2019年08月29日(木) |
アマゾンに頼るな! |
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アマゾンに頼るなと言っても通販で買うなということではない。オレが言いたいのは密林の方のアマゾンのことである。今アマゾンの熱帯雨林が燃えている。この森林火災だが、実はブラジルはアマゾンを開発したいのだとオレは思っている。そこが世界のために必要であるかどうかはブラジルの人間には全く関係がない。ブラジル政府にとって必要なのは森林を開発して牧場や農地にしてそこから富を生み出すことであり、ただの熱帯雨林には何の価値もないし、そこで暮らしている森の民を保護する気も全くない。だから野焼きも取り締まらないし、おそらくアマゾンの熱帯雨林なんて消滅してもいいと思ってるのだろう。
そうなると日本はどうするべきなのか。オレはやはり酸素の自給自足が大切だと思うのである。日本は降水量が多くて、ほっとけばどこでも森林になるような気候である。ところが大都市は緑が少ないし、海には植物がない。だったら都市の緑化を極端に進めることと、EEZ内に多くの浮島を作ってそこを緑化するのである。日本近海の海をどんどん緑化してしまえばいいのである。
洋上に固定式のイカダを設置してそこを森林にするという方法で森林面積を稼ぐというのはどうだろうか。また工業的に光合成する仕組みを実用化できないものだろうか。アマゾンに任せないで自前で酸素を作り出すという方法で対処できないものだろうか。
海外の砂漠の緑化にも積極的に乗り出せばいいのである。ゴビ砂漠の緑化とか、サハラ砂漠の緑化、そしてアラル海に大量の海水を引き込むプロジェクトを企画してそこに出資するのだ。大量の海水をどうした地域に流し込めば、もしかしたら地球温暖化による海面上昇をほんの少し緩和できるかも知れないのである。
中国やインドのように人口の割に緑地面積の小さな国はおそらく酸素自給率が低くなるだろう。ところが日本は自前で酸素を作るだけの技術も環境も準備されている。植物は室内でも栽培可能である。都市の屋内緑化という方法も考えられるだろう。
アマゾンに頼らない酸素供給計画を今のうちに世界各国は考えるべきだ。アマゾンは世界のためにあるのではなくて、そこをどうするかはその土地に住む人間が決めることである。すべてを開発したいともしもアマゾンに領土を持つ国家が希望するのなら、その決定に従うしかない。
都市の緑化のために何をすればいいのか。少なくとも今の東京や大阪の緑地面積が圧倒的に不足してるのは間違いない。大阪駅の北ヤードの開発計画の中で、橋下徹さんはそこを緑地にするという案を持ち出して、ゼニの亡者のような連中から総スカンを食らってしまったが、そこを緑地にすることで周辺の価値が上昇するわけだから橋下氏の考えは間違ってなかったとオレは思うのである。
アマゾンに頼らないでなんとかするために、日本は知恵をしぼらないといけない。
←1位を目指しています。
2019年08月28日(水) |
タバコに未来はない |
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投資家のはしくれであるオレは時々所有していない主要株の値動きもチェックしている。それは日本経済の今後の姿を占ううえで大変重要であるからだ。株価は未来の状況を先取りして動く。投資家というのは先見の明がある方々が多いからである。インサイダーはきっと大勢いるのだろう。不祥事の明るみに出る企業は事前に情報を知った株主が売りに出ることも多い。自分の持ち株が確実に値下がりするとわかったら売るのが当たり前で、それをインサイダーだと摘発するのはオレから見れば「アホか!」と言うしかない。
さて、長期的に値を下げ続けてる大型株の代表といえばやはりJT(日本たばこ産業)である。一年前は株価3000円程度だったのが、今は2200円程度と一年間で3割近く株価を下げている。その結果、配当利回りはなんと6.86%(8月28日時点)なのである。
異常なまでに配当利回りが上がる株というのはたいてい倒産する会社である。倒産直前で株価が急激に下がると、見かけの配当利回りは上昇する。実際にはその配当金が株主に支払われる前につぶれてしまうのだが、現実問題としてJTがいきなり倒産することはないだろう。ただ、株価は今後も下げ続けることが確実なので、危なくて投資家としては買うことができないのである。
タバコに未来はない。オレはそう思っている。今や喫煙というのはDQNの習慣となってしまった。まっとうな若者はタバコ吸わないし、大学の入学試験の偏差値が下がれば喫煙率が上がる。つまり、喫煙という習慣は今はバカの目印として機能しているのである。企業の中には採用時点で喫煙者を排除しているところもある。星野リゾートなどが有名である。
本業がダメになっても、倒産せずに切り抜けて成長した企業もある。富士フィルムなどがその代表である。フィルムカメラの衰退の中でアメリカのコダックは倒産したが、日本の富士フィルムは見事にその技術力を生かして生まれ変わったのである。オレはJTもそんなふうに生まれ変わるのかと期待していた。しかし、JTの経営陣は馬鹿ばかりなので逆に拡大路線を取ったのである。
海外のたばこ会社を買収し、日本でタバコの売り上げが落ち込む分を海外展開でカバーしようとした。今後の訴訟リスクなどを考えればそういう方向性が決定的に間違ってるということを幹部は誰も考えられなかったのである。
もしもJTに一発逆転の目があるとしたら、それは大麻の解禁と国内でJTが大麻を独占販売することである。政府が税収増を狙って大麻解禁なんて愚かな政策を繰り出せばたちまちJTは復活するだろう。オレはそんなことには絶対になってほしくないのだが、政府にもJTにも大勢の馬鹿が存在するので100%そんなことが起きないかというとその
保証はできない。
未来のない企業といえば、日本の都市銀行も同様だ。みずほフィナンシャルグループの株価は8月27日終値で152。9円、配当利回りはなんと4.9%なのである。銀行株には未来はないと思われてるから株価は下がり続け、配当利回りはとんでもない水準にまで上昇しているのである。
年金資金で運用されているGPIFは、JTやみずほフィナンシャルグループの株にも大量に投資している。もしもきちんと配当金が払われるのならば、年金でこういう株を保有してその配当利回りを年金支払いに回すというのは方法論としては正しいかも知れない。アベノミクスが失敗に終わり、ここからの株価上昇がもう見込めなくなった今、年金水準を維持するにはそういう方法しかないということもオレは考える。
しかし、いずれJTも赤字になるし、みずほフィナンシャルグループも詐欺のような投信販売が立ち行かなくなる。かんぽ生命が老人に対する詐欺営業で訴えれたように。騙せる相手の高齢者がいなくなったらビジネスモデルは崩壊する。若者の喫煙率が低下する一方で喫煙者の高齢者がどんどん死ぬとタバコの売り上げは劇的に下がる。東南アジアなどにタバコを輸出することは、同時に喫煙に由来する病気も輸出することであり、そこには正義などない。
タバコに未来はない。JTは企業としてまだ生きている間にさっさと会社を解散させて清算すべきである。おそらくJTの幹部にそういうことを考えられるオレのような頭のいい人間は一人もいないだろう。数十年後、JTは旧日本軍のように満身創痍の中で倒産するのである。
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2019年08月27日(火) |
バス運転手の待遇向上を |
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朝日新聞で「バス運転手不足」のことが記事になっていた。運転手の平均年齢が上昇し、人手不足で運行数を減らさないといけないなどの状況で、正社員化や初任給UPなどの方法で人材確保に躍起になってるという。しかし、記事の中身を詳しく読んでいてオレは驚いたのである。
それは福岡県の西日本鉄道が初任給を1000円UPして182000円にするというくだりだった。何の技術もない中卒や高卒ではない。ちゃんと大型二種の免許を持っている専門職である。そういう方々に対してこの「初任給182000円」というのはあまりにも失礼な扱いではないか。
大阪では市バス運転手の給与が民間に比べて高すぎるという批判が起きて、結果的に給与が引き下げられるという暴挙が起きた。どうして安い民間の給与を上げるという発想はなかったのか。そもそもバス運転手というのは薄給でもいい楽な仕事なのか。決してそんなことはないはずだ。大勢の人の命を預かっている責任の重い仕事である。そうした仕事に対してその仕事に見合った報酬をしっかりと支払うことで人材を確保するのは当たり前のことではないのか。どうして大阪は間違った方向に進んでしまったのか。
