みのるの「野球日記」
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2004年11月30日(火) 冬のトレーニング

 取材で修徳高校のグラウンドへ。
 練習は16時から。15時40分頃、グラウンドにつくと、大橋コーチが早めに来た部員とサーキットトレーニングの準備をしていた。ラダーあり、平均台あり、バランスボール&ボードあり、コーンあり、ミニハードルあり。それらは一塁側のファウルグラウンドに作られていたが、パッと見は、運動会で借り物競争やパン食い競争でもやるような光景だった。

 この日は斉藤勝の取材がメイン。でも、そういえば、高校の冬のトレーニングってじっくり見たことがないなと思い、16時から19時過ぎまでの練習をじっくり見させてもらった。感想はとにかくキツそう! 近くで一緒に見ていた小田川雅彦先生は「こんな練習見てると、もう一度現役に戻ろうなんて、絶対に思わない」と笑っていた。

 グラウンド外のホワイトボードには、練習メニューが書かれていた。
A 100m、50m、30m×10本
B ポール間40秒、インターバル80秒×15本
C バットスイング20セット+メディシンボール
D 一塁側サーキット(時間内)
E 内野内サーキット(5セット+イージー)

 これをA〜Eの5班にわけ、約3時間かけて、ローテーションですべてこなす。想像しただけで、キツイですね、これは…。Aのダッシュについては、すべてタイム係が1本1本のタイムを計測。抜いていると、すぐにバレます。

 トレーニングを統括しているのは大橋コーチ。元修徳高校の監督で、現在は法政大で講師、そして六大学野球の審判もされている。監督時代は「鬼」だったそうだが、いまは大分優しくなったとか…。
 この日も、ネット裏にある小屋に陣取り、マイクを使って叱咤激励。
「苦しくなったら、沖縄の青い海を思い出せ!」
「冬の練習はやった分だけ、自分に返ってくるぞ。自分を追い込め!」
 じつは修徳高校2年生は先週末まで沖縄へ修学旅行に行っていたため、2年生は約1週間ぶりの練習。それがいきなりこのメニュー。バテバテの選手には、「沖縄で遊びすぎだ!」と声が飛んでいた。

 かなりキツイメニューではあるが、苦しい中にも笑みを浮かべる選手が多い。
 そんな姿を見て、小田川先生は一言。
「真剣にやれば笑いが生まれる。ふざけてやれば、ケガが生まれる」
 なるほど。「笑い」「笑い」の修徳の練習風景だった。

 サーキットを見ていて、「あ!」と思ったのが、Eに書かれている「イージー」。先週末に行った御殿場交歓会で、小笠岳洋中(静岡)もアップで使用していた。一緒に見ていた榎屋剛先生(神奈川・鶴ヶ峯中)に聞くと、「ウチも使ってるよ」とのこと。そういえば、5月に市立船橋に取材に行ったとき、市船も使っていた。
 
 で、「イージー」とはこれ。
http://store.yahoo.co.jp/shintomi/560-001.html
 
 おもに、インナーマッスルを鍛えるもので、最近かなり流行っているらしい。榎屋先生は「ういろう、みたい」と言っていたが、まさにそんな感じがする。切れないゴムで、作られているそうです。
 見間違いでなければ…、小笠岳洋中はこのイージーを大リーグ養成ギブスのように、体に巻きつけて、ダッシュをしていた。体に負荷をかける目的だと思うが…、すごい。

 一塁側のサーキットは、こちらもいま盛んに言われている、コーディネーションやバランス、瞬発力を養うトレーニングが中心。

 先日、テレ朝の『報道ステーション』を久しぶりに見たら、スポーツコーナーでコーディネーショントレーニングの特集をしていた。千葉のとある小学校では(学校名忘れました…)、体育の授業でラダーや、転がしたフラフープの輪の中をくぐり抜けたりするなど、遊び感覚を取り入れた授業をやっている、と伝えていた。
 ラダーをやっている小学生の映像が流れていたが、「速い!」と思ってしまった…。というのも、先日山梨で行われた指導者講習会で、ラダーの紹介があり、はじめてラダーを行う中学生が何名かいたからだ。数名は動きがわからず、足が止まっていたり…。そんな光景を見ていたので、放映された小学生を見て、「慣れてしまえば、できるんだ」と感じた。

 脳の中では、「こう動きたい」と思っていても、それを体の各部に伝えて、体が実行してくれなければ、体が動くことはない。頭でわかっているんだけど、体が動かない、と年をとると嘆きが聞こえてくるが…(自分はすでに嘆いている)。

