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あるこのつれづれ野球日記
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2002年03月31日(日)
ツーアウトの背中


 今日、「日本一だと思う」ピッチャーを見つけた。その選手は、山梨県の市川高校・ヨシイ君という。

 え、日本一ならとっくの昔にドラフト候補として騒がれていたり、今頃西宮のあの球場にいるだろうって?

 確かに。おっしゃる通り。

 しかし、実のところ、私が彼の名前を知っているのはユニフォームの背中に並んだローマ字を見たからに過ぎず、実際、彼が同校のエースなのかどうかとか、決め球は何だとか、ましてやその「ヨシイ」という苗字の正確さすら自信が持てない。

 彼は、私の思う日本一の「ツーアウトの背中」の持ち主だ。

 チームが守りについているとき、ツーアウトあたりでピッチャーがホームプレートの背を向け、野手に手で「2」を示しながら、「ツーアウト、ツーアウト」と声をかけるシーンをしばしば見受けうるのだが、私は、彼のそんな後ろ姿に惚れ込んだのだ。

 ヨシイ投手は、身長はそこそこあるが、細身である。でも、鍛えているのがキュッと上がっているお尻で分かる。よく「尻の大きな選手は大成する」というが、私は横に大きい尻はあまり好きじゃない。肩幅はそれほど広くない。だから、「ツーアウト」と声を出したときに、「2」を表すために上げる腕がきれいに伸びているように見えるのかもしれない。

 背が低くても決まらないし、高すぎてもぎごちない。ほどよくバランスが取れていなければならない。それが私の持論。

 10年単位で野球を見てきたので、ものすごいスター選手から地元の無名選手まで何人もの「ツーアウトの背中」を見てきたはずだ。しかし、今日ほどこの仕草に強烈な印象を受けたピッチャーはいない。

 何故なんだろう。うまく説明出来ない。それは、チームメイトの彼に対する信頼感であるかもしれないし、彼自身の人間性かもしれないし、はたまたロケーションが良かったに過ぎなかったのかもしれない。とにかく「撮りたいっ!」と思った。

 私は、市川高校が守備につくたびに、持っていたデジカメのズームを最大限にして、その後ろ姿を捉えようと必死だった。

 何回目かの撮影でようやく彼の「ツーアウトの背中」を捉えることができた。軽い感動を覚えたが、「2」をしめした指先がすでに出塁していたランナーの足と重なっていたよくよく見たら、絵にならない。

 あーあ、野球写真ってむずかしいなあ。


追伸:本日をもって、当「つれづれ野球日記」が1歳の誕生日を迎えました。つまり1周年なのです。長かったような、短かったような複雑な心境です。この1年で多くの方に日記を読んでいただいたこと、また気持ちのこもったメールをいただいたこと、とても感謝しています。その度に「ああ、日記を書いていてよかったなあ」としみじみ思います。
 では、今後ともよろしくお願いいたしますm(_ _)m。



2002年03月30日(土)
あるこ的練習試合観戦術

 
 こんばんわ。
 関東遠征1日目は、首都圏内の高校のグランド訪問に費やしました。詳細は、後日リニューアルする「グランド日記」にアップしておきたいと思いますので、その際は一度お立ち寄りくださいませ。

 さて、今日は、本当なら首都圏の超名門校との練習試合を観戦出来る予定でしたが、先方の都合で残念ながら2日前に「中止」の知らせをいただきました。というわけで、せっかくですので、ここで私が普段どのようにして練習試合を観戦しているかを書きたいと思います。


 <あるこ的練習試合観戦史>

1991、11? 練習試合デビュー 
          実は生で高校野球を見た通算3試合目が練習試合でした。当          時は、「甲子園大会」と「それ以外」という認識があったた          め、春季大会と練習試合の違いがよくわからずにいました。

1995〜 この年あたりから、私の中に「練習試合を観戦する」という概念形成      されました。

1998〜 本格的に練習試合の魅力を知ったころです。公式戦には公式戦の、練      習試合には練習試合の魅力があります。

2000〜 練習試合でスコアをつけ始める。記録していて見えてきたことは多       く、野球の見方や感じ方、抱く思いの巾が広がりました。

2001〜 練習試合の行われる野球グランドに興味を持ち始め、グランド日記を書き始める。後半からは、写真撮影も本格化。訪問の際、前半は練習試合を見ることにこだわっていたが、後半からはグランドそのものに足を運ぶことを重要視し、訪問校数が増えた。

2002〜 練習試合でのスコアを辞め、写真に挑戦することに。対戦相手校にも興味を持ち始める。


<あるこ的練習試合観戦必須アイテム>

お金(基本の「き」)
携帯(ともきちやその他に野球友達に試合状況等を知らせるため)
タオルハンカチ2枚(グランドでは何が起こるかわかりません)
使い捨てカメラ(デジカメの腕が未熟なため、全体像などどうしても必要なものは、念のためこれでも撮っておく)
デジカメ(もっといいのが欲しいなあ)
スケジュール帳・ペン(時刻表やグランドの大きさ等情報をメモするため)
名刺(グランドでは何が起こり、どういう人と出会うか分かりません)
飲み物(いつもいつも父兄さんから、飲み物を頂戴出来るわけではありません。古本的には「ない」と思っていきます)

<あるこ的練習試合ワンポイント>

対戦相手校の基本情報を抑える(注目されている選手の有無、甲子園出場経験の有無など)
必ず1枚は写真を撮る
注目選手を1人作る
何でもいいから、相手校の父兄さん等関係者と話しをしてみる

<あるこ的練習試合撮影ワンポイント>

撮影は、相手校スタンドからやるのが何より気が楽。
「写真を撮りたいので〜」と断りを入れてから前の座席に向かう。
カメラの性能がよくないため、外野陣の撮影は断念(T_T)。



2002年03月29日(金)
どないせえっちゅーねん!


 バイトもひとまず無事に終え、明日は楽しみにしている関東遠征。朝が早いから早く寝よっと。そう思い、最後に受信メールの確認をして、パソコンの電源を切ろうと思った。すると、1通の新着メッセージが私宛に送られてきており、睡眠どころではなくなった。

 メール内容は、個人のプライバシーにかかわることなので、書くことができないのだが、いろいろ調べていくうちに気持ちがどーんと重くなってしまった。

 ネットを始めて1年が経つにもかかわらず、自身の不勉強で知らないことが多い。

 実は、私たち一般人が個人の趣味としてつくる場合においても、高校野球に関するHPの作成には、「高野連の承認を原則とする」というのだ。お恥ずかしい話、今、始めて知った。だから、このHPも承認されているわけがない。(かといって、承認がなくても、罰則や法的な制裁を施すとは書いていなかったが)

 平成8年夏、日本高野連第5073号として、インターネットに関する高野連としての対処方法が通達されていたのだ。もう6年も前の話。

 当HPは、高校野球だけを扱っているわけではないので、いくらでも逃げ道はある。でも、内容の大半を高校野球が占めている以上、万が一のときのためにこれをしっかり留意しておかねがならないと思っている。

 さて、数多(あまた)ある高校野球のHP、一体どれだけの管理人さんがこのことをご存知で、実際に承認されているHPはあるのだろうかと思った。でも、そんな話、聞いたことない。

 また、「高校野球のHP」の基準は一体何だろう。たとえば、コンテンツになくても、野球日記で高校野球のことを書いていたり、掲示板にときどき高校野球の書き込みがある程度でも、やはり「高野連の承認が原則」なのだろうか。

 興味本位な内容って具体的に何だろう。高校野球の健全な発展が疎外されるものって具体的にどんなことなのだろう。

 私は私なりに、選手やチームに迷惑のかからないよう、最低限節度と細心の注意を払っているが、世間の標準が私でない以上、私が興味本位なことや、高校野球の健全な発展を疎外することを書いていないとは言い切れない。はっきり言って、わからないのだ。

 文面には「指導する」とか「弾力的な取り扱い」とか、まあ、えらい言葉が並んでいる。大半の方は、ただ高校野球が好きで、応援したいという気持ちからHP作成に踏み切っているのに、なんか悪いことでもしているかのようだ。

 とはいえ、ちょっと言葉は悪いが、ここまで取り締まろうとする高野連側の考えにも頷けないわけではない。インターネットは、まだ無法地帯と言ってもよく、本当の意味で、高校野球の健全な発展を疎外するものがないとはいえないからだ。

 このままじゃ、気持ち悪いから、とりあえず承認してもらおうじゃないか。早速、日本高校野球連盟のHPにアクセスした。

 ところが!
 メールアドレスが記されていないのだ。これでは、承認をしてもらいようがないではないか。

 それなら、電話か手紙だ。
 そう思って、住所や電話番号を探すが、それもなし。一体、どうすればええねん!

 ま、電話番号は「104」で調べるという手段もなきにしもあらずなのだが、それにしても、「承認を原則とする」と通達しておきながら、その手続き方法はおろか、連絡先すら記さないなんて、不快感というより、カルチャーショックの方が強い。

 一体、どうすりゃええねん。ほんまに。

 とりあえず、頃合いみはらかって電話してみますか。
「あ、もしもし。日本高等学校野球連盟さんですか?私、○○(本名)と申しますが、高校野球のHPを作っているのですが、なんかそちらに承認してもらわないといけないとのことで、どのような手続きをとればよろしいのでしょうか?」

 ああ、怖い。
 私、電話苦手やねんか。



2002年03月27日(水)
野球カバンの中は、小宇宙?!

 
 野球カバンという名前であるかどうかはわからないが、野球部員が方からかけているバッグがある。つるつる素材で、雨に濡れてのOKっぽいし、わりかし丈夫そう。数学の図形の問題に出てきそうな直方体は、体の大きな選手が持っていても、「でかいカバンやなあ」と感じてしまう。

 さて、この野球カバンの中はどうなっているのだろうと思う。

 え、何をアホなこと言ってんねん、ですか?
 確かに、ある程度なら検討がつきまが。ユニフォームにグローブに、タオルやスパイク、そして…。早くもネタギレ。

 そういえば、バットはどうしてるんだろう。練習帰りにバットを持って帰っている選手、見ないなあ。でも、家に帰ったら素振りしている選手はいると聞く。そういえば以前、普通の公立校野球部レベルならバットは部に5〜6本あればいいところだと聞いたことがある。先に強豪校の野球を見てしまった私は、選手のマイバットは当たり前に思っていたけれど…。

 また、学生の本分は勉強。あの、バックの一体どこに教科書やノートが?だって、平日の練習帰りでも、野球カバンしか持っていない選手がほとんどだし。そうすれば、カバンはものすごく重くてパンパンにあると思うのだけれど、見て限り、それほど重そうではない。置き勉(教科書等の勉強道具を教室に置いておきこと。主に、勉強嫌いな生徒がよくやる。もちろん、私もやった)かなあ。私も高校2年からは、ロッカーが教科書図書館状態になっていたなあ。

 さて、あの野球バック、選手にとって使い安いのだろうか。収納がいいのだろうか。また、いくらくらいするのだろう。沸々と疑問がわくばかりだ。

 仕事が少し遅くなると、車内や駅前で部活帰りの高校球児をよく見かける。目線はついつい野球バックに行ってしまう。目があってしまうと、たいてい「またや」って感じで、カバンを抱え込まれてしまったり、足場やに去って行かれる。わ〜ん、私は変な人じゃないのに〜!!おそらく一生解けないであろう誤解に、恥ずかしさと心苦しさと悔いばかりが残る。

 



2002年03月26日(火)
9年前の今日。


 9年前の今日、私は阪神甲子園球場にいた。

 センバツ高校野球。開幕日第三試合、日はもうすっかり落ち、すでに序盤から点灯試合になっていた。春の夜は肌寒く、盛り上がりを見せるのは両校アルプスだけ。オレンジシートもグリーンシートも外野スタンドも、悲しくなるほど閑散としていた。ああ、これも「甲子園」なのか、と思った。

 序盤、大会ナンバーワンと言われていた左腕投手が制球難で苦しんだ。大会前からある程度不調が伝えられていたので、私は別段驚かなかったが、やはりこんな大舞台ベストピッチをさせてあげたいと思った。

 結局、左腕投手は4回持たずに降板。時たま三振を奪った威力のある球にのちの活躍の布石を見せたに過ぎなかった。

 変わって(正確には「代わって」なのだが、試合の流れを変えたことや、投手としてのタイプも違うため、ここは敢えて「変わって」とさせていただく)投げたのは、2番手、いやもう一人のエース。小柄ながら、なかなか安定したピッチングをする。そして、この試合ではそれにも増して好投し、三振を次々と奪った。一時は下がったテンションも一気に上がった。

 当時は、アルプススタンド中段で、応援団を斜めに見下ろせる場所に陣取っていた。周りは私たちと同じような女子高生ファンばかり。どこのスナックの姉ちゃんやねんというようなケバケバしい子から、いかにも「女の子」しているかわいらしい子まで、身動きが取れないほど押し掛けていた。

