加藤のメモ的日記
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2004年01月04日(日) 靖国神社

小泉首相が元旦に靖国神社に参拝したら、中国、韓国が反発している。首相の公約では8月15日に参拝することになっていたが、毎日新聞は首相は面倒なことはさっさと片付けるつもりなのではないかと報道した。しかし、アメリカ、中国、韓国などの元首は自国の戦没者に参拝している。

日本の歴代首相は8月15日に靖国神社に何度も参拝している。吉田は4回、岸は2回、池田は5回、佐藤は11回、田中は5回、首相として公的形式で参拝している。

首相の公式参拝が変化したのは三木首相のときからである。三木首相は大衆迎合主義の、一国平和主義者であるとも言われた。防衛費の1%枠とか、防衛計画の大綱とか軌道修正にその後、数内閣を要するような自らの手を縛るような困難なことを言い出した。田中首相がロッキード事件で逮捕され、金権政治が批判されたころ、クリーン、清貧というイメージで首相になった。

三木首相が靖国参拝を「私人」として参拝したと説明したときから、そのあとの福田首相もそれに習い、以後歴代の首相は私的参拝と言わざるを得なくなった。三木首相がそういわねばならぬ客観的情勢は何もなく、自分から勝手に言い出したことである。靖国問題が始まったのは昭和60年、1985年の中曽根首相のときからである。中曽根首相は戦後の総決算として靖国懇話会を設け、その報告書にもとづいて60年8月15日に公式参拝を行なった。

このとき朝日新聞が「中国が厳しい視線で凝視している」と書いた。これに対し人民日報は靖国参拝に批判的な日本国内の動きを報道した。はじめは互いに相手国の動きを引用する形で反対運動を開始し、数日後中国外務省が日本の首相の参拝を公式に反対する意思表示をした。その後社会党の訪中で、中国と社会党は公式に参拝批判の気勢を上げ、反対運動は盛り上がり中曽根首相は退陣まで参拝はできなくなった。思わぬ反響に喜んだ中国は首相の靖国参拝を中国外交政策の一部として維持し、1995年ごろの中国の愛国運動などにより中国の国民感情となり、日本の左翼と呼応しながら現在に至っている。

韓国はいつの間にか中国に追随するようになった。韓国が奇跡的な高度経済成長を遂げられたのは、日本の植民地になったのが大きいといわれる。日本がその当時ハード、ソフトの両面から韓国を援助したからある。靖国神社参拝の問題点というのは戦犯を合祀してあるからだということだが、この戦犯というのが戦勝国側から見た概念であり、相対的なものである。戦犯と名指しされた人達が祀ってあるからといって中国、韓国がいちいち文句を言う筋合いはない。東京裁判自体が国際法違反だといわれる。勝った側が一方的に裁判を行なったからである。


加藤  |MAIL