インコの巣の観察日記
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掲示板を見て頂いたらお分かりかと思いますが、 私は苦手なカタランにもめげずに、Malaga戦の実況に付き合いましたが、 試合が終わった時には「私の睡眠時間返せ!!」とマジで叫びたくなった(笑)
5失点って結果に打ちのめされた私は、 インコちゃんの昨日の試合の記事を拾いに行く気力がありませんでした。 ゴメンなさい...まだ、MARCAもasも何も見てない(^_^;)
ホ〜ント、何かに魅入られたように失点を重ねてしまいましたね、Mauriさん。 たぶん、途中で集中力切れちゃったのかもね。 アナタは最後まで闘い続ける人って知ってるけれど、 でも、こういう日もあるよね。
日本の高校の部活と比べちゃ失礼だけれど、 ウチのチームでも、こう言うことありました。
「足止まってるぅ〜!!ボールを目で追うんじゃない、足で追いなさいよ!!」 ベンチから叫ぶ、私の声は聞こえていていても、体が反応しない部員さんたち。 ホント、エアポケットに入ってしまったかのように、 簡単に相手のシュートが枠を捉え、ネットを揺らす...。
「分かってるねんけど、体が動いてくれへん。思考能力も低下して、 すっごい判断も遅なってるねん。それも分かってるねんけど、どうしようもない。 そんな試合ってあるねん。何してもアカン時はアカン... せやから、気持ち切り替えて、次の試合に全力で当たって勝つべく、 また練習頑張らなあかんねんなぁ...。」 そんな話を、ウチの部員さんたちと話してたことを思い出します。
きっと、昨日のPericoたちもそうだったんじゃないかな。 Pocheが力を抜くことなんて絶対にありえないから。
- 私とTayfun兄さん -
今日は試合について書く気力がないので、別のネタを。 ayamomoさんがLINKして下さった御礼に(笑)、私とTayfun兄さんのことを少し。
で、最初にまずはお詫びと言うか訂正...最近謝ってばかり(苦笑) Real Sociedadの監督ですけれど...私、順番を間違えておりました。 順番で言うと、Javier Clemente → Periko Alonso (XaviとMikel兄弟のパパ) → Toshack こうだったんですね。
で、Real SociedadにToshackが連れてきたトルコ人って、Nihatで、 ArifとTayfun兄さんって、Clementeが連れてきたんだったわ(苦笑) 00/01シーズンにはClementeクビになってるって勘違いしてた(苦笑) 彼が解任されたのは00/01で、99/00じゃなかったわ。
そうそう、Bernd Kraussが99/00シーズンの途中でクビになって、 (私はこのKrauss監督時代のReal Sociedadが大好きです)、 後を引き受けたのが、Clementeなんですよね。
まぁ、もともと私はこの監督に対して良いイメージを持ってなかったので。 と言うのも、スペイン代表監督時代から、いつも誰かと衝突していると、 そういうイメージしかなかったし(笑)、 それにこの人の余りに守備的過ぎるサッカーが、私は好きになれなかったから。
“スペイン代表に期待してるのは、結果を残すサッカーじゃない。 そんなのは、イタリア代表に任せておけば良い。 もっと、自由に魂を解き放つような、そんな開放的なFutbolを見せてよ!!”って、 94年のアメリカ大会でもEURO96でも、文句ばっかり言ってたっけ(苦笑) で、話はTayfun兄さんに戻りますけれど、 00/01シーズンって、俄かにLiga Españolaにトルコ人が増えた年でした。 Real SociedadにはTayfun兄さんとArifが、FenerとGalataからやってきた。 Las PalmasにはOktayさんがBesiからやってきた。
