天使のながばなし
maki



 風が好き

暑い。夏のように暑い。

昨日は超おいしいざるうどんを食べたあと、
真っ昼間に公園を散歩して体力を奪われてしまった。
大きい池もあって、マイナスイオンが出てたかはわからないけど、
とっても気持ち良かった。爽快な疲れは気分がいい。

その公園におもしろいものがあった。
全く違う色の星条旗をしばらく見つめてその後、
真っ白なところを見ると、見事に赤と青の星条旗が浮かび上がる。
色の引き算によって起こるらしい。
パラボラってやつは、
まさにパラボラアンテナのようなすり鉢状のものが2つ、
20mほど離れて向かいあってる。
あちらとこちらのその前に座って話すとかなり鮮明に声が聞こえる。
子供のように遊んでしまった。

それからお気に入りのカフェで体に優しいコーヒーとオレンジの焼き菓子。
贅沢な1日。
おいしいものとおいしいことに囲まれた1日。
いつのまにか私の中に、
「乗り越えること」が存在しなくなっていたことに気づいた日。


今日は少し「茎のつづき」の校正をした。
ここにきて新たな展開が。
とゆうよりは、今の私として作るとまた違うものが出来て当たり前かも。
少し追加をするだけなのだけど、
私の中では全く別の作品のようだ。
でも今出すにはそれが自然のように思う。
作業はとてもとても楽しい。
疲れはするけど、ずっとやっていても飽きないみたい。

あの時、まぎれもなくあの瞬間を切り取ったけれど、
切り取ったものは切り取った瞬間から変化を始める。
もちろんやっぱり私のものでもない。
それが楽しくて、愛おしい。
いっぱいになる。



2005年04月29日(金)



 私は家に。あの子達はおそとに。

今日は気持ちいい陽が差し込む空間を、
家の中で存分に味わいました。
これ書いてて気づいた。一回も家出てないや。ははっ。

でも今の季節、応接間の窓を開けると、
ホントに気持ちいい空気が入ってくる。
見える景色は、花と土と草と木と空でまぶしい。

ゴスペルの友達が2人遊びに来て、一緒にごはんを食べたあと、
例のごとくボイトレ開始。
そのうち、またしてもオペラ座の怪人遊びが始まる。
続いてオリジナルを歌ってみたいとゆうので、
譜面やら歌詞やら部屋から持ってきて歌いまくり。
2人はいつもライブに来てくれてて、ずいぶん覚えててびっくり。
かなり楽しそうなのですごく嬉しかった〜。

こうして誰かに歌ってもらうってのも楽しいもんだね。
オリジナル達がおうちを出て、新しい出会いを果たして、
新しい一面を見せるの。
おうちに囲っていたらもったいない。
それを実感した日だった。
だってあんなふうに楽しく歌うことも出来るし、
歌う人によって表情を変えるし、
その人なりにちゃんと味わってくれているようで。

これからもオリジナル達は、
ますますいろんな出会いを果たしていくことでしょう。

織路鳴子。。。和風でいいね。
こうゆうくだらない言葉って、
思いついたら言わずにはいられない時ってありますよね。
くだらないのは、よく分かってるんですけど。
失礼。


2005年04月27日(水)



 柔軟で明快

ライブが終わるのを待ち構えていたかのように、
風邪や関節の痛みや全身倦怠感がどわ〜っと出てきた。
夕方までほとんど寝てました。
筋肉痛が2日後にくるってやつみたいね。

そういえば昨日初めて生で、
ハープギターとニ胡と揚琴の音を聴きました。とっても良かった。
やっぱり中国の音楽は大陸〜って感じがした。
山があって川がある水墨画のような屋外がやっぱり合う気がする。
ひとつ不思議なことがあった。
「杜甫とゆう詩人がいます」とMCが始まった途端、涙が出てきた。
「杜甫」って聞いただけなのに。
何で悲しいんだろう。。。と思いながら泣いていたら、
始まったのは「新婚の別れ」とゆう曲の物語や説明だった。

