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2009年08月24日(月) |
播磨屋の無料カフェでおかきを食べよう! |
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京都にはさまざまな老舗のカフェがある。有名な堺町三条のイノダコーヒー本店にはファンが多く、毎日通ってる方も居れば、わざわざ東京から来られる方も居るくらいである。もちろんオレも京都に行けばよく立ち寄っている。しかし、コーヒーや紅茶が無料で味わえるカフェが存在すると知ったらみなさんは驚くだろう。そんなあり得ないような店が現実に存在するのである。
京都の烏丸丸太町の交差点から少し北に上がったところ、京都御苑と烏丸通りを挟んで向かい合うところに播磨屋ステーション京都というお店がある。ここの名物はなんとフリーカフェである。おかき0円、ドリンク0円なのである。

店内に入ると、喫茶店のようにテーブルと椅子が並んでいる。そこに腰を落ち着け、そして用意されたおかき(お代わり不可、一皿まで)とフリードリンク(お茶、オレンジジュース、コーヒー、紅茶)をいただくことができるのだ。
無料で提供しても、みんなタダで食べて帰るだけじゃないか・・・と思うのだが、日本人というのはとっても律儀な民族なのである。タダで食べるだけでは申し訳ないから何か買って帰ろう・・・ということになって、結果的に何かを購入することになるのだ。そういうわけでこのフリーカフェ、無償で提供した何倍もの商品が売れるという結果になるのである。]
同じようなサービスをもしも中国で実施したらどうだろうか。きっと多くの客は一皿で満足せずにありったけのおかきを食いまくって買わずに去るだろう。彼らに日本人のような「馬鹿正直なまでの律儀さ」を求めるのは不可能だ。だからこのような企画は必ず失敗に終わるのである。
播磨屋本店のWEBサイトに行くと、無料お試しセットがある。送料160円を負担するだけでさまざまなおかきを試食できるのである。もちろん同一住所に一度だけなのだが、お店で試食するのと同じく、日本全国どこに住んでいてもこのサービスを受けることができるのだ。そういう意味では「お客様に味わってもらってから買っていただく」という播磨屋本店のスピリットは不変なのである。
ちなみにオレの好みは月並みだが「朝日あげ」である。このサクサク感がたまらないのである。これが一袋あればついつい食べ過ぎてしまうだろう。
米の消費量がどんどん落ち込んでいる。米を作りすぎないようにと農家は減反を押しつけられている。しかし、日本人がおかきのおいしさにもっと注目してじゃんじゃんおかきを食べるようになればもっと米の消費量は増えるはずである。日本人ならポテトチップじゃなくておかきを食べるべきなのである。それは日本の農家を救済する崇高な行為であると共に、おいしいおかきを味わえるという至福の時間でもあるのだ。
今日から毎日おやつにはおかきを食べよう。そして、京都にもしも出かけることがあればそのときには、京都市営地下鉄を丸太町で下車して、この播磨屋ステーション京都を訪れて欲しい。そのときは「無料」というのに甘えて食い逃げをするのはやめよう。しっかりとお土産におかきを買いまくって帰る、それが真の日本人なのである。
2009年08月23日(日) |
ソンミ村虐殺事件をきみは知っているか? |
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戦争でいつも犠牲になるのは非戦闘員の住民たちである。日本軍が侵攻した中国で、そして日本で唯一地上戦が行われた沖縄で。多くの非戦闘員が戦闘に巻き込まれて命を落とすこととなった。その悪しき伝統は今も続いていて、アメリカ軍はアフガニスタンやイランで多くの民間人を攻撃の巻き添えにして虐殺している。
