| 2005年01月24日(月) |
◆(4)弘前市も卍!?だった…。 |
■「青森県の弘前市のマーク=市章が“卍”だそうです」と、道場の拳士から聞いて驚きました。先週、出張に言った際に知ったそうです。不明を恥じて、いささかショックを受けました。
今日、HPで確認ましたら、やはり卍でした。それで、さっそく弘前市に電話をかけて色々と質問しました。総務課の職員が親切に応答してくれました。
私が少林寺拳法の道院長と名乗ると、卍に関する質問は少林寺サンのマーク変更に伴い何件かマスコミからありました、と言いました。
■弘前市が市のマークを卍にしたのは大変古いようです。明治33年、日本で初の「市」が十数市誕生した際に、津軽藩の家紋であった卍を用いることになった、と言います。徳島の蜂須賀家の家紋も卍です。
開祖は卍が入った鎧を持っていた。――作山先生談。
私も先生の居間にあった鎧は見て知っていましたが、その印が卍であったことは気付きませんでした…。
「卍のマークはどのような意味があるのですか?」
「(何かの資料によると)私心を捨てて人の為に尽くす、という意味があるようです」
なるほど、これは仏教の精神ですね。布施(施捨…という言葉はなかったですか…。注:喜捨でした)の心から出たものでしょう。つまり、卍は精神性を宿しているマークなのです。
■さて問題はここからです。先ほど“不明を恥じる”と書きましたが、皆さんも知っていましたか? 青森県の拳士は当然知ってたでしょう。公共の…県庁所在地のある市ですからね。我々に例えるなら、横浜市のマークが卍だったくらいの事実です。しかし、あまりに一般的には知られていなかったような…。
余談ですが、青森県と秋田県は秀吉の時代に起きた津軽地方の所有問題(アバウトです)を遠因にし、あまり仲が良くない、と司馬遼太郎氏が何かの本に書いています。
少林寺拳法を遡ること五十数年も前から、同じ卍のマークを使っていた市がこのように知られていなかったことに引き比べ、我々は卍で日本制覇?を成し遂げていたのは事実のようです。弘前市はその証明なのです。もう一つ、卍が日本では公共関係で使用されていた意義も大きい…。
さらに担当者は、これまでマークがハーケンクロイツと同じようで気に入らないとか、変えろとか、市民から言われたことは無く、先輩方からも聞いていない、と言いました。
■本当に惜しかったですね。無念の思いが再燃してきます。あと一歩のところまで来てたんです。卍がただ単に地図でお寺を示すマークなのではなく、平和の意味を持つシンボルであることを世界公認にできるまで…。
これが少林寺拳法で達せられたら素晴らしかったですね。歴史的な偉業となりました。地団駄踏んでいます…。
注:弘前市には現在、市町村合併の問題があり、もし新市が誕生する場合、市章をどうするかは未定との事です。
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この書きたい放題をアップした直後、ある道院長の方が
「…私も弘前市のホームページ見ましたが、りんごのマークは今回のソーエンと似てませんか?添付資料見てみて下さい。(もうきずかれているとは思いますが)」 とメールして下さいました。下はその返信です。記録してきます。
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似てる?似てない? 投稿者:あつみ♂ 投稿日: 1月24日(月)16時39分50秒
◆只今、ある道院長の方が「書きたい放題」を読んで下さり、弘前市の、別の新しいシンボルマークを転送して下さいました。私も見たことは見たのですが、双円の“アイデア”と瓜二つ?とは気付きませんでした。
これはあまりにもアイデアが似過ぎている…。それは人間ですから、アイデアが似てしまうことはあるでしょう。しかし元々が卍の市章でしたから、ちょっと…どうでしょうねー。
卍が極まって双円のリンゴになったのかなー。
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回答が… 投稿者:あつみ♂ 投稿日: 1月24日(月)17時39分19秒
◆○○先生、こんばんは、知財法人に質問しましたら、双円のデザインは巷にあり、双円だけでは一概に類似とはならない、我々は盾と共に用いています、という見解のようです(要約です)。
送付して頂いたアドレスによると、真言宗の某派でも採用されているようですが、…この問題は知財法人の公的な説明=見解を待ちましょうか…。
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↑さらに追加します。
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