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あるこのつれづれ野球日記
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2004年06月30日(水)
忘れたい…


 自分は、空回りしているなって思ってよく凹みます。たいした力もないのに、それほど頼まれていないのに、何かしなければと余計なお節介をやいてしまいます。こないだのテレビ局の話でもまたそうでした。たいして話すこともないから、最初から断っていればかっこいいのに、何か話さなければを思い、話しても足りないんじゃないかと勝手に思い、人に聞いたり…。私は局の回し者か。さっき、「ベースボール倶楽部」の掲示板を見ると、管理人のたっちゃんさんにも話がいっていたみたいですね。なんで私にも話がきたんだろ。私ががんばらなくても、結論は出てるじゃん。忘れたい。浮かれていた自分を忘れたい。

 今日は、アサイチの仕事が13時に終わって、帰宅していますが、夜9時からまた仕事です。ああ、これも忘れてしまいたい…



2004年06月29日(火)
もしも自分の子どもが


 オフィスに行ったら、もう書類がありませんでした。潔くあきらめます。緒戦を精一杯楽します。いい試合をしておくれ。そして、いい夏になればいいね。選手や保護者が「よかった」と言えればそれでいい。それを自分が見ていなければならないことはないです(ま、見たいけどね)。本人達の問題です。


 さて。
 今日、もうすぐ子どもが生まれるという先輩(男)と仕事でした。今、奥さんともしも話で盛り上がっているそうです。もしも子どもが茶髪にしたいと言ったらどうしようとか。そういう話をしていると、もう一人の女の先輩が、「でも、もし自分の子どもが、「棚卸をしたい」とか言ったら、オエ〜だよね。しかも、この会社に入りたいとか言ったら、最悪ぅ」。ハハハ。ありえへん、ありえへん。

 そういや、前にお世話になったライター塾の先生がこんなことを言っていました。「人から聞かれるんだよね、息子さんを野球選手にするんですか?って。でも、おかしいよね。それを聞くなら、息子さんをスポーツライターにするんですか?だよね」。確かに。でも、盲点でした。この理屈でいくと、私に「子どもが出来たら東山の野球部に入れるの?」はおかしいんですね。

 でも、もし、自分の子どもが、「私も東山活動する」って言ったら嬉しいかな?いや、やっぱり距離をおいてしまうかな?



2004年06月28日(月)
仕事も大事


 7月のシフト締め切りでした。
 本当は、もっと前なのですが、無理を言って夏の大会の組み合わせが決まるまで待ってもらいました(もちろん、締め切り延長の理由が、「夏の大会の組み合わせが決まっていないから」なんて言ってはいないけど)。

 前にも書きましたが、緒戦は17日。2日順延しても、19日は海の日でお休み。最高の日程です。ですが、問題はここから。いつまで休むか。どれだけ休むかです。去年はざっくりと12連休を取って、無事全試合見ることができましたが、今年は去年と置かれている状況が違います。ギリギリまで考えた結果、平日休みは取りませんでした。忙しい時期だし、人足りないし。それに、仕事内容、嫌いじゃないので。だから、見れるのは、最悪緒戦だけです。夏の大会のために、シフト制というメリットのある会社に入ったのに、この結論は何だ。

 休みすぎたらお金が入らないなあ。でも、北海道旅行行きたいしなあ。雨で順延したら日程がああなって、こうなって…。休養日はどうなるんだろ。ざっくり休んで、もし負けたりしたら、そのあとに何もすることのない時間があるのは恐ろしい。かと言って、何回戦まで見ようという基準で休みを取るのは、選手を信じていないようで、良心が痛む。本気なら、やはり甲子園まで行くと考えて休みを取るのが(迷惑)愛でしょう(バカ?)。

 そんなことを考えていると、急にバカバカしくなりました。なんで私が振り回せれなあかんねんっ!私に合わせろや…なんて。だから、私、この夏は平常心で挑みます。選手も特別なことしなくてもいいんです。私も特別なことしなくてもいいんじゃないかな?

 あとね。ここにきて、「人に必要とされたい」って思う自分がいます。それを考えると、球場に私はいなくてもいいけど、職場には私がいた方がいい。絶対いなければいけないってほどの力はないけど、いたら何かしらできるから。応援も必要なものなんじゃないの?という考えもあります。でも、現実に数字に表れてくるものではないので、本当に役に立っているか実感できません。目に見えるものがすべてではない。よくわかっているけど、今の私が欲しいのは目に見えるもの。

 数年前、すごく野球好きの友人が、「仕事も大事」と言っていました。初めての生観戦は藤井寺でのオリックスー近鉄の2軍戦だったというコアな人で、マナーもいいし、選手をけなしたりは絶対しない人でした。ある日、オリックスのファンだったので、「もし、オリックスが優勝しそうだったら、仕事休んででも行きますよね?」と聞きました。そのときの答えがさっきの、「仕事も大事」だったのです。当時の私にはそれがわかりませんでした。すごく野球が好きなんじゃないですか?情熱ってそんなもんなんですか?口には出さなかったのですが、物足りなさでけげんな顔をしていた記憶があります。でも、今なら彼女の気持ちがわかる気がします。すごい仕事をしているわけでもないし、代わりもいくらでもいるけれど、やっぱり「仕事も大事」なんです。私は今年で29。当時の彼女と同じ年齢になりました。

 冷静に思い出してみると、夏の大会は切ないんです。選手はもとより、保護者との距離もすごく遠く感じるし。かといって、他のファンの人一体になって応援というのも性格上無理だし。普段以上に疎外感を感じる大会です。自分は何してるんだろという自己嫌悪とか。北海道行きを捨てるか規模を小さくするという案もあったのですが、そういうことを思い出すと、思い切ることが出来ませんでした。

 でも、正直まだ揺れています。とりあえずシフト変更の書類を提出してきましたが、もし明日出勤してまだ所定の場所にあって社員さんの目に触れられていなければ、○をざっくり×にしてしまうかもなあ。私は弱い人間です…。



2004年06月27日(日)
壮行会


 抽選会翌日の練習試合は、午前中のシングル。終わったあと、壮行会(もしくは激励会)が行われる。試合は、10−0。ちょっと雑な攻撃もあったけど、ピッチャーや守りに手ごたえを感じることの出来るゲームだった。

 試合が終わって1時間後、室内練習場で壮行会が始まった。部長先生と監督の話を簡単にまとめると、『新チーム結成当初は(なかなか勝てないで)辛い経験をした。だから、その辛い経験をいい思い出に変えるか、辛い経験のままかはこの夏の結果次第。また、3年生にはあえて厳しく接したから、しんどかったと思うけど、よくがんばってついてきてくれた。6月あたりから少しずつ手応えを感じ始めている』といった感じ。余談だけど、監督さんが抽選会のとき、唯一話をした監督が峰山の監督。帰りも出口でばったり会ったという。こういうエピソードって、多い。不思議。

 そして、キャプテンによる決意表明。「このチームで試合をするのが楽しく思える」という言葉が印象に残った。確かに、ベンチはそんな雰囲気かな?見ていても楽しい。試合内容がぐっとよくなったのもあるけど。ベタだけど、楽しいのなら、一日でも長くこのメンバーで野球が出来たらいいねと思った。舞台はどこでもいいけど、今のシステムではそれが甲子園につながっている。

 乾杯の前に選手による校歌斉唱。テープレコーダが用意されていたのだけど、その音をかき消すほどの大声。そして、歌詞を明瞭に聞き取ることができた。う〜ん、いつ聞いてもすばらしい校歌っ。世界一やで。司会者は、「この校歌を甲子園で聴けるようにがんばってください」。



2004年06月26日(土)
もう夏なんですね。


 今日は、京都大会の組み合わせ抽選会。対戦相手がどこになるのか気になりながらも、用事があったので、夕方には河原町方面へ出かけた。道中で友人から電話があり、緒戦の相手は峰山高校に決まったことを知った。いきなりシード校かいな。でも、日程は17日土曜日の西京極第二試合といい感じ。私が京都な野球旅を企画するなら、山鉾巡行観賞後に、阪急に乗って西京極で高校野球観戦といくのだけど。ともかく、たくさんの人出が予想されるので、選手も燃えるんじゃないかな?2日以上の順延はや〜よ。

