A Thousand Blessings
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2006年10月24日(火) やすきぶし

僕より3歳年上(今年、54歳)のジャズライター(なのかな?一応そういうことに
しておこう)、中山康樹という人物がいる。かなり有名だよね。
会ったこともないし、顔だって知らないが彼が書いたものを読んでいると、
感性に何となく僕との共通点を感じてしまって、ちょっと嫌だ(笑)
もちろん、知識量や情報収集能力などは、僕には到底太刀打ちできるものではない。
音楽の細かい部分へのこだわりを感じさせながら、それらの表現には
独特な軽さがあって読みやすい。押し付けられているのに、そういう
感じを読者に与えないのは一種の処世術かもしれないな、などと考えてしまう。
いきなり音楽の核心をついてしまったりして僕の膝を叩かせる一方で、
こいつアホか?と思わせる落し技を平気で繰り出す臆面のなさ。
異常な音楽好きという共通点に一人受けたり、時には引いたりと。
読んでいて、好きになったり嫌いになったり。
萩原健太に「中山康樹のビーチボーイズ論なんて、後付けでしょ?」(こんな内容の
発言をされた気が。違ってたら文句のメールください。即座に削除します)と
言われても発言をしつづける。「後付けでしょ?」という発言に見られるプライドに
対して「それで悪いか!」と返答しているかのような(笑)。おもろい。


いわゆる、『マイルスを聴け!』『新・マイルスを聴け!!』『エヴァンスを聴け!』
『ジョン・レノンを聴け!』『ディランを聴け!』『ジャズ名盤を聴け!』 
などの「聴け!」シリーズ。


『ジャズの名盤入門』『超ブルーノート入門』『超ブルーノート入門完結編』
『マイルス・デイビス完全入門』『マイルス海賊盤ベスト50〜本当のマイルスが
分かるウラ名盤入門』『超ビートルズ入門』『超ボブ・ディラン入門』
『JAZZ聴き方入門』『大人のジャズ再入門』
『ジャズを聴くバカ、聴かぬバカ〜超裏口入門』 
などの「入門」あるいは「超と入門の合わせ技一本」シリーズ。


『ビーチボーイズのすべて』『ビートルズアメリカ盤のすべて』
『ビッチズ・ブルー〜エレクトリック・マイルスのすべて』
などの「すべて」シリーズ。


『ペットサウンズ/ビーチボーイズ』のような一点集中シリーズ。

で、音楽しか楽しみのないオタクの心情を吐露した『音楽中心生活』 
みたいなやつ。読んでないけど(笑)


このライターのネーミングセンスは、大学入試参考書とほぼ同じ。
「入門」したら「超」「名盤」を「すべて」「聴け」と言っている。
で、このセンスは実は僕のセンスと多少かぶっていると思うのだ。
たとえば、僕でいえば「ベスト20」「ベスト50」「ベスト100」
「この10枚」「この20枚」「この100枚」「二十撰」「五十撰」
なんていうシリーズみたいな。
中山康樹もタイトルをつける段階から、すでに文学的であろうとする
意思は捨てているように思える。
書かれている内容は超主観的な結論を引き出すことに終始している。
この尊大さ、この音楽宗教信者ぶり、
思い込んだ瞬間それが世界の真実になるという自分への熱狂。


そういうものを僕は、評価したくなるのだ。いや、したくなってきたのだ。
画数の多い難字をあえて引っ張り出してきて、
わけのわからないエセ文学的な表現で読者を煙に巻くスノッブ野郎
が、どんなに逆立ちしても表現できない中山康樹の「思わず僕の膝を叩かせた」
文章を抜粋してみよう。あ、勘違いされると困るけど、僕、中山康樹、
あんまり好きじゃないすから(笑)

ちなみに中山康樹は「究極」「天才」という言葉もお好きだ。



               ▼


以下、『ビーチボーイズのすべて』より文章抜粋。


● 間奏、このギターの「チャッチャ、チャッチャ」の刻みだけで
人生やっていける  “don’t worry baby”

● 2分20秒からファイドアウトで消えていくまでのウットリ感は
何ものにも代えがたい。後年ブライアンはソロアルバムでこの「ウットリ」を
延々とくり返す。  “the warmth of the sun”

● この音像は絶対にモノラルで正解だ。ギュッと詰め込まれた圧縮感が
“拡がり”(ステレオ)に変わったとき、スピードは減速する。 
“i get around”

● イントロは、あふれ、こぼれ、だがどこにも流れることなく、
ずっとそこにとどまる。  “olease let me wonder”

● 「サマー・デイズ」というアルバムの最高傑作はと聞かれたら、
曲名ではなくこのイントロを挙げたい。わずか21秒。12弦ギターが
メロディーを奏で、ホーン・セクションが雲がたなびくようにゆったりと
入ってくる。    “california girls”

● 最初の衝撃は浮き立つようなイントロの直後、6秒目にやってくる。
この一打を聴いて「たしかに何かが違う」と感じなければ、その人は
「ペットサウンズ」を理解する事は永久にできない。
“wouldn’t it be nice”

● クライマックスは自転車の警笛音(1分26、29、32秒)につづくエンディングに
訪れる。誰がこのような結末を予期しえたろう。いつしかイントロのメロディーに
戻り、そこから壮大なコーラスが立ち現れる。  
“you still believe in me”

● まるでサウンドだけが漂っているようだ。ブライアンのファルセットも
完全にサウンドの中に溶け込んでいる。  “don’t talk”

● エンディングの3声によるコーダは、ブルースが上、カールが中、ブライアンが下
とされているが、カールは疲れて帰ってしまい、ブライアン(上・下)と
ブルース(中)だけでレコーディングされた。だがコーダにおいてブライアンが必要と
したのは、カールよりもブルースの声だった。  “god only knows”


この本の「ペットサウンズ」の曲解説の部分で、
中山康樹は、意識的にか無意識的にか、一度も“転調”という言葉を使っていない。
僕なら少なくとも20回以上は使うと思う。「ペットサウンズ」の作曲法の肝の部分だと
考えるから。以下は、想像だが、音楽オタクの中山康樹は
「ペットサウンズ」に深く入り込んでしまうあまり、曲の成り立ちよりも
音そのものの不思議に耳を奪われていったのではないか?と。
で、実はそのことこそが、「ペットサウンズ」の魔力であって、
深くのめりこんでいる時は、音以外のものは見えてこないし、聴こえてこないのだ。
いや。もちろん聴こえてはいるのよ。転調の意味だって熟知してるのよ。
でもそれを考える余裕もなく、エクスタシーに達する訳だよね。
それが正しい「ペットサウンズ」の楽しまれ方だと。思うね。
転調云々を語ってる僕は、ちょっとアカデミックなものに毒されているかも。

反省じゃ。


響 一朗

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