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2003年08月31日(日) ■ |
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旅 〜第二日目・山形〜 (更新完了) |
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今日は、主に移動日。車窓でずっと雲ばかり見てた。私の目から見て、東北の雲は特別にきれいに見えた。普段自分が見ている雲とは明らかに違うのだ。地元で見ている雲が、弧を描くように浮かんでいるとすれば、ここらの雲は地面と平行に浮かんでいる。いや、浮かんでいるというか、誰かが線を引いている感じ。
電車接続の関係で、山形の酒田でしばらく時間をとれた。せっかくなので、酒田南高校へ行ってみたが、この日が学園祭らしく、校内にはたこやき屋やヨーヨー釣りの店に学生が集まっていた。学校職員らしき男性がヨーヨーを持っているのは何ともまあ…。私は勘違いして、校内にグランドがあると思って、やっきになって探したが、後日、「グランドは学校から離れた場所にあるんだよね」と聞かされた。ガ〜ン。
「ま、毎日がうまくいけば、“旅”とは言えねえな」と一生懸命自分を納得させようとしたものの、ぶつけどころのない悔しさが癪で、疲労感がどっときた。爆睡していると、電車は秋田に入っていた。
秋田の駅前は想像以上に開けていて面食らってしまった。でも、正直、ちょっとほっとした。ここで、「忘れてきた」着替えと下着を購入。店の人に、「県外からこらえたんですか?」と聞かれた。やっぱり言葉でわかってしまうらしい。「うちらは田舎訛りがあって…。わかりづらいでしょ?」とこちらの表情を伺うような目線を投げかけられた。そんなことないのになあ。でも一日、誰とも話さずに過ごしたので、ちょっと癒された。夜は、「JR時刻表」の読者コーナーで“オススメ”と書いてあった駅弁の牛メシを食べた。いつも200円台の牛メシばかり食べているので、まともな牛肉の味を忘れかけていて、ちょっと違和感があった。そういや、そんな要領で、最近普通のビールを甘ったるく思う。あかん、こんなんでは。
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2003年08月29日(金) ■ |
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コアラのマーチ大作戦とプロ野球団は巨人しかないと思っていた頃の話 |
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今朝、すみちゃんとメールのやりとりをしていた。朝7時台、移動中のやるせない時間帯につきあってくれるのは彼くらいしかいない。そんな彼は、「常総の飯島くんは、絶対、コアラのマーチのコアラに似ている」と熱く主張した。私は顔までよく知らないので何をも言えないのだが、いかがなものでしょう?
今はもうあるかどうかわからないが、コアラのぬいぐるみ付きコアラのマーチ(税別290円。だったかな?)が売られている。似ているんなら、どさくさに紛れて“飯島くんのぬいぐるみ”バージョンも入れておいたら、おもしろいんじゃないかと思いついた。すみちゃんも、それなら木内監督もいるやろとノッてきてくれたが、そういやこないだまで新京極なんかで売ってるパロディーTシャツで、カルビーのかっぱえびせんのダルビーバージョンとかどないかなと妄想デザイナーになっていたっけ。
でも、ダメなんですよねえ、高校野球で商売するの。地元のスーパーでする優勝おめでとうセールとかもダメらしい。でも、校名入りのペナントとか売ってるし、いったい何なんでしょう。
昼から愛用の頭痛薬が切れていたので、近所の薬局へ行った。とても陽気でとにかくよくしゃべる人おばちゃんのいる店で、ついついペースに巻き込まれて、長話になってしまう。でも、くだらない世間話などではなく、薬の話ばかり。どの薬を買ったらいいか迷っているときは助かる。(でも、「じゃあ、これにしておくね」っていうノリはどうかと)
そんなおばちゃん、おまけに箱ティッシュをくれたのだが、いきなり、「あなた、どっちのファン?」と聞かれて面食らってしまった。おばちゃんが虎の絵の書いたそれを手にしていたので「阪神」と答えることが出来たのだけど、もし巨人だったら何をくれたのだろう。っていうか、プロ野球の球団は2球団じゃないぞ。でも、なんで私はもう一つを巨人だと思ったんだ?!
実は、京都は関西では珍しく巨人ファンが多い。保守的だから?う〜ん、よくわからないが、私も野球というものが具体的に何かわかっていないくらい幼いころすでに巨人という存在は知っていた。祖母がテレビを見ていた。いつも巨人戦だったのだろう。私は、野球は巨人のことなんだと理解していた。恐ろしい勘違い。近所の男の子が野球の話題をしていると、中に入りたくて、「私は、巨人、巨人」と言っていた(大きい人って意味では、今は横に大きいけど(^^;))。やっぱり、恐ろしい。目覚めてよかった。
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2003年08月28日(木) ■ |
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学校のHPに喝っ! |
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明後日からの旅のため、ネットサーフィンをしていろんな情報を集めている。悪あがきというか、悲しい性というか、やっぱり立ち寄れそうな高校のグランドを探してしまっている始末。てっとり早い情報収集は学校のHPへ行くことだけど、あまりにひどい。グランドの場所まで丁寧に書いてくれているありがたぁ〜〜いところはごく少数で、ひどいところなんか、学校周辺地図がないもはもちろん、所在地や電話番号すらない。なんじゃそら。どうすればいいねん、ワシ。
たとえ地図があっても、おおよその距離の目安になるものがなかったり、バスや電車の頻度や所要時間不明も困りもの。なかなか、「わお!」と思えるマップに会えない今日この頃。ちなみにこれまで見た学校ホームページの中で、マップの詳しさツートップ(使い方、間違ってる?)は、京都・大江高校と兵庫・東洋大姫路高校だ。すごかった。
それにしても。学校は、何のためにサイトを立ち上げているのだろうね。最低限の情報をあげれば、忙しい仕事中の問い合わせの電話、ぐっと減るだろうに。学校って、ほんまくらだんことで電話がかかってくるみたい。特に私立。「お宅の生徒が電車の中で化粧直してた」とかそんなんで。だから、必要以上に連絡先を載せないのか。いや、関係ないだろうけど。
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2003年08月27日(水) ■ |
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東山温泉 |
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東山温泉ってあるんですねえ。 福島の会津若松からちょっと行ったところに。家にいると大半はネットをしている私が、このところJR時刻表を眺めている時間の方が多い。福島は今回の旅のルート外なので、ずっと見向きもしなかったけど、何かの拍子に目に入ってきた。いや、運命?(アホか)
「うわ、東山温泉やって。そそるわあ」なんて言っていたら、横から母が口をはさんできた。「おかあさんも若いころ、福島行ったで」。私も福島の駅だけなら行ったことあるけど。「どこ行ったん?」と私が聞くと、母は嬉々として答えてくれた。
「白虎隊のお墓行って、五色沼に行ったわ。きれかったよ(きれいやったよの意)」
母の言葉を聞いて、昔、青春18切符で会津若松へ行こうと友人と企画していたことを思い出した。大学生だった当時、周りにいる友人の大半が歴史好きだったのだ。歴史音痴の私も白虎隊の話は知ってるし、ちょっと足をのばして喜多方ラーメンでもと思っていた。でも当時は、北陸ルートで会津に入ることに気づかず、東京方面から行こうとしていたため、「こんなんしんどい。福島は果てしなく遠い」と思ったものだ。行きたい。今、強烈に福島に行きたくなった。
会津に行って、白虎隊のお墓見て、五色沼行って、喜多方ラーメン食べて、東山温泉に浸かって、あわよくば学法石川高校…。
モチベーション抜群やん。今度行くたびよりはるかにプランが決まり切っている。どないやねん。
