2019年12月31日(火) |
ゴーンは行ってしまった |
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2019年はゴーンがGoneして暮れた。彼が卑怯な方法で出国するということをどうして日本の裁判所は考えられなかったのだろうか。少なくとも彼が関係するブラジル、フランス、そしてレバノン政府関係者の動きは警戒する必要があったと思うのである。この3国の中でもっともルールおかまいなしなのがレバノンであり、国際テロリストのあの岡本公三もそこで無事に暮らしてることを思えば、レバノン関係者の動きには十分注視する必要があったのだ。
ゴーンの莫大な海外資産を思えば、ゼニに目がくらんだ協力者はいくらでも出てくるだろう。脱出に協力すれば高額報酬ということをちらつかせればいいのである。
ゴーンは日本では公正な裁判を受けられないということを逃亡の理由にしている。その一点に関してはオレも同意する。ただ、今回のゴーンの容疑はたかだかゼニカネの問題であり、認めればゼニを払ってなんとかなることである。どうせ実刑判決はつかない。そのゼニさえも払いたくなかったゴーンは、保釈金15億円を放棄して自由を選んだのだ。つまり彼にとって保釈金の15億円は安すぎたのである。彼の隠し資産のことを思えば保釈金は1000億円くらいに設定すべきだったのだ。そうすればそもそも保釈金自体を払えなかっただろう。設定した保釈金の金額があまりにもはした金だったというのが今回の逃亡の原因である。
日本の刑事裁判には無罪推定の原則が存在しない。捕まった以上有罪であるというシナリオのもとに取り調べが進む。山口敬之の逮捕状が中村格刑事部長によって握りつぶされたのも、もしも逮捕されてしまったら有罪にされてしまうからその前に止めたのである。
ゼニさえあれば優雅な海外生活を送ることができる。ゴーンの隠し財産はいったい何百億あるのだろうか。その財産は日産の社員の給与を削り、取引先を倒産させたりして手に入れたものである。
自前で船や飛行機を持っていれば出国は簡単にできる。大型クルーザーを持っていればそこに人間や覚せい剤を隠すことはいともたやすいのである。それくらいの金持ちはいくらでもいる。プライベートジェットを持ってる日本人はまだまだ少ないが、ホンダジェット程度を購入可能な金持ちはきっとかなりいるはずだ。
ゴーンは行ってしまった。日本の法制度は完全に舐められたのである。もっともすでに日本の司法制度は世界の笑いものになっている。伊藤詩織さんの準強姦事件で首相の側近という理由で逮捕状を差し止めた事実は世界で報道されている。法律の運用が為政者によって恣意的になされ、現場の人間が緊張感もなくすぐに容疑者や拘留中の人を取り逃がしてしまうのが日本である。麻薬の運び屋も裁判の時に「知りませんでした」と泣けば許される。たぶんこれからも世界一遅れた司法制度の国として、あきれたことがたくさん続くのだろう。
←1位を目指しています。
2019年12月30日(月) |
宝くじを買うのは馬鹿 |
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年末ジャンボ宝くじの売り上げが伸びなかったという。賞金は高額化するわけで、ますます当たらなくなったというのが実際の所だろう。そもそも還元率が5割に届かないそんなギャンブルにどうして群がるのかとオレはあきれるのである。
オレは宝くじなど買わない。そんなものに投資するならまだ競馬の馬券を買うほうがいい。そっちなら還元率は75%ある。そして株式投資や為替取引ならば胴元の取り分が少ないのでもっと儲かる。
宝くじを買うのは貧しい人が多いという。実際の所、宝くじは馬鹿な貧民から搾取する装置にしかなっていないのである。勝った瞬間に半値になる株を誰が買うだろうか、テラ銭が5割の公営ギャンブルに誰が行くだろうか。そういうふうに考えたとき、こんなに還元率の悪いものがいまだに存続し、多くの人が購入しているのがオレは不思議でならないのだ。きちんと学校で「宝くじを買うのは馬鹿」「株式投資したほうがずっと賢い」などと教えるべきだろう。
もっとも今の株価は官製相場で、公的資金や日銀の買いで吊り上げてるわけで、適正価格とはとても言えない。一度暴落して金持ちがみんな資産を吹き飛ばしてから、落ち着いたところで買うのが賢いのかも知れない。
宝くじで高額当選した人は分不相応な大金を手にしたために身を持ち崩す人が多いという。当たってもそういう悲劇があるし、当たらなかったらただの浪費だし、そう考えればこんなものは百害あって一利なしである。
宝くじの収益金はさまざまな社会的な活動に使われている。ヤクザが博打で儲けた金はそのままヤクザがよくないことに使うわけだが、宝くじの場合は少なくとも負けた分のゼニは社会をよくするために使われるのだ。そう考えると、「投入したゼニの半分は寄付行為」であるという認識を持てばいいのかも知れない。
そうなると「馬鹿」は言い過ぎである。タイトルのことばは撤回しよう。宝くじを買う人たちは善意の人たちである。買った瞬間にその半分を寄付しているのである。宝くじを1000円買うということは、500円を寄付しているということなのである。もっとそこを強調すればどうか。半分は恵まれない人たちへの寄付なんだと思えば、負けても納得いく人もいるだろう。「宝くじが当たらないこと」=「善意の寄付行動」という見方も可能なのである。
いっそ、税金をみんな宝くじで運営できないだろうか。だったら世間の重税感はなくなるだろう。しかし、オレが今支払ってる税金はとても大きな金額である。その倍の金額の宝くじを買うほどオレは馬鹿ではない。金持ちほど宝くじなんか買わないからたいした売り上げにはならないのである。
さまざまな会社を運営していて利益を上げている地方自治体が税金(地方税)なしを売りにして住民を集めるという戦略があれば面白いかもしれない。また、還元率が95%くらいある「当たる宝くじ」を売り出すところがあってもいいとオレは思うのだ。
泉佐野市は「ふるさと納税」の仕組みの裏をかいてそれを収益事業にしようとたくらんだ。その結果、総務省ににらまれてついにふるさと納税の仕組みの対象から外されてしまった。
ネット投票の仕組みをうまく導入して公営ギャンブルは売り上げが伸びているという。カジノなんか作らなくても工夫によって現行の仕組みはもっと売り上げを増やせるのである。郵便局もかんぽの不正販売なんかで老人の金をだまして巻き上げるのではなく、全国津々浦々で中央競馬の馬券が買えるような仕組みを作ればよかったのにとオレは思うのである。これもまあトップが馬鹿だから仕方ないのだが。
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2019年12月29日(日) |
受験を舐めてるキミへ |
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もうすぐ大学入試センター試験である。全国で多くの受験生がその試験のためにお正月も勉強に励んでるわけだが、もちろん勉強が足りずに志望校に届きそうもないと嘆いている受験生も多いだろう。志望校に対して模試でA判定やB判定をもらっている人はほんの一握りで、多数派の受験生はオレがここで雑文を書いているこの瞬間も必死で勉強に取り組んでいるのである。
さて、高校3年生や浪人生にとっては受験は目前だが、それ以外の高校生にとってはまだまだ入試なんてまだまだ先である。そういう生徒たちは二つに大きく分かれる。一方は謙虚に自分の不勉強を反省し、必死で取り戻そうとしている生徒たちである。地道に学習時間を増やして少しずつでも志望校に近づきたいと思っている生徒である。このような生徒たちはたとえ志望校には届かなくても、浪人して目標を実現する可能性が高いし、第一志望でなくても自分の進学先を努力の結果として前向きに受け止めることが可能である。
勉強を地道にコツコツやるためには、丁寧に問題を書き写し、ノートを作り、わからなかったところや解けなかったところを質問し・・・という感じでとにかく根気が必要だ。英語の勉強に取り組むときには、音読もリスニングも作文も英文解釈にも、すべて丁寧に取り組むことで総合的な英語力が向上していく。膨大な時間をかけてやっと結果が出るのである。一日に5時間も6時間も必死で家庭学習に取り組まないといけないのである。
さて、問題なのはもう一方のタイプである。完全に受験を舐めている生徒が存在するのである。これまでほとんど勉強してこなかったので、そもそも勉強とはなんであるかがわかっていない生徒である。全然勉強していないくせに、他のまじめな受験生に対して「ダッセー」とか悪口を言う。ダサいのは馬鹿丸だしなおまえである。
そういう生徒の勉強の仕方というのはみんな驚くほど同じである。参考書をぱらぱらと眺めていたり、英語の単語集をただ眺めていたり、歴史の用語集をただ眺めているのである。そして15分も眺めていて疲れると「オレ、いまめっちゃ勉強したな」と自己満足するのである。ただ見ているだけだからすぐに忘れるのである。記憶容量が極端に少なく、他の受験生がギガ単位のHDDのように知識を蓄えてるのに、まだFD(フロッピーディスク)並みの記憶容量で立ち向かおうとしているのである。