労働者は連帯しないといけない。もしも高給をもらってる人がいれば。その人を引きずりおろすのではなくて、他の人たちの給与も上がるように交渉すべきではないのか。給与の高い人に嫉妬して下げさせることで得をするのは経営者側だけである。大阪で公務員の給与を下げたことでいったい誰が得をしたのか。それで民間の給与は上がったのか。否である。結局何も良いことは起きなかったのである。嫉妬なんてものを動機にして起こす改革なんてろくなものはないのである。
オレは車の運転が好きだ。そして日々日本の物流を支えるプロのドライバーの方々の高度な技術をリスペクトしている。鉄道輸送の相対的な比率をもっと上げていくべきだが、少なくとも日本社会は彼ら運送業界のドライバーたちによって支えられている。だからこそ彼らが良い待遇で働ける社会にしないといけないのである。
日本以上に宅配便の普及した中国では、宅配便業界で働く人々のさまざまな悲劇が起きている。悪質クレーマーのために自腹で商品を賠償させられる事件などが起きているという。日本でも宅配便の取扱量はこれからもっと増加するだろう。家に引きこもってかいものをすべて通販で済ませる老人も増えていくだろう。そうなるとますますドライバーを奪い合うという現象が起きることとなる。それなのにどうしてバス運転手への待遇がこんなに低いのか。
運転手の待遇を悪いままにしているのはもしかしたら将来の自動運転化を見越してのことだろうか。もしも路線バスなどが自動運転されるようになれば、大量のドライバーを解雇しなければならなくなる。今の状況はもしかしたら将来の自動運転技術の発達を想定していて「消えゆく職業」としてバス運転手を想定しているのかも知れない。
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2019年08月26日(月) |
公共物落書き罪を作れ! |
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オレは醜悪な落書きが大嫌いだ。高速道路の支柱とか、閉じられた商店のシャッターとかに意味不明の落書きがされているのを見るととても気分が悪くなる。このようなクソ落書きをきちんと処罰してほしいと思うのである。そういうアホなことをする人間が心から後悔して悔い改めるような重い罰を科してほしいと思うのだ。
たとえばそういう落書きの前にさらし者にされるという罰はどうか。落書きをした場所に前に全裸で縛り付けられて、一週間さらし者にされるという刑罰である。もちろん大小便も垂れ流しで、死なない程度に水だけが与えられるという罰である。男女構わずこのような形でさらし者にしてしまうのである。一罰百戒である。
自分の落書きと同じものをタトゥーにされて顔面に描かれるという罰もいいかも知れない。その醜悪さと一生付き合わないといけないという情けない罰である。
落書きは消すために多くの経費が掛かる。もちろんそのゼニは描いた馬鹿に払わせるしかないし、それが文化財のように修復不能なものであった場合は、長期間強制労働させるとかの罰はどうかと思うのである。
たとえば佐渡金山や閉山した炭鉱などで労働させるのはどうか。資源が枯渇したから閉山したのではなくて、採算が合わなくなったから閉鎖したような鉱山の場合、無給で働く労働力が手に入れば採算がとれるかも知れないのである。そういうところで強制労働という罰を与えればいいと思うのだ。
今はいろんなところに監視カメラがある。鉄道車両に落書きした馬鹿は必ず検挙されている。そういう馬鹿のせいで列車が遅延した損害金はきちっと払わせるべきだ。とりあえず全財産没収して、未来にわたって給料から賠償金が天引きされるような仕組みにしないと駄目だと思うのである。
その一方で、落書き天国のような場所を都市に作ればいいと思うのである。そういう馬鹿が自由に落書きできるような特区を作り、そこにはいかにも落書きしたくなるような構造物を設置するのである。そうして自由に表現できる場所があれば、落書き好きなアホはそこに集まるだろうし、その中には芸術的な価値のある落書きも出現するかもしれないと思うのである。
オレは昔、鳥取砂丘の斜面に描かれた巨大な男性性器の落書きを見たことがある。多くの観光客がその前で記念写真を撮っていた時になんともかわいそうになったのである。落書きは美観をぶち壊す。それは間違いないのである。いくら日本の文化だといっても、姫路城の白壁にピカチュウを描いてはいけないのである。落書きにはそれにふさわしい場所が必ずあるのだ。鳥取砂丘にち〇ぽを書いてはいけないのである。
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もうすぐ夏休みが終わる。大阪市内の小学校は8月26日から2学期が始まるという。いつから夏休みは短くなってしまったのか。昔は2学期の始業式は9月1日と決まっていたのではないのか。
夏休みというのは子供にとっての貴重なバカンスである。その期間はめいっぱい遊ぶというのが子供の過ごし方だったはずである。その貴重な休みをどうして大人の勝手な都合で奪ってしまうのか。オレには納得いかないのである。
夏休みを喜ぶのは学校に通う生徒児童だけではない。教員にとっても夏休みは大切な休みである。その休みを研修などによって奪い取るのは理不尽だ。生徒が夏休みの間は教員も休めるというのが本来の夏休みの意義である。
オレが教員という職業を選んだ理由はただ一つ、休みが多いからである。夏休み、冬休み、春休みがあるからだ。大学4回生の時に会社訪問をしてある受験産業の面接を受けたとき、オレは年次有給休暇のことを質問した。すると「きみは働く前から休むことを考えてるんですか?」と言われたのである。ふざけるな!そんなこと当たり前だろう。その会社は「初年度は4、5日程度」という答えに対してオレは「そんな少ししか休めないのですか?」と吐き捨てるように答えたのである。オレはその会社を自分から断った。
大人になって働くようになれば夏休みはない。学生にとって夏休みというのは貴重な宝物である。最近の大学は文部科学省の締め付けも厳しく、台風などで休講になった分は、補講という形で休みが削られるのだ。どうしてそんな形式的なことにこだわるのか。開講回数を厳密に守らせるという文部科学省の指導に大学は支配されているのである。
日本人は働きすぎだと言われる。ヨーロッパの労働者は夏に一か月のバカンスに行くのが普通だという。失業率の増加や移民問題に揺れる今もそんな天国のような環境なのかどうかはわからないが、少なくとも日本人よりも労働時間は短く、労働生産性は高いはずである。
今からでも遅くない。8月中の授業を禁止し、2学期の開始は9月1日以降にするというルールを制定し、子供たちの夏休みを取り戻すことだ。それで喜ぶのは子供だけではない。学校で働く教員たちにもたっぷりの夏休みを与えてやってほしい。
日ごろさまざまなストレスを抱えて働く多くの教員たちにせめて休暇はきちんと与えるべきだとオレは思うのである。月間残業時間が100時間を超える状況で過労死寸前で働く多くの教員たちがいる。せめて夏休みは仕事から解放してやってほしいのである。
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2019年08月21日(水) |
あおり運転とアスペルガー |
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テレビのワイドショーはいつも常磐道のあおり運転男、宮崎文夫につい報道しているが、この男の行動というのを冷静に分析してみると、それがアスペルガー症候群の典型的な類型であることを感じてしまう。この病気の特徴というのは常に世の中を自分中心の価値観で見ていて、他の人がどう考えるかなどを忖度できないのである。
だから世間が「反省」を求めたとしても全く意味がない。そして人口の中には一定の比率でこのアスペルガー症候群の人が存在する。一つのことに執着して異常なまでに成果をあげることができるのもまたこの病気の特徴である。だから学者や芸術家という方向で成功する人もいる。しかし通常のサラリーマン社会においては「協調性がない」「臨機応変に行動できない」という欠点を抱えている以上、空気の読めない困った人として周囲と衝突を繰り返すのである。そしてすぐに仕事をやめてしまうということになる。