追伸:東山温泉って、普通に“ひがしやま”って読んでるけど、“とうざん”かもしれんなあ。いっそう、そそられる。
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2003年08月26日(火) ■ |
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追っかけ4号?! |
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言わずもがな、1号はともきち、2号は私、3号は相方。本人の意識無意識にかかわらず、そういうことになっている。
昨日は、父と練習試合を見た。私的には単に送迎だけのつもりだったのが、カメラとか持って、私以上にやる気を見せていたように思う。初めて会う父兄さんにも選手にもさも当然のように話しかけるので、怖くてしゃあなかった。選手が試合に見に来ているお母さんお父さんの行動や服装を気にするの気持ちがよくわかった。私もまだ“人の子”だな。
試合は、2連勝。1試合目は終盤に逆転。9回、ネクストバッターズサークルにいた選手が、「9回は、魔の9回やねん。オレいつもあかんわ、なんか」なんて言ってた。わかってるんなら、なんとかして。ま、なんとかしたから勝ったんだけど、なんか笑えた。2試合目は、案の定、大量リード→9回に冷や汗→結局勝ったといういつもの(?)スタイルだったんだけど。
印象に残ったのは、2試合目にレフトを守っていた選手。細くて小さい選手が少なくない東山だけど、その選手の体にはしっかり肉がついている。まだ鍛え途上なのかもしれない。弾力性がありそうに見える。その彼、よく声を出す。ただ叫ぶのではなく、声をかけるべき相手の名前をきちんと呼んでから、具体的なアドバイスや励ましの言葉をかけるのだ。でも、距離があるため、なかなか呼んだ本人が気づいてくれない。それでも、ふて腐ることなく、声をかけ続ける。リアクションが薄くて、ほんまに聞いてもらえているのかわからないんじゃないかと私なんかは思うときでも、しょげたりしない。東山の試合はめったに外野では見ない。でも、たまには見た方がいいなと思った。
ともあれ、自分の感想より、父の反応を見ている方が楽しかった。文句言いのおっさんのことだから、ケチをつけるか、「帰ろう」と言い出すのではないかと思っていたら、すごくのめり込んでいてびっくりした。最初は、「なんや、みんな小さいなあ。こんなんじゃ、甲子園は無理やで」とか、「平安高校みたいなんじゃないのか」とか言いたい放題だったのに。
試合と試合の間の昼ご飯のとき、帰りの車の中、帰宅後も同じことを何度も言う。「おかあさんが部室を見せてくれてな」、「子供らが、孫みたいでかわいいなあ」、「目ん玉広げて、一生懸命やってるなあ。打って走っているときよりも、ベンチへ戻っていくときの方が早いんちゃうか」、「女子マネージャーがな…」etc。そんな父を見て、なんかかわいいなあと思ってしまった。
それにしても、アグレッシブなおっさんだ。誰彼かまわず話しかけ、情報を仕入れていた。相手も腹出てる60代のおっさん見たら、びびって話さざるおえへんやろなあ。私も早くじじいになりたいものだ(嘘)。
てなわけで、25日付けの日記は父が書きました。私が頼んだわけではありません。勝手に書いて、「載せて」と言ってきたので。誕生日手当として、私が書く日記はお休みにしました。余談ですが、父の文章に出てくる「麻里」は私の本名です。ホンマは出したくなかったのですが、これがないとこの文章の魅力が半減してしまうので、仕方ないです。
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2003年08月25日(月) ■ |
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あるこ父、練習試合デビュー(父の寄稿) |
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麻里ちゃん暑かったなぁ。
僕は、野球を殆ど知らない、昔々、授業の間にあった短い休み時間のソフトボ−ルの経験しかない。今日は、試合が終わるまで丹波の写真を写そうと思っていた。始めに須知高等学校に着いた時、何と立派な学校かと思った。雰囲気が学問を思い切り行う雰囲気であった。多くの学校の校門を見たがこんな雰囲気は始めて見た。緑を多くつけた大きな木が道路の両脇にあって素適な雰囲気であった。 今日は、ネット裏で試合を見ることが出来た。いろいろとビックリする事だらけであった。そのとき見た2試合についていろいろと述べてみたい。 まず選手が打撃をして一塁でアウトになると「ザクザク」と砂をけりながら急速な走塁で自陣地まで帰ってくることである。また、守備位置まで走って行き、帰りも走って帰るなんてスパイクで砂を蹴る音が大きく聞こえた。こんな暑い中大変なことだと思った。駆け足の時の顔は真剣であった。これもまた驚いた。 ポコンと後頭部にデットボ−ルがあった。痛いだろうなと思った。代わりの人が一塁に行ったが、当人はベンチでしきりに頭をさすっていた。他にボコッと音がして体にあたるデッドボ−ルもあった。一塁まで顔をしかめて肩を抑えながらの出塁であるが、スプレ-をかけると何もなかったみたいにしていた。デットボ−ルはだいきらいである投げる人がいることによる結果であるためにあとが辛い。子供のお母さんに尋ねると息子のデットボ−ルの後は見たことがない。青くはれているのだろうか? ところで、お母さんジュ−スありがとう。おいしかったです。また、部室(?)を見せてもらいありがとうございました。練習試合の多いこともビックリしました。
麻里ちゃん。また機会があれば送迎します。春か、秋にしてください。体力と相談します。本当に暑かった。
(東山と須知高等学校の練習試合を見て)
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2003年08月24日(日) ■ |
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敦賀野球三味(さんあじ) |
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今日は、福井・敦賀で野球観戦。昨日と今日の2日間。敦賀野球フェスティバルたるものが行われていた。これは、敦賀市周辺(高校は嶺南)の高校、中学、少年野球の大会をまとまてやっちゃおうという粋なもので、少なくとも10年以上前からある。今日は、高校、中学、少年野球の決勝がまとめて、敦賀市総合運動公園野球場で行われた。ホンマは高校だけを見て帰ろうかと思ったけど、すぐ前ではさいでいる子供たちがグランドでどんな姿を見せるのか、ちょっと気になって、最後まえ見ることにした。
第一試合 美方 7−6 敦賀 (高校)
中盤まで、美方が大量リード。ところが、終盤、細かい守備の乱れから、敦賀が追い上げた。結局、及ばすだったが、新チームが結成した時間が経っていなのか、まだ仕上がっていないなあという印象を受けた。
第二試合 美浜 5x−4 角鹿 <延長8回サヨナラ>(中学)
目立つ子っている。なぜか目がいってしまう選手。試合前、一番最初に目に入ったのが、美浜中学の背番号「1」だった。体格がいい。高校球児と言っても、いや大学でも通るかもしれない。先発でマウンドに立った。体格が体格だから、すんごう剛速球とか投げるのかと思いきや、緩い球を織り混ぜ、打たせてとっていた。美浜中学は、成長期の体を考えてか、頻繁にピッチャーが代わった。それぞれいいピッチャーではあったが、相手の追いつかれてしまい、延長戦へ(中学野球は7回まで)。延長8回表、美浜中学のマウンドには再び、背番号「1」が立った。ふと、「このチーム、負けないな」と思った。結局、その裏、バッターボックスに立った彼のランニングホームランで、美浜中学がサヨナラ勝ちした。三塁から、広い肩幅から、長い腕を精一杯伸ばした、ガッツポーズしながらのホームインだった。
初めて見る中学軟式野球にしては、すごく恵まれたいい試合を見れた。前から、「おもしろいよ」と言われ、勧められていたが、確かにおもしろい!送球間を上手に使って走塁するのは、新鮮だった。たとえば、スクイズ。硬式なら、バッターがボールを転がした瞬間に走るが、軟式は、転がしたボールをピッチャーにとらせて、そこで三塁ランナーは動かず、一塁に投げさせ、そのときに走り、一塁手がホームへ送球する間にホームを陥れるのだ。びっくりした。また、軟式はバウンドがイレギュラーで、エラーが多いかなと思ったら、全然そんなことなくて。よく打球の行方がわかるなあと見ていて、感心した。
