初日 最新 目次 MAIL HOME


あるこのつれづれ野球日記
あるこ
MAIL
HOME

2002年07月31日(水)
カーブが投げられないピッチャー


 たとえばこんな場面。1−1でも8−8でもいい、同点で迎えた9回裏、ツーアウトランナー二塁。バッターは4番。カーブを投げれば安全パイだと分かってる。でも、彼はカーブが投げられない。どうして投げるか知らずにこれまで過ごしてきた。だから、ストレートを投げ、打たれる。知らない人は、「なんでカーブを投げなかったんでしょう」とか「キャッチャーのリードに問題があるんじゃ?」とか言う。彼はそれが歯がゆくて仕方ない。ただ悔し涙にくれるだけだ。この先、練習して、練習して、ものすごいカーブが投げれるようになっても、今日の試合で負けたことは覆らない。

 私はほぼ毎日日記を書くにおいて、今ぶち当たっている壁が実はこんな感じ。本当に書きたいことに本当に書きたい表現が使えず、本当に読んでくださっている人に伝えたいことが伝わってないという歯がゆさ。いや、読者の方のとらえ方の違いもあり、自分の思うことがストレートのは伝わらないことは百も承知。それでも、少なくとも、自分の中で納得出来る文章が書けていると、たとえ相手に伝わらなくても、ある程度は納得できるのではないかと思っている。

 ここ数日の日記、とくに大事な起承転結(そんなんあるのか?この日記)の結の部分でそれを痛感する。こんな表現、ありきたりやん。こういう書き方では誤解を受けるかも。もっともらしいこと言っちゃって。じゃあ、それに代わる言葉は何?と言われても出てこない。でも、書くしかない。今の限界を残しておくしかないんだと日々更新ボタンを押す。

 私はただ文章を書くのが好きな素人の姉ちゃんだ。プロの人に比べたら拙い内容でしかないかもしれない。でも、新聞や雑誌や作家のような文章を書こうとは思っていない。ここだからこそ書ける文章があると思っている。そうでないと、読者の方にわざわざここを訪れていただく意味がなくなってしまう。

 今の私が特に探し求めているのは、「ありがとう」や「がんばれ」に代わる言葉。特に、文章の最後を「ありがとう」や「がんばれ」で締めくくるのは、あまり好きじゃない。確かに、純粋な意味でこの2つの言葉を使う必要があるときもある。でも、それは思った以上に少ないんじゃないかと感じるのだ。あまり使いすぎると、本当に実感してこの言葉しかないと思えたときに、安っぽく聞こえてしまうだろう。特にこの2つは、口あたりがいいのでついつい乱用してしまう。

 ストレートが速いピッチャーは、ストレートを投げておけばそう打たれることはない。でも、もし打たれてしまったら、もう後がない。「ありがとう」や「がんばれ」を安直に使うことは、それと似ている。

 私はカーブが投げれるピッチャーになりたい。ここぞというときのストレートは、たとえそれが100km/hそこそこでも、それまでに投げるボールで充分豪速球なりうるからだ。



2002年07月30日(火)
ホンネ


 応援校が甲子園出場を決めました。まだ実感がありませんが、その事実を徐々に受け止めつつあります。今朝は出勤前に朝日新聞とスポーツ新聞を1部購入しました。変な気分です。選手の誕生日や好きな球団や選手が載っているのです。キャハハ、うそ〜ん。なんか有名人みたい〜。そんなことにうつつを抜かしていたら、一度教わった仕事内容をものの見事に忘れていました。人ってこんな忘れるんやと思えるくらいに。


 さて。そんな私がこの事実を受け、最初に思ったこと。それは、「これでやっと楽になれる」でした。ああ、これで夏の大会に合わせて仕事を休んだり辞めたりしなくてもいい。夏が終わることに悲観的にならなくて済む。甲子園にこだわって野球を見る必要もない。もういつ辞めてもいいや、追っかけ。そうや、結婚しよか。あとは他の人に任せた。がんばってください。もう思い残すことはありません。選手には「ありがとう!」なんていうツヤのある健康的な言葉じゃなく、「ほんま、おおきにな…」と息絶え絶えに言付けたい気分。

 試合が終わったあと、閉会式もそこそこに球場を出た。五条にあるファミリーレストランに入り、ともきちとビールをチビチビ飲んでいた。こんなはずじゃなかった。半分あり得ないと思いながらも、もしも応援校が甲子園に出場したらというシチュエーションを想像することはあった。そのときは、応援スタンドを陣取り、父兄さんとかにも誰彼かまわず挨拶をして回り、悦びを分かち合おう。選手の写真とか撮って、そのあとは三条にでも繰り出して、酒を浴びるほど飲もうなどと考えていたのだ。でも、そうなるにはあまりに年月が経ち過ぎていた。だから、今の私たちにはこれが一番似合っている。

 うれしい、うれしいんやけど…。
 私とともきちの間で、何度も口についた言葉。きっと、彼らは私たちがいてもいなくても、こうなっていただろうし、私たちが何をしたわけでもない。それなのに、何故こんなに必死になっているだろう。それがむなしかったりする。

 夏は終わったと思う。最高の形で。
 試合終了後の球場を眺めながら、何故か♪夕焼け小焼けの赤トンボ〜の歌を歌いたくなった。

 甲子園に応援に行かなな、と声をかけてくださる方もいる。でも、私にはもうそんな気力残っていない。あの大舞台で、たくさんの人に見守られて試合をする選手たちを見ると、哀しくて、虚しくて、泣いてしまうかもしれない。それは、あまりよろしくない。それに選手のがんばりを見ていると、私がすべきことはアルプススタンドでの声援ではなく、郊外で黙々とマシーンを打ち込む仕事なんだとしみじみ痛感させられる。



2002年07月29日(月)
みんな、いい顔っ。


 前日、テレビで準決勝の試合の録画が放送されていたので見ていた。まあ、驚きの連続で、みんな“誰やねん!”と思うくらいいい顔をしているのだ。肌つやもいい。テレビ写りがいいようにとベンチのどこかに一流のメイクさんが隠れていそうだ。選手たちは一試合一試合成長したと思うが、その顔つきはあどけなくなっているような気がした。もういいと思った。決勝戦、勝つとか負けるとか、甲子園とか、そういうものにこだわるのは。

 球場に着いたらすでにゲームが始まっていた。応援校の陣取る三塁側スタンドにはまだ空きがあったが、それももういいと思った。ともきちと2人、ネット裏最上段の上にある通路で立ち見することに。制服の他校野球部員の姿が目立った。もう次の夏が始まっているんだなと思った。

 予想外の展開だった。応援校が先制し、なぜか終始リードを奪っていた。スコアは4−3、安打数9、被安打数8、失策1。なんや、普通の野球やん。今日は勝ったことはもとより、それに拍子抜けしてしまった。

 それにしてもリードしている状態は体に悪い。7回くらいからは吐きそうだった。落ち着きなく、周りをぐるぐる回っていた。後ろを振り返ると、熱戦どこ吹く風?とばかりに、穏やかな風景があった。別世界のように思えた。

 試合前、勝ち負けや甲子園に対するこだわりはないと思った。でも、いざとなったら、浮き足だってしまう。まだ試合はわからへんと思う反面、ここまで来たからにはお願いしますっと祈るような思いも…。

 こちらも心境などつゆ知らず、選手達は今日もあのグランドでいい顔をしているのだろう。帰宅後、TVで試合を見守っていた母が、「ほんま野球している高校生っていう顔やったなあ。一人一人きちんと個性が出てきてて」と言っていた。

 9回ツーアウト。あと一つで…。まさか、嘘やろ?夢ちゃうの?絶対、目ぇ覚めたらおかんがおるで。「あんた、今日試合ちゃうの、間に合うんか?西城陽戦」、そう言って起こされるに決まってる。あほな、今日が決勝戦?そんなわけないやんけ。

 最後のバッターが打球を外野に打ち上げた。レフトの選手がキャッチ。とりあえず喜んでおかんと。へたりそうな体を奮起させ、ともきちと飛び上がった。「やった〜」とか言ったんだと思う。それからの記憶があまりない。

 ベンチ前で選手が思い思いに仲間と抱き合っていた。スタンドはものすごく沸いていたのだろうけど、その歓声は何故か耳に入ってこなかった。気付いたら、胴上げが始まっていた。激励会とき、父兄さんから監督さんに手渡された紫のメガフォンだけが目に鮮やかだった…。
 



2002年07月28日(日)
夕焼けが知っていた…


 昨日、友人からメールをもらった。何かと思えば、『夕焼けが気味悪い』という。当日は一日家にこもってPCに向き合っていたので、気付いたら夜だった。わざわざ夕焼けを気に留めることもなかった。

 気になったので、どんな夕焼けだったかと訊くと、『青空が残っているのに無理矢理夕焼けにしたような感じで夕焼けが紫なったいましたよ』と返ったきた。そら、気持ち悪いわ。厳密にいうと、青と紫だったそうだ。実はこれ、今日対戦した両校のカラーなのだ。青は対戦相手校のユニフォームの色、紫は応援校のスクールカラー。友人のメール文中でそのことに知った。

 体裁のいいドキュメントなら、これが好ゲームの兆しとして取り沙汰されるんだろうな。でも、今回はさずがにそれはないだろうと思った。ところが、今回はそんな体裁のいいドキュメンタリーと成り得てしまったのだ。


 今日の試合のテーマは、「ええぞ、ええぞー、思い残すことなく打たれてこ〜い」。初回、ホームランを含む5本のヒットでいきなり4点を取られた。いきなり打者一巡した。それでも、私たちは「よっしゃ、よっしゃ、よく4点で止められた!」と拍手を送った。こちとら、勝ちなんて意識していない、気楽なもんよ。

 …ところが、その裏、いきなり3点を返す。左方向に飛ぶ打球を見ながら、「嘘や、嘘や」とうわごとのようにつぶやいていた。その上、2回には同点に追いついてしまった。さあ、大変!相手校も動揺しているかもしれないが、こちらも変な汗をかいてしまう。

 リードされろ、と思った。選手が緊張感を持って試合に臨むにはそれがいいと思ったから。自分たちの力を過信せずに終盤までいけたら…。というわけで、打たれるたびに、「よっしゃ、いいよ、いいよ、それで」とともきちと2人して頷いていた。端から見たら、「どっちの応援してんの?」った感じだったろうな。

 クライマックスは6回裏、ツーアウトランナー一二塁で、相手校のエースが登場。こちらは4番バッター。絵に描いたようなシチュエーションに引き込まれる自分はちょっとらしくないななどと思ったけど。

 相手ピッチャーの投球練習が終わった。応援校の4番が打席に入る。肩をつり上がらせて見守った。試合が決まるとすら思った。2球目、4番打者は素直なセンター返しをしたんだと思うが、いかんせんパワーがある。打球は、打席に込めた気持ちをも乗り移ったかのように左中間奥深くまで飛んだ。俊足のランナーがホームイン。この試合初めて、リードすることになった。

 ああ、怖い。リードだなんてこんな中盤では早すぎる。するなら8回くらいでええねん、8回くらいで。今日もまた、心臓に悪い試合を見守ることになるのか…。頼む、守りにだけは入ったらあかんで。

 7回に1点を返され、むしろ安心した。しかし、グランド内に何かがいるとしか思えないような事態が相手校に襲いかかる。打球のイレギュラーの連続、普段ならあり得ないような守備妨害…。そんな中、懸命に投げるエースピッチャー。前日、平安高校を3安打完封したピッチャーだ。打てるはずがない。実際、球威に押されていた感があったのだが、打球が飛べば、ボールが野手のグラブを厭がるかのようにバウンドする。糸が絡まってにっちもさっちもいかない。そんな感じ。

 「ピッチャー、かわいそう」「一体、どうなってんの」。スタンドではそんな声も出ていた。しかし、私の立場はそう発言することが許されない。油断したら試合の流れなんてあっという間に持っていかれてしまう。結局、相手のエースピッチャーはアウトの大半を三振で奪い、ベンチへ引き上げた。

 さて、応援校のピッチャーも気迫では負けていなかった。8回無死一塁から、こちらもエースの登板。一死一三塁のピンチを2者連続三振で奪い、続く最終回もアウトはすべて三振で奪った。最後のバッターが空振りした瞬間、小柄なエースが手を一杯に広げて、ガッツポーズをし、キャッチャーの元へ飛び込んだ。帰宅しれから、TVで確認すると何かを叫んでいたようだ。彼のあんな姿、初めてみた。ただゾクゾクした。26歳の私が18歳の男の子を“かっこいいな”と思えた。
 



2002年07月27日(土)
ささやかな武器

 
 昨日の話で恐縮ですが。

 すでに、みなさんがご存じの通り、昨日の第四試合で平安高校が福知山成美高校に0ー8でコールド負けしました。実は、大会前から優勝候補の一角に挙げられていた同校ですが、京都の高校野球ファンの間では「立ち上がり、もしくは一巡目で得点できれば、勝てるのではないか」ということがささやかれていました。

 しかし、いかんせん好投手を擁し、強豪の平安。作戦が分かっていても、実行に移すことはたやすくありません。実際、わかっていながらも敗れていく高校をいくつも目の当たりにしています。しかし、それをみごとに実践したのが昨日の福知山成美でした。

 初回、いきなりホームランが飛び出し、これが平安の大会初失点。続く2回には積極的な走塁で2点目を陥れたのですが、平安相手に誰一人気後れを感じていないようでした。むしろ、上から見下ろしているような貫禄すらありました。自信というものなのでしょうか?