そういう感じで勉強を舐めている受験生はFランク大学以外には合格できない。それが現実なのである。
中高一貫の進学校で東大や京大を目指していて、成績上位にいる生徒というのは毎日3〜4時間の家庭学習をずっと続けてきているのである。中学の間に毎日3時間×365日×3年間勉強すれば、実に3285時間も勉強してきているわけだ。その3年間をゲーム三昧で遊んできた生徒は、おそらく3年間でマイナスの学力を身に着けてきている。きっと中学受験の時に覚えた漢字をほとんど忘れているだろう。
これまでに延べ5000時間以上勉強した生徒に、全く勉強してこなかった生徒がどうやって勝てるのか。勉強以外のもので考えてみればわかるだろう。どんなスポーツでも素人が数年間トレーニングを積んだ選手に勝てるわけがない。きちんと勉強してきた受験生というのは丁寧に基礎トレーニングを積んだアスリートみたいなものである。そこに全くスポーツをしていない素人が勝てるわけがないのである。
一年後の大学受験共通テストで8割以上の得点を取るためにはどうしたらいいのか。「息抜きのためにゲームは一日1時間くらいやりたいです」と言ってる人は、そういう人でも合格できるレベルの大学に行くしかない。
オレは高校2年、3年の時は一日に6時間くらい勉強した。もちろん今ならもっと少ない時間で効率的に勉強できる受験生が普通だろう。今はさまざまな学習教材があるし、すぐれた予備校教師の授業を動画で観ることもできる。オレの時代は参考書や問題集という紙の媒体しかなかったし、英語のリスニングの試験もなかった。
オレの受験した時代に比べて18歳人口は6割くらいになった。入学定員が変わらないのだから昔に比べて東大や京大ははるかに易しくなっているのは事実だ。他の大学もみんな易しくなったのだろう。
オレの目には受験勉強を舐めているようにしか見えないお気楽な受験生たちも志望校に合格していくのだろうか。相変わらずゲームばかりして遊んでいたり、そもそも勉強する意味がわからないと言って何もしなかったり、勉強は嫌いだからしたくないと豪語する生徒たちも大学には入りたいという。なんて甘いのだろうかと思うが、実際に世の中は甘くて、厳しいと思ってるのはオレのような時代錯誤のオッサンだけかも知れないのである。だって国会議員や官僚はあんなにウソばかり言っても許されてるじゃないか。
そんな理不尽な世の中で、受験勉強なんかしてるのはもしかしたらダサい行為なんだろうかと、オレは自問自答してしまうのである。時代錯誤のジジイは現代の受験生から見ればただの「うるさいオッサン」でしかないのである。
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2019年12月28日(土) |
少子化をいますぐ止める方法 |
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これから日本の人口はどんどん減少し少子高齢化という流れは止まらない。結婚しない若者が増え、結婚しても子どもを作らない人も増えた。団塊ジュニアの女性たちがもう出産年齢を過ぎてしまったために今から子どもを増やすのは不可能のように見えるのだが、オレがここで提案する禁じ手を使えば、いますぐに日本の人口を増加に転じさせることが可能である。もちろんそれはさまざまな問題点をはらんでいるわけだが、政治家たちが本気で少子化対策したいのなら、この究極のプランだけがそれを可能にするのである。
オレの提案は「中絶新法」の導入である。今、年間に100万件以上行われている人工妊娠中絶で失われている胎児の生命を救うという究極の手段である。人工妊娠中絶を希望している女性から、その胎児を国が買い取るのである。100万円程度のお金を出して国がその子にまつわるすべての権利を母親から買い取ってしまい、個人の子ではなくて国家の子として育てるのだ。
孤児院を大量に建設して、そこで「国家の子」を養育する。子どものない夫婦や同性婚の夫婦が里親になることを希望した場合はそこからあっせんする制度を作る。国家の子には、大学卒業までの学費を国が支援する。つまり、実質無償で本人の望む進路を国が保証するということである。
国設孤児院には親代わりになる職員を「仮親」として大量に雇用する。一人の仮親が子供20人程度の面倒をみるという仕組みにし、相性が悪い場合には仮親をチェンジすることも可能にすればいい。ただ、仮親になれるのは保育士などの資格を持つ人に限ることにする。もちろん仮親の身分は国家公務員である。
また、民間の経営する孤児院も基準を満たせば認可し、そこには国から運営補助金が支給されることとする。
国家の子たちが働いて納税者になるまでには20年以上の月日を必要とする。しかし、この制度を導入すれば少子高齢化はストップするし、そうして育った国家の子が社会に出てくれば劇的に日本は変わるだろう。
親による子の虐待がやまない。また、親からの性暴力もある。もちろんそれはごく一部の事例だと思うが、そのような悲劇を無くすためにはもう「子育て」ということを親たちから取り上げてしまうということも一つの方法ではないだろうか。
ほとんどすべての親が「子育て」を放棄してすべての子が「国家の子」として育つようになれば世の中は劇的に変わるだろう。その時、日本という国はすっかりと雰囲気を変えているような気がする。
国設孤児院では子供たちに奉仕の心、国際貢献のために命を捨てること、平和を愛することなどをしっかりと教え込み、また学習にもきちんと取り組ませることが可能である。変な親に変に育てられる結果、犯罪性向を持ったまま成長するとか、いじめ加害者になってしまうとかいう可能性も、適切な教育を与えることできっと防げるような気がするのである。
もちろん、実の親から引き離すことで知らずに近親婚してしまうリスクも発生するだろう。それを防ぐ技術が今の日本にはある。DNA鑑定してそのデータを登録しておけばいいだけのことである。そうすれば100%近い率で親子や兄弟の判別が可能である。
少子化対策として誰もこうしたプランを思いつくことはできなかった。その結果日本の少子化はどうしようもないところまで進行し、馬鹿な政治家は足りない労働者を外国人で補おうということまで考えるようになったのである。その結果日本文化の伝統が失われ、国民性が劇的に変わってしまうというデメリットを何もわかっていないのである。
中絶新法で子どもと引き換えに支給されるゼニを目当てに子どもをじゃんじゃん産む若い人が出てくるならばそれは許容範囲だと思う。育てられないという理由で子どもが殺される悲劇よりも、国家が面倒見てくれるほうがずっといいに決まってるだろう。
このプランは実にむちゃくちゃな内容だが、一考の余地があると思う政治家もいるとオレは思うのである。
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老人が不注意で若者を死なせる事故が頻発している。特に免許返納しない老人ドライバーの運転でそうした事故が起きているのである。オレはこのような交通事故を普通の事故と同じように罰してもいいのかと疑問に思うのだ。
未来のない老人と将来ある若者、この両者の生命の価値を比較した場合、絶対に同じのはずがない。老人を1とすれば若者が100くらいの差があると思うのである。そんな1が100を失わせるというのは本当に大きな罪であるとオレは思うのだ。
こんなことを書くと、「老人の命は軽いのか?」という抗議を受けそうである。しかし、99歳の老人と生まれたばかりの赤ちゃんの命のどちらが重いのかと訊かれれば、それは誰でも赤ちゃんの命の方が重いと答えるだろう。
目の前で川に流されてい老人と赤ん坊がいる場合、どっちを救助するだろうか。その場に遭遇した人は100%赤ん坊を救うと思うのである。もしも赤ん坊を見捨てて老人を救う人がいるとしたら、その老人の息子や娘しかないのである。
それほど命の価値に差があるのに、理不尽な事故が毎日のように発生している。アクセルとブレーキを踏み間違えて駐車場で暴走してスーパーに突っ込む老人ドライバーや、高速道路を逆走して他のクルマに正面衝突する老人がいるのである。
もちろん交通事故に関しては「実際は免許取り立ての若者の方が多い」という反論もされるし、ニュースにならないので報道されていないがきっと若者の事故率は高いのだろう。ただ、不謹慎な話だが20歳が17歳をはねても年齢差はそんなにないのである。ところが90歳が17歳をはねてしまうということになると、大変なことが起きたような気分になるのだ。
そこでオレは「未来迷惑罪」というものを導入すべきだと思うのである。老人の不注意で若者を死なせてしまった場合、その老人を死刑にしたうえで財産をすべて没収し、すべてを失わせる一方で、犠牲になった方の遺族にすべてそれを引き渡すという罰を科すのである。
どうしてこんなことを言いたくなったかというとやはりあの池袋暴走事故の上級国民の件があったからだ。理不尽な形で妻と子を失った遺族と、どうせ賠償は保険金で払われるからと何の痛みも感じない上級国民の家族を比べるとあまりにも差がありすぎだ。だからこそ上級国民の持っているものをすべて、家族を奪われた方に賠償として提供すべきではないのかとオレは思うのだ。未来迷惑罪、あなたはどう思うだろうか?
