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あるこのつれづれ野球日記
あるこ
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2002年05月31日(金)
前原くんの盗塁を見てみたい♪

 今日は、ちょっと足を伸ばして、福井県は敦賀まで出かけた。高校野球北信越大会が行われている。北信越というと、ものすごく遠いイメージがするので、試合から何からいろんなことが新鮮だった。

 注目の選手がいる。第二試合に登場した敦賀気比高校の前原健太選手だ。

 実は、同校を昨秋の練習試合で一度見ている。よく鍛えられていると思ったと同時に気になっていたのが、この前原選手の存在である。

 上背があり、足も長い。ホームランを打ったこともあり、非常に能力の高い選手なんだろうなと思った。しかし、一番気になっていたのが、彼に科せられたポジションだった。1番・ピッチャーなのである。

 高校野球におけるピッチャーの打順の傾向は、大きく分けて二つ。1つは、その高いセンスを買って、中軸の置く。もう一つは、負担がかからないようにと下位におく。

 だから、この1番・ピッチャーは非常に珍しいことだと思う。野球において、ピッチャーは過保護なくらい大事にされる。春のセンバツなどで、ランナーに出ているときに、グランドコートを着ているピッチャーをときたま見かける。また、塁上に出ても必要以上に走らせることを嫌がる傾向が首脳陣側に見られる。

 実際、全力で走塁したすぐあとに守りにつくと、制球が乱れたり、打たれたりするピッチャーも少なくない。私個人は、「スタミナの問題なんじゃ?」と思ったりするが、それだけピッチャーにかかる負担は大きいのだろう。

 それだけに、1番・ピッチャーという存在は興味津々。もし、「盗塁したら、ピッチングに影響が…」などという不安がよぎるのなら、指導者もここに彼を据えないのだろう。

 ということは、私の前々からの夢、「一番・ピッチャーの盗塁をこの目で見る」を彼なら叶えてくれるかもしれない。打席に注目。

 第一打席には、いい当たりだったものの、センターライナーに終わった。

 第二打席はツーベースヒットを放つ。相手ピッチャーが右だったので(多分)、セカンドからサードへの盗塁は難しい。不謹慎ながら、ちょっとがっかり。次打者は送りバント。サードに進み、盗塁の確率はますますなくなった。

 第三打席は見逃し三振。実は、これ、後でスコアを見せてもらってわかった。ほんまに野球を見ているのだろうか。自分で自分が不安になった。

 第四打席。2点リードで迎えた9回表。内野手のエラーで出塁。ファースト止まり。やった♪

 しかし、次打者はまたまた送りバント。無理もない。2点リードしてはいたが、中盤には同じ2点のリードをひっくり返された経緯がある。確実に1点。それがセオリーだ。

 セカンドベース上に立っている前原選手を見ながら、「あ〜あ、やっぱり見たかったなあ、盗塁」と思った。むろん、三盗の確率が残されてはいるが、試合展開から見て、期待出来ない。

 こんなチャンス、滅多とないのになあ。私はそうウジウジしながらも、「いっそ、彼が盗塁するまで追いかける“前原選手の盗塁を見届ける会”でも立ち上げようかしらん」と本人いい迷惑の企画を思いついた。現実離れした話だが、それだけ価値もありそうに思えた。

 そんななか、バッターのカウントは0−1。2球目が気の抜けたようなスローボールだった。バッターは見逃し。そのとき、前原選手が走っていた。盗塁成功、である。

 やった、盗塁が見れた!ところが、腹の底から沸き上げる興奮はなかった。
 
 それは、盗塁のシチュエーションにある。相手バッテリーは、塁上のランナーを無視し、バッターオンリーのような素振りがあったからだ。キャッチャーもサードに送球しなかったし、ピッチャーもそれほど動揺しているようには思えなかったのだ。

 また、ランナーだった前原選手自身も盗塁モードではなかったようだ。まさか盗塁出来るとは思っていなかったところに、たなぼた的に無警戒な球が来たという感じだった。本気盗塁のときの選手の体制は低いが、彼の体制は普通に立っているときと同じで、「いいのかなあ」という物足りなさすら伺えた。

 う〜ん、私が見たかった盗塁はこんなんじゃないんだな。

 もっとアグレッシブな盗塁と言いますか、塁上でじっとピッチャーを見つめ、「ここだっ!」というときに、体制を低くして、全力疾走。盗塁を感知した相手キャッチャーはすばやく送球。前原選手がセカンドベースに滑り込む。あの体格だから、迫力あるだろうな。牽制に入ったショートがタッチ。スライディングしたとき、周りの黒土が飛び散る。そして、一瞬の間をおいて、セカンド塁審が「セーフ!」。

 いいなあ、絵になるだろうなあ。



2002年05月30日(木)
信じること・具体性(読書感想文)


 読んだ本:井上光成著『遙かなる甲子園〜大分県立日田三隈高校野球部』(海鳥社)

 内容:夏の大会32連敗という日本記録を持つ同校を監督を中心に追ったノンフィクション。

 
 私がこの作品を単語で表現しろと言われたら、タイトルの「信じること・具体性」となる。

 信じること、というのは、作品の主人公的存在である同校の大塚和彦監督が口にした言葉であり、具体性というのは、この作品を読み進めるにつれて抱いた筆者の文章スタイルにたいする印象だ。

 実は、読み始めて当初は、「あっちゃー、久しぶりのハズレ本か」と思った。ハズレ本というのは、購入したが、読んでいて面白くない、または興味が失せたり、変なストレスのたまった作品のことだ。こういう本は、価格の高い・安いに関わらず、即、ちり紙交換に出すことにしている。

 この作品は、監督の方針が“野球を通した教育”というだけあって、やたら“教育”という言葉が出てくるのだ。私は、この類が好きではない。野球は、まず野球ありき、そして教育はそれに付随するものに過ぎないと思っているからだ。私がマヨネーズが嫌いと以前書いたが、“野球を通した教育”は、私にとって、マヨネーズかけごはんを食べさせられているような不快感がある。

 ま、それはいいとして、「もういい加減(読むのを)止めようかな」と思ったときに、飛び込んできた言葉が「信じること」だった。

 信じることは難しい。どこかに疑いや不信感を持っていた方が、自分につく傷が軽くて済むからだ。以前、友人が「私は何も出来ないから、せめて人を信じていたいと思う」と言ったが、私は途方もなくすごいことだと思った。この作品をもう少し読み続けてみようと思った。

 “アタリ”だった。この作品には、今まで見たことのないタイプのドキュメンタリーだった。それが、前述した“具体性”だ。

 ただここで言う具体性とは、野球の技術の説明や試合展開の読み、登場する人のエピソード的なことが詳しく書き込まれているという意味ではない。

 ひとえに「チームのレベルがあがった」「野球に取り組み意識が向上した」と言っても、具体的に何をどうすることが「レベルがあがった」ことなのか、「意識が向上したこと」なのかはよくわからないことが多い。

 「がんばる」「努力する」…人は言う。でも、何をどうすることががんばることなのか、努力することなのか。人は「屁理屈言うな」と言うけれど、私は分からずに、葛藤し続けている。だから、このテのことには敏感なつもりだ。

 私が特に「具体性を感じた」と思ったのは次の箇所だ。

○去年までは、ボールの握り方やバットも持ち方から教えるのが日田三隅高校野球部の指導だった。それが、松尾が「はい、ひとつ!」と言って打球を放てば、選手は捕球してファーストへ送球するのだ。「ふたつ!」と一声かけると、打球に従って選手たちはバックアップに動き、ボールはセカンドへ送られる。

 すごく単純なことかもしれない。でも、パッと脳裏にその光景を思い描くことが出来たし、技術的なことがわからない私でも、同校野球部はいかに進化したかが手にとるようにわかるのだ。

 また、筆者自身もこの具体性を意識していると思われる箇所が随所に見受けられる。あるいは、そうさせているのが同校野球部なのか。たとえば、こんな感じになる。

○ここでサードの小森は、「三遊間を締めて守ろう」と守備位置の確認をしている。「落ち着いていこうぜ」といったような漠然とした精神論ではない。

 こういった記述に見つけるにつれ、不思議な快感が体をかけめぐった。つまりは気持ちが良かった。

 う〜ん、具体的にいうと、何かの事情があって2,3日風呂に入れなかった後に、シャワーを浴びてボディーソープで体を洗い、泡を水で流すときに、「うわ〜、さっぱりしたなあ」と思うそんな気持ちに近い。不思議というのは、本を読んでいるときにシャワーで感じる快感を感じてしまったから抱いた印象なのだろう。

 最後に、作品の中で「努力したこととと勝つことは必ずしも直結しない」とあった。この作品を読んで、その重みを思った。筆者の具体性によるものだと、私は考えている。

 同校野球は、決して特別記録や記憶に残る試合を展開したわけではない。でも、そこにはたくさんの人の様々な思いがある。傍観者である私にとっては取るに足らない試合というのは、正直言ってたくさんあるが、この作品に触れたことにより、そんな試合にも楽しみや魅力を見いだし、何らかの感情を抱くことができるかもしれない。そう思った。
 



2002年05月29日(水)
タイガースショップ見聞録


 今日、甲子園で「阪神ー横浜」戦を観戦したのだが、試合前に梅田にある阪神百貨店6Fのタイガースショップに立ち寄った。

 むろん、初めての訪問ではない。何度となく足を運んではいる。しかし、今日はびっくりした。売り場は広がっている、グッズの種類が増え、品数も多い。店員が倍以上になっている。レジ台が増えてる。田淵コーチグッズまであるぅ〜!…とまあ、そんな感じです。

 ○グッズが出来てきたのに…

 以前はなかった藤本選手の背番号名前入りのボールペンとシャーペンが売り出されていました。にもかかわらず本人は今ベンチウォーマー状態。ああ。

 そのうち、斉藤・関本両選手のグッズも出てくるのでしょうか。雑誌が出版にかかる時間等のため、実際行われている野球とどうしてもタイムラグが発生してしまうことを嘆いているが、グッズにしても然りなんだあとか思ったり。

 ○阪神って…

 選手の背番号の入ったマフラータオルがありました。初めて見るので、おそらく今年からの新グッズなんだと思います。

 かっこよかったので、「欲しいなあ」と思っていたら、横にいた相方が「なんや○人の真似か?」と口を挟んできたので、一遍に買う気が失せました(苦笑)。
 
 とはいえ、元々このマフラータオル、巨人のオリジナルでもなんでもなく、パ・リーグの某球団が以前から応援に使っています。そう思うと、阪神ってオリジナリティーがないなあ。(あの球団カラーとファンだけで充分か?!)

 ○ビクトリーキャップ

 今日一番のヒットです。浮き輪のような素材で、帽子代わりやクッションや遊具にもあるマスコミ騒然に優れものとのことですが、今の今までこの存在自体を知りませんでした。

 甲子園のライトスタンドらしき場所で、何人かがこれを頭に装着している写真がありましたが、なんとも滑稽で…。便乗商売もここまできたら冒涜やでとか思っていたのですが、甲子園でこれを持っている人を何人か見かけました。ごめんなさい。

 でも、前の方で見ている方はこれをかぶっていると、試合終了後に飛んでくるであろうメガフォンの恐怖が少しは和らぐかもしれませんね。

 ○ビデオ

 店内にはビデオも売られています。あの有名なバックスクリーン3連発や優勝した年の名場面や名選手を取り扱ったものなどわりと豊富かと思いますが、今日、「2002年開幕7連勝」(名前に自信なし)たるビデオは発売されているのにはびっくりしました。早っ。

 ○店内の選手ポスター

 店内には実物大より少し小さい選手の全身(もちろんユニフォーム姿)パネルが張ってあります。ファンにとっては垂涎ものなのですが、何故かあのパネルに写っている選手って、ものすごく短足に見えてかわいそうです…。

 ○客層

 ま、成績が成績ですから、そりゃお客さんも多いわけです。若い男女はもちろん、目立ってのは年輩の方々。4,50代のおばちゃんはもちろんのこと、60代のおばあちゃんやおじいちゃんまで!

 おばちゃんたちの手元を見ていると、大半が星野監督グッズでした。この中の何割か、タンスの奥にノムさんグッズを眠らせているかもしれない(苦笑)。

 おじいさんが何に興味を示しているかは把握出来なかったのですが、帰り、タイガースショップの黄色いビニール袋を下げていたおじいさんがいたので、ちらっと盗み見すると、ビデオが入っていました。

 ○最後に。

 帰り、選手の写真入り色紙の前でもたもたしていると、猛烈なダッシュをかけてきた20代前半くらいの女の子3人組と遭遇しました。

 彼女らは、色紙を見るなり、「これこれ〜♪」といいながら、各々のひいき選手の色紙を手にして、嬉しそうにニタニタ。1秒もしないうちにレジでダッシュしていました。私と相方はただあっけにとられるだけでした。大阪の子はすごいなあ。


追伸:うちの母は、こないだアリアス選手の応援「♪レッツゴー ジョージー」というのを聞いて、「なあ、なんであの人ら“西高東低〜”って言ってはるん?」と訊いてきました。よくよく聞き込んでみると、確かにそう聞こえます。「必要は発明の母」、「知らないは発見の母」なんですね。



2002年05月28日(火)
橋本投手、阪神へようこそ♪


 阪神ー横浜戦のTV中継を見ていると、昨日(だと思う)行われた橋本投手の入団発表の映像が映し出された。

 橋本武広投手。青森県出身の小柄なピッチャー。ベテラン、37歳。左腕で中継ぎ、主にワンポイントとして起用され、今では救援登板プロ野球記録を持ち、なおも更新し続けている。

 彼のそんなありとあらゆる要素が、私を引きつけてならない。ファンという言葉があるが、私が彼に対して持っている感情は、それともちょっと違う。だから、「誰のファン?」と人に訊かれても彼の名前はあまり出さない。

 そんなわけで、好きな選手でありながら、橋本選手の顔をきちんと見たのは今日が初めてだった。

 友人からすると、「(生え際が)ちょっとやばいで」となるが、37歳の年齢では仕方ないし、実際見ても全然気にはならなかった。

 思っていたより、顔の大きい人で、目に力のあるなあと思った。顔を見たとき、そのくっきり二重の大きな目が3D映像を見たときのように視界に飛び込んできたのだ。びっくりした。

 顔全体は年相応なのだが、目だけが違う。目はすごく若い。勢いがある。う〜ん、言葉は悪いけど“老け童顔”って感じかなあ?(ごめんなさい、ごめんなさい!)

