春の波玻瑠のかけらを返しけり
紅椿咲きし誇りを持ちて落つ
辛夷咲き揃ひし朝を旅に発つ
散る花を点じて路地の潦
春の富士見ゆる窓背に母の笑み
2001(平成13)年3月、生母マサコ、能楽の笛を お弟子さんに教えている最中に脳梗塞で倒れる。 同じ年の11月、父が死亡。 離婚して生母は家を でたので、行き来は勿論、音信も絶えていた。
父の葬儀の名簿に叔父、叔母の名前が記されていた ことからお礼の電話をし、翌年2002(平成14)年 2月、弟と共に48年ぶりに再会した。 お互いに涙もなかった。入院中の生母に言葉は戻らず、 ただ、『この人が・・』と思うだけだった。
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