第三試合 敦賀北ジェットストリーム 1−0 松原ぼっくりーず (少年野球)
これ、いいゲームだった。守備がね、鍛えられてて。ファーストへ送球する内野ゴロはベース付近でワンバウンドする送球。それが、きれいに同じところでバウンドする。鍛えられているなあ。それか、私が少年野球を甘く見てた?横で見ていた相方も、ゴロのたびに、「堅いなあ」「堅いなあ」と感動しきり。1点は終盤、タイムリーで入ったのかな。
実は、私たちのすぐ前に座っていたのは、勝った敦賀北ジェットストリームの選手たち。試合前に、「勝ったら、メダルもらえるの?」と言っていた。ベビースター食べながら中学の試合を見てた小柄な子は、意外や意外、キャッチャーだった。それも、すばやい動きで三塁へ牽制。盗塁の刺したかな?また、「頭が痛い」と座り込んでいた子も、試合では内野を守っていた。頭痛、どこいったん?スタンドにいると、ほんま無邪気な子供たちなのに、グランドにいると一いっちょ前に野球選手に見えるから不思議だ。
そうそう、少年野球の応援は、高校のとちょっと違う。しゃべり続けているような応援なのだ。雰囲気的には、中学の女子バレーボール部の応援みたいな感じ。今日、一番にヒットは、♪ライト前、センター前、男前〜
3試合が終わると、表彰式。2チーム×3=6チームにメダルの授与。騒々しい光景だった(笑)。今にも雨が降りそうだったし、「早く、早くっ」みたいな。高校生は第一試合が終わったあと、グランド整備や、宿題をしながら、時間を過ごしていた。この子らも、少年野球、中学野球とここでプレーして、大きくなったんだなあとふと思った。そして、ここにいる子供たちもいつか高校生になる。どんな選手になってるんだろうな。野球を楽しむ新しい幅が出来た。京都でもやってくれないかな、こういう企画。絶対、おもしろいと思うんだけど。
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2003年08月23日(土) ■ |
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テレビで見れない甲子園 |
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友人・みどりさんに便乗して、甲子園の決勝戦を見に行った。実は、甲子園の決勝戦は初めて。1人で行くまでもないけど、一緒に行く人がいるから行っておこうというわりと軽いノリ。行きしな、地元の金券ショップで、切符を買った。阪神電車の切符は売り切れらしい。「いつもは全然余ってるんだけど、今年はねえ、どこで聞きつけたのかよう売れるんよ」。店のおばちゃんはそう言った。こんなとこにも、タイガース効果?結果、切符を買うため、梅田駅構内で強烈に並ぶ羽目になった。
前日、すみちゃんから「常総スタンドに行くように」という指令が下ったいたが、“白河の関”“ダルビッシュ”“大阪出身”に負けて、一塁側東北高校応援席へ。多くの人が似たようなことを考えていたのか、スタンドは一塁側から早く埋まった。満員の人で、移動もままならない。売り子の姉ちゃんから水を買うのも、お金と水が何人もの人をリレーした。
試合が始まった。さすがここまでくるチーム。安心して見ていられた。それ故に、暑さを感じる余裕までできてしまって、試合展開より、浜風が頬を通り向ける瞬間に敏感になっていた。あの快感よっ。東北の応援席ではあったが、常総サイドにいいプレーにも拍手が出た。私もそうなんだけど、ここにいる人の大半が、どっちかの応援というより、優勝の瞬間をこの目で見たいという気持ちの方が強いんだと思った。ダルビッシュくんの存在感はやっぱりすごかった。単にずばぬけて背が高いということもあるのだが、ダルビッシュくんがマウンドに立ったあと、常総のピッチャーが同じところにいると中学生くらいに見えて、過剰にかわいらしかった。
でも、それより、目がいったのは両チームのキャッチャーだった。いつもはピッチャーばかり注目する私が、なぜかキャッチャーばかり見ていた。乾いた土の上に座って、ピッチャーからのボールを待っている彼らの姿がいとおしかった。わからない、ほんと、なぜかわからないのだけど。東北のキャッチャー・佐藤くんは、以前読者の人に“注目してください”とメールをいただいたのだが、常総の大崎くんはそれこそ生まれて初めて知った選手。大崎くんは、ピッチャーからのボールを待つとき、右手を地面に近い位置に置いていた。その手元が気になって仕方なかった。 試合は、東北が先制し、「これは、白河の関を越えるか?!」と思ったが、その後常総が逆転。2番手・飯島投手が東北の攻撃を見事にシャットアウト。木内監督、恐るべし!今まではブラウン管の向こうだった優勝決定の瞬間の歓喜の輪を生で見た。テレビでは大映りになっているので、感動も迫ってきたのだが、リアルに見ると、視界を占める割合は周りの景色の方が圧倒的に大きいため、何かのパロディーかロケシーンを見ているような感じだった。思い入れの問題かもしれないけど。
ホームベース整列、握手、校歌斉唱、スタンドへの挨拶が滞りなく終わり、優勝監督インタビューが始まった。負けた東北高校の選手や監督もインタビューを受けている。東北の選手は、わりとさばさばしていた印象があったが、ダグアウト前の群れを避けるようにして、1人の選手が両手を膝において、うつむいていた。とくどき、しゃくりあげるような頭の動き。相当落ちこんでいるようだ。背番号は「9」。8回表、常総にダメ押しの4点目が入ったとき、バックスクリーンにある電光掲示板には、「HE9」と示されていた。後逸だったかな?数十メーター離れた三塁側ダグアウト前では、今夏で勇退を表明している常総の木内監督が、こなれた口調で話をしていた。そのあと、選手が涙声で叫ぶように話していた。熱いなと思った。でも、目線を一塁側の背番号「9」に移ると、その温度もすぐに下がった。あそこが赤なら、ここはグレーの混じった青色。そんなことを思った。マスコミも選手もそんな彼の存在を知ってか知らずか、随分長い間彼一人の空間が出来ていた。ずっとキャッチャーを見ていた私だが、彼の存在が初めて気になり、スコアボードで名前を確かめようとした。すると、代打が出たため、名前がなかった。汚名返上も出来なかったということか。側にいた男性が、「あの子、確か2年やんな」と言っていた。それならいいんだけど。いや、いいことないんだけど、まだ救いがある。
優勝インタビューが終わってしばらくしたら、彼はフェンス際に移動した。しゃがみこんでいたように思うが、前方で群がる観客の頭で見えなくなった。もう少し早くくればよかったな。
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2003年08月22日(金) ■ |
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ジントニックとダルビッシュ |
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高校生のとき、何かのドラマを見過ぎたのか、デートはおしゃれなバーでするものだと思っていた。そこで、「彼氏ができても恥ずかしくないように、カクテルの名前を1つくらい覚えておいて、バーテンダーにさらっと言えるようにならなければ」なんて思っていた。ま、結果的に言えば、理想と現実はびっくりするほど違ったのだが。それはおいといて。
初めて知ったカクテルの名前は、ジントニック。当時読んでいた『放課後の音符(キーノート)』という本に出てくる登場人物の女の子が飲んでいた。私はお酒の味なんて知らなかったけど、覚えておこうと、心の中で何度も、「ジントニック、ジントニック」とつぶやいた。
覚えておいたカクテルの名前が必要に迫られて口から出たのは、残念ながら、大学での飲み会のことだった。そのとき、初めて本物のジントニックを目の当たりにした。好き嫌いの多い私、飲んだこともないものを、さぞ「いつも飲んでます〜」風に頼んでしまったけど、まずかったらどうしよう。急に不安になった。でも、それも杞憂に終わった。柑橘系で、甘ったるくないそのお酒は、不思議と初めて飲んだような気がしなかった。前からこの味を知っているような気がした。きっと、小説の影響だろう。本当にジントニックがおいしいなと思い始めたころには、すでに相方くんがいた。
でも、このところ、ジントニックを頼むのにちょっと臆病になっている。なぜか。別に恋愛関係でもつれているわけではなく、単にアクセントをどこにつければいいのかわからなくなってしまったからだ。私は、ジントニックのジンにアクセントを持ってくるが、注文を確認する店員がトニックの方にアクセントを持ってくると、泣きそうになる。どっちが正しいかわからないのに、自分が間違っているんだと思って、勝手にかっこわるくなる。