 会見で話す橋本投手は、時々大きな目をまばたかせ、終始にこにこしていた。イヤそうだったらどうしようと気になっていたので、ほっとした。

 「お客さんがすごそうだから、早く投げたいという気持ちで一杯です」、「阪神が優勝するためにがんばります」。心強い言葉が続いた。

 今まで見たくてもなかなか見に行く機会のなかった橋本投手が、甲子園で、それも縦縞(思ったより似合ってたな。でも、背番号「59」って…)を着て登場するなんて、今からワクワク♪

 テレビでは、「早ければ明日にでも登板するのでは?」と言っていた。明日、観戦の予定のある私としては、不覚にも(?)「内野席行きてぇ〜」とか思っていたり(苦笑)。

 とにもかくにも、橋本投手、阪神へようこそ。しっかり応援するので、頼んます!

 追伸:橋本さん、インタビューで「巨人ー阪神戦が…」とおっしゃっていましたが、こちらでは「阪神ー巨人戦」と言います。覚えておいてくださいね。



〜今週(?)の名言〜

 どんな優秀な人間にも欠点はある。逆に、どんなアホやボケにもそれなりの個性はある。せやから、おまえらアホ組は、その個性を伸ばせ。それしかない。人間、性に合わんことはなんぼやってもモノにならん。そんな暇があるんなら、取り柄を伸ばせ。鶏口となるも牛後となるなかれや。平均人間なんかにならんでええ。キラッと光るものを持って、頭を上げて生きていったらええんじゃ


 山本集著『浪商のヤマモトじゃ!』(南風社)より抜粋。


※『鶏口(けいこう)となるも牛後(ぎゅうご)となるなかれ』
大きな団体の属員になるより、小さな団体でも、その頭(かしら)になる方が良い。




2002年05月27日(月)
Image

 
 実は今日の日記、何度も「書いては消し」を繰り返しています。へこんでいるのです。書くこと書くことがすべて暗くなり、読んでる方に、「この姉ちゃん大丈夫か?」と思われかねないので、今日は自分の言葉を書きません。今、私の心に一番響いている曲の歌詞を今日の日記をさせていただきます。よろしくご了承ください。


 『Image』


 どれくらい目をつぶっていたろう?
 君を思い浮かべながら
 その笑顔が その全てが 僕だけの楽園

 楽しく生きていくImageを
 膨らませて暮らそうよ
 さぁ 目に写る 全てのことを 抱きしめながら

 静かにうねる海 カーテンを揺らす風
 何処までも続く青空 子供の笑い声
 君の手の温もり 死と再生を繰り返す命
 愛

 大切なものは いつだって
 目の前に転がっている
 ふんずけないように 蹴飛ばさないように
 歩いて行けるなら
 
 揺れ動く心の狭間で
 一筋の光に 手をかざすけど
 時代(とき)はいつでも急ぎ足で
 生きていくことの意味は
 争い合う事に いつかすり変わってく

 飛び込み台の上 僕等は否応無く
 背中を押され落ちてくんだ
 溺れそうな魂 水しぶきをあげて
 息絶え絶え水面をかく
 けれど

 楽しく生きていくImageを
 膨らませて暮らそうよ
 この目に写る 全てのことを 抱きしめながら

(music&words:KAZUTOSHISAKURAI、Arenged:TAKESHIKOBAYASHI&MR.CHILDREN)



2002年05月26日(日)
ありのまんま“緑”+α

 
 天気がいいので、相方と当てのないドライブ(いつものこと)に出かけた。恒例の161号線を走っていると、道路がすいていて、思いのほか、スムーズに進む。「よっしゃ、小浜行こか」

 福井県小浜市、福井県の入り口、海の側にある町。昔、おにゃんこクラブというアイドルグループがあったが、そこでも一際異彩を放っていた長い黒髪が特徴の会員番号16番・高井麻巳子さんの出身地だ。あのおっとりした雰囲気がこの町ではぐくまれていたのがよくわかる。小浜はそんなナチュラルな町だ。

 車を走らせて1時間30分程度、着いては見たけど、することがない。そこで、私は「若狭高校、見に行こう」と提案。相方はすることがないので、しぶしぶ車を発進させた。

 若狭高校は、小浜駅から1km程度離れた川沿いにある。学校の前には、飲食店が2,3あり、小さな本屋、ショッピングセンターもあり、ちょっとした町の中心地だ。(その中のトンカツ屋で昼を摂ったのだが、テーブルに有料ながら携帯充電器があり、非常に助かった)

 門は二つある。一つは時代劇の城のようなもので、もう一つは比較的新しそうな石碑だった。いずれにせよ、壮絶だった。

 グランドは学校の裏手にある。土地の立地条件がよくなかったのか、大きなグランドの他に小さなグランドが2,3あった。その大きなグランドの後方に[目指せ甲子園]と書かれた白いパネルがあり、黒土のマウンドもあったので、ここが野球部が使っているグランドだとわかった。レフト後方には地下道があり、抜けるとテニスコートに出る。

 グランドは狭いのか、広いのか、正直、よくわからない。たぶん、広い方だとは思うのだが、形がいびつというか野球にはむかない感じなので、実際より狭く感じた。

 しかし、誰もいないグランドはきれいに整備されており、見ていて気持ちが良かった。

 観客席としてあるのは、ネット裏の階段のような3段のスタンド。ここから、見ると、キャッチャー後方のファウルゾーンが結構広いことに気づきました。ちなみに一番前で座ると、フィールドを見上げるという新鮮な視野が味わえます。

 しかし、グランド付近にあるきれいに舗装された道路の歩道で立ち見もなかなかよかった。視線が外野レフトスタンド。グランド全体が見渡せます。

 また、グランド側には南川という水量豊かな川があるため、三塁側にはちょっとした土手が出来ている。緑豊かな木が数本植えてあり、格好の日よけ場所となりそうだ。

 面影が松商学園の土手と似ているなあと思った。この土手みたいなところにグランドへ降りるための階段がある。よくわからないが、ここで見る人もいるんだろうな。ちなみに、ここに何故かめがねが落ちていました。

 ここの特徴は、とにかく“緑”。土手はもちろんのこと、スタンド回り、ブルペンのマウンドからバッターボックスの間、そういうグランドの隙間的なところが“緑”なのだ。

 文面だけ見ると、「どんな豪華なグランドやねん」と思われるが、決してそうではない。いたって普通のグランドだ。なぜなら、その“緑”の大半が雑草だからである。

 グランドの側まで足を運ぶと、草の匂いがツンと鼻をついた。夏にミュールで観戦なんて、自殺行為。

 大半が雑草なのだが、中にシロツメクサなど色彩鮮やかな花の咲いていて、「ああ、みんな生きてるんだなあ」と思った。グランドがきれいであることがすべてなら、この雑草たちは刈る取るべきなんだろうけど、自然のままもいいなと思った。もし、ここの人に話がきけるとしてら、そうしてこのままにしているのかを訊いてみたい。

 とにかく緑豊富な場所。でも、その緑一つ一つの色が違う。きれいに整備された球場の人工芝やスタンドの緑はその大半が同じ緑である。

 一重に[色]といえど、いろんな種類がある。以前呉服屋で働いていたとき、売り上げ伝票を書く(パソコンがなかったんです!)際、商品名に出てくるあまたの色の名前に頭がクラクラした。

 だから、[緑色]にもいろんな[緑色]があるわけだ。ここのグランドにある緑を結集した考えたとき、脳裏に“ありのまんま緑”という言葉が浮かんだ。みんな同じようで同じじゃない。改めて、そう痛感させてもらった貴重な訪問となった。


 若狭高校訪問後,県道261号線をひたすら走り,終着地点の三方町常神というところに車を停めた。

 海と山に囲まれた小さな集落で、家が20戸あるかないかの町。小さな漁船がいくつか船着き場みたいなところに浮かんでいた。通り沿いの家の軒先には、昆布や干物が干してあり、民宿が2,3軒あった。

 青い空ときれいな海と鳥が気持ちよさそうに舞っている。ただそれだけの町。私と相方は、工事中の看板を無視し、海沿いを岩伝いに歩いた。一歩踏み違えば、海にぽちゃんだ。ちょっと怖かったが、澄み切った海水をのぞくと、ウミウシやヒトデや小さなタコを見ることが出来た。

 20分ほど歩くと、階段が見えてきた。かなり急な階段を上ると、反対側の海岸に出た。畳10畳くらいの小さな浜辺。観光客などまず来ないところだから、ごみ一つ落ちていない。階段があるので、もちろん地元の人が来てるのだろうけど、なんか秘境を見つけたみたいで気分がよかった。 

 2,30分、ぼけ〜として過ごしたあと、元の町に戻った。沖でミャ〜という声がする。ああ、海猫はほんまにミャ〜って泣くなんなあ。

 漁の終わった船着き場で、相方と二人、自販機で買ったジュースを飲んでいた。雲行きが怪しくなり、辺りが暗くなってきた。そのとき、ふと思った。「ここで過ごす夜ってどんな感じなんだろう」と。

 何するでもなく、ここで夜明けを見たいと思った。朝日の色はどんなだろう。この船着き場のにぎわいはどんなんだろう。朝ごはんに食べる魚はおいしいんだろうな。いつかもう一度、ここに来てやる。そう、心に誓う。

 帰り、敦賀で漁港上がりのちりめんじゃこを購入。やっぱ市販のとは全然違う。格段、おいしかった。


 



2002年05月25日(土)
感動のタイミング


 このこころ、PCをしながらのBGMは、専らミスチル。少し前から部屋の整理をしているのだが、そのときにひょっこり顔を表して以来のつきあいだ。

 聴いているCDは、99年に発売になったアルバム『DISCOVERY』。中でも、最後に入っている「Image」という曲がすごく好き。4分程度とミスチルにしては短い曲なのだが、緩急もきちんと着いているし、歌詞も奥深い。終盤は、聴いていてゾクゾクした。

 にしても、何故、今になって?と思う。

 前述の通り、このアルバムは99年に発売されたもので、購入も発売とほぼ同時期。当初何度か聴いていたが、特に印象に残る曲はなかった。部屋の整理をしている時に改めてその存在に気づいた程度なのだから。

 この「Image」という曲も間違いなく聴いている。でも、今始めて聴いたような衝撃が私を襲っている。

 感動するのには、タイミングが必要なのかもしれない。


 もしも、タイムマシーンがあるなら、過去に行われた試合を見てみたい。いや、そんな昔昔でなくてもいい。たとえば、私は始めて野球にはハマった15歳の夏の甲子園大会とか。

 1990年、夏の甲子園3回戦「平安ー丸亀」戦が、私の人生を変えたと今でも思っている。0−0の延長14回。雨のナイター。その後、延長戦の名勝負は多々生まれているが、0−0の投手戦で14回ともなれば、おそらく皆無なのではないかと思う。

 とにかくすごく感動した。ドキドキして、体調がおかしくなりそうだった。

 その日、テレビの前で夕飯の雑炊を手に観戦していたのだが、26歳の私としてもう一度その場所で、あの試合を見てみたいと思う。果たして、あのときと同じように感動できるのか、いやそうではないのか。すごく興味がある。

 また、野球のいろんなことを知らなかった15歳の私を、2002年に連れてきて、私が壮絶にショックを受けた応援高の春の大会を見せたい。“彼女”は、一体どういう思いで試合を見守るんだろう。すごく知りたい。きっと、同じショックでもかわいげのあるショックを覚えるんだろうなあ。(苦笑)


 余談だが、うちの父の感動のタイミングは、今,“モーニング娘”だ。私からCDを借り、「超、超、超〜」と口ずさみながらダビングしていた。通学の車の中でガンガンにして聴くようだ。がんばれ、61歳!





2002年05月24日(金)
小出しに出来ないタイガースと私…


 野球日記と題して、何事も強引に野球とこじつける(相方談)日記を書き始めて1年ちょっと経った。自分の得意分野、苦手分野も見えてきた。

 どうやら私は物事を順序立てることが苦手のようで、試合の観戦記や旅先で見てきた試合やグランド訪問記など、全体を見渡して書かねばならないものはどうしても苦戦する。最近で言うと、仙台に行った際に書いた[杜の都の解放区]という日記がそれにあたる。

 野球を絡めた旅行をしたり、試合を見ている方がはるかに書くことがたくさんあるはずなのに、何故か普段よりキーを打つペースが遅くなる。もし私がピッチャーをしたなら、味方が点を取りすぎたら返って調子が狂うタイプなんだろうなと思ってみたり(苦笑)。


 今日、同じ野球日記を書いている友人と電話で少し話した。そこで私が「なんかここ2,3日ネタがなくてやあ」と愚痴ると、友人から「なんや。あの仙台のヤツ、2回でまとめてしまわんでも、何回かシリーズ化したらよかったのに」と返ってきた。

 あ、そういえば、そうやな。
 
 当初の私はとりあえず早くアップしてしまいたくて、書き急いでいた感がある。

 友人の言葉は続く。

 「せっかく貴重な経験してきたんだから、小出しにしてたくさん書いたらいいやん。もったいなあ。阪神も昨日あんなにたくさん点取って。打てないときは全然打てないのに…」

 笑ってしまった。わしゃ、阪神打線かいっ!