 エースの安達投手は思ったより小柄で、少年っぽさを残した顔をしていました。三振をうばったり、チームメイトがヒットを打ったりすると、マウンドで、ベンチ前で、体一杯に喜びを表していました。平安相手にたくさんの三振を奪い、ヒットもそれほど打たれてなかったように思います。純粋に「いいボール投げるなあ」と思いました。残念ながらそれを説明する具体的な語彙を持ち合わせてはいないのですが。見ていると、思わず応援したくなる雰囲気を漂わせています。

 私が一番印象に残った選手は、セカンドの萩野選手です。全身これバネといった動きには目を奪われます。ゴロを処理するときやボール回しのときなどのふとした仕草がはじけてるなあと思ったのです。セカンドの土の下にバネでも組み込まれているんじゃないかと思ったくらいです。ヒットも打っていたし、走塁も積極的。ベンチに戻っていく顔をちらっと見たのですが、度胸ありそうやなという印象を持ちました。ま、応援校のセカンドも負けてはいませんがね(苦笑)。

 快勝したにも拘わらず、浮かない顔をした選手が一人いました。チームは勝ったけど、自身の結果に納得がいかなかったのでしょうか。わかりませんが、こういう選手の存在、実は大事だと思うのです。チームは一致団結していなければいけないのですが、視点の違う選手がいることで乗り越えられるピンチもあるのです(ま、明日は勘弁して欲しいのですが(^^;))。

 それにしても、こんなチームと明日どういう試合をするのでしょう。怖いような、楽しみなような…。きっとどんな強いチームにだって、ピンポイント的欠点があるはず。それは一体どこ?そして、応援校の首脳陣はどこまで把握しているのだろう。疑問はつきません。

 形勢不利は間違いありません。今までに増して地力のある強いチームだということも実感しました。スタンドでゲームを見守っていた選手たちはどう思っているんでしょうね?

 でも、ここまで勝ち上がれたからこそ、強いチームを対戦できるのです。挑戦者の気持ちで、というより実際ほんまに挑戦者なのだから、チームを支える“攻めの気持ち”で試合に挑むことができるます。実は、これこそささやかながら大きな武器なのではないかなと思ったりしています。

 いい試合になりますように!


追伸:ゲームセットの瞬間、一塁コーチャーボックスにいた高塚選手を見ていました。後ろポケットにスプレーを入れていた彼はゲームセットの瞬間、がっくりと肩を落としていました。アクションの小ささが余計胸に迫ります。



2002年07月26日(金)
ホームベースに神がいる…


 家を出るとき、緒戦から一貫して「今日は負けるから」と母に告げて出ていく。もうすでに4回目、一種のジンクスになってしまい、今更「今日は勝てるかも」などとは言えなくなってしまった。

 負けてもともと、どん底のチーム状態を目にしている以上、ここまで来ただけで充分。今日もそういう心構えでグランドが放水で湿っていくのを見守っていたが、場内アナウンスを聞いたてそうでもなくなってしまった。さあ、大変。世界中の神様、仏様や四方に散らばっている運や勢いをかき集めてでも、この試合、勝たせてあげたいなどとらしくもないことを思ってしまった。

 その原因は、今日の先発ピッチャー・植村投手にある。6/23付の日記で書かせてもらった選手が、実は彼のことだ。日記では「もし彼が公式戦に登板したら、名前のアルファベット表記を外ししょうか?」と締めくくったのだが、まさかそんなときが本当にくるとは思っていなかった。ごめんなさい。

 しかし、チームがこの先勝ち進むにおいて、彼の登板は必須事項だったのかもしれない。すでに2人のピッチャーが登板しているが、正直、ピッチャーはたくさんいるに越したことはない。監督さん、粋な計らいを見せてくれますねえ。

 みんなしっかり守って、打ちまくってください。そう願をかけたころ、プレーボールの声がかかった。

 結局、同点に追いつかれた6回に降板してしまったけれど、よくがんばったんじゃないかと思う。確かに中盤からは四球が目立ち始めたけれど、ピンチのときでもストライクがズバズバ決まっていた。最後の夏、確かに足跡を残したと思う。出来たら、ゲームセットの瞬間をマウンドで迎えて欲しかったけど、これでも充分だと思った。


 さて、試合はクライマックスへ。1点をリードされたままで迎えた9回表、ツーアウトランナー二塁、打球はレフト前にポテンと落ちるヒット。ランナーはすでに三塁ベース付近。レフトがバックホーム、ランナーは本塁へ向かう、キャッチャーがボールをキャッチ、ランナーが駆け込んでくる、キャッチャーがすばやく姿勢を変えてランナーにタッチ、ランナーはそんなキャッチャーから精一杯体をそらしてホームベースに手をかすめる…。

 アウト!夏が終わった…。
 私はそう思った。

 そして、今までのことが走馬燈のように駆けめぐろうとしたとき、主審が砂ぼこりの向こう側で手を水平にしていた。

 セーフ!
 スタンドが沸いたことが言うまでもない。そのとき私が思ったこと。“ホームベースに神がいる…”。

 「んな、あほな」と思われるかもしれない。野球を知る人は「キャッチャーのおいタッチなんじゃないの?」と言う。また、日々の鍛錬の成果だと言う見方のあるだろう。全て間違ったことを言ってはいないし、私より遙かに視界が広いと思う。でも、乏しい野球知識しかなく、選手が日頃どういう練習をしているか知らない私は、あの極度な興奮状態の中、そこまで冷静にはなれなかった。

 裏の守りだったため、延長に入ってからは緊張感が高まるばかり。裏の攻撃をしのぐと虚脱感に似た気持ちで、深いため息をついてしまった。しかし、延長11回に一挙5点をあげ、その裏1点を入れられなおも満塁のピンチではあった(このチームらしいといえば、らしいのだが)けど、どうにかしのいだ、勝利を収めた。

 11回表、6点目の入り方も実は9回と似ていた。ランナーの積極果敢な走塁。足の速い選手ではあるが、きっとそこに何か確信めいたものを感じたんじゃないかなと思ったりする。
 



2002年07月25日(木)
信じることって、簡単じゃないよ。


 高校野球の夏の大会が繰り広げられています。いろいろな試合で、喜ぶ人もあれば逆の人もいます。よくファンの人が応援しているチームが勝ったときに、「私はこのチームが勝つと信じていました。だから、嬉しすぎて泣いてしまいました」といった類のことを口にされますが、私みたいなひねくれ者は、「うそ〜ん」と思ってしまいます。

 本当に勝利を信じ切っていたら、感激したり、泣いたりするでしょうか?感情起伏というのは、その人本人の想像や予想の域を超えたときに生まれてくるものではないでしょうか?だから、大会で勝った選手が感激しながら、「信じられません」とコメントするときがありますが、あれは素直な感情なんじゃないかなと思ったりするのです。

 私の応援している学校は、綱渡りのような試合を繰り広げています。そのたびに、身を削られる思いでいます。本当にチームの勝利を信じていたら、ノーアウト満塁のピンチも、ツーアウトランナーなしでチャンスの芽すら見いだせないときも、胸の鼓動が激しくなったり、冷汗をかいたり、握りしめた手に力をこめないんじゃないかと思います。

 一瞬一秒でも、負けるかもしれない、勝てないかもしれないという不安におびえてからこそ、勝ったときに泣いたり、叫んだり、抱き合ったりするんじゃないでしょうか?

 
 先日、知人がこんなことを言っていました。
「“負けない”ということを口にする人は、負けると思っているのかもしれない」と。なるほど。“信じてる”と口にする人は信じられなくなるという不安をかき消そうと必死だったのかもしれない。



2002年07月24日(水)
“がんばり”の確かなかたち


 試合開始が遅く、その上打ち合いの延長戦、終わってみれば日はどっぷり暮れ、ナイターでのゲームとなった。序盤は楽勝ムードすら漂っていたが、さすがは西高、わずかな試合の流れをすかざすモノにし、9回にはついに同点に追いつかれてしまった。

 試合が本当に盛り上がってきたのはその9回くらいから。応援団の子が観客に“立ってくださ〜い”と呼びかけた。ここ数年、手拍子すらしないでスコアをつけることに専念している私だが、さすがに立ち上がってしまった。そして、不覚にも“かっとばせ〜”と声を挙げていた!自分で自分にびっくりした。

 ああ、この感覚だ!

 声援って、選手に送っているものだと思われがちだが、むろんそうであるのだけれど、本当は自分を奮いたたせるためでもある。終盤、押しに押される試合、緊張感で頭がクラクラしてくる。ゲームを見守りながらも、私は呼吸困難になっていくのを感じていた。“がんばれ、がんばれ”というより、“酸素くれー、血液くれー、はよなんとかしてくれな、マジで倒れるー”という思いの方が勝っていた。そんな症状が声をあげることによって、紛れるのだ。

 延長に入ったころには、“そうや、一つずつアウト取っていったらいいんや”とか“ストライクたのむで〜”とか“犠牲フライでええ、ます1点!”“大丈夫、君は打てるから”などと口にしていた。完璧にネット裏のおっさんやんか。

 1点リードされ、延長10回裏を迎えた。回が進むにつれ、裏の攻撃で良かったとつくづく思った。このときには、何故が不思議と呼吸困難の症状は収まっていた。もう数年前だが、同じ相手に延長戦で勝った経験がある。それが私が初めて見た対外大西戦の勝利だったのだが、ふとそのときのことを思い出した。試合経過を見ていて、なんとか同点にはなるのではないかと思った。実際、追いつかれそうになったら、必ず得点していたし。

 犠牲フライで同点に追いつき、ツーアウトランナー二塁になった。ここで代打コール。監督さん、ここで決めるつもりやな。5回には2連続スクイズ失敗(多分)で流れを持っていかれただけに、ここは攻める。このチームに、“守る”の言葉は似合わない。攻めていくしかない。そんな気がする。

 相手ピッチャーが投げた初球は、センターの頭上を越した。センターは背を向けボールを追いかける。間に合うのがわかっていても、必死で“走れ、走れ〜”とランナーに声をかけた…。

