甘えた関係 | ||
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2003年03月31日(月) クローバー |
机の上には、電源のついたパソコン 下敷きの上には、とろりとこぼれてたままのクリニークのリキッド 本棚の上には、飲みかけの白ワインのはいったグラス 床の上には、カバーがはずれかかった本がたくさん シャワーを浴びて、身体にまいたタオルを、ベッドの上から床へ落として、化粧水を足にふきつける 天井には、期限が近づいてきた白熱灯が4コ 窓の外に置いてある埃だらけのあれ、あのなかには、中学生のときにつっこんでおいたテスト用紙がまだはいっているのかしら? 椅子の上で体育すわりして、すこし湯あたり気味のくせにヒーターの電源をいれて、スクリーンセーバが蠢いているのを見つめつつ、小指でマウスワンクリック |
2003年03月27日(木) 書いて泣いて |
少しでも傷ついたものは、欲しくなんてないの まとわりつく邪魔なのが付着しているものも、欲しくなんてないの いつだってまっさらなのがいいの 気まずい沈黙でさえ楽しめるような軽さがいいの 愛されるのは好き 「今のそれをもう1つください」と言うほどに好き やっぱり、誰も真っ向から信じることはできない 誰かが病んでようと健やかだろうと、心配はする、けれど、結局その人自身のことであってあたしには関係のないこと 死を選んでも別に構わない 役回りから逃げたことに憤りを感じるだけ 生身の人間には薄っぺらな好きしか持てないし、受け入れられない ふいに触られたとき、相手の体温に吐き気をもよおすことなんて、常々 もよおさなくても、その温かさにどこか安心をしながらざわざわと気配を窺がう 理由はとっくに解かっている 自分以外も生きてるって、人間だって、認めていない だから、相手のその体温が感情が、気持ち悪くて仕方がないのだ あたしは全然進んでいない 育っていない 相手も自分も人間であると認め一歩二歩三歩踏み出した人たちを眺めてはいても、自分の足元を見ることができないでいる これも個性のうち、それは違うだろう 認識してはいる そのうえで、立ち向かうチャンスを自分で捨てては、そういうことも現実よね、なんて見当違いのことを呟いて別方向なんて見やる 「病めるときも健やかなるときもあたしにとって強大なあなた、大好きですが別れましょう」 後悔をする言葉を伝える権利はないのかもしれない この感情が邪魔で気持ち悪いとしか思えない、だから早く捨ててしまいたい このあたしの歪みなどとはもう言えない欠落は、どうやったら直るのだろう 人間が気持ち悪い この欠落は、どうやったら埋まって、どうしたら皆に追いつくのだろう 本のページをめくり、ブラウン管の画像を追い、20年近く、ずっと理解できないでいる みんな、人形だといい みんなみんな、つるつるとした表面で満足をしていて、からんがらんの人形だと嬉しい |
2003年03月20日(木) 99 Luftballons |
そんなに相手を殺したいなら、両者で一騎撃ちをやらせればいい。 向かい合ったそのときに、やっと背筋が凍るんだろうよ。 軽いと思っていた相手側の生命。 重いと思っていた自分側の生命。 同等だったと気づくんじゃないかね。 白いボードからモニターから、両者とっとと出てこればいい。 人間を殺したらいけません、とかの前に、他人の日常を壊したらいけません、じゃないのかね。 政治的な関係、歴史的な因縁、それくらい勉強した。 もっと論理的に、3手先まで考えてから、合意を得て。 わかってる。 第一次的ソースを提供しないで素敵に加工したレジュメを配布して、解かってないからああいう正義を掲げられるんだと、サークル組んで肩と眉ひそめて左口の端あげて互いをこすりあって。 けれど。 許可も得ずに他人の日常に土足でずかずか立ち入る権利は誰にもない。 孤高じゃどうしでも出来ないのなら、賛成者だけ閉じ込めた競技場で正義でも殺しでも何でもやればいい。 遺憾してあげる。 |
2003年03月17日(月) 未必 |
『諦めてうちに来たら?』 |
2003年03月12日(水) 似顔絵 |
にの絵日記 |
2003年03月11日(火) レッド |
自室のドアを閉める権利も、あたしには、ないのですか 誰かとした電話やメールの内容は、すべて、教える義務を伴うのですか 何かをする時間も、すべて、報告をし把握させコントロールされなければ、いけないのですか 用事がなくても、毎日外へ、出掛けなければ、いけないのですか 管理したいのか、したくないのか、どちらですか 逆らうと、そんなに、気味が悪いのですか 見てすぐわかる簡単さが、健やかさですか 自分と同じ人間で、世界は構成されていると、本当に信じているのですか 目の前から、消えてほしいのか、ほしくないのか、どちらですか |
2003年03月09日(日) BELL |
おねがい 受け入れられないなら、初めからそう言って 受け入れられなくなったのなら、なったときにそう言って 言ってくれなきゃ、あたしにはわからない 自分をも信じていないから、誰かに言われないと、停まらないよ おねがい カオしかめて眉ひそめて、他の人や自分の内心に本音語って、あたしには聞かれないように囲うのは、親切なんかじゃない 『死ねばいいのよ』 その一言に大笑いをする人たちと、あたしの悪口を言うの、そんなに楽しい? いつもそうやってきたんだね 気づいてはいたよ ドア少し開けて、声が聞けるように、時々していた 知ってはいたよ けれど、おねがい 要らないならはやく言って 嫌いならはやく言って 直接言って、言って |
2003年03月06日(木) イエロー |
こんなことをここに書くのは間違っている。 書けば誰かが読んでしまう可能性が出来てしまうこと、書かなければ誰も読まないまま終わること。 そう認識されるのは、自分で招いたことであるし、そう理解されるのは、自分がさせようと思ってしたことでもある。 自分の思い描いた通りになって嬉しく思えるはずであるのに、虚脱感、またやってしまったなんてぼんやりと思う。 会ったら絶対みせることのない部分を、みせよう、みせれる、と、思っていた。 会わなければみせることができると思っていた。 間違いだった。 会わなくても、みせることはどうしてもできなくっていく。 弱さには強さで、強さには強さで、みせあうことしか、できない。 押しこんだ弱さをやがて消化できる自分になれることを祈って、そのときを待ち、いまはただ押しこむことに専念をする。 誰も、誰かを信じる義務や必要なんてない。 誰も、誰かを若しくは誰もを信じないことを選べる。 そう言い聞かせれば、少しはあたしは楽になれるのだ。 どこかでやっぱりこの道は間違ってるよ、だなんて思いながら。 書いてどうするっていうんだろう。 載せる自体で、これは不快な思いを、罪悪感を、歓喜を、招かせるものなのかもしれない。 |
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