結婚して夫婦生活をしていても、そこで自分の思い通りにならなかったら相手に暴力をふるったりする。世間ではこれを「DV体質」と呼ぶのだろう。でも殴る本人は自分の行動は正しいと思っているわけで、そこで「反省」を求めても無意味である。本来人間というのは社会的動物であったはずだ。そう考えると乱暴な言い方だが、アスペルガー症候群というのはそうした人間の持つ社会性という重要な要素が欠落した病気なのである。
アスペルガーの人がどうすれば周囲に迷惑を掛けず、そうして長所を伸ばしてけるのか。オレが思うに本人が自分の持つ疾患のことを理解することが必要であると思うのだ。小さいころから自身の病気を自覚し、そのうえで「まず行動する前に立ち止まって考える」ことを習慣づけることしかないのではと思うのである。その場面その場面でどんな行動をとることがもっとも適切なのか?ということを自覚できないとしても、知識としてそれを身に着けることは可能だとオレは思うのだ。
もっともオレも精神医学の専門家でもなんでもない。ただこれまでの人生で接してきた多くの人々や自分の家族を通して、このような病に関して発言しているだけの無責任なオッサンである。
小さいころからあまり周囲の子供がしているような遊びになじまずに一人で遊んでいたこと。小川が流れていてどろんこ遊びできるようなところを見つけるといつまでもそこで遊んでいたこと。記憶力に異常に自信があって、暗記主体の試験ではほぼ満点だったこと。徳川幕府の代々の将軍名とか、細かい歴史の知識とかどうでもいいことをたいして苦労もせずに完璧に覚えられたことなどを思うと、自分もかつてアスペルガー児童であったことは間違いないのである。
そうした人たちを排除するのではなくて。その生きづらさを理解し、どうやって克服していけるかという手立てを社会や周囲が考えることがとても大切なような気がするのだ。少なくともオレは教育現場にいる一人として、そうした生きづらさに苦しんでいる人の気持ちに寄り添うことができればと思っている。彼らを全否定してしまう周囲の心ない大人から守ってあげることができればと思うのだ。
←1位を目指しています。
2019年08月20日(火) |
それはあおり運転ではない |
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あおり運転の末に相手のドライバーの顔面を殴ったということで宮崎文夫容疑者が逮捕されたが、繰り返し流される高速道路を蛇行するBMWの白いSUVを見ながらオレは思っていたのである。このどこが「あおり運転」なのだろうか。
あおり運転というのは後ろから車間距離を詰めたり、クラクションを鳴らしまくったりすることであり、前方でこんなふうに蛇行したり進路妨害するのはそれは「馬鹿運転」「アホ運転」「DQN運転」などと呼ぶべきである。それをなんでもかんでも一緒くたにして「あおり運転」と呼ぶのはあまりにも不正確である。
また、宮崎容疑者のやった犯罪はそもそもあおり運転ではなくて「暴行」「脅迫」「傷害」「殺人未遂」などである。だから今回はとりあえず「傷害罪」で起訴されるべきものである。危険なのは運転よりもむしろ車から降りて乱暴狼藉を働こうとして言いがかりをつけてくるこのDQN野郎なのである。
さて、世間では「あおり運転を厳罰化せよ」などと盛り上がってるが、そもそも「あおり運転」とは何かという定義が難しいのである。オレはへたくそなドライバーが横を走ってるだけでむっとすることがあるが、だからといって「煽られてる」と思うことはない。オレはずっと赤いスポーツカーに乗り続けてるが、オレが後ろにピッタリつくとなぜか道を譲ってくれるドライバーが多い。あおってるつもりはないのだが、もしかしたらオレの運転は前を走るドライバーからは「あおり運転」と勘違いされてるのかも知れない。
定義があいまいなまま「あおり運転禁止法」が制定されたとして、そしてオレの前を走るドライバーが勝手にオレの運転を「あおり運転」と感じて通報したらオレは逮捕されてしまうのである。こんな理不尽なことがあるだろうか。
何年か前のことだが、オレがT字路を右折しようとして青信号のうちにと加速した時、左側から信号無視の軽自動車のオバハンが突っ込んできて思わず全力でブレーキを踏まされたことがある。もしもドライバーがおれのような達人でなかったらオレのクルマの左側面にそのオバハンが突っ込んでいたことは間違いない。
もう少しで大事故になるところだったので、オレはその信号無視オバハンに対して猛烈に腹が立った。それで後ろからクラクションを派手に鳴らして抗議の意を示し、信号で止まった時にでも一言文句を言ってやろうと思ったのである。それで次の信号で止まった時にオレはクルマから降りて近づいたのである。するとそのオバハンは赤信号のままクルマを急発進させてそこから逃げてしまったのである。
オレはあくまでやさしく運転マナーを注意しようと思ったのである。オレのような善良な市民が暴力などふるうわけがないし、後ろからクラクションを鳴らしたのはあくまで相手の危険運転に対する抗議表明である。
ただそのオバハンのクルマにもしもドラレコが装備されていて、オバハンによってその場面の動画が編集され、自分の信号無視のところはカットして、後ろでクラクションを鳴らして怒ってるオレの動画だけをどこかに投稿されたら、オレは悪質な「あおり運転手」にされてしまうのである。
「あおり運転罪」を作らなくても、あの蛇行運転は「危険運転」と判定したらすむだけである。殴ったら「暴行」「傷害」、脅したら「脅迫」である。現行法で十分に対応できるものをわざわざ新しい法律を作らなくてもいいのである。飲酒運転で人を死なせたら「殺人罪」をただ適用したらいいのに、「危険運転致死傷罪」なんて余計な法律を作るから罰を受けない者が出てしまうのである。
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2019年08月18日(日) |
ラップ口座にだまされるな! |
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個人客をゴミ扱いして搾取の対象としか考えていないクソ会社、野村證券が最近しきりにテレビで「ラップ口座」のCMを流している。野村證券が高齢者にしつこく売買させて手数料を巻き上げ続けて結果的に多くの損害を与えた事件はこれまでに数多く起きていて、たびたび新聞でも報道されてきた。それは大企業には損失補填するのに個人客はゴミ扱いしてきた社風によるものであり、このような体質は絶対に変わらないとオレは思っている。
どうしてラップ口座がダメなのか。それをこれから説明しよう。
きっと多くの金融知識のない人々は「プロが運用してくれるから安心」だと思ってるだろう。とんでもない話である。プロの運用というのは限りなく日経平均の変化通りにしかならないのである。全体相場が下がってる時にはほとんどの投資信託がマイナスの運用実績になる。そんなことなら日経225とかのような日経平均に連動してる金融商品を買えばいいだけである。少なくともこれから日経平均が右肩上がりで上昇し続けると思っているおめでたい馬鹿だけが「ラップ口座でもうかる」という勘違いをしてるのである。
ラップ口座というのは、運用成績がプラスでもマイナスでも必ず一定の手数料が証券会社にピンハネされるのである。もしも個人で株式投資すれば買った株が値上がりすればその分だけもうかるわけだが、ラップ口座の場合はその儲かった分から手数料がピンハネされる。そして値下がりした場合、その値下がり分に加えてやはり手数料がピンハネされるのである。
ラップ口座というのは証券会社が必ずもうかって、顧客はもしかしたら儲かるかも知れないけど、損をする可能性の方が高いというクソ金融商品なのである。まあ一種の詐欺商法であるが、その詐欺は金融庁には公に認められいてるわけで、国家が認めた詐欺商品であることは間違いない。
オレは最近は優待の充実している株しか買わない。それはもしも株価が値下がりしても長期的に保有することでトータルではプラスになるということが確実だからである。たとえばオレは「かごの屋」などの和食ファミレスを運営している「クリエイト・レストランツ・ホールディングス」の株主だが、株価が1280円程度の時に100株購入して、年間に2回、3000円ずつの優待お食事券を受け取っている。現在の株価は1600円程度である。すでに値上がり益が3万円以上ある上に、毎年6000円の優待券と、さらにそれほど多くはないが配当金まで受け取っているのである。野村証券のラップ口座なんかに騙されるよりもはるかにこのような株を買うほうが得である。