 用事とは。某テレビ局は今、夏の京都大会のための番組づくりをしていて、いわゆる京都の高校野球ファンに話を聞く必要があったようで、ホームページをやっている私のもとに連絡がきたのだ。う〜ん、私で役に立てるかどうか自信はなかったけど、とりあえず会ってきた(若い方の人が、みのるさんにめっちゃそっくりでびっくりした。「みのるさん、いつ、京都に来たん?」みたいな)。自分で「東山だけではなくて、京都の高校野球も好き」を書いておきながら、また東山オンリーになりつつあることに気付かされた。この話を2,3年前にいただいてたら、もう少しマシなことが話せたかもしれないのに。残念。私の個人一存の感情で、出した高校名や選手名やそのイメージでみなさんに迷惑をかけなければいいけど。別に人にこびるのが好きなわけじゃないけど、やっぱりがっかりする顔は見たくない。嘘をついたわけじゃないけど、その言葉でいいの?という問いかけを脳裏で何度も繰り返していた。

 そのあと、学生時代のツレともんじゃ焼きを食べ、都路里で冷たいものを食べた。前回来たのが、高校1年のときだから、もう13年ぶりになる。当時は抹茶が嫌いだったので、食べるものがなくて困ったのだけど、今は抹茶大好き。アイスクリームの塊(かたまり)が3個並んでいる間に抹茶クッキーが挟んである抹茶ハーモニーを注文。最高♪四条大宮在住の友人は、いたるところで写真を撮っておのぼりさんしてた。

 彼女と会っていたのは、夏に行く奄美大島ツアー打ち合わせのため。2人とも誕生日が近いのでバースデー割引を使ってたら、安くて行けるのだ。でもって、ツレは旅行業界にいるので、手配とかもバッチリ。便利な人。で、今日、奄美大島プラス、喜界島にも行くか?っていう話になった。明日、彼女はそんな私のために、チケット獲得の闘いに挑む。バースデー割引や超割は激戦。予約開始は渡航2ヶ月前の午前9時半からだけど、下手したら9時半でももうソールドアウトらしい。喜界高校を見たい。がんばっておくれ。

 時間があまりに余ったので、鴨川でまったり。カップルは意外と少なく、20代そこそこの男女グループが花火をしていた。木屋町の料理屋の納涼床と柔らかいオレンジのライトが並び、遠くでは小さな打ち上げ花火。暗い川の向こう岸には白い鳥。こちら側には川縁のくさむらをうろつく野良猫。いいもんだ、夜の京都。もう夏だね。



2004年06月25日(金)
寄り道禁止


 職場の話ですが、現場への行き帰りの寄り道が禁止になってしまいました。他のチームが、仕事前に棚卸をする店のすぐ側の他店でご飯を買い込んでいるのが見つかってしまいクレームがあがったのです。確かに店側からしたらおもしろくない話ですが、それが寄り道一切禁止とは極論ですよぉ。仕事帰りの買い食い、楽しみだったんだけどねえ。大好きなモビルスーツもお預け。シクシク。

 そういうわけで、私の制服通勤も自粛しており、1本早い電車乗るハメになっています。眠いよぅ。上からは何も言われていないけど、もし私が行きしなにどっかのコンビニで買い物をしているのを見つかったら…。こっちがいくら通勤途中だって言っても、相手はそんな事情知ったこっちゃないし。誰か見ているかわかりませんから。

 誰が見ているかわからないと言えば、野球部のOBがこんなことを言っていました。「母校の野球部員(後輩)を電車で見ていると、態度が悪くて、ムカムカするときがある。でも、あっちは僕がOBだなんてわからないんですよね」。逆に言えば、誰がOBかわからないからうかつなこと出来ないんですね。私は高校時代、電車の中でジュースを飲んでいると知らない女性に注意されました。何?と思ったら、その女性は附属中学校の先生だったのです。私はその先生の顔を知らないけど、彼女は私を自分とこの生徒だとわかるんですね。

 連想ゲームのようだけど、それで思い出したのが、ともきちの「マエチ伝説」。高校も終わり頃、ともきちは当時つきあっていた彼氏と京都駅界隈の階段にたまっていました。通称「ヤニ場」。人目につきにくいので、タバコを吸ったり、ゴソゴソしたりするのには絶好のスポット。ともきちはタバコをやってはいませんが、彼氏は吸ってたのかな?知らないオジさんが来て、2人の学校名と名前を聞いていきました。ともきちはイヤな予感がして、「○○××です」と高校の厚化粧で有名な現国の先生の名前をさらりと言ってのけました。

 翌日、通学途中で彼女からその話を聞きました。学校に着いて職員室の前を通ると、「なんで私なのよっ」とぶつぶつ言いながらヒステリックに歩く厚化粧先生が。そして、朝のホームルーム。「今朝、他校の先生からウチに電話があった。お宅の○○××という生徒が京都駅でタバコを吸っている生徒と一緒にいましたって言われた。○○××は生徒じゃなくて先生ですがって言ったけど」。私は笑いをこられるのに必死。気になってともきちを見ると、目があって、彼女も唇が震えていました。あまり好きな先生ではなかったので、今までのうっぷんが晴れたような気がして痛快な気分でした。



2004年06月24日(木)
北海道プラン中間報告


 航空券手配の関係で、北海道プランの具体化にいよいよ手をつけることにした。私としては珍しくガイドブック買って(ちなみに、この日野球小僧も買ったけど、店員さんがおつりを間違えたようで、2冊合わせて199円という超お得な買い物になりました♪)、ペラペラとページをめくる毎日。

 今更気付くのもアホですが、北海道って金かかりますねえ。車がないと不便ですねえ。その車だって借りるのに金かかる。というわけで、今回のプランは消去法で立てることに。北海道は広く、行きたい場所が多すぎて困ってたので、ちょうどよかったといえば、よかったかな?車でないと行けない場所はアウト。1人で行くので、レジャー系、体験系はアウト。2人で行った方が楽しいからね。自然は電車の車窓で楽しむことにしよう。

 今までなら行きたい学校を考えることが最大メインだったけど、今回は何故か観光地が中心になってしまっている。それはそれでいっか。日程、半月あれば嬉しいところだけど、出発が8月31日を予定しているので、秋季大会と49段で見る甲子園の阪神戦までに帰ってこないといけないから、無理。春の九州と同じ11日くらいで落ち着きそう。場所は、札幌、小樽、函館、帯広、網走、旭川、稚内を予定している。旅のスタート地点は、札幌か函館か稚内か考え中。札幌では、吉本・電車通り8丁目スタジオでライブか札幌ドームで日ハム戦見てみたい。そして、おみやげは白い恋人だ。

 学校の候補地は、意外と少ない。札幌南、鵡川、帯広三条、知内、中標津。最後の2つは、電車では行けない。びっくりするくらい交通が不便。でも、知人に、「知内は交通手段がないから行けない(厳密にはある)」と言われたので、行ってみたい。私はこう見えても負けず嫌い(ただし、くだらないことだけ)。



2004年06月22日(火)
さらば、イン○ツ

 
 阪神戦、行ってきました。やっと勝てました。でも、杉山くんはすぐ降板(私たちが到着してすぐという意味で)してしまうし、ホームラン打たれすぎやし、7−3がよりにもよって7回表に追いつかれてしまうし。ま、結果オーライ。勝てば官軍ということで。これで、あっけなくイン○ツ伝説終了。よかった、よかった。六甲おろしも今季初♪

 どこの球場でも(そしてキャンプ地安芸でも)見るド派手な全身虎ずくめの服を着た名物おばちゃんがいる。春は黄色地の虎のロゴの入ったキレでオリジナルの服を作って来ていたけど、夏は白地にロゴマークのそれになっていた。袖も心なしか短い。応援のときは、ライトの前方の通路に立ち、ポンポンを振っている。

 そんな彼女が、8回の表になると、大きなゴミ袋を持って、スタンド上段にやってきた。「金目のゴミないか〜」なんて言ってるけど、ホンマに甲子園を愛してはるんやなあ(by相方)。阪神ファンの間では彼女は有名人。みんな、「おばちゃん、これお願い〜」と自分たちのごみを手渡す。中には、空のペットボトルを渡したあと、握手を求める女子高生たちもいた。相方は彼女を神宮でも見たという。目立つ人だから、サインを求められたりするのだけど、そういうのはイヤらしく、断っていたみたいだ。目立ってる人って、そういう風にちやほやされることって満更でもないっていうイメージがあるので、意外だった。

 そういや、昔、一塁内野席上段で、踊っていたおデブの兄ちゃんかおっちゃんかは、今、どうしているのだろう?観客が多すぎてわからなくなっちゃった。



2004年06月21日(月)
レギュラー


 試合が終わったあと、グラウンドの片隅にいると、通りかかる選手たちとすれ違う。何を話しているのだろうと、耳を澄ますようになって早ン年。最近はよく聞き取れるようになった方、かな?