 ラダーは、もう小学生、いや幼稚園くらいから、やってもいいトレーニングなのだろうか。でも、結構高い?! 値段知らないですけど…。バランスボードもお金かかるし。でも、ラダーなんて…、ロープとかあれば、簡単に作れそうな気がしますが。

 何気にバランスボールがほしいです。じつはバランス感覚が全然ありませんでして…。両目をつぶって、片足で立とうとすると、わずか数秒で倒れます。最近、立ちくらみも多いし。まだ、27歳なんですけどね。
 



2004年11月29日(月) 御殿場交歓会

 27日から2日間、静岡県御殿場市と裾野市で第4回御殿場招待試合が開催されました。参加は県外24、県内17、地元駿東地区9の計50チーム。新潟中越地区から、十日町中も参加しました。大会中、富士山がめちゃくちゃキレイに見えて感激!

<県外24チーム>
【長野】松本市立女鳥羽中、上田市立第一中、松川町立松川中
     中野市立高社中、茅野市立北部中
【三重】南勢町立五々所中、小俣町立小俣中、鳥羽市立鳥羽東中
【新潟】十日町市立十日町中、糸魚川市立糸魚川東中
【富山】氷見市立北部中
【千葉】印西市立木刈中、印西市立船穂中
【東京】修徳学園中、足立区立第九中
【神奈川】茅ヶ崎市立萩園中、横浜市立橘中、慶應湘南藤沢中
      横浜市立鶴ヶ峯中、秦野市立渋沢中、横浜市立戸塚中
【山梨】忍野村立忍野中、甲斐市立竜王北中、都留市立都留第二中

 初日は裾野市営球場で修徳学園中、女鳥羽中などの試合を観戦。夜は御殿場ICの近くで開かれた懇親会&2次会に参加。そして、最終日は鶴ヶ峯中の榎屋剛先生と一緒に、十日町中、東海大翔洋中、氷見北部中、竜王北中、大東城東中などの試合を見てきました。

 今大会で一番見たかったチームが長野の女鳥羽中。榎屋先生のほか、竜王北中の北川俊明先生から、「監督の上條郁男先生が面白い! ぜひ試合を見るべき」と聞いていたからです。
 上條先生は前任校の塩尻市辰野町中学校組合立両小野中学校で全中に出場。かつては埼玉の西部地区で監督をされていたそう。

 初日、女鳥羽中は修徳学園中、裾野市立富岡中と対戦。修徳には完敗、富岡には1点差で勝利。正直、投打ともにレベルは高くない。ただ、「面白い」と聞いていた通り、発想が豊か。先の塁に進むのは、「盗塁だけじゃない」と、小さなスキを突いてくる。
 修徳学園中との試合では、一塁走者がわざとリードオフを大きくとり、捕手が一塁へ送球する間を狙って、二塁を陥れるプレーを見せた。富岡中戦でも、幾度もこのプレーを披露した。

 ただ、一番期待していたプレーは見られず。何かといえば、ホームスチールだ。
 去年、御殿場交歓会で戦った北川先生の話。
「うちのキャッチャーがミットを脇に挟んで、両手でマスクをつけていたら、サードランナーがいきなり走ってきたんだよ。キャッチャー慌てちゃってさぁ…」
 ミットを脇に挟んでいるということは、もちろん手にミットははめていない。ボールを持っているのは、ピッチャー。でも、キャッチャーに投げようとも、ミットを着けていないキャッチャーに投げるのは怖い。。
 まぁ、そもそも、片手でマスクを被らないキャッチャーが悪いのだが…。中学野球を観ていると、ミットを股や脇に挟んで、マスクを被るキャッチャーが案外多い。そんな、スキを狙って、女鳥羽はガンガン走ってくる。

 上條先生は言う。
「いまのチームには兵隊がいなくて、なかなかホームスチールができないんだけど、じつは、もうひとつホームスチールのやり方があるんです」
 投手は右投げ。三塁走者は三塁コーチャーズボックスのホームベース側寄りの位置までリードをとる。大きなリードを取る三塁走者に誘われて、足をゆっくり高く上げる三塁牽制を見せたらしめたもの。
「足を上げて、三塁に牽制と分かった瞬間、ホームへ走る。これ、高い確率でセーフになります」
 大事なのは三塁走者のコースどり。三塁手が捕手へ投げにくいコースを走れば、完璧。実際に見てみたかったなぁ。。
 かつて、長野県大会ではこのホームスチールでサヨナラ勝ちを収めたこともあったそうだ。恐るべし。

 大会最終日には、修徳学園中も2度のホームスチールを試みた。ともに満塁のチャンスで、相手の左投手がゆっくり足を上げワインドアップで投げたのを狙い、ホームスチールを敢行した。ともにクロスプレーであったが、ホーム直前でアウト。スリリングなプレー、いいものを見せてもらいました。 
 



2004年11月19日(金) 山梨勢連覇!