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2019年12月26日(木) |
向日市の文化財行政を嘆く |
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西国街道といえば、京都から西に向かう街道として多くの歴史上の人物が歩いた道である。長州藩から上京した維新の志士たちもこの道を歩いたし、伊能忠敬も日本地図を作る過程でこの道を歩いている。その西国街道が通過する京都府向日市に、富永屋という築280年の旅籠が現存している。ただ、その建物は老朽化が激しく、現役の建物だが耐震性などに不安が残るのである。耐震補強などの費用負担を向日市が放棄したため、このままでは取り壊される運命となっている。オレはなんとかそれを食い止めたいし、頑張ってこの建物を守ろうとしている方々に協力したいのである。
新しい建物を作ることは簡単だが、今から築280年の建物を作り出すことはもちろん不可能である。そもそも今存在している建物の中で280年後にも存在する建物がどれだけあるだろうか。280年前の建物で今でも残っているものが日本にいったいどれだけあるだろうか。
京都では多くの町家がマンション建設などのためにどんどん失われてしまった。そうした建物の保全は大変である。その負担を行政側が持ち主だけに押し付けた結果、どんどん不動産業者に売却され、その価値もわからない連中に安値で買い取られて、ミニ開発のマンションが立ち並ぶということになって景観もその土地の文化や伝統も破壊されてしまうのである。
もしも向日市長がこの文化財の価値を理解し、保全しようとして行政側でその費用を負担する気になれば富永屋が解体されるようなことは絶対に起きないだろう。向日市の予算の中に文化財の保全や維持のために使えるゼニは全くないのだろうか。仮に向日市にそうしたゼニを出す余裕は全くないとする。では国から予算を獲得してなんとかしようという熱意のある職員は一人もいないのか。
富永屋はかつて旅籠として多くの旅人に利用されてきた。その建物をうまく活用することで「江戸時代の旅」を体験する観光施設として外国人旅行者の人気を得ることが可能である。今の日本には偽物ばかりがはびこっている。そのまがい物を旅行者が勘違いして「ホンモノの日本」と思ってしまうことがオレは残念でならないのである。
280年前に庶民が普通に旅行できたような国は世界で日本しかない。旅行というのはどの国でも王侯貴族の贅沢な娯楽であった。参勤交代の制度によって整備された宿場町が日本中に存在し、低廉な料金で利用できた庶民向けの宿屋が存在したことは他国に例を見ない稀有のことなのである。その歴史を物語る貴重なこの富永屋の解体を絶対に許してはならないのである。どうかオレのこの記事を読んだ人は一人でも多くの方にこの事実を広めてもらいたいのである。
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2019年12月25日(水) |
カジノ利権に群がる連中 |
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IR(カジノ関連施設)にまつわる疑惑で秋元司議員が逮捕され、他にも取り調べを受けている議員がいる。オレは議員や首長が必死でカジノ誘致のために動くのはゼニが目的だと思っていたが、やっぱりそうだったのである。
カジノができることで住民にとってプラスになることなど何もない。この世にはたくさんの迷惑施設があるが、パチンコ屋の迷惑さを100倍くらいにしたものがカジノだとオレは思っている。オレの住む大阪南部というのはかなり民度の低い地域で、治安も悪くパチンコ屋もかなり多いのだが、平日になるとパチンコ屋の前で大勢のDQNが開店を待っている。朝からタバコを吸ってスマホゲームにいそしむそいつらを見ると、オレのようにまっとうに働く人間は本当に気分が悪くなる。そのDQN人口が100倍になるということは想像したくないのである。
日本にカジノはいらない。カジノなんか作らなくても日本にはたくさんの娯楽文化があり、外国人の観光客をひきつける魅力がある。カジノが本当に好きな人は別に日本に来なくてもマカオや香港に行けばいいのである。
500ドットコムという怪しい中国企業が、日本での新たな金儲けのために進出してきて、IR担当だった秋元司議員に接触した。賄賂を贈るだけではなく、さまざまな接待が行われたのだろう。もしかしたらここで書くのがはばかられるような(ムフフ・・・)ということがあったかも知れない。そんなことで篭絡される人間はダメなのである。日本の恥なのである。大臣を務めるような人間はゼニや女では篭絡されない強い意志の持ち主出ないと駄目なのである。(オレなんかは絶対に無理である。)
大阪にもカジノが来るかもしれない、吉村知事が誘致に関して透明性云々を語ってるが、そもそもカジノという産業が透明性の高い事業のわけがないのである。そんなものは絶対にありえないのである。お客が誰も損をしないでみんな勝って帰れるようなギャンブルはないだろう。どんな形で負けるのかは別にして、基本的に客からゼニを巻き上げるのがギャンブルである。もしも誰か大儲けしている人がいれば、その数十倍負けて帰る人がいるのだ。つまり、ほとんどの人を不幸にする仕組みがギャンブルなのである。
オレはパチンコという馬鹿な娯楽をいつまでもやめられない人が多いことが不思議だったわけだが、きっと中毒や依存症になってるのだろう。
横浜にカジノを誘致する件で急に態度を変えて住民を裏切った林市長にはいくらゼニが渡ったのだろうか。真相はすべて闇の中である。ただ一つ言えることは、政治家になるのは志の高い人だけではないということである。馬鹿でも世襲で議員や大臣になれるし、総理にもなれる。オレのような人間がいくら理想を語っても、若者は投票にもいかないし、組織票は崩せない。自民党は小選挙区制を導入することでわずか14%の支持で盤石の政権を手に入れてしまっているのである。
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2019年12月24日(火) |
温暖化の先に何があるのか? |
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今年も雪不足で多くのスキー場が営業できないという。蔵王の樹氷も雪が積もらないので雪上車が出せないということらしい。豪雪地帯だった北陸でさえも雪がないという信じられない状況が起きているのである。
雪が降らないのは温度が上昇したからである。雪ではなくて雨が降るのだ。北海道ならかろうじて雪があるが、東北や信州のスキー場はかなり打撃を受けているし、それ以外の地方ではそもそも存続が不可能なのである。
兵庫県の北部にある神鍋高原やハチ高原は京阪神のスキーヤーにとっては手軽に行ける場所だったわけだが、もはやそこで降雪を期待することは難しくなってしまった。もともと気温が高くて雪質もべちゃべちゃで、決してスキーに向いた場所ではなかったわけだが、今は人工降雪機で細長い帯のようなゲレンデをかろうじて作ってるという状態である。
このまま地球温暖化が進行すると何が起きるのだろうか。すでに海面上昇による被害はあちこちで発生している。
子どもの頃、冬は雪が積もって水たまりには氷が張るものだったし、少なくとも雪のつもらない冬はなかった。それがいつのまに雪が降らなくなったのだろうか。オレは今の学園に勤務するようになって26年になるが、その26年間の中で積雪のためにクルマでの通勤が不可能だった日は一日もない。
このままどんどん暖かくなっていくことが生態系にどんな影響があるのか想像もつかない。多くの生物がその変化に対応できずに絶滅しするわけだが、温暖化によってこれまで生存不可だった寒い土地で繁殖可能になる動物もまたいるわけで、その先に起きることは予測不能なのである。
こうした生態系の危機に対して大人たちを激しく非難した少女、グレタさんに対して多くの大人たちが攻撃した。しかし、現実に縛られた大人と違って若者の発想は純粋である。戦争をやめない大人に対して、「いいかげんにそんな茶番はよせ!」と言えるのは実は純粋な心を持った子どもではないのか。洗脳されて頭が腐っていて間違ったことをやめられない馬鹿は実は大人の方ではないのか。
地球の平均気温がさらに10度以上上がり、いつのまにか北極も南極も氷が解けてしまって海面が数m上昇し、世界中の沿岸部の街が水没してしまってもまだ人類が滅亡することはないだろう。しかし、そうした混乱の中で戦争が起きれば確実に世界は滅びる。
人類の英知をもって温暖化と戦える可能性があったのに、温暖化の混乱が「住める土地を奪い合う」という結果につながって戦争をもたらすとしたら、なんのために人類は知恵を持っているのかと嘆かわしくなる。
人類はいずれ滅亡する。あと100年持たないかもしれない。もしかしたらオレが生きてるうちに審判の時が来るかも知れない。もうそうなると温暖化を食い止めるどころではなくなるのである。
化石燃料を持たざる国である日本こそが地球の未来を変える国であるとオレは思っていた。その日本はいつのまにか大企業は利益の追求に邁進し、Fランク大学はニート養成所となり、政治家は私利私欲しか考えないクズばかりになってしまった。温暖化で世界が滅びる前に、政治が腐って日本が滅びてしまうような気もするのである。子供だましのウソしか言えない恥ずかしい人間が選良のわけがないだろう。
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2019年12月23日(月) |
セブンイレブン一揆しかない |