 どの子の顔を見ても、「同じクラスになっても、絶対友達にはなれない」タイプだった。野球の応援でなければ、間違いなくそばにもよらなかった。

 しかし、2番手投手の好投で、知らない間に彼女らと一緒になって黄色い声を張り上げていた。

 2−3で迎えた終盤。ヒットで俊足のランナーがホームを突いた。タッチアウト。

 「今の、絶対セーフやって!え〜、いややで、そんなん〜」
 声を枯らしたが、本当は、心の底ではアウトだと分かっていたし、こんなスタンドの片隅で見ている私なんかより、審判の方がはるかに正確だ。

 わかってた。けれど、言いたかった「絶対セーフやって!」。試合は、私の力ではどうすることもできない。スタンドの声援は力になるとは言うけれど、確実に勝利を運び込む手だてではない。野球が、ゲームが、自分の手の届かないところにあり、自分ではどうすることもできないことを認めたくなかった…。

 試合の流れが変わった。この時は今よりも更に野球を知らなかったが、ホームタッチアウトというチャンスを逃した劇的に演出されたダメージが、セオリーではどういう結果を呼び起こすのかは知っていた。

 ずっと肩に入っていた力が一気に抜けていく。ピッチャーが打たれる。外野手はボールを追って走る。その背中が切ない。

 勝利はもうないだろう。野球は9回裏ツーアウトまでわからないというけれど、ふとそう思った。

 そして、そんな自分がイヤでイヤで必死で声を張り上げる。恥も外聞もあるか!この日、選手を下の名前で呼んだ。おそらく最初で最後だろう。それくらい興奮していた、いや興奮しようと一生懸命だった。

 1点差。終われば、トリプルスコアになっていた。
 
 おそらくあったと思われるエール交換だが、実は、まったく記憶がない。帰り、一緒に応援してた女の子と「残念やったね」「夏、またここで会おうね」と話した。それは、試合終了後、両チームがホームプレートを挟んで整列したあとに似ていた。口ではそう言ったけれど、夏のことなんて考える余裕はなかった。

 この日最後の試合だったため、慌ただしい移動はない。それでも、多くの人の移動で、通路は詰まっていた。

 ふと気付くと応援団が、スタンドのゴミを拾っていた。私たちもそれに倣った。元々ゴミがそれほど出ていなかったのか、すでにかなりの量がかたづけられたあとなのかわからなかったが、ゴミは探して見つけだす程度しかなかった。見た目には目立たない。でも、ゴミを拾いたかった。試合は負けたけれど、応援マナーでは負けていなかったぞ、と胸を張りたかった。また、ブルーのゴミ袋を持っている部員に「おつかれさま」と一言、言いたかった。これは、一緒にいたともきちも同じ思いだった。。

 ゴミを一緒に、悔しさや寂しさややるせなさを拾い上げる。このまま時が止まっていて欲しかった。

 閉門時間が迫っていた。再三の場内放送があった。応援団の部員たちはそれでもごみ拾いをやめようとしない。気持ち、わかる気がする。ここを、離れたくない。

 片手に足るほどのゴミを部員の広げる袋の中に入れた。ともきちが「おつかれさまでした」と言った。彼は小さく頷いてから、会釈した。言葉はなかった。



 あれから9年。

 昨日の開会式にの前に、過去にセンバツに出た有名選手の当時の映像が映し出されていたらしい。

 桑田、清原、水野…。壮絶なメンバーの中で、当時の岡島投手が映し出された。見ていた母は言う。

「気分よう投げた球を、カキーンと打たれて、がっくりしていた姿やったよ。やっぱり高校生の頃はかわいかったわぁ」

 もっと、いいこと映してあげてよぉ〜。




2002年03月25日(月)
テレビ前で、ザ・球児ウォッチング


仕事が早く終わったため、「到底見れるわけないだろう」と思っていたセンバツ大会をちょこっと見ることが出来た。例年、センバツ大会を始めて目にしたときは、なんか置いてけぼりをくらったような気分になって、淋しい。球春の到来を素直に喜んだらいいのに、なんだか複雑だ。

 例年野球シーズンを前に、「今季の野球の見方」見たいなものを決めておくのだが、今年は「試合展開ではなく、1つ1つのシーンに注目する」をテーマにしている。

 昨季は「スポーツライターになる」という夢があり、そのためには記録することが必要、知識も情報も必要。そう考えていた。でも、今季はそれにこだわることをやめたので、よほど自分が興味を覚えない限り、その類のことはしないつもりでいる。それに、数字やカタカナ英語が苦手なので、自分には合わないということも分かったので。

 というわけで、強い衝動に駆り立てられなかったので、今年のセンバツ関連の雑誌は一切購入していない。

 ブラウン管の向こうで行われている試合は、今日の第三試合・広島商業ー樟南。どちらも甲子園に名を轟かせる強豪校だ。しかし、わずかにある私のセンバツ大会情報に両校ともかすりもしない。だからこそ、おもしろいと思った。ちょっと早めの夕食を摂りながら、中盤に入った試合を見守った。


☆ 私は好きだけど

 中盤、広島商業の攻撃。ツーアウトからランナーであるピッチャーが果敢にホームを突いたが、あえなくアウトになった。解説の人は「ランナーはピッチャーですからねえ」と口にしていた。画面からは伺えないが、きっと苦々しい表情をしていたことだろう。

 確かにややも暴走気味のところあったし、センターの好返球もあった。でも、思いきってホームに走るピッチャー、私は好きだ。ピッチャーも野手の一人だし、センスのいい子がなるんだろうから、足も速いと思う。

 子供のころ、近所のお兄ちゃんお姉ちゃんに遊んでもらうとき、小さいからとハンデをもらって遊んでいた。そのハンデを「ごまめ(由来は不明)」と言ったが、野球でも攻撃におけるピッチャーの扱いにこの「ごまめ」の匂いを感じる。

 別にそれをどうこう言う気はないが、盗塁をバンバンするピッチャーとか出てきて欲しいなあ。きっと野球がもう少し面白くなると思う。

☆ メガネのショート・我那覇選手

 樟南のキャプテン。ヤクルトの古田登場以来、メガネの野球選手というのをわりと見かけるようになったと思う。でも、動きの激しいショートの選手でメガネをかけているのは初めて見た。ライナーの打球とか襲ってきたら、割れるで。元メガネっ子としては、ちょっと心配。

 我那覇という苗字には聞き覚えがあった。実況アナウンサーが合間を見計らって口を開いた。「お姉さんは、歌手の我那覇美奈さんです」。うっそー。拍子抜けてしまった。

 さっき、「我那覇という苗字には聞き覚えがあった」と言ったのは、まさに彼女のことだったのだ。私は人と人とを関連づける癖があり、ちょっと有名な人と苗字が一緒だったり、出身校が一緒だったりすると、「あの人と兄弟なのかなあ」とか「学校の先輩後輩かあ」とか考えたりするが、大半が私の妄想の域を抜けない。だから、拍子抜けたのだ。

 ひょっとして応援歌のお姉さんの唄を使ってるのかも?、なんて野暮なことを考えたが、どうやら違ったようだ。

 そう言えば、昨年(今年も?)弟がセンバツ大会に出場した女優の吹石恵が野球雑誌にエッセイを書いていたが、今年は彼女の番かなあ?

 ちなみに、我那覇選手は4−3と猛打賞の好成績だったが、残念ながら試合は負けてしまった。

☆ 球児の唇

 元々「高校球児の肌ってきれいやなあ。そら、毎日運動しているから新陳代謝がいいんやろなあ」とは思っていた。でも、今日、試合を見ていて、唇もきれいな選手がいることに気付いた。

 今日のきれいな唇ナンバーワンは広島商業の和田投手。化粧品メーカが出す「今年の春、ナチュラル新色」とかにありそう。澄み切っていて、赤とピンクの丁度中間。そこらの女子高生顔負けだと思う。

 とりあえず、広島商業は勝ったので、次回機会があれば御覧ください。女として、羨ましくなりました…。

 ちなみに、彼、顔も凛々しくて、いかにも「伝統校のエース」という感じでした。

☆ 顔の傷

 樟南のエース・岩崎投手には右ほほ上部にかさぶたのようなあるいた擦れたような小さな傷がありました。

 人の良さそうな顔をしている彼ですが、その傷跡に野球に取り組みときに出てくる厳しさやこれまで積み重ねてきた努力の見たように思いました。

 その傷の原因はわからない。野球でつけたものだとは限らない。でも、何故かわからないけれど、そう思った。

 あの傷跡がなかったら、彼のことは印象に残っていなかったと思う。


☆ 番外編・部長のヒゲ

 終盤、樟南ベンチが映った。何やら白いヒゲを大事そうに生やしている年輩の男性がいた。まっろいあごヒゲは鋭い三角形を作るように伸びていて、きれいに整えられていた。手入れに時間かけてるんだろうな。選手にとって、あのヒゲはリラックスするのか、それとも気を引きしまさせられるものなのかはわからないけれど。




2002年03月24日(日)
さくら、さくら


 今年は例年より、桜の開花が早い。京都では、今日がピークだとも言われている。毎日、地下鉄での通勤で、家と職場の往復をしている私は、まだ今年になって1回も桜を見ていない。

 だから、ニュースで花見の席取りをしている学生や新入社員のインタビューを聞いても、別世界の出来事であるかのようだ。

 春の暖かい日差しと桜の下でおにぎりをほおなったり、円山公園でライトアップされた夜桜を見ながら酒を飲むのもいいが、実は私には、もうひとつ桜の楽しみ方がある。

 それは、春の練習試合。
 私の応援しているチームは、センバツの時期を使った遠征から戻ってきて、4月半ばに始まる春季大会までの間にいくつかの練習試合をこなすのだが、この時期が丁度桜の季節だ。

 学校のグランドと言えば、桜である。たいていどこの学校でもグランドの周辺をとりかこむかのように植えられている。昔のアルバムを広げると、入学式にそんな桜の下で撮った写真が出てくる方もいるかもしれない。

 練習試合観戦が、花見を兼ねることができると気付いたのはずいぶん遅く、昨年春のことだ。

 その日は滋賀・石山高校との練習試合で、同校のグランドでWヘッダーをこなした。

 大津市郊外にある同校は小高い丘の上にある。正門を入るやや急な坂道を上ると、眼下にグランドが見える。その日は、桜が満開の日で左中間の桜並木は白に近いピンク色で覆われていた。更に奥に進んでところに、父兄さんを始めとする観客がいたので、そこに腰掛けた。後方に桜の木が1本植えてあった。

 その日は風も強かった。グランドではその風に負けじと打球音と掛け声が響く。そんななか、背後の桜はハラハラと、もろくも風に飛ばされて散っていく。花びらは、そのパワーに誘われるかのように、グランドにいる選手たちの方へ向かっていく。ドラマのような光景だった。

 長い冬を越し、春が始まった野球と選手たち。そして、短い春に終わりを告げるはかない桜の花びら…。

 そのコントラストのなんともいえない美しさ。正座もろくにできない私だが、「やっぱ、日本人の心は“桜”やな」なんて思ったりした。

 
 前述した通り、今年は桜の開花が早い。次に練習試合を見に行く頃には葉桜になっていることだろう。ま、それもよしか。緑の鮮やかさに心を癒してもらおう。



2002年03月23日(土)
高校球児、いつまで“お兄ちゃん”?