それと同じ要領で、口にし辛いのが、東北高校の長身エース・ダルビッシュくん。私はダルにアクセントをもっているのだが、周りは、ダル派とビッシュ派に分かれていて、情緒不安定が増長されそう。そういや、彼、評価もくっきり分かれている。生意気だ、態度が悪い派とまじめすぎて野球以外ことに気がいかないんだ派。なんだよ、いったいどっちがホントなんだよ。っていうか、私ら端から見えるだけの人間が、ホントのことなんてわかるの?もやもやした気持ちになってしまう。
そういや、ダルビーって呼ぶ人もいるな。なんか、カルビーのパロディーみたいで親近感がわく。でも、アクセントはどっちなんだろう。ダルかビーか。
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2003年08月21日(木) ■ |
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静岡遠征観戦記〜伝統の(?)冷や汗勝利〜 |
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東山の夏の遠征にお邪魔しました。最終日は1試合だけ。結果だけ言うと、勝ちました。
1回の攻撃が最高でしたね。2番バッターの1年生のホームランが出て(おめでと〜)、そのあとにWスチール(やと思う)が2つ決まり、その間にはスクイズ。でも、相手校も工夫していて、1回目のWスチールのときは早くてきつい送球をしてうまくいかなかったので、2回目はゆっくり丁寧に送球。もっとも、送球が遅いのがこちらには幸いしてホームインできたのだけど、同じ失敗を繰り返さないように、すぐに工夫するのはさすがだなと思った。
守備位置はだいぶ変わっていたので、ベンチの声に耳をこらして、各々の選手の特徴を叩きこんだけど、なかなかメンバーの把握は難しかった。結局、6回くらいに、どうしてもわからなかった2人を父兄さんに教えてもらった。この前日の試合では、アナウンスがあったらしい。おしいことした。
常にリードする展開ではあったけど、中盤からはピッチャーのコントロールが定まらず、またボールもとらえられてきているのか、当たればすごく飛んだ。ひやひやした。でも、アップアップになりながらも、最後は三振を奪ったりしているから、不思議だ。結局、2点差まで迫られた。旧チームを含め、このところ、こんなゲームばかり見ているような気がする。ま、チームがそういう野球をするのなら、ついていくしかないのだけど。
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2003年08月20日(水) ■ |
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倉庫にて〜そして、彼らはどこに行くのだろう〜 |
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今日は朝から晩まで一日3店回りの日。3店目は大型店で、普通なら夜のチームでやる店なのだが、人手が足りないらしく、昼の私たちもかり出された。心身ともに疲れ切った私たちに与えられたのは、倉庫での棚卸し。なんか惨めになる。ま、お客さんに気を遣わずカウントできるのはいいんだけどね。
私が担当したフロアは、雑貨売り場だった。すると、まあ、出てくるわ、出てくるわ、阪神グッズ。別にここで売らんでもいいメガフォンに、目覚まし時計に、Tシャツに、何の機能がついているのか理解に苦しむグッズもあった。
経済効果、か。カウントしながら、思った。いろんなことをお金に結びつける。それが資本主義ってことか。ため息が出た。
阪神は、おそらく優勝する。このグッズはどれくらい売れ残るのだろう。どれくらい売れるのだろう、ではなく、どれくらい売れ残るのだろうと考えてしまった。目にするものを見るたび、消費者はそんなにアホとちゃうでと思ってしまう。いや、ちょっとはアホなんかもしれんけど、こんな商品が売り切れるほどではないと思う。在庫は安売りされて、でも、それでも売れなくて、そのうち、阪神は元の阪神になってしまって…。
売れ残りの商品を、毎日腐るほど見ている。何度もつけ直された値札。黒いマジックで消されたバーコード、一目見ただけでもわかる埃、パッケージの変色、なぜかべとついている箱菓子…。そのたび、悲しくなる。飼い主が扱いに困って公園に捨てられた犬や猫、ペットショップでいつまで経っても売れずに、ショーケースの中で子犬でなくなりつつのある子犬を見たときと似たような心境。でもって、助けてもやれないのに、商品を買いもしないのに、そんな感情を先走りして持ってしまう自分の頭でっかちさにのどの奥から胃薬のようにこみ上げてくる苦い気持ちまでついてくる。
次の棚卸しのとき、同じ商品を見て、また切なくなるんだろうな。ああ、それまでに転職したい。
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2003年08月18日(月) ■ |
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虫対決!スーパー・コンビニVS野球場・グランド |
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仕事場であるコンビニは虫パラダイスだという話は去年の日記でした。今日も、商品整理しているときに、缶詰の上に、幅6センチくらいの黒い蛾が羽を休めていた。息を飲んだ。そっとその場から離れ、別の商品の整理をはじめたが、気になって、ときたま、様子を見ていた。動いているようには見えないのだけど、でも、なんかさっきと微妙に場所が違うような。客がその蛾のそばに行くたびに、「頼む、刺激しないでくれ〜」と心の中で叫んでいた。
外でする仕事じゃないから、虫とは無縁だと思っていたのに、最近、この仕事が怖くなり始めている。月日がたつにつれ、蛾との逃れようのない交流がグレードをあげてきている。最初は、小さい蛾の死体を目にする程度だったのが、段々生きているものになり、大きさもでかくなり、そのうち、奥に商品が落ちていないかいらったときに、蛾に触れてしまい、目の前で蛾がはばたいたり。そして、カウントする商品の上に蛾がとまっていたり…。今のところ、我を失うような事態にはいたっていないけど、このまま続けていると、どんどん恐怖体験に近づくような気がする。そのうち、今日見たようなデカい蛾がいる商品をカウントしなければならないときもくるだろう。それもその商品1個しかなくて、裏にバーコードがあったりするのが。現に今日の缶詰は、普段なら私が数えている商品だ。今日は巡り合わせがよかったにすぎない。
というわけで、コンビニやスーパーにいるメインの昆虫は蛾なわけだが、ほかにも蚊やハエ、カナブンもいた。小さい小さい蚊が無数に落ちていて、棚の色がわからなかったときもあった。アジアの大衆食堂のテーブルじゃあるまいし。そういえば、バックヤードで、一度ゴキブリもみたような。
一方、グランドでもメインの虫といえば、やっぱり蟻。父兄さんからいただいたコーヒーやジュースの紙コップを地べたにおいておくと、たちどころに蟻の行列ができ、おそろしい事態になる。夏はサンダルでグランドへ行くが、蟻が気になって観戦に集中できないときもある。だって、蟻ってかまれたら相当痛いしね。あとは、ときどき蛾や蝶、蜂がいるかな?こないだ、峰山高校のグランドを散策していると、カブトムシかクワガタみたいな虫をみかけた。茶色で角が生えてたし、たぶんそうだ。
球場は、設備がきちんとしているので、蟻や蛾に遭遇することはあまりない。でも、不思議なんだけど、毎年、夏の大会の4回戦くらいになると、トンボが飛んでいる。夏も終わるんだなと思うのはいつもこのときだ。
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2003年08月17日(日) ■ |
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MVP |
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雨の甲子園ですね。 運営に携わっている人、出場校およびその関係者、そして、応援のために日程を調整したり、断念せざるおえないファンの人たち…。いろんな人がやきもきち、振り回されていることでしょう。(って、人ごとかいっ!)