11月13日から2日間、宇都宮市で第7回関東少年新人軟式野球大会(全軟連主催)が行われ、山梨代表の猿橋中が初優勝を飾った。

<1回戦>
大月市立猿橋中クラブ(山梨)3−1横芝町立横芝中クラブ(千葉)
横浜BCサムライ(神奈川)4−2越谷市立大相模中クラブ(埼玉)
壬生町立壬生中クラブ(栃木)9−1新田町立綿打中クラブ(群馬)
リトルジャイアンツ(東京)4−0大洋クラブ(茨城)

<準決勝>
猿橋中クラブ6−1横浜BCサムライ
リトルジャイアンツ0−0(2−1)壬生中クラブ

<決勝>
猿橋中クラブ2−0リトルジャイアンツ

 この大会は出場システムが各地区によって違う。たとえば東京は中体連の秋季都大会では江戸川区立小松川第三中が優勝したが(西尾先生、おめでとうございます!)、関東少年に出られるのは全軟連所属のリトルジャイアンツ。山梨と栃木(おそらく)は中体連秋季県大会の優勝チームが出場。また、神奈川の場合は秋季大会が市大会レベルまでしかないため、実質的には秋の神奈川王者は存在しないことになる。

 で、今大会の覇者は山梨の秋季大会チャンピオンの猿橋中。わずか部員14名で秋の関東王者に輝いた。30歳前半の若い平井先生のもと、近年安定した力を見せている強豪チームである。この優勝で山梨県勢は昨年の都留市立都留第二中に続き、大会2連覇となった。

 山梨の中学野球は…、やや低迷気味。全中予選となる夏の関東大会の成績を見ると、じつは過去29回行なわれているが、優勝を一度も経験していない。これは関東地区の中で、山梨だけ。全中出場もここ5年で、平成13年の山梨南中が出場した一度だけである。

 そんな現状を打破しようと、今夏は全日本少年の関東予選に史上初めて選抜チームを送り込んだ(そのチームでコーチをされていたのが平井先生)。また、数年前から指導者講習会を毎年行い、指導者のレベルアップに努めている。昨冬は相模原市立東林中学校の佐相眞澄先生を招き、バッティング講習会を行なった。

 そして、今年は今週日曜日に全中制覇の経験を持つ東海大翔洋中の弓桁義雄先生を招き、『バッテリーの育成』をテーマに指導者講習会が開かれる。
 当日はエキシビジョンマッチも行なわれるそう。対戦カードは東海大翔洋中vs南アルプス市立若草中。このカードは、平成6年の全中決勝戦の再現となる。
 当時の若草中を率いていた村松博己先生は、現在南アルプス市立櫛形中で監督を務められており、秋の山梨大会ではベスト4にまで進んだ。ちなみに千葉ロッテ・小林雅英投手は、大月市立大月東中時代の教え子にあたる。

 そんなわけで、日曜日は櫛形に行ってきます。この間、関東大会で甲府に行ったばかりなのですが…、またまた「あずさ」に揺られてきます。
  



2004年11月12日(金) FA制度

 といっても、プロ野球の話ではなく、横浜市教職員の話。毎日新聞にこんな記事が出ていました。


【行政】教職員のFA宣言OK 横浜市

 神奈川県横浜市教委は9日、教職員が能力や経験をアピールし、校長と直接交渉して異動できるFA(フリーエージェント)制度と、校長が欲しい人材の条件を示して教員を募集できる制度を来年4月の人事異動から導入すると発表した。市立の小中学校、高校や養護学校など全521校で実施する。

 市教委によると、FA制度の導入は小中学校、高校の一般教員が対象の京都市に続き2例目。養護教諭や事務職員、栄養職員もFA宣言できるのは全国初という。

 FA制度の対象は、市の教職員歴が6年以上、現在の勤務校が3年以上の条件を満たし、校長が承認した教職員。希望者は「算数指導が得意」「英会話に自信がある」などの自己アピールを記入した申請書を市教委に提出。校長はそのリストを見て教職員と直接交渉する。特定の教職員に人気が集中した場合、教職員に選択権がある。必要な免許を持っていれば、小学校から高校といった異校種間の異動も可能だ。

