道院長の書きたい放題

2003年09月29日(月) ■双龍出海(2)/動機と追憶

■「双龍出海」という言葉を公?の場で発言したのは、九月十四〜十五日、高萩で行われた四道院(今回は三道院)合同有段者合宿である。

それぞれの道院長(鈴木、作山、渥美)が各自の研究テーマを発表するということで講義した。かなり前から両腕による捕り=剛柔一体技法を考えていて、こつこつと研究して来たものである。

発端となったのは、ある時(十年以上前)、少林寺拳法には両拳に構えたもの、例えば左右の中段構えに類する構えが意外に少ない、という事実に気が付いたからである。

■昭和四十年度版教範では、白蓮八陣、義和九陣を合わせても計四陣しかない。特に白蓮八陣には一陣(開足中段構え)しかない。それに対して両開手による構えは五陣(合掌構え、八相構え、待気構え、逆待気構え、合気構え)がある。つまり、ほとんどが両開手の構えなのである。

そして、教範「第八編、単演基本法形/第三章、白蓮拳」の中で開祖は、「白蓮拳というのは、本来白蓮門系の剛柔一体の徒手格闘法」と述べられている。

これは何を意味するのであろう…。先生ご自身が述べられているように、再編の過程で、あるいは失われたものがあるのではあるまいか…。

■ちょっと自分のことを述べさせてもらう。最近、小学一年生の時の絵日記が出て来た。その中に、居合抜き?を見学したことを書いて/描いているのが大変興味深い。

「きのうぼくとおかあさんと、Oさんのおばちゃんといあいぬきをみにいきました。とてもおもしろか(っ)た。」(1957年/昭和三十二年八月一日)という文章と共に、会場の風景と二人の剣士の対戦?を描いている。

一人は正眼の構えを取り、もう一人は二刀流を十字に上段で合わせた構えで対峙している。両者は袴と鉢巻をして、二刀流の剣士は正面を向いて目を見開いている。どうも六歳児であった私に、二刀流は強烈な印象を与えたようである。

■後年、高校生になって(小学生三〜四年まで柔道を習ったので)、再度武道を習おうと候補になったのは、まず居合抜き、次に空手か少林寺拳法であった。当時は何故、居合抜きを習いたいのか分からなかったが、この時の体験が無意識下にあったのだろう。

作山先生が『月刊武道』において、「可能性の種子達/魂魄を育てる」を連載執筆中である。少年期の強烈な思い出が人生に永く作用するのは…事実である。

今、様々な法縁を得て「双龍出海」は発言された。

■『私にとって「真の活人拳の完成を目指す」とは、自分なりに活人拳を紐解いて行くことを意味する。それは取りも直さず、自己の変革を同志と共に目指す道に他ならない。付け加えるならば、道は楽しい方が良い。』

上の言葉は本HP、「私の主張/プロローグ」で述べている。両掌使用による技法は相手を傷つけることがない。不殺活人拳の理想形となり得る。さらなる研究を進める覚悟である。


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あつみ [MAIL]