田舎に住んでるから優待もらっても使える店がないという場合は、配当利回りの高い銀行株を買えばいいのである。銀行に預金してもほとんど利息は付かないが、銀行の株を買えば確実に配当がもらえる。
日本の株価は日銀がETFを買いまくり、年金資金によって買い支えられた官製相場である。その中で値下がりしにくい株というのは配当金や優待という実際の価値に連動しているものだけである。官製相場が崩壊してもそうした「実利のある株」は価値を失わない。ところがラップ口座なんかに投資した人たちはそのときは有り金をごっそり巻き上げられてしまうのである。日経平均が半分になれば投資したゼニも半分になるのだ。そんな詐欺商品にだまされてはいけないのである。
←1位を目指しています。
2019年08月17日(土) |
阪神はなぜ弱いのか? |
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高校野球を見ていると、選手たちのレベルの高さにいつも感動する。履正社高校が一回戦で一試合5本塁打の大会タイ記録を作った。甘い球を見逃さずに鋭く叩く。打球は必ずライナーで飛んでいく。オレは心の中で思ったのである。「今の阪神は履正社よりも弱い」きっと多くの阪神ファンは思っているだろう。かつては「阪神はPL学園よりも弱い」ということが阪神ファンの間で公言されたものである。
どうして阪神は弱いのだろうか。どうして阪神の主力打者はチャンスになると必ず打てなくなるのだろうか。チャンスに登場するとよく併殺打や内野ゴロを打ってしまう大山を見ていると、そういえば桧山進次郎もそうだったよなと思うのである。これはむしろ阪神タイガースの伝統みたいなものである。
打率は低くてもチャンスになるとなぜか打てる勝負強い選手というのが存在する。そういう選手が活躍することでチームは勝てるのだ。しかし、阪神は逆なのである。どうでもいいときにはヒットが出ても、ここ一番というときには凡退してしまうという役立たずの選手がなぜか阪神には多いのである。
阪神の外国人野手のレベルの低さもまた格別である。ここ20年ほどの間にまともに活躍した外国人野手はマートンとブラゼルしかいない。20年間で2人なのである。そのマートンも性格が悪く、能見投手とケンカしたりなどとろくなことがなかったのである。どんな外人野手がいたかオレはほとんど思い出せない。思い出せない理由は、記憶に残るような活躍をしていないからである。
年間にホームラン30本打てるような選手は2000年以降の阪神の記録を調べてみると
アリアス 32 2002
アリアス 38 2003
金本知憲 34 2004
金本知憲 40 2005
金本知憲 31 2007
ブラゼル 47 2010
この6回しかない。
ブラゼルが本塁打を47本打った2010年は阪神は最後まで優勝争いに加わってシーズン成績2位に終わっている。この年は規定打席に到達した3割打者が5人もいて(マートン、新井、鳥谷、城島、平野)、ブラゼルも打率0,297とほぼ3割近く打ったのである。
自前で長距離打者を育てられないのなら外国人に頼るしかない。しかし、阪神が獲得する外人はいつもハズレである。今のマルテやソラーテを見る限りでは別に外国人に頼るまでもなく、中谷や陽川とそれほど劇的な差があるとも思えない。
長距離打者が育てられないのならば、本塁打に頼らないで得点できるチーム作りが必要である。今年活躍しているドラフト1位の近本、そして木浪のような若手が中心になって走って点の取れるチーム作りを目指さないといけない。しかし。ソラーテのような守れない野手を獲得するあたり、チーム作りの方針が全く矛盾しているのである。
どんな勝ち方をするのか。どんな方針でチーム作りをするのか。それがブレまくったままで今シーズンももう終わろうとしている。今シーズンの最大の問題点は守備崩壊である。エラー数はセリーグで断トツ1位になってしまった。長距離打者がいないのなら手堅く点を取って守って勝たないといけないのに、一番守れないチームになってしまっていったいどうするのか。
なぜ中日がいらなくなったのかをきちんと調査もしないで安易に獲得したガルシアは、そのまま中日に返したくなるようなクソみたいな結果しか残せていない。
もしも本気でチームを強くしたいのならば、阪神はもう糸井や福留をスタメンから完全に外して、外人選手にも帰国してもらって、来季のためのチーム作りを目指すべきである。中途半端な戦いを継続して「3位までに入りたい」などとふざけたことを考えてるようでは永遠に阪神に未来はない。
←1位を目指しています。
2019年08月15日(木) |
8月15日に思うこと |
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8月15日というのは日本人にとって特別な日である。それは日本民族がかろうじて滅亡を免れた日であり、そうした戦争を二度と繰り返してはならないということを多くの犠牲を払って理解したからだ。もしも「本土決戦」なんてことが行われていれば、おそらく日本民族の存亡にかかわっていただろうし、オレの両親も戦争で命を落とすことになりオレはこの世に生まれてこなかっただろう。
「特攻」という形で命を落とすことになんの疑問もなく多くの若者が「お国のため」と信じて命を落としたあの戦争でその「お国」は国民のために何をしてくれたのか。国会で反戦を訴えて有名な「反軍演説」を行った斎藤隆夫議員を除名し、良識派の意見を封じ込め、戦争に反対する国民には「非国民」のレッテルを貼って誰も逆らえない空気を作ったことでどれほど多くの命が失われたのか。
だったら今はどうか。安倍晋三やその側近が間違ったことをしていても誰もそれを咎めずにそのままスルーしてしまう「忖度」という行動原理が三権分立の精神さえも破壊している今と、戦前のあの状況のどこが違うのか。官僚が公文書を改ざんし、警察が権力者の側近の犯罪をもみ消す現在の状況はますます戦前の日本に近づいてるのではないのか。
どうして日米安保条約そのものが日本を危険に導くものであるということに気づかないのか。日本とは無関係の米中の覇権争いにどうしてわざわざ「ここを戦場にしてください」と日本本土を差し出そうとしているのか。国民がその愚に気づくためには日本に核ミサイルが撃ち込まれて国家が焦土にならないといけないのか。
沖縄に米軍基地はいらないし、もちろん日本にもいらない。戦争は絶対悪であるという価値観に到達できたからこそ日本は平和憲法を保持する稀有の先進国として国連で発言できるのである。日本人が世界で信頼されてるのはまざまな国で誠実に活動してきた日本人の行動のおかげである。今や世界で日本を嫌う国は韓国と北朝鮮だけなのである。それも国民レベルではなくて、韓国政府が政策上「反日」を利用しているだけであり、一般国民は反日なのではない。今の韓国で「反日活動」してるのは政府に踊らされている馬鹿だけである。
オレの思想は「護憲保守」である。憲法9条を守るという意味では護憲だが、政治的にはサヨクの方々とは相容れない立場だと思っている。蓮舫とか辻元清美のような売国議員は大嫌いである。
「特攻」によって死んでいった多くの若者にもそれぞれ自分の希望や夢があった。空襲で焼かれて死んでいった人々も同様だ。あの戦争はそうしたものをすべて根こそぎ奪っていったのである。日本が世界に対して訴えないといけないことは、今シリアで行われている米露の代理戦争を含めたすべての戦争の即時停止ではないのか。自国が戦場にならないことでボロ儲けしているアメリカや中国の軍需産業に対して徹底批判を行い、そうした企業とは一切取引させないという国家としての良識や正義を示すことではないのか。
山本太郎は街頭演説の時に自分に向かって罵声を浴びせる相手に向かって「そんなあなたのことも守りたいのです」と訴えたという。日本が全力で守らないといけないものは、自国民だけではなくて代理戦争の犠牲になる世界の民である。それが平和憲法を持つ国家の責務ではないのか。
←1位を目指しています。
2019年08月14日(水) |
高校野球のナイター化を! |
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炎天下で野球をやらせるのは虐待である。オレは高校野球をそのように受け止めている。どうしてあんな行事を現代に続けているのか。熱中症で試合中に死者が出るまで継続するつもりなんだろうか。死んでからでは取り返しがつかないのである。いくら炎天下の連中で体を鍛えてるとはいえ、不慮の事故は起きる可能性がある。地方レベルではすでに死者が出ていて、高野連が隠蔽してるだけかも知れないのだ。
