++るうの独り言++
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「日記」とあるからには毎日書くべし と、某悪友より叱咤あり。
だってー、そんな毎日はかくことないんだもーん。 本来はお腹にためておけぬ気持ちの吐き出し場だったので、 そういうものが無ければ別に書くことはないのだ。
いや、そう言わずやってみようか。
ふむ。
◆昔の今日の記事
2001年11月22日(木) |
HP管理者のわがまま |
HP管理者は『人様に確かにHP中身を見てもらっている』という実感を欲しがっている。 いくら自分の欲求を満たすために自己満足で作っているとはいえ、ネットに公開している以上、やはり「人に見て欲しい」という欲求はある。それゆえにカウンターつけたりアクセス解析などしているHPが多いのだろうと思う。 特に、項目ごとに掲示板を設けたり、さりげに隠し部屋などをつくったりする管理人は「こんなところもみてくれてるのかな? 見てくれたら何かいってくれるとうれしいんだけどな〜」などという思いが人一倍強いのである。(わはは) だから、掲示板・メールなどにそれとわかる言葉が一言でも書いてあると1日機嫌がいいのである。るんるんるん♪
したがって、例えばそのHPに「質問することがメイン」で訪れたとしても、ほんのちょびっとでも「中身に触れた言葉」があると待遇は全然違ってくるはず。 言葉はたくさんでなくて良いのだ。HPの全てに目を通す必要もないのだ。極わずかに触れるだけでいいのだ。人の気持ちってそんなもんなのだ。
<良い実例> 「初めまして。マロウの件でちょっと質問があります。(お写真は娘さんですか? かわいい〜) 買ってきたお茶はお湯を注いだ瞬間はきれいな青なんですが、あっというまに茶色になってしまいます。これはどうしてでしょう?」←( )内の言葉が最高!
<悪い実例> 「初めまして。ハーブをたくさん育ててるんですね。私も今数を増やしています。次はマロウを育てようと思ってるんですが、育てるのは大変ですか? またどのように利用すればいいですか?」←表紙だけで中身を見ていないのがバレバレ
さらに。
そのHPの管理者によって考え方は違うだろうし、相互リンク募集と書いてあるところもあるが、基本的には「初対面で相互リンクを申し込む」のはちょっとまったああ! であると考える。
リンクして欲しい人は、そのリンク先を良く知っているが、相手は全く知らないといっていい。(確かに、「あ、あそこか! ちょうどこっちもリンク頼もうと思ってたんだ!」 なんてこともあるがそれは実にまれである) ということは「相互リンク」を申し込まれた時点で、早急に興味のある無しに関わらず相手のページを見に行かなければならない、ということになる。そうでなければリンクの紹介文など書けない。 つまり知らず知らず、相手にいろいろな強制や命令をしてしまうことになるのである。 もっと言葉を悪く言うと 「おめーのところをうちにリンクしてやっから、ありがたいと思ってさっさとうちを見にこい! そんでおまえのところにうちをリンクしろ!」と高飛車に言ってるのとたいして変わらぬ。
はっきりいって人つうのは「強制」されるのはいやである。 おんなじ行為でも「自ら考えてする」のと「やれっていわれてする」のでは全然違ってくる。
本来「リンクさせてくださいね」っていわれたらそのHPの管理人はとてもうれしいのである。そうした場合、「自分の都合のいい時間」に「自分の意志」でそちら様に足を運び、とっくりじっくりと拝見し、感心し、これは我が方にもぜひリンクをはらせていただこう、という気持ちになるものである。 それで結果としては実に気分のいい「相互リンク」になるではないか。 人の気持ちってのはそういうもんである。
<極悪の実例> 「初めまして。そちらをうちにリンクしましたので、相互リンクということでぜひお願いします。バイクのHPですが旅行の記事も多いのできっと気に入ると思います。またそちらのリンクバナーが無かったようなので作りました。うちのリンクバナーといっしょに添付しました。使って下さい」
このウイルス騒ぎのご時世に、見知らぬ人から添付ファイルつきのメールをもらうことがどんなにストレスになるかもわかっていないようだ。 ※ちなみに我が家のリンクバナーは開設当時からずっと変化せずに存在しています。
あ〜、言った言った! すっきりしたっ!!
◆昔の今日の記事
本に没頭するのも私 体を動かしまくるのも私 庭でハーブに戯れるのも私 虫をつまむのも私 毒草ににひにひ笑うのも私 小難しいうんちくをたれるのも私 言葉遊びして悦にいるのも私 鍋つかみをはめてオーブンを覗くもの私 旦那と静かな会話を楽しむのも私 親ばかして目じりをさげるのも私 ・・・・・ 全てが『るう』を構成する要素。 独立しているように見えても、それぞれがみんなリンクしている。 だからどれが欠けても私にはならない。
それゆえ私にはあんなHPしか作れない。 「母」なのに「妻」なのに、 子どもの匂いも夫の匂いもしないHPはもう決して私には作れない。
・・・つくったとしても「絵に描いた餅」のように、むなしく中身のないものになるだけだろう。
◆昔の今日の記事
・1998年6月以来、3年と5ヶ月。我が家に遊びに来てくださる人がいっぱいいてうれしい。ネットがなかったら私はきっと精神的にまいっていたにちがいないと思う。訪れてくれる人全てに感謝である。 が、このごろ方向性を見失っている。10万か引越しをきっかけにやめようかな、とも。(・・・年に何回かわが身を襲う「HPとじたい病」)
・ジャックと豆の木HP、中身を更新してもそれについてはなーんも言わず自分の質問や知識の披露やHP更新のお知らせばっかり。掲示板の意味はもうない。 「公式」と大きく出てはいるが(笑)、ここは全て個人の趣味のぺージなのだ。内容見てくれない人なんか、ぷん!<だだこねてるだけかい(^^ゞ
・ドラマの「シャーロックホームズ」に凝っている。やはりなんたって役者の資質が1番。役に対する意気込みや技術をさらに磨こうという向上心のある人は本物なのだ!
◆昔の今日の記事
今まで人間の 「心身の成長」「知的内的向上」にかかわる仕事をしてきた。 どんなに大変でも実にやりがいがあった。 お母さんという立場もおんなじ。 どんなに小さくても 「成長」「向上」の喜びは大きいのだ。
んが、 これからやろうとすることは 今までと全く違う。 こちらが努力してもおそらく相手には いままでのような成長や向上は望めない。
そういった人々とかかわるために必要な技術は 実際の中で磨いていくしかないにしても、 こちらの「精神」部分の不足は補えるのだろうか。 それだけの修養を私は積んでいない。
今までの自分の人生に対する「感謝」を 形にすることが今度の仕事なんだ、と 認識し始めているのだけれど。
できるのか??
・・・人生の折り返しに向けて このごろ考えることが多い。
◆昔の今日の記事
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