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時短営業で話題になった東大阪市のセブンイレブン店舗が、正月休業を届け出たことに対してセブンイレブンの本部が契約解除ということを申し渡したという。時短営業を主張することでコンビニオーナーの権利主張の旗頭となっていた方に対して、その訴えを受け入れるのではなくて店をつぶして黙らせるという最悪の行動に出たのがセブンイレブン幹部である。このような動きに対してオレは弱者の代弁者として「セブンイレブンオーナーの一斉蜂起」という作戦を提案する。
ここまでの報道でセブンイレブン本部のかなり悪辣な行動がすでに暴露されている。社員によって勝手に発注されてしまうというひどい営業妨害も起きている。ところがお上からの指導もなく、国はその傲慢な態度を放置している。監督官庁はセブンイレブン社長を呼びつけ、改善の指導と罰金、場合によっては社長の逮捕くらいのペナルティを科すべきだとオレは思うのである。FCオーナーに対する搾取とパワハラはもはや犯罪的である。
弱きものの抵抗の方法とは何か。それは一斉蜂起(一揆)である。日本中でセブンイレブンのFCオーナーが一斉蜂起して休業するのである。全店舗の9割くらいが休業し、社長退陣と本部の搾取をやめることを訴えるのだ。
もしもオレがZOZOの前澤社長のような大富豪で、セブンイレブン株を大量保有して乗っ取れるほどのゼニがあるならば、会社を支配して搾取をやめさせ、コンビニオーナーを救うだろう。コンビニという存在がATMや宅配便の拠点も兼ねた社会の重要なインフラとなっていることの意義を理解して、他のコンビニとの住み分けをはかり、ドミナント出店方式をやめさせる。ライバル店が隣り合っていてもなんの意味もないからである。
しかし、そうした志の高い経営者が今の大企業のトップの中にどれだけいるだろうか。今の会社トップといえばたいてい金儲けのことしか考えてないクズ野郎ばかりである。そんなクズ野郎がセブンイレブンの社長となって末端の社員をワーキングプアに追い込み、コンビニオーナーを過労死や自殺に追い込んでも平気でいるのだ。
全店休業という一斉蜂起によって、もちろん売り上げがなくなることでFCオーナーたちは大きな損害を負うことになる。労働者たちが打つストライキと違ってオーナーたちは実際の損害を受ける。いわば身を切るような戦いなのである。オーナーが団結できないのはそういう背景があるからだ。そこにFC方式の落とし穴がある。
コンビニのFCオーナー一人一人は小さな力だが、団結すれば大きな影響力を持つことができる。そのリーダーを理不尽なやり方でつぶすことで、セブンイレブンは批判を封じこめようとしてるのである。このようなことを断じて許してはならない。
オレがこのブログでずっと訴えてきたことは「弱者の連帯」である。一人一人の小さな力であってもそれが連帯すれば大きな力になる。場合によっては国の政治を動かすことにもつながるのだ。たった14%の支持で国政を支配している自民党のお友達利権政治をぶっつぶすことだってできるはずだ。
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2019年12月22日(日) |
傷つけられたものが声をあげること |
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伊藤詩織さんとの民事訴訟で敗訴した山口敬之はこのような発言をしている。
「性被害に遭った人間が笑ったり上を向いたり、テレビに出演してあのような表情をすることは絶対にない」
この発言の傲慢さ、異常さに何も気づかないとしたら、その人間は正真正銘の馬鹿であるし、世の中の多数派の「いじめ加害者」の擁護者でしかない。
性犯罪の被害に一度でも遭えば、その人は二度と笑ってはいけないのか。明るい表情をしてはいけないのか。一生その苦しみを抱えたままうつむいて生きよと言うのか。山口氏の発言はそういう意味なのである。それはいじめ加害者の側を正当化する論理でしかない。
性犯罪の加害者はたいてい相手をこのように脅すのである。
「バラされたくなかったら誰にも言うな。言ったら殺す。」
その言葉をそのまま受け止めて、そうして泣き寝入りする人がどれほど多いことか。その結果加害者は自分の行為を反省することもなく、一つの成功体験として同じ加害行為を永遠に繰り返すのである。もしかしたら山口氏は過去にそういう加害行為を何度もした経験があり、被害女性がみんな泣き寝入りしたから今回の伊藤詩織さんの件を「絶対にない」と言い切れるのかも知れない。
性犯罪の被害に遭うことは恥ずかしいことではないし、本人の落ち度でもない。それを多くの女性たちが隠さざるを得ないようなことになっていたのは、山口敬之のような人間が世間に多数存在し、被害女性たちの名誉を貶め、傷つけてきたからに他ならない。
伊藤詩織さんの事件を検察審査会が不起訴にした後、裁判で次々と多くの性犯罪が無罪とされた。娘を長期間レイプしてきた父親が、裁判官によって「合意があった」とされて無罪とされたりした。それは司法関係者が整合性を取ろうとして性犯罪一般の認定基準を変えてしまったからだとオレは思っている。日本の司法制度はクソだが、その背景にあったのがもしも伊藤詩織さんの事件との整合性を取るためならば本当にクソすぎる。
傷つけられた者たちが声を上げること、声なき者たちが訴えることが世の中の理不尽を打ち破るためには絶対に必要である。そして強者はそれをいつも踏みつぶそうとする。香港を弾圧する習近平もそうだし、お正月の休業を発表したFCオーナーを契約解除するセブンイレブン本部の傲慢である。
村上春樹さんは講演の中で訴えた。
「もし、硬くて高い壁と、そこに叩きつけられている卵があったなら、私は常に卵の側に立つ。そう、いかに壁が正しく卵が間違っていたとしても、私は卵の側に立ちます。何が正しくて何が間違っているのか、それは他の誰かが決めなければならないことかもしれないし、恐らくは時間とか歴史といったものが決めるものでしょう。しかし、いかなる理由であれ、壁の側に立つような作家の作品にどのような価値があるのでしょうか。」
大きな力の前では小さな正義は無力である。しかし、オレは正義を訴える壊れやすい卵でありたい。常に弱者の側に立ちたい。
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2019年12月20日(金) |
困ったら埋めチャイナ |
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中国広東省広州市で12月1日、地下鉄工事のため地盤沈下が起きて大規模な道路の陥没が発生し、自動車と電動自転車がその穴に吸い込まれるという事故が起きていたそうである。日本ならすぐに工事を中止して救出するところだが、そこは文化大革命で1000万人殺したほど命の軽い国である。周囲に目隠し板を貼って見えないようにし、大量の生コンを投入してそのまま埋めてしまったのである。
こんなことで工事が遅れると困るということなのだろうか。それにしてもひどい話である。被害者の家族はどんな思いだったのだろうか。命よりも工期の遅れや作業の進捗が重視され、陥没の原因究明も行わず、何もかもなかったことにしたいということである。この事故に関しておそらく中国では厳しい報道管制が敷かれているのだろう。国家による統制の方がはるかに人命よりも重視される国ならではのことである。
生き埋めというのは中国の伝統だ。戦国時代の長平の戦いの際、秦の白起将軍は捕虜になった趙兵20万人を生き埋めにしたという。項羽もまた生き埋めが好きだった。ただそれは遠い昔のことであり、まさか現代にそんなことはしないだろうと思ったが、やっぱりそうした伝統は変わらないのかも知れない。
2011年に列車の脱線事故が起きたとき、その車両を埋めて証拠隠滅しようとした事件があった。大きな批判を受けて車両は掘り出されたが、壊れた車両の中にはまだ生存者があったという。そのまま生き埋めになって殺される可能性があったのである。
人命を軽視する国は、人権を軽視する国である。戦争で人が死んでもなんとも思わないし、ウイグル人を100万人単位で収容所に入れて思想教育を行っていても平気である。批判を受けても「内政干渉するな!」という形で反論される。
ここで我々は人権とか民主主義という概念があの共産党一党独裁国家には通用しないということを改めて理解しないといけないのである。独裁国家では国家の土地も人民もすべて皇帝のものであり、生かすも殺すも皇帝の自由である。ウイグルの人民をどうしようとそれは習近平さまの思うがままなのである。
もっとも今の日本人にこれを批判する資格はない。安倍晋三の指示があれば官僚は記録を改ざんするし、シュレッダーにかけて廃棄するし、選挙違反も強姦もなかったこととされるのである。そうした異常事態に対して自民党内では誰も声を上げないのである。みんな選挙で公認をはずされて落選したくないという私利私欲を正義やモラルよりも重視しているのだ。ゼニのために悪も見逃すという卑怯な行動原理がすっかり政治家たちにしみついているのである。
オレのこんな批判もあのポンコツ野郎のスガは「それに関してのお答えは控えさせていただきます」としか返さないのだろう。「お答えを控える」ということはすなわち、都合が悪くて答えられないということなのだ。
このような根源的な悪はいつかは滅びるのかも知れない。しかし、今の自民党政治は悪よりももっとたちの悪い二つの「ムチ」によって支えられている。「無知」と「無恥」である。もはやその二語は安倍晋三の代名詞である。それを放置したままの我々国民は「埋めチャイナ」を批判する資格などないのかも知れない。
