++るうの独り言++
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「こんにちは!」と斜め左やや後方から声をかけられた。 声はあきらかに子どもの声だったから、あわてて振り向く。 そこで私の顔をみてにこっとした少年は、私の記憶にはない子であった。 「こんにちは!」 彼はまた挨拶をする。つられて私も声を出す 「こんにちは〜」
あ、そうか。と思った。 この子はうちの息子と一緒だ。 道で(目が)あった人には知ってる知ってない関係なく挨拶をする子にちがいない。 急に時がさかのぼった感覚になる。うれしくなる。
手に数冊の本をかかえているので、 「図書館にいってきたの?」と聞いてみる。 「そう!」 「おばちゃんも、ほら」私も借りてきた本を見せる。 二人でニコニコする。
とまたその少年が 「こんにちは!」 挨拶は散歩途中の老婦人に向けられる。 そのご婦人の表情からも、やっぱり私の推測は当たっているようだ。
確認するように少年はまた 「こんにちは!」という ご婦人も 「ああ、こんにちはー」と答える。表情が和らいでいる。
「えらいねー、きちんとご挨拶できて」 なにかいわずにはおれない気になってそういった。かつて息子がさんざんそうほめていただいたように。
少年は照れたのか家が近づいたのか、走っていってしまった。 老婦人は散歩の足を止めて彼を見送っている。 私も会釈をしてそこを離れる。
彼のはっきりした声の挨拶が 二人の大人の心をいっとき明るくした。
・・・挨拶の本質はこれだと思っている。 礼儀正しくあれ、というのが一義ではなく、挨拶を交わすことで心がほっこりとなるような、人に対する思いやり。
だから大人は知らない子に挨拶されたとき 「誰だこの子?」とか胡散臭い目でみて挨拶を無視したり 「知らない大人に話しかけちゃだめよ」とか諭したり そんなことしちゃいけないような気がする。
「こんにちは!」には「はい、こんにちは。ご挨拶できていい子ね!」だ。 あなたのご挨拶で私の気分はとてもよくなったよ、とストレートに伝えることが大事なのだと思う。 息子もたくさんの見知らぬ人にそうしていただいた。
もし日本でまったくこれができなくなったら、非常に悲しい。
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