〜〜〜〜〜〜〜

 これを読んで真っ先に思い浮かんだこと。
 「野球部を強くします」「野球指導に自信があります」と自己アピールをして、中学から高校へ異動する例も有り得るのでしょうか。横浜市の野球部の監督さんが、公立高校に移り、打倒私学に挑む姿を見てみたい、なんて思いました。
 しかし、京都が全国初とは知らなかった。



2004年11月10日(水) キャプテン斉藤勝

■11月1日 秋季都大会決勝
修徳 000 002 131|7
豊山 000 000 001|1

 9回裏、修徳のエース斉藤勝がマウンドに向かうと、三塁側の修徳応援席から大きな歓声が沸き起こった。ピッチング練習で一球投げるごとに、応援席は盛り上がる。夏の甲子園で2試合連続完封を遂げた左腕が、都大会の最後の最後でようやく登板を果たした。
 日大豊山の攻撃は3番福島和也から。斉藤はストレートを続け、カウント1−2。4球目、続けて投じたストレートがど真ん中へ。快音残した打球はレフトへ角度よく舞い上がり、いきなりのソロアーチとなった。ワタシの近くに座っていた修徳の関係者からは、「やっぱり、まだまだだな…」と苦笑いを浮かべていた。
 それでも、斉藤は後続を無難に打ち取り、最後の打者もカウント2−2から高めのストレートを振らせ空振り三振。その瞬間、斉藤はセンター方向をクルリと向き、両手を高く突き上げ、余裕たっぷりのガッツポーズを見せた。

「最後はみんなが、『カッコよく決めろ』って言うから、ああなりました。でも、ピッチング自体はみっともない内容で情けないです」
 試合後の斉藤は、不本意なピッチングのためか笑顔は見られなかった。斉藤は夏の甲子園が終わったあと、右ヒザを故障。続けて、左肩にも違和感を覚えた。秋の公式戦で登板したのはこの日の試合を除けば、ブロック大会決勝の江戸川戦のみ。修徳投手陣はエース不在のピンチを、ショート佐藤寛巳とファースト磯部泰、そして背番号10の藤田悠介らがカバーし、29年ぶりの優勝を成し遂げた。

 小田川雅彦監督は、目をウルウルさせながら話す。
「最高の展開になりました。夏の甲子園はマサルに勝たせてもらって。この秋はほかの選手が、『今度はおれたちが頑張って、マサルをセンバツに連れて行ってあげよう』と気持ちをひとつにしてくれました。マサルも投げられない中で、ベンチで大きな声出して、主将としての役割を果たしてくれた。成長したと思います」

 9月のはじめ、修徳高校グラウンドを訪れたときのことを思い出す。小田川先生に「キャプテンは誰になったんですか?」と聞くと、「マサルですよ。このチームをまとめられるのはマサルしかいない。マサルなら、やってくれると思います」と自信を持って話していた。

 10月16日に行なわれた2回戦の明大中野八王子との試合。斉藤はグラウンドコートを着込み、一塁側ベンチに座っていた。斉藤の定位置はベンチの一番奥、外野寄りだ。そこから一塁の磯部やライトに向って、守備位置を指示したり、声を飛ばす。チェンジになったときは、誰よりも速くベンチを飛び出し、選手を出迎えていた。

 優勝を決めたあと、斉藤は冗談っぽく、話していた。
「自分が投げていないのに優勝しちゃって、嬉しいけど、複雑です。ケガして投げられなくて、イライラして…。自分はこのチームにいなくてもいいのかなと思ったりして」
 そんな言葉に対して、1年生の磯部は言う。
「マサルさんがベンチから声を掛けてくれると、すごく落着くんです。ネクストにいるときも、傍まで来て、何か言ってくれたりして、頼りになる先輩です」
 決勝戦、9回のマウンドに上がったのは、監督の指示ではなく、先発した佐藤を中心とした選手の声だったという。
「ヒロミが、最後は『マサルが投げろ』って言ってくれて、すごく嬉しかったです」(斉藤)
 
 小田川先生は秋に相当なプレッシャーを感じていたという。
「夏のスタメンからひとりも抜けることなく、迎えた秋。だからこそ、かなりのプレッシャーがありました。周りからは『勝って当然』と見られる。そして、エースのマサルがいない。でもその中で、磯部や佐藤の投手陣が頑張ってくれて、優勝することができた」
 帝京戦では2失点完投勝利に、4打点の磯部。
「また甲子園にいけることが嬉しい。この秋はマサルさんがいない分、自分たちがやらないといけないと思っていました。周りの方は、修徳はマサルさんしかいないと思っているけど、そんなことはない、というところを見せたかったです」

 明後日から始まる神宮大会。修徳は東京代表として初出場を果たす。決勝戦のあと、斉藤は「神宮大会は、ぼくが投げる予定なので…」と話していたが、果たして登板はあるのか。注目してみましょう!