今日やっと詩集の初校が届いた。
校正したいのだけど、身体がだるくて。。。
しかし、人に作ってもらうってことの難しさを実感。
でも美しいものを作りあげたいから、
妥協しないで頑張ってイメージなどを伝えようと思う。
少し校正しながら、
「私ってこんなに緻密な仕事をするタイプだったっけ?」
と思ったりした。
どうやらそれくらい細かいことをやろうとしてるみたい、わたし。

今まで何に対して躊躇していたのかと思う。
音楽をやる時も詩を書く時も何をする時も、
私は私の意見を伝えるのを怖がっていたところがあった。
それは同時に相手の拒否に出くわすことを怖がっていた。
話の中身よりもやりとりが怖かったみたい。
意見を否定すること、されることが、
その人(または自分)自体を否定するような気になったからかもしれない。
それが今はほとんどない。

ただそのままを伝えて、誤解があれば説明して、
違う意見ならば認識して、その先の方法をまたさがせばいい。
何もねじ曲げる必要なんかない。柔軟で明快。
そして思いやりはいつも持って。
そしたら驚くほど落ち着いているし、突然喜ぶし、突然泣く。
周りを気にして居場所を見失うようなこともない。

どこに焦点を当てるかで、物事はすばやく変わる。





2005年04月25日(月)



 またひとつ、ライブを終えて

昨日、またひとつのライブを終えました。
ゲストとゆうかたちでの朗読と新曲。
緊張したのは身体。
心臓が単独で緊張しているような感覚。
気持ちの焦りなどは全くなくて、
やることは分かっているし、落ち着いていた。
ただ今の私で、今に向かうだけ。
正反対の身体と気持ちが共存していた。

実際、ステージに上がったら驚くほど「普通」だった。
なんにも気にならないといった感じ。
でもその「普通」ってのが、いわゆる「普通」ではないのだけど。
だっていつもよりも、あまりに摩擦や抵抗がない。
朗読していても、話していても、歌っていても、
す〜っとしていた。
やわらかい空気がふわ〜っと充満していて。

最近よく感じるのが、自分で書いたはずの言葉はみんな、
もうすでに私のものじゃない。
私が生み出した言葉なんかじゃない感じ。
ある瞬間や空間にたまたまアクセス出来て、
綺麗なの見つけたから、
それを拾った私がみんなに見せてみました、くらいな。

私はリハで初めて、
バイオリンとギターと先生の声を生で聴いたのだけど、
3つが正三角形のように見事なバランスを奏でている喜びったらなかった。
ぜんぜん違う旋律を奏でたり、ハモったり、ユニゾンしたり、
実はとにかく難しいけど、不思議と馴染んでる。
声、ギター、バイオリンが代わる代わる前に出てきて、
くるくる回ってるキラキラの三角みたい。
でも波みたいでもあるし、呼吸みたいでもある。

オリジナルは多面体のように、
あらゆる輝きを見せてくれる。
同じことをしていても、同じじゃないから、
新しい自分で歌うだけで、もう新しい。
また、新しい楽器や新しい人や新しい空間に出会って、
新しい輝きも見せてくれるんでしょう。
楽しみは尽きないな。




2005年04月24日(日)



 ゆだねたら

あれ〜?もう3日も経ってる。
忙しいような気がしてて、たいして忙しくない今週。
ライブは明後日かぁ。

ゆだねるとゆうことを感じられたら、
そこでゆだねたまま子供のように遊んでみたいなぁ。
川の流れに乗ったら、ただ流されるだけじゃなく、
水面をパシャパシャしたり、くるりと回ったり、
水の中を楽しんだり、空を見上げたり、花を見つけたり、
楽しむことって数限りなくあるはずだもん。
感じるままにそんな風に歌えたら楽しいだろうな。