オレは野球が好きだ。しかし、甲子園での高校野球の観戦には絶対に行きたくない。冷房の効いたリビングで観ているほうがはるかに快適だからである。あの暑い中でプレーをする高校球児も、そして観戦する観客にとってもあそこは焦熱地獄なのである。
どうして高校野球を夜に開催しないのか。少なくともナイター設備があって真夜中でも使用できる以上、全く問題ないと思うのである。どうしても昼間にやりたいのならば甲子園開催をあきらめて、会場を福岡のヤフードームとか大阪の京セラドームにすべきである。札幌ドームというのもいいかも知れない。
別に「甲子園」というブランドを聖地にすることなど不要だとオレは思っている。だから開催地には全くこだわりはない。現在のままの開催地を維持したいのならば夜間開催しかないというのがオレの感想なのである。
8時台の第一試合の開始時間を16時くらいにしたら、4試合を10時間程度でやるとして深夜2時には終わることができる。乗客の利便性は阪神電車の運転時間を延長して対応可能だし、その期間中だけ関西の鉄道は深夜に臨時便を走らせればいいのである。
先発投手の投球数を100球に制限するとか、高校球児の健康を守るために小手先のさまざまな対策が考えられている。しかし、最大の問題点は炎天下の昼間開催ではないのか。夜間開催にすれば現行の多くの問題点が一挙に解決するのである。
もちろん高校野球が夕方から深夜になれば、夜のゴールデンタイムのテレビ番組が影響を受ける。しかし、ゴールデンタイムに高校野球を放送すればいいのである。視聴率が稼げる番組ならいくらでもスポンサーはつく。NHKには放送から撤退してもらえばいい。そもそも朝日新聞社とか毎日新聞社が主催している高校野球をどうして無関係のNHKが放送するのか。広く国民から受信料をぼったくるということの意味は、一部の人の興味にだけ関係するような番組を放送するなということなのだ。野球に興味がない人も多いのに、なんでNHKで放送するのかということである。以前にNHKが松井秀喜の出てるアメリカ大リーグの試合を実況中継していた時にオレは批判した。そういう無駄なゼニの使い方をするNHKにゼニは払いたくないのである。NHK役員の超高額報酬も気分悪いのである。
テレビ局にとっても有利なように高校野球を活用するなら、いっそ真夜中から明け方という時間帯に開催すればどうだろうか。そこで視聴率がとれることになればスポンサーもつくだろうし、NHK−Eテレなどのように深夜に放送休止している時間枠をなんらかの形で活用することも可能である。まあオレは今のNHKの在り方には反対してるのでこれを機に議論が盛り上がればそれでいいのである。
死者が出る前に高校野球の昼間開催の中止をぜひとも検討してもらいたいのである。
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2019年08月12日(月) |
東京に五輪開催する資格はない |
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オレはこの数日、東京に滞在していた。池袋の場末のビジネスホテルに宿泊していたのである。オレが泊まった池袋西口界隈というのは本当に治安の悪そうな地域で、そこら中にラブホテルが林立し、ソープランドがあったり、ガールズバーがあったり熟女キャバクラがあったり、「素人多数在籍」とか書かれたなんか意味不明なお店があったりともうとんでもなくひどい地域だった。
そこらを歩いてる人たちもヤクザや半グレ集団や風俗店の客引きや街娼のおばさんたちで、オレはうっかり目を合わせないように注意したのである。そして街全体に立ち込める臭気には閉口した。とにかく「クサい」のである。通常の人間の10倍くらい鼻が利くオレにとっては本当に耐え難い臭さだったのである。
街を歩いてる人たちもまた臭い。とにかく汗臭い人が多いのである。年齢に関係なく臭い。こんな街では絶対に住みたくないのである。混雑した電車で汗臭い人間に囲まれたらもう死にそうである。なんでおまえらそんなに汗臭いんだ。きちんとファブリースしろよと思うのである。絶対に大阪の人間の方が東京よりも清潔である。
東京では冷房の効きも弱い。基本的に大阪の冷房は「寒っ!」と感じるほど冷やすことがお店のもてなしである。ところが東京では「なんかちょっと効いてるかな」という程度の穏やかな冷やし方なのである、オレはこんなものでは全然満足できないのである。宿泊したビジネスホテルでは冷房を最強にしてもちっとも冷えた気分にならなかったのである。あまりにも冷房能力が低いのである。
なんでも競技が行われるお台場の水は大腸菌がうじゃうじゃで臭くてとても泳げないレベルらしい。あの街の臭さを思えば、水が臭いのももっともである。とにかく東京は暑くて臭くて水の汚い残念な街なのである。
こんなことをオレがここで書くと、「大阪の方がたんつぼみたいな街だ!」などと反論する方もいるだろう。確かに大阪でも臭い街はある。そこら中に立ちションしたような臭気が立ち込めているような地域もないわけではない。しかし大阪は五輪開催地ではないし、日本の首都でもない。少なくとも東京と違って普通の地方都市である。
来年の五輪開催までに東京のこの臭さをなんとかしてもらいたいとオレは思うのだ。そして汗臭い人を街から追放してもらいたいのである。電車の中に上から消臭剤を噴射する仕組みとかを考えてもらいたいのである。自分の汗臭さを自覚したら昼間でも温泉に使って身を清めてもらいたいのである。とかく人は自分の匂いには鈍感なものだが、それを自覚して清潔にしようと心掛けるだけでも大違いである。
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2019年08月10日(土) |
オレは大村知事を罵倒する |
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愛知県の大村知事が津田大介と組んで企画した「表現の不自由展」に関して、その展示内容に対する疑念を訴えた職員がいたが、大村知事は黙殺して企画を強行した。結果として多くの批判を受け、炎上したことで展示は中止されたわけである。少なくとも公的補助によって実施されるこのような展示の中に、政治的な主張を盛り込んだものであるとか、観た人を著しく不快にするようなものはふさわしくなかったという点でオレは大村知事の行動に対してかなりの不快感を感じている。なんであんたはそんなことが判断できなかったのか、あるいはそれをわかって強行しようとしたのかと。
この一件に関して、大阪府の吉村洋文知事は8月7日の定例記者会見で、国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の実行委員会会長を務める愛知県の大村秀章知事について「辞職相当だと思う」と述べたという。「辞職相当」はかなりきつい表現だが、もしも大村知事に津田大介と一緒にその企画を政治利用したいという意図があったのだとしたら、オレは即座に辞職すべき事案だと思っている。少なくとも韓国が反日プロパガンダのために世界中に建てているものを、税金を使って日本国内で展示するなんてあまりにもばかげているからだ。これではまるで愛知県が「反日活動推進自治体」であるかのように世間が受け取っても仕方がないからだ。
この指摘に対して、大村知事がとるべき態度は少なくともそうした疑念を払拭するための弁明であり、その展示の正当性を堂々と訴えて議論することではなかったか。愛知県議会から今後起こされるであろう知事への責任追及に対してなんらかの見解を示すべきではなかったのか。
ところが大村知事の答えは、何の反論にもなってない人格攻撃であった。吉村知事に対して「吉村知事は表現の自由を理解していない。そんな人が知事なら大阪府民が哀れ」という意味の発言で返してきたのである。こんなことではそもそも議論が成立しない。なんでまともに議論できないのか。これではまるでお隣の国のあの大統領と同じである。
愛知県といえば、実は日本でも有数の「ディベート王国」である。東海高校というディベートの名門校があり、全国大会の東海地区予選ではいつもかなり高いレベルの議論が行われているのである。その愛知県の知事がこんなレベルの低いオッサンなのである。愛知県民はそんな馬鹿を知事に抱いてることが恥ずかしくないのか。オレはそれを心配しているのである。