 先日、こんな会話が聞こえてきた。
 「レギュラーの坊主でないヤツ、めっちゃきしょいなあ」

 ん?対戦相手校の悪口か?聞き捨てならん。
 少し顔をしかめてしまったけど、冷静に考えれば、その日は練習試合。面識の全くない相手校のベンチ入り事情なんてわかるはずもない。それに、相手校には見た限り、長髪の選手はいない。

 レギュラー?坊主?
 あ、そっか。そっちのレギュラーか!
 ♪あるある探検隊っ、あるある探検隊っ

 野球好きとしても、お笑い好きとしても不覚やわ。
 その立場で、この時期にする会話にしてはまぎわらしすぎる〜。

 でも、高校球児が普通にお笑いの話をしているのを聞いたのは初めて。テレビ、いつ見てるんだろ。



2004年06月20日(日)
ごちそう


 今日は、兵庫遠征。担当者の相方くんはお休み。待ち合わせ時間がないと、ルーズになる私。予定より1時間遅れの出発+地図があるのに道に迷った。

 高砂市内にある高校へ行ったのだけど、ここは初めて訪れる町。日曜日だけど町中は静か。小さな呉服屋やお寺をよく見かけた。また、寂れかけてはいるが、商店街や古い木の家で奥から腰の曲がったおばあちゃんが出てきそうな小さなお店が息づいていた。狭い路地が多く、それで迷ってしまったのだけど、町の片隅にはそれぞれの町名とその由来や歴史が書かれた木板が立てられていて、情緒を誘っていた。城下町だったのかな?うちみたいな歴史のない住宅街では、そういう町のことを知る術はない。

 学校に着くと、試合は7回まで進んでいた。風が通り抜ける木陰の下にある朝礼台が空いていたので、そこに腰掛けた。外野から眺める形。スコアは1−2。でも、9回裏に粘って、ツーアウト二三塁からタイムリー。逆転サヨナラ勝ち。第二試合は、0−0という引き締まったゲームになった。両校とも打てなかったということなんだけど、守れないよりかはいい。で、2試合やって終了時間は14時半。奇跡や、2試合とも2時間かかっていない。すごいっ。東山の野球じゃないみたい!(「いつもと違う野球が出来たのはいいことや」by某お父さん)

 試合と試合の間に、相手校の保護者の方に昼ご飯をいただいた。近くにコンビニがないからどうしようと思っていたところ、「中華丼、作ってくださってるみたいやから、よばれに行こ」と言われたので、ノコノコと付いて行った。決して広いとは言えないネット裏にテーブルや水道があり、業務用のプロパンガスも入れて、本格的な台所ができあがっていた。数人のお母さん方が忙しそうに器にご飯や具をよそっていた。私は東山の保護者の方に紛れて、三塁側ダグアウト横に設置してある簡易テーブルに座った。

 今日の献立は、中華丼、具だくさんのみそ汁、タコ(明石産?!)とキュウリの酢の物、スイカ。「すごい豪華やなあ」「いいのかなあ」、私たちは恐縮しながらも、いっただきまぁ〜す♪本気でおいしかった。決して十分とは言えない台所環境でよくぞここまで。通りかかった東山の監督さんも、「いいですねえ。今日はごちそうですね」とニコニコ。確かに、ごちそうという言葉がぴったりだと思った。いわゆる高級料理ではないけど、野菜類充実で、酢の物もある配慮が嬉しかった。外で食べるとどうしても摂りにくいいわゆる家庭料理。嫌味をみじんも感じない満足献立。ボリュームたっぷりで、お腹ポンポン。食べ終わって器を返しに行った選手たちも、「おかわりは?」と聞かれても、「いいっす」。私たちが食べ終わったころ、ようやくお母さん方の食事が始まった。後で小耳に挟んだところ、今日がこのグラウンドで現チームがする最後の試合だとか。恒例行事なのかもしれない。



2004年06月19日(土)
親子鷹は、ちょっとやそっとじゃ

 
 ともきちは、ともきちパパと同じ会社に勤めている。とはいえ、支社が違うため、普段仕事場で会うことはない。ところが、今度、パパが所用でともきちの職場に来ることになった。まずいことにその日の朝礼当番はともきち。「げっ、授業参観じゃあるまいし。イヤやわあ」とぼやいていた。前に会ったときそんな話をしていた。

 ところが、その日を来週に控えた昨日、彼女の朝礼当番はなくなった。ラッキ〜♪理由は、パパ。娘がその日朝礼当番であることを知ったパパは、「娘が朝礼当番をする日に行くのはなんだか…」とともきちの上司か誰かに根回ししたのだ。ほっとした半分、娘を信用してへんのかという不満半分。ともあれ、彼女の朝礼当番は、半月ほど延びた。私からすると、いい大人やねんから、娘の朝礼当番くらいで神経質にならんでもと思うのだが、こればかりは親子でないとわからない心境だ。

 親子とは、そういう照れくさい関係である。野球でいえば、こないだ、試合が終わったあと、ズボンをずらしたままそこら辺を歩いてた子が、お父さんに、「○○くん(彼およびお父さんの名字)、(ズボンを)ちゃんとはきなさい」と叱られていた。彼は表情を変えなかったが、それは他の保護者の目があったからだと思う。もしお父さんの二人きりだったら、絶対舌打ちでもしてただろうな。そんなことを感じさせる無表情だった。お父さんは、「あいつ、完璧、家と間違えてんな」と苦笑いしていた。試合間に部員が着替えている光景は見慣れているから何とも思わなかったけど、ああいう姿も長くさらしていると、「だらしない」ってことで親御さんとしては気になるのか。でも、子どもとしては、監督に注意されたら、「ハイ」というのに、親だとどうしても、反抗や言い訳をしてしまう。だから、あまり親に見られているのはイヤだ。多くの子どもの心理はそうじゃないかなと思う。少なくとも、私は今でもそうだ。

 だから、お父さんが野球部監督で息子が部員といういわゆる親子鷹はすごい。お父さんがいくら偉大な指導者でも、家では所詮でお父さんで、その裏の顔を誰よりも知っているのに、そこに照れや戸惑いや反抗や言い訳がない、もしくはそれを越えてしまえるなんてよほどだ。実際、野球部の監督を持つお父さんとは違う高校の野球部にいる息子(もしくは娘)というケースも、少なくないし。

 そういや、うちのおとん。我が家の姉妹が就職活動しているとき、「困ったら、うちの会社で何とかしたる、だから、自分でやれるところまでやれ」と言ってたくせに、結局、何もしてくれなかった。やっぱ、イヤだったんだろうな、親子鷹。

☆そうそう、そのともきちが言ってた。「近鉄戦は行ってみたいわぁ。だって、岩隈さんいるやろ。かっこいいやん♪」。今、近鉄が置かれている状況を全くわかっていない彼女(私もそんなにはわかってないけど)。「近鉄、オリックスと合併するねんで。なくなるかもしれへんねんで」と私が言うと、「岩隈さんは大丈夫やもん」。「ま、エースやからなあ」。「かっこいいから」。こいつは…。でも、世間ってこんなもんかもしれない。私は一応野球ファンというカテゴリーの中にいるから、野球界で起った出来事=社会現象で、誰もが知っていると無意識の間に錯覚をしてしまうきらいがある。自省、自省。



2004年06月18日(金)
狙い撃ちの真髄?