 とかく、ありがたいアドバイスを頂戴した。次からは小出しにしてみようかな。でも、無理だろうな。阪神ファンやし、うち。



2002年05月23日(木)
ごめんなさい、どうしてもネタは浮かびませんでした。


 というわけで、なおさんによる「現役女子校生と女子校出身者さんへの100の質問
」を今日の日記と変えさせていただきます。よろしくご了承ください。

現役女子校生と女子校出身者さんへの100の質問
現在女子校に通っている方と、女子校出身者さんのための質問です。
++基本問題++

1 まずHNか、お名前を。
あるこ
2 星座は?
乙女
3 血液型は?

4 どこの出身ですか?(大阪府とか。)
京都府
5 好きな芸能人を教えてください。
特にいない。
6 中学・高校・大学、どれが女子校だった?
高校
7 もしかして、ず〜っと女の子ばっかりの学校?
いいえ。
8 学校名(答えられる方のみ。どこにある学校とかでも)
市内の某キリスト教系の女子校
9 もしかして、めがねっこさん??
今はコンタクトさんです。
10 よく見るテレビ番組と雑誌は何ですか?
特になし。
11 好きなお菓子は何ですか?
かっぱえびせん
12 一番お気に入りのお店を教えてください。
駅前の某居酒屋
13 女の子同士で遊びに行くなら、何をすることが多い?
飲み食い
14 マンガにはまった!!どんなマンガが好き。
野球漫画かギャグマンガ
15 ゲーマーだっ!!
いいえ。
16 ちなみに、どんなゲームが好きですか?
単純なヤツ。
ドラクエ登場あたりで、もうギブアップ。
17 持っているゲーム機を、教えてください。
なし
18 実は好きなキャラクターがいる。
なし

++女子校について++

19 女子校の良い所を自慢してみてっ!
男の目を意識しなくてもいい。
20 逆に、ダメなところを教えてください。
野球部がない。
21 どうして、女子校を選んだのですか??
小・中と男子にいじめられてたから。
22 お嬢様学校ですか?
はい。(自分で言うなよ〜)
23 やっぱり、ルーズソックスはいてました??
はい。
ちょうどはやり始めた頃ですわ。
24 制服は、キチンと着ていましたか?
ちょっとスカートを短くしてたかな。
25 風紀検査は厳しかったですか??
まあまあ。
勉強の出来る人には甘かった。
従って私は厳しくやられた。
26 風紀検査にひっかかったことはある?
おおあり。
27 いったい何が原因でひっかかったの?(ひっかかったことない人は、どうしたらひっかからないのか教えて!)
ぬきうち検査。
28 当時、はやっていたことは??
さあ。
高3の終わりにポケベルを持ってた子はいたかな?
29 女子校に通って良かったことはなんですか??
男性にたいするトラウマが和らいだ。
30 逆に損したことは?
学校あげての野球部の応援を経験できなかった。
31 女子校に行っていたおかげで、私はオシトヤカなのと思っている。
んなわけない!
32 「歩きながら食べないっ!!」と注意されたことはありますか?
あります。
33 先生からの注意で、女子校的だなぁ〜っと思ったものは何ですか?
何だろう?多すぎてわからない。
34 近くに男子校はありましたか??
あったといえばあったし、なかったと言えばなかったし…
35 他校の男の子とコンパしたことがある??(どんな感じでしたか?)
あります。
素で盛り上がっただけ。
36 実は女子校の子の方が、もてると思っている?理由も。
思う。男の子が、女子校に対して持つイメージがそれを助けているとも思うけど。
37 コンパの誘いはいくらでもある。
つき合う友達で決まる。
38 やっぱり女子校で良かった〜って思う?
人生のうち3年だからね。
39 その理由は?
男の子嫌いだったから。
40 女子校の選択、失敗したっ!!って思う事があった?(何回くらい?)
ない。でも、母校の野球部トークに寄れないのが悲しい…。
41 その理由を教えて。
男の子が嫌いだったから。
42 体育祭や文化祭、男の子がたくさん来ていた。
文化祭。体育祭は呼べなかったんじゃないかな?
43 男の子がいないから、本性をさらけ出していた。
実は、対女の子の方が本性をさらけ出せないものです。
怖いねえ、女子校って。
44 たとえば、どんなことをした?
だから、特に何も。
45 何度、共学に行きたいと思ったか、わからない。その理由は。
行きたいとは思わなかった。
口では「うらやましい〜」とか調子のいいこと言ってたけど。
46 学校の中はキレイだった??
めっちゃきれい。
47 女子校は親からすすめられた?どうしてすすめるのかその理由、知ってる?
自分の意志。
親はノータッチだった。
48 嫌われている先生がいた?(それは、どんな人だったの?)
多すぎて書ききれない。
49 先生に、体育の時の着替えを覗かれたことがある?それって、どう思う?
ない。見たいなら見れば?
実際、女子校にいる先生ってそういうことに興味なくなっていくらしい。
50 共学と女子校、女の子しかいないとか以外で、違う所ってあります?(どんなこと?)
男子校出身の子に、「話するときの[間]が違う」と言われた。
女子校出身の子は独特らしい。
51 食堂のランチ、一番好きなメニュ〜は??(いくつでも)
食堂なんてないもん(泣)。
52 女子校は、あわない・・・と感じたことがある。
ありまくり。
途中から合わせることを放棄。
53 その理由は・・・いかに??
考え方から感覚まで何もかも。
実際、私の出身校を言うとたいていの人が驚く。
54 最近、女子校から共学に変わるところが多いですよね?それって、どう思う?
うちは関係ないからいいや。
55 元女子校に早速、入学してくる男の子について、どう感じますか?
それより野球部が出来るか否かが気になる。
56 このまま、ずっと女の子だけの場所でいたい?
もういい。飽きた。こりごり。
57 それは、どうして?
合わないから。
58 女ばかりの世界から飛び出すのが怖いと感じる。
別に。ウキウキした。
59 それは、どうしてなの?
合わないから。

++イジメについて++

60 女子校でのイジメ、見たことがある?
ない。話は聞いた。
61 女のイジメは怖い?(どんな感じなの?)
怖いだろなあ。
62 イジメられたことがある?(軽い無視なども含めて)
ない。
クラスから浮いてたけど。
63 女王様みたいな子がいた。(どんな感じの子?)
クラスメートに興味ないから、どんな子がいたかなんて覚えていない。
64 先生をイジメてしまったことがある?(どんな風に?)
無視。(本人にはその気がなかったんだよ〜。でも、先生が担任に泣きついてきてさあ)

++ケータイについて++

65 今、着メロは何?
人によって違う。
66 ケータイ電話は、いつ頃から持っている?
20歳くらいかな?
67 支払いは、どうしてる?一ヶ月どれくらい?(例:親が払ってるとか。)
自分で。1万円台前半。
68 メル友がいる?何人くらい?
3〜4人
69 メル友と会ったことがある?(どんな感じだった??)
会った地点で[メル友]から[友達]になるんじゃ?
70 ケータイがないと生きていけない?
たぶん。
71 ネットはする??(PC,ケータイどちらでも)
する。
72 ネット歴は?
1年ちょっと。
73 オススメのサイトを教えてください。
多すぎて書けない。
74 ケータイがないとダメな理由を教えてください。
時計代わりだから。
人の電話番号を覚えていないから。
75 ケータイの裏ワザ知ってる?どんなの??
知らない。
76 電話は最高何時間??
7時間。
77 出会いがないっ!!出会い系サイトにアクセスしたことがある?
ない。

++ラブ++

78 女の子から告白されたことがある?
ないない!
79 初めて、お付き合いしたのは、いつ頃ですか?(どんな風でしたか?)
二十歳直前。紹介で「とりあえず〜」だったから、あまり実感はなかった。
80 初めて、キスしたのは、いつ頃?(どんな気持ちだった??)
81 オススメのデートスポットは?
人に勧められるほどしゃれた場所には行ってない。
82 キスした〜いって思うことありますか?それは、どんな時?
ないしょ。
83 それは、誰(どんな人)と、どんな風に??
だから、内緒だってば。
84 先生は、恋愛対象だっ。
んなわけない。
85 もてる先生がいた?(それは、どんな人?)
いたいた。若くて、さわやか系。
私のタイプではなかったけど。
86 自分もしくは、友人が先生と付き合っていた?
いいえ。
87 先生は、だいたい卒業生と結婚していた。
はい。
88 先生と、付き合うこと、どう思う??
正直、理解できない。
先生を男性として見れないし。
89 ネット恋愛をしたことがある?
ないない!

++イメージ++

90 女子校って、レズビアンが多いの??とか聞かれたことがある。実際は、どうでしたか?
いたらしいね。
91 入学前の女子校のイメージは?
おじょー。「ごきげんよう」が挨拶。
92 そのイメージと違ったことはありますか?
おおあり。
93 それは、なんですか?
挨拶が「ごきげんよう」なわけない。
94 自分は傷つきやすいと思う。(それはどうしてですか?)
はい。
95 男性恐怖症に陥ったことがある?(どんな感じでしたか?)
あるある。えー、やだなあ、話すの。
96 男の子が嫌だから女子校に入った?どうして嫌なの?
はい。だから、いじめられてたから。

++100の質問について++

97 100の質問って好きですか?どういうところが好きか教えてください。
好き…かも。
98 他の100の質問をしたことがあれば、教えてください。(いくつでも)
あります。
野球ファンに100の質問、日本人に50の質問などなど。
99 この質問用紙(HTML又はテキスト)の使い心地は?
悪くないです。
100 この100の質問の感想など、ご自由にどうぞ★
これはなかなかおもしろかった。


サイト名⇒poron's SHOP はねじるし
URL⇒http://easter.ne.jp/naonao



2002年05月22日(水)
夢を語ってみる。

 えらい暑苦しいタイトルですみません。こんな私にも一応「夢」があります。よかったら、話につきあってやってください。

 小説家なのか、ライターなのか、ただの物書く人なのか、いずれにしても、私は「文章を書いていたい」と思う。したがって、今日はそれに付随する夢について書きます。

 一つ。

 平日の午前中に喫茶店でコーヒーでも飲みながら、原稿を書いてみたい。原稿と言っても、そんな大げさなものではなく、自分のHPに載せる文章の下書きとか日記の下書きとか、ま、そんな感じ。そこそこ落ち着ける場所がいいので、そういうところはコーヒー一杯にしろそれなりの値段はするだろう。ということは、今のままではダメで、もう少しお金がいる。

 一つ。

 もっと性能のいいデジカメが欲しい。今持ってるデジカメはズームがきかないので、そうとう側で撮さないと選手の表情まで取れないし、輪郭だけに写真にしても、全体的にぼやけてる。

 それなら近くで撮影すればいいのだろうけど、私個人は全体を見渡しながらの方が撮影ポイントを見つけやすいと思ってるし、試合展開も見守りたい。だから球場のスタンドにいても、フィールドにいる選手をばっちり撮れるくらい精密なデジカメが欲しい。

 一つ。

 ノートパソコンが欲しい。旅先の電車やバスの中でおもむろにカバンから取り出して、その日訪問したグランドや観戦した試合や旅日記をアップしてみたい。ビジネスマンとかが、車内でキーボードを打っているのを見て、「うわー、ごっつかっこいい〜」と思った。


 「夢」というから何かと思えば、ただの物欲やん。それやったらはよ仕事みつけなはれ。

 画面の向こう側のつっこみが聞こえてきそうです(苦笑)。でも、それが私の夢なんです。夢なんて、そんなものでいいと思う。「アイドルになりたい」とか「スチュワーデスになりたい」とか言ったってはっきり言って無理だしさ。それに、夢は大きさや数の勝負でもないし。

 
 そうそう、私の学生時代のツレ(♂)が、来春結婚するのですが、そのために家にある雑貨を「形見分け」として、私たちにくれたのですが、私には球児隠し撮り用の超小型デジカメと会話を録音し文章に起こすためのレコーダー(??)をくれました。

 うれしかったです。最近は職探しにおぼれていて、夢という言葉を忘れていました。やりたいことを置き去りにしていました。でも、彼は私の夢とかやりたいことをきちんと覚えていてくれたのです。

 何の根拠もないけれど、夢はまだつながっている。そう思えました。


 

 



2002年05月21日(火)
“for you&me”(読書感想文+α)

 先週末、兵庫→仙台と野球旅をしていた間にお供としてリュックに忍ばせていた一冊の本がある。中村素至著「もうひとつのフィールド・オブ・ドリームス〜伝説のエース小川健太郎物語〜」(新風社)という本だ。

 小川健太郎というピッチャーを私は知らない。しかし、本や雑誌でときに話題にされることがあり、どんなピッチャーだったのかには興味があった。

 小川投手は、昭和40年代中盤、オートレース事件による「統一契約書の不正履行」により、球界から姿を消さねばならなくなったのだが、彼の現役時代を知らない私のような人間は、そのイメージが先行してしまがちである。