 
 私の好きなエッセイストの一人に、群ようこさんがいる。その群さんが、著書の中でこんなことをおっしゃっていた。

<今では高級球児との年の差はずいぶん離れてしまってたので、図々しいかもしれないが、高校球児はいつまで経っても“お兄ちゃん”という感じがする>

 私も少し前までは、そう思っていた。

 年齢差は広がるばかりだが、社会の荒波の波打ち際でもたもたしている私などより、社会には出ていないが厳しい練習でもまれている彼らの方がはるかに大人びている。それに、マスコミや口コミ情報で聞いている限りでは、言うことも最もらしい。できてる子やなあと思う。自分の高校時代と比べると、情けなくてがっかりする。

 ずっと“お兄ちゃん”だったはずの高校球児が、いつからそうではなくなったのか、考えてみた。

 自分が高校3年生のときは、それほど思わなかったが、ちょっと無理して(?)2つ下までは“お兄ちゃん”でOKだった。当時、甲子園に出てくるような学校はほとんどが丸刈り、いわゆるイガグリ頭だったのだが、それがまた球児のりりしさを引き立てていたようにも思う(誤解されないように申し上げますが、私は丸刈り賛成派ではありません)。

 はっきりした境界線はないが、気付いたら、高校球児は“お兄ちゃん”ではなくなった。自分より精神年齢が上でも、信じられないようなすごいプレーを見せていても、その仕草や雰囲気からは“お兄ちゃん”を感じない。大人びたことを言う小生意気だけど、憎めない弟…いや子供と言ってほうが正しいかもしれない。

 私には男兄弟がいないこともあり、どうも兄や弟をイメージするのは難しい。それにプラスして、年が離れてくるとなると、違和感があって当然だと思う。

 試合を見ているときに、思わず出る声が、スタンドにいる“おかあさん”に近いなあと最近自分で思う。もし、自分に子供ができたら、こんな感じなのかなあ。

 そんなんやから、ここ2,3年父兄に間違えられたりするんやな。

 高校球児との年齢差が広がっていくショックをいくつかの段階に分けてみた。

 まず、第一段階。
 19歳のとき。自分が高校を出て、初めて自分より年下の子が最上級生となる年だ。気が抜けた。もう高校生には戻れないんだな。月日の流れのショックを初めて痛感するため、ショック度は実はこの段階が一番大きいかもしれない。

 続いて、第二段階。
 21歳のとき。自分が高校生のとき、まだ中学生だった選手が最上級生になる。

 第三段階は、24歳のとき。自分が高校3年生だったとき小学生だった子が最終学年を迎える。このあたりから、子供のころに見ていた番組や夢中になっていた遊びが違ってきて、世代の違いを感じる。また、「高校生ってこんなに幼かったっけ?」と思うのもこの時期だ。

 第四段階は、今の私、26歳のとき。自分と10年離れた選手が高校球児になった。私が高校3年のとき、まだ小学2年生。本格的な子でも、ようやく野球を始めた頃だ。ちなみに、阪神優勝のときに生まれた貴重な選手たちである。

(注:阪神ファンと話をするときは、阪神優勝の年1985年に自分はいくつだったのか、何をしていたのか、また当時、阪神の優勝に対する興味はどの程度だったのかなど、事前に整理しておくとよい)

 そして、今年は1986年生まれ、つまり阪神優勝を知らない子供たちが高校球児となる。阪神、長いこと優勝してへんなあとしみじみブルーになってしまう。
 
 また、来年の新入生は干支が一回り違うし、次の年には平成生まれの子供が高校球児になる。ああ、頭が…。


 昔、雑誌に「昭和50年生まれの子が高校球児にいると気づき、ショックで食事が喉を通らなかった」という年輩の方からの投稿があったが、その気持ちを今痛感する。

 今度は私が、「平成生まれの子が高校球児にいると気づき、ショックで食事が喉を通らなくなる」番だ。


追伸:平成生まれの人から、見れば「んなこと知らんがな」となるのだろうけど。
(あ、今、中学2年生の子やね)



2002年03月22日(金)
火災発生?!


 人間、何が一番怖いかって、自身の生命の危機を感じたときなのかもしれない。

 現在の仕事に限らず、通勤となるとたいてい地下鉄を使う。京都市街に出るにはこれが一番安くて便利な手段なのだ。

 今日は、仕事が早上がりになり、ご機嫌で帰路についていた。いつもよりやや大きなボリュームでウォークマンを聴きながら電車を待っていた。

 駅のホーム、目線を上げると、電光掲示板がある。どこ行きのホームで、また次に来る電車は今どこら辺を通過しているのかがわかるあれだ。ホームについたとき、次の電車は二つ前の駅を出たところだった。あと、2〜3分で来るな。その思い、しばらくウォークマンから流れる音楽に聴き入っていた。

 すると、何故かわからないけれど、ただごとではない雰囲気を感じた。なんだか周りが騒がしい。

 「!」

 私は慌てて、イヤフォンを外し、当たりを見渡した。何やらアナウンスがあったようだ。でも、状況がまだつかめない。

 そして、何を思ってか、電光掲示板に目をやった。

 「中2階で火災発生」

 !!!!!
 
 さっきまでのどかに電車の通過状況を知られていた暖色系のランプではなく、周りは真っ黒。2倍大の赤い文字が仰々しく目に飛び込んできた。

 火災って、火事のことやんなあ?
 どっか燃えてるってことやんな?
 大変だ、大変だ、どうしよう、どうしよう。

 頭の中がパニック状態になった。
 本当ならすぐにでも逃げるべきなのだけど、こういうときに限って、足がすくむ。それに、火災発生は中2階。ここは地下2階。一体どこに逃げればいいんだ?!

 これから自分はどうなるのだろうと思った。
 こうしているうちにどんどん火は広がっているのだろうし、それでも逃げ場はない。そのうち、場内アナウンスで何か指示があるだろう。

 そういえば、地下鉄で災害にあったときのこと、何も知らない。非常階段とかいった類のものはあるのだろうか。何気なく乗っているけれど、地下鉄に乗るっていうことはある意味命を預けることだなあと思った。

 人間、自身の「死」を思うとき、様々なことが走馬燈のように頭を駆けめぐるのだという。

 私の趣味は、野球。試合も見るし、こうして野球日記をつけているため、日常生活をしているときにおいても常に野球を意識している。旅行に行っても観戦を兼ねていたり、どこかの高校のグランドに行ったりと、ほぼ片時も野球のことから頭が離れない状態が続いている。

 そんな自分だから、きっとそういうときも野球のことを考えるのだろうと思った。「ああ、阪神の優勝を味わうことなく死んでしまうのか…」「春季大会、見たかったなあ」「ホームページどなしよう」等々。

 ところが実際は違った。
 脳裏から野球のことなど、すっぽりと抜け落ちていた。
 自分が野球が好きであることどころか、この世の中に野球というスポーツがあることですら、すっかり記憶からそぎ落とされていた。頭の中の大半を占めていたことが、一瞬で吹き飛んでしまったのだ。

 まっ先に浮かんだのは、これからまもなく起こるであろうパニック現象の中に組み込まれている自分の姿だった。黒い煙が充満する中、ハンカチで口を押さえて逃げまどう。…あ、今日、ハンカチ持ってきたかな。ふとズボンのポケットの中を探る。一酸化炭素中毒って苦しいんだろうな。どれくらい苦しいんだろう。あーあ、イヤだな苦しみながら死ぬのは。「九死に一生スペシャル」みたいに何とか助かる方法はないかな。そういえば、以前本屋で立ち読みした手相の本に「九死に一生の相」が載っていた。自分の手を見たら、同じものは左手のひらにあったっけ。

 あ、そういえば、電車がこちらに向かっていたはずだ。
 気になって再び電光掲示場を見た。すると、すでにそこには恐怖の館のような「火災発生」の文字はなく、再び電車の通過状況が示されていた。電車は一つ前の駅を通過し、こちらにむかっているようだ。

 そうだ!ここが火事でも、電車に乗って現場を去ればいいんだ!

 早く来て、頼むさかい、早よ来てぇや。

 景色がないから地下鉄はおもろないとか、車体がダサいとか、階段多すぎるからお年寄りの天敵だとか、運賃高すぎるとか、駅構内に売店がなくて不愉快だとか…。そんな文句言ったことは謝るからさ。

 地下鉄の駅間は大体2〜3分程度なのだが、今日ほどこの時間を長く感じたことはない。周りのことなど、考えられなかった。とりあえず、「自分さえ助かれば…」と思った。

 そんな思いをよそに、電車はいつも通り、ゆっくりブレーキをかけて停車した。しばらく開いているその時間も惜しい。もういいから、早く!

 ドアが閉まり、電車が動き出した瞬間。「勝った〜」と思った。生きることを勝ち取った気分だったからだ。ホッとして、肩でため息を一つついた。


追伸:このあと車内で、火災発生は「点検中」であり、確信情報でないことを知った。コンピューター等で制御されている装置は、過剰反応することが往々にしてあるのだという。けれど、気になるので明日はちょっと早起きして、朝刊に目を通そう。



2002年03月21日(木)
ともきっちゃん、おつかれさま♪


 世間では祝日。友人知人にも仕事が休みという人が多く、またあちこちの高校で練習試合は行われている。しかし、私は仕事。依頼を受けた地点で覚悟はしていたけれど、やはり気が重い。

 そんななか、ひいきチームの今季(練習試合)第一戦が兵庫県内で行われた。今回はともきちが一人で見に行った。私が見れない代わりにというより、本人もしばらく試合を見ていなかったので、ずっと見に行きたかったのだという。

 ここ2,3年は、仕事や体調不良で観戦できないともきちに私が詳細等をメールするというパターンが続いていたので、今回はその逆となった。

 気分が冴えないまま、一日で一番長い午前の2時間を乗り切った。何気なく携帯を見ると、ともきちから複数のメールが入っていた。見てみると、試合の詳細を展開が変わるごとにメールで教えてくれていたようだ。

 気になって弁当を食べたあとに電話をしてみた。受話器の向こうから弾むような声が聞こえてくる。ともきちは、やや早口で今の状況を説明してくれた。息もつかせぬ打撃戦とだけあって、やや興奮気味であるかのように思えた。

 受話器の向こうから、ベンチにいる選手の声が聞こえてきた。「お〜、野球や、野球や〜」。私も独り言を連発し興奮状態になった。

 野球にそれほど詳しくないともきちの説明でわかることはたかがしれている。でも、受話器の向こうにある光景が目に鮮やかに浮かんできた。

 試合を見れないとどんなにやりきれないのかと思っていた。ともきちからの報告を聞いて、羨ましくなって嫉妬に近い感情を抱いたり、仕事を受けてしまった事を後悔したり、自分が置いてきぼりにされてしまったかのような寂しさが襲うのではないかと思っていた。実際、これまでの私はそういう感情を持っていたが故に、「試合は自分が見なければ意味はない」と意固地になっていた。

 でも、不思議と嫉妬も後悔の念も寂しさもなかった。誰かが見ていてくれている安心感。もしかしたら、初めてかもしれない、こんな感情。

 自分は試合を見れなかったけど、私のために試合内容を報告してくれる人がいる。しかも、その人は、私と同じくらい、いやそれ以上にチームが好きで、似た目線で観戦することのできるのだ。こんなに嬉しいことはない。

 自分も試合を見ていたような気分?

 いや、それもちょっと違う。
 きっとそれは、仕事中にコーヒーを一口飲んで、肩の荷が下りたりたような「ほっ」というため息が出るあの瞬間に似ている。

 う〜ん、わかりづらい説明かもしれない。言葉が見つからない。でも、間違いなく言えるのは、観戦していてはわからない感情であるということだ。

 試合を見ない野球もある。
 矛盾するけれど、それが今日の大きな収穫だ。


追伸:昼から崩れるという天気予報はあながち外れておらず、ともきちは「雨が降ったり止んだりして変な天気。風がきつくて、目が痛い〜」と言っていた。Wヘッダー2試合目があったかどうかはわからないが、決して体が丈夫ではない彼女なので、風邪を引いていないか心配だ。
 



2002年03月20日(水)
スローボール賛歌


 こんばんわ。
 今日、ジムに行ってきました。最近は、トレーニング(というほどのものでもないけれど)の後に軽く泳ぐようにしています。
 水から上がったあと、ド近眼の私は、間違って男子ロッカールームに入り込む(人がいなくてよかったぁ〜)という失態をしでかしてしまいました…。

 さて、今日、泳いでいて思ったのですが、ゆっくり泳ぐっていいですね。腕で、太股で、足の裏で水をたっぷり感じ、水の流れに身をゆだねるように進むと、「ああ、私は水の中にいるんだ」と実感し、不思議とリラックスできます。水泳の大会中継を思って、「せわしなくてかわいそう」とか余計なことを考えたりして。

 そういえば、スポーツって、“ゆっくり”であることが讃えられることは、あまりないような気がします。

 マラソン、水泳、バスケット、サッカー、剣道、柔道、野球…。

 早いボールを投げるピッチャーがもてはやされ、頭の回転の速い捕手が重宝され、内野手は最初に一歩を出す早さで善し悪しが決まり、外野手には矢のような送球が要求される。

 打席に入れば、スイングの速さ、打球の速さ、塁に出れば足の速さに注目が集まる。

 また精神面においては、気持ちの切り替えの早さが大切でもある。


 星野伸之投手のスローボールが好きです。

 何故かよくわからないのですが、初めて生で投球を見たときは感動しました。おそらくそれは、「ピンチのときには、速球を投げるより、スローボールを投げる方が勇気がいる」という話を聞いているからかもしません。

 だから、星野投手に限らず、それまで注目していなかった投手でも、ふとスローボールを投げたりすると、一瞬興奮状態になって、試合展開が頭から飛びます。そして、それだけでそのピッチャーが気になってしまいます。

 高校生レベルだと、私にでもボールの回転が見える時があります。赤い縫い目の場所がくるくる変ったり、ボールについている土の色、傷跡が見えたときもありました(嘘みたいな本当の話です)。

 ボールが風を切り裂いて、キャッチャーミットに向かっていくその軌跡。じっとそれだけに見入ってしまうときもある。

 意表をついたその投球に一瞬エキサイトした後は、じっくり余韻を楽しむ。1つぶで二つおいしい。それがスローボール。



2002年03月19日(火)
派遣姉ちゃんのちょっといい話。

 仕事の話を一つ。
 前回は散々文句ばかり言っていたので、今回は「ああ、よかった〜」と思ったことを書きますね。

 今日はパートナーが違う部門の手伝いに行ったため、一人で黙々と仕事。でも、何故か集中できて、書類の処理スピードがいつになく上がった(いい加減になっただけ?)。

 今日であった2つに「心温まる書類」の話。

 一つ目は、書類を大きさ順にきれいに並べて、ビニール袋で包まれていた。

 通常ビニール袋は開けるのに手間がかかるので、はっきり言って迷惑なのだが、今回はセロハンテープが剥がれやすくかつ取りにくいのいう伊東家の食卓の裏技のような貼り方がされていたので、ありがたかった。字もととも丁寧に書かれており、訂正箇所もなし。

