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あるこのつれづれ野球日記
あるこ
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2005年08月30日(火)
おっさん免許(AT限定)


 こないだ職場の人と野球の話になった。おたがい自分の好きバカさ加減を告白しあった。その人も甲子園に何度も足を運んでいて、いろいろ詳しかった。でも、地方大会には行かないみたいだ。何とも思わなかったのだけど、高校野球の地方大会に行くのは、世界全体から見ると、相当なマニアがすることのようだ。その人は、あきれたようで、「高校野球より好きなもんあるの?ないんちゃうか?」と聞かれた。一瞬迷ったけど。

 「酒、です…」

 昔と違って、もう高校野球がすべてではないし、一番でもない。ま、生活や人格の大半を占めるものではあるけど。やっぱり、酒が心癒されるし、楽しい。その気持ちよさは飲んでるそのときだけだけど、それでもつらいときや悲しいときは、一秒でもそんな気持ちから解き放たれた方がいいし、楽しいときは1秒でも長く楽しくいたい。アルコールのことを考えると、顔がほころぶ。

 「野球と酒があったら最高です。朝7時にビールが飲みたくなる(そして、飲める環境にある)夏の甲子園大会(選手権大会のこと)は素敵です」

 「野球にビールって、自分おっさんやな〜」。そう言って笑われた。そっか、おっさんか〜と思った。そうだよな。野球に酒。20代の頃は競馬もかじっていた。そういえば、最近職場の若い女の子に対する話し方や話す内容がなんかおっさんみたいなやなあって自分でも思う。学生時代は、37歳子持ちのおっさん説があったし、おっさん免許持ってるんちゃう?って言われてたし、鏡見たらあご毛が生えてた。しっかりしたのが。

 やっぱりおっさん免許持ってんのかな?と思ってたら、今日新しい携帯で相方としゃべってたときに言われた。「(声の)おっさん度がパワーアップしてる…」。昨日新しい携帯に変えたのだけど、そのせいか声が違う風に聞こえるらしい。…待て。パワーアップって、元々“おっさん”というベースがあるっちゅうことか?ん?聞き捨てならんぞ。




2005年08月28日(日)
2勝1敗


 朝は、東山の秋季大会。徒歩で会場へ。ありがたし。昨日の教訓をふまえて、試合開始30分前に到着。練習中だった。グラウンドの出入り口のドアが2メートルくらい開いていたのだが、そこからボールが飛んできて、観戦していた人に当たって、ちょっとした騒ぎになった。ネットやフェンスなどで防球対策に神経質になる必要性がわかった。無事だといいのけど。

 時間が経つにつれ、人が増え、どんどんどんどん見にくくなる中、執念でどうにかスコアをつけた。最後は、見えるのがかろうじてバッターボックスだけだった。本部席の後ろを金を積んででも買いたかった。もっとも積むほど金を持ってるわけじゃないけど。

 両チームとも四死球が多いゲームで、序盤立ち上がりを攻められ1点先制された。でも、3回に1点、4回に1点取り逆転。3回の1点は、2番バッターの走塁が素晴らしかった。ツーアウトランナーなしから、レフト前ヒット。これをレフトが後逸(たぶん)している間に一気に三塁を陥れ、次のバッターの初球、浅いパスボールで判断よく本塁へ。保護者の人たちがかなり賞賛していた。ところが、5回にまた逆転される。でも、取ったら取り返すで、6回に2点を奪ったら、もうシーソーゲームは終わり。7回に1点、8回に2点を入れ、7−3でゲームセット。昨日と同じようなパターンの試合。スコアも展開も、このごろの東山カラーと比べると、スタンダードな感じ。

 そういえば、まだ相手がリードしていたときだけど、相手校の関係者が言っていた。「やっぱ、東山が強くないとおもしろくないね」。やっぱりそう思う?私もそう思う。

 気分良く、相方との待ち合わせ場所に向かった。いい年してリュックの背負い方がおかしいと相方に指摘を受け、直してもらっている間に携帯電話が死んだ。メールや画像、アドレス登録はおろか、仕事のスケジュール、目覚まし、計算機といろいろ使っていたので、かなりイタイ。ああ、ああ…。