 高校野球応援曲の定番『狙い撃ち』は多くの学校で使われていますが、その形は微妙に違います

 私が初めてこの応援を聴いたのは言うまでもなく東山でですが、歌にはこういう歌詞がついていました。♪打てよ、打てよ、ホームラン 見せてみろよ、そのセンス 世界一のバッティング お前が打たなきゃ誰が打つ〜 合間合間には、“アイヤ”の合いの手が入り、最後は♪そこで狙い撃ち〜でまた最初に戻るリピートです。応援を初めて数年後、パタリとなくなってしまったので、気になったともきちはある日、当時の1年生部員に、「あんな、『狙い撃ち』っていうのはな、打てよ打てよホームラン〜…」と歌詞を教えこんでいました。それが原因ではないでしょうけど、再び狙い撃ちが復活しました。それでも、また廃れ始め、ついに昨年夏は使われることすらありませんでした。これも時代の流れ。老兵はただ消え去るのみです。(でも、これを見てる部員がいたら、今年は必ずやるように!)

 私が聴く限り、歌詞の多くが♪打てよ、打てよ、打て打てよ〜というもので、東山バージョンほど詳しい歌詞もないだろうなあ、“へへん♪”と思っていたのだけど、そのプライドをうち砕く歌詞に遭遇しました。福井県です。前半の歌詞はほどんどないのですが、東山が歌詞をつけずにおいていた後半。♪お前が打たなきゃ誰がうつ〜と♪そこで狙い打ちの間に歌詞があるのです。確か。♪レフトスタンドへ〜ライトスタンドへ〜場外ホームラン〜っていう。組み合わせると完璧な応援曲『狙い撃ち』ができあがるなあと一人悦に入っていました。そして、これが終わりではなく、日本全国津津浦々、まだまだ私の知らないディープな『狙い撃ち』が潜んでいるはずです。出会いたいものです。



2004年06月17日(木)
ブラスバンド


 昨日、所ジョージの番組内にある“吹奏楽の旅”を見ていた。名門高校吹奏楽部の新入生が、パートオーディションのために練習を重ね、結果出るまでのちょっとしたドキュメントだった。合格した子も、落ちた子も泣いていた。野球だけではなく、高校生という16歳から18歳という年齢の子ども達には何か人を惹きつけ、感情を揺さぶらせる要素があるなあと思った。私は高校生の野球しか見ていないけど、サッカーやラグビー、吹奏楽を見ても同じものが見えてくるのかもしれない。印象的だったのは、オーディションが終わったあと、不合格だった子が先輩に習って新しい楽器の練習をしていたシーンだ。精一杯努力したダメだったら怖い。私はそういう気持ちが未だにあって、何をするにしろどこかで手抜きというか力をセーブして言い訳や逃げ道を作っている。だから、“負けても悔いがありません”と言い切るスポーツ選手や、不合格になってすぐに新しい楽器に取り組んでいた子の潔さがわからない。でも、がんばりきった方が楽になれるのかな?そんなことを考えた。

 ブラスバンドと言えば、高校野球とは切ってもきれない関係。学校のグラウンドへ行けば、3校中2校の割合で、校舎からボーンボーンと楽器の音色が響いている。たまに、大会が近いからかきちんとした音楽が聞こえてくるときもあるけど。何年か前、センバツ大会を目前にした福井商業のグラウンドを見に行った。雪が溶けきっていないためか、グラウンドには人っ子一人いなかったが、ネット裏近くにあるブラスバンドに部室からは、ルパン三世など球場でよく耳にする応援曲が聞こえてきた。野球部の練習は気になるけど、応援するブラスバンドも練習していることは正直あまり頭になかったので、新鮮な光景に出会えたなあと思った。

 野球部にとって、試合は本番だけど、音楽で応援するブラスバンドにとって、厳密にはそれが本番ではない。私は詳しくないのだけど、ブラスバンドにはブラスバンドの大会や演奏会があり、それは本当の意味での本番だ。

 春、九州へ行ったとこのこと。2日目の夕方、することもなく、大分市内で彷徨っていたら、高校生がビラ配りをしていた。普段なら絶対受け取らないのだけど、知らない町のビラには興味があったので受け取ってみた。見てみると、上野丘高校という学校の吹奏楽部が定期演奏会をするという。明日の朝には大分を出るし関係ないやと思ったのだけど、見てみると、日程は今日の夜。あと2時間ほどで開演。女一人旅の夜はわびしい。行ってみようと思った。ここに野球部があるかどうかはわからないけど、練習中にボ〜ンボ〜ンという音色が響いていることだろう。ブラスバンドの本番を見てみるのも悪くない。

 会場に着くと、同世代の高校生たちを始め、立ち見が出るほどのたくさんの観客が詰めかけていた。子どものころはこういう演奏会は退屈で仕方なかったが、この演奏会は、演奏をしっかりきかせることと観客を飽きさせない工夫のバランスがきちんと取れていたので、最後まで演奏を堪能することが出来た。始めは堅いクラシック系の曲が続いたけど、最後は部員がコスプレ(ナースやコックやハッピ姿etc)で演奏したり、踊ったり。客席からは冷やかしの声も飛び交い盛り上がっていた。それでも印象的だったのは、打楽器のまじめな演奏。普段それほど目立たない打楽器だが、ほんま柔らかい音が出るんだなあと思った。ちなみに入場料は500円。球場の入場料には“高い”と文句をつける私も、今回はお得だなと思った。後日、上野丘高校の野球部が九州大会に出場。緒戦で負けてしまったようだけど、ブラスバンドは応援にかけつけたのだろうか?



2004年06月16日(水)
何コンプレックス?


 夜、大阪で映画を見た帰りの姉からメールが来た。『今、環状線の向かい側のイスに、阪神のユニフォーム着たカップルが座ってた。大阪って感じ!』どうやら彼女は、大阪ドームの阪神戦帰りのファンに遭遇したらしい。メールには、さらに『写メールは撮れへんかったけど』とあった。阪神ファンは動物園の珍獣かいな。あんたの妹はどないやねん。ま、それだけ姉にとっては新鮮な光景だったのだろう。甲子園に行ったのは、たった一度。それも見たのは、高校野球だったし。あとで訊いてみると、生ユニフォーム姿のファンにお目にかかったのは初めてとのこと。ちなみに私は、おそろいのFUJIMOTOユニフォームを着たカップルが、梅田のホテル街に突撃するところを見たことがあります。♪豪快にシャープに“かっとばせー!”

 話、戻します。
 ユニフォーム姿といえば、先日、ついにやってしまいました。ユニフォーム姿で帰宅というものを。私が着ているのは、相方君預かりのFUJIMOTOユニフォーム。いつもは試合が終わったら大人しく脱いで本人に返すのだけど、その日は疲れる試合で、ユニフォームを脱ぐ気力もないまま、梅田駅でバイバイ。私はここからJR大阪駅向かい乗り換え。ところが、JRは人身事故の影響で満員。脱ぐスペースなんてありゃしない。高槻過ぎてもまだまだ多いユニフォーム姿。もう、いいや。電車に揺られて50分。最寄り駅で下車。疲れた体を引きすって改札口に向かっていると、前方にFUJIMOTOユニフォームが。着ていたのは、細身で小柄な若い姉ちゃん。このとき初めて、ユニフォームは脱いでおくべきだと思った。同じユニフォームを自分と間逆の人間が着ていて、しかも側にいたとなると、立つ瀬がない。そういうかわいい女性ファンと一線を引くために、ユニフォーム着たり、暴れたりして、比べられるのを回避している(半分は楽しいからなんだけど)というのに、そちらさんがその領域に入ってきたらどこに逃げたらいいの?ってなる。しゃあない、野球なんていうメジャースポーツのファンやってるとぶち当たる壁だわな。



2004年06月15日(火)
ウグイスお母さん


 練習試合での嬉しい特典は、女子マネによるアナウンスだ。最近で言えば、6月の四国遠征。今のチームは、公式戦を球場でしたことがないため、アナウンスで彼らの名前が流れるのを聞くのは(私は)初めてだった。アナウンスの何がいいかというと、選手の姿と名前が一致すること。それだけ、試合へののめり込み度も違ってくる。

 こういう学校はごくたまにあるが、以前、選手のお母さんに、少年野球の試合のアナウンスをお母さん同士で当番制にしていたという話を訊いたことがある。その日、彼女は別のお母さんと2人でアナウンスをしていたそうだが、アナウンスしていないときの時間をもてあましたので、2人で「今日の夕ご飯は何にしようか」「どこそこのスーパーは何が安くて…」という話題にはなを咲かせていた。ところが、もうベタベタなオチでみなさんおわかりでしょうけど、マイクのスイッチがオンになっていて…。後で先輩選手のお母さんにこてんぱんに叱られたという。

 まあ、笑えるエピソードだけど、なにげに出てきた“先輩お母さん”という響きがなんだかなあと心にひかっかってしまった。選手に上下関係があるのはわかるけど、保護者にもあるのかとため息。中でも、何らかの役割を担うことの多いお母さん方は仕事を教えたり引き継ぎもあったりで、そういう関係は生じやすいんだろう。10歳年上の後輩もいれば、10歳年下の先輩もいる。なんか、ややこしそう。ま、学校やお稽古ごと(野球はお稽古ごと?)の世界では、母親の年齢より、子どもに年齢が基準になるのがごく自然なようだけど。グラウンドや球場にいるお母さん方を見ていても、子どもの学年が一緒だったら、敬語が取れてることが多いし。心配することもないか。母は強し。



2004年06月14日(月)
ハニーフラッシュ!


