江草 乗の言いたい放題
コラムニスト江草乗の日記風エッセイ
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ご愛読ありがとうございます。「江草乗の言いたい放題」は読者100万人を目指す社会派コラムです。一人でも多くの方が読んでくださることで、執筆意欲は倍増します。ぜひ、お友達に勧めて読者数UPにご協力ください。掲示板へのご意見の書き込みもお願いします。
2016年12月30日(金) |
高齢者の運転免許に制限を! |
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今年は高齢者のドライバーによる無残な事故が多かった。登校中の小学生の列に認知症のドライバーが突っ込んだり、アクセルとブレーキを踏み間違えて暴走した高齢女性が歩行者を押しつぶしたりという事故が起きた。それだけの事故を起こしても加害者側は「ブレーキが効かなかった」「なんでこんなことになったのかわからない」という言い訳をした。コンビニに突っ込んで店を破壊した老人が、「タバコをくれ」と平気で言った事故も起きた。
自動車の運転というのは常に100%レベルの警戒が求められる慎重な行為である。歩行者や回りのクルマに気を配りつつ、いつも全神経を集中させていないと無理なのだ。それを解消するには事故防止機能や自動運転車の導入しかないのである。オレは運転するときは常に100%の集中を心がけている。それが当然だからだ。
ところが自分が何をしてるのかわからずにクルマで徘徊してるような老人の運転するクルマが道路を走ってるのだ。いくらオレが安全運転を心がけていても、そうした老人に突っ込まれたらオレは助からない。大きなRV車に体当たりされたらホンダS660の車体は簡単に押しつぶされてしまうだろう。
今すぐ運転免許に関する法律を改正して、70歳以上のドライバーの免許は毎年更新にすることとか、ほんの少しでも認知症の傾向が見られたら即座に更新を停止するとか、特例として「自動停止装置付き」のクルマだけ運転できるという限定免許を導入するとかいう改正をしてもらいたいのである。この法律改正は緊急に行ってもらいたい。一日遅れればそれだけ若い命が失われる可能性が増えるのだ。高齢ドライバーの暴走で子どもの命が失われるという痛ましい事故をもう二度と起こして欲しくないのである。
後付けのペダル踏み間違い防止装置ももっと普及させて欲しい。取り付け費用はたった4万円ほどで済むのである。これを付けていればあの病院駐車場からゲートをへし折って暴走した二件の事故は防げていたのである。
ブレーキとアクセルの踏み間違いによる事故は年間に6000件以上起きているという。それなのに、自動車メーカーは積極的に事故防止に取り組んできたとは思えない。オートバックスがたった4万円で付けてくれる程度の装置をこれまで標準装備した大手自動車メーカーがなかったことからもわかるように、安全意識はとても低いのだ。
ついさっきオレは書き損じの年賀はがきの交換のために郵便局に出かけたが、そこで遭遇した高齢ドライバーの運転ぶりも悲惨なものであった。オレはそのクルマの駐車が済むまで入り口のところで待っていたのだがなかなか駐車が完了しない。白線の駐車枠にどうして入れられないのか。駐車場内を少し前進してからバックして枠内に止めてという単純なことができずにモタモタしている軽自動車のジジイのせいで、オレは延々と数分待たされたのである。車から降りていって、「ジジイ代われ」と思わず言いたくなったのである。こんな簡単な運転もできないようなヤツは公道を走らないでくれと心底思ったのである。
70歳になれば運転免許の再試験を実施して、不合格の者からは免許を剥奪してもいいかと思う。とにかく道路上に危険なドライバーを野放しにしないでくれ。オレは巻き込まれたくないのである。
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2016年12月27日(火) |
富山市議会を腐敗させたのは富山市民である |
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政務調査費のごまかしで1/4近い議員が辞職して行われた富山市の市議補選の投票率が26%だったということを最近知った。領収書の使い回しとか偽造とか、実に稚拙なやり方で税金をだまし取るのが常態化していた富山市議会、さぞや市民の怒りも強く選挙に関心を・・・と思ったら、異常なまでの低投票率でちっとも盛り上がらなかったのである。これでもう富山市は完全に終わったなとオレは思っている。みんながしっかりと投票して、一部の連中に私物化された市政を市民の手に取り戻す改革が進む・・・と思いきや、みんなそんなことどうでもよくて投票にも行かなかったのである。
投票率が低かったら、特定の宗教団体や利権団体の組織票が幅をきかせることになり、市民の声は封じられる。前代未聞の規模で議員たちの税金ちょろまかしが行われていたにもかかわらず、3/4の市民はそんなことどうでもよくて投票を棄権していたのである。おいおい大丈夫なのかとオレは言いたい。市をこの不祥事から立ち直らせて自分たちの未来を決めなければならないという大事な機会をこうしてあっさり放棄できるのだ。富山市民には自浄能力などない。オレはあまりのことにあきれてしまったのである。
選挙権を与えられる年齢が18歳になった。政治に関心がある若者がしっかりと投票することを期待したが、実際は若者は低投票率だった。どこでも投票率が高いのは60代以上の老人であり、政治家はその老人たちの票をゼニで買うような政策を行う。若者の貧困対策とか、少子化対策、婚活事業などを行ってもそれは票にはつながらない。奨学金破産に苦しむ若者は本来ならそんな間違った政治を変えるために一票を投じるべきなのに、実際は投票所にも足を運ばない。「バイトや仕事に忙しい」というが、友人と遊んだりネトゲをしたりする時間も全くないのか。自分たちをますます不幸にしてるのは自分たちの取ってる行動なんだと言うことがどうしてわからないのか。