 カクテル光線の下、♪法の教えに底深く〜 が響く。緒戦突破すら怪しいと思っていたチームだが、今日の選手たちほど“がんばった”という言葉がふさわしいと思えたことはない。押されても押されても跳ね返し、最後まで諦めずにこつこつ得点を重ねた。もちろん、いつもがんばっていると思うのだが。今まで、勢いで勝ったことはあったし、流れに押されて負けたこともあったし、自滅して負けたこともあった、そして、がんばっても勝ちにつながらないこともあった。土壇場、最後の夏でがんばりが初めて形となって現れた勝利。

 ここ1,2年敗れなかった夏4回戦の壁を、最高の相手で破ることができた。この試合、所要時間が3時間23分。延長戦ではあったが、かなり時間がかかっている。その一因は、相手校の再三の投手交代にあった。終盤からは、バッターの左右でピッチャーを変える徹底ぶり。“プロ野球かいな”と思っていたが、その撤退ぶりに敵ながらあっぱれだと思った。

 スタンドでは、高校野球にあるまじき継投にヤジが飛ぶこともあった。実際、私も昔なら「それだから西高は…」と思っていたかもしれない。でも、今は違う。ここまでして、勝ちに来てくれている。そこまで切実に勝負を挑まれていることに誇りすら感じてしまった。


おまけ>応援校全得点の記録(攻撃は裏)

1点目>1回、四球のランナー(3番・野口選手)を置いて、4番・梅田選手がライト線のタイムリー→1−1
2点目>1回、5番・渡辺選手の打球が相手のエラーを誘う。→2−1
3点目>2回、一死ランナー三塁から一番・今堀選手がセカンド強襲のタイムリーヒット→3−1
4、5点目>3回、二死ランナー一二塁で、7番・立本選手のタイムリーツーベース。→5−1
6点目>4回、一死ランナー三塁で、3番・野口選手のスクイズが内野安打に。→6−1
7点目>6回、一死ランナー三塁で、5番・渡辺選手がレフトへ犠牲フライ。→4−7
8点目>8回、一死ランナー一塁で、5番・渡辺選手のタイムリーツーベース。→8ー7
9点目>10回、一死ランナー三塁で、7番・立本選手が犠牲フライ。→9−9
10点目>10回、二死ランナー二塁で、代打・川上選手がセンターオーバーのサヨナラタイムリー。10x−9
 



2002年07月23日(火)
わきまえる


 いくら熱心に応援しようとも、どんな犠牲を払って観戦しようとも、選手や首脳陣、父兄のみなさんと“同じ”というわけではない。スタンドと観客が一体になるということはあっても、“同じ”ではない。そこをわきまえようと思っている。

 私が一番関わるのは父兄さん。仕事の合間をぬって、試合観戦やお茶の準備、ゴミ収集などの後かたづけ、また私学なので授業料だけではなく野球部費も決して安くはないだろう。不景気と言われて久しいが、共働きの方も年々増えてきている。社会で曲がりなりにも仕事をしてみたら、改めてそう痛感のだ。

 応援を始めると、正直、ただのファンから脱皮したくなるし、誰かに応援してもらっていることの熱心さを認めてもらいたいし、情報を知りたいし、話も聞きたい。でも、私はそこから抜け出そうと思っている。そこから生まれるマイナス感情が怖いからだ。

 昨今、高校野球のHPを見ていると多くのファンの人が、応援校の父兄さんや関係者によくしてもらっていることを書かれている。もちろん、私もその一人なのだが、私が10年かけても辿り着けない境地にいとも簡単にありついている人もいる。うらやましくないと言えば嘘になる。だから、私は逆を行こうと思った。年月とともにいろんな関わりを断っていこう、と。

 何年か前、こんなことがあった。

 その年は夏の大会で上位に勝ち進んでいた。私とともきちは、ほぼ毎日同じ席を陣取っていた。そこはグランドが見やすいし、父兄さんや応援団も見える絶好のポジション。そうしているうちに、そこに座っているとチームが勝つというジンクスが出来てしまい、暑くても席を変えることが心許なくなってしまったのだ。

 決勝戦当日、いつものようにその席に座っていたら、父兄さんに「そこ、校長先生座らはるからどいてんか」と言われた。私たちがまるで悪いことでもしているかの勢い。私たちは顔を見合わせたが、「すみません」などと言って席を立った(今思ったら、「なんで謝らなあかんねん」となるのだけど)。そのとき、私は強烈な虚しさに襲われた。ああ、どんなに一生懸命応援しても、所詮関係者にはかなわないんだな、と。いっそ、「迷惑やから、応援を辞めてくれ」と言ってくれないかな。楽になれるのにと思った。

 甲子園をかけた試合前、チームもスタンドも大いに盛り上がっている中、私は心の温度が下がっていくのを感じていた。誰が悪いわけでもない。「どいてんか」と言った父兄さんにも日頃からよくしてもらっていた。それだけに、今まで聞いたことないような冷たい口調がショックだった。また学校自体が存在していない以上、私の応援も成り立たないため、校長先生によりよい環境で試合を見ていただくことも悪いことではない。もう少し若かったら、「なんやねん、校長やからって、決勝戦だけ来て。私らは緒戦から見てんねんで」とプンプン出来たのだけれど。

 過剰な行動に出てしまいそうになるときは、いつもこのときのことを思い出している。落ち着け、落ち着けと自分に言い聞かせる。もう一度、チームやスタンドがオーバーヒートするようなときが訪れたら、そのときはなるだけ冷静にいたいと思う。

 今、私はわきまえなければならないと思っているのは、試合後父兄さんの応援席に行って、「おめでとうございます!」の挨拶へ行くのを辞めること。分かっていてもついやってしまう。あそこはあくまでみなさんの世界なのだから、私が入ってはいけない。嬉しい反面、いつも小さな後悔に苛まされる。(ま、眺めるだけは眺めたいとは思いますが。文章書くにおいていい素材が転がってるので、それだけは許してくださいね)


 最後に。こういう追っかけ的応援をしている人にはそれなりのこだわりがあると思いますが、私のこだわりはちょっと変わっているかもしれません。それは、いつかチームが夏の甲子園に出場することが出来たとき、敢えて試合を見に行かないことです。ああ、一度は口にしてみたいなあ、「甲子園行くんやろ、(応援校の)試合見に」と聞かれたときに、「いえ、仕事があるんで」と。



2002年07月22日(月)
ヤジはやめときましょう。


 高校野球を見るにおいて、気になるのが相手校に対するヤジですね。ヤジと言ってもいろんな内容のものがありますが。別に、“高校生がやっている野球だから”とか言う気はありません。それはたくさんの人の思いですし、今更私が言うまでもありません。

 ただ、ヤジは相手校のためだけではなく、応援校のためによしておいたほうがいいんですよ。だって、試合の流れを変え兼ねないんですから。

 試合をするのは選手です。いくら熱狂的な応援が支えになるといえど、所詮限界があると思います。だからと言って、“関係ないわ”というわけにもいかないのが皮肉なところなんです。球場に入って、応援席に腰掛けてしまった以上は。

 攻守交代の間の場内は、案外静まり返っています。大接戦だったら別ですが、やはり静かですね。そんなとき、観客席から相手校を煽る言葉が聞こえてくるときがあります。プレーがかかっているときになら、まず聞こえてこないかもしれない声でも、よく通るんですよ。広い球場ならもとより、会場によっては内野スタンド上段からでも選手の表情が判るほどの小規模な球場もあります。そんな球場でなら、なおも致命的。

 実際、ヤジられた相手校がそのあと打ちまくって、逆転をしたり突き放しにかかったりする試合を何度か目の当たりにしています。実は昨日の試合、終盤に応援校のスタンドからその類の声が聞こえたんですよ。もう、ヒヤヒヤしましたね。次の対戦相手は手強いですから、流れを終始引きつけておかないとゲームにならないかもしれません。“うっかりヤジ”などがないよう、強く願います。



2002年07月21日(日)
呼吸を止めて


 ♪ 呼吸を止めて 一秒 あなた真剣な目をするから〜。 確か、そんな歌詞だったと思います。今や伝説的な存在でもあるテレビアニメ『タッチ』のテーマ曲。最近、再び多くの学校で応援曲と使われるようになり、我らが応援校でも今年から導入されたようです。

 しかし、ほんま呼吸を止めてしまうのは、応援校の守備です。外野陣は心配していないのですが、内野がねえ…(^^;)。打球音がしてボールが向い始めてから、野手がそれを捕球し、送球し、別の野手がそれを捕球し、審判が「アウト」を宣告するまでマジで息してませんよ、私は。内野ゴロが続くと、酸欠状態になるんですわ。

 
 今日は、夏2戦目。1戦目とは違う緊張が体を縛り付ける。前回は、失礼ながら“負けてもともと”と思っていたのですが、今回は前評判で応援校が有利とされているだけに、負けたときを考えるとぞっとするのです。また、現チームはその可能性を否定しきれるとも思えないので、なおも不安。“勝てる”と思われていた相手に負けることのみじめさやショックや恥ずかしさは、ほんま体に悪いです。

 14時試合開始に合わせてきたはずが、入場券を買っている地点ですでに試合は始まっていたようで。球場に入ると、すぐ真正面に電光掲示板が見えるのですが、そこにはすでに“3”が刻み込まれており、なおも攻撃中。よっしゃ、よっしゃ。たまにはこういう試合をしてくれんと。

 ところが、ところが、その裏にあっさり同点に追いつかれたんですね。はあ、そうきますか。ため息をついてしまった。やはり、“勝てる”とか“打てる”とかいう言葉は禁句やな、このチームには(苦笑)。(ただ、この過程に関しては両校に関係ないところで言いたいことがあるのですが、それは後日ということで)

 ですが、この3失点。結果的にはいい風に作用していたと思います。逆転されてもいけなかったし、1,2点ですんでもいけなかった。同点になったことにわりと意味合いがあったのではないかと思います。いい意味での緊張感がよみがえってきたように感じました。

 結局、序盤で6−3と相手を突き放すことに成功。あとはエラーで相手にチャンスをあげないことを願うだけ。そうして、私は呼吸に不自由しながら試合を見守ることになりました。ですが、中盤以降、相手バッターが打ち上げてくれることが多くなり、“このまま、行けっ、このままっ”と淀競馬場にいるオヤジ化してました。

 8回に1点取られたものの、終わってみれば9−4。はたから見ると、快勝でも私にとってはなかなか息苦しいゲーム内容でした。とはいえ、2番手投手が完投&好投。これは大きな収穫です。



2002年07月20日(土)
やっぱり行けない美容院


 今日は、野球観戦オフ日。明日に備えてエネルギーを温存することと、ずっとたまっている日記を更新すること、そしてお財布の中身が「勘弁してくれや〜」と言っているので。

 美容院にでも行こうかと思い立った。もう梅雨も明けたことだし、これからもっと暑くなるだろう。髪の毛、すっきりさせとかんとうっとおしくてかなわん。でも、一歩を踏み出せないまま、もうすぐ日が暮れる。

 一昨日、応援校が無事初戦を突破。球場内にいた私にはきっと全身にその時の空気が染みついている。今髪の毛を切ることは、その空気を一部断ち切ることになる。ほんまは風呂に入って体を洗うのも忍びないが、さすがにそれはしゃれならんので、昨日の朝にシャワーを浴びたけど。

 私が髪を切ろうが何しようが、試合の勝敗に関係ないことは百も承知。でも、やっぱりあかん。

 髪の毛はいつでも切れるけど、2002年彼らの夏はもう二度と訪れない。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 明日は、暑い夏になればいい。
 実は、私が思う応援校のキーパーソンはまだ活躍していない。
 彼は、暑いときに調子が上がる。
 だから、暑くなればいいと思う。



2002年07月19日(金)
“ホームランかっとばせ〜”


 私が高校野球を見始めた1990年は、“かっとばせ〜○○(選手名)、××(相手校)倒せ〜、おうっ!”の終焉期だった。“××倒せ”はよろしくないということで、高野連あたりが何か言ったのだろう。翌春の選抜を見たときにはものの見事に“かっとばせ〜○○、△△(自校)ファイト〜、おうっ!”に変わっていた。飼い慣らされた動物みたいで貧弱やなあと思っていたが、応援校がこの方式を採用していたこともあり、だんだん好きになった。

 そして、それも1993年あたりから変化を見せ始める。“かっせ、かっせ、○○、かっせ、かっせ、○○、かっとばせ〜○○!”となったのだ。学校名は一切出てこない。高校野球に漂うアンチ個人主義への反論なのかと思ってしまった。私はなぜかこの応援に素直になれなかった。でも、時代はそんな私の置いてぼりにして、“かっせ、かっせ”がどんどん普及していった。今では大半の学校が採用している。

 今日、久しぶりに“かっとばせ〜”応援を耳にした。昔は“かっせ、かっせ”がせわしなく思えたが、今では“かっとばせ〜”が随分のんびりした応援のように思えたから不思議だ。慣れというものは怖い。

 ところが、今日耳にした“かっとばせ〜”応援はちょっと変わっていた。“かっとばせ〜○○”までは同じなのだが、そのあとは“ホームランかっとばせ〜、おうっ!”となるのだ。

 うわ、わかりやす。

 なんか高校野球って、ホームランとか三振とかいう華やかなものを露骨に求めるのはよろしくないっていう空気が漂ってませんか? 現場はもとより、観客の中にも。だから、こういうストレートな応援がどんどん姿を消しているように思うのですが…。

 4番であろうが、9番であろうが、相手校がどこであろうが、“ホームランかっとばせ〜、おうっ!”