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2019年12月19日(木) |
運転シミュレーターの開発を |
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高齢者の運転免許に関しての話題が新聞紙上をにぎわしている。高齢者のためのさサポカー限定免許制度の導入や、実車試験の導入などが話題になっている。ただ、その会場となる自動車運転教習所は減少するばかりだし、高齢運転者の講習を受けようとしても予約でいっぱいで空きがないそうである。
そこでゲームメーカーにぜひとも開発してもらいたいのが、実車同様に運転する感覚を体験できる「運転シミュレーター」なのだ。全国一律に高齢者の運転試験をこの機械で行えば、試験官による合格不合格のばらつきもなく、全国一律に適性検査が可能になるのである。どうしてそういう発想がないのだろうか。
実車と違うからかなり危険な状況も再現できる。子どもの飛び出しとか天候の急変とかに対処可能かどうかも試すことができるのである。カーブの多い山道も、住宅地の狭い道も再現できるのである。それで周囲の障害物に接触したり、道を間違えて逆走したりする人をチェックすればいいのである。緊張してうまく運転できないということでもアウトだ。そうやって機械的に判定していけばいいのである。
この運転シミュレーターは、ソフトウェアの変更だけであらゆる運転実技試験に応用可能だろう。バスの運転講習などのプログラムも組み込めるかも知れない。ゲームメーカーは莫大な金額での契約が可能なこのシミュレーターを早く作って警察庁に売り込めばいいのである。
高齢運転者による暴走事故は日々起きている。アクセルとブレーキの踏み間違いという単純なミスで多くの人が亡くなっているのだ。そのような悲劇は一刻も早く解消しないといけないのである。
開発時にはできるだけ実車に近づけるために、自動車型の箱の中に入って操作するようなものにすればいい。そこにハンドルやブレーキ、シフトレバー、方向指示灯などが装備されていて、その周囲の壁に風景を投影すればいいのである。窓をすべて液晶画面にして、外の風景が映るような仕組みにしてもいいだろう。
もちろんゲームだからやればやるほど上達できる可能性がある。しかし、運転できないような高齢者は合格しなかったらすぐにあきらめるだろう。また高齢者に限らずペーパードライバー研修とかにもこのシミュレーターは使えるはずだ。
オレが想像するのは「電車でGO」のような感じでゲーセンにこのシミュレーターが設置されることである。そこで高齢者たちが遊ぶようになれば、かなりの売り上げも期待できそうな気がするのである。
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2019年12月18日(水) |
真の男とは何か? |
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在原業平は多くの女性と浮名を流したが、彼を恨む女性はいなかった。真の遊び人、真の色好みとはそういう男なんだと思うのである。世間には多くの色好みはいるが、そういう意味で真の男はめったにいないとオレは思ってる。剛力彩芽を捨てた前澤社長のことを恨んでいる過去に捨てられた女は多いだろう。それは彼がただの「やり逃げ男」だからである。自分の一時の快楽のために相手の女性を利用しているだけである。
伊藤詩織さんから訴えられた山口敬之は、酒に何かのレイプドラッグを混ぜて準強姦に及んだという可能性が高いわけだが、薬物で抗拒不能の状態にして襲うというのはまともな男のすることではない。それはただの変態性欲者であり凶悪な犯罪者である。このような男は全女性の敵である。刑務所にぶち込んで法の裁きを受けることが望ましい。早稲田大学のレイプサークル、スーパーフリー事件の首謀者はそろそろ出所していると思うが、その犯罪の悪質さを思えば彼は死刑にすべきだったとオレは思っている。強姦罪の刑罰に死刑も選択できるように刑法改正することをオレは希望する。
望まない性交をされたと女性から訴えられた時、男はすべてを認めるしかない。少なくとも「やる・やらない」の選択肢は男にあったわけで、相手が少しでも望んでいない場合はしてはならないのである。その時は合意があったように思えても、後から女性が「やっぱりしなければよかった」と思ったらもうそれは男の負けである。そこで「合意があった」とまるで相手に責任があるかのように主張する男は、人間としてクズである。
真の男とは何か。駆け落ちして女性と一緒に逃げたのに逃亡先であえなく捕まったとする。その時に「全部俺が悪い。この娘は悪くない。オレが無理やり連れだしただけだ。殴るならオレを殴れ」と女性の父親にボコボコに殴られることを受け入れる男である。それが真の男なのだ。両者合意の上の不倫関係であったとしても、「自分が無理やりにしたのだから悪いのは自分だけだ」と女性をかばってその夫にぶん殴られ土下座できる男なのである。世の中にはこのような「男の美学」を理解しない情けない男が多すぎる。そんな男は女性と付き合う資格などないとオレは思っている。
オレは残念ながらイケメンに生まれることはなく、あこがれの在原業平とは程遠い立ち位置である。だからこのような「男の美学」をあれこれ語る資格が欠けていることは十分に自覚している。それでもオレがこのような文章を書きたいことの理由はただ一つ、世間にはあまりにも下半身無責任男が多すぎるからである。
理性のかけらもなく、暴走する欲望を抑えることもできず、そうしてひたすら世間や女性に迷惑をかけまくるクソ野郎が世間にはあまりにも多いのである。そしてそのクソ野郎に騙される女性もまた多いのである。それがオレは残念でならないのである。
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2019年12月17日(火) |
奨学金踏み倒しを許すな! |
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奨学金を借りるときには連帯保証人を必要とする。そういうわけでオレは姪2人の連帯保証人になっている。その連帯保証人を、本人の了解も得ずに勝手に決めるなんてことができるのだろうか。連帯保証人になった人は必ず印鑑登録された実印を押して、その印鑑証明書を添付する必要があるのだ。無断で誰かを連帯保証人にする場合、そこまでの準備ができるのだろうかとオレは思うのである。
共同通信社の記事を引用しよう。
息子の奨学金訴訟で和解、大阪 無断利用、母の連帯保証債務なし
共同通信社 2019/12/16 18:51
専門学校生の息子が奨学金を借りた際、無断で連帯保証人にされたとして、大阪府内に住む60代の母親が日本学生支援機構に対し、債務がないことの確認などを求めた訴訟が大阪地裁(林由希子裁判官)で和解したことが16日、分かった。和解条項によると、母親が連帯保証債務を負わないことで合意した。
和解は2日付。母親側が一部返済した16万円の返還請求については放棄した。
訴状によると、息子は専門学校に入学した1999年から4年間奨学金を利用したが、返済を一切しなかった。卒業時に作成された「返還誓約書」は母親が連帯保証の名義人となっており、母親に約485万円の請求があった。
この記事によると奨学金を借りた息子は一度も返済をせずに踏み倒したということである。当然その返済は連帯保証人である母親がしないといけないわけだが、その母親は返済義務を「無断で連帯保証人にされた」と主張して拒否したのである。もしもこのような言い訳で連帯保証人が債務から逃れることができるのならば、みんな同様に主張して「債務の不存在」を勝ち取ろうとするだろう。なんて馬鹿な判決なのかと驚いたら案の定、馬鹿判決で有名な大阪地裁である。また、この裁判のおかしな判決を出した林由希子裁判官で検索すると、他の馬鹿判決が出てくる。どうして裁判官の中には市民社会の常識の欠落した人間がいるのだろうか。せっかく裁判員裁判を導入してもその判決を控訴審でひっくり返したりとろくなことがないのである。
奨学金は借金である。きちっと返す当てがない場合は借りてはならないし、行っても役に立たないFランク大学に進学するためにはなおさら借りてはならないのである。大学別の延滞率を調べると、入学試験の偏差値の低い大学(いわゆるFランク)ほど、延滞率も高いということがわかる。そういう大学は奨学金の対象から外してしまうべきだ。延滞率が一定割合を超えた大学は奨学金の対象から外れるというルールにすれば、大学側もきちんと学生を指導するだろう。
日本中に大量に存在する奨学金の返済延滞者たちがこの判決に刺激され、次々と踏み倒しを狙った訴訟を起こせば奨学金制度は破綻する。一部の不心得者のためにまじめに返済していた者が不利益を被ることはあってはならないことである。
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2019年12月15日(日) |
国民投票制度は是か非か? |
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政治家のやることは民意と乖離している。消費税値上げに国民の多くは反対しているが、政治家は強引に押し切った。これまで消費税を値上げして得られた税収の多くは、企業の法人税や高額所得者の減税のために使われた。今の政治が金持ちや上級国民の利益を常に代弁しているということはまぎれもない事実である。そうした状況を阻止できる唯一の方法が国民投票制度を導入して、個々の政策案件に対して自分たちの意志を表明できるようにすることである。国民投票制度は私利私欲やお友達のための利権しか考えないクソ政治家に対して国民が示せる抵抗手段なのである。
