道院長の書きたい放題

2009年08月25日(火) 第四回 活人拳講義録/簡素化を試みる

■内容と質、その正体を追求

行から合掌・結手(注:以降、合掌とする)、次に卍、そしていよいよ活人拳となるわけだが、卍の説明を待つまでもなく、これまでの説明で、おおよそ察しが付いたろう。

ようするに、「己こそ己の寄るべ、己を措きて誰に寄るべぞ」=自己確立。「世界の平和と福祉に貢献せんことを期す」=自他共楽。この開祖が目指された目的に相応しい、手段の内容と質、正体を追求しているわけだ。

「手段は、少林寺拳法ではないのですか?」

――それは正しい! しかし思うに、開祖が広められた金剛禅/少林寺拳法の道幅は広く、内容は深く、とらえようによって、とても幅がある解釈が可能となる。また有名な話だが、昔講習会で「皆はワシ=宗道臣が発信する電波の波長を正しく受信してもらいたい」と、喩え話しをされたら、ある拳士が「先生!それは短波ですか中波ですか?」と聞き返し、先生「はぁー?」と立ち往生されたことがあるそうだ。

―一同笑い―

正しい目的の堅持と正確な手段による伝達は、組織の質(の向上)と不可分な関係で、点検と向上に努めなければならんのだろうね。質の劣化が起これば、言うところの失伝ということにもなりかねない。波長の話しは、本当は笑えない出来事だ。笑っちゃうけどね…。


■警鐘を鳴らす

――競技乱取りを行なっていた当時(昭和47年廃止前)は、実際「殺せ!」という野次が飛んだり、試合の最中、付添い人同士がコート内に立ち入って乱闘寸前になるなど末期症状が現出したのだから、手段=修行方法を誤る恐さは開祖も我々も体験済みなわけ。

なのに昨今は、競技乱取りに換わって演武の競技化が過熱しているように映る。いつか来た道で、順位制表彰方式による競技演武を無批判に推進すれば、「殺せ!」の野次は飛ばないまでも、「審判ドメクラ!(注:表現上ご容赦)」くらいのエゲツナイ野次は復活するかもしれない。

今年、表彰呼称の変更をする旨の通達があったが、実際は内容の変更だ。今様に言えば、この方式への変更は環境問題に匹敵する。少林寺拳法の生態系を変えてしまう恐れがある問題だ。我々には行としての昇段制度があるのだから、これを活用する表彰制度を是非考えてもらいたい。

この間、NHKで放映していたけど、外来種であるウチダザリガニの全国的な発生によって、地域によって湖に渡り鳥が飛来しなくなった例があるという。これは彼等が湖に生える水草の根を食べてしまい、鳥の餌が不足したからで、さらに水草が枯れると光合成による湖の浄化作用まで鈍化し、ついには自然の力では再生できないほど汚染してしまうのだそうだ。

活人拳を主張する意図はここにもある。まあ、環境保全運動を提唱しているのかな…。

―一同沈黙―

昨今は高性能のビデオが普及しているし、携帯電話でもビデオ機能が付いて直ぐリプレーできるし、そんな環境で1点、2点の差を競う審判をするのは相当に難しい。私などは、活人拳の観点から採点したら減点箇所が増えるので、恐ろしくて審判はできないね。活人拳演武については後に回そう。

「子供が剣道をしていますが、審判に対する不満はすでに出ています。家に帰ってスロー再生されるのですから、審判は大変ですね。ダンス競技、空手競技などは、どうなのでしょう。」

――それみなさい! 採点・判定競技は苦渋の時代に突入したのだよ。2016年、空手のオリンピック不採択の一つには、審判の不明瞭があったのかもしれないね。


■少林寺拳法は簡単?難解?

――三鼎三法二十五系の体系を擁する少林寺拳法は、金剛禅門信徒の修行法、教範、著作、開祖法話録などと合わせ広範域におよぶ、とは本稿最初に述べた(『教範/金剛禅門信徒の修行法/拳法の三鼎、三法、二十五系』参照)。

私はここに難解さを感じ、「活人拳=行=命に合掌=為に卍」と焦点を絞ったわけ。言ってみれば簡潔化を試みたのだ。また、活人拳を初等教育に活用するのは、究明する過程で得られた副産物と言えなくもない…。

元来、行とは単純なものではないかな。

<諸悪莫作 衆善奉行=すべて悪しきことを為さず、善きことを実践し、自己の心を清めること、これ諸々の仏の教えなり>。昔、聖句の最初にあった句だが、開祖のご指示で今は二番目の<己こそ己の寄るべ>から唱えている(昭和48年教範には未だあり。51年度版、54年度は未確認)。

仏教の行は、当たり前のことを当たり前に出来ることを目指す!とする単純さが凄い。開祖が言われた「知っていることと出来ることは違う!」のと、共通性を感じる。釈尊は、在家信者には簡潔に教えを説き、清い生活を勧め、教えを身に付けさせようと努められたのだろう。しかし真面目ではあるが、楽しさは感じられない。この点で、楽しい!という概念を導入した少林寺拳法の行とは違うようだ。