今日は練習をしてから、自然にたくさん触れた。
おいしいものを食べて、心も身体もぐった〜りまった〜りした。
苦しいことなんて何もなくて、
おかしなこともないし、特別なこともない。
過ぎてゆく風のように気持ちいいだけで。
あ〜そう、私の作詞には「風」がよく出てくる。

世の中は驚くほどシンプルだ。
難しいことも何ひとつない。
だいぶそんなふうに感じてきた今週です。


2005年04月21日(木)



 ゆだねる

相変わらず呼吸のままならない日が続いています。
しかし儘なる日があるかとゆうと儘なる日なんてないのだけど。
ノドだって心だって一緒で思い通りになんてならない。
調子が良くても悪くてもコントロールなんて出来ない。

今日歌っていてゆだねるとゆう感覚を得ることが出来た。
どうであれ、ゆだねる。
そこで「頬に花びら」です。
「ゆだねて」「ゆだねて」「ゆだねたら」と3回も書いていた。
やっぱり体験よりも詩が先行くわたし。

呼吸がしづらい時、胸の苦しさよりもノドが腫れてつまる感じがする。
呼吸の流れを塞き止めようとするみたい。
そしたら、ノドのチャクラは「ゆだねる」とゆう意味があると聞いた。
まさにわたしが何も何にもゆだねられない時、
ノドが詰まっていって歌えなくなっていくのでした。
結局は行き場のないこだわった感情たちが
ノドにはりつくんじゃないのかな。

いつだってゆだねられたらいいな。
抵抗しようともせずコントロールしようともせず、
ゆだねて、心に描いた花びらを楽しめたらいいな。



2005年04月18日(月)



 やわらかに燃える桜

何かに向き合うたびに、
その瞬間ショックだったり、悲しかったり、くやしかったり、
許せんかったり、どうにもならなかったりする。
本当は全部どうにもならん。
でも少し後、必ずそれを幸せに思う。
嬉しくて、どうにかこうにか乗り越えてみようと思う。
つべこべ言わずに、また行こうか〜とゆう感じ。
これが楽しくなってきた。
落胆するのは一瞬で、目をそらすことも無くなってきた。

興味が湧いてきた。人生そのものに。
何かではなくて、そのものに。
そうすると自分のやっていることにも本当に興味が湧いてきた。
今さらだけど、本当に今さらだ。

アイディアも少しは出てくるようになった。
人から聞いたことがある知識だけで答えず、
その場とそのものをちゃんと見るようになってきた。
考えずにパッと出てくるようになった。
そして形に出来る。そう動ける。

私をブロックしていたものは何だろう。
四角い部屋にいて、そこがすべてだったけど、
じわじわと水が上がってきてね、
素手でぶちやぶるしかなかったの。
で、どうにか顔出すくらいは崩して、
疲れて途方にくれて息だけしてたわけだ。
ふと立ち直ってまた崩して、
太陽ランランの草原に出たわけです。

そして今、私は好きなことしかやっていない。
いろんな人に助けられつつ、
好きなことしかやってないわけです。

それで、まだ気づくことがいっぱいあるみたいで、
毎日繰りかえしてます。
やわらかに燃えるような桜の絵を眺めながら。
目の前になくても、心で眺めながら。




2005年04月17日(日)



 関係を飛び越える

わたしとあなたには名付けられる「関係」とゆうものがある。
もちろん本当のところは名付けられないものなのだけど、
世間的には名付けられる。

ある「関係」を飛び越えていたつもりでいたけれど、
ある「関係」は飛び越えていなかったし、
そうである時もない時もあるのが本当。
ぐにゃぐにゃと動いている。

「関係」を飛び越えるのに、
ものすごいプレッシャーに苛まれていた時もあった。
まるで崖から飛び降りるくらいの勇気がいった。
気づかずに甘えていたこともあった。

徐々にではあるけれど、それは溶けてゆく。
いくつもいくつも波を越えてここにはきた。やっときた。

「関係」に目と心が行く時、
その瞬間見なければいけないものから自分が離れてしまう。
わたしとあなたの名付けられる「関係」であったり、
私と病気であることも。
「関係」は、私とその先の大切なこととの間に、
ガッと容赦なく入り込んで立ち塞がるのだ。

