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■ 大好きでした。。。
6月4日 PM12:27
祖母が亡くなりました。享年86歳でした。 あまりに突然すぎる死でした。
病名は『突発性間質性肺炎』
6/1に入院してから、本当に…あっという間でした。 3日夜、覚悟がいるかもしれない。 そう思ってから、まさか12時間経つか経たないかのうちに居なくなっちゃうなんて。
もっとおばあちゃんに会いに行けばよかった。 もっともっとたくさん話しておけばよかった。 もっと、おばあちゃんとの思い出をたくさん作れたらよかった。
思い出がたくさんあれば、その分余計に悲しいけど、 それでも、思い出がたくさんあるって、きっと幸せなんだと思う。
たまに顔を見せると、「よく来たねぇ」ってすごく喜んでくれて。 ただ、あまりに久しぶりで何を話したらいいかわからなくて、少ししか話せなくて。 今なら話したいこと、たくさんたくさん出てくるのに。
母から1日か2日の夜に、「あんたが結婚したこと話したら、どんな人かなぁって何度もいってたよ」って聞いて。 土曜日にまだ退院してなかったら、お見舞いがてら顔見せに連れて行こう!って思ったけど、間に合わなかった。
お見舞いに行ったときも、病室を訪ねた私に、よく来てくれたねぇ、ありがとねって。 動くと苦しいのにそういって頭撫でてくれた。
「今週は越せないかもしれない。もし急変すれば今日でも危ない可能性がある」
そう聞いて急遽駆けつけたお見舞いだったから、すでに向う途中、車を走らせながら散々泣いてて。 それでまた涙腺緩んじゃった。
髪が伸びたねぇ、従姉も長いけど流行ってるの?って従姉と見比べて。
流行ってる…かなぁ?(私は長いことが多いから)
うん、でも伸びちゃった。 それとね、私、結婚したんだよ。 来年式挙げるから、おばあちゃんも見に来てね。
そういったら、
来年かぁ難しいかもしれんねぇって言いながら、それでも、 見に行きたいね、って言ってくれた。
まだそのときには、少しでも未来に楽しみなことがあれば、頑張れるかもしれない。 奇跡的だって言われても、回復するかもしれないって思ってた。
だから、結婚式のこととか、
明日は妹と一緒に来るね。 土曜日はダンナつれてくるよ。きっと従兄も一緒にくるよ。 土日はずっといるね。
って少しでも楽しみだと思えるかもしれないことを伝えてみたりして。
おばあちゃん、明日もにぎやかいねってとても嬉しそうにしてくれて。 でもダンナさんと会うのに、こんな姿で恐縮しちゃうねぇ、って。
いくつになってもオシャレで、「女性」であり続けた人(すごくステキなことだと思う)だったから、 もっと綺麗な格好で会いたかったよね。
本当に病院の扉が閉められるギリギリまでおばあちゃんの部屋にいて、 おやすみね。明日も来るね、また明日。と手を振ったら、 ありがとね、って手を振りかえしてくれた。
翌日(4日)午前中だけ休むという従姉と一緒に、私も午前中だけ休みをもらって、朝からお見舞いに行って。
妹にも従兄にも休んでお見舞い行く事、伝えればよかったな。
妹のこと、ずっと見てないなぁ。って。 おばあちゃん、妹に会いたがってたのに、夜にお見舞い行くなんて言ってないで誘えばよかった。 妹も、結局意識のあるうちに会えなかったことを凄く悔やんでたから…2人とも本当にごめんね。
最期を迎えてしまう前、意識がなくなる前に娘が2人ともいなかったことが、凄く心残りで。 母は私と従姉が居てくれてよかった。そういうけれど。 やっぱり、娘に会いたかっただろうな、って思ってしまって。
あと10分でも20分でも早かったら、間に合ったかもしれない。 母がやっと駆けつけてきた頃には、もう呼びかけても返事がなくて。
必死でおばあちゃんにお母さん、お母さん!って呼びかける母の姿に涙が止まらなかった。
身体を綺麗にしてもらって、化粧(エンゼルメイク)をしたおばあちゃんは、 苦しむ時間が少なかったからだと思う。 痩せこけちゃったりするわけでもなく、いつもどおりで。 本当に、ただ眠っているみたいだった。
自分でもびっくりするくらい泣いて。 母からは、いつからそんなに涙もろくなったのって言われて。(いつからだろう)
今まで一緒に過ごした時間は短くて、一緒に住んでいたわけでもなかったのに。 いざ居なくなってしまったんだと、もう会えないんだと思うと、ふとした拍子に思い出して。
本当に、もっともっとおばあちゃんに会いに行けばよかった。。。
結婚式、おばあちゃんにも見に来てもらいたかったな。 もっと、生きててほしかったな。
おばあちゃん、大好きだったよ。
2010年06月08日(火)
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