「では聞こう。少林寺拳法は楽しい?と聞けば、皆の答えは決まっているだろうから、少林寺拳法は易しい?難しい?」

――難しいです。

「どこが?」

――改めて聞かれると…ちょっと答えにくいです…。少林寺拳法で言えば身体の使い方とか、柔法の技とかが難しいです。あと後輩に対する指導も難しいです。

「この答えは、少林寺拳法は易しくなければならないし、難しくなければならない、という答えが正解だと思う」

――一同?――

「ちょっと、卍の説明の前に寄り道をしてしまった感がなきにしもあらずだけれども、イイだろう。次回に回そう」


■ある日のブログより2題

『◇座禅=静禅に対して、少林寺拳法は動禅と称されます。特に二人組で演武を行なう時にこの状態になるのです。その意味で、競技の演武は虚しい感じがします。

だってですよ!静禅のコンテストなんかあったら困ってしまいますね。

座る姿が美しいか否か、どれだけ座っていられるか、精神状態はどのように向上したか、以上を採点します!なんてことになったら、笑止千万です。


◇◇今回の研修会で各部門=財団よりの伝達事項があり、「学生連盟から上申があり、検討の結果、学生大会の表彰名称を最優秀、優秀から一位、二位〜六位に変更することを許可する(ちょっとアバウトです)」と発表されました。

これはどうしたことでしょう。

最優秀、優秀の制度と一位二位〜六位の順位制度は、天と地ほどの違いがあります。意味を理解していないのではないでしょうか。

少林寺拳法の昇級昇段制度は最低70点獲得を条件とし、出来れば全員合格、出来なければ全員不合格となります。それを大会に当てはめて、今度はバーを上げ、例えば80〜84点は敢闘賞、85〜89点は優秀賞、90点以上を最優秀とするのです。

なので、本来は人数に制限はありません。出ないこともあります。事実、(脱競技化した)昭和48年第12回関東学生大会に於ける三段以上の部に、最優秀演武は該当無しでした。


◇◇◇昇段用に低いバー、大会用には高いバー、二本のバーを設けるのは何を意味するかと言うと、少林寺拳法は人造りだからです(今だったら人造りの行――090827)。これによって、他の組=人の失敗を願わなくなるのです。共に超えた事を喜び合う世界が現出します。

新しい表彰方式なのです…。

フィギアスケートは大変美しいスポーツですが、イヤなところは、真央ちゃんが得点した後にキムヨナが滑ると、無意識に彼女の転倒を願っている自分に気付かされるからです。共に200点を超えたなら、どちらも最優秀で良いではないですか、と思います。

教えを根幹に据えた方式か、他者を否定する競技の世界に足を踏み出すのか、いかがですか!皆さん。』



『◇党首討論の優劣が話題になっています。

今朝の辛坊治郎氏の情報番組で、塩ジイ、寺島さん、江川♀さんが採点していました。10点で割り振ると、6:4(は自民党の塩ジイでエコヒイキ?)、5:5(は寺島さんで五十歩百歩の怒りの採点)、7:3(は江川さんで鳩山氏辛うじて及第の意)なのでした。

これ専門家の採点ですョ。そして塩ジイの採点は、関係者は公正な立場を保てない良例となりました。


◇◇このように採点は難しいのです。近年の競技スポーツはほとんどがビデオ、写真、電子機器を判定や採点に取り入れています。しかしボクシングは未だ目が頼りらしく、なのでKO以外の決着だと、途端に雲行きが怪しくなります。まあ、各ラウンド毎に表示にしたりとかの工夫はしていますが…。

他に目に頼る(特に地方の大会)競技種目、例えば、剣道、寸止め空手、ダンスetcでは、不公平感が出る場合があるようです。昨今は関係者がビデオ撮影している為、家に帰ってスロー再生し、そう思うのだそうです…。


◇◇◇話しが戻って、麻生総理と鳩山代表の採点=順位を着ける、勝敗を決める、もし審判員になったら、頭が痛いですねーー。両者及第ではあるけれども、賞を取れるレベルではない!ここいらが妥当な採点ではないでしょうか。←総理大臣に失礼です。

演武の一点、二点差による順位って、これに相当するんです。ですから少林寺拳法の昇級昇段方式が、採点種目である演武には一番合っているのです。

その点、駆けっこ、マラソン、水泳、的当てetcは、競争に適した種目です。さらに100分の1の差を見れる神の目=電子機器を持っているのですから、(ほぼ)完璧です。

順位制を進めてゆくと我々の人間関係が壊れる、と警告します』





【注意】本「書きたい放題」は気持ちの問題もあり、即日にアップします。ですので、当日中、あるいは翌日にかけ、表現の過不足を改める場合があります。印刷して読まれる場合は数日後にお願いします。表現が異なったまま残るのは、私にしてみれば不本意であります。よろしくご推察の程をお願いします。尚、月日、年月が経て訂正を行なった場合、0908○○と断って訂正するのでご了承下さい。

良いものを残したい、伝えたい、と念じております。



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