 気になって消印を見ると、2月だった。送り主の住所は北信越方面。当時はまだ雪が降っていたに違いない。きっと彼女は書類が雨や雪に濡れないようにとビニールにくるんだのだろう。

 よほどこの大学に入学したいのだろうか。いや、写真から伺える彼女の顔を見る限り、きっとそういうことを当たり前にしてしまうんだと考える方が正しいかもしれない。

 ずっといい加減な書類に振り回わされてた私は、あまりの感動にしばらく写真の彼女を眺めていた。世の中、まだまだ捨てたもんじゃない。

 2つ目の書類には手紙は入っていた。

 手紙は合格者の母親からだった。実はこの方、手続き締め切り日を間違えておられて、気付いたときにはもう締め切りが過ぎていたのだとか。そこで、何とかならないかと学校の事務室に電話をしたところ、「持ち込んでくださればかまいません」と言われたので、早急に持ち込みをしたのだとか。

 手紙の続きには、「異例の対応に感謝しています。もし、そのような処置をとってくださなったら、子供は合格しているのに浪人しなければならないところでした…」と思いが切々と綴られていた。

 毎日、中途半端な量の書類が来て、ストレスがたまる。職員は「締め切りが過ぎていてもいいんで、処理してください」と言う。

 今回の作業は、大量をこなすより、少量しか処理できない方が実はしんどい。だから、「締め切りなんて、1日でも過ぎてたら容赦すんなや。大学入学を何やと思ってんねん!」などと思っていた。

 でも、今回の手紙を見て、「ああ、容赦してよかったなあ」と少し思った。中には、締め切りを過ぎても、当たり前のように送ってきて、不備をバンバンだす不届き者もいる。けど、100人の不届き者にイライラするより、たった一人の人間を救えたことを喜び方が、幸せに生きれると思った。

 普通、いらなくなったメモは処理が終わったら捨てるのだが、これだけは今もきちんと取ってある。


 たかが書類。されど書類。
 ここに、様々な人の思いや性格や置かれている立場や心境が見えてくる。

 多くの人から必要とされていたり、認められていたり、世界を股にかけたり、語学を活かしたり、エキスパートとして最先端にいる仕事をしているよりか、誰にでもできるし、誉められることもないけれど、こういうささいなものから思いを膨らませることのできる仕事の方が好きかもしれない。



2002年03月18日(月)
スコアブックをデジカメに持ち替えて…


 最近、高校野球の写真が好きで、よくあちこちのHPで写真を見ている。私が好きなのは、試合中でもプレーしているシーンではなく、ベンチの中や選手のちょっとした仕草や観客の表情、いわゆる欄外的存在のものである。

 いくらいいカメラを使っても、撮っている人の目の付け所や野球や選手に対する思いがいい加減だったら、いい写真なんて撮れやしない。私はこう考えている。

 100の文章より、膨大なデータより、たった一枚の写真が語ることの重さ。

 いいなあ、私も写真を撮りたいと思う。

 ここ1,2年はスコアを中心にしてきたけど、ちょっと離れて写真を撮ってみたいなあという気持ちでいる。

 真剣につけてても、得点すら違うときがあるのだから、私はスコアをつけることにはよほど才能がないのだろう。

 それに、絵が描けない私にとって、写真を撮ることがその代償的行為になりうる。

 というわけで、私は今季からスコアブックをデジカメに持ち替えます。スコアは目の前に飛び込んでくる光景を記すという受動的なものだけど、写真を撮ることは、自分で動かねばならない能動的行為。奥手で(?)、気の小さい私にできるだろうか。

 選手のみなさん、どうか変な目で見たりせず、お構いなくゲームにいそしんでくださいね。そして、最高の仕草を待っています。



2002年03月17日(日)
野球、氷山の一角。


 先月、短期バイトの帰りに貴重な出会いをした。お相手は、オーケストラ楽団に所属して演奏活動をされている方だ。芸術に無縁の私にとっては、おそらく一生に一度あるかないか出会いである。

 その方の担当楽器はシンバル。音楽が盛り上がってきたときに、金色のお皿みたいなのたたいて、パァ〜ンと場内に響かせているアレだ。

 バイオリンかとと違って、1曲に1度か2度出番がある程度だ。小学校のとき、音楽鑑賞会で生のオーケストラを鑑賞したとき、シンバルを持った人がいつバ〜ンと鳴らすのか、その瞬間を見逃すまいと必死になっていた。でも、結局集中力は持たずに、友達とコソコソ話をしている間に終わってしまったりするのだが…。

 彼女はシンバルの大変さを語った。

 ほとんど演奏していないがのに、観客の目があり、気を抜けないこと。また、そんな間もいざ「バァ〜ン」と叩くとくに周囲から浮かないように。直立不動の状態でありながらも集中し、気持ちを盛り上げていかねばならないこと。また、演奏機会が少ないため、1回の失敗でも大きく響いてしまうこと。

 ま、それでも、音楽が好きだから彼女は続けているのだというが。

 この話を聞いて、なんだか野球選手と似ているなあと思った。


 今日、今季2回目の野球観戦に出かけた。いつもなら、スコアをつけるので、試合展開を追うのに精一杯で、どうしても視界が狭くなる。「ピッチャー→キャッチャー→主審」と追うので精一杯なのだ。

 しかし、今日はちょっと趣向を変えて、試合展開を無視し、その視界の中心に外野手を置いてみた。

 そこで、気付いた。外野手は実によく動く。
 内野ファールフライでもカバーに走るし、また他の外野手のバックアップも怠らない。

 この日は、視界の中心の外野手の守備機会はなかった。でも、小高い丘にいる選手が投げる1球1球に神経を集中させ、右に左に微妙に動く。でも、彼がボールに触れることはない。

 外野手って、そうとう集中力のいるポジションだなあと思う。打ち合いの試合ならともかく、普通、打球は外野よりも内野の飛ぶ機会の方が多い。

 ピッチャーも大変だと思う。でも、ピッチャーは自分がボールを投げないと始まらないので、否が応でも集中しなければならないし、また試合の中心にいる。前述のオーケストラでいえば、バイオリンみたいな存在だ。

 でも、外野手は違う。いつボールが来るかわからない。でも、集中力やテンションを下げてはいけない。仕事でもそうだが、忙しいときより、中途半端に仕事がある時のほうが、心身共にだるい。それでも、失敗したら、広がる傷口な内野より大きい。

 以前、試合を見ていたとき、独り相撲をしているピッチャーに向かって、「打順考えろや!」とキレかけてた外野手がいたが、直接的な結果の残りにくい集中力を強いられていては、決して良いことだとはいえないけれど、キレたくなる気持ちもわかる。

 私のような一般ファンの目線は、どうしても試合進行の中心に向けられる。打席にバッターがいるなら、ピッチャー→バッター→キャッチャー→主審といき、打球が飛んだら、打球と一緒にボールをさばく野手に注目する。

 でも、そこには、守備機会のない野手も動き、塁上のランナーが目を見張り、塁審も視線をそらしていない。

 ボールとともにあるシーン。

 それは、野球のすべてであるようで、実は氷山の一角にすぎないのかもしれない。
 



2002年03月16日(土)
高校野球の荒木さん

 
 こんばんわ。どうも風邪をひいてしまったようです。鼻水が出て(汚いなあ)、体がほてっていて、寒気がします。これって、花粉症じゃないですよね?!

 というわけで、今日は日記に関係のない野球の話をします。


 昔、スポーツ雑誌で、冬に集中的に働いて、春から秋にかけては全国の高校野球を見る行脚の旅の出ている方を取り上げた記事があった。その方のお名前がタイトルの「荒木さん」だ。

 荒木さんは、リュック一つで球場に行き、バックネット裏でスコアをつけおられた。ただそれだけ。

 もし、私ならその「跡」を何らかの形で残したいと思う。今野球日記やHPをしているのも、私が野球ファンである証を自分以外に人に知ってもらいたいからだし、また自分の思いを誰かに聞いてもらいたいからだ。それに、そこまでして試合を見るなら、関係者と話をしたり、何らかの情報を得て、今後の役に立てたいと考えなくはないだろう。

 しかし、荒木さんは違ったようで。試合を見る。ただそれだけの行為に、「定職につく」とか「レール通りの人生」とかいうのもを犠牲にしておられる。

 ただ気楽なだけじゃないか、当時はそう思っていた。でも、定職を持たないことによる未来に対する不安が重くのしかかること、今ならわかる。

 その記事の中で、荒木さんはこうおっしゃっていた。
「もし、人生がもう一度あるなら、こんなことしない。でも、1回きりだからやるんです」。

 決して気楽なわけではない。様々なリスクを背負っても、やりたいことがあるというのは素晴らしくのあるが、切なくもある。恋愛が楽しいだけでないように、夢に向かって進むのも決してそれだけではないのだ。

 私は今、短期バイトをつなげてその場を凌いでいる。仕事によってひいきチームの夏の大会を見逃すのが何より怖いから。正直、もう楽になりたいと思うこともある。他の人みたいに、仕事を優先して、休みの日に応援を堪能する。それで納得のいく人になりたいとも思う。でも、いざとなったらダメで。これは一種の病気かもしれない。

 私、もし人生がもう一度あるなら、今のような生活はしないと思う。

 当時は、「私も大人になったら、荒木さんみたいに高校野球を見る旅に出たい」と思っていた。でも、現実は難しい。そして、荒木さんの心の奥の潜んでいるであるう。苦しさや不安や切なさ、そして「それでも高校野球」という気持ちの重みを思う。

 今、私は「なるようにしかならない」という半分開き直った気持ちでいる。現に貯金が減っているにもかかわらず、時間はあるからとバンバン出かけている。将来に関する不安がないとは言わない。でも、今、就職をしたり、結婚したりしたら、きっと今後後悔すると思う。そんなときにふと思い出す荒木さんの存在が私を勇気づけてくれる。

 このごろの自分の行為が、なんだか荒木さん的だなあと思ってしまう。あと何年後かしたら、「高校野球のあるこ」なんて言われる日がくるかもしれない??(親、泣くね、きっと)



2002年03月15日(金)
”平安ー浦和学院”だって?!〜春はセンバツからというけれど〜

 
 まずは、お詫びを。
 昨日の日記に「今日、センバツ大会の抽選が行われた」と書きましたが、実は抽選会、今日だったんですね。すみませんでしたm(_ _)m。


 みなさんももうすでにご存知の通り、初戦でいきなり好カード(すぎる!)が相次いでいます。(強豪校同志の対戦=好カードというわけでもないのですが、うまい表現が見つかりません…)

 中でも私が一番気になり、驚いているのが、やはり「平安ー浦和学院」戦です。

 帰宅するなり、父が「おう、平安、浦和なんたら(なんたらって…)ちゅー高校とや」と言われたのですが、「えー!!」と驚きならがも、内心は冷静でした。実は、父も私に似て(?)、話半分に聞いて早合点をして人に伝えてしまうからです。

 でも、メル友からの情報で、それも確証に変わり、改めて驚いた。

 うそやん(「そ」は「せ」に近い発音で、アクセントの中心です)。シャレや、ドラマや、ネタやがな。

 当HPの掲示板に書き込みしていただいている方の大半が、「京都系」「埼玉系」に分かれています。

 私はこの掲示板を通して、今まで興味のなかった埼玉を中心とした関東の高校野球のことをたくさん教わり、また興味も出てきました。

 昨夏、久しぶりに夏の甲子園大会を見に行ったのですが、実はその皮切りが埼玉県代表の花咲徳栄戦でしたし…。

 また、新チームになってからの両チームの試合も見ています。どちらも、調子の良くないときだったので、その成長ぶりを楽しみにしていました。

 そういうわけで、平安も浦和学院の注目しており、各々の戦いぶりを楽しみにしているのですが、「ベスト8あたりで対戦があるかもしれない。そのときは心境複雑だろうなあ」と思ってはいたのです。

 でも、まさか、初戦だなんて…!