 この作品を読んで、“報道機関が真実を伝えるためのものである”という概念を考え直さなければならないとすら思った。

 小川投手は、野球を真剣に遊んでいた人だという印象を私は持った。彼の顕著な特徴である背面投げは、自身やファンを楽しませるエンターテイメント的要素でもあり、強敵に立ち向かうための苦肉の策でもあった。

 また、試合前に公園で子供とキャッチボールをしたり、疲れた日でも子供ファンにきちんとサインをしてあげたというエピソードがあるが、単にファンサービスというのではなく、自身が純粋に子供が好きだったからだという。(夫人が筆者に「あれは本人が遊びたかっただけですよ」とも語っているのだが)

 私はどうも「人のため」とか「あなたのために」という言葉を受け付けない。そんなアホなと思ってしまう。

 私が最初につとめた会社の社訓に「まごころ・for you・思いやり」という言葉があった。でも、お客さんからお金をもらっている以上、“for you”ではなく、“for you&me”だと思う。

 自分が人に対してしたいことが、結果的に人のためになっている。それでいいと思う。だから、「人のため」とか「あなたのため」というのは、相手が決めることであって、こちらが決めることではない。

 (だいたい、人に「〜してあげる」という言葉が口につくこと自体傲慢だと思う。そういう人に限って、感謝されなかったり、見返りがないと腹を立てるケースが多い)

 小川投手が多くの少年ファンに愛されたのも、一連の行動が、子供のため、野球のためではなく、自分のためという要素があったからではないかなと思う。

 そんな少年ファンも、今は3,40代に達している。事件が発覚し、彼が球界から追放されたとき、みんなはどう思ったのだろう。子供だから、事件の真相も重要性もよくわかっていなかったかもしれないが、「裏切られた」と思った子がいなかっただろうか。そうだとしたら、やっぱり悲しい。

 でも、少なくとも少年時代彼のファンだった筆者はそうは思っていない。だからこそ、こういう作品を世に送り出したんだろう。

 子供が好きだった故人は、この作品の存在を天国で誰よりも喜んでおられるかもしれない。



2002年05月20日(月)
杜の都の解放区(後編)


 バンカラの色濃い両校応援団について、私の見た限りを書きます。
 一塁側、仙台第一高校。

 応援団は、羽織姿で、一部生徒は赤くてやたらでかくてながいメガフォンを持っています。私服の学校らしく、生徒が甲子園で言うとアルプススタンドみたいなところにびっしり詰まっていました。

 7回には一部団員らしき生徒が、海パン(?)姿で外野へ駆けていき、体操のよな裸踊りのようなことをしていました。途中からヒートアップしたのか、白いパンツ(?)一丁になり、人文字を作り、芝生全身で転がっていました。(あとで、芝生を踏みしめてみたのですが、結構深かったです。でも、芝生というより雑草に近かったので、あとでヒリヒリしたことでしょう)

 この踊りみたいなのを見るまでは、テンションにしろ気合いにしろ、仙台二高が一歩リードかなと思っていましたが、これでいっぺんに流れを変えてしまいました。

 勝ったあとは、赤いメガフォンが場内に投げ込まれました。みな肩を組み、延々と校歌た応援歌を歌っていました。「ああ、進学校臭いなあ」とちょっとやかんでみたり(苦笑)。

 試合終了後の応援合戦はかなりの長期戦だったので、人数が多いことをいいことに、後ろの方の子は座っていたり、場内をうろついたりしていました。でも、硬派な雰囲気が漂っていたので、後ろで追試の話をしている地元の女子高生の浮きようったらなかった。そんな彼らですが、「(定期戦は)楽しかった」と言っていました。

 そうそう、スタンドにはいろんな言葉が書かれた手作りのプラカードらしきものがありました。ヤジだったり、応援団長のことだったり、ともかく男子高校生らしい滑稽なことばかりでした。

 その中に「にこ(二高)の校歌は長くてうざい」とありましたが、私からしたら両校とも五十歩百歩です(苦笑)。

 三塁側は仙台第二高校。

 スタンドには、部員一人一人の名前が書いたカラフルな幟みたいなのが掛けられていました。紫、スカイブルー、黄色と色が学年別に分かれていました。

 人数では、ちょっと負けていましたが、一心乱れぬ熱い応援が続いていました。応援合戦中も座るどころか私語をしている子すら皆無でした。応援団は白い短ラン姿でした。5回のグランド整備の間に、応援のリズムで体操していました。(メジャーで言うセブンイニングストレッチみたいなものかなあ)

 応援合戦にもルールがあるみたいで、相手高の応援が終わるまでじっと立って待ってなければならないようなのですが、そのときに女の子と話していた生徒を先生が「(一高が応援をしているのだから)最後まで黙ってなさい」と注意されていた。すげえ、気合い…。

 応援団といえば、声かけみたいなのがありますが、ここもやっていました。たとえば、「二高はよくがんばった」「いえ〜い」みたいな感じで。とにかく熱かったです。「おまえら、試合を見ていて、二高に負けて欲しくないと思っただろ?」「その思いが二高を作っていくんだ」

 余談だけど、「俺は一高が嫌いだぁ〜」というのは、なかなか笑えました。なんのこっちゃ。

 どうでもいいけど、仙台二高の応援歌なのか校歌なのかわからないけど、「♪すすめ〜すすめ〜」というのはあるのですが、どうしてもその後に「アリさ〜ん、マーク〜」と口ずさみたくなりそうでたまりませんでした(笑)。

 両校共通していたのが、やはりその熱さとテンションの高さ。試合前からすでにできあがっており、1回のチャンスから、スタンド最前列のごく狭いスペースのほぼ全員(応援団および補欠の部員)があつまり、フェンスを揺らしてすごいテンションで応援していました。すごい人工密度で、私のいたところからは男子高校生の頭の固まりがうごめいている感じでした。

 ああ、若さのエネルギーが健全に発散されてるなあと思いました。いいなあ、やりなはれ、もっと。

 また、攻撃のときのかけ声は「かっとばせー○○(選手名)、○高(相手高)倒せー、おうっ」でした。「○○倒せ」は確か90年代に暗黙の了解で禁止されています。でも、相手を倒さない以上、勝ちはないわけだしねえ。

 攻撃守備おかまいなく、ずっと応援。動きが止まったのは昨日に日記に書いたホームランのときだけ。

 試合終了後、延々と応援合戦が続くのですが、そこにもきちんと規律がある。下現役の生徒のよる応援合戦が終わったら、外野を陣取る両校OBによる応援合戦が始まりました。

 エールが部員や学校だけではなく、野球そのものやスタンドの後輩応援団にもむけられる(ということは、ラグビーやサッカーでも同じような定期戦があるのかもしれない)。後輩たちはそのとき、外野席に向かって、深く一礼していました。

 
 この雰囲気は何だろうと考えた。もちろんただの練習試合ではない、応援形式が大学野球に似ているような気がするので大学野球かといえな、そうでもない。緊迫する試合展開に早くも日焼けをするほど照りつける日差しに夏の県大会を思うが、それもちょっと違う。

 なんだろう、なんだろう。

 そのとき、ふと思い浮かんだのが「解放区」という言葉。そう、ここは高校野球の解放区。

 「○○倒せ」と言っても注意されない、選手個人名を書いた幟を掲げていても注意されない、降ろす必要もない。フェンスを揺らしても注意を促すアナウンスもなければ、メガフォンの投げ入れも容認されている、外野で裸になっている生徒がいてもそのまま試合は進行する。

 もしかしたら、一昔前の光景がそのまま残されているだけなのかもしれないし、はたまたありそうでなさそうな世界なのかもしれない。

 野球はスポーツであり、若さを発散するところであり。応援はそんな彼らを応援することによって、自分を解放している行為であり。

 とにかく、ここは解放区。何かと規制のかかる高校野球が存在する限り、いつまでも人々に愛されていくことだろう。


 



2002年05月19日(日)
杜の都の解放区(前編)

 今日は、朝イチののぞみに飛び乗って、一路仙台へ向かった。今まで東京までなら何度か来ているのだが、さすがに東北新幹線に乗り換えるときは、さすがに興奮した。

 当日は、夏を思わせる陽気だったので、あまり東北に来たという時間はなかった。駅で伊達政宗像を写メールで友人に送ろうと思ったが、らしきものを見つけることが出来なかった。

 今日、観戦したのは、仙台第一高校と仙台第二高校の野球定期戦。毎年この時期に行われるもので、地元では野球のメインイベントの一つであるようだ。“杜の都の早慶戦”とも呼ばれている。3戦行われて、先に2勝した方が勝ち。今日は、2戦目が雨で流れたあとの3戦目だった。

 試合会場の宮城球場は、JR仙石線(地下鉄です)の「宮城野」駅を下車して、徒歩5分程度。宮城野総合運動公園の中にある。駅を降りるとすぐそばに仙台育英高校の校舎が建っている。

 球場入り口には「仙台第一高校・仙台第二高校野球定期戦」と書かれた看板がたててあり、受付で入場料500円(高校生100円・中学生以下は無料)を払うと、メンバー表をもらって、観客席へ。

 よく宮城球場のボロさが嘆かれているが、なんてことない普通の球場だった。ネット裏最上段、フィールド全体を見渡せる場所を探して腰掛けた。

 試合開始一時間前、早くも両校スタンドの応援が加熱気味。ノック練習のときも、打球が飛ぶと「レフト〜」とか言って声を張り上げていた。

 一塁側は、仙台第一高校。赤くてバカに長くて大きいメガフォンが目立つ。三塁側は、仙台第二高校。白い学ランを着た応援団員を中心に手を叩いたり、いろいろなポーズを取ったりしていた。

 外野にはOB応援団が陣取る。ネット裏には、地元ファンや父兄さんらしき方が陣取る。練習試合の一部として位置づけられている他校の定期戦とは違うのは、ここの観客層でよくわかる。

 顕著な特徴は、女性の1人観戦者がわりといたこと。実際私の隣にいた女性も30代か40代くらいの女性で、スコアをつけておられた。

 
 今年は、両校とも投手を中心とした守備の堅実なチームとのことで、好ゲームが期待できた。

 先制は、仙台第二高校。単打をつなげたり、積極的な走塁をしたり、相手のエラーに助けてもらったりとこつこつ積み重ねて、3点をリードした。

 しかし、中盤、仙台第一高校に同点3ランホームランが飛び出した。場内はおおいに沸いたが、三塁側スタンドはただ呆然。攻撃守備お構いなくひたすら応援を続けていた彼らの動きがこの一瞬だけ止まった。しかし、その後すぐ、それまでと変わらない応援を続けた、そう、まだ負けたわけじゃない。

 それでも、流れが変わったのは間違いなく、仙台第二のナインに疲れや集中力のなさを見受けることができた。ピッチャーの球が大きくずれ、キャッチャーが追いついた。幸いそれほどはずれていなかったため、セカンドにいたランナーはそのまままだったが、キャッチャーは肩で息をし、一瞬足を止めてしまった。

 すると、仙台第一のセカンドランナーは多少躊躇しながらの三塁へ。キャッチャーはあわてて送球。タイミング的にはアウト。しかし、あわてていたため、送球が上の逸れ、判定はセーフ。結局、得点には至らなかったが、もったいないプレーだなと思った。

 結局、3−5で仙台第一が勝利し、1戦目の勝利も併せて、定期戦優勝を決めた。9回裏、仙台第二も二死二三塁まで攻めたてる粘りを見せた。久しぶりに高校野球を見て、ドキドキした。

 勝利の瞬間。仙台第一ナインは一斉にマウンドに駆け寄り。まるで甲子園行きを決めたかのごとく抱き合って喜んだ。応援団のテンションはもっとすごかった。負けた仙台第二のスタンドはただ立ちつくし、その光景を見守っていた。

 続いて閉会式が行われ、勝った仙台第一高校にトロフィーやカップが送られた。閉会式が済むと、部員はそれをスタンドの応援団に見せつけ、喜びを分かち合った。

 そのあと、応援団による応援合戦は約1時間ほど延々と続いた。一部の熱心な観客はいつまでも席を立つことなく、そんな光景を見守っていた。

 ベンチ入りしていない部員は、白いゴミ袋を持って、球場内の隅から隅までのごみを拾って回っていた。「ごくろうさん」などと悠長なことを思っていたが、実は私、シートにお弁当のバックを置きっぱなしにしていたのに後で気づきました。ごめんなさい!

ちなみに試合終了後の両校部員は、「学校に戻り、焼き肉を食べるんです。毎年というわけではないのですが、親がしてあげようという年はたいていやっていますよ」(仙台二高父兄さん談)、「解散です」(仙台一高野球部員談)、とのこと。

 応援についてなど、もう少し書きたいことがあるので、明日の日記を後編とします。



2002年05月18日(土)
返球速


 兵庫県内の高校のグランドで行われた練習試合を観戦した。練習試合のいいところは、選手を始め、いろんな物事が近くで見れることである。

 今日は、ネット裏に陣取る野球部員が手にしていたスピードガンをじっくり見ることができた。ピッチャーは球速だけではないとわかってはいるが、やはりボールの速さは気になる。特に今日投げていたピッチャー陣は、全国級の注目を集めている粒ぞろいということもあるのだが。

 そこでふと気づいたのは、スピードガンではピッチャーの球速だけではなく、キャッチャーがピッチャーにボールを返すときの球速も表示されること。ま、当たり前と言えば当たり前なのかもしれないが、私の中では新鮮な驚きだった。

 そうなったら、私の注目は、ピッチャーではなくキャッチャーで一杯になる。

 見ていると、やはりほぼ一定の速度で返球されていた。だいたい60km/h中盤から70km/hくらい。正捕手級は、これ+10km/h程度だ。ピッチャーみたいに、ボールに変化を加える必要がないから安定している。

 こうして考えると、昔、広島にいたキャッチャー・達川氏が「達川の(返球するときの)ボールは140km/hくらいあったのではないか」と言われていたが、それはどれだけすごいことなのかよくわかる。

 今日の試合展開がやや地味だったので、残念ながら、キャッチャーが返球の速度を変えて、ピッチャーに奮起を促すなどという粋な試みが見れなかった。それとも、そういうことは高校レベルでは行われていないのかもしれないが。

 ちなみに、キャッチャーが盗塁を刺す際、セカンドやサードに送球するが、このときの速度は測れないようだ。(知人によると、センターあたりでスピードガンを構えてると測れるのだとか)

追伸:今日は急な試合時間変更で、2時間強の待ちぼうけをくらったのですが、それでもおつりの出るくらい内容の濃いいい試合でした。


〜今日見た主なピッチャー〜

平安の1年生(名前がわかりません)→1年とは思えない球威、度胸、太股…。他校ファンの私は、ただ気が重い。

倉谷投手(平安)→今日は、ちょっと調子がよくなかったのかなあ?

