角で詰まらせ、ショートゴロ。後続も断ち最少失点に切り抜けた。
田中は川崎市立稲田中の出身。3年夏にはエースとして川崎市で優勝し、県大会出場を果たしている。「佐相先生に教わりたい」と川崎北進学を決めた選手だ。
打線は桐蔭学園の中畑に食らいついた。序盤3回まで毎回ランナーを出すと、失点した直後の4回表には4番酒井がソロホームランを放ち、あっという間に同点に。5回表には、小司の2ベースを足がかりに、勝ち越し点を奪った。
川崎北2対1。 「このまま終わるわけがない」。 佐相先生はベンチでずっと思っていたという。だからこそ、攻め続けた。圧巻だったのは、7回裏の投手交代だ。疲れの見え始めた田中が2アウト満塁のピンチを招くと、迷うことなく、背番号15の白井を送った。 打席には桐蔭学園の主砲・井領。この日もっともしびれた場面だったが、白井は淡々と丁寧に変化球を投げ、ファーストゴロに仕留めた。 「田中は限界。代えるならあそこしかなかった」 2回戦終了後、「田中で終盤までいって、あとは白井につなぐ」と話していたが、まさにプランとおり。最高の継投で桐蔭学園打線を封じた。
白井は相模原市立上溝中出身。夏に横浜スタジアムで行われた全日本少年では、日本一を達成。背番号4をつけていたが、実質エースの活躍を見せ、明徳義塾中や東海大翔洋中といった強豪私学に勝利した。決して、球が速いわけではないが、変化球の制球とコンビネーションが武器。そして、中学で全国大会を踏んだだけに、経験が豊富。この日も落ち着いたマウンドさばきを見せていた。
来週末の相手は立花学園。甲子園出場経験こそないが、近年安定して上位に入っている強豪だ。 桐蔭学園に勝ち、はしゃぎすぎていたのが心配だが…。そこは、百戦錬磨の佐相先生。しっかりと引き締めて、臨んでくるはず。快進撃はまだまだ終わらない。
2007年04月13日(金) |
新庄広先生からのメッセージ |
本日、神奈川・横浜市立生麦中学校の元監督、新庄広先生が旅立ちました。 「どこへ?」って…、イランのテヘランです。 新庄先生とは最初に何がきっかけで知り合ったかは忘れてしまいましたが、もう4年ほどのおつき合いになります。『中学野球小僧』や『ヒットエンドラン』の取材でお世話になっただけでなく、人生の先輩として公私にわたって、いろいろなアドバイスをいただきました。
新庄先生から、「海外の日本人学校に行きたい」という思いを聞いたのは2年ほど前のことでした。野球の指導者として、神奈川、そして全国を引っ張っていく先生だと思っていたので、かなりビックリしましたが! 「社会科の先生として、いろいろな世界を見てみたい」。それが海外へ行く動機になったようです。
3月下旬には、新庄先生のご自宅へ遊びに行ってきました。新庄先生と、先生の奥さんと、女の子2人と、男の子1人。賑やかで明るい! 一軒家だったし(笑)、「こんな家庭を持ちたい!」と思える、素晴らしい新庄家でした。テヘランには家族みんなで旅立ちました。
というわけで、旅立ちの前日、新庄先生から所信表明&メッセージをいただきました。 顔の広い新庄先生ですから、この日記の読者のみなさまの中にも、練習試合や合同練習で一緒になった先生や選手がいるかもしれません。 海外へ挑戦(?)する新庄先生の思いをどうぞ!
拝啓 このたびの文部科学省派遣により、在イラン日本国大使館附属日本人学校(テヘラン日本人学校)に赴任することとなりました。8年間の生麦中学校在職中、野球部の活動を通し、すばらしい体験ができましたのも、ひとえに皆様方のご指導ご鞭撻のおかげと感謝申し上げております。
専門が社会科ということもあり、3年前から海外日本人学校の派遣試験を受け始め、2度目のチャレンジで派遣が決まりました。できれば、野球のある国で日本と違った野球文化を見てみたいという淡い期待もありましたが、赴任先がイランと決まり、その期待も実現は難しそうです。イランはご存じのようにイスラム教の国で「反米」感情の非常に強い国です。ネクタイさえも「アメリカ的」ということであまりしないそうです。サッカーの人気が非常に強く、ベースボールという感覚はほとんどないとのこと…。
しかし、現状にただ甘んじるのではなく、イランの野球文化を探したり、自分が日本でやってきたことを少しでも伝えられるように、様々な可能性を探っていきたいと思います。今までの実績がまったく通用しないなか、新たな「新庄 広」の可能性を生み出します。3年間という限られた時間ではございますが、私の信念であります「人生常に全力投球!」を貫き通してきます。
3年後、日本の学校に戻ってきたときには、今まで以上の情熱で、日本の野球界に新たな風を吹かせたいと考えています。長い間のご厚情に御礼申し上げるとともに、皆様の一層のご活躍をお祈り申し上げます。 敬具
在イラン日本国大使館附属日本人学校(テヘラン日本人学校) 教 諭 新庄 広
新庄先生、3年後にお会いできることを楽しみにしています! しかし、イラン、治安が心配です…。
春になりました。春は出会いと別れの季節です。 ということで、高校野球界でも監督交代などなど、いろんなことが起きています。