 ここ最近の頭の中BGMは、倖田未来の『LOVE&HONEY』。♪この頃はやりの女の子〜お尻の小さな女の子〜。そして、サビは、♪ハニィ〜フラッシュッ!初めてこれを聴いたとき、電流が走った。これか!これが、ハニーフラッシュかっと。

 もう10年ほど前、『熱闘甲子園』で、上位に進出したチームの選手に対するインタビューコーナーがあった。普通なら主力選手や監督だけだけど、この企画ではベンチ入りメンバー全員と監督という豪華さ。時間が限られているので、「目標は何ですか?」「怖いものは?」などという単純なものばっかりだったのだけど、これがまた面白かった。「モットーは魚釣りです」と答える選手(多分、チームメートにモットーは趣味っていう意味だと教えられたんだろう)や、欲しいものはという質問に対して、「捕れるグラブと打てるバット」と答える監督がいたり…。そんな中でも、個性が出てたのが、「好きな歌は?」という質問だった。それも歌うように注文がついていたみたい。恥ずかしがって歌わない選手がいる反面、悦に入って歌う選手や、おどけてウケ狙いの歌を歌う選手もいた。♪ハニーフラッシュはそのときに聴いた。振り付きで思いっきり笑ったのだけど、元歌がわからなかったのだ。だから、本人がふざけて作ったものだと処理していたのだ。

 もうあきらめていた問題に関係ないところからすっと答えが出る。不思議だ。この間も「あいのり」見ててグラウンドの土のことがわかったし。そういや、探し物は探すのをやめたとき見つかることもよくある話だっていう歌もあるなあ。でも、探すのをやめるのと努力をやめることとは違う。そう言い聞かせておかないと、私はどんどん努力をしない人間になっていく。



2004年06月13日(日)
三重遠征2日目

 今日もまた三重。昨日の帰宅後、3時間ほどの睡眠をへて、早朝再び相方くんカーで出発。今日も三重、最高気温は29℃の予報。母を起こし夏用のサンダルを出してもらった。昨夏買った赤いペティキュアをつけ、サンダルシーズイン。いざ出発。

 3時間半で試合会場の高校に到着。今日は昨日とうってかわって、ピーカンにいい天気(おかげで足の甲がやけどしたみたいに焼けた。ヒリヒリするぅ)。試合は1勝1敗。第一試合は立ち上がりに相手校のミスでもらった点を守りきって勝った。とはいえ、地力自体は相手が上で、終盤にホームランを2本打たれ、最終回は1点差に迫られ、ハラハラ。こんな展開、珍しい??でも、ここでズルズルいかずふんばれたのがすごいなあと感動してしまった。やってる当人からしたら、それくらいで感動されたら困るのだろうけど(汗)。2試合目は、負け。細かいミスがあったかな?

 夏が近い。もうそろそろベンチ入りメンバーの絞り込みを始めているのかな?と思える場面を目にするようになった。雰囲気も今までよりちょっとピリピリというか厳しいって感じ。そういや去年、相方くんが、試合前に先発ピッチャーが、「これが最後のチャンスだから、そのつもりでやれ」と言われているのを訊いたことがあるという。結果は…。現実は現実なんだけど、この時期、あまりベンチの近くで試合を見ていたくない。個人的には一番楽しい時期なんだけど。



2004年06月12日(土)
三重遠征1日目


 家を出るときは雨が降っていたけど、現地に着いたら天気が回復していた。試合会場となった球場に到着すると、ちょうど前の試合が終わったところ。シートノックをしている間に、駐車場の縁石に座ってコンビニ飯にカブついた。食い過ぎた。ゲプッ。第一試合は、7−8。第二試合は、19−1。あいかわらず訳わからんチームや。よく打っていたけど、第一試合では1点差に迫ってからのここ一本が出ず。でも、春に比べたら、見がいのある試合が続いていると思う。(相方くん’s今日の1位→やたら張り切る主審。いきなり腕を痛め、選手にスプレーしてもらっていた。そして、ファウルボールを返すときの送球がごっつい早かった。選手はびっくり。保護者はバカ受け?)

 関係ないけど、行きしなラジオでこんな話を聴いた。
 中国の上海では、ヒートアイランド現象によって気温が上がっており、そのために消費するクーラーの電力不足が社会問題になっている。そこで、政府が対策として講じたのが、人工的に雨を降らせるプロジェクト。なんか知らんけど、そんなことが出来るらしい(21世紀って怖いね)。上海は日本で言うと大阪みたいな都市だけど、大阪周辺でそれは絶対に辞めて欲しい。だって、近くに甲子園があるもん、京都大会があるもん。天気は自然現象だからってあきらめてはいるけど、結構苦しんでいるんだから。でも、降らせて欲しいときもある、かな?



2004年06月11日(金)
“中止”の理由

 
 今日は雨でした。雨にはいいイメージがないですね。雨=試合中止の絵があまりにも簡単に描けてしまうからでしょうか?いやそれ以上に、微妙な天気のときの判断の方がストレスたまるかな?

 そういや、今日ラジオで、サッカーの雨天中止は、試合前の降水量で決まる言っていました。ラグビーは、何が起ろうが一度約束をしたことは必ず守ると中止になることはほとんどないようです。だから紳士のスポーツなんて言われていますが、以前読んだラグビー入門書で“大雪で中止になったことがある”と書かれてました。そんなスポーツに比べたら、雨天中止になりやすい野球ですが、基本はどうやらグラウンドコンディションにあることにごくごく最近気付きました。

 この頃はドームが増え、雨天中止が少なくなりました。強いて言えば、以前、台風か何かで新幹線が止まり、移動中の選手が戻ってこれないという理由で東京ドームでの試合が中止になったくらいでしょうか?ま、中止は基本的に自然現象によるものですね。

 ですが、こんな理由で“中止”と言われたことがあります。 
 数年前、東山が北陸の高校と練習試合をすることになりました。グラウンドがあいていなかったようで、会場はお隣滋賀県の皇子山球場を借りてすることになりました。ところが、前日、お世話になっていた保護者の方から電話があり、「明日の試合は中止です」。雨なら当日が前日の夜に決まるし、相手校の都合かな?答えはこうでした。「滋賀県の高校がいない試合を滋賀県でやるのは連盟が禁止しているみたいなんですよ。先生達、それを知らなかったか、忘れていたかで…。今から会場を手配するのはちょっと…。ということで、中止なんですよ」。なんじゃ、そら。そんなこともあるんや。高野連の面白い武器にある意味感心すらしてしまった。球場はどこも借りていないから借りれたんだろうし、あの球場を管理しているのは高野連ではないと思う。難しいなあ。相手校もいろいろ準備してたろうに…。これが今はどうなっているかわかりませんが、理不尽なことに振り回されるのはどこでも一緒なんだなあと思いました。



2004年06月10日(木)
ラ〜ル〜フゥ〜


 仕事を抜け出して、ふらっと小さな球場はグラウンドに来て試合を見ている作業着姿のおじさんとかは絵になるなあと思います。残念ながら私は職業柄仕事を抜け出すことが出来ませんが、昨日は初めて仕事着で試合を見ました。