吉村知事、そして大阪府民、大阪府民のひとりであるこのオレまでも不愉快にさせた大村知事の発言をオレはとうてい容認できない。吉村さんが知事であることで府民がかわいそうだというのならば、それは府知事選挙で吉村さんに投票したすべての有権者に対する暴言である。大阪府民はこぞってこの不愉快な発言に対して抗議の意を示すべきである。オレは大阪府民の一人として、「愛知県との断交、愛知県民の転入禁止、愛知県出身者の大阪府立大学への受験禁止」などの徹底した抗議を示すべきである。大阪府内での「愛知フード」の提供禁止も行うべきだ。きしめん、ひつまぶし、手羽先などの提供を全面禁止して「反愛知」の態度を明確にしないといけない。大村知事が大阪に出向いて、大阪府民の前で土下座して失言をお詫びするまで、大阪は徹底的に「反愛知」を貫くべきなのである。
名古屋大学に進学したオレの教え子たちはみんな口をそろえて言う。「食い物は大阪が最高ですわ」他地域からうっかり名古屋大学に進学してしまった者たちは基本的にみんな後悔しているのである。こんな後進地域であり文化的に閉鎖的な街であるとは思わなかったと嘆いているのである。ただ、そんなことはどうでもいい。名古屋の食い物がまずいことまでは大村知事の責任ではない。オレは大村知事に大阪府民を愚弄した発言のことをただ謝罪してもらいたいだけである。
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2019年08月09日(金) |
表現の自由とは何か? |
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他者の尊厳を踏みにじる発言や表現、そして明らかに人を不快にさせるような絵画や写真を掲示しておいて、それを公開することを「表現の自由」と主張する連中は本当に不愉快である。
たとえば誰かが「うんこアート」と称して大量のうんこを集めてそれで変なモニュメントを作成して、新宿のど真ん中に展示したらどうか。とてつもなく迷惑である。そんなものは即座に撤去しろと多くの抗議電話が殺到するだろうし、周辺は臭気やハエで大変な被害を受けるだろう。
うんこが人を不快にすることは誰が見ても明らかで、そのうんこアート作家が「表現の自由」と叫んでも誰もそんな表現は認めない。「そんなうんこ見せるなよ!」というのが普通の人の持つ感想である。つまり「表現の自由」の大前提として、「うんこアート」のような変なものを出してくる馬鹿がいないということを我々は共通認識として持たないといけない。
さて、今回津田大介氏があつめた大量のうんこ、いや大量の「展示差し止めをくらった芸術作品」というものが果たしてアートというにふさわしいのか。まずそこから考えないといけない。たとえば昭和天皇の肖像を冒涜するような絵画というものは何のために制作されたのか。少なくともそれは美しさとか観ている人を感動させるとかいうものではなくて、政治的な主張をこめて、観ている人が著しい不快感を感じることをわざと狙って描かれたものであることは疑いの余地がない。そんなものを「表現の自由」という概念で認めることはオレにはとうてい出来ない。
また韓国が世界中に設置して回ってる慰安婦問題に関連した「少女像」も、芸術でもなんでもなくそれはただの政治的プロパガンダの道具である。韓国人がその「少女像」を設置してまわる動機の最たるものは日本人に対する嫉妬である。彼らはその感情のことを「恨(ハン)」と呼ぶそうだが、そんなものは愚劣な嫉妬心でしかないとオレは思っている。世界で成功している日本人の評判に比べて韓国人の評価はそれほど高くない。むしろ多くの女性が海外で性産業に従事していることで韓国に対するイメージは日本人に比べてよくない。そこで韓国政府の考えることは、韓国をもっとすばらしい国にするために国民を啓蒙することではなく、日本の悪口を世界に宣伝して日本を下げることで相対的に自国の評価を高めようとすることなのである。
これはたとえば学校の中のいじめ問題などでも起きる行動なのだが、いじめのきっかけとして自分よりもいろんな能力のすぐれた相手を素直にリスペクトするのではなくて逆に嫉妬し、そいつの評判を下げることで自己満足したいという馬鹿がいる。往々にしてそういうくだらないことからいじめはスタートするのである。
韓国政府が世界中に少女像を設置してそこにでたらめの内容の碑文を書くことでやろうとしていることは「日本はこんなにひどい国だから世界中でよってたかっていじめましょうよ」ということなのである。こんな低レベルのことを国際社会でやろうとしてる愚劣な国は世界でおそらく韓国と中国くらいである。それが隣国だったということが日本にとって最大の不幸であった。
いじめを扇動するヤツはクズだし、国家単位でそれをやろうとしてる国があれば、世界はその国を国際社会から追放してしまうべきである。日本はそれを政府見解として堂々と世界に公言すべきだし、その韓国のやってることに同調して行動する日本人は速やかに日本から出て行ってもらいたい。それは津田大介、おまえのことである。
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2019年08月08日(木) |
なぜ韓国はウソの歴史を教えるのか? |
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戦前の日本は学校でウソの歴史を教えていたという。戦前の歴史の教科書を読むと、たとえば「壬申の乱」などは記載されずにすっ飛ばされ、なぜか大化の改新からすんなりと天武天皇の命じた大宝律令の制定へという流れなのである。天皇家で兄弟げんかというか内輪もめなんてありえない黒歴史だから消しておこうということなのだ。大学の授業の時に教授がそういう話をしていたことを思い出す。
少なくとも韓国では「歴史教育」というのは「事実を実証的に学ぶ」ようなものではない。あくまで「政府にとって都合のいい見解のプロパガンダ」なのである。
日本の植民地支配のもとで朝鮮は土地を取り上げられ搾取され、国民は困窮し。多くの人が日本に強制連行されて奴隷労働させられたと韓国の若者は学校で学んでいるという。また韓国は日本と戦って独立を勝ち取ったのだと、8月15日の光復節では語られるのである。韓国独立のために戦った人というのはいったいどこに存在したのか。
日本は朝鮮半島を西欧列強がしたように搾取のための植民地にしたのではなく、日本本土と同じく日本にしようとした。皇室と朝鮮王族を同等に扱い、昭和天皇のお妃候補の一人だった梨本宮方子女王は旧大韓帝国、高宗第七皇子である李垠に嫁したのである。
また終戦時に陸軍中将だった洪思翊将軍(フィリピン捕虜収容所長だったために戦犯として処刑された)は、旧韓国軍・日本陸軍士官学校時代からの旧友である韓国光復軍司令官池青天から、大韓民国臨時政府に加わったらどうかと誘われたが、朝鮮の独立には未だ時機が至っておらず、今立ち上がることは良策ではないとして断ったという。
もしも李承晩のような自国民を平気で100万人以上虐殺するクソ野郎ではなくて、洪思翊将軍のような人格者が大統領であったならば、日韓関係は全く違ったものとなったとオレは確信する。絶対にクズに権力を渡してはならないのだ。ウィキペディアには次のような記載がある。
洪思翊は独立後の韓国では親日派として糾弾の対象となった。長男の洪国善は早稲田大学を卒業後、朝鮮銀行に勤務していたが、当時の李承晩大統領の直接命令により辞職させられた。また、未亡人の李清栄も、東京女子高等師範学校(現・お茶の水女子大学)を卒業していたが、韓国に帰国した後は一切の職業から追放され、日本に戻らざるを得なくなった。2人ともアメリカに移住したといわれる。
なお、洪思翊は戦時中に朝鮮出身脱走兵を隣家に匿っていたことがある。このとき単に「脱走兵を匿う朝鮮人の家」と考えて洪の自宅へ捜索に訪れた憲兵は、中から陸軍少将(当時)の軍服を着用した洪が出てきたことに仰天し、そのまま逃げ帰った。
靖国神社では多くの朝鮮半島出身者が祀られている。志願兵として応募して従軍した者たちである。日本本土と違って朝鮮半島は徴兵制の対象ではなかった。特攻隊として出撃した若者もいた。高倉健主演の映画「ホタル」では特攻で戦死した朝鮮半島出身者が描かれる。
かつて朝鮮は、共にアジアの強国をめざすパートナーであり、日本にとってもっとも大切な友好国だったのだ。オレはその時代に戻ってほしいと思っている。そのために必要なのは、韓国政府が反日のためのウソの歴史教育をやめ、正しい歴史認識にもとづいて事実を国民に知らせることである。
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2019年08月07日(水) |
殺人予告罪を新設せよ! |