 そんなどんよりした心境で、甲子園に向かった。阪神巨人戦。先制はされたけど、あとは快調。調子がイマイチに見えた杉山だけど、相方は杉山エース説を曲げない。後ろに知ったかぶり大帝(例:「あ、オレが言った通りになったやろ」「アイツは阪神戦になると燃えるねん。オレ知ってる」)がいて、ちょっとうっとおしかった。でも、「チャンスのテーマはよく出来てるね」の一言には、同感。やっぱりそう思う?私もそう思う。前にいた子供が可愛かった。子供はメガフォン叩いて応援する私たちを動物園の珍獣を見るような目で見てた。

 阪神戦は、たぶんこれが最後だと思う。優勝がかかると、私みたいなボッサーとして阪神ファンにチケットは回ってこないだろう。そして、東山は9月11日。洛星高グラウンド。スコアつけるのは…あきらめよう。
 



2005年08月27日(土)
勇気を出して、久しぶりの東山


 まだ夏だというのに、秋季大会。3月以来ご無沙汰の東山。ずっと出勤するタイミングを逃した出社拒否のサラリーマン状態だったけど、チームが変わったこともあり、ようやく足を運ぶことができた。

 行きの電車で1年生部員(制服が変わったからすぐわかる)たち大勢に遭遇。同じ電車に乗ったけど、あちらさんは駅を降りてからバス。1kmくらい「走りなさい」(笑)(でも、坊主頭が集団で駅前を走ってても怖いだろうな)。試合は14時開始だったけど、13時50分にはもう1回表が始まっていた。試合会場の乙訓高校は、グラウンドが見えてから学校内に入るまで歩いて数分かかる。あーあ、正門こっちに来てくれへんかな〜。スコア命の私、テンションを下げる。14時開始って書いてたじゃないか。私、時間通りに来たよ。エ〜ン、グズグズ。昔とまるで正反対のことを言うけど、市内の1次戦も出来たら球場でお願いします。私がスーパー金持ちだったら、2個くらい作るのに。

 4回裏に東山はタイムリーヒットで1点先制。5回の守備では、三塁ランナーと一塁ランナーを連続で挟殺(ダブル挟殺?)でアウトにして、いい流れになりそうだった。ところが5回裏。ランナーを置いて送りバント。これがファウルになる。「アウト!アウト!」とキャッチャーが叫んだ。てっきりファウルのことだろうと思っていたが、違った。キャッチャーはホームベースを指さして、「審判、ここ踏んでる!」とアピール。試合の神様・審判に対してその口の利き方はないだろうと思ったけど、必死故のことなんだろう。審判はアウトを宣告。バッターの選手は納得出来なかったのか、それは踏んでいないことをアピール。キャッチャーとバッターのやりとりがかすかに聞こえた。結局判定は覆らず、アウト。珍しいプレーだった。これはスコアでどう書くのか。グラウンドを見渡し、スコアをつけている人は何人かいたけど、とても聞ける空気じゃなかった。

 流れが変わるよぅ〜と思っていたら案の定で、6回表、一塁ランナーが走った。キャッチャー素早く送球。ところがギッチョンチョン。三塁にランナーがいて、ホームスチールで1点。同点になる。イヤな流れだな、イヤな展開だなあと思っていたら、7回に2点、、8回に1点と突き放しに成功。守っているとき、子供がピッチャーのフォームを観て、それを真似ていた。ちゃんと形になっていて、フィニッシュのあとの軸足でない方に足の形までそっくりだった。子供ってかわいいな。

 8回裏あたりから、後ろがざわめきだした。運営を手伝っていた乙訓高校の部員たちが、バットやボールマシンなどを出して、自分たちの練習に準備を始めていたのだ。どうにか、4−1で勝利。明日は、山グラ。今度こそ、スコアつけるぞ。