2004年11月08日(月) 中越地震

11月7日、神宮球場で東都大学野球の1部2部入れ替え戦が行なわれ、東洋大が快勝。二連勝として、一部残留を決めた。
 敗れた専修大の先発は、今秋リーグ戦で防御率1位と活躍を見せた阿部正太郎。阿部は十日町中条中から新潟明訓に進み、今年が大学2年目となる。十日町中条中時代はエースとして活躍し、夏の北信越大会準優勝。決勝で山本雅弘先生(現遊学館)率いる星稜中に惜しくも敗れ、全中出場はならなかった。

 当時の十日町中条中の監督を務めていたのが夏井徳治先生。現在は十日町中で監督しており、2年前に北信越を初制覇、全中ベスト8にまで進んだ。夏井先生は7日の阿部の登板試合を、遠く十日町から駆けつけ、応援しにきていた。

 夏井先生と初めて会ったのは今年の金沢交歓会。すごく謙虚な先生で驚いた。なぜだか知らないが、会う前から「怖い先生」というイメージがあったため…。そのあと、今年の茨城全中でもお会いした。糸魚川中の沢辺剛先生、糸魚川東中の中山久司先生と一緒に、全中の視察に訪れていた。

 先月下旬の新潟中越地震。ワタシはそのとき、糸魚川選手権の取材のため糸魚川のホテルにいた。震源地を伝えるニュースを見て、真っ先に十日町中のことが頭に浮かんだ。先週末、夏井先生に電話をすると、「4日から学校が再開しましたが、授業優先のため部活は自粛中。でも、何とか御殿場には出るつもりでいます」。

 今月27日から2日間、静岡県で第4回御殿場招待試合が開催される。十日町中もこの大会に出場する予定でいる。「練習がまったくできなくて、調整が遅れています」と夏井先生。今まで当たり前のように没頭してきた野球ができない日々。先生だけでなく、もちろん選手も保護者も辛い日々だったと思う。御殿場では十日町中の試合が5試合組まれている。


 震災の被害にあった中越地区の中学校の保護者から、『野球小僧』編集部に「練習試合の相手を探してくれませんか」という連絡もきたそうだ。震災前に組んでいた練習試合は、この震災で不可能に。新潟市街に出る道路は分断されているため、関越自動車道を走り、埼玉あたりで…という内容。日程は12月。もし、関越道からそんなに遠くない中学校で予定が空いている学校がありましたら、日記右下のメールフォームからご連絡頂ければ幸いです。

 中学野球に関わる方々の野球に対する情熱は、すごいものがあります。ひとりひとりの情熱が中学野球を支え、日本の野球を支えているのだと、改めて実感しました。



2004年11月04日(木) 慶應義塾ベスト8で散る

■11月3日 秋季関東大会準々決勝 in緑ヶ丘
浦和学院 000 003 100 000 00|4
慶應義塾 001 012 000 000 00|4

■11月4日 秋季関東大会準々決勝 in小瀬
慶應義塾 000 000 000|0
浦和学院 001 210 02×|6

 試合終了後の挨拶を終えると、慶應義塾の主将・漆畑哲也はスッと前に歩を進め、浦和学院の主将・今成亮太に笑顔で右手を差し出した。
「優勝目指して頑張ってくれ」
 越谷シニア出身の漆畑と、富士見シニア出身の今成。中学時代は何度も対戦があったという。今成は浦学へ、そして漆畑は埼玉を出て、慶應に進んだ。
「浦学にも誘われたんですけど、慶應の雰囲気が好きだった。この雰囲気で甲子園に出たい」
 全員五分刈の浦学に、髪の長さは自由の慶應。汗と根性をイメージさせる浦学に、華やかなイメージのある慶應。漆畑自身も「対照的」と語る両チームである。
「関東大会で浦学とやることが信じられなかった。自分が行くことも考えた浦学と、まさか関東大会で当たるとは…」
 漆畑には2つ上の兄がいる。兄は浦和学院で野球をやり、須永(日本ハム)の代で主将を務め、甲子園にも出場した。当時中学生だった漆畑は甲子園にも応援にいったという。
「自分がアルプスで応援していた浦学と、センバツをかけた一戦をしている。何と言っていいんですかね…ほんと何とも言えない気持ちでした」