高塚投手(平安)→マウンドにあがった途端、グランド内の空気が変わった…というか止まった。それまでざわざわしていた観客が、凍り付いたように静かになった。マウンドでは、「おりゃー」なのか「うりゃー」なのか、そんな気合いの一声と共に投げ込んでいた。クールそうに見えるので、意外だった。

金刃投手(市立尼崎)→評判にたぐわない好投を披露。平安打線相手に次々と三振を奪う。マウンドに立つのが絵になるピッチャーで、実際の身長より高く思えた。

木嶋投手(市立尼崎)→頭がほぼスキンヘッド状態で、漂ってくる雰囲気からも野球に対する気合いが見てとれる。角度のある球(変化球??)を投げていた。




2002年05月17日(金)
キャッチャーミットの“おじぎ”


 キャッチングにおける欠点を指摘する言葉の一つに“おじぎ”というものがあるようだ。高校の練習試合などをネット裏で観ているおっさんがよく「あいつ、ミットが“おじぎ”してんで」とか言っているのを聞く。

 私にはそれがどうもわからなかったのだが、プロ野球の中継を見ていて、最近それがどういうものかがなんとなくわかってきた。

 “おじぎ”するとは、ボールを捕球したときに、ミットの上の部分(親指以外の指および手のひらの上の方)で捕球しにいくことなのかなあ、と。そうすると、ミットが“おじぎ”しているように見えるのだ。

 ここでご登場願うのは、球界の若手キャッチャー2人。阪神のルーキー・浅井選手と横浜の相川選手だ。

 浅井選手のミットは“おじぎ”をしていた。素人目でみても明らか。ボールを取りに行こうという意識が多少強すぎるのかもしれない。また、いいボールなのに審判がストライクを取らなかったという場面が何度かあった。そのたび、「もったいないなあ」と歯がゆい思いで見ていたが、もし私が審判でもボールと判定してしまうだろう。

 一方の相川選手のミットは、捕球した後もしっかり立っていた。立っていたという表現はちょっと変かもしれないが、とにかく“おじぎ”をしていなかった。思わずストライクを取りたくなるほど、ボールが気持ちよくミットに収まっていた。谷繁選手が抜けたとはいえ、彼が正捕手同然の待遇で使われている一因はここにあるのかもしれない。


 趣味柄、高校野球の選手の父兄さんとお話しさせていただく機会に恵まれてきた。まだまだ未熟な私ではあるが、ほとんどの方が優しく接してくださっている。しかし、そんな穏やかな父兄さんに叱られたことが2回だけある。

 そのうちの1回で言われたのが、「癖は簡単には直らない」ということだ。

 練習試合を見ていたとき、足が速くて器用な選手がいたのだが、気持ちがはやるのか塁に出るとオーバーランして、刺されることがしばしばあった。そこで私は、「彼の癖が直れば、このチーム、もっと強くなりますよね」と口にしたのだ。

 すると、さっきまで穏やかだった父兄さんの表情が急に険しくなった。「癖は、そう簡単に直るもんやない」。私はあっけにとられて「そうですね…」と答えるのが精一杯だった。

 その後、父兄さんは何事もなかったかのように元の表情に戻り、試合を見守っておられたが、私はその一言について考えこんでしまった。

 確かにその通りなのだ。

 欠点がわかり、努力すれば必ず直るのなら、誰だって野球はうまくなるし、みんなプロ野球選手になれるのかもしれない。でも、そうではないから、野球は厳しいものであり、またそれがファンを魅了している。見ているだけの私にとっては、ただ歯がゆいだけなのだが。

 
 浅井選手には、これから練習と経験を積み重ねて、うまくなっていってもらうのを願うだけ。きっと相川選手だって最初っからああいう補球が出来たわけでない。高校を出て8年。長い年月をかけてここまできているのだ。



2002年05月16日(木)
あややの始球式


 一昨日・昨日と、パ・リーグの公式戦「ダイエーーオリックス」戦が台湾で行われた。プロ野球の公式戦が海外で行われるのはもちろん史上初のことだ。

 球場の雰囲気、スタンドを陣取るファンを見て、タイムスリップしたような気分になって、何故か「懐かしいなあ」と思った。

 試合も、打ち合いあり、サヨナラありで、台湾のファンにしっかりアピールできたことだろう。

 入場料金は、内野のみということもあり、3800円(程度)だとアナウンサーが言っていた。台湾のプロ野球のそれが700円であることから、どれだけ高いかおわかりいただけると思う。同じような席でもGS神戸なら、2000円代で観戦できる。

 もし、甲子園球場でメジャーリーグの試合が行われるとして、入場料が3800円だったら、私はまず行かないと思う。ああ、ありがたき台湾の野球ファン。

 
 さて、そんな歴史的現場で日本代表として、君が代を歌い、始球式に参加したのが、アイドル歌手の松浦亜弥。

 アイドル歌手の割には音程が取れているという評判の彼女は、やや緊張した面もちで君が代を斉唱した。いつもの声とまるで違っていたのでびっくりした。

 始球式では、マウンドではなく、打席に立った。ボールを投げたのは台湾の偉いさんだったと思う。最初、私は彼女が投げるのだと思っていたので、びっくりしたが、主催側もさすがに気が引けたのかもしれない。

 ところか、ここで思わぬハプニング。彼女、なんと、ボールを見逃してしまったのだ。今まで、思わず打ってしまった人はいたが、見逃した人なんて初めて。失礼ながら、笑ってしまった。

 神聖な始球式にこんな野球の「や」の知らそうなアイドルを起用するなんてどういうこっちゃ、ほら言わんこっちゃない。台湾の野球ファンもあっけにとられたんとちゃうか。ああ、日本野球のイメージが…。

 しかし、まあ、彼女はそう悪くない。

 学生時代、野球サークルに所属していたとき、あいた時間を使って、打席に入り、部員の人にマウンドからボールを投げてもらったことがある。

 投げてくれたのは、元高校球児、それもピッチャー。第一球が、こちらに向かってくる…と思ったらもうキャッチャーミットの中。余談だが、当時私はバッティングセンターで120km/hのボールをバットに当てたことがある。ところが、それよりはるかに遅い球が見えなかったのだ。やっぱり生きた球は違う。

 そして、第二球。彼は突然「わー!!」と叫び声を挙げ、こちらに大きく足を踏み込んで投げてきた。「ギャッ」。私はその声だけで、思わず目をつぶり、体をすくめてしまった。実際来たボールは、なんてことないスローボールだった…。

 素人が野球をするにおいて、マウンドの立つよりも、打席に立っている方が大変だと思う。

 軟式の小さなグランド、それもボールをコントロールできる経験者でもそれなのだから、硬式で、それも観客のたくさん入った球場、そして、来たボールはインコースの膝元という素人ととは思えないボールだった。14,5歳の女の子なら手が出なくて当然かもしれない。

 今回の件は、彼女の事務所サイドからの申し出らしい。売り込みのためかどうかは邪推にすぎないのでこれ以上追求しないが、体が資本のアイドルが怪我をするという可能性、考えはしなかったのだろうか。

 始球式で投げるのは素人だ。今回投げたお偉いさんはなかなかの腕前だったが、普通は、はっきり言ってボールがどこに行くかわからない。もし当たったら、どうするつもりだったんだろう。

 野球には野球の、アイドルにはアイドルの事情がある。



2002年05月15日(水)
雨の日のコメント


 今日は、昼から雨が降り、外に出るのも億劫になって、眼科もレンタルも買い物もすべてキャンセル。HP制作作業をしていました。

 ここのところ、部屋の整理をしており、あちこちからいろんなものが出てきます。そんな中、私が高校生のときに書いていた「甲子園レポート」たるノートがひょっこり出てきたのです。

 「甲子園レポート」とは、TVや球場で見た甲子園大会の試合の観戦記もどきで、当時の新聞の切り抜きなども貼り付けてあった。

 そういや、やってたなあ。
 ふと思い出して、ページをめくった。内容は特におもしろみのないただの記録。解説者の言っていたことをそのまま書いているような感も否めず、「青かったねえ」と思ってしまった。

 しかし、記録としては、今より遙かに書けていると思うので、これを機会にHPにアップしようと今その作業を始めている。

 レポートは1991年の一部と1992春夏、1993年春夏と続いている。実は、この間、試合が雨で順延することが多く(特に1993年)、新聞には雨のため、試合用に残しておいた記事スペースに室内練習場での様子や選手のコメントを載せていたようで、当時の私はそれを切り取っていた。

 そこで、気づいたことは、雨天順延に対してマイナスのコメントをしたチームが結果、負けているということだ。

 たとえば、「明日も早く起きるのはキツイです」とか「相手ピッチャーにいい休養になるから、イヤな感じ」だとか「やるつもりでいたのに…」とか。

 言霊思想って本当にあるのかもしれない。

 野球選手のみなさん、試合が順延したときは、嘘でもはったりでもいいから、「中止でよかった」「気にしてない」とプラスのコメントをしましょうね。



2002年05月14日(火)
ひまつぶし@あるこネガティブver.

 昨日、バイトの面接へ行った。一番痛い質問が出た。

 「どうして、正社員にならないんですか?」

 カラスの勝手でしょ、カァ〜カァ〜♪ってんだ。せめて、「どうしてアルバイトなんですか?」ならわかる。その正社員至上主義みたいな質問、大嫌いだ。

 でも、そんなこと、おくびにも出せなかった自分に腹が立つ。

 おまけに、子供に勉強教えられるかときた。

 おいおい、未経験者歓迎なんとちゃうんか。確かに、私は塾講師のバイトと家庭教師やってたけど、7,8年のブランク、今の教育界では通用しないと思う。

 そういうことは、事前に求人雑誌に載せといて欲しい。双方、時間と金の無駄使いやろに。だから、事務職なんかで「ワード・エクセルできる人」「実務経験2年以上」という条件が出てるのは、むしろ好意的に思える。

 求職者の多くは金がない。履歴書代、写真代、交通費…バカにならない。頼むから、そんないい加減な求人出さないでほしい。JARO(?)に訴えるぞ。

 職探しをしていると、どうも自虐的になってしまったかなわない。スイッチ一つで、消滅したい。

 でも、そんな都合のいいスイッチは存在しないので、とりあえずは明日も生きてみる。

 ああ、そういえば、「隠し球ガンさん」(やまだ浩一・桧垣浩平/ベースボール マガジン社「週刊ベースボール」掲載)で、ガンさんがいいこと言っていた。

 「人生なんて、所詮、棺桶に入るまでの暇つぶしじゃ」

 明日は、何しようかなあ?
 