若者の貧困問題がよく取り上げられるが、貧困なはずの若者はネトゲによく課金し、スマホ依存症で通信費を贅沢に浪費する。非正規雇用のままで30代、40代を過ごしていったいどんな老後が待ってるというのか。「非正規雇用にもボーナスを」などという政府の方針が「正社員にしないでずっと非正規雇用で安く使おう」という企業の悪意を代弁したものであることになぜ気づかないのだろうか。そんなひどい世の中を変えようと若者は立ち上がらないのか。こぞって投票して自分たちの意見を代弁してくれる人を政治に送り込もうとなぜ行動しないのか。
今の日本の政治はクソだ。たいした対策も打てず、実態経済をわかっていない馬鹿政治家がが次々と繰り出す無意味な経済政策にオレは深く絶望する。企業トップもクソだ。もうプラズマディスプレイの敗北が決まった流れの中で2000億円出してプラズマ工場を尼崎に建てた馬鹿ソニックじゃなかったパナソニック」や、原子力事業の未来がないことを見通せずにW・H(ウェスティングハウス)というクソ企業を大金でつかまされた東芝、そして液晶の安売り戦争に敗れたシャープ、こうした企業群がコケたのはすべてトップが馬鹿だったからである。流れをつかんでうまく立ち回ることで生き残ってさらに成長してる巨大企業はたくさんある。フィルムカメラがデジカメに取って代わられたのに、主力のフィルム事業から上手に乗り換えてさらに成長した富士フイルムみたいな優良企業もある。大勢の社員の運命が自分にかかってるということの重大さをわからずに舵取りしてる馬鹿が政治の世界のも大企業にも多すぎるのだ。
オレは日本という国の滅びを見届けてから死ぬのだろうか。それともオレが死んでからこの国が滅ぶのだろうか。
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2016年12月25日(日) |
ワイヤレス5ボタンマウスの性能比較 |
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オレは少し前からワイヤレスのマウスを使うようになったのだが、ネット操作を軽快にするために5ボタンのマウスを必ず使っている。たまたま贅沢して買ったサンワサプライの5ボタンのマウスがめちゃくちゃすぐれもので、特にオレが気に入ったのが「パソコンの電源を落とせば自動的にマウスもその瞬間に電源が落ちる」という機能で、電池の持ちが悪くて3ヶ月くらいしか持たないことも許して使っていた。(それだけ必死で省電力しているのだろう。)
ところがそのスグレモノのマウスが突然死した。こういう書き方をするとなんだか欠陥商品みたいだがそんなことはない。オレが何度も机の上から落下させてしまったので、きっとそのせいで壊れたのだろう。オレはあわてて近所のメガドンキにマウスを買いに走ったのである。残念ながらそこにはお目当てのものはなく、仕方なくオレはエレコムの静音のワイヤレス5ボタンマウスを買ったのである。
さて、帰宅して使ってみたが何か違う。マウス操作にシャープさがないのである。なんか微妙にファジーな動きなのである。うーん、この体感的な差はいったいなんなのだろう。まあそれでも大枚2280円を払った以上、あきらめて使うしかないのだが、マウスというのはパソコンの周辺機器の中ではキーボードと並んでものすごく好みが反映するものである。そのマウスの操作の時に常に小さなストレスを抱えてしまうのはよくない。
2280円はもったいないが、やはりここはあきらめてもう一度サンワサプライのマウスを買い直すべきだろうか。
ただオレは保険を掛ける意味で、楽天市場で検索して見つけた激安品のワイヤレス5ボタンマウスもいずれ手に入る予定である。昨日「注文」をクリックしてしまったからである。こちらはなんと送料込みで798円なのだ。全く期待していないのだが、もしもそれがきちっと使えるか、あるいはサンワサプライのものと比較してそこそこの性能ならば、コスパの点でまことに優れた製品であるということになる。
マウスというものはいいものはとことんいいのである。もはやカラダの一部のようになじむのだ。だからこそこだわりたいのである。
オレはこれまでに多くのマウスを使ってきた。そうそう、今回壊れてしまったサンワサプライのマウスだが、全く同じデザインで有線のモデルも存在していてなんと値段は1000円以下である。代打要員として持っておくならそれを購入するべきかも知れない。操作性とか体感に関してはそれがもっとも自分の好みに合うわけで、線があるかないかの違いだけだからだ。
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2016年12月23日(金) |
ハチ公前の喫煙者から罰金を! |
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喫煙者たちはどうして吸い殻をそこらに投げ捨てるのだろうか。オレは通勤時にほぼ毎朝吸い殻を道に投げ捨てるDQNドライバーを目撃する。窓を開けてタバコを吸ってるドライバーはほぼ100%その吸い殻を投げ捨てる。どうして喫煙者たちというのはこうも傍若無人なのだろうか。
渋谷駅のハチ公銅像前にあった喫煙所が女子トイレ設置のために撤去された。そこで吸っていた喫煙者たちは喫煙所の移転先には行かずにそのままその場で吸うようになって、あたりの植え込みには毎日大量の吸い殻が捨てられているらしい。そこら中で吸ってる人たちが居るので、喫煙者たちはまるでその場所を「タバコを吸ってもいい場所」であるかのように振る舞ってるという。ふざけるな!と言いたいのである。