恐らく...GalatasarayがUEFA CUPを制したことが引き金となった... この頃に、皆が気付き始めたんでしょうね。 トルコの選手の能力の高さ、技術の高さに。 それに反してブレイクする前だから、 市場が選手につける値段はぜんぜん安い。 だから、Real Sociedadとか、Las Palmasのような、 お金の全然ないチームでも、彼らを買うことが出来た。 しかし...先駆者たる者が苦労するのは、 いつの世のどの世界でも一緒。 ArifがReal Sociedadを去った経緯については、 詳しいことは覚えていないのですが、 この人、00/01シーズンにやって来たのに、 00/01シーズンの途中でトルコに帰っているんですよね。 多分、半年もいなかったような気が...。
もっとハッキリしているのは、Las PalmasのOktayさん。 あの人...シーズンが始まる前にいなくなったんじゃなかったっけ??(苦笑) 同じチームの英国人Samwaysとケンカして。 シーズンイン前に荷物まとめてカナリア諸島からいなくなった。 「チームメイトが自分に対して敬意を持って接してくれない」と。
この事件に対して、そう...日本でも言われてましたね。 「トルコに逃げ帰った」って(涙) トルコに帰っても所属チームがない、と言うか、Las Palmasと 契約を解除しない限り、他のチームに移れないOktayさんですが、 結局カナリア諸島のチームからレンタルに出すと言う形で、 11月に契約問題に決着がついたから、Trabsonsporへ行ったんですよ。 確か、彼にはこう言う経緯があったと思います。
さらに言えば、1シーズンずれますが、 01/02シーズンにGalatasarayから魔女島やって来た、 Fatihも馴染めなくって、半年で帰っていますよね。
そうやって、何人ものトルコ人がスペインへやって来たにも関わらず、 その大半があの国の生活習慣だとか、スペインリーグに馴染むことが出来ずに 志半ばで、イベリア半島を後にしていたのです。
そんな中...Tayfun兄さんだけは残った。 不思議に思った私は00/01版"Guía MARCA"を引っ張り出してきて、 Tの項目から、TayfunのProfileを確認した。
Tayfun Korkut:02-04-74 Stuttgart (Alemania)
あ...!!この人、グルベッチなんだ!!
トルコ生まれのトルコ育ちとは違い、ドイツという、 言わばスペインと同じキリスト教文化圏を経験している そんなTayfun兄さんには、この国の人たちを理解し受け入れる素地があった。 そして何よりも、彼はドイツの市民権を持ってる。 彼は外国人枠を気にする必要がないのだ!! だから残れた…私は、そう理解したのでした。
とは言うものの、同じトルコ人であるArifが帰ってしまい、 チーム内でトルコ人は自分独りだけとなり、 初めての国の初めてのチーム、そしてトルコリーグとは比べ物にならないほどに厳しい、 世界3大リーグの1つであるLiga Españolaで戦うことは、 非常に彼にタフな精神力を要求したはずです。
オマケに、Clementeは開幕から2ヶ月でクビになりました(苦笑) いきなり、後ろ盾を失ったTayfunさん。
私が、どうしてTayfunさんを気に掛けていたかと言えば、 トルコからスペインへやって来たものの、 早々と後ろ盾である監督を失い、自身も大きな怪我を負い、 結局自分の居場所をスペインの白いチームの中で見つけることができなかった、 あの男の姿を思い出したからです。
「Tayfunさん、元気にしてるかな??」 「Real Sociedadに馴染めているかな??」
ある日の夜こと。いつものようにスペインのお昼のニュース、 15:00〜のTelediarioをTVE Asiaで見ていたら、 Real Sociedadの会見当番はTayfun兄さんだったらしく、 彼の姿が映し出されました。
「スペイン語…上手くなったね」
移籍当初はドイツ語で話す姿しか見なかった彼が、 話し方はとてもゆっくりではあるけれど、 ちゃんとスペイン語で自分の意思を表明していた
その瞬間、なぜか私は確信したんです。 「大丈夫、この人はもう…スペインでやっていける」