2005年08月26日(金)
それは理不尽だと、私は思うのですが。


 この夏、甲子園に行ったときのこと。週末で、残っている2つの関西勢の登場とあって、時間が経つとともにどんどん混み出してきた。もう暑いのに耐えられない私は、オレンジシートの内野に座った。午前7時半。すでにバックネット裏の関西勢の陣取る一塁側は早くも長蛇の列。仕方なく取った三塁側。

 昼過ぎから、席を探す観客や売り子で打席やカウントを見逃すことが増えてきた。そして、球場スタッフの声が響く。「大変混み合ってきています。荷物はお座席の下におき、一人での多くのお客さまが座って観戦できるよう、ご協力をお願いします」。そして、「お席をつめてください。お一人づつ右に寄ってください」の声。

 何やと?
 座席に荷物を置いてるのは悪かったよ。でも、何で右にずれなあかんねん。漫画でいうと、額の端に怒りマークが入った心境になった。過去にも、こういう声が聞いた。弱い頃の阪神でもGW中などはやはり混み合う。そこで、みんなでちょっとづつ席をずれたものだ。“ああ、混んでいるんだな”、そのときは何とも思わなかった。

 でも、この内野席の環境と私が何のためにここに来たのかを考えると、理不尽でしょうがない。内野席は銀傘を支える支柱があちこちに立てられていて、そのため、球場全体を見渡せる場所がそれほど多くない。前の席に行けばいいのだけど、避暑のために高い金を払った私にとっては冗談じゃない。だから、広い視野を確保するために、朝4時に起きて、電車に乗った。それでも、快適な席の大半はもう取られていたのだ。だから、一つでも右にずれると、ピッチャーが見えないとか、バッターが見えないとか、サードが見えない、ライトが見えないなどの支障をきたす。スコアをつけることが楽しみの私には、これなら何のために来ているのかわからない。

 荷物をのければ席はあくのだから、そこに座ればいい。ツレとバラバラになる?…それならもう少し早くきたら?なんて血も涙もないことを思ってしまう自分…。球場に来ているすべてのお客さんが楽しく観戦できるようにご協力をお願いしますって言うけど、私、一つ右にずれたらちっとも楽しくなくなるんですけど。

 結局は甲子園球場(座りごこち最悪だし)の作りに問題があるといえばそうなんだけど、なんだかなあと思ってしまった。



2005年08月25日(木)
3のつく年齢

 
 ご無沙汰しています。あるこです。

 30歳初日。
 朝寝過ごして、「(仕事)行きたくねえなあ」と思いながらも会社に電話する勇気がなく、化粧はおろか洗顔もせず、自転車立ちこぎでダッシュで駅に向かった。ちっとも実感がない。でも、何か皮がつるんととれたような気分。悶々ウジウジの20代。その原因がまるで見あたらず、年齢のせいなんだと言い聞かせていた。私、年齢に2がつくときはロクなことがなかった。12歳の時はいじめにあったし、22歳のときは就職活動で挫折し、そこから「あかんたれ」思想まっしぐら。だから、「2」を抜けた今、根拠もなく、OKな感じになるんじゃなかと思う。きっと華麗でエレガントな路が待っている。決まってる。…とりあえず、32歳までは(苦笑)。

 さて。
 日記を書いていない間の私をつらつらと書きます。

 今年は、甲子園をわりと熱心に見ました。生で4試合、テレビで5試合見ました。藤代ー柳川は球場まで見に行きました。柳川はいい投手がいて守備が安定しているというイメージから、スコアをつけやすいと思ったんです。試合は延長で藤代が勝ちました。中盤まで柳川有利に進んでいました。一番印象に残っているのは、9回裏、ランナーを置いて、柳川がヒット。誰もが柳川のサヨナラ勝ちを確信したときものの、本塁でタッチアウト。冷静に見れば浅いあたりだったので、ありえることではあったけど、「あきらめない」具体型だなあと思った。
 