東京都にも路上喫煙禁止の条例があるはずだ。それを厳密に適用してこのハチ公像周辺の喫煙DQNどもから罰金を取り立てればいいじゃないか。監視カメラで動画を撮影して証拠を残し、大勢の警官で取り囲んで一網打尽で検挙すればいい。取りまくった罰金は付近の清掃に従事して居る人たちに特別ボーナスとして支給してあげて欲しい。その清掃費を税金で非喫煙者にまで負担させるのは馬鹿げている。喫煙者たちの迷惑行為で発生した被害は喫煙者たちにずべて負担させるべきだ。マナーを正しく守ってる喫煙者にも、喫煙仲間のかけた迷惑を一緒にかぶってもらいたい。非喫煙者に負担させる道理は全くない。原発の後始末を全く関係ない事業者に負担させるのが理不尽なことと同じである。
喫煙者たちを取り巻く状況は大きく変わった。昔はクルマには灰皿が標準装備されていたが、今は基本的にオプションになった。オレが購入したホンダS660にも灰皿などない。もしかしたら喫煙ドライバーたちが窓から吸い殻を投げ捨てるのは、車内に皿を装備していないからだろうか。オートバックスとかで買ってきて灰皿を装備せずに、吸い殻の投げ捨てを前提としているようなDQNドライバーは、50万円くらいの重い罰金を科して欲しいと思う。もっとも日本政府が廃棄物の最終処理を解決しないままに原発を増やしてしまっているわけで、それは灰皿を持たない喫煙DQNレベルのお粗末さなんだが。
今日も渋谷のハチ公像前では大勢の傍若無人な喫煙者たちがタバコを吸い、その吸い殻をあたりの植え込みに投げ捨てしているのだろう。その事実がテレビなどで報道されているのになぜそいつらから罰金を取りまくらないのか。そこにいけば必ず無法者が居るわけで、それを検挙しないのはまさに不作為の罪である。オレはその状況が断じて許せないのだ。どうして目の前の犯罪者たちを放置するのか。
昨日オレは帰り道に「フレスポしんかな」という商業施設の駐車場にクルマを止めた。そのときに駐車場の床を見て愕然とした。そこにはタバコの投げ捨てでできたと思われる多くの焼け焦げがあったのである。トイレの個室で喫煙する馬鹿もいた。そんな馬鹿には上から大量のバケツの水が消火用に落ちてくる仕掛けでも導入してもらいたい。
なぜ投げ捨てするのだろうか。それはおまえたちがただ単に馬鹿だからか、それともタバコの吸い殻は「ゴミ」ではなくて、すぐに土に還る「安全無害な廃棄物」だと考えてるのだろうか。
いろんな街で歩行中の喫煙には罰金を科す条例が設定されている。もっと厳密に適用して、喫煙所以外の喫煙を厳重に取り締まってもらいたい。あとついでに喫煙所は必ず二重扉にして、絶対に外に煙がもれないようにしてもらいたいのである。オレはよくあべのキューズモールの4F駐車場にクルマを駐めるのだが、そこから店内に入るときは必ずトイレの前の喫煙所の横を通過する。そのあたりの空気がとにかく煙たいのである。10m先からすでにタバコの匂いがしているのだ。これでは非喫煙者がトイレに行くたびに副流煙を吸い込むことになってしまう。ただ単にオシッコやウンコをしたいだけの人がどうして煙まで吸わないといけないのか。こんな欠陥施設は絶対に改修してもらいたいのである。
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2016年12月20日(火) |
性犯罪者との共生社会は実現するのか? |
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性犯罪を重ねてしまう人というのは病気だと思う。それは覚醒剤中毒とかアル中と同じく治療の必要な病である。島根県立大学の女子学生が殺された事件が7年たってやっと解決したのだが、容疑者は強制わいせつで前科のあった男であった。
我々は身近に存在する性犯罪者たちからどのように身を守ればいいのか。特に女性はそうした被害からどうやって自分を守るのか。オレはそもそも彼らの人権をどこまで保護するのかということを思うのだ。
アメリカでは性犯罪者がどこに居住しているかネットで検索することができるという。ミーガン法(Megan's Law)と呼ばれる性犯罪者情報公開法が存在していて、性犯罪者の存在を近隣住民が知ることができるようになっている。もちろんそれは差別や偏見につながることは明らかだ。しかし、強制わいせつや強姦などの性犯罪を過去に行った危険な人間が存在していて、それを知ってるかそうでないかで対処の方法は変わってくるだろう。
性犯罪者は問答無用で死刑にするという極論を叫ぶ人もいるだろう。被害に遭った人のことを思えば、そうした極論を語る人が出ることも納得できる。そもそも自己の欲望の赴くままに行動する異常性愛者というか犯罪者を野放しになど絶対にできない。
千葉大学の3人の医学部の学生たちが女子学生を強姦したという事件が起きたが、彼らに対して重い罰を与える必要があるという点で多くの人々の気持ちは一致するだろう。では彼らにはどんな罰を与えればいいのか。日本の法律では短期間の有期の懲役刑だが、示談交渉によっては執行猶予が付く可能性もある。そうなるとすぐに世間に出てくるわけである。そして性癖は簡単には直らないからまたどこかで同様の行為をするかも知れないわけだ。野獣は野に放たれるのである。
女性の部屋に侵入しての強盗や強姦を繰り返す様な犯罪者に対して懲役30年などという重い罰が科せられた裁判の判決事例を知ると、もっともなことだと思う。しかし、多くの性犯罪に於いては実際はそんなに重い罰は科せられず、今回の島根県立大の女子学生が殺された事件の容疑者も過去の強制わいせつ事件ではかなりの短期間で刑期を終えている。