 この日の対戦相手校は、選抜出場校でV候補の一角・平安高校。0−9で迎えた8回。ここまでのヒットはまだ1本。バッターは代打。そんなときでも、声援は、“ホームランかっとばせ〜”。なんかいいなあと思った。ここの応援団は高校野球に対してでしゃばっていないなと思った。

 サッカーW杯の影響で、新たな応援を耳にするようにもなった。応援はこれからも変化し続けるだろう。もちろん、どんな応援になれど、声援を送る側の思いは変わらない。でも、私の中での原風景はいつまでもこの“かっとばせ〜”だ。
 



2002年07月18日(木)
うれしかったこと

 今日は、応援校の夏初戦だった。前日の夜は1時間ごとに目が覚め、眠ったという実感のないまま朝を迎えてしまった。“遅刻してでも朝食は食べる”が学生時代からのモットーである私が、用意されていた朝食に手をつけずに家を出た。

 阪急電車に乗り込んだ辺りから奥歯と下腹が痛くなってきた。キューっと締めつけられたような感じ。車内アナウンスが「次は西京極〜」と伝えると、いよいよ吐き気すら催して、思わずえづいてしまった。

 緊張感が抜けたのは、不覚にもエラーが絡んで相手チームに先制点を取られたときだ。エラーはいつものこと。おできの膿じゃないけれど、出すだけ出したら大丈夫?! それでも、5点のビハインドは大きい。幸い序盤だったので、「まだ大丈夫」という声がちらほら聞かれたけれど。

 けど、今までと違うなと感じたのは、3回の5点以降、追加点を取られなかったことだ。今までなら連鎖反応を起こし、エラーも失点も増える一方でにっちもさっちもいかなかったのに。ま、危なかったことは危なかった。安心して見てられるのは、セカンドだけ。♪みなさ〜ん、打球はセカンドにお願いしまっす。ゴロ、ライナー、フライ、なんでも承りま〜す、なんていうくだらないキャッチフレーズを思いついたりしていた。

 <返す返す3回の5失点が悔やまれる。あーあ、なかったことにしてくれへんかなあ?でかいでかい修正液でまるごと消せへんかなあ。>今日の日記はこんな感じで締めくくろう。そんなことすら考えていた。

 幸運なことに、6回、セカンドゴロの間に1点入った。1−5。よかった、1点取れた。でも、どうせならあと2点くらい欲しいなあ。ちゃんとしたタイムリーとかで。なんかこのままやとちょっと淋しいやん。私の気持ちはこんな程度だった。「これでいける」などとはこれっぽっちも考えていなかった。でも、スタンドはそうではなかったようで、全体的に元気になり始めていた。

 リードを許した終盤、ランナーが2人ほどいる場合、ふと「もしここでホームランが出たら…」となどと考えることはありませんか?取らぬ狸の皮算用ならぬ、取らぬ点のスコア算用。

 今日の私もそんな感じだった。

 7回裏、3−5になった。私はここでもまだ勝つとは思えなかった。2点ともエラーが絡んでいる。前の試合を見ているだけに、これ以上相手がエラーするとは考えづらい。

 しかし、どうやらここで試合の流れはかわっていたらしい。

 ツーアウト一二塁。バッターは、3番。ここでホームランが出たら、6−5、逆転か。今まで腐るほどよぎった思いであり、記憶にないくらい想像に域を出ないで終わったもの。深い意味はない。スーパーで予算ギリギリの買い物をするとき、消費税を含めた値段はいくらになるのだろうと目安をつけるのと同じレベルの話だ。

 ところが、打球はレフトの頭上を越え、フェンスオーバー。審判が手をぐるぐる回す。当然スタンドも沸く。私は何故かうずくまっている相手校の外野手を見つめていた。まだ試合が終わったわけじゃないのに、すごい落ち込みようでびっくりした。それだけの緊張感の中、試合が展開されているのか…。

 結局、試合は9−5で見事初戦を突破。前日、知人が「打ち合いになったら(応援校に)勝算があるのでは?」と言っていたのを思い出した。父兄さんたちはさかんに握手、8回裏に公式戦初HRを記録した選手の親御さんは半泣き状態で「みなさんのおかげです」を繰り返していた。スタンド中段でしたり顔で試合を見ていた新OBたちもいてもたってもいられなくなって、応援団席に乱入。フェンス前にいた若い女の子は応援団の振り付けを真似て踊っていた。

 私は心の中で、「嘘や、嘘や。こんなはずない」、ずっとそうつぶやいていた。興奮する自分を落ち着かせようとしてたのかもしれない。

 でも、私が何より嬉しかったのは、逆転3ランが出たときに、一緒に手を取り合って喜べる人がいたこと。試合前、一人でスタンドに腰かけていた私に気付いてOBの父兄さんが声をかけてくださったのだ。いつか年老いて、いろんなことを忘れていくかもしれない。今日の試合内容も忘れるかもしれない。でも、手を取り合ったその感触はいつまでも残っていると思う。



2002年07月17日(水)
ゲーム前の柑橘系

 
 私は鼻炎持ち、いわゆる“鼻づまり”のため、匂いというものにあまり縁がありません。文章にしろ何にしろ、匂いを表現したものを見ると“いいなあ、表現の幅が広くて”と思います。

 高校野球を現場で体感する機会はおそらく生涯にわたってないと思います。だから、高校野球の匂いというものにも縁がないと思ったし、そういうことは書けないと思っていました。

 ところが、そんな私が出会ってしまったのです、“高校野球の匂い”に。

 今日も高校野球京都大会を見に、西京極球場に足を運びました。球場内で知り合いの方を見かけたので、その人の横で観戦させてもらいました。その方は写真撮影をされるので、スタンドの最前列、それもベンチがすぐそばに見える席を陣取っておられました。普段、私がます行かない場所です。

 ここで見る野球も良かったです。あ、高校球児って、高校生なんやなあと思えました。最後の夏の試合だから、何か特別な雰囲気でもあるのかなと思いましたが、そんなことなかったです。これが、リラックスとか自然体というものなのかもしれません。

 試合前、選手たちがベンチ前で輪になって、大声をあげる儀式みたいなのがありますが、そのとき、ふと私の鼻に“匂い”が舞い込んできたのです。

 汗の匂いだと思いました。確かに汗の匂いなのですが、いろんな経験から“汗は臭いもの”というイメージがあります。でも、このときの匂いは臭くなかったんです。だから、汗の匂いと思いきるのに戸惑いを感じました。

 その後、何か柑橘系の果物の匂いがしました。選手が試合前に果物を食べたのだとか、側にいる観客が果物を食べているのかな。そんなことは一切思いませんでした。何故かわからないのですが。

 ありきたりの表現にたどりつてしまったのが悔しいのですが、ゲーム前の彼らは熟し切る前の果実。一歩グランドに駆けだして初めて、味わい深い果実になる。そのときを今か今かと待ち焦がれる気持ち。きっとそういうものが、利かないなずの私の鼻を刺激したのでしょう。私のお気に入りのスタンド最上段では嗅げなかった匂いでしょう。些細な偶然に感謝したいです。

 ちなみにゲームが終わって、スタンドで観戦している選手からは、汗と土の匂いがしました。


 



2002年07月16日(火)
球児の名言集in京都


 今日は、台風接近のためか大会は全会場中止。そこで、球場内で買った選手名簿(200円。ただし、朝日新聞購読者は無料)をパラパラとめくって、眺めていた。

 京都の選手名簿は、はっきり言って不親切。小関氏あたりが目を通すと間違いなく、超最低級の評価を頂戴するだろう。なんたって、選手の名前と出身中学が羅列してあるだけなのだ。
 
 どの子がレギュラーか否かどころか、どこを守っているのかとか体格すらわからない。最初、私も「なんていい加減な」と思ったが、タイムラグがあるため、正式なベンチ入りメンバーを把握し、読者に伝えるのは困難だし、関係者サイドも報道向けに早い時期から正式メンバーを公表するとは考えづらいだろう。

 それなら潔く、そういう区分を取っ払ってやれということか。主戦級選手から、3年間練習試合にすらろくに出れなかった選手まで、みんな扱いが同じというのは何とも痛快。

 この選手名簿で、チームの特徴を知ろうと思えば、記事の左端にあるキャプテン(あるいはマネージャー)の100〜200字程度のチーム紹介コメントを読むしかない。

 例年は当たり障りないことばかりが羅列されていたが、今年はくどいくらい内容が濃いので、印象に残った文を紹介させていただこうと思う。(文章はほぼ全て一部抜粋)

○フレッシュ

「昨年に比べると、技術的にも、そして精神的にも部員一同成長してきています。その姿を早く皆さんに見て頂きたいです。今年は、勝ちに行きます」(日星高校)

 日星高校は、京都府舞鶴市に私立高校。昨年からの加盟校です。昨夏は初戦で塔南高校に0−27の大敗。今夏は乙訓高校と対戦。さて、どうなりますことやら。

「この学校を加盟してよかったと思われる試合をするよう…」(京都明徳高校)

 当日記で昨日取り上げた大会初参加の京都明徳高校。監督が京都成章高校で指導に携わっていたことから、思いのほか早く強化されるかも?

○インテリ?

「We will make history and get win glory」(洛水高校)

 本体は、「and」が「ond」になってましたが、印刷ミスでしょう。洛水高校は好投手・永友選手を擁して、北嵯峨・京都教育大学付属を破り早くも2勝。次の対戦相手校は、強豪・京都成章高校。好ゲームが期待できます。

「技術云々と言って、齷齪して結果ばかり追求しても楽しくないだろうし、それがこのチームの姿(スタイル)とは思わない」(東宇治高校)

 きっといいことが書いてあると思いますが、“齷齪して”がどうしても読めません。私がバカなのでしょうか?書いた選手が賢いのでしょうか?