もしも国民が自由に発議して国民投票が行われ、その投票結果に拘束力が発生したらどうだろうか。国民投票で原発再稼働の是非を問えば、おそらく多数の国民が再稼働に反対するだろう。ベーシックインカム導入を提案すれば、ニートやDQNたちはこぞって賛成するだろう。消費税廃止を国民投票にかければ圧倒的多数が廃止に賛成するだろう。(オレも賛成だが)このような制度を導入して直接民主制を行えば、政府の方針はことごとく挫折するのである。
オレがぜひとも実現したい法律がある。「国会議員偽証処罰法」というのを導入して、国会議員がうその答弁をすれば即座にクビになるというものである。これを設置すれば安倍晋三は即座にクビにできるし、他の自民党金権議員も、野党の売国議員もじゃんじゃんクビにできるだろう。一年間で議員は半減するかも知れない。国会議員報酬ゼロ法案というのもぜひとも提案したい。国会をすべてズル休みしてもボーナス支給なんて腹が立つばかりである。もういっそのこと全員無報酬にしてやれよと思うのである。
政治家はすべて無報酬のボランティアにやってもらいたい。今の議員の多くは政治のプロではなく、ただの周旋屋である。しかも政治資金の使い道は、稲田朋美のように交通違反の反則金だったりするのである。くそみたいな連中にゼニをあげてもろくな使い方しないだろう。おそらく議員の中にはその政治資金で麻薬を買っていたり、風俗店通いをしてる馬鹿もいるのだろう。そういえば覚せい剤やっていて逮捕された国会議員もいたなあ。その原資は国民の税金から払われた議員報酬かと思うと腹が立って仕方がないのである。
もう政治家なんか全員クビでいい。官僚政治+国民投票制度でいいじゃないか。重要な決定はすべて国民投票でやればいい。外交は天皇陛下にしてもらえばいいじゃないか。今の政治家の情けない姿を見ると、ホンマにこいつらみんないらんわと思うのである。
京都市長選挙は与野党相乗りである。今の京都市は観光公害で住民は大変な目に遭っている。ところが行政側はなんの対策も立ててくれないのである。全くやる気がないのである。このまま住民不在で進められる行政に誰も抗議できない。オレが京都市民なら怒りの声を上げるだろう。戦わない野党には存在価値などないのである。
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2019年12月14日(土) |
故・中村哲さんに捧ぐ |
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アフガニスタンの復興のために尽力した中村哲さんが襲撃を受けて殺された。国家の功労者としてアフガニスタンでは国葬に準じた扱いだったという。遺体は日本に運ばれ、そして日本で行われた葬儀にどうして安倍首相は出席しなかったのか。きっと総理の心の中では芸能人との会食なんかの方が優先事項なんだろう。他に重要な用事もなかったのに、総理は中村哲さんの葬儀は無視したのである。
海外で活躍する多くの日本人がいる。難民の支援だったり、かんがい事業や植林だったり、井戸を掘る活動であったり、孤児のための学校や孤児院の運営だったりする。そうした無私の行為に対して、我々はどれほどのことを知ってるだろうか。TV番組で紹介されて初めて知ることも多いわけだが、名誉も地位も求めずにそうして活躍されている方のおかげで、近所のあの反日教育を行うおかしな国を除いて日本人は世界でリスペクトされているのである。
安倍首相のやるべきことはただ一つ、空港まで運ばれた中村医師の遺体を迎え、彼の死に対してただ哀悼の意を表明することだったとオレは思うのだ。内戦の起きている危険な国や地域で活動することの大変さを理解するならば、その崇高な精神に対して敬意を表しているということを世界中の誰にでもわかる形で示さないといけない。
アメリカや中国、ロシアのような軍事大国は世界中に武器を輸出して、その武器で多くの人が殺されても平気である。しかし、日本は戦後一貫として武器の輸出はしてこなかった。それが憲法9条を持つ国家のプライドである。世界のどの国とも違うのだ。日本は優秀な工業製品を世界に輸出して世界の人々の生活を豊かにしてきた。日本がこれまでしてきた「国際貢献」というものは、すべて平和の中で実現してきたものだ。
中村哲さんは灌漑のための水路を建設するために地元の人と一緒に泥まみれになって、自ら「重機」を操作して働いた。「銃器」を持ち込んで住民を殺戮するソ連やアメリカとは全く違う形で日本人のできる国際貢献のモデルを示してくれたのだ。
世界にはトランプ、習近平、プーチン、金正恩という武力による覇者を目指す独裁者たちがいる。このような連中に対して日本が示せることはただ一つ「正義」を示すことである。彼らの武力による覇権主義に対してはっきりと「NO!」と宣言できる国になってもらいたいとオレは思っている。「おまえのやってることは間違いだ!」と抗議できる国になってもらいたい。習近平に向かって「ウイグル自治区のイスラム教徒弾圧をやめろ!」と抗議できる国であって欲しい。
アメリカとソ連はアフガニスタンを代理戦争の場所にした。武器を大量に持ち込んで住民の命を奪ったり、土地から追い出して難民にしたりしたが、その混乱を収拾することはなかった。そこに住む人たちの生活を守ろうとして、彼らが自立できるように農業振興策を考えた中村哲さんの遺志を誰が継いでくれるだろうか。
自分たちが兵器をバラまき、戦争を起こして難民を生み出しながら、「人道支援」と称して食糧や物資を支援する欧米諸国の偽善を我々日本人は正しく理解しないといけない。そして「偽善」ではない真の善意を示すことが、日本のあるべき国際貢献の姿である。それを中村哲さんは最後に示してくれた。そのことを我々日本人は決して忘れてはならないのである。
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2019年12月11日(水) |
上が腐ればみんな腐る |
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孔子は国家の三要素、「食」「兵」「信」の3つの中で、もっともいらないものは何かと問われて、「兵」と答えた。では残った二つの中で、どちらかをあきらめるならと問われて「食」と答えた。食料がなかったら国民が餓死してしまう。しかし孔子は「信」が無くなったら国家そのものが成り立たないと答えたという。
「信なくんば立たず」
(国民からの信頼がないならば、国家そのものが成り立たない)
これは政治を行うものが常に肝に銘じないといけないことである。政治家というのは国民の代表ではなくて下僕である。国家の代表というのは象徴である天皇陛下であり、政治家というのは国民から政治を任されただけであり、能力が低かったらすぐに取り換えのきく存在なのである。総理大臣の代わりはいくらでもいるが、国民というものを失えば国家そのものが成り立たないし、その国民の信頼を得られないということは、首相の資格がないということである。
政治家の不祥事や国家公務員の不祥事、教員の不祥事の報道を見ていて感じることは、そもそもこれらの不祥事の根本にあるのは総理大臣安倍晋三の不祥事である。それらは買収という選挙違反(公職選挙法違反)であり、ヤクザを使った選挙妨害であり、記録を改ざんせて官僚を自殺に追い込んだ殺人であり、政治資金規正法違反である。国家の一番上にある人間がとにかく不正のオンパレードなのである。
万引きを疑われたときに出せばいいのは、きちんと買いましたというレシートである。ホテルニューオータニでの前夜祭での疑惑を報じられた時に出せばいいのは領収書であり会計報告である。それらを出せないどころか、捨てたとかウソの言い訳をするとか、いったいこの男は何を考えているのか。嘘であっても巧妙に言い訳すればOKという国会答弁を見ていた子どもたちは、大人のそうした醜態を見ながら学習するのだ。「これでいいのだ!」と。
今の日本という国家はモラルハザードが極度に進行した状況である。もうどうしようもないくらいに道徳的に退廃してしまったのだ。だから上から下まですべて不正を行うようになったのだ。悪いことをしても罰を受けないし、巧妙にウソをつきとおせば逃げ切れるから。
これを食い止められるのは誰か。誰が猫の首に鈴をつけるのか。誰がヒトラーを止めるのか。「王様は裸だ!」と事実を指摘するのは誰か。残念ながら自民党内にも官僚にも側近にもそういう者は一人もいない。
海外ではモリカケ疑惑は「アベゲート事件」として報道されている。日本の政治家の腐敗ぶりは海外では笑いものになっている。そして、その政治を止められない国民もまた嘲笑の対象になってるのである。小泉進次郎にそういう役目を期待した人たちもいたが、大臣就任後に化けの皮がはがれてただの馬鹿だということがわかった。
税金を私物化して自分の選挙区の有権者に買収に使ったという前代未聞の事件を、自民党内では誰も批判しなかった。官僚たちは積極的に記録を抹消し、名簿をシュレッダーにかけた。目の前の犯罪者にしっぽを振って協力したのである。
記録を改ざんしたり消去した官僚どもがいつか。自分たちが良心を捨てて行ったその行動を恥じる日が来るだろうか。永遠に来ないとしたら、それは日本が破滅に向かって突き進む証拠である。
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2019年12月09日(月) |
環境問題、究極の二択 |