 (余談ですが、両校の監督は、沖縄合宿から大阪に戻ってくるとき、同じ飛行機に乗っていたそうです。ああ、因縁…)

 試合日程を見る限り、観戦は不可能なのですが、どうなるのだろうと気になりますね。

 私個人は、「平安・高塚投手vs浦学打線」で試合が展開されていくのではないかと思っています。

 決して、平安の打線が悪いとか浦学の投手が弱いというわけではないのですが。
でも、もしこの構図が崩れたら、どちらが勝つにしろ、ワンサイドに近いゲームになるんじゃないかなあという見方をしています。(他のカードについても同様です)
 
 そのほかでは、やはりV候補同志の「報徳学園ー日大三」や開幕試合に登場する浪商や昨夏を経験したエースの残る酒田南あたりに注目しています。


〜おまけ〜

 「京都代表VS埼玉代表」の対戦成績

 通算成績・京都4勝5敗

昭和26年夏 決勝 熊谷 4−7 平安
昭和41年春 2回戦  大宮 4−5 平安
昭和43年春 準々決勝 大宮工 6−3 平安
昭和43年夏 1回戦 大宮工 2−1 平安
昭和45年夏 2回戦 熊谷商業 13−12 平安(延長10回)
昭和49年夏 2回戦 上尾 4−5 平安(延長15回)
昭和55年春 1回戦 上尾 2−1 平安
平成4年春  2回戦 浦和学院 5−1 東山(延長10回)
平成12年春 1回戦 埼玉栄 3−7 鳥羽

参考文献:「高校野球甲子園全出場校大事典」(森岡浩著・東京堂出版)・ネットサイト「京都新聞」



2002年03月14日(木)
この空の行方


 こんばんわ。

 今している事務は、黙々と作業をしているので、気分転換のため、毎日頭の中でBGMを流しながら、やっている。

 昨日のテーマは、愛内里奈で今日は倉木麻衣と、このところは女性ヴォーカリストづいています。

 (全然関係ないけど、元ヤクルトで現在高校野球部の監督をされてる阿井英二郎さんと愛内里奈って、名簿順にするとどっちが早いんだろう?)

 倉木麻衣の曲、英語が多すぎてタイトルを忘れてしまったのだが、「なんたらskyなんとか」とかいう歌があったと思う。今日は、それが脳裏でリフレインされていた。倉木麻衣は好きではないが、空は好きだ。

 今の職場は世間から隔離されているような環境のため、室内には景色の見える窓がない。昨日の日記、やたらカリカリしていたが、空を見れないことも一因しているかもしれない。

 中学時代、写生大会の絵を放課後残って仕上げていた。その日の空は、とても澄んでいた。何故か私はそれに心惹かれ、絵の具を思いっきり薄めて、空を水に近い色にしていた。

 黙々と作業をしていると、何故かたまたまそこに居合わせた隣のクラスの子が「手伝ってあげるわ〜」と言ってくれたので、お言葉に甘えて手伝ってもらった。

 …のはいいのだが、私の絵があまりに下手なため、「ここ地面やんなぁ〜」と、私が描いた水に近い空は、無惨にも灰色に塗り潰されてしまった。

 今思ったら、「新手のいじめ?」という気もしないではないが、言葉に出ないほどショックだった。私の心の中も灰色になった。

(余談だが、この1年少し前に美術で静物画を描いたときに、クラスメートに素で「これ、左手で描いたんやんな?」と言われた偉大な経験も持っています。当時は、それをネタにするほど強くはなかったので、いちいち落ちこんでいたけど)

 今日、春のセンバツ大会の組合せ抽選が行われたようだ。いよいよ春が始まる。大会が始まるころには、球場の側の桜も開花していることだろう。そして、その上には澄み切った空がある。

 一方で、「夏」を目指して、たくさんの学校が始動する。厳しい冬を越えて野球ができる喜びと、厳しくなるのであろう練習にたいする戸惑いを胸に抱え、球児はボールを追う。そして、またその上にも空がある。

 そう。

 どこのどんな空だって、あの「夢舞台」に続いている…。


              ★


 桜といえば、昨日レンタルした曲の中にいい曲があった。

 私の場合、音楽は基本的にノリで聴く。それも最近はやりの曲やアイドル系に関してはその傾向が顕著だ。

 しかし、今回は久しぶりに歌詞にもうなったものがあった。明日、CDを返さねばならないので、歌詞をここに覚え書きしておきます。


 「花唄」

 嗚呼〜花が咲く 理由もないけれど
 肩を落とす僕の上 凛と微笑む
 やたら咲き誇る エラくはないけれど
 泣き出しそうな僕のために 舞う花吹雪

 痩せた時代の鏡にうつる
 カサつく唇のそいつが僕なら
 キスしただけで傷つけるんだろ
 優しすぎる君と微笑みを

 嗚呼〜鳥が飛ぶ 急ぐわけじゃなく
 汚れゆく青空を 引き裂いてゆく
 無力な自分と 恥じるその前に
 絶望の風に羽根ひろげて 舞え花吹雪

 常識という正義のせいで
 君の悩みひとつ救えないままだ
 間違ってても罪だと知っても
見失わずにいよう本当に願い事

 僕らがいる 意味は奪えない  
 そのままでも これからも ここからでも
 そして歩き出す 迷ってもいいさ
 果てなき道にド真ん中で 明日を信じる

 無口でも さあ伝えよう 満開の桜が はげましてるから

 嗚呼〜花が咲く 理由もないけれど
 肩を落とす僕の上 凛と微笑む
 やたら咲き誇る エラくもないけれど
 泣き出しそうな僕のために 舞う花吹雪

 La〜lalalalala…
 泣き出しそうな僕のために 舞う花吹雪
 そして今君に心込めて 唄をうたおう

(作詞・TAKESHI、作曲・鈴木秋則、編曲・島田昌典、唄・TOKIO)
(2002,3,6発売・UNIVERSAL MUSIC)
 敬称略

追伸:明日のBGMは、これだな。



2002年03月13日(水)
誠意=心意気!


 こんばんわ。
 せっかくなので、今日は野球から離れて、今している仕事の話でもしましょうか。

 さて、今回も大学入試に絡む事務作業をしています。今までの中では一番楽(今のところは)な仕事で、しかもパートナーの人とは仲良くやらせてもらっているので、時給が安いとはいえ、なかなかいい快適です。

 さて、仕事内容なのですが。
 大学に合格した暁に必要なこと。そう、入学手続き。合格して、かつその大学に入学する意志のある人は、様々な書類を学校側に提出しなければならないのですが、その書類に不備がないかをチェックするのが、主な作業内容です。

 願書に始まり、答案整理、採点集計、そして今回の入学手続きと一連の入試の流れを把握することのできる貴重な経験をさせていただいています。

 担当している大学は大規模校で、様々な受験方式を経て学生が入ってきます。そこで、「試験方式や置かれている立場によって、書類に対する意気込みがこうも違うものか」とまざまざと思い知らされた。

 ひどいのは、推薦。実はこの学校、系列校の高校がいくつもあり、そこからエスカレーターで大学に入ってくる生徒が多い。お利口さん学校なので、さぞしっかりしているかと思えば、悲惨の極致。

 書類が2,3抜けているのはあたりまえ、ペンで書くなと言っているのにペンで書いている、字が読めない。しかも、こちらの手間がかかるような作業ばかりを余儀なくさせられるのだ。

 その散々たる書類の山、どう考えても「推薦の座」にふんぞり返っているとしか思えない。ああ、いいねえ、勝ち組は。なんてやっかんでみたりする。

 とにかく、横着するな。

 君らの書類からは「入学したい!」という意志が伝わらんのや。さしずめ、「入学してやる」「入って当たり前」とかったるくため息をついているような感じ。中には、今度町で会ったらぶん殴ってやりたいほどひどいヤツもいた。

 ああ、金で「イヤなヤツの入学を取り消せる権利」を買い取りたい…。(前もこんなこと言ってたなあ、うち)

 自己アピール文には「グローバル社会がなんたら」とは「アイデンティティーがどうたら」とか最もらしいことを書いてるが、日本語の書類ですらろくに揃えられないヤツが、寝ぼけたこと言うなと思う。笑っちゃうね。

 国際的な人間になろうと思えば、自己を知り、自分の国を知ることから始まるんだ。書類も書けないような人間が、ビジネス英語を覚えて、社会情勢を学んでも、「頭でっかちなおぼっちゃん・おじょーちゃん」の域が抜け出せないね。ま、大学でがんばってくれたまえ。

 とにかく、昼前の強烈な空腹に襲われているときにここの書類チェックをすると最高にストレスがたまる。

 それに比べて、一般の合格者は最高。
 ここでいう一般とは、特別な推薦なしに純粋に本番の試験一発勝負する本家本元の入学試験のこと。

 浪人生も多く、苦労して合格しているためか、書類にぬかりがない。きちんとしないと入学を取り消されるかもとか思っているのかもしれないが。

 本当に気持ちがこもっていて、こちらが訂正することはほとんどない。また、何らかの不備がある場合も、メモ等にその旨が記されているので、扱いやすい。故に作業能率の違う。同じ枚数での、2〜3倍くらいの差がつくかな。

 あまりにも明暗が分かれすぎていて、ここのところは驚愕する日々だ。

 また、社会人入学の人は、さすが心得ていてこちらも扱いやすかった。多少なりとも、社会人のハードさを知っているだけに、これからのキャパスライフを純粋に応援したい。

 また、留学生の書類はややこしいので、正直大変だが、たどたどしい日本語のメモがついていたりすると、「よっしゃ、もう少しがんばろう」という気になれる。

 後藤正治氏の『スカウト』(講談社)という作品の中で、木庭氏(元広島他スカウト)が、「昔はお金がなくても誠意が通用したが、今では誠意=金になってしまったのか」と嘆いているが、前述したような場面に出くわすと、誠意=金ではなくて、誠意=心意気であることをいつまでも願い続けていたいと思う。

追伸:こんなこと書いて…。バレたら、クビだな。



2002年03月12日(火)
“独りぼっち”になる練習


 先日、今季初めての練習試合を見に行ったとき、ふと思った。
「こうして野球を見に来ることで、私は“独りぼっち”になる練習しているんだなあ」、と。

 浜崎あゆみが歌っている、「♪ 一人きりで生まれて 一人きりで生きていく〜」、海援隊も歌う、「♪ 今、私たちに必要なものは恋や夢を語る言葉じゃなく 独りぼっちになるためのスタートライン」、またゆずも歌う「♪ 誰もがみな 独りぼっちを抱えて生きている」。そして、私が敬愛する女流作家の一人・唯川恵さんもエッセイの中で「一人で楽しむことを覚えないといけない」と書いている。

 こういうことを書くと、まっすぐな心を持っている読者の方は、「なんて淋しいこと言うの?」とか「また、何か悩んでるんちゃうの?」とか思われるかもしれない。

 でも、大丈夫です。今回は決してそんなことはなく、いたって元気です。そして、「独りぼっち=淋しい」わけではないと私は考えるのです。

 私はずっと高校野球と自分との間にある距離にむなしさを感じ、思い悩んでいました。でも、「独りぼっち≠淋しい」という図式が、そんな心境から私を解き放してくれるような気はします。

 独りでじっと佇んでいると、色々な景色が目に入ってきます。そこには、フィールドを走る回る選手もいれば、空や雲と言った自然、また隅に転がっているボールもあります。

 もちろん、グランドの中にいる選手や空や雲、風とは会話することは出来ません。だから、彼らの本音を伺い知ることも出来ないでしょう。

 でも、彼らの姿から漂ってくる雰囲気やささやかな一言や仕草から、何かを感じ取ることは出来ます。

 それも、またコミュニケーション。私のそんな考え、変ですか?