○シンプル

「今年は挑戦者という気持ちを忘れず、すべての試合に全力を尽くし、全員野球で甲子園を目指します」(京都成章高校)

 実は、これで全文です。77校中最短のチーム紹介文。ある意味インパクト大でした。京都成章は、初戦向陽高校を6−2で下し、次は洛水高校と対戦。

○目にとまったフレーズ

「負ける悔しさはもう味わいたくない!!」(加悦谷高校)

 フレーズ通り、今夏は初戦をコールド勝ちでモノにしました。次は延長14回を制した南陽高校との対戦。

「甲子園までノンストップ!!」(綾部高校)

 南京都、日吉ヶ丘に勝ち、明日、亀岡高校と対戦予定。甲子園行き電車は発車したばかり?!

「チームのムードが盛り上がれば、一人一人に大きな力を与えてくれると思います。」(農芸高校)

 残念ながら、開幕第二戦で大谷高校に0−6の敗退。でも、昨年と比べたら格段の成長を見せ、近畿大会準優勝校相手に健闘した。ベンチもスタンドも最後まで盛り上がりを見せ、まさにフレーズ通りの試合運びでした。この夏印象に残ったチームの一つです。

「世界で一番熱い夏が、やってくる」(紫野高校)

 残念ながら、初戦で八幡高校に敗戦。夏は短かったけれど、精一杯がんばった3年間は熱かったはず…なんてね(苦笑)。

「今まで積み重ねてきた努力を自信に変え」(洛北高校)

 努力をしてきたからこそ、言えるせりふです。初戦をコールドでモノにし、次は京都翔英高校との対戦です。

「同じ一つの夢を実現させようと集まった最高の仲間たちと一緒に、絶対甲子園に行ってみせます」(東山高校)

 身びいきじゃないです。特に<同じ一つの夢を実現させようと集まった最高の仲間たち>というところが気に入りました。次は宮津高校との対戦です。

「春と違う「強い平安」を見せます。」 (平安高校)

 初戦をコールドで突破。次は、莵道高校との対戦。

「地味で決して格好良くはないけれど、どんなプレーでも「一つずつ」着実にすることが特徴…」(府立商業高校)

 いいじゃないですか、こういうチーム!初戦で強豪・立命館宇治に負けてしまいましたが、「一つずつ」は出来たでしょうか?

「絶対に負けない!」(乙訓高校)

 個人的には、「必勝」より好きな言葉です。こっちの方がギラギラした気迫を感じます。今年は、野球部員が監督としてがんばる乙訓高校。初戦は前述した日星高校です。

「来年入ってくる一年生を胸をはって迎えられるように頑張った。」(城南高校)

 7/13付日記で取り上げた城南高校です。高校野球には様々な事情を抱えたチームがあります。その成果か、見事17人の1年生部員が入部。

 全体の傾向として、支えてくださっている方々への感謝の言葉を明記しているチームが飛躍的に増えた。また、自分たちの今までの状態やそのとき思ったことや、夏に向かって取り組んだこと、取り組んでいること等、しっかり分析されていることに驚きました。ここで上がっていないチームももちろんいいことが書いてあったし、夏に向ける意気込みを感じました。



2002年07月15日(月)
来夏の目標

 私は、好き嫌いの激しい人間だと思う。だから、“がんばれ”の言葉一つにも好き嫌いが生まれてくる。口にした人の人柄や立場、にじみ出ている潜在意識によって、それはヘドが出るほどイヤな言葉にもなれば、宝石の輝きのようなすばらしい宝物にもなりうる。そんなわけで、今日聞いた“がんばれ”の話をしたいと思う。


 今日もまた高校野球京都大会の観戦に出かけた。対戦カードは、塔南ー京都明徳。京都明徳は2年前に男女共学になり、今春野球部が創部されたばかり。もちろん、今回からの初参加だ。せっかくだから、はじめの一歩を見届けたい。そう思った。

 初回と2回は、両校無失点。明徳は初参加とは思えないプレーで、確実にアウトカウントを増やした。しかし3回、1点が入ると雪崩のように崩れていく。エラー、長打、盗塁…。さっきまでのナインはどこへ?と問いかけたくなるほどの変わり様。1点取られるとズルズルいく、失礼ながら弱いチームの敗戦パターンだなと思った。

 取り損ねたボールをなかなか拾えない外野手、なんでもない併殺を取ろうとするもファーストベースのカバーがなくオールセーフになってしまう、ランナーが走り始めてからボールの後逸に気付くバッテリー…。こういうとき、野球ってほんまに難しいんだと思う。

 当日は、再三の雨で試合進行が遅れており、両校ナインはそうとう待たされた上、雨上がりのグランドの蒸し暑さはすごいと聞いた。明徳ナインの集中力が切れたのは一目瞭然。ヒットを打たれ、ホームベースのカバーに走るピッチャーの足どりは重い。ファウルグランドに転がったボールを拾いに行くキャッチャーの足取りも重い。もしこれが他のチームだったら、“何ちんたらしてんねん”と思ってムッとしたかもしれない。

 でも、それは出来なかった。そうやんな、疲れるやんな。始めての大舞台。投げても投げても減らないランナー。力も出ないよな。私かて、仕事してたときそういう経験ある。ここでふんばって気合い入れないとと思ってはいるけど、体がついていかない。気持ちを切り替えることは、なかなか困難な作業。

 スコアボードには“10”の字が窮屈そうに寄り添っていた。そのときだった。

 「ピッチャー、がんばって〜!」

 それは、三塁側塔南高校スタンドからの声だった。テレビや雑誌でよく聞くありふれたエピソードかもしれない。でも、実際リアルタイムで耳にするとやはりズキンとくる。

 あ、これは好きなタイプの“がんばれ”だなと思ったが…。

 声色と聞こえてきた場所からして、おそらく選手のお母さんだろう。自チームが大量リードという余裕があることも一因だろうが、やはり“もし自分の息子だったら”と思うといてもたってもいられなかったのかもしれない。

 そのすぐあと、ピッチャーは次打者を打ち取り、スリーアウトチェンジとなった。結局、0−12。5回コールドで京都明徳の初めての夏が終わった。参考記録ながら無安打無得点。

 来夏の目標は、初ヒット、初得点。そして、ゲーム中に相手校スタンドから“がんばれ”の言葉をもらわないこと?!



2002年07月14日(日)


 京都大会第2日目を舞鶴球場で過ごした。ときおり雨が降り空はどんよりしていたが、それに必死で抵抗するかのように試合内容は白熱した。

 特に印象に残ったのが、第2試合の西城陽ー洛西戦。2x−1、延長15回サヨナラゲーム。スコアをつけていたり、私にもっと野球を見る目があれば、その詳細をきちんとみなさんにお伝えできたのに…と歯がゆくてしょうがない。

 延長15回の熱戦ではあるが、どう表現していいか迷ってしまう。投手がズバズバ三振を奪ったわけでも、劇的な得点の入り方がしたわけでも、守備が明暗を分けたのでもない。よく言えば堅実、悪く言えば地味な試合展開。

 両校ナインは緊張感の中でも落ち着いてプレーをしていたように見受けた。どこかに揺るぎない何かがあり、ナインはみな同じ目線でそれをじっと見据えて試合に臨んでいるような感じがした。それは、絶対信頼できるもので、選手の心を柔らかく受け止めてくれるクッションのようなものかもしれない。そして、彼らは安心してプレーする。だから、しょうもないプレーは生まれない。安直に言えば、日々の練習の積み重ねとなるのかもしれないが、それだけですませることに疑問を感じた。

 …う〜ん、とても抽象的な表現でごめんなさい。でも、この試合を見て、信仰とかそういう崇拝的なものの存在を感じずにはいられなかったんです。誤解を招かないように申し上げるが、両校は公立高校で宗教とかと何の関係もありません。

 さて、そんな中、一番印象深いのが洛西のエース・佐伯投手だ。元々この試合を見たいと思ったのも、彼の存在故である。

 彼を見るのは、今日で3回目。181cmという長身も持ち主で細身。打順は4番でまさにチームの大黒柱。しかし、この系の選手にありがちで派手さはなく、投球げてはコーナーをつく丁寧なピッチング、打っては球の逆らわず素直にバットが出ているという印象。今日も1本ヒットを打った。勝つためにはどうするべきかとか負けないピッチングとかいうものを知っているモノの判ったエースで4番だと感じた。

 西城陽も強打のチームだが、彼の投球を前に沈黙。昨秋応援校も対戦しているのだが、終盤まで全然打たせてもらえなかった。ちなみに、応援校もなかなかの強力打線を持っているのだが。

 私はこういうピッチャーがすごく好きだ。パッと見い打てそうなんだけど、
“あれ、おかしなあ、打てないや”→気付いたらやられてた。相手からそういう印象を抱かせる投球は見ていて、痛快な気分になる。応援校との試合中も不覚ながら、もっとふんばって面白い試合になってくれと願っていた節がある。

 翌日の新聞のスポーツ面、カラー記事はもちろんこのカード。延長15回の熱戦なんてそうそうお目にかかれるものでもない。写真はもちろんカラー。

 決勝点が入り出来た西城陽高ナインの歓喜の輪。そのすぐ側に帽子のひさしに手を当て、立ちすくむ佐伯投手がいる。

 普通、こういう写真では勝ったチームの歓喜の輪にピントが合わせられ、その付近にいる負けたチームの選手はややぼやけて映っているのは相場だが、この写真に限っては顔の表情までくっきり映っているのだ。

 私はこのカメラマンに感謝せずにはいられない。高校2年の夏から1年の間に彼を3回見たわけだが、実は顔の表情まできちんと見れたのはこれが初めてだ。そして、最後になるだろう。

 いくら狭い球場とはいえ観客席にいる以上、試合中の選手の表情や顔つきまでは見えない。彼の他にも注目している選手はいるが、町中で見かけても間違いなくわからない自信がある。

 注目しているとか気に入っている選手の顔すらわかっていないとかなんと悲しいことかと思う。でも、今の私では仕方ない。だから、今回の佐伯投手もそれで終わってしまうのかと思っていたのだ。

 佐伯投手は、思っていたよりも陽に焼けていて、童顔だった。グローブをはめている左手を腰にあて、口を閉じ、目を伏せている。こういう試合でのピッチャーは派手にうなだれていたり、座り込んでしなったり、うつぶせになって涙するというマスコミが好きそうなシーンが多い。それにくらべると、彼のとった仕草はあまりにも普通で、端から見れば、“これがほんとに延長15回を1人で投げ抜き、サヨナラ負けしてしまった瞬間の顔なの?”と思われるかもしれない。

 でも、これもなんだか彼らしくていいなと思った。“彼らしく”と言ったが、私が高校生・佐伯昌裕を知っているはずもない。あくまで、野球部エースの佐伯投手としてのイメージである。



2002年07月13日(土)
「16」番君、ホントのところは?