性犯罪者が再度の犯罪を起こす前にどうやって阻止すればいいのか。そもそも累犯性犯罪者と社会が共生することなど可能なのだろうか。あなたの隣人が連続強姦魔だったとして、それを知ったときに平常心でいられるのか。隣家に連続強姦魔が住んでいるのに、妻子を家に残して外出できるのか。そもそも殺されたりレイプされてしまってからでは遅いのであって、どうやってそうした危険を阻止したらいいのか。
孫悟空が頭にリングをはめられたみたいに、性犯罪者のペニスにリングを手術ではめこんでとれなくして、もしも勃起したら激痛が走るというようにすればどうだろうか。昔の中国の宦官のような外科手術をしなくても、医学的に勃起できなくするとか、ホルモンを抑制するような処置をするというのは可能な気がするのだ。もっともそういう主張をすると必ず人権派の弁護士が、「性犯罪者にも人権を」などと主張するわけである。オレはいつも殺人犯には人権などいらないと思ってるし、車上荒らしするヤツや覚醒剤の売人は射殺されてもいいと思ってる。どうして連続強姦魔の人権など守る必要があるのか。そんなクソ野郎はピラニアの水槽にでも投げ込まれてしまえばいいとオレは思ってるくらいだ。他者の人格を踏みにじるようなクズ野郎の人権など考慮する必要はない。人権とはそもそもまっとうな市民のためのものであると思うのである。
そうして考えると、やはり性犯罪者との共生社会なんて不可能だ。住民が知ることができなくても、警察は性犯罪者のデータベースを作成して常に監視下に置くことが望ましいと思うし、事件が起きれば真っ先にそういうことをしそうな連中を捜査すべきなのである。今回の事件、その初動の部分が正しく動けていれば解決はもっと早かっただろうし、この殺人犯人を交通事故死の前に確保することで賠償を取ることもできたのである。
オレは性犯罪者との「共生」社会なんていらない。「共生」ではなくてそういう危険な人たちを「去勢」する社会の方がまだ賛成できるのである。オレの主張は暴論だろうか。そもそもなんでこの世には性犯罪者が存在するのだろうか。
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2016年12月16日(金) |
整備新幹線よりもローカル線へ投資せよ |
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整備新幹線を作ることがそんなに大切だろうか。それによって得られる時間短縮効果が果たして巨額の投資に見合うものなのだろうか。そもそも旅人はそんなに早い移動を望んでるのだろうか。今、日本中でどんどん地方のローカル線が合理化の名の下に切り捨てられてしまう現状を思う時、我々にとって何が財産なのかということを改めて考えたくなるのである。
北海道にとっての財産は、新幹線が札幌まで伸びることではなくて根室や稚内まで鉄道が走っていてそこに特急が走ることではないのか。北海道新幹線を作ることよりも、稚内や根室、網走までの鉄道を維持することの方がはるかに北海道民にとっての財産ではないのか。それとも札幌や函館といった大都市圏以外の部分は切り捨ててしまってもいいのか。根室や稚内への鉄道路線を廃止してしまうということは、将来の日露交流のためにもあってはならないことだと思うのである。現実を考えるとありえない想定だが、もしも北方領土が返還されたとしたら根室まで鉄道があることは大きな経済効果につながるだろう。根室本線を廃止するというのは国策に合致しない行為である。
国鉄時代に整備された鉄道インフラというのは立派なものであるとオレは常々思っている。そこに手を加えて改良してより高性能化された在来線の列車を走らせることでなぜいけないのだろうか。時速160キロで走ることのできる特急を在来線にたくさん運行すれば、新幹線など作らなくても十分に便利になるはずだ。なぜ「今存在する資産」の価値に目をつぶって新幹線網を整備しようとするのだろうか。
大阪から金沢に行くには、特急サンダーバードで2時間40分くらいで行ける。運賃は7130円だ。安全かつ快適に行けることを考えればこれはかなり安いとオレは思っているし、それで十分だと感じている。
もしも時間の余ってる大学生や年金生活者なら、新快速と各駅停車を組み合わせてゆっくり行くという選択肢もあるだろう。5時間以上かかるわけだが、それで運賃が4730円になるのならそっちを選ぶのもありだろう。その方法なら青春18きっぷも使えることになるわけで安く行けるオプションとして十分に考えられる。また高速バスを使うならたった4000円で大阪から金沢まで行けるのである。
そうしたさまざまな行き方が存在していて、必ずしも速く移動することを重視せずに時間の掛かる移動手段を選ぶ方たちがかなりいるということを考えた時、果たして2兆7000億円もの巨費を将来の世代に背負わせることが正しいのかとオレは思うのだ。
地方のローカル線の利用者が減ってしまったのはなぜか。地元民が利用しなくなったからである。だったら利用したくなるような需要を生み出そうという努力をなぜしなかったのか。鉄道という大きな資産を抱えながら、時間通りに安全に運行できるという世界一のシステムを備えながらなぜそれを活かせなかったのか。オレはそれが不思議なのだ。
これから地方の過疎化はもっと進むだろう。人口減少社会になっていくなかで、交通インフラが存在しないから住めない地域が増えていくわけだ。そのときに「鉄道がある」というこの宝物のような価値をどうしてあっさりと切り捨てられるのだろうか。
もしもオレにJR北海道を経営させてくれるなら、オレはそこに多くの乗客を呼び戻すためにさまざまなアイデアを盛り込むだろう。千歳空港に飛行機でやってきた多くの観光客を北海道の隅々まで快適な特急で送り出す仕組みの整備を工夫するだろう。