 次は、3回戦。第三試合は、どう考えても関西が押していて、前日におとんが「関西は強い。勝てるわけない」と言っていたせいだと思った。ところが、友人知人に「西高ダメだあ」というメールを送りまくっていたら、大逆転。いいとこ(大逆転)も悪いところ(エラー連発)も、「君らH山か(苦笑)」。私は関西側に内野席にいたのだけど、関西の打球に「おお〜」とうなっていた人たちも、終盤になると西高応援団の“ワッショイ”コールに逢わせて手拍子をしていた。その日の夜は、飲もうぜ市長会。目もとがおばさん、三十路前とさんざんいじられる。そして、大いに飲み過ぎ、市長のツレを引かす。酒で出会いをつぶしている気がする…。

 翌日。グロッキー状態で相方と大阪へ。お好み焼きのねぎトッピングが最高という発見をしたが、マジック11と言われ…。

 翌週からはテレビ観戦。選手の表情が見れるため、母と一緒に「かわいい〜」と連発。特にピッチャー。かわいいかかっこいいか、顔がいい子しかなれないかのような粒のそろい具合。そして、テレビスコアリングに目覚めた。涼しい部屋で快適だし、選手名やカウントもわかりやすい。難を言えば、ランナーの進塁状態がすぐわからないこと(次のバッターに対するときに、初めて下に出る。たまにアナウンサーが言ってくれるのだけど)。そして。高校野球はだいたい全試合完全放送だけど、臨時ニュースで見れないときがある。中継が再開されてから、アナウンサーがだいたいの流れや記録が言ってくれるのだけど、さすがに球数やカウントまでは教えてくれないし。

 それでも、スコアをつけるのは楽しいし、甲子園の試合テレビできちんと見たのは久々だった。で、耳に入る声を聞くと、「あおってるなあ」と思った。私はこれにまんまとだまされて高校野球にハマったんだ。流されないように、しっかり自分を持たないとと思った。そんなことを考えていたとき、母がアナウンサーの言葉に反して、「誰がそんなん言うた?ほんまにそんなん言うてんのか、この子は。勝手に言うたらあかんで」と、足を爪を切りながら言ってた。痛快にうなずけた。

 そうそう、テレビ観戦でおもしろいのは、やはり一緒に見ている人の一言だ。決勝戦は、尊い週末をすべて外大西のために空け、父母と三人でテレビの前。生まれる前から西高ファンだったみたく応援する。山科出身の子は、弟や息子になった。笑ったのは2つ、序盤西高がチャンスに打てなかったときの母の言葉、「もったないおばけが出るで」。おっしゃる通り、7回に出ましたね…。そして、父。中盤、駒大苫小牧が追加点。学校のイベントホールで応援している人たちの喜びようが映った。「北海道のじゃがいもはすごい」。確かにおいしいけどね。

 終盤の攻撃(駒大苫小牧の内野安打連発)を観ていると、ああ甲子園に女神さまが苫小牧を勝たせたがっているなと思った。あんな打球、あんな打球…。でも、ここまできただけで十分すごい。優勝に準ずるって書いて準優勝だもんね。

 京都代表の優勝を見たかったんだけどね。最後に優勝したの昭和31年でしょ。おかん曰く、まだテレビが各家庭になく、近所のテレビのある家に見に行っていた時代で、中継大半がプロレスで、野球のうまい子はみな平安に行っていたという時代。もちろん、私は生まれていない。

 それにしても、京都代表ってすごいかもしれない。ここ10年で3回の決勝進出。いずれも違う学校。これは全体的にレベルが高いってこと???でも、今回も優勝に手が届かなかった。…ん?東山の出番か??女神様が東山を待ってるのか?…すみません、おめでたい思考回路で。
 
 



2005年08月06日(土)
不思議な表象現象

 
 私の“人生これができれば思い残すことなしBIG3”に一つ、『爆笑オンエアバトルで審査員をする』という夢がかなった。(高校野球もオンエアバトルも見ているという読者さんはいったいどれくらいいらっしゃるのだろうか。そんなことも考えず、自分勝手に話を展開していく所存です)