そしたら心で飛び越えられるように。
大切なイメージを失わないように。
「関係」に心が負けないようにしよう。
持っていかれないようにしよう。

2005年04月13日(水)



 諦めること

諦めること、これがキーワードなのかもしれない。

何もかも諦めなければいけないのだろうか。
やっとの思いであれもこれも諦めたところなのに。
これ以上まだ諦めなければいけないなんて。
諦め続けなきゃいけないなんて。
全部が頭の中でくっついてくる。

諦められないことが過去への執着だと知ってる。
諦められないことが何も生み出さないのを知ってる。
諦めた時に現れる新しい光を知ってる。
だから運命は本当は私に限りなく優しい。
私自身それを知ってる。
甘えているだけだとゆうことも。
考えてみれば大したことではないのに。

病気になったことさえ、わざとらしく感じる。
あの時に必要で作った逃げ道だった。
諦めることを知ることで何かを探し始めた頃。

辛抱強く優しい運命よ、ありがとう。
ギリギリまで背中を押していつまでも待っていてくれる。
私がどんどん手放していけるように。
もうなんにも持たないように。

このことが私の音楽も言葉も人生も変えてくれることだろう。
変え続けてくれることだろう。
そう信じる。

2005年04月12日(火)



 冷たい風

今日、社会の冷たいにあたりました。
あたってる間は、涙が止まらなくなってしまった。
苦しくてね。


冷たいのは人ではなくて、
それを取り巻く社会の枠組み。
それを常識として無意識に攻撃してしまう人の感情。
それだけが真実かのように決めつけてしまった針のような風。
突き刺さる風。


こないだ友達の言葉が「社会」のように感じたことがあって、
思わず声を荒げてしまった私がいた。
話していたことの内容よりも、
私は私のこととして、その言葉を投げていたんだろうなぁ。
何か怒ってたな〜私。


カゴに入らないから、傷つきやすいんだ。
自由だけど自由だけど。
みんなテリトリーを作って、そこを守ろうとするから、
飛び回ってるものを羨みつつ、不幸だと思いこませようとしてる。
ここにいれば安心で一番幸せなんだって思い込もうとしてる。
問題はカゴじゃないって、誰もが本当は知ってるのに。


何度もこんなことを書いてきた気がします。
槍のように刺さってなかなか抜けなかったり、
不意打ちをくらって立ち上がれなかったりしてた。
今は、ただの風だなぁって思う。
ただの冷たい風。うわっ、さぶっ。
でも通り過ぎれば何も残らない。


冷たい風がたっくさん吹いてることに改めて気づいた。
いっぱい吹いてる。
私の体温が保たれてれば、それも気持ちいいか。



2005年04月11日(月)



 立ち止まると

ここのところ食べ過ぎな日々を送っています。
晩ゴハンはおにぎり3コとラーメンでした。
昨日は鍋をさんざん食べ、おとといはパスタとラーメンでした。
それにしても食べたものはどこへ行っているのだろうか。


本日は気功へ行ってから、お友達のおうちへ。
私は呼吸が完全に戻っていないし、彼女も少しゴホゴホしてたので、
控えめに歌いました。
な〜んて、オペラ座の怪人の譜面で盛り上がる2人。
私はまるでオペラ座オタクのように、
セリフは出てくるわ、状況説明はするわ、自分でも驚いた。
彼女くらいしか、この遊びには付き合ってくれないでしょう。
あ〜っすっごく楽しかった〜。