かつては鉄道はただの移動の手段であった。人口減少すればそのニーズが減るのは必然だ。しかし、今は鉄道に乗るということは大きな娯楽なのである。その「娯楽」の要素を活かせずにローカル線がどんどん失われてしまうことをオレはとても残念に思うのだ。
もしも日本中の鉄オタたちが一斉に島根県の三江線に押し寄せて、連日超満員となってそこが黒字を生み出す路線ということになればこのまま廃止されるだろうか。鉄道を真に愛するということは外から写真を撮ることではなくて、ゼニを払って利用するということなのである。
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2016年12月15日(木) |
姫路から近鉄特急でお伊勢参りしようぜ! |
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姫路市の小学校の修学旅行は60年の長きにわたって伝統的にお伊勢参りだったという。そういう伝統がオレは大好きである。祖父母、両親と同じ体験を伝えていけるわけだ。ところがその修学旅行がなんと京都・奈良に代わってしまったのだという。なんとも残念なことである。少し前のニュースだが記事を引用しよう。
修学旅行先変更、理由は車酔い… 兵庫・姫路の小6生 60年続いた伊勢から京都へ 神戸新聞NEXT 12/1(木) 15:45配信 姫路っ子の小学校時代の思い出と言えば「伊勢・奈良」の修学旅行。兵庫県姫路市内のほぼ全校が約60年続けてきた行事だが、来年度から訪問先が「京都・奈良」に変更される。6年前、各校が長年利用したJRの貸し切り列車が故障。バスに切り替えた途端、児童の車酔いが相次ぎ問題になった。伊勢旅行になじみのある保護者らは惜しんだが、校長会が移動距離の短いルートを選んだ。(三島大一郎) 姫路市立小学校(全69校)の修学旅行は6年生が対象。旧家島町を除き5〜6月に1泊2日の日程で実施している。 校長会によると、「伊勢・奈良」行きは戦前に一部の小学校が導入。1957(昭和32)年ごろには全校に広がったという。 姫路と伊勢の移動距離は約300キロ。旧国鉄やJRの通常運行では使われない予備の車両を貸し切り、移動に使った。 ルートは市内の最寄り駅を出発し奈良へ。東大寺の大仏を見学し、再び列車で伊勢・二見浦に向かう。翌早朝は「夫婦(めおと)岩」で日の出を拝み、伊勢神宮や鳥羽水族館を訪ねた。 ところが6年前、特急「はまかぜ」にも使われた気動車が老朽化で故障。代替車両が見つからず、翌年から全行程をバスに切り替えた。 列車内は自由に歩き回れたが、バスはシートベルトを着用。車酔いで体調を崩す児童が増え、保護者が迎えに来る事態が度々起きた。 校長会は2年前から行き先の変更を検討し、移動距離が短い「京都・奈良」に決めた。今年に入り、来年以降の宿泊場所のめどが立ったという。 「祖父母の時代から修学旅行は伊勢だったのに…」。今春、各校で行われたPTAへの説明では、変更を惜しむ声が相次いだ。 校長会長を務める城陽小の原田貞雄校長は「児童の体を第一に考えた苦渋の決断。残念に思う人も多いが理解してほしい」と話す。
オレはこの記事を読んで不思議に思ったのである。使える車両がない以上、確かにJRが臨時列車を出すのは無理だろう。JRみたいに利用者のことを第一に考えてないクソ会社よりもそういうときは民間企業に頼ればいいのである。姫路から伊勢なら線路はJR以外でも見事につながってるじゃないか。阪神電車が近鉄に乗り入れているので、姫路から伊勢まで直通の列車を走らせることは可能なはずである。三宮発の賢島行きの特急は不定期運行だが存在する。それなら途中まで山陽電鉄で移動すればいいし、近鉄の協力を得て修学旅行専用車両を作ってもらえばいいのである。そういうことを公費で助成するのはオレは大賛成だ。
また、姫路から伊勢への直通特急が走るということになれば、姫路城と伊勢神宮という外国人の旅行者に強くアピールできる二大観光地を直接つなぐ観光列車ということになって必ず需要はあると思うのだ。車内で酒を飲んだりカラオケしたりできるお座敷列車にしてもいいかと思うのである。全くやる気のないJR北海道以外の各社がやってる豪華観光列車を、長大な路線を持つ近鉄にもぜひ導入してもらいたいのである。もっとも近鉄の場合は「観光特急が比較的安い料金で利用できる」というところに魅力があるので、JRのようなぼったくり列車は走らせて欲しくはないのだが。
大阪に海外からの観光客が増えたが、近鉄特急の外国人利用者が大きく増えたというニュースは聞かない。まだまだそのあたりに伸びる余地はあるだろう。近鉄にはぜひとも姫路から伊勢への直通特急や、姫路から名古屋への「新幹線の運賃の半額でいける!」を売りにした列車を走らせてもらいたいのである。大阪に住むオレは名古屋に行く場合新幹線に乗るとは限らない。新幹線で行くと正規の料金では新大阪→名古屋間で5830円もかかってしまうのだが、近鉄特急の回数チケットバラ売りを金券ショップで買えば3400円で行けるのである。所要時間が倍かかってもせいぜい1時間増えるくらいだ。しかもオレの様に大阪南部に住んでる人間にとっては、新大阪まで出るよりも近鉄の停まる鶴橋や難波に出る方がはるかに近いのである。
ゼニがもったいないから近鉄特急で行くという感覚は、たった1時間ほどの短縮のために5〜6兆円という巨費を投じてリニア新幹線を作るというJR東海の首脳の考えの対極である。なんでもJR東海は、のぞみの客を奪われたくないためにJR西日本に対して「関西本線には急行や特急を走らせるな」と要請してるらしい。もしも関西本線が高速化されてそこに在来線の特急が大阪名古屋間を2時間程度で結ぶようになれば新幹線の客が減ると思ってるのだ。せっかくある鉄道資産を活用させなかった結果として最後は赤字ローカル線になって廃止に追い込まれてしまうのである。JR西日本もJR東海もトップが馬鹿である企業の典型である。