 各地の熱戦のあとを追うように、高校野球京都大会が開幕。不安定な天気ではあったが、無事開会式と予定されていた2試合が行われた。

 珍事はいきなり起る。開幕第一試合、西宇治ー城南戦。両校選手が勢いよくベンチから飛び出して元気に挨拶…と思いや、三塁側城南高校の選手が思いあまって、地面に突っ伏せるようにこけた。場内から笑いが起った。私も思わず笑ってしまった。はりつめていた空気がなごんだ。とてもほほえましく思った。もし私が審査員だったら、彼に「天然なら10点、ウケ狙いなら5点」をあげたい。

 しかし、ふと思う。当の本人はどう思っているのだろう。

 城南高校は部員が20人(マネージャーをのぞく)しかいない。しかも、そのうち17人が1年生という若いチームだ。コケた子の背番号は「16」。十中八九、一年生だと思って間違いないだろう。

 初めての大舞台に緊張し足が動かなくて、気付いたらコケてたという風に解釈した方がより正確なように思う。場内の笑いを背に受け、体を縮めて小走りして整列に加わった16番君。とても「やった、ウケた、目立ったぞ」とほくそ笑んでいたようには見えなかった。一瞬でも笑ってしまったことを、申し訳ないなと思う。

 このところ、試合を見るとき“私だったら、この選手にこういうことを訊いてみよう”とか“ああいう質問をしてみたいな”などと考えている。実現する可能性はないに等しいのだが、人生何が起るかわからないし、気分だけでもライターになっている感じで楽しい。

 今日もいろいろな出来事があったが、ただ1回取材を許されるなら、彼のチームメイトを呼んで、「彼は普段どんな子なんですか?」と訊いてみたい。

 あのコケ方からして、ユニフォームは肩先から足の下まで真っ黒になっていると思う。洗濯するのは、女子マネさんかお母さんかわからないが、汚れたユニフォームを手渡すときの、彼の照れた顔が目に浮かぶ。

 これに懲りずにどうか3年間野球を続けて欲しい。そして、2年後にはファウル線の向こう側の土でユニフォームを汚して欲しいなどと思う。



2002年07月12日(金)
野球部員であるということ


 今日は思い立って、福井・足羽高校のグランドにお邪魔した。グランドの階段付近で練習を見ていると、すれ違う部員たちが挨拶をしてくれる。誰やねん挨拶(命名@こちらでさん)なのだが、ソフトな感じがして返事がしやすかった。

 女子マネージャーの子も忙しそうに動き回っているが、私に気付いて「こんにちわ」と一言。そして、「ごくろうさまです」のおまけ(?)つき。びっくりした。OBだと思われたのかもしれない(こういうとき、男女共学は便利♪)。

 いや、ご苦労さんだなんて、恐縮です。その言葉がふさわしいのはあなたたちですよ。

 そう思ってみて、はたと気付く。それはちょっと違うなと。

 マネージャーというと、選手をサポートするとか縁の下の力持ちとかいうイメージがある。確かに仕事内容はそうなのだが、もしかしたら彼女たちにそういう言葉は失礼なのかもしれない。

 彼女(あるいは彼)らも、立派な野球部員である。私が今野球部員に声をかけるとすれば、月並みだがやはり「がんばってください」だろう。ということは、マネージャーにも「がんばってください」と正解のように思う。

 選手が素振りをしたり、ノックを受けたり、トレーニングをするように、マネージャーたちはお茶を作り、スコアをつけ、千羽鶴を折る。そういうこと。

 なんでこんな簡単なことに早く気付かなかったのだろう。



2002年07月11日(木)
もう一人の卯瀧監督


 今日、京都新聞の別刷りで、高校野球京都大会選手名鑑が届いた。メンバー等は5月現在の情報であるという説もあり信憑性にはかけるが、キャプテンの言葉などが書いてあるので、毎年楽しみにしている。

 そんなわけで、今年もパラパラとページをめくっていたのだが、その手がある高校の前でピタッと止まった。

 向陽高校。
 京都府向日(むこう)市にある府立高校。現在の部員数は26人とあるが、私が高校生の頃は50人を越える大所帯だった。応援校との対戦もたびたびあるが、わりあい苦戦している。

 私が目を引いたのは、監督の名前。卯瀧洋直さん。年齢は26。私と同年齢。記憶に間違いがなければ、実父は現在鳥羽高校で監督をされているはずだ。向陽高校時代は一番セカンドで活躍した元高校球児だが、実は彼の現役時代の試合を見たことがある。

 1993年春季大会準決勝。応援校と向陽高校が試合をした。両校とも投手陣が総崩れで、14−13の大乱打戦の末、応援校が勝った。この試合での卯瀧選手の成績は5打数1安打。しかし、チームの総ヒット数が16。目立った成績ではない。

 負けた向陽高校は、翌日の3位決定戦で北嵯峨高校と対戦した。親子対決になるはずなのだが、当時それが注目されているか否かは私の興味対象ではなかったので、記憶にない。ただ漠然と「卯瀧なんていう名前、そうそうないし、親子なんかなあ」とは思っていたが。

 次の試合に応援校が出るため西京極に駆けつけたのだが、まだ前の試合が終わっていなかった。私とともきちは当時はまず行かなかったネット裏の日陰で漠然とそのゲームを眺めていた。

 ところがところが、試合は0−0のまま延長戦へ。最後は北嵯峨がサヨナラ勝ちをしたのだが、なかなかいい試合だった。東山の試合と甲子園大会以外では私が初めて、「うわ、すごい」と思えた試合だった。ただ、このときも卯瀧選手がどんな活躍をしたかは記憶にないのだが。

 ついにこのときが来たかと思う。
 そう、自分が現役時代のプレーを見た選手が指導者になってグランドに帰ってくるという時代。
 
 1993年夏の向陽高校は、シード校だったが3回戦で敗退している。その後、同校は目立った成績を上げてない。名将の血などという野暮なことは言わないが、同世代の若手監督が率いるチームの今後が気にならないわけがない。

 さて、まもなく夏の京都大会が始める。今年の対戦相手はどこやったっけ?ん?京都成章?いきなりえらいとこと当たってるやんか。何?17日西京極球場の第2試合だ?これって、応援校の次にある試合やん。見っとけっちゅーことなんかな。



2002年07月10日(水)
サラリーマン・相方の見る“高校野球のかけら”


 私の相方は、大阪府内の運送会社に勤めるいわゆるサラリーマンだ。不況のあおりを受け、給料は減るが仕事は増えるという報われない反比例の中、朝から晩まで働いている。仕事が終わったあと、疲れた体を引きずるように電車に乗り込む。

 相方の職場の近くには某高校のグランドがある。野球部もそこそこ強く、甲子園大会出場校にも名前を連ねることがある。私もここの試合を見ているが、礼儀正しくて、わりあい好感を持っている。

 ところが、その高校の話をすると相方は顔をしかめる。ここの野球部員をよく電車内で見かけるそうなのだが、態度が気にくわないというのだ。一人で2,3人分のシート面積を使いデンと座っている。後輩に「おい、ここに座れ」と言って隣に座らせ、何をするかと思えばたわいな雑談。

 話している内容とか声の大きさとかいう具体的なことまでは教えてくれなかったが、不快感を持つということは相当なものなんだと察する。どうやら相方はこの高校を好きにはなれないようだ。

 人間である以上好き嫌いはある。もちろん、野球チームにおいてもそうだろう。しかし、それが野球以外のことで区別されてしまうのは、すごく悲しいことなんじゃないかなと思う。相方曰く、「必要以上の上下関係はいらん」。それは、私も同感だ。

 というわけで、某高校野球部のみなさん、車内ではもう少し謙虚な態度でお願いします。

 



2002年07月09日(火)
球児の誇り?

「なあ、熊本の城北っちゅー学校は野球強いんか?」

 大阪の飲み屋で一杯やっているときに、唐突に相方が聞いてきた。ジョウホク? 頭の中で漢字変換するのにちょっと時間がかかった。

「さあ、どうやろな。でも、甲子園には出たことあるやん。93年夏の。智弁和歌山に負けてんけどね。ほら、49番くじで最後まで待たされてなかなか初戦の相手が決まらないところやったんちゃうかな?確か京商の勝山さんが監督してて…」

 相方は、「別にそこまで訊いてへんやんけ」とばかりに、興味なさそうにジョッキに口をつけた。

 で、それがどうしたん?

「うちの会社に入ってる業者の若いもんが、そこの野球部OBらしくて、ことあるごとに自慢して言ってるから、なんぼほど強いんかなと思って」

 ほ〜。でも、私より年下の相方が“若いもん”って言うんやから、明らかに甲子園組やないねえ。相方の話は続く。

「仕事するときも、野球部のシャツ(アンダーシャツのこと?)着てやっとるわ。腕に“JYOUHOKU(スペルの字体は不明)”って書いてあんねん。アホやで」

 相方独特の吐き捨てるような口調。本気でアホとか思ってるわけじゃなくて、そのままでは話の収集がつかなかっただけ。いつものことだ。

 でも、私はその話を聞いたとき、額に汗して作業をしている男の子の姿がパッと浮かんだ。いいやん、かわいいやないの。ぱっと見ぃ小生意気そうなんだけど、憎めないタイプと見たね。

 元高校球児の人が、野球部のシャツを着ていたり、カバンを使っていることは結構ある。本人からしてみたら、「あるものを使ってるだけ」となるのだろうけど、私にはそれが彼らの誇りに思えてならない。

 高校卒業してからいろいろあっただろう。厳しい練習や上下関係…、高校野球生活、決していいことばかりではなかったと思うが、ふと社会生活の中にどっぷりつかってしまったときに、たまらなく恋しくなったりするんじゃないだろうか?

 俺はあのとき、あれだけがんばったんだ。その思いがシャツなユニフォームやカバンや帽子に汗と共に染みついてる。なんだかがんばれる。そんな気になれるんじゃないかな?

 前述の彼、そういうこと自覚しているか否かはわからないけど、きっと心の奥にあると思う。何故こんなに断言できるのか、自分でもわからないけれど、絶対そうだ。



2002年07月08日(月)
監督、お酒ご一緒していいですか?

 「野望」を辞書で引くと、こう出ている。

 <その人の境遇・地位・能力などでは、とてもかなえられそうにない大きな望み。また、望んではならない大それた望み>

 うわ〜、私の頭ン中、野望だらけかも(^^;)。

 そんなわけで、今日は野望の話をひとつ。


 実はここ最近、お酒を一緒に飲みに行きたくてたまらない人がいる。その方は、高校野球の監督。知り合いでも何でもないし、お話したことすらない。昔は、嫌いだった。そのチームが強いからというのもある。なかなか心憎い野球をするのだ。

 ところが、年月とは人を変えるもので、人づてにその方をエピソードを聞くと、嫌悪感が一遍に吹き飛んで、むしろ興味の対象となってしまったのだ。そんなある日の試合終了後、偶然にもその方を数十センチという至近距離で拝見すること…。

 教師というイメージとは程遠い風貌、ちょっと不健康そうな肌色。年輩男性の渋さの漂ったその面影。

 絶対酒が似合う人やで!それもビールやカクテルなんてもんじゃなくて、日本酒。そう、絶対。それも冷酒。和服の美人女将がいる小料理屋で、粋な飲み方するんだろうな。小料理屋は知る人ぞ知る店で、カウンター数席とテーブル3席くらいのこじんまりしたところ。雰囲気の割にリーズナブルなんだけど、内装はこだわっているような店。ああ、檜のにおいとかしてきそう。

 高校時代ピッチャーをやっていたというその方は、きっと歌もうまいに決まっている。河島英伍あたりを渋く歌い上げそう。でも、マイク持ったら離さなかったり、手拍子を強要するようなバカなことはしないだろう。きっと、「ここぞ!」というときに1曲歌って、周りを黙らすタイプを見た。

 この人と一杯やりたい!