2002年05月13日(月)
私を甲子園に連れてって♪

 
 ときたま、友人に「甲子園、連れてって」と言われる。その大半が計画倒れに終わるのだが、すでに3,4回同行している子もいる。

 「甲子園」なので、阪神戦のときもあれば、高校野球のときもある。しかし、その大半が阪神戦。それもナイターを希望してくる。

 では、友人たちがそれほど野球が好きかというと、実はそうでもない。彼女らは、ときたまブラウン管越しに見るあのライトスタンドにあこがれているようだ。

 メガフォン叩いて大声で叫んでみたい、甲子園カレーを食べてみたい、ナイターってどんな感じか体験してみたい、阪神ファンのヤジを聞いてみたい、ジェット風船を飛ばしてみたい、中には応援しているときの私を見てみたいという不届き者もいる。

 そのため、濱中のバッティングが見たいとか、井川のピッチングがみたいとか、赤星の足が見たいとか、そういうことは誰も口にしない。だって、誰がよく打ってるとか、誰がエースだとかすら知らないのだから。

 でも、甲子園で阪神を見たいという。決して、「野球」とは言わない。

 車窓で甲子園の蔦が見えた地点で、「いや〜、甲子園や〜」とキャキャ騒ぎだし、ダイエーでご飯を買い込むと「品数が多すぎて迷うなあ」といいならも嬉しそう。

 球場のグッズ売り場に立ち寄り、買いはしないがとりあえず何があるかはチェックする。チケットを買う。比較的安い外野だが、たいがいの子は「高いなあ」と言う。

 外野の席に座り、球場を眺めると、ほぼ100%「広いなあ」とか「きれいやなあ」と言う。試合前の待ち時間に阪神のことを聞いてくる。「今、何位なん?」「今日は勝てそう?」。全く無知なわけではない。

 普段野球に興味がないといえど、三振やヒットやホームランはわかるようだ。阪神が打つと大喜び、打てないと悔しがる。ほぼ全員は「ホームランを見たい」と言い、見れたらすごく喜ぶ。

 7回にジェット風船。普段、私は7回表のワンナウトから吹き始めるが、友人はいるときは、回の頭がから作業に取りかかる。彼女らに風船にふくらませ方を説明したり、風船をはなすタイミングを伝達しておかねばならないからだ。

 風船は、膨らます前に下の部分と吹き口付近を軽く伸ばしておく。そうしないと、真ん中だけが膨らんでへんてこな形になってしまう。

 風船はファンファーレに合わせて、右に左に担ぎあげるように動かす。ファンファーレは2回流れるので、風船を放すのはそれから。

 私は初めて見に行ったとき、それを知らなかったため痛い目にあった。今でも休日やデーゲームなど家族連れの多いときに、フライイング気味の風船が甲子園の空を舞っている。ちなみにビジターでは、ファンファーレの代わりに応援団がトランペットで「六甲おろし」を吹く。

 そんなこんなで試合が終わる。友人たちにとっては、お祭りのような3時間強だあるようだ。私も彼女らを見て、新鮮な気持ちになれる。

 長い間弱い阪神を応援し続けていたため、マイナス思考が身に付いていた。試合展開に関係なく、1本のヒット。ホームランで大喜びする彼女らに改めて野球の魅力を教えてもらったりする。

 そんな友人と引き連れて甲子園に乗り込むと、何故か勝率がいい。六甲おろしを歌う、みんな気分がいい。時には負けてしまう場合もあるが、行った子はたいがい「楽しかった」「また来たい」と言ってくれるから嬉しい。


 昨日も友人から電話があり、「9月頃、甲子園に行きたいねんけど、日程わかる?」とのこと。

 話を詰めていった地点で、ふと「チケット、早いうちにとっておかんと、なくなるかもしれんで」とこぼしてしまった。

 「あのさ、そのさ、え〜っと、ほら、今首位やん。強かったりするやん。そりゃ、これからどうなるかわからんけど、首位なわけやん。ということは、秋にはもしかしたら、優勝…するかもしれへんしなあ」

 優勝。
 この言葉を口に出すまでに時間がかかった。こんな時期から優勝って、気が早いんちゃうか?などと自分でも思いながら。

 すると、やはりというか、尻から阪神が首位から脱落。ま、シーズンはまだこれからとはいえ、やはり口に出したら逃げてしまうのかなあ?改めてそう痛感した。


 
 



2002年05月12日(日)
人のこと、笑えない…


 2,3日前のことだ。
 母が買い物に行くために、外にいたシロを家の中に入れた。うちの犬は母が出かけると、ものすごく吠えるのが、家に入れておくとちょっとは落ち着くようだ。

 出かける前に母から、「シロ、家に入れとくから気をつけといてな」と言われていたが、音楽に夢中ですっかり忘れていた。

 少しして、下のPCの部屋に入ると、シロが一人(一匹?)佇んでいた。「へえ〜、シロ、一人で留守番しているんや〜。かしこいなあ」と頭をなぜてやった。

 PCをかるくいじったあと、私は再び二階の自室に戻った。すると、それと入れ替わりに下に降りた姉が、PCルームで佇んでいるシロを発見。私の部屋はPCルームのちょうど真上にあるので、耳を澄ますと、下にいる人の声が聞こえるのだが、姉も私と同じように「シロ、一人で留守番してんの。賢いなあ」言っていた。

 ま、それまでは別に何とも思っていなかったが、ついに3人目登場。

 学校から帰って来た父もPCルームに行き、シロを見つけた。そして、一言。「何や、シロ、一人で留守番か?偉いなあ」

 笑ってしまった…。

 きっとシロは、「なんや、おまえらみんなして同じこと言いやがって、アホちゃうか。わしゃ、眠いねん。寝かせろや」って思ってたりするんだろうな。

 よく野球のヒーローインタビューで、型にはめたかのごとく「応援よろしくお願いしす」という言葉が選手の口をつくが、私もそんな選手たちを笑えない…。



2002年05月11日(土)
口にすると、逃げてしまう。


 口にすると、逃げてしまうと思う。

 何がって?
 うまく言えないのだけれど、自分の力ではどうすることもできないツキや運勢や勢いとかそういったものが。

 恋愛がうまくいきかけているときや仕事が決まりそうなとき、いろんなことがうまく行っているときは、嬉しくてついそのことを口にしてしまがちである。

 だが、ちょっと待って欲しいと思う。実は、それを口にした途端、流れが変わってしまうということが往々にしてあるのだ。

 私の身近なところでは、つき合う直前にその男の子を友達に紹介したら、それがきっかけで、友達とその男の子がつき合う羽目になってしまった子や、仕事が決まったと喜んでいた子がその2週間後に会社の都合で辞めさされたなどがいる。

 だから、私は今の相方とつきあっていることを周囲に告白したのは、2,3ヶ月たった後だし、家族には3年間黙っていた。もうちょっと安定してからにしよう。そう思って、そっとそっと機が熟すのを待っていた。

 ちなみに、彼氏を友達に会わせるのは、つきあってから3ヶ月目以降にするのがおすすめです。ちょうど新鮮味がなくなって、マンネリ化する傾向にあるので、友達と交えて会うと、新しい刺激になるし、のろけなければ、友達だって嬉しいはずです。Wデートなんていうのも悪くないですね。

 
 依然、甲子園大会の試合後のインタビューで、快進撃で勝ち進んでいたチームの選手が、「負ける気がしません」とコメントをしたら、次の試合であっさり負けていたということは立て続けに2回もあった。

 コメントと試合の敗戦に直接的な因果関係はないのだろうが、「あーあ、よけいなこと言ってしもたなあ」と試合結果のテロップにむかってつぶやいていたのを覚えている。

 以前、あるチームが不利と言われていた対戦相手に見事な勝利を収めた。そのチームは、前の大会で大敗を喫し、今度は負けないようにとがんばっていたようだ。

 試合に勝ち、「ぼくたちはがんばった」と言うのはいい。でも、その後に、対戦相手に対して、「相手はナメてかかっていた」「全然声が出ていなかった」「ダラダラしていた」というコメントが続いていた。

 確かにそうだったのかもしれない。そりゃ、ナメられて悔しかったし、腹も立っただろう。だからこそ、勝てたことに大きな喜びを感じたのだろうし、内心「ざまあ、みろ」と思ったのかもしれない。

 でも、正直、「そんなこと、わざわざ言わなくてもいいのに。お人好しやなあ」と思った。それで相手校が奮起して、もっと強くなってしまったら、大変だ。

 もしかしたら、「ここ、次、負けてしまうんじゃないか」と思ったが、次は勝ち、その次で負けたようだ。

 某高校の監督は、選手にこう指示を与えたという。
「いいか、○○高校(地元の名門校)の奴らは無視しろ。才能ではかなわない。でも、ああいう態度の悪さがある限り、うちにもつけいる隙はある、でも、彼らが礼儀正しく、きちんとしてしまったら、うちは本当に歯が立たなくなるからな」

 教育的ではないかもしれない。でも、それは紛れもない事実だと思う。

 勝って兜の緒を締めよ。ついでに、お口のチャックも締めましょう。

 



2002年05月10日(金)
大量点をもらったピッチャー

 
 今日、私は1日自宅にいたのですが、TVを雑誌、ネットを見たり、家族の話を聞いているだけで、日記に書くネタが嘘みたいにポンポン浮かんだんです。

 え、自慢じゃないかって?

 いえ、違うんです。いくつものネタが頭の中でこんがらがってついに何を書いていいのかわからなくなってしまったんですよ。

 まず、テーマを1つに絞って書くか、まとめて全部書くかで迷う。そして、いざ書いて見ると、次々テーマがあったが故に文章の構想がきちんと練れていなかったため、途中で行き詰まってしまう。と、まあそんな感じ。

 
 我らが阪神にも、ついに若きエースが誕生した。背番号「29」井川慶投手。高校時代から注目されていた投手ではあったが、入団当初は「いいピッチャーなんだろうけど、あの顔は…。う〜ん」と正直首をひねってしまった(なんやかんや言ってもやはり、ルックスは大事です)が、今年、ブラウン管からみた彼の顔は「整形したんちゃうか?!」と思うくらい引き締まっていて、精悍としている。

 あどけない子供の顔と、打者を打ち取ったあとの強気の表情。決して美少年とは言わないが、多くの女性を虜にしてしまうことだろうと思う。

 その井川くん、どうも打線に援護してもらうとピリッとしない。

 開幕から、1点を争う試合が続き、打線の援護のない緊迫した試合が続いていたので、「1回くらいは大量点リードので楽に投げさせてあげてほしいなあ」と思ったいた。

 しかし、いざ大量点をもらうと、そのあとにあっさりHRを打たれてしまったり、ズルズルと点をとられてしまうシーンをわりと見受ける。

 井川くんに限らず、大量点をもらったピッチャーがピリッとしないことは、わりかしある。攻撃が長すぎてペースが狂ってしまった、肩が冷えてしまった、緊迫感がなくなった…。原因がいろいろあるだろう。

 でも、緊迫した試合を自分の見せ場だと考えていたり、そういう試合が得意だったりするなら投手。もしかしたら、井川くんがそういうタイプのピッチャーなのかもしれない。そして、そこに古き良き時代のプロ野球選手の匂いを感じてしまう。

 



2002年05月09日(木)
あのつんくが“野球”を書いた!


 かつて私は、CDレンタル魔だった。週2,3回のペースで借りていた。さすがに今はペースが落ちたが、一ヶ月に1回程度は地元の「TSUTAYA」に通う。今日も大量11枚をレンタル。お目当ての曲がなくてちょっとがっくり。

 この年で恥ずかしながら、モー娘。とかをわりとよく聴く。あのおもちゃ箱をひっくり返したような奇怪な曲調は、邪道だと捉える人もいなくはないが、私個人は純粋におもしろと思うし、聴いていて楽しい。

 モー娘。のイメージが先行してしまうため、つんくはヘンな曲を作る人みたいんばイメージがつきつつあるのだが、これまでいろんな曲調の楽曲を提供している。おそらく初めてであろう提供した楽曲は「もっと静かに」(唄・鈴里真帆)というしっとりとしたバラードだった。

 しかし、この人は野球の歌からは遠い人だなあというイメージがあった。でも、今日、ついに発見してしまった。つんく初(だと思う)野球ソング。それも高校野球だっ(中学かも)!

 タイトルは、「特等席」。今日発売(およびレンタル開始)の後藤真希のニューシングル「手を握って歩きたい」のC/W。

 これまでにも、高校球児を見つめる女の子のことを歌った曲はいくつかあったが、その大半がせつないバラード系だった。この曲は、それらとは対極の位置にある。曲調は80年代アイドル系。(これがなつかしいんだな。この歳なると…)

 ただひたすらキャピキャピ女子高生が頭に浮かんでしまったものの、ついついダビングしちまった。野球にだまされてるね、私。


「特等席」

あ〜なぜか気分がいいから
少し自転車こぎこぎで
あ〜駅を3つ分

あ〜なぜか向かってる先は
やっぱ自分で気づいてる
学校のグランド

休日に昼間は
野球部が練習
あの人が汗を
流してる

自転車止めたよ
特等席
邪魔にならぬよにしなくちゃね


同じことばっか
くり返し
練習じゃ仕方ないけど
あ〜いっぱい目立ってよ

あ〜休憩時間みたいだわ
あららこっちに手を振ってる
私にかな?