世界一の地震国日本でリニア新幹線を作るという馬鹿げたプロジェクトは、東海大地震でリニアのトンネルが切断された時に一瞬にして数百人の生命が失われるという史上最悪の鉄道事故の可能性を全く想定していない。もっとも事故の想定ができていないから福島第一原発の事故が起きたわけで、オレの様なまっとうな人間にはリスクを平気で冒す馬鹿たちの考えてることが全くわからないのである。
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2016年12月13日(火) |
責任を問われない人たち |
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認知症の老人が線路に入り込んで事故死した場合、鉄道会社側はその列車遅延などの損害賠償を請求できるかという訴訟があり、結局家族の監督義務や責任は問われずに鉄道会社への賠償金は認められないという判決が下った。これはつまり、認知症の人が事件を起こしたとしてもその家族の負う監督責任というのは限定的だということになるわけで、最近よく発生してる認知症ドライバーによる交通事故に関しても「そんな状態でどうして運転を認めたのか?」という責任は追及しにくくなったのである。
それでは知的障害者の場合はどうなのか。以前に八尾市で知的障害の男性が子どもを歩道橋から投げ落とすという事件があり、その男性は懲役刑を受けたのだが出所してきてまた人にケガをさせる事件を起こしている。責任能力云々がまたしても問われ、支援者たちに与えた衝撃も大きかったわけだが、常に「自分よりも弱いもの、小さいもの」をターゲットにしているわけで、十分に責任能力は問えるとオレは思っている。もしもその加害の対象が自分の身内に及んだ場合はオレは決して許さないだろうし、極刑を望むだろう。
JR新今宮駅のホームで無差別に人をホームに突き落とそうとした人がいて、殺人未遂容疑で逮捕された。女性ばかりを狙って突き落とそうとした卑怯な犯行でありながら、容疑者は「触ったら落ちた。殺す気なんかなかった」と供述しているという。記事を引用しよう。
大阪・浪速区のJR新今宮駅のホームで女性2人が男に背中を押され、このうち1人が線路に転落した事件で、警察は大津市の28歳の男を、殺人未遂の疑いで逮捕しました。警察によりますと、男は、「女性に触ったら線路に落ちたが殺そうとしていない」などと供述しているということです。 逮捕されたのは、大津市に住む朝鮮籍で無職の中川晃大、本名裴晃大容疑者(28歳)です。警察によりますと裴容疑者は11日午後5時すぎ大阪・浪速区のJR新今宮駅のホームで電車を待っていた18歳の女子高校生と63歳の女性の体を押しこのうち63歳の女性を線路に転落させたとして殺人未遂の疑いが持たれています。 女性が転落した直後、この駅に停車する快速電車が来ましたが、非常ブレーキをかけておよそ5メートル手前で緊急停止したため女性にけがはありませんでした。 警察が防犯カメラの映像を分析するなどした結果、家出をしたとして家族から捜索願いが出ていた裴容疑者がかかわった疑いがあることがわかったということです。裴容疑者は11日の夜遅く、愛知県内で無銭飲食をして警察に保護されていました。 警察によりますと、調べに対し、「女子高生には触っていない。女性には力を込めて触ったら線路に落ちたが、殺そうとはしていない」などと供述しているということです。警察が、事件の詳しいいきさつを調べています。 (NHKニュース)
さて、この突き落とし事件の容疑者は知的障害があるということだが、少なくとも「逮捕されると思って逃げた」ということだから悪いことをしているという認識は十分にあったのである。オレはこの事件に関しては、障害の有無などは全く問題にする必要はなく、通常の「殺人未遂事件」同様に扱うべきだと考える。また、連続して4人を突き落とそうとしたわけで、これは「不特定多数の市民への無差別加害行為」と認定できるから俺が日頃主張する「市民に対するテロ罪」の適用対象でかまなわないと思うのである。
もしも今回の事件で「障害者」であることを理由に無罪になるとか、極端に軽い判決が出れば、それはむしろマイナスだ。きちっと公平に罰を与えることが必要なのである。そうでないと全く無関係の外国人や障害者がいわれのない差別を受けることにつながってしまうからだ。
認知症ドライバーの暴走による事故死、そしてこのように知的障害者や精神障害者による加害行為の結果による事故死が頻繁に起きている。社会はその事実に対してどのように向き合うべきなのか。なぜ認知症なのに運転しないといけないのか。加害行為の背景には何があるのか。
オレは複雑な思いで今回の突き落とし事件のことを考える。容疑者は母親から捜索願いが出されていたという。このような障害を、その親にすべての責任を負わせてしまうこともまた間違ってるとオレは思うのだ。どうすることが必要だったのだろうか。なかなか答えが出ないのである。 ←1位を目指しています! m(_ _)m 投票博物館
2016年12月12日(月) |
なぜノンスタ・井上は当て逃げを選んだのか? |
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車を運転していれば交通事故などよくあることである。オレのような優良ドライバーでさえも何度も事故に遭遇している。そのために任意保険に入ってるのであり、車同士の事故なんか全く怖くない。オレが怖いのはオレの前に飛び出してくる自殺志願の歩行者だけである。