 仕事を抜け出すといえば、大学のとき、イベント会場の近くにつとめていたサークルのOBが、「うんこしてくる」と言って職場を抜け出して駆けつけてきてくれました。イベントは瀬田川の唐橋付近で行われたレガッタ。先輩は、ひとしきり、トークして、ボートをこいで、じっくりくつろぎ、「ああ、長すぎるクソやったわ」と言ってふたたび戻っていきました。そんな先輩が昔出たレガッタの話をしてくれました。ボートをこぐときは、「オーエス、オーエス」とかいうかけ声をかけるのですが、それじゃ芸がないってことで、「ラ〜ル〜フ〜、ラ〜ル〜フ〜」と言って漕いだことがあるそうです。ラルフは、当時近鉄にいたラルフ・ブライアント選手のこと。いちお、野球サークルですからね。ちなみに、息は抜群にあっていたものの、ダントツの最下位だったそうです(苦)。

 どうでもいいけど、うち、阪神の応援サークルなんですけどねえ。そういや、何故か中日戦になると、燃えよドラゴンズ歌ってます。でも、あれって、他球団ファンでも結構歌える人、好きな人が多いと思うんですが。昔、別の野球サークルでオフ会やったとき、カラオケの大トリがこれでした。マイク回してみんなワンフレーズずつ歌っていったのですが、巨人ファンも日ハムファンもロッテファンも…みんな歌ってました。不思議な歌っす。私は平成5年バージョンが好きです。



2004年06月09日(水)
皇子山球場は今日も元気です。


 お天気になって良かったです。今日は仕事終了後、練習試合を見に行きました。皇子山球場で滋賀県の高校とのナイター。着いたら、4回表。0−2とリードされていたけど、そのあと同点に追い付き、逆転。ふっ、私が来たからやな。嘘です、嘘です(汗)。

 ギャラリーは思いの外多く、おじいさんやおばあさんがほほえましく見ていたり、おじさんが缶ビールとおつまみで一杯やってたり(静かな酒だったので、いい感じで風景に溶け込んでいました)、グローブを手にした夏服姿の子供達が外野を走り回っていたり…。かく言う私は作業着姿でコンビニ飯を食べながらの観戦だったんですが。

 両翼100メートルセンター122メートルの広い球場だったので、外野に飛んでいく打球が気持ち良さそうに見えました。滞空時間が長いというか、打球が遅いというか(おい、こら)。なんかそれがすごく印象に残っています。

 皇子山は思い出の球場。今日改修後初めて行ったのですが、思ったより変わってなかったので、ほっとしました。どうやら、バックスクリーンと外野スタンドを新しくしただけのようです。だから、一人でいたら泣きそうになる暗くて傾斜のきついネット裏も、内野スタンドの石段も、フェンス沿いに生えてる小さな黄色い花もそのままでした。試合中に保護者の方と少しお話ししたのですが、「普通の日にこうやってゆっくり試合を見るのもいいね」という言葉が印象的でした。



2004年06月08日(火)
野球ゲームと私


 私が野球において「プレーヤー」になれるのは、テレビゲーム上での話になる。ところがこれもまた下手くそ。打てるには打てるのたが、守れないのだ。ゴロがさばけないどころかフライも捕れない。私がスポーツがからきしダメたのは運動神経が鈍いからだと思っていたが、どうやらそれ以外にも原因があるっぽい。

 そんな私が初めてテレビゲームたるものをしたのは、中学3年のとき。ツレン家に行ったときに、出かけていた彼女のお兄ちゃんのパワプロを拝借した。ところが、2人でやった阪神巨人戦(もちろん私は阪神♪)は23−21というザルザルな結果に。類は友を呼ぶで、ツレも下手くそだったのだ。ボールの真下に野手を動かしているのになんで捕れへんねんっ!守備につくたびにイライラして、2人交互にわけのわからん奇声を発していました。そして静かにリセットボタンを押し、今までのことはなかったことにし、別のゲームを始めました。

 そんなわけでしばらく野球ゲームを封印していましたが、数年後にした「グレイテストナイン」という野球ゲームは初心者仕様だったので、守備はスムーズにいき楽しむことができました。今はテレビゲームをすることはないが、ある日少年野球の練習を見ていてふと昔自分が野球ゲームをしていたことを思いだした。フライの捕球の練習をしていたのだが、「打球の少し後に構えろ。真下にいたら捕れないよ」という指導者の声。なるほど、確かにそうだ。真下に入ったら、肝心のボールが見えへんもんなあ。

 そうそう。野球ゲームで思い出した。高校野球のシチュエーションゲームもあるそうで。これも一度、今度は別のツレん家でしたことがある。学校名は、全国の高校のそれを反対にしたあるのが事前にセットされているので、それをひっくり返して、自分の好きな高校にすることができる。すっかり気に入ってしまって、「山東」を「東山」に変えてやってみた。ところが、画面にいきなり出てきた女子マネージャー。ありえへん。東山、男子校やし。マネージャー自体、いないっぽのに。ま、仕方ない。これがコンピューターっていうものさ。それに、シチュエーションゲームなので、練習して強くしていくことろから始めないといけないのもめんどくさい。同じめんどくさいのなら、めんどくさいついでにチーム設定(たとえば、女子マネの有無やグラウンドの設定や部員数や置かれている環境etc)を自分でチョイスできたら楽しいのになあと思った。そこでテンションさがったのもあって、結局すぐリセットしてしまった。私は屁理屈女です。

 ドラゴンクエストで完全にテレビゲームに置き去りにされた私には、やっぱり単純なものがいいです。ホームラン競争とか。前の携帯では、ヒマが有ればやっていました。そういや、今日、ホームランゲームが楽しめる動画着きのグリーティングカードが見つけました。その名も、「Click de ホームラン」。野球好きのあなたから野球好きのあの人へ送るのはいかがでしょうか?

 ☆行き方→ Ynotグリーティングカードのサイト→今月の新着→Click de ホームラン



2004年06月07日(月)
「あいのり」見てたら答えが出た。


 母が「あいのり」大好きで、私もたまに見ている。一番熱かったのは、金ちゃん&みどりのときかなあ?芳ちゃんとかゆき姉とかも好きだったなあ。今、気になるのは沼っち。なんか境遇が自分と似ているような気がするから。やらせ説もいろいろある。真意のほどを確かめるべく、ともきちに「出てぇや」って言ってるのだけど、「あんな貧乏旅行イヤや」とつれない。滋賀県出身のコンサバ系OLともきち(自分で言ってた)。キャッチフレーズは、ばっちしやのに。

 ま、それはともかく。ラブワゴンは今アフリカ大陸を走っている。一面赤い土。私はそれを見ながら沖縄の土を思い出していた。するとワゴンの中にいた子が私の代弁をしてくれた。「ここの土はなんであんな色なの?」すると、隣りにいたハカセがさらりと答えた。「ここらへんは、暑いから水分が抜けてしまって、鉄分が出てくるんだよ。だからアレは鉄の色」。さすが東大卒京大大学院生。私の長年の謎もとけたわな。

 同じ日本でありながら、土の色が違う。そういえば、町並みも匂いも今まで行ったことのあるどの場所とも違った。沖縄には重い歴史がある。たった3日、町をちょろっと歩いただけの私でもそれを感じる場面が随所にあったなあ。ふとそんなことを思い出した。いろんなことが溢れてきて、旅日記がまだ書けていない。北海道の土の色を見るまでに、なんとか書き終えたいと思うのだけど。



2004年06月06日(日)
紫鼻のあるこちゃん


 先日、笑えるプチケガをした。甲子園での阪神戦観戦中のこと。7回裏のジェット風船飛ばしが終わり、トイレへ行った。手を洗うときに鏡を見ると。あれ?紫鼻のトナカイさんになってた。何か汚れでも付いたのかな?鼻の頭をこすっても取れません。もしや?いやな予感を胸に、鼻の頭を押してみると、ちょっと痛い。こんなところが、青…いや紫じんでるんやぁ〜。私はいつからこんな鼻をさらしてたんだろう。こんなんで、キャキャ言いながら応援してたんや。相方くん、気付いてよぅ。鏡の向こうの紫鼻の私は、情けなくて泣きたくなって、まさにへのへのもへじ顔。