単純でしょ??スペイン語で会見するようになったのを見て、 それだけで大丈夫だなんて…。 でもね、スペイン語を話すTayfun兄さんの姿に スペイン語を覚えようと言う気持ち、この国を受け入れようと言う気持ち、 そして彼にスペイン語を教えようとする人たちの気持ち、 彼のことを受け入れようとする気持ち、 そんなものが、私には感じられたから。
翌シーズンの冬のMercadoで、ToshackはNihatを連れてきた。 ToshackがBesiktasの監督をしていた頃から目をつけていた逸材。 彼をSan Sebastianの街へと連れてきた。
しかし…その3ヵ月後にToshackはいなくなった。 「また…ですか??アナタは、いつだって中途半端に置いて行くのですね!!」 私は怒った。独りReal Madridに残された、Baljicの姿が思い浮かんだ。
後に残されたNihatのことが心配だった。 でも、私はすぐに思い直した「大丈夫だ、Nihatなら。」
「だって、ここにはTayfun兄さんがいるんだもん!!」
Real Sociedad移籍1年目、怪我もあってNihatは思ったような活躍が出来なかった。 しかし、そんな彼に焦りは見て取れなかった。 次のチャンスが巡ってくる事を、皆が待っていてくれてることを知っていたから。 だって…このチームのトルコ人選手に対する信頼が揺ぎ無いものだから。
それを築いたのは…Tayfun兄さんだった。
私は、NihatがBesiにいた時から知っていた。 彼ならきっとLigaでも通用すると思っていた。 だから…BaljicやArifやOktayさんのように 中途半端にこの国を去ることだけは避けさせたかった。
Real Sociedadのみんなに、彼の復活を待っていて欲しかった。 「Tayfunさん、Nihatを守ってあげてね」
兄さんは、その仕事を見事に果たしてくれた。 02/03シーズン、才能を発揮したNihatの活躍は欧州中の人が、 いや、世界中の人たちが知るところとなった。 そして、Tayfun自身もReal Sociedadの快進撃を支える1人となった。
ボスニア生まれのあの男が叶えられなかった夢を、 彼らが代わりに果たしてくれたような、そんな気がした。
私は、TayfunさんとNihatに、Baljicの夢を託していたのかもしれない。 だから、彼らの活躍が何よりも嬉しかったし、 Real Sociedadの成功を、心から祝したかった。
03/04シーズン、Tayfun兄さんとNihatは別々の道を選んだ。 ちょうど、PochettinoとGabi Heinzeが別々の道を選んだのと同じように。
彼らが選んだ道は、決して平坦な道じゃない。 それぞれが、悩み苦しみ、さまざまな思いを胸に 自分の道を行こうとしてる。
結果が数字に表れなくても、私は彼らみんなが勝利者だと思ってる。 いつ、いかなるときも、己が全てを賭けて闘う、 その気持ちを持ち続けているのなら、彼らは勝利者なのだ。
昨日の試合、Tayfun兄さんは久しぶりにピッチに立ちました。 結果は…勝てなかったけれど、私はインコに彼の力が必要だと思ってる。 出番がなくても腐ることなく、いつ自分の力が必要とされても 応えられるように、ずっと自分を律し待っていたTayfunさんは立派だと思う。
これからも、長く険しい戦いの道を行けねばならぬインコたち。 私は信じてる。シーズンが終わった時、みんなで笑い合えることを。 Anoetaで見せたのと同じTayfunさんの笑顔が見られることを...。
あ〜、何が書きたいのか、ワケの判らない文章になってしまいました(大汗) 最後まで、こんな駄文にお付き合いくださり、有り難うございました!!(^_^;)
追伸:本館の方の日記、2002年5月22日に書いてますが、 私、このTayfunさんがトルコ代表のメンバーから落ちたのを知ったとき、 結構ショックだったんですよ(笑) 「なんでおらへんのぉ〜??」って。 何せ、Ogun Temizkanogluが落ちたってので相当ヘコんでいたところに、 追い討ちかけられましたから…あの時ほどSenol Gunesを恨んだことはなかった(爆)
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