さて、運転中にタクシーに激しく衝突し、運転手にケガを負わせたのに「当たったことに気づかなかった」と逃げた「NON STYLE」の井上裕介について思うことは、きちっと警察官を呼んで事故処理するよりも逃げた方が得であると冷静に考えたからである。その理由として考えられることはたった一つ「飲酒運転」しかない。そこで警察官を呼んだら飲酒運転であることがバレてしまい、一発で免許取り消しになる上に高額の罰金を払うことになる。しかも「飲酒運転で事故」というのは社会的に許されない行為であるわけで普通は仕事もみんな失ってしまう。それだけは絶対に避けたいと考えた彼が、「当て逃げ」という冷静な選択をしたことは容易に考えられる。
飲酒運転など絶対にしないオレは逃げる必要など100%ないし、どう考えても「ひき逃げ」「当て逃げ」はやる方が馬鹿だ。しかもタクシーのような営業車はドライブレコーダーが搭載されていたりするので当て逃げして逃げ切れるわけがない。
そう考えるとやはり逃げた理由は「飲酒運転がバレないように」ということになるわけだ。 冷静に考えてそれ以外の結論は導けないのである。
タクシーの運転手にケガを負わせたまま逃走したということでこの「当て逃げ」の責任は重い。あるいはぶつかったことにも気づかないほど酔っていたのか。いずれにしてもこの馬鹿のしでかしたことは、あの生活保護費の不正受給の河本準一くらいに恥ずかしいことのような気がする。そのまま芸能界を引退するレベルだろう。
オレは飲酒運転するような人間は基本的にクズだと思ってるし、そういうクズがテレビに出て金儲けしていることは断じて許せない。飲酒運転は認知症運転と同じく、クルマを無差別殺人の凶器にしているのと同じレベルの犯罪である。とにかく、事故現場から逃げたという時点で「飲酒運転認定」なのである。もしもそうでなかったら逃げるなと言いたい。逃げるヤツは全員飲酒運転以上の罰を与えるべきだ。そうでないと「逃げ得」を許すことになるだろう。
ここまで書いてネットのいろんな記事を見ると、「飲酒運転かどうかわからないのに憶測で疑うな」とか「オレも逃げるかも知れない」とか井上容疑者を擁護する意見がけっこうあることに気がついた。逃げた理由として考えられるもっとも可能性の高いことが「飲酒運転」なのであり、しかも今回の彼は「自首」ではなくて警察が捜査して見つかったということで「逃亡犯」なのだ。どうして即座に逮捕拘留して、事故直前の行動とか立ち寄り先を特定して、ついでにコンビニの購入履歴なども調べて「飲酒運転の証拠」を出して「飲酒ひき逃げ」という形できちっと罰を与えてもらいたいのである。
犯罪をしても、芸能人は活動自粛すれば許されるのか。一般人と同じくきちっと罰を受け、そうして償ってもらいたいものである。すべての飲酒運転は「殺人未遂」と同じだとオレは思っている。さて、今回の事件の真相はどうなのだろうか。 ←1位を目指しています! m(_ _)m 投票博物館
2016年12月05日(月) |
カジノではなく「賭場」を作ればいいのである |
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カジノを含むIRの建設を促進する法案が可決されようとしている。オレは思うのだが、なぜ「カジノ」なんだろうか。どうしてそこにわざわざラスベガスやマカオにあるようなくだらないものを作ろうとしてるのだろうか。そんなものを真似て作ったところでしょせんそこに漂うのは「まがいもの」感である。そんなものを作らなくても日本には日本の伝統的賭博があるじゃないか。サイコロ賭博を開帳すればいいじゃないか。丁か半かというしごく単純なルールで楽しめるわけで、外国人観光客に楽しんでもらうにはこれしかないとオレは思うのだ。
ゼニを使ってもらう以上、最高級のおもてなしが必要だ。そしてその場の雰囲気を盛り上げるだけの演出もいるだろう。壺振りのおねえさんの美しさにゾクゾクし、片膝立てた瞬間のそのチラリズムに思わずよそ見をしてしまってる間に気がついたら負けが込んでいるというのが賭場の醍醐味なのである。
広間でサイコロ賭博を開帳している一方で、小部屋では花札遊びをすればいい。ルールを教えれば外国人もきっと熱狂するだろう。このような美しいカードゲームが存在するということを日本は世界に発信するべきなのだ。
麻雀人口も減少しているという。麻雀にゼニを賭けないことなどないのに表向きは「賭け麻雀」は禁止されている。カジノ法案というのは別に外国のカジノをそのまま日本に持ち込むことではなくて、もともと日本にあった賭博の文化を成熟させて紹介するものとして活用すればいいと思うのである。
暴力団も弾圧して解散に追い込むだけではだめだ。、彼らの再就職の道を閉ざせば今度は犯罪に走ったり生活保護を必要とするわけで、彼らにまっとうな職場を与えて雇用しないといけないとオレは思うのだ。その賭場の運営を任せて、その代わりにきちっと納税させればいいのである。彼らがシノギを覚醒剤の売買や非合法活動に頼らなくてもいい様にきちんと収入の道を保証してやることも大事だとオレは思うのだ。賭場の運営というのはまさにうってつけの職場じゃないか。
日本に来た外国人はそこで日本的なものを期待してるのだ。せっかく日本に来たのにみんな洋服を着て近代的な生活をしている姿を見て「えーっ!これが日本なの?」と失望してるかも知れないのだ。そんな彼らに時代劇の中にあるような世界を見せてやればいいのである。タイムスリップしたような感覚を味あわせればいいのだ。
「吉原」も江戸時代そのままの形で復活させればいい。そして最高級の美女は○○太夫とか名乗ればいいのである。最高の娯楽施設として、そして「おもてなし」の文化として復活させてしまえばいいのである。なんか法律の抜け道を作ってタテマエでは「売春防止法」なんて法律を作りながら実際は破られてるという状況よりも、きちっとした法律やルールで守る形で女性の権利が守られて高収入も確保されるようにすればいいのである。中間で搾取するヒモやヤクザを排除して、そのかわり高額納税してもらえばいいのである。ケチな脱税をするクソ企業家よりも、何千万も納税していますという花魁(おいらん)の方がよほど社会に貢献してるということを世間にわからせればいいのである。