 朝、いきつけの化粧品店のサロン会(新商品のお試しやメイクアドバスイスをしてもらえる。簡単に言えば、こぎれいな私になれるのだ)に出た後、新幹線で東京の収録現場へ。何度も迷い、警備員さんに八つ当たりしながら、ようやくスタジオについた。

 場所を変え、人を変え、番組の説明や注意の呼びかけがあり、何故か知らないけど記念撮影もして、収録開始。スタジオは小さいんだろうなと思ってい以上にさらに小さかった。厳しくいこうと思ったのに、アマアマ審査になってしまい、10組のうち7組もボールを入れてしまった。ボールが転がる音はやはり壮絶で、でもシビアだった。結果を聞く前にだいたいのオンエアコンビがわかってしまったくらい。

 私は、こういうことをしているせいだろうか?スタイルを模索している彼らを否定することがどうしてもできなかった。収録前に「ほめるより、辛辣な批判やアドバイスを書いてやってください」って言われたんだけど…。味があると何故か笑え、そんな私は人と笑いのツボがずれている(もしくは、お笑いを見る目がない)ことが改めて発覚。ボールを流さなかった3組のうち2組はオンエアの上位2組。ああ。トップでオンエアされる芸人に対して、ジャッジペーパーに『次回に期待』って書いたよ。死にたい。

 あるコンビに注目をしていた。もともと野球ネタをするので、TVに出ていれば可能な限り見てはいたが、胸を張って好きな芸人だと言えるほどの情熱ななかった。が、舞台に出てきた瞬間、キターって感じだった。自分でもびっくりするほど、彼らに釘付けになっていた。特にツッコミの方。テレビで見たより、スマートで格好良かったのだ。う、嘘やろ〜。昔、生で間寛平を見た相方が、「男前やったわ」と言った気持ちが今ようやくわかった気がする。やばい。はまるよ。呪文のように心の中で繰り返していた。でも、ネタは、私的にはイマイチだった。

 収録を終え、一人駅に向かって歩いていると、何故か泣きそうになる自分がいた。彼が予想以上にかっこよく、いい年こいてハマッてしまうであろう自分に対する悲しみ、ハマるとつらいことも増えるのはよくよくわかってる。また、ネタが期待ハズレだったことに対する「なんでそのネタなんだよ〜」という怒りに似た悔しさもあった。そして、彼らの立っているような世界にあこがれる(お笑いではないけど)自分に対する焦燥感や何故か熱いエネルギーをもらった感触や…。書いてても恥ずかしくなってしまいうようないろんな感情が入り交じっていた。誰かにひょいと背中を押されると絶対に泣いていただろう。一人でよかった。だいたい泣くなんてわけわからんもん。前に、高校球児が泣くのは表象現象なのではないかと書いたけど、まさしくそれを自分が身をもって体験してしまった。涙と理由が一致するとは限らないんだなあ。

 ちなみに、彼らは「世界のすべてを野球で見る」と紹介されていた。「世界のすべてを野球で書く」自分でいたいと思った。

 



2005年08月04日(木)
ストレス解消


 ストレスが溜まる。そういうときはどうするか。

 私の場合。音楽を聞いてガンガンに踊る(イアフォンがないと近所迷惑だよね)。酒におぼれる(もう鴨川で寝っ転がったり、「酒乱Q」などと呼ばれたりしません)。お笑いを見る(いいね。最近のマイブームは、『横丁へよ〜こちょ』)。ヤケ食い(夜中12時にビール。おつまみに100円菓子2袋。死ぬぞ)。そして、衝動買い。これは、以前呉服屋で働いていたときによくやった。上司が同い年。ちょっとキツイ人で。叱られると、キィーッときて、それでも部下なので何も言えず。できることと言ったら、会社を飛び出して、近くにある文具の問屋さんのような店でボールペンの替え芯を大量に買い込んだ。お金ないんで、そんな些細なものしか買えなかったけど、それでも数量の多さで満足した。