 でも、今はそれが一番楽しい、かな。

 独りになると、思いのほか、集中できます。
 2人でも、10人でも見れないものがあります。カメラで例えたら、視界がパノラマになります。また、矛盾するのですが、独りじゃないことの喜びも実感できます。

 私は一人で野球を見に行くとき、目的地に着くと、1つ大きな深呼吸をして、空気を吸い込みます。すると、すっと孤独感が消えていきます。

 今、振り返って、独り観戦が辛いと思うときは、たいていこの深呼吸を忘れているときだったように思います。

 これも、野球を通して“独りぼっち”になる練習をして、気付いたことです。


 女性の方は、特に友人等が結婚したりして、なかなか思うように遊びに行けなくなることでしょう。そんなときに、今日のこの日記がお役に立てば、幸いに思います。

 さあ、胸を張って、外に出てみましょう。周りの景色の色や匂いを体一杯に感じ、背筋を伸ばして歩けば、また違う自分に出会えます。




2002年03月11日(月)
トイレが切ない…


 今日からまた、新しい仕事が始まった。4/5までの約3週間の長丁場。今回の仕事場は京都のドまん中のビルにあり、入り口とエレベーターを探すのに大苦戦。誰もいない非常階段の中に侵入したときは、「あ、ここが奇妙な世界に入り口かもしれん」。それくらい早朝の静まりかえっていて怖かった。

 まだ1日だけで何とも言えないが、業務はそれほど難しいものではなく、またいつになく職場の人と馴染むことが出来た。昼休みの暇つぶしにと持参した本やルーズリーフは、無用の長物となってしまうようだ。

 さて、私が仕事場の中で一番大切にしている場所はトイレである。トイレは、職場の中で唯一一人になれる場所だからだ。

 幸い、私は今まで職場にトイレには恵まれていた。6月までいた呉服問屋のトイレは快適だった。お客さんも使われるため和風でこぎれいにして、「京の呉服どころ」を演出し、お香もたいてあった。また、トイレットペーパーはお尻に優しかった。(汗)

 おかげで、ここにいた間はずっと調子がよかった。やはり、トイレのきれいさとそれは比例するんだなあ。

 でも、得意先の社長の自宅で食事をしたとき、トイレを借りたのだが、全面鏡張りで、とても落ち着かなかった。トイレにはある程度「トイレらしさ」が欲しいところ。

 1月にバイトをしたときのトイレは広かったし、職場からやや離れていたのがありがたかった。また、一番奥が洋式だったため、私のポールポジション的存在だった。休みのベルが鳴った瞬間にダッシュをかまし、トイレに走った。すると、そこで洋式の便座が私を待ちかまえてくれているのだ。ほっとする。

 10数年前に我が家のトイレが洋式になった。それ以来、外出時でも洋式でないと落ち着かなくなってしまった。和式のトイレで、両足を踏ん張る体力など私には残されていない…。

 2月にバイトをしたときは、受験生が試験に挑んでいるときが私たちの休憩時間だったため、ちょっと離れたところに行けば、家のトイレに近い感覚で快適に済ませることが出来た。

 ところが、今回の職場のトイレ、狭いし、職場から近いし、洋式がない!また、休憩時間が全員同じため、トイレに人が殺到する。前に人がいると待っている間に調子が狂ってしまうし、また後に人がいると思うと落ち着いてできない。水を流してごまかすのにも限度がある。

 気にしなければそれまでだし、実際、もう大人なのだから、トイレでの出来事をイチイチ話題にされることはない。でも、だからこそ、人が内心どう思っているのかわからないので、怖いし、いたたまれなくなる。

 ああ、トイレが切ない。明日、ビルの中を探検して、落ち着けるトイレを探してみよう。快適なオフィスライフは、トイレから、である。


 というわけで、今までに行ったことのある球場のトイレの一言寸評でも書いて、今日の日記を締めくくろう。
 
 本日は、「きれいな」(?)話におつきあいいただき、誠にありがとうございましたm(_ _)m(ああ、見捨てないでくださいまし…)。

 阪神甲子園球場→年季の割にきれいに保たれているとは思うが、要改装。
 西京極球場→水の流れがあそこまで悪いのは何故?!
 皇子山球場→泣きそう…。
 グリーンスタジアム神戸→記憶にない…
 安芸市営球場→3年前行ったときは、給水作業中は使えなかったが、今年行ったときは使えた。きれいなアスファルトの壁になっていた。
 福知山球場→球場外の体育館内のトイレにお世話になっている。何故か待たずに行けたことが一度もない。ああ、女のサバイバル。
 守山市営球場→無我夢中だったからあまり記憶にない。でも、相当狭かったような気が…。
 太陽が丘→スタンドのすぐ側にあり、使い辛いため、行ったことない。
 彦根球場→迷った…。
 今津スタジアム→さすが新球場。きれいだった。
 川崎球場→ダグアウトは見てきたのに、トイレのチェックは盲点だった…。
 藤井寺球場→哀愁を感じた。球場のボロさにわりに快適だった。
 そして、何故かドームでトイレに行った記憶がない…。



2002年03月10日(日)
努力の中にあるもの(読書感想文)


 先日行った鳥取旅のお供に携えていた本をついに読破したので、今日はその感想なだを書いてみたいと思う。

 読んだ本:「多摩川晩花〜日本ハムファイターズ・渡辺浩司 苦節13年の軌跡〜」(安田辰昭著・ベースボール・マガジン社)

 内容:13年のファーム経験を経て、レギュラーを獲得したという希有の存在である日本ハムファイターズ・渡辺浩司選手(現コーチ)の半生が書かれている。ちなみに彼は、新潟県出身者で、プロ野球選手の野手としてレギュラー入りできた初めての選手である。

 内容自体は、4ケタのお金を払っているわりには、ちょっと物足りないかなあという気がした。また、著者が元々高校教師であったためか、模範的な内容にやや偏っており、もう少し突っ込んで「渡辺浩司」という選手の素顔を垣間見たい気がした。しかし、(渡辺選手と)同じ県内で他校の監督をしていたという著者の立場は、意表をつかれていたし、「珍しい本を読んだな」という満足感を得ることは出来た。

 さて、この本を読んで私が思ったことは、「努力の中にあるもの」についてだ。

 文章からうかがい知ることの出来る渡辺選手は、野球にとてもひたむきで、また努力家でもある。それはあまりにまっすぐで、ややひねくれてる私のような人間にとっては軽いアレルギー症状をも促してしまう。でも、敬意を払える選手だ。

 以前に日記に私は「努力することは怖い」と書いた。でも、この本を読んでその考えをちょっと改めてみた。

 渡辺選手は幼いころから、野球が好きで、絶えず練習をし、志望校に入るために懸命に勉強もした。

 しかし、高校時代の努力とプロに入ってからの努力の質が大きく異なっているように思える。

 高校時代、渡辺選手は夢の甲子園に出場することはなかった。それどころか、入部後1年間は不祥事のため試合に出ることすら出来なかったのだ。

 文中には、「厳しい練習に耐え抜いた」とか「長く厳しい冬季練習」などという悲壮感すら漂うような言葉が並んでいた。

 で、最後には「いくら泣いても涙は止まらない」「これからどうすればいいんだ!」となる。

 しかし、引退後、1,2年生に混じって参加した、「甲子園」という絶対目標に束縛されない伸び伸びとしておおらかな野球を知ってか、プロに入ってからの野球に対する心構えが大きく変わった。

 練習は厳しいからこそ楽しんでやるべきだ。たとえどんな役割であろうと、そこに楽しみを見出し、積極的に取り組もうとなり、たとえ試合に出れなくてもプロ野球選手だという自負と自覚だけは持ち続けたい、また、好きな野球をやって給料をもらえるなてこんな幸せなことはないとなる。

 そこには、高校時代のような悲壮感は見当たらない。だからこそ13年間という長い間、努力を重ねることが出来たのかもしれない。また、あるいは本人に「努力をした」という意識はないのかもしれない。大好きな野球を夢中で続けてきた。ただそれだけなのだから。

 もし、彼が高校時代と同じような努力の積み重ね方をしていたら、きっとどこかでキレてしまった、バラ色の14年目はあり得なかったのではないかとすら思える。


 私は「努力するのが怖い」と思っていたのは、そこに伴う悲壮感故のことだった。そして、それが努力だと思っていた。苦しく辛いのが「努力」だと思っていた。もちろん、そういうことのあるのだろうか、努力を重ねる人にはきっと根本に「希望」や「明るさ」や「情熱」があるのだろう。

 私もたわいもないことだけど、夢中になったことは何度かある。でも、それを「努力」だと思ったことは一度もない。しかし、見方を変えればそれを「努力」ととってくれる人もいたかもしれないな、今になってふとそう思った。

 
 今日、「ZONE」というスポーツ番組で、筋肉番付の「SASUKE」に挑戦しつづけているある男性が取り上げられていた。仕事をする時間も惜しんで、トレーニングに励んできたが、結局、同じ壁にぶつかり越えることが出来なかった。

 そんな彼は、体ではなく心を鍛えることに気付いた。瀧に打たれる彼を見て、悲壮感が削がれていくように思えた。果たして彼は悲願の完全制覇なるのか、是非注目したい。


参考文献::「多摩川晩花〜日本ハムファイターズ・渡辺浩司 苦節13年の軌跡〜」(安田辰昭著・ベースボール・マガジン社)
 



2002年03月09日(土)
百“悶”は一見にしかず


 こんばんわ、あるこです。

 今日は、今季初の練習試合(高校)観戦のため、兵庫県まで足を伸ばしてみました。

 行きしなごっつ腹が立つことがあったのですが、試合を見ていたら、癒されました。

(今日の1件で、タクシーが大大大大大っ…嫌いになりました。なんで客であるワシが怒られなあかんねん。
 確かに、細かいお金を持ってなかったのは悪かったわな。でも、それ以上に自分が細かい金を持っていなかったのは、プロとしては「落ち度」とちゃいますか?
 それに、何時間タクシー乗り場で待ってようと、私の知ったこっちゃないし、こっちかって、タクシードライバーくらい選びたいわ。
 そうしたら、あんたみたいな人相悪いヤツの車には絶対乗らないね。
 感じ悪いドライバーの話、よく聞きますが、あのタクシー乗り場順番待ちが、今日みたいな傲慢ドライバーを生んでると思う。
 もうタクシーなんて乗らん。せっぱつまったときはしゃーないけど、そういう状況を作らないようにがんばろう。
 「お金を使い過ぎてはいけない」という神様からの教訓ちゅーことで、今日はこの辺にしといる→何のこっちゃ)


 久しぶりに見た練習試合、たった1つの試合を見るだけで、こんなにいろんなことを感じ、胸がいっぱいになるとは思わなかった。

 グランドの風景、そこを走り回っている選手たち、またグランドに入れない選手たち、打たれても打たれても投げ続けるピッチャー、父兄さん、カメラを構える観客、打球音、ざらざらした土の上をボールが転がる音、審判の声、高く突き抜けた空、試合終了後の負けたチームのミーティング、ピッチャープレートの側に律儀に置かれた白いボール、部室の側にある伝言メモ、得点が入るたびに得点板を付け替えるために立ち上がる部員、肌寒いバックネット裏に日ざしがぽっかぽかの外野席、後輩に声援を送る今どきスタイルの卒業生、守りについてガラガラになったベンチの中…。

 野球っていいなあと思った。

 今ははっきり言葉で表現することは出来ない。
 でも、胸のまん中には抱えきれないほどの思いがある。こんなにいろんなことを思うのはきっと「野球」に魅力があるからだろうし、また私は「野球」を通して何か他のことを見ているようにも思う。

 今日思ったこと、感じたことはまた日を追って書くが、その中でも一番大きなウェイトを占めているのは「野球っていいなあ」であることに間違いはない。


 オフの間は、野球に対してどうしても前向きになれませんでしたが、それも今日で吹っ飛びました。なんてゲンキンな奴。

 とにもかくにも、私は元気です!



2002年03月08日(金)
対話の時間

 
 以前、ある野球関係者とお会いして、話を聴かせていただいたときがある。その方がおっしゃっていたことだが。

「今の子供は、もっと出来るはずやねん。でも、昔と違って、ただ“やれ”と言われたって動かへん。自分で納得せなあかんのやろな」

 なぜしなければならないのか明確な理由を聞き、ちゃんと納得した上で、自分が“そうしたい”と思う意志が芽生えなければ動かない。
 
 実は、私のそのテの人間である。


 今日、青春18きっぷを使って、鳥取まで出かけた。そこである高校の練習を見せてもらった(もうバレバレだけど(^^;))。そのときに、ふと前述した関係者の言葉を思い出したのだ。

 小1時間くらいので何がわかるのかと言われればそれまでなのだが、1つの練習が終わったあとのミーティングが長かったのだ。

 指導者を中心に輪になる。指導者が気付いたことをアドバイスする(私の仕事における欠点を指摘されいるかのごときの内容にびっくりした。やっぱり、「野球」は人生に通じるんだ…)。

 また選手に挙手させたり、選手の中から代表者みたいなのを出して、フォームとかを実演で指導していた(ように見えた)。

 野球の雑誌や本を読んでいると、「対話やミーティングを大切にし、時間を割いています」という指導者も少なくない。しかし、“とにかくやれ”で育ってきた年輩の指導者にとっては、結構骨の折れる仕事なのではないかと、人ごとながら心配になる。


 私の母方の家系に、学校の教師が多い。だからなのか、私の場合は塾講師という形ではあったが、「子供に勉強を教える人になりたい」と思っていた。

 塾の講師、家庭教師のバイトをした。挫折したけど、塾の会社にも入った。教育実習で教壇にも立った。

 でも、出した結果は、「私は、子供に勉強を教えることなどできない」だった。

 それは私の頭や学力の問題もあったが、最大の要因は、子供からの「なんで勉強しなきゃいけないの?」という質問に答えられないからだ。

 確かに、私の中には答えがある。でも、それで子供を納得させられない。実際、子供に話したことがあるが、受け入れられなかった。そんな曖昧な私が「教師」や「講師」として勉強を教えることなどとても出来ない。

 今でこそ、「教えることは、教わる側に学ぶことである」と考えてはいるが、それでも1つに夢を断ち切ったことに悔いはない。


 だからこそ思う。
 子供の「なぜ?」に明確に答え、子供が納得し、実行出来るようになることの難しさが。そして、その時に生まれるであろう計り知れないパワーが。

 管理と放任のバランスは、野球に限らず指導において非常に難しいと思う。でも、少しでも「なぜ?」に答えてくれる対話の時間があれば、子供はどんなにか救われるだろうと思う。


追伸:理屈なしの情熱や誠実さが子供の心に響く。そんな心の交流も失われて欲しくない。理由があることは大事だが、理由があることが全てではないとも思う。なんだか矛盾するけれど。

