2005年02月18日(金) |
ロミオとジュリエット(舞台) |
有名なシェイクスピア作品のひとつですね。悲恋というかなんというか。間違ってもシェイクスピアの四大悲劇に数えないでもらいたいあれです。
演出は蜷川。 ロミオは藤原竜也。 ジュリエットは鈴木杏。
ホントは見たかったのはハムレットなんですがね、まさか富山に公演に来るなんてある筈ないしさ。東京なんぞまで遠出出来るわけでもなく。蜷川の舞台ということで折り合いをつけたというかなんというか。 単に藤原竜也の舞台を見たかっただけと正直にいいましょう。
で。 台詞すっごい多いのね。俳優さんたち、皆早口なのよ。台詞多いから。主役二人はもっと多いからなんか大変そうだったよ。どこで息継ぎするのか気になった。 その台詞、まあ、下ネタが多いな。これって、元ネタがそうなの?ロミジュリなんて読んだことないからわかんないんだけど。マクベスは途中で諦めたね…。 しかし、早口過ぎて何言ってるのか聞き取るのに苦労したよ。捲くし立てるみたいに話すのね。ていうか実際そんなんだし。ちょっと気を抜くと何言ってたのかわからなくなるから神経は耳に集中。
客席に背を向けると声が篭もったりとか、隣の通路を駆け抜けていく様とか、やっぱり舞台はいいなあと思いました。真横真後ろを走り抜けて行ってくれたおかげで、後ろの席でも主演二人を間近で楽しめました。 寝転がったり、舞台から降りたり。映画やドラマとかとは違った空気が好きだなあと思うのですよ。ひとつしかない空間をいかに利用して劇を面白く見せるか。背景やら照明やらいろいろとね。その場限りのものだから失敗は出来ないし、やり直しのきかない緊張感てのがいいんだよ。
パリスくんはやっぱりパリスくんでしたねえ。誰の演出で誰が演ってもやっぱりパリスくんはかわらないんだなあとしみじみ思った。いい人なんだけど、お金持ちなんだけど、いい男なんだけどそこで終わるんだよね。平凡な生活を送るにはいちばんいいのかもしれないっていう。それなりの権力持ってるんだからそれなりの生活送れるんだけどねえ。勿体無いことをしたよジュリエットは。 ま、何事も無ければキャピュレットとモンタギューの両家がくっついて、良家の奥様になってた筈なんだよなあ。
話の筋についてはおいといて。 マーキューシオ役の人がいい感じだったと思うんだけど。丸眼鏡っぽいのかけてた?かな。 ティボルトってなんでああいう人がやるんだろう。イメージがあれですか?筋肉ぴちってしてて、顎が二つに割れてるんじゃないかって疑いたくなるような人ですか。
ちゃんと原作に忠実に最後まで話があったよな。二人が死んだ後の裁きの場面は結構省略されることが多いから。簡単に「それみたことか!」的に纏められて終わっちゃう印象が強いんだけどね。でも、最後まできちんとあると、なんだか間が抜けるような気がするっていうか。たるいっていうか。長いってわけじゃないんだけど、劇的な結末からは遠ざかってる気がするのは何故だろう。 両親の嘆いてる様がうざいからか。
舞台に設置されていた背景のあの連続顔写真は一体何を示していたんだろう。どこにいても他人の眼があるってことか。市民の顔か。思春期の少年少女が……あー、何言いたいのか自分でわかんないや。
ジュリエットと話してて興奮してるロミオはまるで発情期のようでした。 ジュリエットは14歳の割りに結構肝が据わってていいよね。もうちょっと世間を知ってれば良かったよね。
結論。 悲恋というよりは喜劇、一応悲喜交々な下ネタ満載思春期劇。
|