 打ち身って、青じんだのを見てから気付くっていうこと多いけど、今回もベタベタにそのパターン。はて、いつこんなことに?う〜ん。強いて言えば、メガフォンを叩くときに過って鼻の頭を叩いたくらいしか考えられない。でも、メガフォンで鼻を叩いてしまうくらいのことなら、過去何度も経験している。なのに、なんで今回に限って?やっぱ、体が弱ってるのかな?っていうか。粘膜の退化が始まってるんだな。うち、鼻かみすぎやもん。ああ、イヤやな、イヤやなあ。してはいけないと思いつつ、ファンデーションを重ね塗りするという悪あがき。でも、スタンドに戻ると、相方くんに「ハハハ、それ、一週間くらい治らんのとちゃうか?」と言われる始末。一週間も?最悪ぅ。通勤電車の中や職場や野球場ですれ違う人たちの好奇の目が脳裏によぎった。「どうしたん、それ?」と言われても、「甲子園でメガフォン叩いてたら鼻に当たって…」なんて言いづらいしなあ。

 しっかし、よりによって一番目立つ鼻。紫、いつか取れるだろうけど。いや、もしかしたら取れないかもしれない。どうしよう。そんなことを考え始めると、今までわからなかった顔にやけどの痕や大きなシミなど目立つものがある人の気持ちを思った。わかるとは言わないけど、性格や生き方を明るくまっすぐにするのは他の人より難しいことかもしれない。幸い、紫は3日もしないうちに、自分でもそんな事実を忘れていたくらいあっさりと消えてくれた。でも、あのときは顔とは裏腹にマジで暗い気持ちになってしまった。



2004年06月05日(土)
名門校の光景


 今日は、相方くんと四国遠征へ。明石大橋を渡り、タマネギ畑を横目に淡路島を横断し、鳴門大橋を渡り、一路香川へ。相手は県内の某名門校。今はそれほど強くないようだけど、「あ、やっぱり名門校だな」と思う光景があった。

1,うどん屋さんで

 第一試合が終わったあと、保護者さんオススメの近所のうどん屋へ行った。午後3時。カウンター10席程度、テーブル3つほどの小さなその店は閑散としていた。2人で店に入り、カウンターの腰掛けると、わらわらとユニフォーム姿の部員が4人入ってきた。膝元にグラウンドの土がついていた。まさか選手が店に来るとは考えていなかったので、ちょっとうろたえた。

 後から保護者と思われる3,4人のおじさんが来たけど、「この子ら試合あるし、急いでやってくれる?」と店員さんに注文したあと、すぐ出ていってしまった。部員たちは私たちのすぐ後ろのテーブル席に腰掛け、メニューを見ながらあれこれ話していた。注文を決めていなかった私は、「ここのオススメって何?」と交流を図ろうと試みたがうまくいかず、結局彼らより先に注文を決めた。彼らは、すぐ出来るざるうどんを頼んでいた。うどんを口に運ぶ手を急がせながらも、野球の話をしていた。

 店内には私たちの他に、初老の女性がいた。白髪交じりのおかっぱ頭。やらしくない程度に赤い口紅。昭和初期のレディーっていう雰囲気が漂っていた。カウンターの入り口に一番近い席に座って、なにやら定食を食べていたが、店員を呼んだみたいだ。彼女は、奥でうどんを食べている部員たちを指さしてなにやら言っていた。

 間もなく、うどんを食べ終えた部員たちが立ち上がり、ポケットから財布を出そうとしていた。すると、店員のおばちゃんは、「もういただいてるんで」と入り口の側でうどんを食べている女性に目を向けた。最初は戸惑っていた部員たちも、すぐに気持ちを切り替えて、「ごちそうさまでした」と女性にお礼を言った。女性は店を出ようとする部員たちに、「今日、試合?」と訊いた。関係者ではないようだ。何も知らずただその高校のユニフォームを着ているというだけで、昼ご飯代をごく自然に出すことが出来てしまうんだ。彼女の粋が、ただひたすらかっこいいなと思った。本やテレビで見聞きしていた世界が、21世紀の今ここでも繰り広げられていて、その登場人物がまたおっちゃんではなく、おばちゃんとも呼びづらい品の良さそうな女性だなんて!名門校って底深いなあと思った。

2,グラウンドで

 地元名門校。町中にあるそのグラウンドには、ふらっと入って試合を見ていく人が少なくない。第二試合が始まったまもなく、私たちの後ろには親子連れがいた。お父さんと6歳くらいの甲高い声の男の子。

 お父さんは子どもに野球のことを一生懸命話していた。「見てみろ、あのボール速いなあ」「ランナーが2人。まだアウトがないから、この回点数入るかもしれないぞ」。ところが子どもは、どうしてか準硬式と金属バットのことが気になってしかないようで、お父さんの話も心ここにあらずって感じだった。それでもお父さんは一向に気にしてはないようだった。

 話はいつのまにかグランドにことになっていた。「お父さんもなあ、こうやって、お父さん、お父さんのお父さん、おじいちゃんにグラウンドに連れてきてもらったんだよ。そして、野球始めて、高校生のときはここで試合、やったんだよ」。そう言って、へへと小さく笑った。得意げなような照れたような。ここのOBかな?私は耳を澄ましてみた。「試合でここに来たの」。なんだ他の高校か。がっかりした半分、新鮮さ半分。そして、子どもが初めてお父さんの話に感心を示した。「勝ったの?」。すると、「負っけたぁ」。お父さんが高校生に戻った。それまでの静かに話してきかせるいわゆる父親口調ではなく、同じ目線の友達に何の見返りも求めずに話し捨てるような無邪気さがそこにあった。まもなく2人は、試合を最後まで見ずにグラウンドを後にした。

3,OBのおっちゃんが

 相手校は、私たちが思っていたより手強くなかった。隣にいたOBらしきおじさんは、「そっち(東山のこと)は一生懸命やりよるから応援してくなる。でも、こっち(自校)は遊んじょる。気に入らない」と何度も何度もぼやいていた。おっちゃん曰く、近年監督が代わって、野球も変わったのだという。このころはやりの自主性野球というヤツ。それはそれで文句はないが、選手の取り組む姿勢が気に入らないという。ま、おじさん自身も、昔がすごすぎたから今の選手を見ても不満になるのは仕方ないと頭ではわかっているようだったけど。

 「普段の練習も見てはるんですか?」と訊くと、「僕らはね(と側にいた他のおじさん2人を指さした)。でも、もう今ではOBはほとんど来ないよ。練習見てても飽きちゃう。昔を知ってるから物足りないんじゃないかな?昔はそれこそ、練習が始まったら、グラウンドのあちこちをファンが取り囲んでいたものよ。300人くらいかな?」おじさんはそう言って、あちこちを指差し、ここも、あそこにも、あのブロック塀の向こうにもと力を入れて説明してくれた。「それが今じゃ3人だ。300人が3人じゃ」そう付け加えて豪快に笑った。300人かあ。壮絶だな。ま、その数字は確かでないにしろ、おっちゃんがそこまで痛くなるほど、当時の練習風景は迫力があったということか。

 かつての名門校や強豪校で、今はちょっと落ち込んでいるという学校の練習や試合をいくつか見ている。ちょっとがっかりするし、切なくもなる反面、ほっとすることもある。そんな複雑な心境になる。でも、そういう一面を見ることも大事だと思う。いいところばかり見ていても、世界が広がらない気がするし。

☆試合のこととか

 試合は1勝1敗。両試合とも前半に大差をつけられたが、1試合目は1点差に迫り、2試合目は逆転サヨナラ勝ちだった。1試合目が終わったとき、監督が「追い上げたんですけどねえ、ツメが甘かったです。次はいい試合をお見せしますよ」と保護者の方に言っていたのがその通りになった。ま、最後は相手校の自滅っていう感じも否めなかったんだけど、それをモノにするのも力のうちということで。

 相手校。ベンチの中のヤジというかね。結構、的を射たことを言ってましたね。「このバッテリー、息あってへんぞ」「ピッチャー、一人でやりよるわ」。確かに、バッテリー間ミスによる進塁や得点、多いもんなあ。どっちが原因かわからないけど。でも、相方くんは上手(うわて)で。「やかましい。そんなん、今に始まったこととちゃうわ」。