お詫び:事前に「今回の旅行のことを書く」と言っていたにもかかわらず、内容を変更して誠に申し訳ありませんでした。今回の旅については、機会をみて追記、あるいは、今後の日記に取り込みたいと思っています。



2002年03月07日(木)
気にすんな


 中学時代の友人と久しぶりに会い、飲めや歌えやの大盛況。久しぶりに、帰宅が午前様になってしまった。

 カラオケ行ったのは本当に久しぶり、もう年が年なので、最新曲はそこそこにして、90年代半ばの「懐メロ」(?)に走ってしまう。そして、それと同時に走ってしまうのが、甲子園関連のテーマソングだ。

 センバツ大会の行進曲は別格として、ハイライト番組のテーマ曲等はそれほどメジャーでない歌が起用されることが多いので、カラオケに入っていると「今歌わずして、いつ歌う」となる。場の空気なんて知ったことか(苦笑)。

 
 仕事がなくて、ヒマなのか、悩むことが多くなってしまった。でも、いい加減悩んでるだけでは能がないので、「私が悩むメカリズム」を考えてみた。

 その結果、最大の要因が「人と比較すること」にあると気付いた。私は自他共に認める典型的なB型人間で、マイペースであると自認していただけに、この事実には正直頭をガツンとやられた気分。

 練習試合など、学校のグランドでやる試合ではベンチの中の声もときたま聞こえてくる。試合前、指導者が選手に言う言葉に「自分たちの野球をしよう」「自分のペースでゲームを展開させよう」といった類のことが、わりと多い。

 自分たちの野球。練習通りする。自分の力を発揮する。

 なんて難しいことなんだろう。
 でも、選手はそんな中、何年も鍛えられ、技術と共に精神的にも向上していく。

 もし、私が野球をしていれば人のことを気をとられて、いちいち悩んでしまうような人間にはなっていなかったのだろうか。

 そんなとき、思い出す歌がある。それがカラオケで思わず見つけた甲子園関連ソング。記憶に自信がないのだが、1998年のABC放送「速報!甲子園への道」のテーマソングで、好評だったのか、放送中にゲストとして本人が出演するという異例も見られた。ちなみに、歌っておられるいわぶちかつひこさんも元高校球児。


 「気にすんな」

 リキみまくって口説いた
 恋は見事に砕けて
 なんか最近 試練の嵐です


 気にすんな 気にすんな
 いま はじまったばかり
 大丈夫 大丈夫
 まだ はじまったばかり

 ジミな努力は続かず
 固い誓いは守れず
 運に頼れば またまたハズれクジ

 気にすんな  気にすんな
 いま はじまったばかり
 大丈夫 大丈夫
 まだ はじまったばかり

 パッと咲いた花はすぐ
 雨に風に散っていく
 がっかりすんな 小さくまとまるな
 ああ みんな悩んで Growing Up
 hey hey hey!

 気にすんな 気にすんな
 まだ はじまったばかり

 いつか誰かを支えて
 逃げ出すよりもふんばる
 そんな男に オレでもなれますか
 
 気にすんな 気にすんな
 いま はじまったばかり
 大丈夫 大丈夫
 まだ はじまったっばかり

 グッとキメてみたけれど
 やっぱしなんか欠けている
 心配すんな 足りないもの みんな
 転んで見つける Growing Up
 hey hey hey!

 気にすんな 気にすんな
 いま はじまったばかり
 大丈夫 大丈夫
 まだ はじまったっばかり

 慌てんな 慌てんな
 いま はじまったばかり
 大丈夫 大丈夫
 まだ はじまったばかり
 
 気にすんな 気にすんな
 いま はじまったばかり
 大丈夫 大丈夫
 まだ はじまったっばかり

 いま はじまったばかり

( 作詞・康珍化 作曲・上野義雄 編曲・住吉中 歌・いわぶちかつひこ )
(98,7,28発売・ONE−DER ENTERTAUNMENT)
  
 敬称略
 



2002年03月06日(水)
“裏方”事件

 
 私はその出来事を“裏方”事件として、強く記憶に留めている。

 
 高校野球の練習試合を見ていた気付いたのは、バックネットの最前列には、父兄さんの中でもお父さんが難しい顔をして試合に見入っているチームが多いということだ。

 その日の練習試合も例に漏れず、ネット裏にはマイチェアーに深く腰掛けたお父さんたちがいた。

 その日は確かWヘッダーの試合で、第一試合が主力級の選手が、第二試合では下級生を主体としたメンバーが出場していた。

 第二試合の準備がとりおこなわれているころ、すでに試合に出場したあとの主力選手がネット裏のお父さんたまり場の近くにいた。

 すると、お父さん集団の1人は、彼に声を掛けた。小柄で表情の柔和な方だった。

 「おい、バッターボックスのラインが引けてへんけど?どうなってんのや」

 もうすぐ試合が始める頃の話。

 すると、彼は平然とこう答えた。

 「あ、それは裏方の仕事だから」

 すると、それまで柔和だったお父さんの表情は一変した。

「おい、裏方とは、なんやねん!裏方とは。試合はお前らだけじゃ出来ひんのやろ。みんなが支えてくれて出来るもんやろ、それを何やねん!もっとちゃんとせいっ!」

 びっくりした。
 空気が鋭いナイフで引き裂かれたかのごとくだった。

 でも、周りはそんな2人に全く気付かない。それが不思議でしょうがない。

 彼はあっけに取られたような表情でその方を見ていたが、おもむろ脱帽し、頭を下げた。

 そのお父さんは、うなすいて見せると目線プレーボールを待ちわびるグランドみむけた。今、何が起こったかなど、知らぬ騒然という感じで。

 柔和な表情のお父さんがなぜ“裏方”の一言に鋭く反応し、ところかまわず怒鳴ったのだろう。もしかしたら、息子さんがその“裏方”と呼ばれる部類に属しているのかもしれないし、はたまた、準備不足を人のせいにしたその態度に他人とはいえ、親の本能がうずいたのかもしれないし…。

 確かに、社会に出たら、“裏方”と呼ばれる仕事は存在するし、実際高校野球でもベンチに入れなかったら、そういう仕事をしてチームに役に立とうと思う選手もいるだろう。

 でも、基本にあるのは、同じチームでプレーする仲間であり、同じ人間だ。お父さんは“裏方”という言葉が平気に口から出る選手に、チーム内の温度差を感じてチーム状態を危惧したのかもしれない。

 嬉しいことに、それ以来、怒鳴られた選手の態度は目に見えて変わった。控え選手や下級生にも積極的に声をかえる気配りが出来るようになったのだ。

 人間関係が希薄だと言われて久しい。昔は、他人の子供でも悪いことをしていたらしかる大人がいた。私も幼いころに、近所のおっちゃんやおばちゃんに叱られた経験を持っている。今は、それも皆無だという。

 そんな中、この日見た光景は目に鮮やかだった。



2002年03月05日(火)
地図の中の球児たち


 こんばんわ。今、ペーパー旅行から帰って来ました。いやはや慌ただしい旅ではありましたが、つかの間の安らぎで心が充実しています。


 油断したら、あっちにふらふらこっちにふらうらしている私は言うのは何だが、常日頃、「どこか遠くに行きたい」と思う。

 特に海沿いを走るローカル電車に揺られて、気付いたらうつらうつらしてた、なんてシチュエーションは最高!(もちろん、窓側は譲れない)

 というわけで、本屋で600円(税込)のコンパクト版時刻表を購入して、ペーパー旅行をすることにした。(いずれ、実行する気ですが)

 いくつかプランがあるのだが、今、私の中で一番熱いのが「東本州一周旅行@青春18きっぷ」だ。

 地元の駅から、福井に出て、ひたすら日本海沿いの電車で北上。青森を折り返し地点にして、三陸海岸沿いの電車に揺られる。仙台から茨城に入るか福島に入るか、大都会は出来るだけ避けたいので、帰りのルートを迷い兼ねてはいるのだが、ま、そんな感じのプランだ。

 で、先ほど進むことを最優先にしたペーパー旅行を敢行したところ、6日かかることがわかった。実際はアクシデントや観光等もしたいので、プラス4〜5日は見ておくべきだと思う。(う〜ん、理想は14,5日なんだけど、お金がぁ…)

 青春18きっぷは、5枚で11,500円だから、10日で23,000円。(「のぞみ」で、京都ー東京間を一往復するより安い!)

 もちろん、長期の旅になるので、宿泊代や食費等を計算しなければならない。電車の時間にもよるのだが、なるだけ県庁所在地レベルの都市部で泊まりたいと考えている。

 下手に郊外に出ると、ビジネスホテルというものがなく、帰って高くついてしまうし、夜は都心部の方が明るいし、帰って安心できるからだ。

 私が今まで一人旅で使ったホテル代の最高金額は、6,800円。それもルート上、選択の余地がなかったから止む終えず。理想は6.000円以内。1日1万円の予算でいくと、それが限界。(当然、食費も削らねばならず。わーい、痩せるぞ〜)

 以上のことをふまえると、このプランを実行するには、約15万円のお金が必要となる。(それでも、間違いなく貧乏旅行になるのだが(T_T))

 本当言ったら、今春にも実行したかったが、残念ながら、今の私にはそんな余裕はない。あれこれ考えても、実行は1年後となる。

 今はそれまでに何をすべきか、またどこに行きたいかを考えて、頭の中は「♪」状態。

 で、そんなときにも「この駅通るんやったら、○○高校行けるなあ」とか考える自分がいる。

 野球も、旅も、イヤになるまでとことんつきあうしか今の自分には道が残っていないような気がする。好きか嫌いかはおいといて。(要はするに目先のことしか考えていない?)

 高校時代、夏になると熱心に見てた高校野球ハイライト番組のナレーション紹介されていた詩がある。強烈に印象的で、ビデオをすり切れるまで見て、その詩を聴き取ってノートに書き込んだ。これを機会に紹介させていただきたい。

 この詩には、私が野球と旅に求めているものがある。

 

 目をつぶって地図を開き
 そっと指を落としてみよう
 何度繰り返してもきっと
 その指の先には
 土ぼこりの舞うグランドがあり
 甲子園を夢見る少年達がいる

 「絶対行こうぜ」
 が、合言葉だったけど
 本当はユメだと思ってた

 今、ボクらがここにいるのは
 決して約束ではなく
 小さな偶然のつみかさねなんだろう

 黒土と芝生のにおいがして

 風邪がやわらかだった
 どんなに激しくぶつかりあっても
 グランドはやわらかだった


 唐突にボクらの夏がおわる
 ボクらがいつまでも
 17歳ではいられないように

 思い出以上の何をもらったのか
 ボクにはまだわからない
 いろんなことがあったけど…

 とにかく17歳の夏
 ボクは、そこに―――いた。


 いつからだろう
 この夏に終わりがあるのを知ったのは
 それでも憧れの土の上を
 少しでも長く走りたくて
 みんなと過ごす夏を
 一秒でも伸ばしたくて
 僕達は早すぎる夢を追っていたのかもしれません

 信じていたのは
 白いボールと仲間の笑顔

 空は暗かったかもしれません
 雨は冷たかったかもしれません
 でも、君たちが「夏」でした

 たった一度の思い出の夏
 それは間違いなく君たちのものなのです


 (1993年「熱闘甲子園」最終回放送分より)
 



2002年03月04日(月)
コントラスト〜果てしない物語〜



 〜10000アクセス到達。アクセスしてくださったみなさま、日記を読んでくださっているすべてのみなさまに感謝の気持ちをこめて。「ありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします」〜


 1998年の高校野球は、実力・実績・置かれている環境が対極的な2つの学校が話題をかっさらった。

 横浜高校と深浦高校。

 横浜高校は、「平成の怪物」と呼ばれたエース・松坂大輔を擁して、春・夏の甲子園優勝と国体を制するという三連覇を成し遂げた。

 深浦高校は、青森大会の初戦で0−122という記録的な大差で敗れた。横浜高校には何十人という部員がいたのにたいして、同校の部員は10人。

 縁あって、当時の両校のことが書かれた本を2冊読んだ。そこで気付いたことを書きたいと思う。

 深浦高校のことが書かれた本『0対122 けっぱれ!深浦高校野球部』では、同校と横浜高校との差が次のように記されている。

<東奥義塾は深浦高校に大勝したものの、次の試合で県立田名部高校にコールド負けを喫する。
(中略)
 田名部もかなりの強豪かと思いきや、次の四回戦で県立大湊高校に完封負けしてしまう。
 そして、この大湊が準々決勝で八戸工大一高とあたって「2対14」とコールド負けを喫する。勝った八戸工大一高は(中略)甲子園への切符を手にする。
(中略)
 頂点に立った八戸工大一高が甲子園でどうなったかは前に述べたとおりである(初戦で鹿児島実業にノーヒットノーランを喫し、その鹿児島実業も2回戦で横浜高校に敗戦。そして、横浜高校はそのまま最後まで勝ちすすんだ)>