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あいちトリエンナーレで行われていた「表現の不自由展」が中止に追い込まれた理由は、右翼団体からの圧力でも市長の抗議でもない。ただ「ガソリンを撒いて火をつけるぞ」という脅迫のせいである。来場者の安全が守れない以上、中止するしかなかった。だから今回の中止の件を「国による表現の自由の規制」だと問題視するのは全く的外れである。
それよりもオレが気になるのは、その脅迫を行ったDQNに対する罰がないということなのである。それが電話なら、相手先の電話番号はわかるだろう。このような公的施設は通話は普通は録音してるだろう。録音データがあり、相手が特定できていればその時点で脅迫電話をかけてきたDQNを「殺人予告罪」や「テロ予告罪」とかで逮捕して死刑にすればいいのである。
「無差別殺人を実行することを予告したもの」
これを処罰の対象にして、実際にその行為を行っていなくてもそれだけで重大な犯罪ということにすればいい。
今回の件はその予告犯を逮捕してテロを未然に防ぎ、そのうえで展示の是非を論じるべきだったのである。ところが展示は「テロ警戒のために」一方的に中止され、一方津田大介はそれを「思想弾圧」「政治的理由」だと自分に都合よく宣伝しているのである。一番悪いのは「ガソリンを撒くぞ」と脅迫したDQNなのに、その一番悪い奴が全く処罰の対象になっていないのである。
これからの社会で脅威になるのは、DQNが実行する無差別殺人だけである。アメリカでは銃の乱射事件が連日起きている。幸い、しっかりとした銃規制のある日本ではそうした事件は起きないが、日本が治安のいい社会であると世界にアピールするためには犯罪を予告することさえも許さないという風潮が大事である。
事業所や学校に対してかかってくるいやがらせの電話に対してもこうした処罰は有効である。たとえば学校に対して爆破予告をするようなDQNも、これで検挙可能であるし公開の掲示板に書き込んだ時点で「殺人予告罪」は成立するのである。ただ、パソコンが乗っ取られて誰かに使用されてしまうという可能性はあるのでそのあたりの冤罪についてはきちんと検証することが必要だろう。
「殺人予告罪」を新設し、ついでに「ぶっ殺す」などと軽々しく発言するDQNどもからもきちんと罰金を取ったり刑務所にぶちこむなどしてほしいのである。
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」
2019年08月06日(火) |
8月6日・9日を忘れるな |
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8月6日・9日は日本人が決して忘れてはならない日である。6日に広島、そして9日に長崎に原子爆弾が投下され、米軍によって歴史上最大の戦争犯罪が起きた日である。このことを我々日本人は決して忘れてはならないし、世界のいかなる国が核兵器を持つことも容認してはならない。それが人間が作り出してしまった「悪魔の武器」であることを世界に訴え、核廃絶のために行動しないといけない。それがあの戦争を経験した日本人の使命だとオレは思っている。
武器を製造する国や企業は、その武器のために大勢の人が殺され、傷つけられることに対してあまりにも無神経である。武器屋で働く人は、そのような殺人のための道具を作ることで自分が生活してることを恥ずかしく思うべきだ。地雷製造ラインの組立工は、それが幼い子供の命まで容赦なく奪うものであることを認識すべきだ。そうした価値観を世界に広めてほしいのである。武器製造企業が、企業として存続できなくなるように市民が監視しないといけないのだ。彼らは戦争で人が死ぬことで金儲けしているクズどもだからである。
オレはPL法を武器に対しても導入すべきだと思っている。アメリカで頻繁に起きる無差別殺人事件を阻止する方法の一つは、そういうDQNに武器を販売した人が処罰される制度の創設である。被害者への賠償もその銃器を生産したメーカーが負うようにすればいい。そうすれば「武器を作る」というのがいかに引き合わないビジネスであるかが明らかとなって、多くの企業がもうからない武器生産から撤退するだろう。
世界で膨張する軍事費を支えるために多くの市民の生活が犠牲になっている。北朝鮮のミサイルを製造するために浪費されたゼニがあれば、北朝鮮の国民を飢えから救うことができるだろう。もしも世界でこの軍需産業という馬鹿な事業を廃業に追い込めれば、世界の紛争は激減することは間違いない。武器などというくだらないもののためにゼニを使うのは馬鹿馬鹿しいと思わないといけない。
アメリカでDQNが引き起こすテロは、規模を拡大すればそのまま核戦争になる。その国の指導者がDQNからすぐに戦争の引き金は引かれる。今の韓国と日本のように国のトップがどちらもアホという悲しい状況が続けば、もしかしたら国家の方向が大きく歪められてしまうかも知れない。そのときに我々はどうやって対処すればいいのか。
日本はいますぐに日米安保を廃棄すべきである。そして、覇権争いの当事者である米国や中国のどちらにも肩入れせず、むしろその双方を「おまえら馬鹿だ!」と批判できるような正義の国であってほしい。核を絶対にあきらめないと思われる米中露、そして北朝鮮以外のすべての国家と連帯して、核廃絶のリーダとなることが日本の役目であるとオレは思っている。世界の要人が常に日本に集い、世界のどんな国も決して手出しできない聖域であると思わせないといけない。オレはそんな夢物語をいつも考えている。そして、その夢を実現しようとする政治家がいれば全面的に支援したい。
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2019年08月05日(月) |
ケンカをやめて〜 |
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「ケンカをやめて〜 二人を止めて〜」
このフレーズに反応するのはきっと50代以上の高齢者である。いま世界はいろんなケンカが起きている。習近平VSトランプ 日本VS韓国 イランVSアメリカ などそこらじゅうでケンカが起きているのである。なんでこんなことになってしまったのだろうか。どうして時代に逆行するようなことがどんどん起きてしまうのか。
日韓の対立の発端は慰安婦問題だという。多くの朝鮮半島出身女性が太平洋戦争中に従軍慰安婦となった。これはまぎれもない事実である。だから「従軍慰安婦などいなかった」などと発言する右翼の連中や一部の政治家の発言は無知蒙昧のレベルである。
当初、慰安婦を募集した時に応募した日本人の女性の多くはそれを「自分たちのようなものでもお国のために働ける」という意識だったという。ところが彼女らは平均的に高齢で、若い女性は圧倒的に不足していた。それで女衒たちが暗躍して貧しい家の娘を甘言でだまし、親にゼニを渡して連れ出した。それが真実ではないのか。朝鮮半島出身者だけではなくて、東北地方の貧しい農村などからも多くの女性が慰安婦として戦場に送られていたはずである。だから慰安婦の問題は、韓国政府と日本政府の外交問題ではなくて、戦場に於ける性暴力の問題なのである。
もっとも慰安所で働かされていた女性たちはその売春の対価として金銭を受け取っていたわけで、これは韓国政府が主張する「性奴隷」の概念とは違っている。自ら望まない性労働を強いられた女性がたくさんいたということで、女性の人権問題であり、日本人の中にもいた元慰安婦の女性と韓国の元慰安婦の女性は連帯して日本政府と交渉すべきであったとオレは思っている。
元慰安婦をイメージした「少女像」を韓国の日本大使館の前に設置することで韓国政府は問題を矮小化して、「日本軍や政府が悪」というイメージを宣伝することで政治家が自らの支持につなげようとしている。だったら日本政府も、日本人女性も多く慰安婦として戦場にいたこと、その悲劇を訴えるための「嘆きの少女像」を作成すればいいのである。満州でのソ連軍による虐殺や暴行、強姦。そして朝鮮半島経由で帰還する日本人を襲った韓国人による暴力、中国に在留していた日本人が大量虐殺された通州事件などを、特定の国や組織を批判するためではなくて、そうした悲劇が実際に起きたこと、繰り返してはなないことを訴えるべきではないのか。