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石炭火力発電所を新設しようとしている日本は、CO2排出削減に消極的だとして批判を浴びている。その批判に対して環境相の小泉進次郎は何も答えられずにごまかすだけである。どうして誰もあの愚かな大臣に知恵を授けてやらないのか。自分で考えられない程度の馬鹿を大臣にした以上、周囲がフォローしてやるのが当然じゃないか。
オレには答えが用意されている。もしかしたらこの記事をこっそりと読んだ誰かが小泉進次郎に教えるかも知れないが、それを承知でオレは書いている。
日本は地震国である。しょっちゅうあちこちで大きな地震が起きている。津波も起きる。巨大台風も来る。世界でもまれなほどの自然災害国家なのである。その国で多くの人々が高い人口密度でひしめき合って暮らしているのだ。そんな特別な事情であることを考慮すべきなのである。
今の日本が取れる選択肢は二つである。一つは石炭火力発電所の建設を即座に中止して、CO2削減のために原発を積極的に再稼働させ、どんどん新規に原発を作り、大地震や津波がもしも起きたらその時はその時で日本をあきらめるということである。負けたら大変なことになるということがわかっていながら太平洋戦争に突入したのと同じく、事故があれば大変なことが起きることが分かっているのに「事故は起きない」という勝手な思い込みで原発再稼働に突っ走ってしまうのは、「日本は神国だから絶対に負けない」という戦時中の人々の価値観と一致する。
もう一つの選択肢は、世界の批判を受けながらも石炭火力や天然ガス火力、石油火力発電所を主力にして化石燃料をじゃんじゃん燃やすことで地球温暖化を加速させることである。どうせ日本やEU諸国だけが努力しても中国やアメリカという大国がCO2をどんどん排出したら同じことだと開き直って、文句をつけてくる国や個人に対しては「だったら福島原発のような事故がまた起きてもいいのか?」と答えるのである。日本で原発を稼働させる以上、津波に襲われれば必ずメルトダウンする。日本の原発の安全基準は欧米に比べてあまりにも低レベルなので、津波や地震に対しては脆弱そのものなのである。原発事故に比べれば、温暖化の影響なんてたいしたことないじゃないかと堂々と主張すればいい。そこでどんな答えが外国から返ってくるのか聞いてみたいのである。
まあ原発の安全性を高めればいいのだが、それにはゼニがかかる。電力会社も営利企業である以上そんなゼニはかけたくないし、万一事故になっても東京電力のように国に救ってもらえるということなのである。だから安全性を高めることにゼニを掛けるメリットは全くないないのである。
グレタさんにそうした究極の二択をぶつけてみてほしい。ただ、彼女から返ってくる答えが「文明を捨てろ」「原始に帰れ」ということならもうどうしようもないのである。あきらめて滅びを待つことしか我々にはできないのである。
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2019年12月08日(日) |
移民受け入れ新法概要 |
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政府は外国人労働者の受け入れ規制を緩和しようとしているが、彼らのことをただの労働力としてしか思っていない。人手不足解消の方法程度にしか思っていないのである。しかし、今の日本が抱える少子高齢化、人口減少という問題を解消するにはそんな方法では全く意味がない。
そこでオレがアイデアを一つ与えよう。それは外国で日本語能力試験と、日本居住適正検査を行うことである。その試験で一定以上の成績を上げた場合に、犯罪歴や薬物の使用歴がないことを条件に無条件で日本への永住権を与えてしまうのである。
日本に住むために必死で日本語を勉強するような人が、日本のことが嫌いということがあるだろうか。そんなわけがないのである。日本の文化が大好きで、日本に住みたくてたまらないような人を国籍や人種を問わずどんどん集めることが、日本という国を未来永劫繁栄させるために必要な戦略なのである。金髪碧眼の日本好きなフランス人が大挙してやってきて「ワタシも日本人になりたいです!」と語ってもいいじゃないか。ニートにしかなれないDQN日本人よりも、はるかに日本の発展に貢献してくれる人たちが世界中にいるはずである。そうした人々をどんどん受け入れればいいのだ。
日本語能力試験に合格しないと、2次試験の適性検査には進めないことにして、まずは日本語能力試験の学習に専念してもらう。そして日本居住時には期間限定で一人当たり月額10万円程度のベーシックインカムを与え、その間に自分に合った職業に出会ってもらうのである。永住権の授与条件として、その3年間に定職について生計を立てる見込みが立ってるかどうかという要件を加えてもいい。
日本語能力に不安のある外国人労働者を大量に受け入れたとして、そのケアを受け入れ企業に丸投げするのは間違っている。また技能実習生の制度を悪用して外国人留学生をただの安価な労働力としか考えてないクソ経営者にはどんどん刑事罰を科すべきだ。そうした問題をすべて解消することが可能になるのが、この移民受け入れ新法である。
生まれたときから難民キャンプで暮らしている人たちが未来への希望を持つことができるだろうか。その難民キャンプに日本語学校を設立し、そこで学ぶことで日本の永住権が得られるということになれば、難民たちに希望を与えることが可能になる。必死で学ぶ子どもたちが次々と出てくるだろう。
日本はなかなか難民申請を受け付けてくれない。しかし、日本語能力というのを一つの判定基準に入れてそれで合格者に難民認定を与えるということにすれば、日本に対する批判をかわすこともできるし、欧州の諸国で問題になってることもかなり解消することが可能になる。「どんどん受け入れますよ。でも日本語できるようになってからですよ!」と答えればいいのである。もちろんそんな受け入れ基準を作ってる国などないと思われるので新たな批判を受けるかもしれない。しかし、「全く受け入れない」から「条件を満たせば受け入れる」ということは進歩だと思うのだ。オレの提案はどうだろうか?
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2019年12月07日(土) |
26兆円の経済対策はゴミ |
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安倍晋三が26兆円規模の経済振興策をぶち上げて「アベノミクスの加速」と語ったそうだが、もはや破綻している「アベノミクス」を今更持ってこられても困るし、そもそも産業構造がすっかり変わってる現在に、ダムや治水工事、堤防建設にじゃんじゃんゼニを使いまくって景気が良くなると考えてるとしたら馬鹿すぎて話にならない。ニューディール政策なんて100年も前の話だろう。
じゃあこの政策は何のために行うかというと、それは土建屋にゼニをばらまいたらそのゼニの一部が政治献金の形で自民党に還流するという仕組みで、自分たちが潤うからである。しかもその財源は借金や赤字国債に頼ってるわけで、未来の国民がますます困るようなことを自分たちの目先の利益のためにやりたいのである。こんなクズどもにいつまで政権を与えてるんだ。
亡くなったオレの父親はこんなことを言った。
「金持ちにゼニを与えてもそのゼニは動かない。貧乏人はゼニをもらったらさっさと使う。その使ったゼニは別の貧乏人の所に回って、貧乏人の中を順繰りにゼニが回ることで景気が良くなる。空き缶を集めてるあの買い入れ価格を値上げしてやるだけで下から経済は回りだす。」
同じ1億円のゼニでも、一人の金持ちがそれをただ持ってるのと、1000人が10万円ずつ持っていて一か月でパーっと使ってしまうのとではまったく意味が違うのである。広く浅くゼニをばらまいて使ってもらうことが最強の景気振興策になるのだ。たとえば1兆円のゼニを土木工事に使うのと、その1兆円をすべて介護業界で働く人たちの報酬に使ってもらうこととでは全く違うのである。
前者は経済に全く何の影響も与えないが、後者の場合、そのゼニは次々と違う人のところを移動して何倍もの経済効果を生み出すのである。
経済政策というのは安倍晋三のような小学生レベルの漢字もまともに読めない馬鹿や、統計資料をねつ造したり改ざんしたり嘘をついて馬鹿を擁護する官僚にまかせたらろくなことにならない。かといって悪人に任せるともっとひどいことになる。小泉純一郎と竹中平蔵が組んでやらかした規制緩和によって起きたことは何か。非正規雇用の増加で人件費が抑制され、国民はどんどん貧しくなって企業は空前の内部留保をため込むことになったのである。安倍晋三のやるべきことは企業にゼニを吐き出させ、もっと国民にゼニを持たせることであるが、そんなことは常に言い訳に終始する馬鹿にはわかるわけがない。
災害に強い国家をつくるということは確かに大切だが、そもそも自然災害を人為的に防げると考えるほうが思い上がった発想である。台風は必ずやってくるのだ。それに対する対策というのは「避難」しかない。これだけ気象情報があふれてるのに、避難できずに亡くなるというのは行政の広報不足であり、また自己責任でもある。洪水になって家に浸水しているのに「まだ大丈夫だろう・・・」と甘く見た結果、多くの人が逃げ遅れて亡くなっているが、大切なのは家や財産ではなくて自分の命である。
日本中の河川の堤防を強化してダムをつくるのに26兆円使うよりも、災害が起きたときの支援を手厚くすればいい。その方がはるかに生きたゼニの使い方である。
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2019年12月04日(水) |
いきなり真冬なのだ! |