一番びっくりしたのは、東京・修徳高校。不祥事以来、かなりごたごたしていましたが、2月から鳥山泰孝さんが指揮を執っています。鳥山さんは宇都宮学園高から国学院大に進み、卒業後は国学院大・竹田利秋監督の下でコーチを務めていました。高校、大学では主将を務めていたそうで、かなりの人格者だとか。まだ31歳という若い監督さんです。修徳をどう立て直すか、注目です。 千葉・市立船橋も、監督交代となりました。中学界で「名将」と呼ばれた石井忠道監督が3年間率いていましたが、石井監督はこの春から松戸国際高校へ異動。公立高校で再スタートです。 習志野高校の椎名勝監督も、昨年度いっぱいで辞任となりました。椎名監督は習志野二中で全中準優勝の実績を持つ指導者です。母校、習志野高校を率いては、夏の甲子園に一度出場。明徳義塾を破るなど、存在感を見せました。この春からは、中学校の教頭先生になったという話を聞いています。一度、取材に行ってみたかったのですが。実現できず。
また、東京大会のパンフレットを見て、驚いたことが一つ。 都立保谷高校の有馬信夫監督、異動されたんですね…。都立城東を甲子園に導いたことのある監督さんです。2006年春に開校された都立総合工科高校(前・都立世田谷工業)に移られたようです。すでに監督になられているかは不明ですが、総合工科は学校ホームページを見ると、専用グラウンドもあるようで、強くなっていきそうですね。 で、保谷高校。有馬監督の代わりにこられたのが、前・世田谷工業監督の長嶺功さん。ほほぅ。これまた、楽しみです。
ちなみに、総合工科は東東京。 西東京の強豪私学の監督さんが言っておりました。 「有馬さんが東東京に行ってよかったよ。都立であれだけ一生懸命やっていて、すごいよ」 有馬監督、恐れられていますね…。
3月下旬に開幕した春季神奈川県大会。就任3年目を迎えた佐相眞澄先生率いる川崎北高校が勝ち残っている。3年目にして、初の3回戦進出。週末には、ベスト16入りをかけて、第1シードの桐蔭学園と対戦する。
<勝ち上がり> ★地区予選 7−0 県川崎 4−2 橘 16−0 川崎商
★県大会 7−0 小田原城北工 10−0 追浜
このうち3試合を観戦したが、昨年に比べて確実に力は上がっている。 投手力が安定し、守備陣はショートの松下を中心によくまとまり、凡ミスが減ってきた(イージーな送球ミスが時折見られるのが気になるが…)。 打線は外野オーバーを打てるのがまだ中軸に限られているが、上位下位ともに低い強いライナーを打てるようになってきた。足を使える選手が多いのも強みだ。
近年では公立トップクラスともいえる橘に競り勝ったように、県内の公立高校相手であれば、勝負できるレベルまでは来ている。ただ、私学となれば別だ。 追浜戦には、桐蔭学園のコーチがしっかりと偵察にきていた。追浜側はまったくチェックしていなかったので、最初から川崎北が勝ち上がることを予想していたのだろう。
なお、守備の要・松下、打線の中軸を担う中島はともに相模原市出身の2年生。松下は東林中で佐相先生に教わっていた。中島は麻溝台中出身だ。いずれも、佐相先生を慕い、川崎北へ。約1時間かけて、学校まで通っている。 この春も、佐相先生を慕う新入部員が38名も入部した。これで3学年総勢80名。このままの勢いだと、来年は100名に迫るかもしれない。 学校側の態勢も徐々に整いつつある。佐相先生のほかに、部長を含めスタッフが3名。計4名のスタッフで80名の部員を指導している。
トーナメントが決まってから、佐相先生は「桐蔭とやるまでは、楽に勝ちあがれないといけない」と話していた。まずは、その言葉どおりにはなった。 過去2年、武相、立花学園、横浜隼人、桐光学園と、私学にはことごとく敗れている。さて、週末、どんな戦いになるだろうか。
2007年04月04日(水) |
全日本少年、一番乗り! |
3月中旬、沖縄で「第14回沖縄海邦銀行杯争奪中学校軟式野球大会」が行われました。長〜い大会名ですが、毎夏、横浜スタジアムで行われる全日本少年軟式野球大会の沖縄予選です。
今年優勝したのは、沖縄市立美東中学校。めでたく、全国のどこよりも早く、全日本少年の出場権を獲得しました! 勝ち上がりを紹介すると、 1回戦 4−3 名護市立名護中 (特別延長) 2回戦 2−1 浦添市立港川中 準決勝 6−5 石垣市立石垣第二中 (特別延長) 決勝 5−1 嘉手納町立嘉手納中
特別延長を二度制するとは、なかなかの粘りですね。準決勝の相手、石垣第二中は八重山商工の地元でしょうか?! じつは、沖縄に取材に行ったことが一度もありません。「今年こそは行ってみたい!」と思っているのですが。もし、日記を読んでいらっしゃる方で、沖縄の方がいましたら、チームや指導者の情報をぜひ教えてください!
今年の全日本少年は8月13日〜16日です!
また…、ビヨンドマックスなどの複合バットが今夏の全中から禁止されるはずでしたが、今夏はOKになったようです。う〜む…。
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