たぶん国会でああだこうだ語ってる国会議員の連中は、カジノなんて外国のカジノ運営会社に丸投げすることしか考えてないだろう。自分で工夫することなど彼らの貧困な頭脳では無理だ。そうして美味しい部分、収益の部分はほとんど外資に持ち去られてしまうのである。せっかく「国益」になると思って作った施設が、実はほとんど国内に富を還元せずにギャンブル中毒者だけを増やす迷惑施設になってしまうのだ。政治家にまかせれば必ずそうなる。
日本版カジノの運営に成功する鍵は、山口組などの広域指定暴力団幹部の協力を得られるかどうかである。彼らの雇用を確保して活用することが成功の鍵ではないかとオレは思っている。そうしてヤクザの経済活動もオモテの社会の経済活動の中に組み込んでいくことが、覚醒剤やその他の非合法ビジネスから足を洗わせるためには必要なのである。 ←1位を目指しています! m(_ _)m 投票博物館
2016年12月03日(土) |
この事故は誰も責められない・・・ |
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新潟県上越市で、2歳の男の子がパワーウインドウに首を挟まれて心肺停止状態になるという事故が発生した。事故の状況を知るにつれ、これは誰を責めることもできない不幸な事故であるとオレは思ったのである。記事を引用しよう。
車のパワーウインドーに首挟まれたか、2歳男児が心肺停止 TBS系(JNN) 11/30(水) 22:24配信 新潟県上越市にあるスーパーマーケットの駐車場で30日夕方、2歳の男の子が車の窓ガラスから首を外に出し、ぐったりした状態で見つかりました。現在、心肺停止の状態です。 30日午後6時半前、新潟県上越市にあるスーパーマーケットの駐車場で、20代の母親が買い物を終えて軽乗用車に戻ったところ、2歳の次男が左の後部座席の窓ガラスから首を外に出した状態で、ぐったりしているのを見つけました。次男は心肺停止の状態です。 警察によりますと、事故当時、後部座席には長男と次男が乗っていました。エンジンはかけられたままで、母親が離れたのはおよそ10分でした。警察は、何らかの原因で次男が車のパワーウインドーに首を挟まれた疑いもあるとみて詳しく調べています。(01日03:00).
クルマには年の近い長男と次男が乗っていたという。夕方の混雑したスーパーで、幼児二人を連れて買い物をするのがどれほど大変なことか、オレは容易に想像できる。スーパーの店内でおとなしくしてる子どもの方が珍しい。走り回ったり、勝手にお菓子を食べたりする。買い物用のカートに乗せられるのも一人だけだ。子どもをクルマに残して短時間で買い物を済ませようと思った母親を誰が責められるだろうか。
じゃあ離れるときになぜエンジンを止めなかったか・・・ということだが、おそらくかなり寒かったのではないだろうか。暖房が切れて寒くなるということを考えれば母親はエンジンを掛けたままクルマを離れたとしても不思議ではない。真夏のクルマでエアコンを掛けずに放置したら車内は高温になる。それと比べれば寒さはそんなに急にはやってこないだろう。もしかしたら車内でテレビでも見せていたのだろうか。
スイッチを押したら窓が開く。幼児にとって格好のオモチャである。窓が開いていればそこから外が見たくなる。これも自然な行動である。そうして車内の二人は遊んでいた。パワーウインドウを操作する遊びと、窓から外を覗く行為。この二つのことが不幸にも重なってしまったということである。そこで悲劇が起きた。その事故の原因を求めて誰を責めることができるだろうか。子どもがパワーウインドウで遊ぶことなどごく普通のことである。
ただ、後部座席のパワーウインドウには普通はワンタッチで完全に締めたり閉じたりする機能はついていないはずだ。N−BOXはどうなのだろうか。押し続けないと窓が閉まらないのだとしたら、窓に首が挟まってるのにスイッチを押し続けたか、あるいは「開」の操作をしようとして逆に必死に「閉」の方の操作をしていたのではないだろうか。
ずいぶん昔のことだが、ワンボックスカーのサンルーフから身を乗り出して遊んでいた子どもが、クルマが低いガードのところを通過しようとしたときに激突して死亡するという事故があった。子どもが頭を出してるのに、注意を与えずに低いガードに突っ込んだドライバーの過失なんだが、クルマのミラーは左右や後方しか映らないから、屋根の上の危険な状況に気づかなかったとしても仕方がない。自動車メーカーはその時以降「危険ですからサンルーフから身を乗り出さないでください」という表示をわざわざ付けないといけなくなったのじゃないかな。おそらくかなりの出費増になったはずである。
子どもは何をするかわからない。オレが運転していて一番怖いのは子どもである。突然道路に飛び出してくるかも知れないし、オレのクルマの前にいきなり空き缶を投げ捨てるかも知れない。だからオレは運転していて視界に子どもを発見するとものすごく緊張するのである。いきなりオレのクルマの前にダイビングされたらどうやって逃れられるだろうかと本気で心配するのだ。
二人の幼児が車内で何をして遊んでいたのかはわからない。もしもオレが同じ立場ならどうか。「おとなしく待ってなさい」と子どもをクルマに残すだろうか。子ども二人を連れてどうやって買い物できるだろうか。
誰も責められないからこそ、これは本当に不幸な事故なのである。また日本中いつどこで起きてもおかしくない事故である。その事を我々は常に理解すべきである。
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