そんな風に思うから仕方ない
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2003年03月23日(日) |
非常に好感のもてる姿勢として |
戦争反対。 そりゃそうだ。 イタいのはイヤだし、映画やフィクション以外で人が死ぬのをおもしろがれるほどの感覚は無い。
最近見られる姿勢のいくつかで、
・ともかく戦争はダメだよ!←何もできないくせに偽善じゃねえの。
というパターンがあって、 センチメンタルから意見を言う人もいれば、 情勢等を考慮に入れて意見を書く人もいる。
どちらかが正しい、というワケでは無いハズだ。 センチメンタリズムでの反戦を自慰とか、偽善だと言う資格が余人にあるんだろうか。
センチメンタルからの反戦意見。いいんじゃないですか。 ある程度情勢を調べた上で戦争もやむなし、という意見、それもいいんじゃないですか。 何だかよくわからんがブッシュや小泉を叩いて気持ちよくなりたい。それだってアリだと思う。
自分をどう見て欲しいか、その価値観で選べばいい。 人が自分をどう見ているか、それは、自分ではわかりにくいので、それこそ某巨大匿名掲示板へでもいけば、みなそれぞれ余人に対する意見を吐いているだろう。
私はあのシステムは悪くないと思う。 あれをワンクッション置く、という事でダメージが一種緩和されるからだ。 自分はこう思う、しかしほかの人はどうだろう、と、思った時、あそこには忌憚ない意見が書かれている。盲信する気は無いがけっこうスルドい事が多い。
そこで、あ、コレはかっこ悪いな、と思えば意見を変えたって別にいいし。 (ただ、あからさまに意見を変えている部分を見られるのは、そっちの方が恥ずかしい気もするけど) 自分の意見に対してのストレートな意見は、うれしい反面やっぱけっこうダメージになると思う、日和見だって自分を守るひとつの手段だ。
ちょっと脱線した上に論点が変わっているが、私がネットで見た戦争に関する意見で一番好感が持てるのは、自分は世情を知らない、でも、これを期に調べてみよう、という考え方だった。 意見を言うには、観念的な好き嫌いもあるが、ある程度リサーチした方がいい場合もある。わからない事をわかったようにかっこつけて書くよりも、前向きに調べようとする意思表明を、かっこわるい、と思う人もいるかもしれないが、少なくとも私はとても好感が持てた。
最初からかっこいい、シブい意見を言える人もステキだが、人の意見に耳を貸して、軌道修正できる理性のある人もステキだ。と、思った。
2003年03月22日(土) |
戦争について書くのも書かないのも。 |
本人の自由だと思うのだが。 時事ネタ(たとえば季節ネタだって時事ネタだ)のひとつ。 知らなきゃ知らないでわからん事はわからん、と書いたら、親切な誰かがフォローしてくれるかもしれんし。 自分が事件に対してどう思うか、そういった現実は一切排除したネタ日記ならそれもよかろう。
つまらん、と、思ったら、閲覧者はテキトーに読み飛ばすし、興味があったら読む。 私は、個人レベルでの考えを知りたいのでエンピツ検索も「イラク」でわざわざ見に行ったりするが、日記の書き手がどういったサイトオーナーであるかは興味が無いわけでは無いが、ネタサイトだろうと、ギャグのサイトだろうと別段関係無い。
サイトポリシーは人それぞれ。 取捨選択が自由なのもまたWebの良いところ。
人様のサイトにどうこう。…言ってるか、私が。 (自分はあえて戦争については書きません、なんて書かなきゃいいのにな、まぎらわしい…まったく)
検索キーワードにひっかかるのでまぎらわしい事はやめて欲しいなあ…、と思ったのさ。まあ、それもひとつの主張なので、そういう考えの人間がいる、というのがわかっただけでもいいんだけどね。
って、よく考えたら私も戦争のキーワードでひっかかってしまうな。間違って飛んできた方。申し訳ありません。
同人系サイト管理人のプロフ(女性)を見ると、中身は男性。ないしは男性っぽい。と、書いてあるのをよく見かける。逆はあまり無い。
私は心理学を勉強した事が無いので謎解きはできないが。
一種奇妙な共通項。
2003年03月20日(木) |
哀しきアクセス古事記 |
フレームはやはし人を呼ぶな、という事と、それによってのアクセスはまた一瞬。 有名にはなれる、良くも悪くも。 ネガティブアクセスでも数字が増える事に喜びを感じるのは、もう業なのだろうか。
口汚い言葉でサイトを罵る確信犯的女性サイト管理人の日記を見てしまった。
近年稀に見る不快感。
ネットの向こうのダレかを不快にすることされること。
イヤだなあ、と、思うのに、正義の味方の出現を期待して通ってしまう自分の心もやはり貧しいのかなあ、と、思う。
2003年03月01日(土) |
自分の世界があるのはとてもいいことだ、と、思う。 |
別にイタかろうが、困ったヒトだろうが、自分のサイトから外に漏れさえしなければいいんじゃなかろうか。
…、と、思う。
生ぬるく、冷ややかに見られている可能性が0でないことを自覚することさえできれば。
残念ながら私は修行が足りないので、恐ろしくてリアクションなんざ聞けないし、ブナン、かつあたりさわりの無い事しか書けないが。
自分と思考パターンの近い人に日記はおもしろい。 リアクションも似てくる、趣味も似てくる。 たとえは古いが銀河通信のようなシンパシィ。(キモい?) 自分だけではないのだ、という奇妙な安心感があったりする。
逆にまた、何だってこの人は、こういった要素から、こんな答えを吐き出すかなぁ? という場合もまた、自分とは異なる反応を期待して、ついつい通ってしまう。
自分に向いているベクトルが同じ方向か、まったく逆か。 ネットサーフィンはやめられない。
UMサウルス
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