 再試合となった3日の試合。漆畑は「楽しかった」と振り返った。甲子園の常連・浦学に対して一歩も引かない見事な戦いぶりを見せた。
 完敗となった今日の試合。浦学は高い壁だった? と聞くと、「そんなことはないです」と首を振った。「追いつけるところに浦学はいた。ただ、ひとつ浦学と差があったのはあの場面…。気持ちを切り替えることができなかった」

 漆畑が語る場面は4回裏、無死一塁。浦学の4番前野が一塁側への送りバントを見せた。マウンドを下りた中林が一塁へ投げようとすると、ベースカバーに入るはずのセカンド高尾がベースにおらず、一塁ベースはがら空き。記録は内野安打となり、無死一二塁とピンチが拡大してしまった。
 高尾はベースカバーに遅れたのではなく、ベースに入る手前で一塁塁審と衝突していた。ベースに入る走路に塁審が入ってしまい、行く手を塞がれた。中林は「(衝突していて)びっくりした」、漆畑は「かなり動揺しました」と振り返る。上田監督は「審判は石だから抗議はできない。しょうがない…」と悔しさを押し殺した。
 無死一、二塁となったあと送りバント、一塁ゴロ、ショート漆畑のエラーと続き、この回2失点。「塁審との衝突」から緊張の糸が切れたように、慶應はそのままずるずると浦学ペースに引き込まれていき、それを最後まで引き戻すことはできなかった。
「塁審と交錯した瞬間から、明らかにチームのリズムがおかしくなり、取り戻せなかった。でもそこで、浦学だったら冷静に対応できたと思う。そこが、浦学との差だった」
 大粒の涙を流す中林とは対照的に、漆畑は淡々とゲームを振り返っていた。

 もし、漆畑が浦学を選んでいたらどうなっていたのだろうか。慶應に来るよりも、簡単に甲子園に出られるチャンスがあったかもしれない。そんな質問を投げかけると、「浦学で甲子園に出るよりも、慶應で出たほうが嬉しい。もう何十年も出ていない学校で、自分たちの力で甲子園に出る。慶應が浦学に勝って甲子園を決めるなんて、革命ですよ」。
 革命はあと一歩のところで起こせなかった。3日の試合ではサヨナラ勝ちのチャンスが何度もあった。でもそこで勝てなかったのがいまの慶應の実力。そして浦学の強さといえる。

 慶應は来週火曜日から試験が始まる。明日ミーティングをしたあとは、しばらく野球部もテスト休みに入る。漆畑も実家のある埼玉から、片道2時間かけて通う日常に戻る。大変なことは受験する前から分かっていた。それでも、野球だけではなく勉強もやりたいと慶應を志望した。
「結果は残念だったけど、浦学と互角の試合ができて、慶應の野球をアピールできたと思う。胸を張って埼玉に帰りたい」
 延長戦に入った昨日の試合。漆畑は同じく埼玉から来た谷地俊太郎のもとに何度も歩み寄っていた。谷地が打席に入る際には「埼玉には負けられないぞ」と声をかけていたという。埼玉を出て、慶應で勝負すると決めたふたりにだからこそ通じ合える想いがあったのだろう。
 
 慶應はこの敗戦により、センバツ出場に黄信号が灯った。けれども絶望的となったわけではない。関東5校目にすべりこむ可能性は十分ある。
「甲子園に行けると思って練習をするしかない」
「選んでもらったときに万全の状態で出られるよう、最高の準備をしておく」
「負けたのは悔しい。でもこれで終わりではない」
「いろいろ考えてもしょうがない。吉報を待ちます」
 選手、スタッフからはさまざまな声が聞こえてくる。
  
 エース中林は大粒の涙を流しながら言った。
「冬場に徹底的に走りこんで基礎から鍛えなおす。春も夏もすべて自分が投げきれる体力をつけたい」
 今夏、桐蔭学園に敗れ大泣きした中林。この日も取材を受けながら、延々悔し涙を流していた。ただ、中林は泣いた分だけ、必ず大きくなってマウンドに帰ってきた。今日流した涙が、中林をどれだけ成長させるのだろうか。

 センバツ出場校の発表は来年1月末日――。


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