2004年06月04日(金)
メガフォンの野望


 阪神戦の応援では、メガフォンを思いっきり叩きます。学生時代所属していた阪神応援サークルでは、いかに早くメガフォンを壊すかみたいなのが1つのバロメーターになっていました(物は大事にしようね)。熱い先輩は、3回までに1本壊し、別のメガフォンを売店で買い直し、それも7回には壊してしまい、終盤は空のペットボトルに黒マジックで「虎」と書いたものを叩いていました。男の人の握力は、やはりすごいです。当時はチーム低迷期で、盛り上がるところもそれほどなく、生産もばっちり追いついていたので、壊れやすいはずもありません。私もがんばっていましたが、先輩の快挙には及ばす、女性であることへの限界をひしと感じたものです(余談ですが、大学時代は、そういうことを激しく考えさせられた日々でした)。

 そんな私の最速記録が、8イニングス目の崩壊。叩いていると先端が丸くくり抜かれたようになって、前の席に飛んでいきました。いちゃって、相方くん(当時はサークルの後輩でもあった)に報告すると、「何それ、先端が壊れるのは、初心者の証拠やで。ほら、みんな先っぽの方で叩くやろ。ホンマに壊れるてくると、縦に割れるんやで。それにソレ、金メガフォンやろ?そういうプレミヤものを壊すなんてアホや。思い切り叩くのはノーマルなヤツにせんと」と注文がつきました。プン!だ。

 周りを見渡すと、やはり先端で叩く人が多いです。でも、気合いの入った学生の兄ちゃんや20代のサラリーマンあたりはやはり根っこが多かったです。癪なので、今はなるだけ根っこの方、根っこの方を叩いています。それこそ手で持つ場所のすぐ側を。だから、私の叩いたときの音は、周りからちょっと浮いてる?ようで。でも、いつかきっと縦割れを見せてやる。もちろん、メガフォンは相方君のを借りる次第です。



2004年06月03日(木)
居酒屋“阪神甲子園”


 仕事終了後、甲子園球場へ。今日も31段席で阪神ーヤクルト戦を堪能。試合はすでに3回を終わっていて、球場はすっかりボルテージがあがっていた。そういう雰囲気の場所に途中から入ると、鳴り物がうるさいという人の気持ちがわからなくもないなと思える。ま、席のついて、缶ビールを1杯飲めば、そんなことはすっかり忘れ、もう何十年もそこで騒いでるような気分になってしまうのだけど。

 3回終了地点で0−2とリードされ、4回表に入った。深く考えずに先着組の相方くん&職場の仲間達からもらったビールを飲んで試合を見ていたのだけど、なんか様子が変。試合中にはそれほど聞こえないはずの場内のざわざわが耳につく。人の移動の足音だったり、「ビールいかかっすかぁ〜」という売り子の声だったり。そう、相手チームの鳴り物が聞こえないのだ。レフトスタンドを見渡すと、上段わかさ生活の看板下(私たちのオキニスポット…)で、みどりと青のメガフォンが揺れているのが見えた。よく見ないをわからない。いくら人数が少なくても、鳴り物があればそこそこ存在感があるのだけど。逆に言えば、そんな環境の中で声援を送るファン、大切にしないと。

 応援は4回裏から始めた。ホンマは2杯目を飲みたくて、職場の人も勧めてくれたのだけど、間にいた相方くんが、「今から応援タイムかやら、あとで」とシャットアウトしてしまった。バカん。そんなルール、いつから?その相方くんは応援と応援の間に頻繁に後ろを見ていた。「何してんの?」と私が言うと、「いや、ひょっとして知ってる人、いるんちゃうかって」。試合中盤、同じ質問をすると、今度は「人間観戦」と言った。試合は、ダレ始めていた。

 ジェット風船を飛ばし終えると、席を立つ観客もいた。そして、ついに私が鳥谷の応援歌を知らないことを相方くんに悟られてしまった。「なんや、自分、知らんの?鳥谷の曲。あかんな、新曲ちゃうで?使い回しやで。10年ほど前のミヤウチのヤツ。不覚なあ」。ミヤウチやと?私の中でミヤウチは元横浜の宮内洋だけや。宇部商業高校時代、1年生にして代打逆転サヨナラホームランを打ったあの宮内だけやねん。ほかのミヤウチなんて知らんわ。

 思うにスタンドの応援は年々変わってきている。かけ声とかが多くなった。がんばって覚えようとはしているけど、金本んときの、「かっとばせ〜、ア・ニ・キ」コールにはついていけない。うち、金本の妹とちゃうし。そんな感じで、これからもドンドンライトスタンドの応援からおいてかれることだろう。でも、悔しいので鳥谷の応援歌は覚えようと思う。次回リベンジだ。やっと覚えたのに、二軍落ちとかやめてね。

 2−5とどうにもならない試合だったが、最後には応援歌をやっと覚えた関本が登場し、また藤本くんがタイムリーを打ったので、癒された感じ。とはいえ、これで甲子園3連敗。今季勝ち星なし。大いなるイン○ツ伝説へと続く…

 でも、やっぱり甲子園はいい!
 厳密にいうと、甲子園で飲む酒はいい。癪だけど、勝っても負けてもビールはおいしい。それが祝杯であろうと、ヤケ酒であろうと。外で飲むっていいね。そうそう、毎日体重を量るようになって気付いたことがある。普通の居酒屋で飲んだときと、甲子園で飲んだとき、飲み食いの量に差がなくても、翌日の体重アップ率は甲子園で飲んだときの方がダントツ低いのだ。甲子園では応援のために声を張り上げたり、メガフォンを叩く。そして、帰りは徒歩30分ほどかけてJR甲子園口まで歩くときもあるからだろう。そんなわけで、野球ファンをリストラされても、甲子園へ行く口実が出来た。あそこは、いきつけの居酒屋。いいね、それ。チャージ料はちょっと高いけど、歌って踊れるし(笑)。



2004年06月02日(水)
“恥”が流通しています。


 人の本ですが、ちょっと宣伝。『スポーツジャーナリストとして成功する方法』(草思社。1400円+税)という本が昨日発売になりました。興味のある方はどうぞご覧になってください。作者は、ライター塾時代にお世話になったスポーツライター小林信也さん。

 何故こんなことを書くかというと、ひょっとしたら文中に私の文章が載っているかもしれないからです。“塾生がこんなすばらしい作品を書きました!”というノリだったら万々歳だったのですが、残念ながら“ダメ文章の一例”となっていることが予想されます。いつかは自分の文章が本に…なんて夢見てたけど、まさかこんな形とは。我ながらかっこ悪い(苦笑)。

 何週間か前に、メールがきて、文章を使わせて欲しいという依頼がありました。その文章はコンクールに応募していたものです。ま、「応募作の著作権出版権は主催者側に帰属する」という記載がなかったので、当然といえば当然の手続きですが、社会に出ると当然が出来ない人があまりに多いので、その誠意は受け止めようと思いました。何故私の文章を引用するのか、またどういう原稿になるのかが明記され、また引用の仕方が仕方だけに、こちらの気分を害さないように気遣いしてくださっているのが伝わってきました。実際読んでみて、「(引用は)必要だな」と思ったので、OKしました。とはいえ、2,3日落ち込みましたけど(笑)。



2004年06月01日(火)
サイン


 このところ、試合前もしくは試合中のベンチ裏を見る機会がある。そこで繰り広げられていたシーンに、先輩が1年生にサインを教えていたり、1年生が先輩にサインの確認をするというのがあった。このようなやりとり、実は観戦史上初めて見た。

 1年生でいきなり試合に出るのはすごいこと。それは言うまでもない。打って、走って、守って。でも、それ以外に先輩たちがスムーズに頭に入っているであろうサインも短時間で覚えなきゃいけない。すごさは、きっと私の思うところより大きい。

 サインというと、単純に監督とバッテリー間しか思い浮かばなかったけど、生観戦するようになってから、捕手からのサインを内野手が外野手に伝えているところも見るようになった。野球はあちこちで声が飛び交うスポーツだけど、それ以外にも指の声による会話がたくさん飛び交っているようだ。

 私、サインには疎い。観戦する場所がいわゆる応援席が多いからかもしれないが、それ以上になんか見てはいけないもののような気がして。テレビで見るそれは、どこも似たようなものだと思うけど、サイン盗みとかそういう複雑なものに巻き込まれたくないから。自意識過剰か?