 ちなみに今日のストレス解消法は、美容院。憂鬱なときや、精神的につらいときには、髪が伸びてなくても行く。髪を洗ってもらい、髪型変え、きれいにスタイリングまでしたもらえる。ありがたい。「そろえるだけ」だって言ったのに、えらくすっきりしてもらって。これじゃスカートなんてはけないというまるで男の子みたいになってしまったけど。ま、いっか。

 そういう風に考えると野球って、私にとって何だろう。好きなこと=ストレス解消という考えもあるけど、私はそうじゃないなあ。逆にストレスになっているときすらある。そんなときは仕事でさえ、ストレス解消法になる。ただひたすら数を数え、自分の世界に入れる。開店時はお客さまに気を遣わねばならないけど、閉店時は、♪ああエクスタシ〜



2005年08月03日(水)
土曜日


 野球サイトをされているMr.どやささんから、秋の京滋リーグの日程を、メールで教えてもらった。野球観戦(もとより、スコアつけ)に飢えている私には嬉しい限り(ありがとうございます>どやささん)。

 京滋リーグは土日中心に行われている。野球ファンの私にとって日曜日だけではなく土曜日も休みであることが必要だ。それで、仕事探しには苦労してきている。

 ところが。こないだ職場で、「9月は土曜日の仕事が多いから、休まないでね」と釘を刺されてしまった。しくしく。8月は夏休みだから、週末の練習試合少ないし。ぐっと観戦数は減りそう。

 そうそう、来週の土曜日に「飲もうぜ、市長会」をする。いまや半年に一度の素敵なイベントとなった。日取りは市長が決めたのだが、この日が東山の甲子園2周年なんだよねえ。フフフフフフ…。



2005年08月01日(月)
試合前

 
 ある日、夏の地方予選を見に行った。平日だったためか、観客は多くなく、ネット裏最上段のほぼ正面という快適な席に座ることができた。

 第一試合が始まってまもなく。私はおそろいの帽子をかぶった保護者たちに囲まれてしまった。後ろの通路には試合開始を待つ部員たちとマネージャー。マネージャーが部員一人一人にお守りを渡していた。すぐ胸の中にしまった子もいれば、しばらくいじりながら見ていた子、そして胸にしまうことなく無造作にぶら下げてる子…いろいろいた。

 試合は、盛り上がっていた。周りの保護者達は、自分の息子と重なってしまうのか、歓声を上げて試合を楽しんでいた。一方の選手達は、私すぐ後ろにあるスロープに手をつき、前傾姿勢で試合を見ていた。中にはストレッチをしている子もいた。背番号のある子もそうでない子もいっしょくた。ときどき、私の背中に膝が当たった。それくらい近い距離いた。彼らは冷静にゲームを分析し、ミスが出たら「同じことしたらあかんで」と皆で確認をしていた。

 試合が中盤に入った。ベンチ入りする選手は下(おそらくベンチ裏にある通路か何かロビーみたいな場所かと思われる)で待機。ぐっと人数が減り、周りは静かになった。しばらくは後ろに気を遣うことなく観戦していたが、7回くらいか、ふと見ると、背番号のついた選手が一人いる。どうしたん?みんな、もう中で待機してんのに。私はてっきり彼がどこかに行っていて、中に入る指示を聞き損ねたのかと思った。」ところが、彼は背番号のない後輩らしき部員とこんなやりとりをしていた。

 「どうしたんスか?もう下行っとかなあかんのとちゃますの?」
 「緊張して、いてられへんわ」
 「緊張してるんスか」
 「実際行ってみたらわかるわ。めちゃ緊張するで」

 一桁背番号をつけた彼は落ち着きなくウロウロしていた。すると、後輩の一人が。

 「僕らも下行っていいスか?笑わせましょか?」「笑わせましょか?」。

 残念ながら先輩がどう答えたのかはわからなかった。でも、なんて可愛らしい後輩ちゃん。こんな言葉が出るチームには、いい上下関係があるんだと信じたいな。