いつもより歌えない分は、コーヒー飲みながらおしゃべり。
幸せの感じ方とか、立ち止まることで見えることとか、そんなこと。
例えば今日、桜のトンネルみたいな藤が丘を通ったら、
感動して泣きそうになった。こうゆう幸せとか。
焦ったり慌てたりしてると、見えないものがいっぱいあるし、
それを感じる心も一緒に見失ってるよね、とゆうような話。

私は今やっと立ち止まれるようになったけど、
前は立ち止まって見れないことも多かった。
そんな頃ほど、自分は見えてて人は見えてないと思い込んでた気がする。
なので今、そうゆう人を見ると、
「あ〜私もこんなふうに話しちゃってたな」と、
自分のことのようによく分かる。。。

遅い車に乗ってて思うんだ〜。
競い合わずに焦らずに、こうして走ると、
いろ〜んなものを見る。
イライラした速い車をたくさん見る。
空っぽな優越感をたくさん見る。
桜を見ずに散らして走っていくの。
幸せとかもそうゆうもんだよね。



2005年04月10日(日)



 春です

花見日和の今日は、運転してるとめちゃ暑かった。
窓全開でちょうどいいくらいなのに、
トラックやバスに囲まれた道路じゃ、
排気ガスが臭くてなかなか開けられない。残念でした。

月1の病院でしたが、血液検査の結果が良くてちょっとごきげん。
このまま良くなっていくような予感もするのだけど。
しかし今日の呼吸の調子はイマイチでオリジナル練習はお休みに。

2週間くらい前からヘナで髪を染めたりしています。
まだ2回しかやってないけど、髪質が変わってコシとツヤが出てきた。
入浴剤や足裏パック、顔パックにも使える。
姉妹品(?)のア−マラキ−も毎日飲んでいます。
これはインドのア−ユルヴェ−ダで重要なもののひとつで、
ア−マラキ−とゆう落葉樹の果実を粉末にしたもの。
そのまま飲むのはまずいんだけど、
炊き込みごはんにするとなぜかおいしい。

身体の毒素が出ていってくれたらいなと思って。
春は毒素が出る季節らしく、眠くなるのもそのせいらしい。
この勢いで病気も流してしまおうかと。

食事を変えたりしてから、本当に身体が変わったのが分かる。
食べたもの飲んだものに、敏感に反応することもあるし、
身体が受け入れているのか、拒否しているのか何となく感じる。
これと同じで、心でも分かってきた気がする。
インスピレーションを大切にするようになった。
考え込んでも見えなくなることが多いし、
パッと決めたことは、そのもの自体がクリア。

表現して歌う時、一瞬でも考えると声が固まるのがわかる。
それを全部排除して、私がクリアになった時、
なんのひっかかりもなく声は出てくれるから不思議。
そしたら音楽が微粒子になって身体中を満たして、
指先まで溢れていた。
こないだそんなことを感じた。
見るように感じた。
嬉しかった。
言葉も音楽もとても感じた。
私の中は春でした。




2005年04月09日(土)



 雲をくぐって一段上がると

先週から引き続き息苦しくなることが多いのだけど、
「歌」自体は春の陽気のようにご機嫌。
だいぶ新しい声のステージに落ち着いてきたようだ。
これからはまたそれをどう使ってどう表現していけるかが課題。
でもとても楽しみ。

前にいたところを見ると、
なんとも低い感じがする。
そこにいた時は低いなんて感じもしなかったのに。
一段上がっただけで、雲の上のよう。
ここに来て初めて、
前の声が持つ低さや重さや抱えていたものが見えるようになったのでした。

右足を踏み出せるキッカケはいつやってくるか分からない。
そこにパッと反応出来るかどうかは、
それまでの準備や積み重ねによるんだなぁ。
たとえその場で足踏みしていると感じても、
リズムやタイミングを捉えるのに重要なことなんだ。
だからその時先が見えなくたって簡単にあきらめちゃいけない。
あきらめちゃもったいないのだ。


2005年04月07日(木)



