Estrellitaの日記
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2001年11月30日(金) |
伴奏合わせ、C,ドゥラングル、サクソフォン・リサイタルを聴いて |
朝7時起床。 携帯電話の電源を切っていたため、母が私の屋上の部屋に上がってきた。今後のことなどいろいろ話した。 7時半出発。青物横丁より京急を使い新馬場まで行く。朝食を「ヴェローチェ」でとる。そこで、昨晩から読み始めた「うまい文章の裏ワザ、隠しワザ」を読む。 9時半、品川図書館へ。 いくつか本を手に取り、興味深いものに見つける。その中で、女流作曲家の生涯を集めた本から、6人組の一人「タイユフール」を見つけ、彼女の生涯を一気に読む。波乱万丈の人生だ。特に父親から音楽家になることを厳しく反対されたあたり必ずしも恵まれた環境になかったのだなと感じた。第1次大戦中は看護婦の見習いもしたらしい。結婚をあっさり決めるあたり、恋愛に関しては「淡白」だなと思った。金銭的問題が第一なのか。いや、彼女だって、ヴァイオリン奏者ティボー氏との恋愛はあった。結婚や出産には結びつかなかったのだが。恋愛と結婚はこの人にとって別だったのだな。一緒にしたいと考えている私が間違っているのか?音楽家の生涯を読む時、ついこんなことをちらっと考える。
図書館で13時頃まで椅子に座って寝る。 京急を使って立会川へ行き、コンビニでおにぎり2個、ジュースを買い、南品川文化センターの休憩コーナーで食べる。 14時から16時まで松元さん宅で伴奏合わせ。 「愛燦燦」を初めに合わせる。お互いの旋律部分、伴奏部分、オブリガートのニュアンスのバランスをチェックする。2回目の通しで録音してみる。 「いつか王子様が」に進む。あまり速くならないように落ち着いたテンポで演奏することに決まった。全体はスィング調のアレンジになっているが、最後だけ2連符に戻るように楽譜上で指示されている。私はその指示を無視して最後までスィングしたまま終える。松元さんから「楽譜どおりにしたほうがいい」と指摘される。何度か吹いてみて直す。 私はその他にそこの部分で、楽譜上のdim.を音楽の流れからしてcresc.にする。それには松元さんも同意してくれた。 3曲目は問題の「アディオス・ノニーノ」。冒頭のサクソフォン無伴奏ソロに続き、伴奏を伴った穏やかな旋律部分で、私はピアノのアルペジオの伴奏に対して「もう少し静かに弾いてください」と注文した。(ここは1番美しい部分だと思う。)その次のPiu mossoはあまりテンポを上げないことに決定した。その後、タンゴテンポに移るが、特に問題なく通り過ぎ、後半のピアノ・アドリヴソロを経てクライマックスに突入する。最後の小節のサクソフォンによるロングトーンの長さをピアノのグリッサンドの動きににぴったり合わせることに慣れるため、その部分をお互い何度も繰り返す。「いかに格好よく終わるか」で私は悩んだ。それでも、あまり動きが派手にならないことに落ち着いた。使用リード6(6/22)。 この後、銀座の浜離宮朝日ホールへ「C.ドゥラングル サクソフォン リサイタル」を聴きに行った。 立会川から新橋まで京急、都営地下鉄を使って380円。新橋に16時半に着く。まず、YAMAHA銀座店で新しい楽譜がないか、寄ってみる。開演までまだ時間があるので近くにインターネットが使える場所を探したが見つからなかった。そのままホールへ向かう。夕食をホール近くの牛丼やで食べる。280円。 それからホールに着くがまだ6時前で1時間以上あった。日記の下書きをした。 6時45分にホールへ入る。席についてから懐かしい人から挨拶された。今現在、ノワイエカルテットでバリトン担当の石田さんだ。予期せぬ挨拶に少し驚いた。そのほか、セルマーの大石さんにも挨拶された。 演奏は前半20世紀初頭のオリジナルであるカプレの「レジャンド」から始まった。切れ味の鋭い素晴らしい演奏。ピアノの野原さんの美しくスケールの大きい演奏もそれを良く盛り立てていた。私個人の意見だが、ドゥラングル氏の演奏は19世紀から20世紀初頭の作品に良く合う。CD収録のサンジュレーのコンチェルティーノは本当に感動的だ。これを何度も聴いて涙がこぼれてきた。このように吹きたいとヴィブラーのかけ方からアゴーギグ、音色、タンギングなどを必死で「真似」した。でも残念ながらそれには全然及ばなかった。 次の曲ははじめて聴く曲。とてもきれい。 3曲目はかの有名なデザンクロの「プレリュード、カデンツァとフィナーレ」。ベルギーディナン市でのコンクールの第1次予選課題曲だった。学生へのサービス曲として演奏したのか?冒頭の演奏から私がこの曲に抱いていたイメージとは違っていた。私がパリで習ったデファイエ氏の演奏、それから最近のモレティ氏の演奏が強烈でこの軽さにはついていけなかった。アンケート用紙にもフランス語で「この演奏は軽すぎる」と書いた。私は、「もっとロマンティックな」曲だと思う。(ここでロマンティック、ドラマティック、レジーェルなどの言葉本来の持つ意味に発展するが、それは次回考えたい。)ミュール氏の叙伝でのデザンクロ氏の紹介によれば、「彼は、自分を他から評価されるほどに自信をもっていなかった」らしい。フランス人にしては珍しく謙虚な姿勢だ。私が勝手に想像したことだが、この人の作品に「軽さ」はあってはいけないのだ。今日の演奏は残念でならない。パリ音楽院初見科教授、パリ管主席Cl.奏者、G.ダンゲン氏いわく「M.Derangle decouvre tote suite la musique.」(試訳:ドゥラングル氏はすぐに全ての音楽を発見する)と賞賛していたが、それが逆に「一つ一つの作品を練り上げすぎない」ことからくる演出不足なのか。もっと演奏する時、(たとえ彼自身に違和感があっても)作曲家になりきってほしかった。
後半、氏のお弟子さんで構成されたラージアンサンブルを従えての3曲。本当に楽しそうだった。現代曲でのスラップ多用はお見事。私には何度練習してもできないことだ。 最後のヴィラロボスの「ファンタジア」は完璧に決まったが、特に第1楽章での各フレーズの音の減衰が極端で、私にとって少々退屈に感じた。 アンコールでイトゥラルデの「チャルダーシュ」は感動的。本当にカデンツァなど自由に創作していて素晴らしい。氏の響きが良くこの曲に合っていた。 2曲目も素晴らしかった。残念ながら題名は分からなかった。 ホールを出た時、ロビーで齋藤貴史さんと一瞬眼があったが、にらまれたように感じた。挨拶しようとしたが、眼をそらされた。(もし違っていたらごめんなさい。) クロークに預けた荷物を受け取り、アンケート用紙を受付に出してすぐにホールを出た。 帰りは大江戸線、都営地下鉄で五反田まで行き、スペースバンクに2時間ほど滞在した。 今日聞いた「レジャンド」の楽譜を検索した。fuzeauという出版社で見つけた。すぐに注文した。実は私も練習を始めたい。 11時過ぎに帰宅し、ワードを使ってずっと日記の下書きをしている。
注:今日の文章はまだ不完全なので、少しずつ訂正されるでしょう。
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