あ〜まさかでもそうなのかな
もしもそうなら
私も振らないと…

こっちにくるみたい
周りに人はいない
動揺なんか
しませんよ

自転車飛び乗って
去ろうかな
あ〜あチャンスかもしれないのに

なにか自然な
言葉さがす
結構見当たらないのね
あ〜話し掛けられた〜

自転車飛び乗って
去ろうかな
あ〜あチャンスかもしれないのに

なにか自然な
言葉さがす
結構見当たらないのね
あ〜話し掛けられた… 

(セリフ)
「へ〜、今度試合があるんだ、、、
うん、見に行くね。。。。
ここで、見ていても邪魔じゃない?
大丈夫よね、、、ははは。
練習がんばってね」

(作詞:つんく・作曲:つんく・編曲:酒井ミキオ・Sony Music Entertainment(Japan))<敬称略>



2002年05月08日(水)
ごはんの上のゆかり

 
 私は、食に快楽を求めているのかもしれない。だから、口にして気持ちいいと感じないもの、楽しくないものは、食べない。親が「体にいいから食べなさい」「そんなんじゃ、病気になるよ」と言っても、舌がアレルギー反応示すのだから仕方ない。

 そんなわけで、私は好き嫌いが多い。その中でも、友人に言わせると、マヨネーズ・梅・しそは珍しいらしく、「何故そんなものに嫌いという感情が起こるのかわからない」と言う。

 少し前、某大手企業が国産と偽って外国産の牛肉を市場に出し、世間を騒然とさせた。これを機に消費者にその食品の情報を明確に示すことの必要性を改めて痛感させられたが、私の場合、これをもっと身近に感じる。

 たとえば、お弁当。
 ごはんには当然のごとく、梅干しやゆかりがかけてある。あれ、嫌いな人間にしてはかなり辛い。梅干しはその部分だけを避けて食べることができるのだが、ゆかりは全体的にふりかけてあるので、避けようがない。それでも必死によけて食べるが、せいぜい本来の1/3食べれたらいいところだ。

 事前に写真や説明書き等で、梅やゆかりがかかっていることがわかっていればそれなりに対処方法があるのだが、何も知らないで、さぞ当たり前のように出てくると、「偏食者に市民権はないのか!」と思ってしまう。お好みでかけれるように、分けておいてくれてもいいやんか。

 たとえば、パン屋さん。
 店の中で焼いて、その場で売るようなところは、たいてい材料表示がなく、商品の下に店員さんが書いた簡単な紹介文が書いてある。ここに、ある程度使用されているものが書いてある場合はいいのだが、若い女性の心をつかもうとこじゃれたことばかり書いてあって、何が入っているのかわからない場合がある。

 気をつけてはいるが、ときたま、食べたらマヨネーズが入っていて「おぇ〜」となったことは一度や二度ではない。

 大阪のお好み焼き屋やたこやき屋で、いちいち「マヨネーズ抜いてください」というものなかなか億劫。「マヨネーズ、いりますか?」とそっちから聞いて欲しい…。

 そうそう、前、大阪駅の地下で食べたお好み焼きには、当たり前のように梅肉が入っていて、発狂しそうになった。店頭かメニューにちゃんと書いといてぇや。

 まあ、それもこれも私のわがままなんだけどさ。でも、アレルギー体質の人の場合は深刻だ。下手したら死んでしまうから。そのとき、店の人はどうやっれ責任取るだろう。やはり材料表示や成分表示がきちんとしないと…。


 そんなわけで、テレビをつけてナイターを見ると、必然的に聞きたくもない過剰実況や、分かりづらい解説、関係ない番組宣伝が耳に入ってくることが苦痛な方の気持ちのわからなくはない。

 「それなら球場に来ればいい」。言うのはたやすいが、人にはいろんな事情があり、おいそれと球場には足を運ぶことはできない。

 もう21世紀なんだし、リモコン操作で解説をオフに出来る機能や解説のグレードを選べる機能があってもいいのになあと思う。

 今の解説、実は初心者にはわかりづらい。野球の基本的ルールは知ったものとして、進行しているからだ。私は解説者の話を聞いて野球を学んでいるが、最初は聞いても聞いてもちんぷんかんぷんだった。

 でも、解説者やレベルを選択できたら、そういうこともちょっとはなくなるかなあ、と。


追伸:書店で、某有名スポーツ雑誌を立ち読みした。そこにライターらしき方の書いたエッセイがあったのだが、「スポーツは生で見ないと意味がない。テレビは真実を映さないから」といった類のことが書いてあった。びっくりした。この人、ほんまにプロ?失礼ながら、そう思ってしまった。



2002年05月07日(火)
(野球日記なのに何故か)修学旅行の話


 最近の修学旅行事情を知るにつけ、何かを見失っているようで嘆かわしいと思う。

 え、ババ臭い?…ほっといてください。

 修学旅行とは、その名の通り「学業を修めるための旅行」であるべきだというのが私の持論。

 東京ディズニーランドの地点で邪道だと思っている私だから、USJなんぞもっての他。「観光業界、何ガキに媚売ってんねん!」と叫びたくなる。

 レジャーランドで働くための専門学校の学生などが行くのはわかるが、中高生が行くとただの遊びになるのは必至。これじゃあ、修学旅行ではなくて、修“遊”旅行になっちまう。

 ああいうレジャーランドの類は、卒業旅行やバイトで金貯めてから行きなはれ。そっちの方が自由に動けるし、じっくり楽しめやろに。

 あと海外!
 あれはどないやねん。

 海外で団体行動してたら世話ないわ。そんなツアーは、4.50代になってから、旦那や女房と連れだって行きなはれ。10代のうちは、体力もある。だから、海外は個人で行って、カルチャーショックや予期せぬ出来事にタジタジになってなんぼでしょうに。

 京都もまだまだ修学旅行のスポットをして生きているようだけど、どこかの寺で「修学旅行生1日修行パック」とか企画したらなかなか儲かると思うけどなあ。引率の先生、1日フリー。祇園で遊べるで。


 とまあ、ぼやきはここらへんにしておきましょう。私がこんな風にやっかむのも、私自身の修学旅行がそういうこととは全く無縁だったからに他ならない。(笑いたければ、笑ってください。でも、持論は間違ってないと思うよ)

 中学では広島、高校では長崎がメインだった。10代にして、原爆ドームを全て制覇したということになる。残念なのは、長崎のハウステンボスがまだ工事中だったこと、そして、広島市民球場を素通りされたことだ。

 友人に、修学旅行で野球の試合を見て、それからなんとなく野球を見るようになったという人がいる。私が野球を見るようになったのは、中学3年の夏からだが、もしこのとき、広島市民球場で試合を見ることが出来れば、もう少し違った野球ファン人生を歩んでいたかもしれない。

 中学の修学旅行だったので、確か平成2年だ。当時は、炎のストッパーと呼ばれていたカープの守護神・津田恒実投手(故人・元広島)がまだ現役で投げていた頃だ。

 津田投手の存在をはっきり意識したのは、亡くなられた後なので、お目にかかれるチャンスがあったのに、それがかなえられなかったことが残念だと今にして思う。

 あ、でも、修学旅行生は時間の関係で、7回くらいで球場を後にせねばならないようなので、どのみち津田投手謁見は実現しなかったんだろうな…。

 



2002年05月06日(月)
ふざけるな、面接!〜GW最終日特別企画〜


 連休最終日が無駄に過ぎようとしています。先日、受けた面接の結果がぼちぼちわかるかと思いますが、電話はまだきません。

 多分、いや、まちがいなく落ちているでしょう。あれだけ手応えのない面接、久ぶりです。面接官から漂ってくる雰囲気や質問内容…時間とともに、ムカムカして、はらわた煮えくりかえってくるのです。

 あー、面接なんて大っ嫌いだー!!
 全国の就(ORバイト)活中のみんな、ともにがんばろう!


面接した会社:大手某予備校
仕事内容:事務補助
雇用形態:契約社員(上限3年)
資格:4年制大学卒業
時給:1000円
待遇:社会保険完備・有給休暇有・交通費負担・制服貸与
勤務時間:13:00〜21:00(変動制)
面接日:5月はじめ

(面接官の言葉は、「」、私の心の叫びは「…」。」むかついた質問だけピックアップしてみました)

「お待たせしました」
…そら、40分も待たせたら「お待たせ」やわな。化石になりそうやったわ。

「まず、この仕事を志望される動機をきかせてください」
…履歴書を見てください。いちいち、聞くんじゃねえ。お金に決まっとるやろが。面白いね、企業の人って。

「えーと、(私の職歴を見て)この会社は何をしているところなのですか?聞いたことないのですが」
…はん?それでぇ??

「会社を辞められて、次の会社に入られるまで、1年以上あいてるのですが、その間、何をされてたのですか?」
…出たっ!体裁のいい振り落とし!人生の路肩を歩んでる身にこの質問は辛い。

「(2つ目の会社名に対して)これはなんて読むんですか?」
…知ってどうすんの?イヤだね、この質問。次から読みかなつけておこう。

「(資格欄を見て)教員免許のこの宗教というのは」
…せやから、教員免許やて。見てわからんか。これからは心の時代や。20年後泣くで、君ら。

「何故教師にならななったのですか?」
…ほっといてください。

「では、講師志望なんですね」
…人の話、ちゃんと聞けや。

「何か習い事などはされていますか?」
…してなかったら、どうなん?気になるんなら、資格のところに書いとけや。「習い事などをして、自己実現にいそしんでいる方」って。はん、ばからしい。

「パソコンはできますか?」
…世の中にコンピューターウィルスが存在する理由(わけ)を瞬時に悟る。

「人前で話したことありますか?」
…大嫌い。

「何かスポーツはされていましたか?」
…「ダンス部に入ってました」と言った瞬間の見下した顔、一生覚えておいてやる!

「契約の上限は3年ですが、かまいませんか?」
…3年もいたくない。




2002年05月05日(日)
古き良き時代(読書感想文)


 今日は読書三昧でした。実は、連休明けから時間をかけてじっくり読もうと思っていたのですが、気づいたら夢中になって読みふけっていました。


 読んだ本:駒沢悟監修・松永郁子著「カープ〜苦難を乗り越えた男の軌跡〜」(宝島社)

 内容:様々な人の話を基盤に書かれた広島カープの創設時から現在までの歴史。

 200ページ強だが、文体がややストーリー調で、数字や専門用語など難しい言葉がほとんど出ていなかったので、思いの他読みやすかった。

 ただ、文字の横の強調点が無駄についているので、玉に傷だなあと私は思った。


 広島カープという球団の特異性やドラマ性にため、雑誌や本等でその歴史は何度となく取り上げられ、多くのファンが知るところである。

 周知の通り、創設時から金銭面での苦労が並大抵ではなく、そこからはい上がってきた気迫と機転と情熱には敬意を払いたい。

 巷に「アンチ巨人」や「アンチ阪神」という人はいるが、「アンチカープ」という人の存在を聞いたことがないのも、この球団の持っている歴史故のことだろうか。

 この本と他のカープ史本との大きな違いは、細かい部分にまでしっかり書き込まれているということである。

 例えば、金閣寺を建立したのは足利義満だというのが歴史的な事実だが、実際に木を切ったり、土をこねたりという具体的な作業をしたのは一般庶民である。しかし、歴史の教科書にも、多くの歴史書にも一般庶民が取り上げられることは、まずないと言っていい。

 この本は、そんな一般庶民をも取り上げているのだ。

 昭和26年頃から、球場付近に募金樽が置かれ、市民がお金を入れてカープを助けたと言う。他の本はそれで終わっているが、この本では、当時小学生だった○○さんは、グローブを買うために貯めていた貯金をカープのために捧げたなどというエピソードを併せて紹介している。この具体性が、ものすごく好きだ。

 今のようにプロ野球球団が大きくなっていると、ファンとチームの一体感などということを実感するのはなかなか難しいと思う。そして、そこに時として疎外感を感じるわけだが、当時のファンはそんな思いとは無縁だったんだろうなと思う。

 戦後の貧しい時代、お金に余裕などあるはずもない。それでも、カープのために、樽の中にお金を入れることのできた人々は、ファンとしてはものすごく満たされていて、不謹慎ながら幸せだなあと思った。

 そして、そんな一般人を取り上げたこの本を見て、「応援することは無駄ではない」と勇気をもらったように思う。

 この本には有名無名の深い人間性や魅力を持った人物が多く登場している。私はカープをひいきにするファンではないが、「広島カープよ、永遠なれ」。そんな気持ちになってしまうのだ。


 今日も、ブラウン管の向こうでカープの赤いメガフォンが燃えるように揺れる。彼らのお母さん・お父さん、あるいはおじいさん・おばあさんの中にも、募金樽にお金を入れた人や、服や家具を質に入れた人、カープ存続のために県庁や商工会議所に駆けつけた人たちがいるんだろうなあ。ふと物思いにふけった。



2002年05月04日(土)
あるこ的阪神タイガース応援歌寸評


 外野スタンドで野球観戦をする私にとって、応援歌を唄うことは呼吸することに近い。ことにひいき球団・阪神タイガースの応援歌は、なるだけ多く覚え、流れに乗り遅れないように心がけている。実際、声を出すことは楽しいし、気分転換にもなる。

 ライトスタンドに行くと、私設応援団の人が親切にも各選手の応援歌の歌詞が書かれた紙を配ってくれるようだが、長年レフトスタンドでの観戦に慣れ親しんでいる私は、そんなありがたい恩恵にあずかれることはなかった。

 大学1回生の春に入った阪神タイガース応援サークルでは、みなが当たり前のように応援歌を熱唱している。しかし、女だてらに「教えてください」が言えず、またそういうことに親切ではないのがこのサークルのカラーだったため、攻撃中は先輩の横に張り付いて、耳の穴をマックス級に研ぎ澄まして、歌詞を覚えた。

 というわけで、多少の覚え間違いがあるのはご容赦いただいて、今日は私個人のコメントとともに、心に残る応援歌を紹介させていただこうと思う。(順不同)


 ♪ 片岡篤史
 
<ファンファーレ>
右投げ左打ち 実家はヒノキ風呂
リフォームリフォーム 片岡篤史
<応援歌>
関西魂見せてくれ 熱く燃えて吠えろ
日々新たチャレンジ 片岡篤史

 今季2試合の観戦で、彼のHRを3本見ました。おかげさまで、もうばっちりです。「実家はヒノキ風呂〜」と「関西魂見せてくれ」「日々新たチャレンジ」の箇所が好きです。

 ♪ 今岡誠
 
燃える闘魂 この一振りに 唸れ 今岡 真(誠?)の救世主

 秀逸ですね。この「真の」と今岡選手の下の名前「誠の」がかかっているのが見事です。応援歌というのは、安直なイメージがぬぐいきれないのですが、これはかなり頭を使った歌詞ですよ。使い回しもまず出来ないでしょうね。

 ♪ 桧山進次郎 

この一打にかけろ 気合いで振り抜けよ 誰もお前を止められぬ 桧山を突っ走れ〜

 これは、メガフォンを使う「桧山ダンス」というものがあります。スタンドでも、一部のファンがやっているのですが、あれやりたさに桧山の打席を心待ちにしていた時期がありました。

 ♪ 赤星憲広

 GO! GO! Let’s GO! 赤星 バックスクリーンを目指して 火を噴く一撃 俺たちのヒーロー

 元は、鮎川選手(その前は山口選手?!)の応援歌です。この鮎川時代にサークルでよく唄われていたので、私の青春時代のテーマソングなわけですよ。鮎川がロッテのトレードされて以来、しばらく歌えなかったのですが、赤星選手でつかわれるようになって、再び歌えるようになって嬉しいです。