 腹も立つし、イヤなこともあるけど。

最近はちゃんと腹を立てることにしている。
素直にイヤだと思うことにしている。

こんなこと当たり前の人には当たり前のことだけど、
私は良い子良い人で生きてきたようで、怒るのとか苦手。

それに、
変に高尚な知識だけで頭がおっきくなってると、
その理想に合わせよう合わせようと思考が働く。

結果、自分をこっそり責めることになっていた。
とゆうわけで、それはやめた。


今日も腹が立ったことと残念なことがあって、
しばらくそこにいた。ちょこっと、う〜っとした。
考えててもどうにもならないことだし、
過ぎたことなので考えるのをやめた。

それから歌を歌った。
オリジナル。新曲から今までの曲ほとんど全部。
少しの間、頭の中がイヤなことを引きずったけど、
歌い進めていくうちに忘れた。
声はあれ以来どんどん軽くなっていくし、
1曲1曲がクリアになったような気がする。
言葉と音楽を噛み締めて感じていたら、泣きそうになった。

もういいじゃない、これで。


2005年04月04日(月)



 マツケンサンバ〜

春は眠い。
どうやら身体の毒素だ出る時期らしく、眠くなるそう。
今日は昼間にへナで髪を染めてから、
毒素が出てきたのか眠くて、2時間近く寝てしまった。
う〜練習練習・・・


昨日、日記を書いた後、金スマスペシャルを見た。
マツケンサンバ振り付け師の真島さんがゲストで、
超〜楽しかった!
調子に乗って踊ったりすると足とか痛くなっちゃうから、
ちょこちょこ手とか動かして振り講座を見てました。
覚えたくて思わず録画する私。

すっかり上機嫌になったところで、ふと気づく。
見えなかったオリジナル。
マツケンサンバな感じで歌ったらどうよ。
「頬に花びら」って曲、これピッタリ。
イメージが急にワ〜ッと広がって、花びらが舞い始めた。
まさかこんなところに抜け道が待っていたなんて。
ほほ〜笑える。
マツケンサンバみたいな曲ってわけじゃないんだけど、
全然違うんだけど、
抜け感とか弾け感とか明るさとか欲しかったの。
伝えたいものはそこだったの。


でもって昼寝から生還して、マツケンビデオをちょっと見て、
身体も頭もしっかり起こして、オリジナル練習をしたのでした。
何とか声が自由になってきたみたい。
完成はまだまだだけど、マツケンにより九死に一生を得ました(笑)
オ〜レ〜オ〜レ〜 ジャカジャカジャン!
マツケンサンバ〜




2005年04月02日(土)



 見えない

見えない。
どうしたもんか。

源でのゴスペルレッスンの後、
少し買い物して家に戻ってゴハンを食べ、
おやつとコーヒーを楽しんだら気持ち悪くなり、
少し休んでからオリジナル練習しました。

しかし、つかめん。
何度か歌ってみたけど、ピンと来ない。
上手く歌えない。もちろんいい感じでもない。
イメージが見えてこない。

詞をつけた時のイメージはもちろんあるのだけど、
声が遠い。それに遠い。
広がっていかない。

悩んでるわけではないけど、
漠然と「これ歌えるんだろうか〜?」とゆう思いは出てくる。
これはなぜだか不安ではない。
不安はなぜかない。
今は「歌えないなぁ」と思うだけで。

パァ〜ッと開ける花びらの世界は、
まだ見ぬ遠い遠い夢のような気がします。
もやが晴れればすぐそこだったりもします。

「If We Hold On Together」の歌詞みたいに、
雲が晴れて、永遠の夢が見えて、
声は魂と一緒にまっすぐに、
高い高い空の彼方まで一瞬のうちに上がって、
ギターと戯れたいもんです。

今やることは分かっているし、
またやることは次々と出てくる。
遠くて見えないけど、今は今をやるしかないので。
のんびり焦らず最速で。



2005年04月01日(金)
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