 この文を読んだとき、「はぁー」とため息が出てしまった。本当に気の遠くなりそうな距離感。だからこそ、高校野球は多くのファンを得ているとも言えなくもないのだが。

 ところが、この2校、ある共通点があった。深浦高校がマスコミに想像以上にクローズアップされたこともあるのだが、実に多くの人からの熱い思いのこもった「ファンレター」が届いていたのだ。

 横浜高校のことが書かれた本『白球は奇跡を喚んだ』ではそんなファンレターの一部が紹介されている。
 
 「心あらわれる感動で、すがすがしい気持ちになれました」「若者たちにありがとうといいたいです」「選手に負けないガッツでがんばりたいと思います」「『勇気と希望』を私はきっと与えられたと思います」等。

 また深浦高校側でも、手紙の一部が紹介されている。

 「涙が出るほど、うれしかった」「何か自分もやらなきゃ、と思うようになりました」、また、その内容の多くは、「高校野球の原点」「これぞスポーツマンシップ」といった言葉で、たたえられている。

 正反対と言ってもいい試合内容だったが、それを見たファンが感じることは実はすごく似ていることがわかる。

 人の性格や価値観は様々だから、同じ試合を見ても感じることや考えることは違うということはわかる。
 
 でも、まったく違う試合を見て、同じようなことを感じることに正直軽い衝撃を覚えた。

 強いのがいいわけでも、弱いからいいわけでもない。そこにあるのはただ「野球」と「人」と「めぐりあわせ」。

 高校野球って果てしないなあ、と思う。


参考文献:「0対122 けっぱれ!深浦高校野球部」(川井龍介著・講談社) 「白球は奇跡を喚んだ〜松坂大輔と青春群像〜」(渡辺元智著・報知新聞社)
 



2002年03月03日(日)
(野球日記なのに何故か)水泳の話

 

 『ごきげんよう』の8888投と、ここの10000ヒット、さてどっちが早いだろう。結構いい勝負をしていると思う…。


       (^o^)

 今日、約3年ぶりに泳いだ。
 
 このところ、足繁くジムに通っているのだが、運動しているうちに、「水につかりたい」という欲求が出てきたのだ。「人間って自然に還るように出来てるんだな」などと思いつつ、勇気を出してタンスの奥から水着を引っ張り出してきた。

 私が泳げるのは、クロールだけ。一応平泳ぎも出来ないではないのだが、ほとんど前に進まないので、「泳ぐ」とは言えない代物だ。

 学生のとき、「平泳ぎの足のフォームはみっともない」と言って、水泳の授業でも真剣に取り組まなかった。今となってはなんともないのだが、思春期という時期は、ほんの些細な事でも「恥ずかしい」と思っていた。

 泳いでいて思ったのだが、どうやら私は手に力で進もうとしているようだ。足が上手に使い切れていないように思う。(でも、泳いだあとは、ちゃっかり足もだるくなる。ろくに働いていないのに、「このバカ足がぁ!」)

 これからは足も鍛えよう。

 また、クロールに関しては、息つぎのときに異様に頭を上げすぎている。昔、息つぎをするために顔を上げたところ、隣の人が泳ぐことによって出来たでかい波のため、水がもろ鼻の中に入ってえらい思いをしたことがある(めっちゃ痛かった)。その時のトラウマかもしれない。

 また、クロールのときは右に、平泳ぎのとくは左に斜行してしまう。一体どうしたことか。今のところ、なるだけ意識を向いてしまう方向と逆に持っていこうと考えている。それでも、ダメならその時考えよう。

 そうそう、プールは泳ぐだけではなく、歩いたり走ったり。また水の力を借りて筋トレをするレッスンも受けている。

 約1時間で、種々のトレーニングをこなすのだが、中でも、ジャンプ走り(その場で高く飛び上がりながらのジョギング。前に進むことより高く飛び上がることと優先する運動)が好きだ。

 水に浸かったままでジャンプすると、すごく高く飛び上がったように感じる。また、体もとても軽いのだ。すごく気分がいい。だからすごく動きやすい。それに水に浸かっていると、心身ともに癒される。

 故障している野球選手のリハビリやトレーニングに水泳がいいと言われているが、それも分かる気がする。



2002年03月02日(土)
“ミーハー”なんて、辞めなくてもいいよ。


 私がよくお邪魔するHPの掲示板に10代の女の子らしき子の書き込みがあった。彼女は、中高6年間女子校に通い、その上、寮に入っていたので、地方大会で負けてしまった選手や女子マネージャーの存在を知ることなく、高校野球を見ていたという。それでか、「どうすればミーハーを言われなくなるのでしょうか?」と書かれていた。

 果たして彼女がどこまで悩んでいるのかはわからないが、少なくともあちこちのサイトでみかける「ミーハーお断り」とかミーハーな高校野球ファンを軽蔑するような文章を読んで、気に病んでいるのは間違いなさそうだ。

 これを機に、今日は、いわゆる「ミーハー」と呼ばれる高校野球ファン(特に10代の女の子)について私が思うことを書きたい。

 まず、ミーハーの定義づけ。

 ミーハー

世の中の流行などに熱中しやすい人たち。
〔「みいちゃんはあちゃん」の略。もともとは,趣味・教養の低い人たち,また,その人たちを卑しめていった語〕

(検索エンジン「goo」新語辞典より)

 考えたら、この言葉自体実に失礼な存在だ。

 とりあえず、私が彼女に言いたいことは、「別にミーハーは悪いことじゃないから、言わせたいヤツには言わせておけば?」である。

 はっきり言って、私も「ミーハー」だ。

 私も彼女と似たような境遇にある。10代の頃は、地方大会で負けた球児や女子マネージャーの存在や故障で苦しんでいる選手のこと、またマスコミにあることないこと書かれてイヤな思いをしていたり、ファンの女の子に追っかけ回される選手の気持ちなんて全く考えていなかった。

 だって、分からないし、見えてこないものしょうがない。それに、甲子園で上位に進出するようなチームを応援するのはやはりそのチームにそれなりの魅力があるからだし、かっこいい選手に夢中になるのは、ルックスに魅力があるから。「人を見かけで決めるな」と言われるけれど、見かけがいいに越したことないし。

 確かに、高校野球の酸いも甘いも知り尽くされている方から見れば、ミーハーと呼ばれる子の行動に苦い思いがしたり、不快の思われることもあるかもしれない。

 でも、冒頭の彼女みたいに「ミーハー」と呼ばれることで傷ついている子もいる。野球に縁のないような若い子が高校野球を始めとする野球を好きになるのは、どうしてもそういう「ミーハー」なところから始めなければならないのは仕方ないのだ。

 ただ、「ミーハー」がいい評価を受けないのは、やはり選手やチームに迷惑を掛けたり、状況や礼儀をわきまえない行動を取っている子がいるからに他ならない。

 だから、不用意に選手をおっかけ回したり、チームに迷惑をかけたりしない限り、「ミーハー」は全然OKだと思う。

 「○○くん、かっこいいね」「あの試合、感動したね」とか言ったたわいもない話をするのは、楽しい。実際、私も経験者だからよくわかる。

 「ミーハーお断り」サイトは、管理人さんがミーハーと呼ばれる子が好きでなないから。ただそれだけ。傷付いたり、負い目を感じる必要なんて何もない。

 私は、たとえ野球に詳しくても、選手に心ないヤジや批判を浴びせたり、知識や経験をひけらかして人を下す人なんかよりもはるかに「ミーハー」と呼ばれる子の方に好感が持てる。(ただ、実際に関わるのはちょっとしんどいけど。(^^))

 あっ、質問の答えになっていなかった。
 「どうすればミーハー呼ばれなくなるか」、ですか。

 とりあえず、夏の予選大会や春秋の地方大会、練習試合を見に行くときにスコアをつけはったらいかがでしょう?

 また、選手を見かけても、決して「写真を撮ってください〜」などを声を掛けないこと。
 
 また、書き込みとかには、「○○くん」ではなく、「○○選手」と書くこと。「○○くんかっこいい〜」ではなく、「○○選手はいいピッチャーですね」とか「××高校の三遊間は鉄壁ですね、特にショートの△△選手は肩が強くてスローイングがいいと思います」…とか??

 私が言えることは、それくらいです。

 でも、そういう見方も月日が経たないと出来ないし、やはり野球やスポーツを経験していないと技術的な話をするのは限界があると思います。

 また、若い女の子がそういう書き込みをすると「ほんまに分かってるんかいな」とか「知ったかぶりして」と思われてしまうのも現実です。残念ですが、「若い女の子=ミーハー」という図式はまだ世間に根強く蔓延っています。

 だから、そういう人のことを気にしているヒマがあるなら、好きな選手に会うために試合を見に行ったり、友達とその選手の話をしている方がはるかにあなたにとって有意義な時間が過ごせると思いますよ。
 
 人の言うことなど、あまり気になさらないことです。


〜追記〜

 深夜、まだ気持ちが落ち着かなかったので、友人に話をした。すっきりした。
 
 甲子園に出ているいわゆるスター選手ばかりを応援しているだけことが、地方大会で敗れた選手たちや縁の下の力持ちとしてかんばっている女子マネージャーを侮辱している行為とはどうしても思えない。なのに、何故、そういうとらえ方をするのだろう。

 それに、高校野球は地方大会も見なければならないというルールはどこにもない(友人の受け売り)し。

 はっきり言って、今回の1件は人ごとだ。なぜ、こんなにムキになってしまうのだろうと考えた。きっと、彼女は10年近く前の私だからだと気付いた。

 出来たら、私も女子マネジャーや選手になって高校野球を経験したかった。でも、そういう縁がなかった。それはたまにコンプレックスになる。

 元マネジャーとか元球児とか関係者の方の発言はすごく貴重だし、興味もあるのだが、たまぁ〜に劣等感を煽られて、鬱状態になる。

 話をしたり、メールをしたりする。何か違和感のあるようなことを口走ったのだろうか。口には出さないが彼らは「何も知らないくせに」みたいな表情をする。それが辛い。だって、知らないもの仕方ない。

 知らなかったら発言してはいけないの?
 思うこと言ったらいけないの?

 そう問いつめたくなる。
 

 ときどきイヤになる。

 知識や経験という名の下に傷つけられる人や傷つける人を見るのが。人の言うことをいちいち気にしたり、細かいことにこだわる自分が。どうしても縮まらない高校野球と自分との距離感が。そして、それでも固執する自分が。

 私ってほんまに野球が好きなの?
 そう自分に問いたくなる。

 今、私は純粋に「私は野球が好きです」とは言えない。何故、野球を見ているのかも、正直よくわからないのだ。



2002年03月01日(金)
“笑って、笑って”


 冷たい風が吹きすさむ外を避け、室内で地道なウエイトトレーニング。選手にとってのそんな辛い季節もそろそろ終わりを告げているのだろう。

 車窓から見える高校のグランドでは、真っ白い練習着を来た野球部員が走り回っていたり、気持ち良さそうにボールを飛ばしている光景を目にするようになった。


 さて、今日の私はいつになくジムでもトレーニングをがんばった。いつもなら、20分のウエートに40分のウォーキング程度しかしないのだが、今日はそれプラスウエイトをもう1セットに自転車みたいなのを漕いで、更にプールでトレーニング。

 なんでそんなにやる気があるのかわからないのだが、心地よく体を動かした後ってほんまに気持ちいい。

 さて、そんな今日のウエイトトレーニング。とにかくきつかった。レッスンで方式でインストラクターの指導を受けながらウエイトトレーニングをするのだが、あいにく受講生は私1人。

 インストラクターの目が光り、うっかり手を抜けない。ダンベルを持ち上げてるうちに「う、腕が切れる〜」。

 人って、ある一定のラインを超えると、苦しくてゆがんでいた顔から笑いがこぼれてくるのだろうか。めちゃくちゃしんどいのに、なぜか笑えてしょうがなかった。

 そう言えば、以前テレビで見た「課外授業、ようこそ先輩」という番組でメジャーリーガー・長谷川滋利投手が、<生徒に怒って走るのと笑って走るのでは、笑って走った方が早く走れる>という実験をさせていた。

 だからか知らないが、今日はしんどかったが今までこなしたことのないほどのトレーニング量をこなすことができた。

 高校球児がどういう風にウエイトトレーニングをしているのかは分からないが、彼らもこういうときは笑ってしまったりするのだろうか。不覚ながらそんなことを考えたりする。

(そういえば、ともきちが「高校時代、先生に怒られてるとき、何故か笑いがこみ上げてくる」と言っていた。ま、それとこれとは関係ないが、私の同様の経験を持ている。これも何故なのかすごく不思議だ)

 
 ピッチャーはポーカーフェイスがいいと言われる。私個人は表情豊かな投手が好きなのだが、しんどい時ほど笑顔でいることが出来れば、相手バッターの脅威となるかもしれない。

 笑いは人を和ませるだけではなく、自分をも和ませることのだきる最大の武器だと思う。