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オレは寒いのでスラックスの下にタイツを履いている。以前は「パッチ」を履いていたが、ヒートテックのタイツの方が暖かいことに気が付いたのである。インナーももちろんヒートテックである。このヒートテックもその上に「極暖ヒートテック」という上位機種が存在するわけで、店頭で眺めつつも貧乏性のオレはその差額に二の足を踏んでいるのである。しかし、もうすぐオレは寒さに負けるだろう。
それにしても寒い。ほんの一月前までは冷房を使ったこともあったのに、秋なんてほんの一週間しかなくていきなり冬になってしまったのである。日本にはもはや四季などない。夏が過ぎればいきなり冬になる。もう「四季」ではなくて、「二季」なのである。
我が家の暖房のメインは石油ファンヒーターである。灯油はガソリンスタンドにクルマで買いに行くのだが、そのたびに容量20Lのポリタン二つを満タンにするのに、なぜか一週間で消費してしまうこともあるのである。週に40Lの灯油を浪費するような家庭なのである。北海道ではないのだ。大阪なのだ。大阪なのにどうしてこんなに灯油をガンガン使うのかとオレは嘆かわしくなるのである。
帰宅したオレの日課は、家にあるすべての石油ファンヒーターの灯油チェックである。タンクの中味が減っていれば補充する。半分くらいなら補充して満タンにする。83歳の母にとって、灯油の入ったタンクを持って階段を上るのは大変だ。そういうわけで母が気づかないうちにこっそり補充しておくのである。
寒さ、暑さ対策という点では古い日本建築の家は全く駄目である。オレの実家は両親が建てた築43年の家で、注文建築ではあっても壁の中に大量に断熱材を入れるという発想が当時はなかったようで、冬は壁が寒さを遮らず部屋は外と同じ寒さになるし、夏は天井裏にこもった熱気が一日中部屋を暖める。大胆にリフォームしないともうどうしようもないのである。アルミホイルみたいな熱を遮る壁紙でも全面に貼れば少しはマシになるのかも知れないが、とにかく冬にオレの家に来た人の第一声は「寒っ!」なのである。
もっとも地球温暖化のおかげで最近の寒さはたいしたことないので、気合いを入れて耐えられないこともないのだが、この家で暮らしてるのはオレだけではない。やたら部屋を暖めるのが好きな住人もいるわけで、灯油の消費量はうなぎのぼりなのである。
まだ冬本番ではない。現在の寒さはまだまだ序章であって、これから本格的な冬がやってくるわけだが、それに対する備えはまだまだ足りない。もっと寒かった昔、京都で過ごしていたオレのアパートにはこたつと電気ストーブしかなかった。それでもオレは平気で耐えていたのである。電気代が惜しくて、室温が0度近くなっていてもこたつに潜って耐えていたこともあった。「こたつ」というのは日本が生み出した最強の暖房器具であるとオレは思っている。もちろん今もこたつに入ってノートPCで書いている。
それほど室温を上げずにこたつに入ってなんとか耐える・・・というスタイルで少しでも暖房費を掛けずに乗り切りたいのである。しかし「こたつ」には致命的な弱点がある。それは快適すぎて眠くなってしまうということである。どうすればこたつで眠くならないか、これは永遠の課題である。
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2019年12月02日(月) |
エリカさまの教えてくれたこと |
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オレは「薬物中毒」というのはもっと無残なものだと思っていた。どんどん人相が変わり、性格が悪くなり、体重も減って痩せこけて廃人になってしまうものだと思っていたのである。ところがエリカ様は教えてくれた。10年間もMDMAやコカインや大麻を使いながらも美貌はそのままに映画やドラマに出演し、第一線の女優として活躍できたのである。これはどういうことだろうか。もしかしたらエリカ様は「薬物と上手に付き合えばバレずに市民生活をこなせるのだ」という大切な事実を提示してくれたのかも知れないのである。10年間の薬物生活を経ても、あんなに美しく魅力的なのである。これは世間に対して大きく間違ったイメージを与えてしまうことになるのだ。本当に困ったことである。
考えたらピエール瀧もそうである。彼もコカイン中毒者でありながら俳優として大河ドラマにも出演してちゃんと仕事をこなせていたのである。世間にはこのように仕事と薬物を両立させてしまう立派(ではないが・・・)な方もいるのだ。その違いはどこにあるのだろうか。
もちろんオレは薬物犯罪はもっと重く処罰すべきだと思っている。日本の場合初犯なら実刑にはならない。薬物の売人でさえもそうである。売人は全員死刑にすべきだというのがオレの考えだし、外国でも販売目的の麻薬所持を死刑または終身刑というような重罰を科している国は多い。しかし日本では運び屋や売人でさえも執行猶予がつくのである。こんな甘い国がどこにあるだろうか。
エリカ様のおかげで世の多くの女性たちは勘違いすることとなってしまった。MDMAを使用していてもあんなに美しい。だったら私も使ってみようかしら・・・と考えるアホ女が出現するようになってしまうかも知れない。エリカ様だから美しいので会って、アホ女はたいてい不細工なのである。不細工なアホ女が薬物使用者になったらそれはただ単にアホがもっとアホになるだけのことで、そんなアホは世間の撲滅対象である。
オレはエリカ様が芸能界に復帰することは困難だと思っている。しかし、映画やドラマという表の世界で使ってもらえなくなれば、後はAVやストリップという世界に行くしかないのだろうか。沢尻エリカの出演するAVとなれば大人気になることは確実で、おそらく億単位の契約金でオファーがあるだろう。オレはAVのような低俗な文化には全く興味はないが、エリカ様が出ているとなるともしかしたら何かの間違いでTUTAYAで借りてしまうかも知れない。
もう一つ知りたいのは薬物常用者の必要経費である。彼女のこれまでのMDMAやコカインの消費金額なのだ。隠しながら薬物を使用し続ける場合、年間で数百万ないし数千万円の購入費が必要となってくるはずである。それを今後の取り調べや裁判の中で彼女に語ってほしいのである。その金額が大きければ大きいほど、安易な使用に対する歯止めになるのだから。
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2019年12月01日(日) |
愛校心とは何か? |
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高校の同期会に出席した。卒業してから40年である。社会で活躍されている方々は企業でも取締役になったりと重要なポジションについてる者が多い。40年経っても昔の面影があって、誰だかすぐにわかる。そして懐かしい恩師たちにも再会できて本当に充実した時間だった。
その一方で同窓生の何人かがすでに亡くなったということを聞いて本当にショックを受けた。若くして亡くなった方々はどんな思いを持っていたのだろうか。この世に多くの悔いを残して、どんな無念な気持ちだったのだろうかと思うのである。
オレは自分が出た高校が大好きだった。その学校精神をそのままに体現しているベテランの教員がいて、自分も教師になるならいつか母校の教壇にという気持ちになったものである。そこが自分の所属する世界であるという帰属意識みたいなものがあったのだ。だから今でも母校の校歌は3番まで歌詞を覚えていて歌えるのである。
今の自分があるのは、自分に受験勉強のきっかけを与えてくれた先生方のおかげである。その出会いがなかったら今の自分はなかったわけで、そうした可能性を引き出してくれた先生方にはオレは大いに感謝しているのである。
大阪府教委は人事異動を促進して、10年以上同一校に勤務するということを原則なくしてしまった。その一方で北野高校のような特定の高校にやる気のある教員を集中させ、そこをエリート養成校とした。学区制の存在した時はそれぞれの学区のトップである9校からそれぞれに東大京大を目指すことができたのだが、今は現役で東京大学に入れるような公立高校は実質3、4校になってしまった。オレはある年の進学実績を見て、母校から現役で京都大学にひとりも合格できてなかったことを知って愕然としたことがある。かつては京都大学への合格者を20人以上出していたのに、今はもうその栄光は見る影もないのである。
かつてのオレの母校に入学してくる生徒の雰囲気はがらりと変わった。そして教員はすべて入れ替わった。自分が感じていたあの空気を今の生徒たちは全く共有していないのである。もちろん時代が変わったことは事実である。
今オレが学校に対して何かしたいと思うなら、それは卒業した母校に対してではなく、今オレが勤務する学園に対してである。母校はもはや昔のオレのいたころの学校ではないし、その伝統や校風もすっかり失われてしまっている。進学実績が落ち込んでしまうと、優秀な生徒は他の学校を目指すことになる。その悪循環でどんどん生徒のレベルは下がっていく。
それでもオレは高校3年間の日々を懐かしく感じてしまうのだ。それは決して幸福な思い出ばかりとは言えない。どこか苦しくて、痛みのように切ない日々だったのだ。片思いしていた相手に振られて、何のために自分は生きているのだろうかと悩み、元は医学部という立派な進路を目指していたのに、なぜか文学部というマニアックな道を選んでしまったのだ。それはもうもう取り返しがつかないのだ。人生には無数の「もしも」が存在する。その「もしも」を今から過去にさかのぼって選びなおすことはできない。人間は今をよりよく必死で生きる努力しかできないのである。
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