 衝撃で叫び出しそうになった。じっくり話を聞きたい、いや、話なんてしなくていい。ただ隣で黙って飲む。それだけでもかまわない。

 もし私が高校野球に縁のある職業に就き、その方に挨拶する機会があったら、絶対、名刺の裏に携帯番号を書いておいてやる。でも、お子さんと同じ年齢の女なんて相手にしてくれへんやろな。あーあ、色気が欲しいな、いい意味で年齢を重ねたいなあ。…夏直前の大事な時期に、なんて不謹慎な(^^;)。

 万が一、億が一、お酒をご一緒出来たら…野球の話はしないと思う。なんかもったいない気がする。

 でも、たった一つだけ訊きたいことがある。

 「昔、試合中に自校応援団のブラスバンドに“うるさくて指示が聞こえないから、(鳴り物を)止めてくれないか”とおっしゃったのは、本当ですか?」


追伸:私の「今度、飲みに行きましょうよ」は愛情表現の一つです。友情に置いても、恋愛においても…。




2002年07月07日(日)
つれづれ被取材者体験記


 先日の日記で、「無名の野球ファンの人にいろいろ話を訊いて、本みたいなのを作りたい」と書きましたが、実はかくいう私が逆の立場になってしまいました。

 当HPと相互リンクさせていただいている『ベースボール倶楽部』さんで特集「高校野球にとりつかれた人々」が始まりました。ここは高校野球にとりつかれた一般ファンに管理人のたっちゃんさんがインタビューするという方式が取られています。

 光栄なことにその第1回目に私を取り上げていただいたのです!以前からお話をいただいてはいましたが、たっちゃんさんがご多忙のため、なかなか実現に至りませんでした。

 取材は、メールのやりとりで進んでいきました。本来は相手の顔や目を見てというのが鉄則なのかもしれませんが、たっちゃんさんとは面識がありますし、また私は話すのが苦手なので、このやり方はすごくよかったです。

 私は取材する側の人間になりたいと思っていたに過ぎず、被取材者になることなど頭になかったのですが、今回はすごく貴重な経験をさせていただきました。

 私の答えがすごくきれいにまとまっています。実際の私は、あんなにすっきり話したり、書いたりできません(笑)。両方を見比べると、自分の文章や句読点の打ち方に無駄が多いことが判りました。これは、文章の書き方の本を読んだり、人の文章を読むよりはるかに説得力がありました。
 
 また質問されたことに的確に答えることの難しさを痛感しました。私はインタビューのやりとりを聞いていて、「答えになってへんやんけ!」と一人テレビや記事に向かって突っ込んでいるときがあるのですが、その態度を明日から改めようと思います。

 あと、人に向かって話していると、自分で気付かなかった潜在意識みたいなものがひょこっと顔をのぞかせたり、今までバラバラだった考えがある一定の形になったりすることがあります。自分でもびっくりします。今回もいくつかそういうことがありました。

 このところ、HPの日記以外のコンテンツの更新が滞っていたのですが、取材を受けてから不思議と筆ならぬキーが進むようになってきました。自分のしてきたことを誰かに受け入れ、形として残してもらえたことが、自信になったのかもしれませんね。たっちゃんさんと目を通していただいた全ての方に、厚く御礼申し上げます。

 なお、たっちゃんさんは第2回目以降の“高校野球にとりつかれた人々”を募っておられます。どなたか“この人はすごいで”という方がいらしたら、たっちゃんさんに教えてあげてください。自薦もOKなんでしょうかね?ちょっとその辺はわからないのですが。

『ベースボール倶楽部』
URL:http://village.infoweb.ne.jp/~fwjf6976/index.htm?





2002年07月06日(土)
ボタン間恐怖症


 ほんの些細なことでも気になったら、どうにもならないことというのがある。今の私にとってのそれは、ブラウスのボタン間だ。

 衣替えをし、夏物を着るようになったのだが、着心地が去年とは明らかに違う。ボタンとボタンの間が気になって仕方ない。特に第三ボタンと第四ボタンの間。位置的に言えば、胸のてっぺんとみぞおちの間くらい(私の胸がてっぺんというほどのものか否かは別にして…)。

 最初はそれほど目立たないのだが、だんだん時間か経つにつれて、ぱっくりと開いてくるのだ。

 のわ〜、やめてくれ〜、かっこ悪りぃ〜。

 頭を抱えて、道路を全力疾走したくなる。

 やっぱ太ったんやなあと思った。それは間違いないし、また最近の女性の服の作りは胸のあたりをちょっと詰めてあるのが多くようだ。(ま、それでスタイルが良く見えるというのだろうけどさぁ〜)

 そのうち、端から見たらほとんどわからないような些細な隙間すら気になって、出かけるのが憂鬱になってきた。

 それならと胸にも腹周りにも余裕のあるヤツを着てみたが、そういう現象が起こり、いよいよ困った。(そういや、私、靴下がかかと越えして知らぬ間に脱げてしまうときがある。おかしいんかな、体)

 みんなは、どうなんだろう。

 きづいたら、私の目線は道行く女性のボタン間に。位置的にも非常にやばいところなので、たま〜に目線の合った人に冷たい目で見られてしまう。

 観察して、もう一月程度になるが、誰一人として、ボタン間パックリな人なんていなかった。細い人ならわかるが、私よりも明らかにふくよかな(いい表現だ!)女性でもそうなのだ。

 やっぱ、安物の服でごまかしていたのがいけないのか。でも、高いブランドもの買って、同じ現象が起ったら、この怒りを何処に向けたらいいかわからなくなる。第一、そんなん買う余裕ないし…。

 タンスを探る。出てくるもの出てくるもの、みなボタンありブラウス系ばかり。ああ、私のアホ。何を思って、こんな同じようなもんばっか買ったんや。金の使い方がなってへんわ。1年前の私をボコボコにしたい…。

 そんなわけで、このところとても憂鬱だった。夏なんて嫌いだ。凍える冬が恋しい。一杯着込んでデブをごまかしたい。セーターやタートルにはボタンがないのさ♪早く来い来い冬休み〜♪

 …あ、そうか。
 ボタンのない服買えばええんや。

 そんなとき、母が「近くの店でバーゲンやってるわ」と声をかけてくれた。恥も外聞もないわい。Lサイズの店へ一直線。ボタンのない服のコーナーで立ち止まって、しばし悦に浸った。ああ、これで長い間苦しめられたボタン間から解放される。明日から私は自由の身。未来は明るい、夏よ、カモ〜ン♪

 というわけで、夏の京都大会で「あるこちゅーヤツを見つけてやる」と思っておられる方(いるのか?)、私を見つける目安は、“ボタン服を着ていない女”です。よろしくどうぞ。



2002年07月05日(金)
小さく見える、大きく見える。


 先日、応援校のグランドまで歩いて行ったのだが、翌日に体重を測ると、なんと体脂肪率が5%も減っていて、驚いた。ひょえ〜!

 というわけで、これはダイエットにいいぞ→歩いてグランドへ行き、ついでに練習も見ちゃえとなった。


 グランドに着いたには、夕方6時前だった。平日のこういう時間帯に同校の練習を見るのは、実に10年ぶりだった。そして、初めてグランドに足を運んで以来だと気付いた。これで、追っかけだなんてちゃんちゃらおかしね。

 当時は夜遅かったのもあり、グランドに隣接している民家のガレージで息を殺して見ていたのだが、今ではのうのうとグランドに入り、バックネット裏で腕を組んでいた。誰やねん、お前。月日の流れの恐ろしさを痛感。

 ノックの練習をしていた。ベンチには、白髪のOBらしき男性がいた。部員たちは、グランドの中からでも、彼に気付くと、脱帽して挨拶をしていた。

 でも、なんか違和感がある。あれ、今日は軟式の子がやってるのかな?いや、でもノッカーは硬式の監督さんだしなあ?

 …あ、そうか!練習だから、みんなユニフォームやないんや。

 心の中で、指を鳴らす仕草。でも、考えてみたら当たり前だ。他校ではこういう光景を何度か見ているのに、肝心なチームでわからなくなるなんて、私もまだまだやね。

 練習着はいい。背中と胸に名前が書いてあるから、誰が誰だか素人でもわかる。練習試合もこれでやってくれたらいいのに、などと自己チューなことを思う。

 1年生はまだ練習着しか見ていないから違和感はなかったが、2,3年生の練習着姿はほんま久しぶり。彼らの1年生のころをふと思い出した。

 練習着の2,3年生の印象は、“え、この子らこんなに小っちゃかったっけ?”。

 小柄な子なんて、“え〜、○○くんの弟が入ってきたんかなあ”などと思ってしまったほどだ。普段の選手を95%縮小コピーをしたような感じ。

 逆に言えば、それだけユニフォーム姿の彼らが大きく見えるということだ。それも、主力として出ているような選手であるほど、そのギャップが激しかった。選手にかかる責任の重さとユニフォーム姿が大きく見える倍率の高さが比例しているように思えた。

 監督から指導を受け、脱帽する3年生選手の頭が青々していた。目を凝らすと、同じようにしている3年生をあちこちで見受けた。

 時計は6時20分を指していた。このごろは日が長く、いつまでも明るい。



2002年07月04日(木)
0(ゼロ)には帰せないもの。


 BS放送でやっていた『人間の翼〜最後のキャッチボール〜』という映画を見た。

 これは、第二次世界大戦で特攻隊として24歳の若さにしてその生涯を閉じた元プロ野球選手・石丸進一氏を題材にしたノンフィクション『消えた春』(牛島秀彦著・河出文庫)を映画化したもの。

 原作を読んでいた私は、この映画を前々から見たいと思っていたので、何気なくチャンネルを合わせたときは、偶然に感謝をしたくなった。

 本来こういう作品を見ると、“戦争は二度としてはいけない”“戦争は恐ろしい”“平和が一番だ”、ちょっと発展して、“野球を見れる今は幸せなんだ”“この時代にくらべて、今の選手は何だ、「金、金」と情けない”となる。

 もちろん、私も平和が一番だと思うし、戦争は絶対にごめんだ。目の前でミサイルが爆発するような中で日常生活を送るなんて冗談じゃない。また、「俺の人生は野球だけだった」と随所でこぼす石丸氏のことを思うと、今球界に物足りなさを感じるのは確か。

 でも、今回に限っては、ふとこういう風に思ったのだ。

 日本が平和でも、野球界がよりよくなっても、石丸氏も、けいこさん(彼のお嫁さん?)ももう戻ってこないんだなあ。

 でも、私は彼らの夢と未来と命を奪った戦争を土台にこの世に存在している。

 戦時中、父の家族は満州に移住していた。祖母の話によると、子さらいがうようよしていたそうだ。祖母は、何度となく危ない目にありながら、片手に幼い父を抱き、もう片手で伯母の手を引いて、必死で逃げまどったことを話してくれた。戦争が終わり、満員の船の劣悪な環境の中、命からがらたどり着いたのが京都だった。

 母の家族はずっと京都にいたので、もし父が子さらいにさらわれていたり、船の行き先が京都でなければ、父と母は出会っておらず、私は生まれていなかった。

 むろん、戦争なんてなければ、父の家族は満州に行くことなく、生涯を山口の下関で過ごしていただろし、母もしかりだ。間違いなく、私はこの世に存在してはいない。皮肉だな。

 この映画は、白黒だったが、進一が持っていたボールの白さがやけに際だっていた。これは演出だったのだろうか…。

 
 余談だが、石丸進一役の俳優さん、かっこいいなあと思った。私は芸能人や俳優をかっこいいと思うことがあまりないが。

 りりしく、太い眉毛に大きな二重の目…。
 どうやら、私は好みは昭和時代の顔のようだ。
 



2002年07月03日(水)
男女共学


 女子校に通っている(あるいは通ってた)人全てに言えることではないが、私が高校野球における応援校の基準の一つは、そこが男子校あるいは工業高校であることだった。それも私立だったらなお良し。

 男女共学、それも公立校には入り込む余地がないと感じ取ったからだ。私の個人的事情で公立高校とか男女共学とかいう学校にはすごくコンプレックスがあったのだ。

 甲子園の応援風景で、チアガールの女の子が映ると「勘弁してくれよ」と思ったし、試合終盤に涙流してるような女は大嫌いだった。「お前が何したっちゅーねん」と毒気つきたくなった。あと、手を合わせて祈っている女を見て、「都合のいいときだけ、神様に祈るなよ〜」とケタケタ声をあげて笑い、後々まで話のネタにさせてもらった。そうそう、チューリップハットは絶対ダサいで。

 だから、男子校が甲子園に出たからと言って、周辺の女子校や男女共学校に応援を頼むのも私的には不愉快だった。その点、昔の横浜は自校の生徒の声だけでがんばっていたので、好感が持てた。ただし、今はどうか知らない。

 
 最近、新聞に平安高校の広告が載る。“お父さんの母校が、私の母校になる”なんて、ウンと皮肉を込めて“ま、素敵ね”と言いたくなるようなキャッチフレーズだ。

 そう、同校は来春から一部のコースだけだが、男女共学になる。ああ、平安よ、お前もか…。いつもケンカしていたクラスメートが突然転校してしまうような一抹の寂しさを覚える。