10年前は、もうちょっとひどかった。今年と似ていて、地方大会の地点で順延順延で、山口代表の光高校が甲子園の切符を手にしてのはなんと8月4日。どないやねん。“野球は青空の下で”がいいけれど、そうとも限らないなあとちょっと思った。大会に入っても依然降り続ける雨。雨天ノーゲームで金星を逃した鹿児島商工(現樟南)に、雨天コールドで負けた堀越。雨が試合に及ぼした影響は計り知れない。
そして、今年もありました。雨のノーゲームに振り回されたチーム。駒大苫小牧、私に情かけられてもしゃあないだろうけど、かわいそうです。倉敷工業は生き返りましたねえ。3回戦進出ですか。個人的に、エースの子、いいなあと思いました。ボールがスボッて感じだったので。いつも思うんですが、4回なら4回、7回なら7回。アウトカウントやランナーをそのままにして、再試合始めたらいいじゃないですか。なんで、ダメなの?
それはともかく。 10年前、受験生という立場を忘れ、甲子園に呆けていた私は、テレビの前で、次の日も試合が出来るように、最終試合が終わったあと、筒のようなものを使って懸命にグランド整備をしてた阪神園芸の職員の姿を目の当たりにしました。心打たれました。今年も奮闘されていることでしょう。
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2003年08月16日(土) ■ |
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曽我くんと稗田くんと |
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最近、週末を持て余している。今日も家でダラダラ。おとんがテレビで高校野球を見ていた。私はとなりの部屋で寝転がって本を読んでいた。なんだかこのごろ、素直にテレビの前で野球を見れない。
でも、やっぱり、気になった。今治西の曽我くん。「義足をしているからという特別な目ではなく、一人の高校生として…」、見れるわけないわっ!彼にとっては、当たり前のことでも、私たちにとっては特別なことだし、一度入りこんだ先入観をなかったことにするには、煩悩が多すぎる(どういうこと?)。テレビで、「曽我くん」という声が聞こえてきたら、本読むのやめて、筋肉番付の寝転がった状態から起きあがって旗を取りに行く競技みたいな感覚で起きあがって、そのときばかりはテレビのある部屋へ移動した。でも、いつも微妙にタイミングがあわず、結局、曽我くんがどんな子か見れずしまいだったんだけど。
第三試合はわりと見てたかな?両校、攻めにチグハグさがあったものの、いいゲームでしたもん。自分と同世代の若手監督が率いていて復活を待っていたPLに、過去2,3回ながら地方球場で試合を見ている福井商業。多少なりにも勝手な愛着も湧いている。地方球場の距離ではわからなかった豊かな表情の稗田投手とか、かなり印象系だったなあ。そうそう、PLのキャッチャーの二葉くんは、人物名フェチの私をすご〜くそそる名前だった。
追伸:今日試合したチームの中に、私の本名と同じ選手がいます。関係ないのに、なんかそわそわしました。
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2003年08月15日(金) ■ |
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結婚しなければ症候群 |
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お盆のさなか、ともきちん家でキムチ鍋をよばれた。私はキムチが食べれないが、ともきちのは大丈夫だった。かなりおなかいっぱいになったあと、二階のともきちの部屋へ。何するでもないので、ともきち宛にきたここ最近の年賀状を見せてもらった。
すると、多いこと多いこと、「私たち結婚しました」に、「新しい家族が増えました」系の写真つきのヤツ。大半が彼女の職場の人だが、中には私も当時はつきあいをしていた高校時代の友人のもあり(私、結構あっさり人付き合いを見切る人だから、昔の友達って少ない)、「こいつもか!君もかいっ」っと、つっこみっぱなしだった。妙なテンションになった私たちは、こともあろうに、写真の中の子供やお相手の顔の評論会を始めた。「この子はかわいいな」「ぶさいくすぎて、びっくりや」「ぎゃ、きっとこの人、気ぃキツイで」。こんな歪んだ娯楽に興じる前に、自分の顔を目の前の鏡で見ましょう…。
しかし、これだけ結婚や出産系の写真が送りつけられ、親からも「誰かいい人はいないの」と圧力かけられたら、結婚を焦らざる終えへんなあと思った。たまにともきちからも、結婚願望たるものをうかがえる言葉を耳にする。私からしたら、まだ焦る年じゃないと思うけど、私も彼女のような環境にいたら、焦っていただろう。幸い、私の周りの人はあまりに結婚していない。
ふと思う、私と同じ年の女性でも、もう幼稚園児や小学生の子供を持つお母さんがいるんだなあ、と。なんか遠い世界のお話だなあ。でも、私はもうそんな歳。そういや、まだ一度も行ったことない、東山野球部のもうひとつの練習場、東山幼稚園のグランド。今なら、園児を迎えにきたお母さんになりすまして、入っていけるかもしれない。ははは。
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2003年08月14日(木) ■ |
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しまっていこう! |
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テレビの前から一歩外に出て、球場やグランドに足を運ぶと、知らない言葉が飛び交っていた。
たとえば、ランナーコーチが「リーリーリー」と言っているのもそうだし、練習で「ボール3つ〜」と言っているのもそうだ。そのうち、人に教えてもらうまでもなく、それがランナーのリードを意味し、三塁を意味することがわかるようになった。
でも、まだまだわからないことがある。ある日、相方が言った。「しまっていこうって、どこをしめるの?」斬新すぎる質問や。はて、どこだろう。私はちょっと考えてから、「さあ、お尻の穴とちゃう?」。
もちろん、そんなわけはなく、気をひきしめていこうって意味なんだろうけど。でも、気って体のどこにあるのか、よくわからないしね。
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2003年08月13日(水) ■ |
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茶坊主 |
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この夏、東山応援スタンドに茶坊主が出現。スタンド最前列でフィーバーしてた。試合中、アナウンスで、「フェンスにつかまって観戦されますと危険ですので、フェンスから手を離してください」といった趣旨の注意が頻繁に聞かれたが、私が見た限り、主犯はこの茶坊主だ。以前は選手や一般生徒も熱くなってフェンスにつかまったり、登ったりということもあったが、今ではそんな子はいない。控え選手たちのいる応援席でフェンスに手をかけて観戦している人がいる試合の結果はあまり良くない。だから、放送が流れるたびに、「お前じゃ、茶坊主、フェンス触んな」とスタンドの遠くからしげしげと睨みつけていた。