韓国の過去の政治家は自国民を大量に虐殺してきた。朝鮮戦争中の保導連盟事件による犠牲者は100万人を超えるという。そうした過去の黒歴史をなかったことにするためには、歴史教育というものを壮大なフィクションにするしかなかった。そのウソ歴史の中で日本は敵役として常に描かれてきたのである。朝鮮戦争が起きたのは日本のせい、李氏朝鮮王族の血統が途絶えたのは日本のせい、韓国が近代化したのは自分たちがものすごくがんばったからということなのである。そのウソ歴史の歴史観をそのままに信じている無知な男がついに大統領になって、関西弁でいえば「いきってる」だけなのである。まあ国家のトップの馬鹿さでいえば日本も同じ程度なのでだが。
ケンカして得することは一つもない。日本政府の「輸出管理」の最大の理由は、韓国に輸出されたものが北朝鮮に流れて大量破壊兵器の生産に使われることである。その最大の理由について公式に発言しなかったのは「武士の情け」である。
しかし、この「武士の情け」が通用するのは残念ながら武士道精神や騎士道精神が通用する人たちだけなのである。ウソばかりついてる卑怯な連中や、もともと武士道なんて理解できない利己主義に凝り固まったクソ野郎にはこんな高尚な概念は理解不能なのである。戦時中、日本本土を空襲するために飛来したB29を援護するために飛んできた戦闘機の搭乗員は、地上近くを機銃掃射して日本人を虐殺した。彼らにとって虐殺はただのゲームであり、相手が女性や子供であっても面白半分で平気で殺害したのである。武士道精神を持たない兵士にとって、戦争というのは武器を使って弱いものを殺すただのゲームである。
さて、世界で起きてるこのケンカ、残念なことに当事者たちはみんな大局的な判断のできない馬鹿ばかりである。馬鹿のせいで困るのはいつも常識ある人たちである。
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2019年08月02日(金) |
この暑さは殺人的だ |
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オレは今日、ほんの100メートルほど外を歩いて死にそうになった。銀行に行くためにクルマで出かけて、駐車場にクルマを入れて、そこから銀行までの100メートルほどを歩いただけで死にそうになったのである。なんて暑さだ。ここはもしかしてサウナなのか。こんな暑さの中で人が活動してるのか。そもそもここで生きることができるのか。
考えたらオレは今、常に冷房が効いた空間で過ごしている。家でも寝るときには冷房を入れてるし、クルマのオートエアコンの設定温度は19度である。がんがん冷やしていないと生きていけないのである。
職場の学校ではもちろん職員室も教室も冷房が入っている。電車に乗ると効きは悪いけどいちおう冷房してある。学校で暑さを感じるのは外に面した渡り廊下を歩くときくらいである。だからたまに外を歩くと死にそうになるのである。
この暑さの中を通勤のために10分も15分も歩くということがそもそも可能だろうか。生徒たちが学校から駅まで変える道中で熱中症でそのまま行き倒れなんてことになったらどうすればいいのだろうか。それほどにこの暑さは殺人的である。
こんな暑い日本で本当に東京五輪ができるのか。大阪万博ができるのか。なんで五輪は夏と決めたのだ。暖かい国で冬にやればいいのである。今の日本は冬こそが野外活動に快適な温度なのである。昔と違ってさほど寒くないし、雪も降らずに気候も安定しているからだ。
甲子園の高校野球も夏はやめるべきだ。あの暑さの中で野球をやらせるのは明らかに虐待である。絶対にオレの子供には野球はさせたくない。オレは大学生の時にサイクリング部だったが、そのときに外を自転車で走ることができたことが今では信じられない。もっとも当時は今ほどは暑くなかったかも知れないが、それでもこんな尋常ではない暑さの中でオレは走りたくなかった。夏になるといつも暑い京都から逃亡して、信州や北海道にいたことを思い出す。当時でさえ夏は暑すぎたのだ。
もはや夏の日本は人間が住める土地ではない。冷房の効いてない部屋では絶対に耐えられない。オレは83歳の母にはいつも言っている。「冷房はしっかりつけときや。絶対に暑いのを我慢したらあかんで!」我慢したら死ぬからである。
日本は気候改造をしないと駄目である。都会には大量の木を植えて森を作らないといけない。都市の面積の半分を森林や緑地にすることを義務付けないといけない。住む人がなくなって空家になった家は更地にして木を植えることにすればいい。そうして都会をもっと緑の空間にすれば、少子高齢化の中でも土地の値下がりを防ぐことが可能である。使える土地が減れば価格は下がらない。国や地方自治体が強制的に買い上げて緑地にするのである。持ち主がいなくて相続放棄された古家は国がそのまま管理すればいいのである。必要なのは取り壊しの費用だけである。取り壊しなんてもっと効率的に爆破解体の技術を研究すればいいのである。絶対に延焼しない方法でその家だけ焼いて消滅させる方法を工夫できないか。そんなことを思うのである。
都心を緑地化すれば少なくとも殺人的な暑さは少しは解消できるだろうか。人工降雨とか、何か工夫できないものだろうか。
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2019年08月01日(木) |
松井一郎の大失言 |
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れいわ新選組のお二人の参議院議員の介護費用を参議院側が負担することになった。その件に関して、大阪市長の松井一郎が「自身の介護費用は当該議員自身がポケットマネーで出すべき」と発言して話題になっている。この件に関していうなら、これは松井一郎の大失言であると思う。今からでも遅くないから撤回して全面的に謝罪すべきである。
もしも通常の事業所が身体障害者を雇用する場合、その障害者の方が車いすを使用するとして雇用先がバリアフリーでなかった場合、「工事費はおまえの給料から引いておくぞ」という扱いをするだろうか。障害を持つ生徒が大学に入学する場合、学校側が「工事費は授業料とは別途請求いたします」となるだろうか。否である。松井一郎の発言は、それと同じことを主張してるのである。なんで市長という地位にある人がそんなこともわかってないのだろうか。あまりにも頭が悪すぎるのである。
ただ、この発言を支持する人が一定数存在するのも事実である。「国会でいったい何ができるのか」「仕事もできないのに国会に来るな」という低レベルの暴言である。
国会で何もできない馬鹿は大勢いる。存在してることが問題というクソ野郎もいる。なんでおまえのような嘘つきの無教養な馬鹿が国会議員なんだというレベルのやつも多い。ヤクザなのに国会議員とか、覚せい剤をこっそり使ってるのに国会議員とか、セクハラがひどい国会議員とか、秘書に暴言や暴行を働く国会議員とか、これまで大勢のクズをオレは見てきた。そんな方々に比べて、いや、比べることがそもそも失礼である。クズと言えば、維新が公募した議員の中にはかなりクズが混じっていたじゃないかとオレは言いたいのである。そんなクズをきちんと見分けられずに公認してしまった松井一郎たち維新幹部が、れいわ新選組のお二人の議員の資格や待遇に関して発言する資格は全くないとオレは言いたいのである。
自民党の政治は完全に行き詰ってしまった。今の日本は巨額の借金にあえぎつつ高齢化社会の中で若者の未来の希望を奪っているみじめな国家である。社会には閉塞感が充満し、無差別テロが起こり、会社では常にパワハラ人事が行われ、吉本興業やジャニーズ事務所、そして電通といったブラック企業がマスコミを牛耳っている。志の低い企業経営者が企業の社会に果たす役割を忘れて自分の報酬のことしか考えず、国家百年の計を考える政治家など一人もなく、議員の誰もが「目の前の当選」のことしか考えていない。
オレは今の不正義が堂々とまかり通る世の中を変えてほしいのである。首相のお友達なら犯罪をもみ消してもらえ、官僚たちは権力者を守るために平気でうそをつき統計をねつ造するような、そんな世の中をぶっ壊してもらいたいのである。たくさん働いた人が正当に残業代を支給してもらえるようにして欲しいのである。
芸人を賃金をまともに支払わないことで成り立つ吉本興業も、無報酬のボランティア1万人がいないとやっていけない東京五輪も最初から間違っている。それは十代の若者を特攻という形で死なせることで継続させようとした太平洋戦争と同じである。
政治家の仕事は世の中をよくすることだ、誰もが生きていてよかったと思える社会にすることである。そんな志のある政治家が今の与党の自民党公明党にいるのか。自分の当選のことしか考えてないだろう。恥を知らないといけないのは三原じゅん子、おまえのほうである。
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