ベトナム戦争を描いた映画は数多くあるが、その中でもっともクソ映画なのは「ディア・ハンター」という戦争体験がトラウマとなって鹿が撃てなくなる若者の話である。確かに帰還兵の中には精神に異常をきたした者も大勢いただろう。しかし本当の悲劇は何の罪もないのに殺されてしまったベトナムの多くの人々の側に存在したのである。その事実を全く描かずにまるで戦場に行かされた米兵の悲劇であるかのように描いたクソ映画であった。しかもそのクソ映画には第51回アカデミー賞作品賞まで与えられているのである。いかにこのクソがベトナム戦争の正当化に役立ったかということである。
「ディア・ハンター」と同じ頃製作されたフランシス・コッポラ監督の「地獄の黙示録」という映画の中では、戦争の持つ犯罪性や狂気がかなり描かれている。BGMを流しながら村落を焼き払うシーンなどでは、米兵たちがゲーム感覚で一方的な虐殺を楽しんでいたことがよくわかる。現代の戦争でも基本的にこのことは変わってないのだ。軍隊というのは圧倒的な力を背景に市民を無差別に虐殺する集団である。
ベトナムで米兵が起こした虐殺事件の中でも特に大規模なのが、1968年に起きたソンミ村の虐殺事件である。500名余りの村民が機関銃の無差別乱射で殺されたのだ。事件当初は「南ベトナム解放戦線のゲリラ部隊との戦い」という虚偽の報告がなされていて、軍上層部は世論に与える影響を恐れて事件を隠蔽し続けた。
1970年の軍事法廷で虐殺に関与した兵士14人が殺人罪で起訴されたが、71年3月29日下った判決ではカリー中尉に終身刑、残りの13人は証拠不十分で無罪となり、カリー中尉も1974年には仮釈放された。当時のアメリカの世論は殺されたベトナム人の命などなんとも思っていなくて「こんなことで訴追されてかわいそうなカリー中尉」という状況だったのである。裁判の時にカリー中尉は上官の命令に従っただけだと主張したが、その虐殺命令を出したという上官、アーネスト・メディナ大尉には全く何の処分もなかった。
読売新聞の記事を引用しよう。
ソンミ村虐殺、元中尉「41年後の謝罪」
【ニューヨーク=吉形祐司】ベトナム戦争中の1968年、米兵が南ベトナム(当時)の一般住民500人以上を殺害した「ソンミ村事件」で、ただ一人有罪となった米陸軍元中尉のウィリアム・カリー氏(66)が仮釈放後初めて、ジョージア州コロンバスの小集会で当時を語り、「41年後の謝罪」をした。
21日、米メディアが報じた。
カリー氏は19日、友人の招きに応じ、約50人が参加した奉仕活動団体の昼食会に出席。冒頭、「良心の呵責(かしゃく)を感じない日は一日もなかった。殺されたベトナム人とその家族、巻き込まれた米国人とその家族に対し、良心の呵責を感じている。申し訳ない」と述べた。
米メディアが事件を暴露した後の70年、カリー氏ら14人が訴追された。同氏は軍事裁判で「上官の命令に従っただけ」と主張したが終身刑となり、上官は無罪だった。ニクソン大統領が減刑し、3年半で仮釈放されて以来、カリー氏はマスコミの取材に応じていなかった。なぜ41年後の今、重い口を開いたのかは不明だ。(2009年8月22日21時52分 読売新聞)
謝罪したところで殺された命が戻ってくるわけでもない。そしてこの事件が何の教訓にも反省にもなってないことは、今でもアフガニスタンで「誤爆」で多くの市民の命が失われていることからもよくわかる。結婚式を行ってる会場にミサイルが撃ち込まれたりして、家族を米軍に殺された人々が新たにタリバンの支援者となっているのだ。テロとの戦いというアメリカの産軍共同体が作り出した八百長のために多くの戦費が無駄に使われ、日本のゼニも巻き上げられ、爆撃によって無辜の市民が殺されていて、その報復で自爆テロが起きるという泥沼の中にあるのだ。
本当に良心の呵責を感じるならば、そんな安全な昼食会でコトバだけの謝罪をするのじゃなくて、ベトナムに行って自分が無差別虐殺を行った村のところで線香の一本でも手向けてくればどうなんだ。もっともベトナムに行く勇気などないかも知れないがなあ。