 少子化時代だから仕方ない。社会には男と女がいる以上、男子校・女子校という形態の方がむしろ不自然だ。理屈ではわかっているがなんだかなあ。

 ちなみに私の応援する学校は、男子校だ。まだチームが強かったころ、前の試合の応援のためスタンドに残っていた制服を着た他校の女が、「ガシ高(応援校の通称?)、ファイト〜♪」という黄色い声を張り上げていた。

 ああ、アイツらに強力インク消しをぶっかけて私の視界から消し去りたいと思った。自分の学校だけ応援しとけよとやっかんだ。このとき、私は一生涯、応援校を“ガシ高”などと呼ばないことを心に決めた。

 月日が流れ、私も年齢を重ねた。今では、他校の生徒や共学校、公立校にそんな嫌悪感を抱かずに、ほぼ100%平等な目で見れるようになったと思う。

 でも、ひとつ決めているのは、“応援校が男女共学になったら、潔く追っかけ生活を引退する”ということだ。

 “男女共学くらいで、中身は変わらないのに何を言う”と思われるかもしれない。“結局あんたは応援校ではなく、男子高校生を追っかけてただけなんじゃないか”とか、“それでは真のファン(面白い言葉ですね、これ)とは言えない”と思われるかもしれない。

 でも、私にとっては大きなこと。練習試合で制服を着た女子高生の若々しい肌や素足と並ぶ自信はないし、選手の側でこまめに動く女子マネジャーの存在にはただひれ伏せるしかないのだ。彼女らがいるからいいやん、と大人げないことを思ってしまう自分が目に見えている。


 追伸

 余談だが、私の母校は幼稚園から短大まである私立校で、中学から女子校だ。昔勤めていたバイト先に偶然出身校が一緒の人がいた。

 彼女は、幼稚園から短大まで14年間をそこで過ごした。いかにもお嬢さんという感じで、居酒屋向きではなかったのか、ヌシ的おばさんに目をつけられ、よく嫌味を言われていた。ある日、オバさんがこう言った。

 「あ、○○さん、××(私の母校)出てるの?幼稚園からずっと女子校なんやろ(これは間違い)?性格偏るで」

 女子校が偏った人間を作るやって?
 んな、アホな!

 これには私も頭にきた。オバさんとは仲良かったが、それとこれとは別問題。彼女は、“偏ってる人間?上等やん。なにもかも平均点よりよほどマシや”などと思う私とは違って、黙ってうつむくだけだった。

 「すみません、私も××出身なんですけどぉ。高校だけですが。性格偏ってますかね?」と訊いてみた。

 今日の日記を書いていて、ふとそのときのことを思い出した。
 



2002年07月02日(火)
ネット友に愛を込めて。

 野球とネットを通して、読者の方や常連さんや他サイトの管理人さんとお会いする機会が増えてきた。私は、財布の中身も軽いが、身持ちも軽い(変な意味じゃなく)ので、節約をしたらどうにか遠方に住んでいる方に会いに行くことも出来る。貯金はどんどん減るばかりだが、人との出会いは金に換えられない。

 というわけで、今日はそんな愛すべきネット友へのメッセージを日記にかえさせていただきます。

(掲載には細心の注意を払っていますが、ここに名前の挙がった方で、掲載内容に問題がある場合は、お手数ですが、メールか掲示板でその旨をお伝えください。削除等の対処をいたします)

 掲載は、順不同です。

〜掲示板の常連様〜

○桜子さん→読者の方やオフラインの友人からも、「桜子さんってすごいですね、どんな人なんですか」と訊かれます。HP運営やプライベートでどん底にあるときに、いつも救われています。感謝をしてもし足りない私の恩人の一人です。おばあちゃんになっても球場でスコアをつけている。桜子さんも、私もきっとそんなタイプかもしれませんね。

○元球児さん→元球児さんにもHP運営で躓いたときに励ましていただき、感謝しています。お仕事が大変にもかかわらず、野球には熱心。やはりお好きなんでしょうね。東北方面に行く機会があれば、是非お会いしたいものです。

○某虎党さん→ネット漫才の相方(?)、ツッコミ役です(笑)。掲示板が堅苦しくない、(私が)ここちよく思うのも、この方のおかげです。これからも、野球に限らず、楽しい投稿をお待ちしています。

○とみしのさん→ある意味、当掲示板で異彩を放っている方です。常にマイペース。私とともきちの間でひそかに“とみしのさんFC”を設立(?)しています。野望は“奈良の居酒屋で3人で飲むこと?!”。20代前半と常連さんでは最年少。謎が謎を呼ぶ方ですが、“ま、いっか”と思う今日このごろです。

○野球好き(尼崎)さん→大学野球や社会人野球など、幅広く野球を観戦される方です。ときたま、メールで日記の感想も頂戴します。すごく嬉しいです。関西の大学野球を一緒に観戦して、いろいろ教えてもらいたいです。

○スーウェルさん→リンクを貼るのが遅れて、すみませんでしたm(_ _)m。これからもいろいろなお話を訊きたい方です。草野球の話とか、島根の野球の話とか、横浜の話とか…。

○みどりさん→お話をさせていただいて、失礼ながら、私と似たことを思ったり考えたりしている方だなあと思いました。ご本人は、色が白くて、余計なものを飾りたてることなく、自然な感じの方で、私が好きなタイプの女性でした。

〜サイト運営者様(日記作家さんを含む)〜

○たっちゃんさん(ベースボール倶楽部)→尊敬してるんですよ。私もあんな風に野球を愛していけたらと思います。昨秋お会いしたとき、「ライターになりたいんですけど、どうしたらいいかわからない」という話を延々4時間(!)ほど聞いてくださいました。感謝しています。ちょっと恥ずかしいですが。ベースボール倶楽部は、おじいちゃんになっても続けてくださいね。

○こちらでさん(ベンチウォーマー)→元高校球児さんです。こんな形であの時見ていた選手と再会できるとは、本当に嬉しかったです。また、HP運営でわからないことも、何度か相談し、丁寧なアドバイスも頂戴しました。ありがとうございます。夢という名の目標に向かってがんばってください。

○尼もち君さん(尼崎の高校球児を応援しよう)→ネットサーフィンをしていて、“私の理想のスタイル”が具現されたHPを発見した。そこの管理人さんが、尼もち君さん。私が兵庫県の高校の練習試合を見に行くようになったのも、この方の影響です。人あたりのいい方です。

○すみさん(すみのいぶし銀な(?)野球日記)→ネット友っちゅーより、もう単なる友達ですね(笑)。ネタないときに、電話がかかってきて、話してたらネタが見つかってしまいます。私のもう一つのネタ袋(?)。いつもありがとね。

○みのるさん(みのるの野球きちがい日記)→彼の行動力としっかりした考え方には頭が下がります。いろいろ勉強になることが多いです。

〜読者様〜

○nowhereさん→メル友でもあります。話すと長いので、いきさつは省略しますが、実に不思議な縁でした。地元の方なので、一度くらいはお会いできるかと思っていたのですが、未だに会えません。私が応援校を応援するようような感じで、別の学校を応援されているので、両校の試合が同日同会場で開催されないと、お会いするのが難しいんですね。

○ナナビョさん→前出した“尼崎の高校球児を応援しよう”の掲示板の常連さんでもあります。練習試合観戦の際に、お会いすることができました。高校野球に詳しい方です。また、尼崎のグランドか球場でお会い出来ることを楽しみしています。

 その他、ネット友と言えるまで関わりを持てずにいる方の中にも、印象的な方や思い入れのある方もいるのですが、今回はネット友に限定しました。
 
 年齢・性別・好きなチーム・野球観…それぞれに多種多様ですが、みなさんに共通することはやはり野球が好きで野球を愛していて、野球を大切にしていらっしゃることではないでしょうか。そして、人とも出会いも…。

 今回、こういう形でみなさんを紹介したのは、感謝の気持ちを明確な形にしたかったのもありますが、実は私が書きたいと思うのは、こういう方々のことだからです。

 一流選手、有名なチーム、球団スタッフ、関係者、熱心な野球ファンとして定評のある有名人、目立つことをしている野球ファンなどはマスコミや本で取り上げられます。それはそれで興味深いし、面白いのですが、やはり距離感があるのは否めません。

 幸い私は、売れ行きとか世間のニーズとは無縁の人間です。だから、野球ファンの人たちばかりのことを書いた本を作ってみたいなあなどと考えています。(それに及ぶ技術はまだまだなので、今は名前を伏せて、日記で書かせていただいているわけですが)
 
 いや、出版とかそういうんじゃなくても、このHP上に“つれづれ文庫”とか“あるこ文庫”たるものを作って、ネット上で読書してもらいような感じとか、市販のコピー機を使った冊子を作り、興味のある方に最低経費(送料・コピー代)だけでお分けする感じで。

 人の数だけ野球があります。私はなるだけ多くの“無名の野球ファン”の方とお話をしたいと思っています。これもきっと、野球を通したネット友のみなさんに恵まれたからかもしれません。本当に感謝しています。



2002年07月01日(月)
野球とバスと私。


 6/27に続き、仕事が入った。今度は3日間。久しぶりの収入源なんで喜ぶべきなんだろうけど、実は憂鬱。
 
 理由は職場までの交通手段であるバス。本数があるのはありがたいのだが、駅から40分かかる上、学生で混み合う。「席を確保しなければ」と身構えるときの精神的ストレスは相当なものだ。

 また、派遣の仕事の多くは交通費が出ないため、地元の人が時給900円でも、私の時給は実質800円にも満たない。でも、これと言った資格やキャリアのない私にはここでの仕事しか来ない。ああ、かわいそうな私…。(努力しろよ(^^;))

 とはいえ、通勤などの時間を規制されたときや混み合うバスでなければ、バス移動は好きだ。地方の小さな町のバスや昼間や夕暮れに走る高速バスの窓際は何とも心地がいい。

 練習試合観戦やグランド訪問をするとき、現地のバスを使うことがある。以前乗り間違えて痛い目に遭ったが、今では地元のバスを乗りこなして、お目当てのグランドにたどり着いたときは、ある種の快感を覚えるようになった。

 そうそう、10年ほど前、応援校は甲子園に出場したとき、縁あって応援バスに乗せてもらったことがあった。父にそれ旨を話すと、「勝ったらお祭り騒ぎやけど、負けたらお葬式やで」と返ってきた。

 かくして、乗車となったのだが、当時は父兄さんと話したことがなく、知らない人ばかりに囲まれ、異様に緊張していた。行きしなのバス、もっと景気がいいものかと思っていたが、あまりに朝が早かったため、みなさん爆睡状態だった。

 その日の試合は、勝ったのだが、車内の雰囲気は朝を変わりなかった。みんな疲れておられたんだろうな、今ではそう思うことが出来るが、当時は「つまんないの」と舌打ちしたい心境だった。

 それから、3年後、夏の京都大会で、応援バスに乗せてもらった。福知山球場での第一試合だったと記憶している。今でこそ、「そんなん、朝5時起きで行ったら余裕やん」となるのだが、当時は乗りかかった船だった。

 車内の雰囲気は、3年前とそれほど変わらなかったが、当時と比べると父兄さんともずいぶんお話するようになっていたので、わりと居心地はよかった。

 試合は勝った。気分よくしているとき。父兄さんがお弁当をくださった。私たちは、「すご〜い、バスに乗せてもらった上、お弁当ももらえてラッキ〜♪」と、早速弁当をパクついた。

 …ところが、弁当の中身が残り少なくなってきたころ、あまり顔を知らない父兄さんがこっちにやってきて、「代金もらいます。2000円です」。やられた…。

 私の財布の中には、2680円しか入ってなかった。今日はタダだとふんで、いらんお金が持ってこなかったのだ。ああ、危ない、危ない(汗)。