茶坊主の正体は言うまでもなく、野球部OB。高校んときはあどけない坊主頭だったのに、頭は真茶っ茶というか、金で、カリフラワーのようなとんでもない髪型になっていたので、ともきちが「茶坊主や」と言ったのはその由来。なんともチャラチャラした格好しててびっくり。ま、何年もこういうことしていると慣れっこになってはいるんだけどね。自分の勝手な妄想で勝手にショック状態になっているのも、馬鹿みたいだし。小さいころから野球野球でいろんなこと規制されてただろうから、はっちゃけたい気持ち、わからないでもないし。ま、やるだけやったら落ち着くでしょう。ということで。
でも、あんまり見たくないなあ。忘れよう。あのころが幻か、今が幻か。
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2003年08月12日(火) ■ |
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悪意に仕組まれたシステム〜テンション下がるっちゅーねん!〜 |
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今日から普段使っている機械の操作方法が変わった。私は下っ端なので、それを出発直前で聞いた。これでもまだ善意のある方で、初めて今の機械を触ったときはまったく何も教えてもらえなかった。(でも、せっぱつまって人に聞いたので、私のわりに覚えは早かった)変更点はいくつかあったが、一番こたえたのは、YESとNOのボタンの位置が逆になったこと。
カウントは、機械にバーコードを通して数量を入力するスタイルをとっているのだが、バーコードが通らなかったり、数量入力を間違えたり、設定した値(個数や値段は異常値が出ないように、最小と最大を設定してある)を超えたらエラーメッセージが出、修正をしなければならない。修正後、「修正してもいいですか?」というメッセージが出て、YESを押したら修正し、NOを押したら今までのことはなかったものとして元の画面に戻る。
さあ、この1年、体(というか指)で覚えた<YES・NO>キー。修正したはずのデータが修正出来てなかったり、修正してはいけないものをしてしまったりで、てんてこまい。ニューバージョンの機械に関しては、新人もベテランもない。みながみな、苦戦したようで、仕事の終わりもいつもより遅く、帰りの車ではイライラを抱えていた。「何が改良やねん、悪意に仕組まれたとしか思えへん」「気ぃつけなあかんなあ」という声があがっていた。私は今日、カウントはあっていたのに、入力を間違え、ミスをしてしまい、ブルーな思いをした。絶対、4って入れたのに、なんで通ってへんねん!
この改良という名の悪意がどれだけすごいネックかというと、長年慣れ親しんだ野球の一塁と三塁がひっくりかえるくらいの事態!どう?明日から、バッターは打ったらまず三塁へ走りなさいと言われたら、いくら一流選手かてミスするでしょ。一度くらい、無意識のうちに一塁へ向かうでしょう。でも、この不景気、慣れていくしかないんですねえ。
そういや、セカンドとショートはよくコンバートされるけど、あれって似ているようで動きはほぼ逆だと聞いたことがある。難しいらしい。内野手は、器用でセンスのある選手が多いから、難なくこなしているように見えてしまうけど。
ある日、守備のうまいセカンドの子が、チーム事情からショートにコンバートした。そこそここなすのだと思っていたら、まったくダメ。ボールははじくし、そのうち、飛びついたら捕れそうな当たりでも、あっさり外野へ抜けてしまうようになった。結局、夏には元のセカンドに戻ったが、後で彼のお母さんに聞いたら、「ショートはイヤだった」らしい。難しさに加えて、やる気もないんなら、しゃあないね。
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2003年08月11日(月) ■ |
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「甲子園」に負けた元受験生 |
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甲子園やってます。社会人になってからは、失業中でも、テレビで見なくなりました。ある女子高生の日記を読んでいると、「甲子園に負けない受験生になる」とありました。テレビでやっている甲子園の試合を見る時間があったら、勉強しないと。そういうことでしょうか。言い得て妙な表現です。がんばって欲しいものです。
って、私がこんなこと言えた義理じゃないんですが。
私、負けまくってましたから。負けるしかない勢いで負けてました。平安高校と初めてグローブをはめボールを持つ子供が試合をするような感じで負けてましたから。ここまで負けていいのか、と。
私、高校2年生くらいから“学校の勉強”を放棄してました。うちは、夏休みの宿題という形ではなかったのですが、9月頭に課題テストがありました。一学期末に範囲が発表され、試験の結果で夏休みの宿題をしたかしてないかと先生が判断するというシステムでした。なんだ、テストの点数さえ気にしなければ、宿題はナシっちゅうことやんか!
てなわけで、私は朝から夕方までテレビ。ときどき球場に足を運んだ。学校の授業で使うはずのノートの表紙に、“夏の甲子園レポート”と書き、妄想新聞記者になりきっていました。これが10年後、HPのコンテンツになるのですから、人生わからないですね。
なぜあそこまで必死だったのか、今となってはホンマわかりません。でも、したかったんでしょうね。ま、文章をまとまる勉強にはなってたのでしょうけど。
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2003年08月10日(日) ■ |
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ジリジリの夏 |
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高校野球にはふたつの夏がある。兵庫は西宮にある夏と、日本全国、土ぼこりのするグランドや練習場にある夏。後者を秋と呼んでいたが、突き抜けるような青い空に、皮膚を焦がす太陽、生き急ぐ蝉の鳴き声が、逃れようもなく夏なんだという事実をつきつける。
練習を見に行った。BGMは、蝉の鳴き声。選手はよく声が出てるのに、なぜか耳についた。蝉は、ミ〜ンミ〜ンなどと悠長に鳴くもんじゃないんだと気づいた。ミンミンミンッと鳴くのと、ジリジリいっているのがいる。やかましいのだけど、切ない。
私がグランドに着いたのは午後。バント練習が始まっていた。グランドの真ん中で投手の生きた球を転がすチームと、片隅でマシーンの打球を転がすチームのふたつに分かれていた。今のところ、どっちがレギュラーに近いかは…。でも、一番印象に残った選手は後者にいた。
彼がバントをしていた姿はよく覚えていない。そのあと、声かけをしていた姿がなんか良かった。2年生なので、下級生に一生懸命アドバイスを送っている。「出来ひんかったらひざついてええんやぞ」「ファウルでもいいから思い切りな」「となりに負けんように声出して〜」「そうや、それでええ」、他具体的な技術的アドバイスもあった。そして、おもむろにバットでラインを引き、「このラインに転がせ」という。側に監督がいたが、指示が出てやってるわけでもないようだ。優しい声だった。決してなあなあではなく。練習中は選手間でも厳しい声が飛び交うチームだが、こういう声も必要だなと思った。
話は飛ぶけど、練習途中、監督から話があって、みんながマウンド付近に集まっていたとき、バッターボックス付近にあったボール(=バントしきれなかったボール)を手伝いにきてたOBがマシーンの側にあった箱の中に戻してくれてたの、気づいたかな?
