道院長の書きたい放題

2003年09月09日(火) ■技法と指導法を考える(5)/鉄砲!鉄砲!

■ちょっと書き渋ってしまう…。二十代後半の頃、海外某国にN先生(注:中野先生ではない)と出掛け、帰国する際の出来事である。

出発前、人々が行き交う空港ロビーでくつろいでいると、突然N先生が「あっ!? 鉄砲!鉄砲!」とスットンキョな声を上げた。「何言ってんの…?」。怪訝な顔をして見返すと、前方を見据えた目が点になっていた。つられてそちらを見ると、なんと10m程先に男が腰ダメで黒い棒=銃を構えていたのだ。

私がその男の姿を認めたと同時に「キャー!」という大きな悲鳴が上がり、周囲の誰もがあわてて床に伏せた。無理もない、当時、テルアビブ空港でオカモト何某の銃乱射事件の起こった程ない後だったからで、かなりの人が同じ事件を連想したであろう…。

■私たちも同様にカウンターの陰に伏せた。見送りに来ていた知人の女性は無理矢理、身を伏せさせられたので、事態が飲み込めずに青ざめていた。

面白いもので、沢山の人がいた筈なのに、自分だけに弾が飛んで来るように思えた。で、ほんのちょっとはみ出していた私と彼女の足でさえ、必死に手で手繰って引っ込めたのだ。

「外に逃げよう!」

「動くと撃たれるョ!」

■どちらの判断が適切であったか…。とにかくN先生が外に向かって走ったので、私たちも後に続いた。頭を低くして右手で女性の手を引き、這うような姿勢であった。

無我夢中であったとはいえ、胸ポケットに入れてあったコインがバラバラと音を立てながらこぼれ、パスポートは落ち、それをN先生が素早く拾ってくれた。…散々の体たらくであった。

余談であるが、反対の出入り口に非難するまで、数発の銃声が聞こえた。そして一人の警官が顔にケチャップが掛かったような状態で、数人の同僚に仰向けに担がれて出て行った。多分死んだに違いない…。

■鈴木義孝先生の十八番/おはこ?の法話である。「…ある時、先生に、(神技を期待して)銃を突きつけられたらどうしたら良いんでしょう? と尋ねましたら、『黙って手を上げたら良いではないか』と答えられました。どうも釈然としないので、では撃たれたらどうしますか?と食い下がりますと、『その時は、どうしようもないじゃないか』と答えられたので、なにか吹っ切れました」(要旨)。

(実際は関西便でもっと面白い。確か…「お前、アホか!」が入って、「その時は、どうしようもないやないか」だったと思う…)。

■開祖が満州で活動されていた頃、奥地に出向く時は身に寸鉄も帯びなかったそうである。護身用に銃を携帯した者はみんな殺されたという。

「夜中寝ていると、どこからともなく手が出て来て身体を触られるのだ。銃を持っているか(日本軍の手先か)と確かめていたのだろう。わしは、どうせ死ぬ時は死ぬんだと思っていたから、何処に行くにもいつも無手で、かえって無事だった。これも、拳法をやっていたからだと思う」(要旨)。こんなお話を聞いた記憶がある…。

イザとなったら何とかなる。肉体に根ざした自惚れでない自信を得る為に少林寺拳法を修行する。これは同時に、「本当の強さとはなんであろう」という自身への問いかけとなる。

■まあ、戦場などとは比べものにならない小さな体験であった。しかし銃に逃げ惑った(情けない)経験は、道院長になって間もなかった私、というより、拳法人生を歩む矢先であった私にとって、得がたい教訓となった…。


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あつみ [MAIL]