A Thousand Blessings
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2006年09月03日(日) |
By All Means Necessary |
今日もまだ8月30日。1日で3日分(9/1、9/2、9/3)の日記をアップしてるぞ ^_^; 昨日と一昨日の分も合わせて読んでね。
昔はこんなのあったっけ?すごく気になっている。 幼い我が子3人を飲酒運転の市職員に殺された夫婦と 高専に通う大切な娘の命を何者かに奪われた夫婦。 共にテレビカメラの前でマスコミのうじ虫どもに現在の心境を語っているのだ。 後者に至っては、殺された翌日にである。悲痛な叫びにも似た思いが 痛いほど伝わってはくるのだが、それでも、不自然さに不愉快になってしまった。
僕の子供が、いや子供だけではない、両親が兄弟が愛する人が大切な友人が もしも突然理不尽な形でその命を奪われたら、おそらく立ち上がる気力も失せ、 ましてや他人に思いを語ることなど不可能だと考える。 それが自然な反応だと思うのだ。いくらマスコミに懇願されても、何十本もの マイクに向って何かを語る必要などこれっぽっちもないのに、 何故、あの方たちはそれに応じてしまうのだろうか。
最初は、単に人間としての情が薄いのか、と思った。 次に宗教的な何かを考えてみた。でもどちらもしっくりこない。対峙する相手は 殺人犯である。単なる事故ではないからだ。 最後に思ったのは、マスコミ(といっても多くはワイドショー的なもの)に毒されて いるのではないか?ということ。ひとさまのプライバシーもお構いなしに、 夫婦の寝室にまで上がりこんでくるようなマスコミの反倫理的な行動原理 を生理的に受け付けない人が減ってきているように思えるのだ。 拒否するという発想が生まれなくなっている。受け入れるのが 当たり前のようになっている。何故なら視聴者自らが日々他人のプライバシーに 興味をかきたてられ、それを報道(放送)するマスコミのうじ虫どもの 反倫理性に加担しているからだ。そういう覗き見趣味的ななものが 一種のウィルスのように一般市民の中に感染していき、やがては自分が 覗き見られていることにも不感症になっていくのではないかと、考えてしまう。
テレビを見ていた僕の母親が「私だったら、そのまま寝込んで、死んじゃうね」と 呟いた。僕も、、頷いた。
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昨日の日記で並べたヒップホップ10枚だけど その後、膨大な数のアルバムがリリースされてるのね。 僕がヒップホップを聴いていたのは、80年代終わりごろ〜90年代半ば。 それ以降は、急速に興味をなくしていったよ。なくした原因は、わからない。 たま〜に、思い出したように一枚二枚買ったが、愛聴盤にはならなかった。 今の若者は「ブギー・ダウン・プロダクションズ/バイ・オール・ミーンズ・ ネセサリー」を聴くのかな。現在のヒップホップシーン、 あるいはヒップホップ好きの嗜好がわかんなくなっちゃた。別にいいけど。
グランドマスター・フラッシュ!うひゃぁ〜懐かすぃ〜〜!! ↓
「Grandmaster Flash/Adventures On The Wheels Of Steel 」■
注文しちゃおうかなー!
噂の映画「オープン・ウォーター」(一種のサスペンスホラー?)をレンタルしてきた。 いやぁー、ここまで欠点が多いとね〜・・・。 何もかもド素人の作品って感じだ。意味不明なショットがインサートされたり これもまた意味不明に主人公のヘアー丸見え全裸が登場したり(笑) 一気にストーリー的に重要な時間をすっ飛ばしちゃったり、、 カメラワークは大学生の自主映画並みだし、だいたいちっとも怖くないし、 だいたい、あの男は、あれくらいのあれで最後はああーなっちゃうのかい? でもって、あの女は、あのことがあったから、ああーなっちゃうのかい? 超薄味ですなー。でも評判はいいようで。ご愁傷様。380円返してください。 この手の映画では、「CUBE」以降、まともな映画が出てこない。 アイデア先行型映画にロクなもんはないな。
響 一朗
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