バント練習のあとは、守備の連携プレー。これが大変なんだわ。いつも雰囲気がケンケンするのはこの練習のとき。これは私が練習を見たことのある大半のチームでも言えるのだけど。名指しで注意される。私は、皮肉にもこれでその選手の名前や特徴、守備位置を覚えるのだけど。
なかなかうまくいかない練習見ながらふと思う。もうひとつの夏が来たとき、これと同じプレーが出たら、ベンチはどう反応するんだろう、と。ベンチ付近の席を陣取る勇気がないかぎり、永遠に謎のままだな。
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2003年08月09日(土) ■ |
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尼崎のNさん、勝負です! |
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当日記の読者Nさんからメールを頂戴していたのですが、ずいぶん長い間返事を出せずにいました。ごめんなさい。で、今日ようやく送信しました。お詫び代わりにおまけをつけてみました。
サイト『ynotグリーティングカード』(http://www.ynot.co.jp/)にある、「ザ・野球対決!」を送付させていただきました。設定は3点リードされた9回裏ツーアウト満塁。受信者にはバッター役で、配球を読んでもらいます。3球勝負で、配球が読めたらホームランが出る設定です。これは、野球好きの人には打ってつけでしょう!
ちなみに私はサンプルをやりましたが、勝ちました。2球連続空振りで、最後の三球目がドンピシャ!感動して、その場で万歳三唱!アホです。でも、わかりやすくて楽しかったです。
Nさんには私が考えた配球を読んでもらうことになります。結果は自動的にこちらにメールで送信されます。どうかな?草野球ながら現役の人だから、読まれるだろうな。日記で私の性格もお見通しだろうし…。
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2003年08月08日(金) ■ |
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男は黙ってヨーグルト |
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平安高校といえば、野球の名門校です。すごく厳しくて、きちんとしてて。衣笠とか檜山とかいう有名なプロ野球選手も輩出しています。地方へ行けば、現地のおっちゃんとかは、「やっぱり平安やろ」と言います。全国区です。(30代くらいの人は、「京商の井口」という人が多いです。20代では北嵯峨や京都西(まだ現校名で甲子園出場がないので)の名前が出ますね)
私は京都に住んでいるため、平安高校には野球の名門校という面以外の「地元の私立高校」としての関わりもあります。小学校時代には私が、中学校時代には姉が模擬試験会場としてお世話になっています。いとこは同校のOBです。野球部じゃないけど。私の通っていた大学は、平安高校の向かいにあります。宗教が同じなんですよ。よく学生を見かけました。宗教科の教育実習に行く際、母校に宗教科のない人は、男は平安、女は京女(京都女子高校)に振り分けられました。私の母校には宗教科があったのですが、キリスト教だったので、京女にお世話になりました。でも、平安に行きたかったです。男の人がうらやましかった。今なら、女子がいるから、女でも平安で実習受けれるのかな?
そうそう、今でも強烈なのが、予備校で隣の席だった平安高校の男の子です。これといった特徴もない子だったのですが、下敷きに「男は黙ってヨーグルト」と書いてありました。何のこっちゃか、全くわかりません…。
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2003年08月07日(木) ■ |
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結局は、関係ないっちゅうことですわ |
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市長からメールが来た。 『おはようございます。今日から甲子園も開幕ですね。今日選手宣誓するのは、友人の嫁の親戚でございます。ご声援のほどよろしく』
ほう。ということは、今日選手宣誓するのは、私の友人の友人の嫁の親戚っちゅーこっちゃな。自称“選手宣誓フェチ”だが、宣誓する本人とつながりがあるのは初めてだ。考えもしなかった降ってわいてきた幸福。こりゃ、大変だ。時間帯からして、私がコンビニでアイスクリームとか数えてるときに、彼は緊張の時間を過ごすことになる。山田くん、しっかりな、しっかり!遠く京都は右京区から声援だ〜。
家に帰ると、おかんが甲子園の話を振ってきた。「宣誓、よかったで」と言った。今言わずにいつ言う。おかんに話した。「今日宣誓した子な、私の友達の友達のお嫁さんの親戚やねんで〜」。バカである。でも、「へえ〜、そうなんや、すごいなあ」と言うおかんもたいがいだ。
「じゃあ、おかあさんも言わなあかんな。娘の友達の友達の…」。続きが出てこない。さっき言ってたのにもう忘れたんかいっ!
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2003年08月06日(水) ■ |
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超個性派みやげ |
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今日、移動中の車で聴いてたラジオで視聴者からの投稿を募集した際のテーマが、タイトルの「超個性派みやげ」だった。というわけで、今日は私が今までもらったおみやげの中で一番“超個性派”なものを紹介しますね。
それは、大学時代の友人・ごだいご氏(もちろんHN。♀)からの中国土産。おかしな人が多い友人群の中でも大学時代のヤツらは濃厚。そんな彼女が私にくれたのは、20元を払って、漢字をアートチックに書いたペナント風のもの。またそこに書いてあった文字が笑える。“東山高校野球部”。
これを私にどうせいと。ま、今でも大事に部屋に飾ってはあるけどさ。
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2003年08月05日(火) ■ |
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眠い… |
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ダラァァ〜。 今日は死んでました。
実は昨日、朝昼晩の3店回りで、その上今日もまた朝から仕事だったのです。チーム4人とも、昨日3店コースだったため、みんなズタズタでした。ありえへんほど眠い。店行ったら、ウォークインやオープンケース、アイスの入っている場所へ直行。暑いからというより、眠いから。昼間はファミレスで食べたのですが、満腹感から眠さが倍増して、みんなあらぬ格好で、爆睡。大晦日にオールナイトして、24時間喫茶で始発を待っている学生状態でした。幸い、24時間喫茶と違い、「寝るな」と注意されることはありませんでしたが、昼間の光景じゃないですね、アレは。
そういえば、私の中には、「野球選手って眠くないのかしらん?」という概念がありません。疲れてるだろうなとか、辛だろうなあ、寒くないのかな?と考えることはありますが、なぜか眠いということを思ったことがありません。
スポーツ選手はよく動くから、家帰ってパタンキューと寝てしまい、睡眠は足りているはずという浅はかな固定概念があるんです。でも、選手も人の子。深夜番組を見たり、デートしたり、テスト前には一夜漬けとかもする…はずです。
眠いというものは存在しています。でも、なかなかお目にかかれません。私がただ一度見たのは、練習試合でカウンターランプの操作をしている子が舟をこいでたときだけです。1年生でなかなかかわいい顔をしていたのを覚えています。そんな彼も、結局3年間背番号をもらえないまま、今春卒業していきました。今どうしてるかは知りません。
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2003年08月04日(月) ■ |
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つれづれともきち日記2。〜感謝の心を忘れない勉強会〜 |
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昨日、ついにともきちは『感謝の心を忘れない勉強会』へとかり出された。(7/6付日記参照)感謝の心を忘れない勉強会ってどんなのか知りたくて、夕方喫茶店で待ちあわせて話を聞いた。