 ♪ 星野修(現大阪近鉄)

打球はライトスタンドをひとまたぎ それゆけ チャンスだ星野 燃えろ星野

 ♪ 平塚 克洋

大空に弧を描く 必殺の一撃を 今ここで見せてやれ 我らの平塚

 どなたかに使い回してください。復活を強く願います…。

 ♪ 坪井智哉

<ファンファーレ>
PL〜 青学〜 東芝〜 つ〜ぼ〜い〜
<応援歌>
一発 ぶちぬけ 嵐を呼んで 今だ坪井 そこだ坪井 ここだ坪井 つ・ぼ・い

ファンファーレを唄うだけで、燃え尽きます。

 ♪ 沖原正典

Let’s go Let’s go 沖原 ここで一発ホームラン
Let’s go Let’s go 沖原 命をかけろ

 元は久慈(現中日)選手の曲でした。桧山選手のと同様「久慈ダンス」というのがありました。沖原選手になってからは、やらなくなりましたが。

 ♪ 上坂太一郎

男の勲章は 光る汗 ただひたすらゆけ 上坂太一郎

 ♪ 田中秀太

それゆけ(??)秀太 根性だ 男の意地だ 突撃 秀太 男の中の男なら お前のバットで決めてやれ

 やや歌詞の自信がないのですが、むさ苦しい歌詞が最高です。音程を把握するのに時間がかかりました。(誰ですか?バット違いをしているのは)

 ♪ ジョージ・アリアス

六甲かすめる 弾丸ライナー 今だジョージ ここでジョージ 男なら

 いつでもどこでも「六甲かすめる」、なんだね…。

 ♪ 八木裕

いざゆかんや 燃え立つ大地に さあ八木裕が 勝利を目指して

 神様のテーマソング。一番最初に覚えた応援歌です。

 



2002年05月03日(金)
広島市民球場の立ち見席

 
 広島市民球場の外野席の後部、看板下に若干のスペースがある。今日のように人が混み合っているときは、シートに座れない人がここに陣取る。

 若い兄ちゃんカップル、野球少年にセーラー服を着た女子学生や家族連れなど、様々な層の観客が足を運んでいたのだが、とりわけ印象に残っている観客がこの立ち見席にいた。

 年輩、大体40代後半から50代前半くらいのご夫婦のカープファンだった。旦那さんと奥さんの体格が似通っていて、お二人とも穏やかな雰囲気を持っていて好感の持てた。落ち着いて、内野指定席で静かに見ているのがお似合いだなと思ったので、外野の立ち見席などおられるのが意外だった。

 応援する姿を見ても、観戦に慣れておられるとは思えなかったので、どうやら連休の混み具合を知らず、ふらりと「野球でも見に行こうか」と立ち寄られたのかもしれない。とんだ災難だったことだろう。それでも、満足げな表情で、観戦しておわれた。

 レフトスタンドだったためか、周りは阪神ファンばかり。そんな中、赤いメガフォンを片手に、カープの攻撃のときは、小声ながら「かっとばせー」と声を出しておられた。

 試合は、常に阪神のリードで進む。周りには、気合いの入った阪神ファンはドスの利いた声援が飛び交う。こういう場所、家族連れや年輩の方々にはものすごく居づらいようだ。実際、私の側にいたカープファンの親子は、雨が本格的に降り始めた7回表、風船をくらませて裏の攻撃を待っていたが、延々と続く阪神の攻撃と阪神ファンの口撃(?)に耐えきれなくなったのか、そそくさとスタンドをあとにしてしまった。だんだんしぼんでいくジェット風船に心が痛んだ。

 ふと、「あの夫婦、帰ってしまうのではないか」と気になって、立ち見席を見渡した。傘を差した2人を見て、ホッとして、やや心配そうな顔になっていたものの、まだ試合を堪能する余裕があるようだ。

 混み合っている上に、応援しているチームに不利な試合展開、その上天候の悪化、またずっと立っての観戦は体力的にも相当こたえるだろうと思う。

 このご夫婦は結局試合終了まで、席を離れることなく、観戦しておられた。私はそんなご夫婦の存在に癒され、心強く思えた。野球を愛する人は、まだまだいる。決して恵まれた環境ではない中でも、しっかり野球を見つめている人がいる。それがただ嬉しかった。

 グランドにいる選手から、観客席がどういう風に見えているのかわからない。しかし、どんなに視力のいい選手だって、ここにいるご夫婦の表情までは見えないだろう。それがちょっと残念だ。

 余談だが、私たちはレフトスタンド最上段に陣取って観戦していた。そこで、すぐ後ろの立ち見席で観戦していた三重県から来られたおじさんと仲良くなった。上には上がいる…。

 
☆ 今日の午前0時をもって、1987年に起こった朝日新聞阪神支局記者襲撃事件が時効を迎えた。この事件を知ったのは、つい1ヶ月ほど前ことだ。私は記者を目指したことはないし、被害に遭われた方々とも無関係の人間だ。それでも、言い知らぬショックに襲われ、ここ最近はその事件について考えることが多くなっていた。今回の遠征の行きしな、朝日新聞阪神支局の前を通りかかった。運転している相方に、思わず「止めて!」と言いかけたが、その言葉をグッと飲み込んだ。兵庫県警は、今後も捜査を続けるという。

 



2002年05月02日(木)
一年の計は元旦にあり、試合の計はダッシュにあり?!


 今日は、明日の阪神戦に備えて、一路広島市民球場に向かった。野球選手よろしく移動日。道中、「ヒマになるだろう」と駅構内のキオスクで『週間ベースボール』を購入した。江夏豊氏がコラムみたいなものを連載している。今週のテーマは「はじめが肝心」ということで、開幕投手について書かれていたのだが、この「はじめが肝心」について印象に残る出来事があるので、今日はそれについて書いて日記とさせていただきます。(ごっつい強引な振りやなあ)


 少し前の話、高校野球のある試合を観戦していたときの出来事だ。この日はあいにくの天気でグランドコンディションが悪く、午前10時に始まる予定の試合が昼2時と延びに延びていた。

 選手が明らかにダルそうなのが、素人目でも見てとれた。甲子園出場経験もあるそこそこの強豪校で、それなりのダッシュやアップ、キャッチボールをこなしていたのだが、正直「なんだ、こんなものか」とがっくりした覚えがある。

 と、そのとき、ベンチから指導者らしき男性のドスの利いた声が響き渡った。

「こら、なんじゃ、そのダラダラしたのは。おまえらやる気あるんか?やり直しじゃ!もう1回ダッシュからやらんかいっ!」

 部員たちは、全員直立不動でベンチにいる指導者の方を向いてじっと話を聞いていた。しかし、「やりなおし」の指示に戸惑いがあったのか、みなが互いの顔を見合わせるだけですぐには動かなかった。そこへ、「早くせんかい!」と再び檄が飛んだ。部員たちは電気が走ったときのようにピクンと体を動かしたあと、誰からともなく、グローブを地面に置き、順々にダッシュを始めた。意識して声を大きめに出しているのがわかった。

 それでなくても押している試合時間、その上高校野球の試合前の練習時間はプロのそれと比べて決して多いとは言えない。その限られた時間の中で、やらねばならないことはたくさんあるはずだ。ダッシュやアップなどは基本中の基本で、必要以上の時間がかけたくないだろうと思うのだが、そこを敢えてやり直させて指導者の思い切りの良さに驚いた。初めて見た光景であったというもの理由に一つかもしれないのだが。

 結果、そのチームは試合に勝利することが出来た。対戦カードを見る限り五分五分の勝率だろうと思われたが、終始大量のリードを保つ見事な試合運びだった。

 試合後、もしあのとき指導者が「ダッシュからやり直し」を命じなければ、このゲームはどうなっていたのだろう。ふとそう思った。
 



2002年05月01日(水)
ひまわりさん、ごめんなさい。


 私は、花というものが苦手だ。小学校のときには、「怖い」とすら思った。人はそんな私を「おかしい」と笑い飛ばすのだが、これでも長年夢でうなされ、未だに花屋や植物園などに入るのは抵抗がある。

 それは小学校に入って間なしの頃、我が家のトイレには小さな花瓶に花が挿してあった。便座につくと、視線の先にその花瓶がある。私のトイレタイムは、花とともにあった。

 いつだったか、キンセンカという花が挿してあった。オレンジ色の花びらが幾重にも重なって、丸みを帯びた輪郭をしている。花には花びらとそうでない部分(花粉のついているところ)があるのだが、このキンセンカは日に日に花びらが浸食し、人間の顔がのっぱらぼうになっていくかのごとく、一面を花びらで覆ってしまう。

 そんな変化を見て、本能的に「気持ち悪い!」と思った。母に頼んで、トイレから撤去してもらった。

 しかし、母はそんな私の悲痛な思いを理解していなかった。当時私は、仏壇のある部屋で寝ていた。朝、起きあがったら仏壇が真正面に見える。そんな場所だった。ある日、朝起きたら、仏壇に供えてあった、キンセンカが目の前に飛び込んできた。

 「ウギャーー!!」

 言葉にならない奇声を発してしまった。花が怖い、この瞬間から本気でそう思った。当時のことは鮮明の覚えていて、未だにその場面を思い浮かべるとえずいてしまう。

 パンジーが人の顔に見え、朝顔に吸い込まれてしまうのでないかとおびえて、追いかけ回されるのではいかと、道ばたでひまわりを見ると、駆け足で通り過ぎた。

 花恐怖症にとって、小学校時代は地獄だった。1年のときはあさがお、2年ではひまわり…となんらかの花を育てなければならなかったからだ。夏休みには、植木鉢ごと家に持って帰らねばならない。必然的に花と密接することになる。私は、植木鉢を抱え、花を目が合わないように顔を背けて歩いた。泣きそうだった。早く家に帰りたい。でも、植木鉢が重くて、思うように歩けない。

 そんなわけで、その年は、ひまわりが我が家にやってきた。毎日、水をやったり、観察日記をつけなければならないのだが、花を正視出来ない私にそんなこと無理で、ほったらかしにしていたら、知らない間に母が面倒をみてくれていた。

 姉に「花が怖い」と言ったら、姉がおもしろがって、ひまわりの植木鉢を宿題をやっている私のそばに持ってきたり、耳もとで「ひまわりが追いかけてくるで〜」とささやきかけたりしてきた。姉に逆らうと、「あっそ、ひまわり持ってくるで」と言われたら一貫も終わり。こうして、毎日ひまわりと姉におびえて過ごす夏休みが始まった。

 そんなある日、いつも通りひまわりを毛嫌いしていると、姉が言った。

「あ〜あ、ひまわり、かわいそー。「○○(私の本名)ちゃんに嫌われたぁ」って泣いているわ。あーあ」

 ひまわりが泣いている…?!

 私はおそるおそるではあったが、振り返って、ひまわりを見た。やっぱり怖い。すぐに目をそらしたが、姉の言葉がひっかかって仕様がなかった。

 私はなんでひまわりを毛嫌いしているんだろう。もちろん怖いからに決まっているのだけど、ひまわりがいつ私に危害を加えたの?もしかしたら、ひまわりは私と仲良くしたいのかもしれないし、本当はいいヤツかもしれない。ひまわりは、言葉を話せないから、何も言えない。私が怖がっている姿を見ても、「そんなに怖がらないでよ、ボクは何もしないから」とは言えない。“人を見かけで決めてはいけない”“自分がされてはイヤなことを人にしてはダメ”と担任のやまぐち先生が言っていたっけ?

 もし、私がひまわりなら絶対にイヤだし、悲しい…。

 ひまわりに誠意を見せよう。
 当時はそんな言葉を知るよしもなかったのだが、そんな言葉がピッタリだと思う。

 私は食べ終わったあとのアイスの棒(汚いなあ)に油性のペンで、「ひまわりさん、ごめんなさい」と書いて、植木鉢の中の土に突き刺そうと思った。本当は、ひまわりを正面にして「ごめんなさい」と言うのが筋だと思うのだが、まだそこまでの勇気は湧いてこなかった。
 
 植木鉢のそばに行くまでにずいぶん時間がかかった。それでもどうにか棒を突き刺すことに成功した。小さな満足感と大きな良心の呵責が入り混じっていた。


 それから20年近く経つ。未だにあらゆる場面でこういう感情にとらわれることがある。

 先日、応援していた学校の敗戦がショックで「無題」という題名で、かなり突き放した内容の日記を書いたのだが、数日経った今になって、この「ひまわりさん、ごめんなさい」の件をふと思い出した。

 努力することの大変さ、出来ない自分へのいらだちや恥ずかしさややるさなさは、誰より私がよく知っているはずだ。

 たとえ一人でも、ひたむきに野球をする子がいれば、それだけで充分応援に値するし、本当はみんな勝ちたいし、強くなりたいと思う。冬間も夜遅くまで練習をしていたという話も聞いたし、実際、遅い時間帯に疲れた顔している部員を駅のホームで何度となく見ている。

 確かに私は、彼らとは無関係の人間ではある。いつでも見放すことはできるし、それが彼らに影響することはなにもない。

 でも、勝手に好きになって、勝手に幻滅して、勝手に嫌いになる。こんなアホらしい一人芝居ってない。

 せっかく縁があって応援し続けてきたチームだから、このまま終わるなんて絶対イヤだ。

 これまで、何度も「もう辞めよう」と思ってきた。でも、奇跡的につながっている。

 この奇跡と選手とチームと自分を、もう少し信じてみようと思う。