朝9時前に家を出て、えっちらおっちら兵庫県の某所まで。当初、100人くらいのセミナーというイメージがあったが。どっこい。万単位の人が最寄り駅からうじゃうじゃしてた。
受付にいる人は、ピンクのワンピースを着ていて、おそろしく厚化粧だった。不自然なほどの笑顔で言葉遣いがバカ丁寧。なんでも「お」や「ご」をつけたがる。彼らには謙譲語という概念はないらしい。ともきち、「やっぱり来るんじゃなかった…」。
絨毯を敷き詰めた廊下で、経験者の話をこんとんと聞かされる。1人につき30分×4人分。結局は、「感謝の心を忘れなかったら、結婚出来た」とかそういうたぐいのことらしい。ともきちにとって、身につまされた話もあったようだけど。一体何がお勉強なのかわからない。でも、人によっては、毎週末、特急サンダーバードに乗ってやってくる人や、もう数年単位で通っている人もいるらしい。世の中には科学で解明できないことがあるというが、どうやら事実らしい。
結局、昼ごはんの「えびおろしそば」を友人におごらせた(?)あと、「おばあちゃん家に行かなあかんから」とまんまと逃げ出してきた。海を見て、占いしてもらって、ネイルサロンへ行った。こっちの方がともきちらしい。
占いで、ともきちは思いあまって。「私、感謝の心を忘れているから結婚出来ないんですか?」と聞いた。占い師の若い男性は、ぎょっとしていたらしい。それでも、「君は好きなことをすればいいんだよ」と言った。それはアドバイス。あと、「恋愛は、釣りなんだよ。君は、自分で作った水槽に中にいる熱帯魚なんだよ。釣りたいと思うタイプじゃない」とも。彼女は、「熱帯魚なんだよ」という言葉だけを頭にたたき込み、「勉強会なんぞより、占いのお兄さんの方がよっぽど幸せにしてくれるわ」と笑った。手の爪は、ネイルサロンでケアしてもらったため、真珠のように静かに輝いていた。
感謝の心を忘れないことも大事。その勉強会を否定する気はない。でも、幸せの探し方は人それぞれだ。
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2003年08月03日(日) ■ |
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東山活動13年目、始動の日 |
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今日は、新チーム結成後初の練習試合を見に行きました。残念ながら黒星スタート(ああ、悪夢の8回表…)となりましたが、グランドの新しい顔ぶれは、戸惑ったり、緊張したりで、それもまた初々しくて良しです。
2年生部員が少ない故、1年生も多く試合に出ていました。当然ながら、まだいろんなことが仕上がっていなくて、それでもこれからに可能性を感じる選手がいて、そういうことを感じるのもなかなか楽しいです。
今年のキャプテンは、ピッチャーの竹下翔選手。私が見てきた限り、ピッチャーがキャプテンというのは初めてです。2年生8人、1年生28人(多分)。試合に出ている選手も1年生が多いのですが、こういうチームにおける上級生の存在ってすごく大事なように思います。大変だと思うけど、がんばって欲しいなあ。
ギャラリーは多く、3年生父兄さんや選手の姿もあった。3年生はすっかり脱高校球児していた。まだ坊主頭だし、服装も練習着や制服だったけど、彼らが甲子園目指してグランドの中で汗を流していたのはずいぶん昔のことのように思えた。実際は10日もたっていないのに。
同じ観客席にいた選手は、ユニフォームを着ていた現役時代よりも大きく見えた。なんでだろうと思った。それは単純に、ここまで近い距離でその子を見たことがなかったという理由だけかもしれない。余談だけど、彼は試合途中に近くのコンビニに行って、みかんの缶詰を買ってきて食べてた。びっくりした。1票投じたくなった。
練習着を着ていた3年生は、おそらくこれから受ける大学のセレクションに備えてのことだろう。すでにセレクションを経験している子もいたようだった。早い。まだ甲子園も始まっていないのに。でも、これくらいでいいのかもしれない。抜け殻になってしまう前に、次に向かうくらいが。
今日試合で印象に残ったのは、イニングごとにホームベースにかぶった砂をはらっていた選手。彼の動作からは、いい意味とそうでない意味の緊張感が伝わってきたからだ。負けんなよ、辞めんなよ。でもって、もうちょっと力抜いていいよ。私が彼のおかんなら、そう言って肩でも叩きたい。
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2003年08月02日(土) ■ |
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鍛える |
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監督が代わってからだと思う。東山では練習試合の際、塁審をしている部員は、攻守交代の合間を使って、腹筋や腕立て伏せやスクワットをしている。(一度、つられて相手校の選手もやっていた)時間を有効に使いなさい。就任当初、監督が言っていたのを思い出す。
各々の選手が守備位置につき、軽くボール回しがあって…。そのわずかな時間に塁審がしていた腹筋の回数を数えた。50回だった。9回まですれば、18セット出来る計算になる。なかなかの運動量だ。
それにしても、彼らは軽快にそれらをこなしてみせる。私なんて腕立て伏せなど出来た試しがないのに。それでも、3年間試合に出ることなく終わってしまう選手もいるのだ。私はぶよぶよの二の腕を見ながら、「なんとかせななあ」と思う。(でも、なんともしてない…) ま、そんな感じで、選手は体を鍛えている。そして、私たち観客も鍛えているものがある。人によるけど、「もっと野球の魅力を知りたい!」と思う人は、野球を観る目を鍛えている。野球関連の本やテレビを見て頭を鍛えている。炎天下の球場に通って、暑さの中での体力を養っている。
私がこのごろ鍛えているものは、耳である。ベンチの中の声を聞き取るためだ。練習試合やグランド単位での公式戦では選手名がわからない。だから、ベンチの中の声で、選手名を覚えていくしかないのだ。幸い、東山はベンチ内でよく声が出て、グランドの選手に声をかけることも多いチームなので、助かっている。以前は、父兄さんに訊いていた時期もあったが、そうそう甘えているわけにもいかないので。
明日は新チーム初の練習試合。主力の3年生がどっと抜けたため、ほぼゼロの状態から選手名やポジションを把握していくことになる。がんばろう。
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2003年08月01日(金) ■ |
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ダンディズム |
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「曲が終わるまで動かないでください」 やぶからぼうな店員の声にちょっと戸惑った。今日2つ目の現場、百貨店内にある本屋に行ったときのことだ。どうやら、閉店を告げる音楽らしい。すでに客はいなかった。他のみんなも何のこっちゃわからないながらも、その場にとどまった。ただ、ポジションを変えなければ作業をしてもいいようで、声をかけた女性の店員もレジの中のお金を合わせていた。
どれくらい動きが止まっているのだろうと辺りを見渡すと、斜め向かいの小物売り場の前に白髪の混ざった長身の年輩男性が、背筋をピンとして、立っていた。一ミクロンも動かない雰囲気。やがて、音楽が終わった。レジのお金を合わせていた女性店員も、私たちも、やれやれという感じで各々の作業を始めたのだが、その男性は、誰もいない店内に深々とお辞儀をしたのだ。まるでその場にお客さんがいるかのように。開店直後の百貨店に行くと、店員が丁寧にお辞儀をしてくれるが、それと同じことがここでも繰り返されていた。 なんか、すごくかっこいいなと思った。プロフェッショナルってこういうことでもあるんだな、と。今日一日が終わったことにたいするけじめかもしれない。来ていただいたお客さんに対する感謝の気持ちかもしれない。百貨店の従業員としてのプライドかもしれない。知らないから仕方なかったのだけど、彼の仕事場の聖域を侵してしまって、申し訳なく思った。
人が見ていないところで、礼儀正しく振る舞うことはかっこいいと思う。誰もいないグランドに、一礼して入っていく野球部員はやっぱりかっこいい。いい男になってね。
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