A Thousand Blessings
2004年1月〜最新|ひとつ前に戻る|ひとつ先に進む
2005年09月25日(日) |
テレビドラマ「祇園囃子」の超愚作ぶりに驚く |
「北の国から」以降の倉本聰にはほとんど興味がないけど (ただし、1999年の「玩具の神様」は割といい作品だった)、 今回は珍しくサスペンスものらしいので、 話題のドラマスペシャル「祇園囃子」を観てみたわけで。
結論から言えば、猛烈につまらなかったー。 つまらなくしたひとつの要因はバカなテレビ朝日自身。 必死に特番なんかで前宣伝をしすぎたから、 ストーリーの骨格が観る前から“丸解かり”状態だったし。 最近は話題のテレビドラマの本放送の前に特番を組む傾向があるが テレビドラマ関係者というのはかくも堕落してしまったのか?。 本放送の前にメイキングを見せてしまう神経はもはや末期的症状である。
藤原紀香の着物がまったく似合っていない!横から見るとまるで 太巻きになっている!と着物の着付けをしているロッカー74■が怒ってた。 僕自身は藤原紀香には何にも感じない。 色気ないし、演技下手だし(どの場面でも同じ表情)、陰がないし、 媚びた笑顔を見せるし。
それより。
おいおい!サスペンスドラマとしてもまったく 成立していないじゃないか。同じテレビ朝日の「相棒」でも 観て勉強してください。出演者が眉間に皺を寄せて 「ええ?!ま、まさか!」なんて驚きの表情を見せて、 音楽が意味ありげにタァ〜リラァ〜♪って流れていれば サスペンスだなんて思ってるんじゃないでしょうね? そうか、これは演出家の仕事か。
もちろん。
人間ドラマとしても詰めが甘すぎて鼻白む。
「前略おふくろ様」や「ガラスの知恵の輪」や「ライスカレー」の頃の 倉本聰は素晴らしかったな。会話も説明的にならずに 人間を見事に描ききってたよ。「北の国から」で急に駄目になっちゃった。 そうか、「祇園囃子」と「北の国から」は安っぽいセンチメンタリズム という点ではそっくりだな。 結婚式当日の朝、湖のほとりでの渡哲也と藤原紀香の会話。 倉本さん、ここまで才能がなくなりましたか・・・・。トホホです。 あなたのおかげで出演者全員、ダイコンに見えました。 役者は脚本と演出で名優にもダイコンにもなるって本当ですね。 倉本さん、今度は本当にgood−byeです。
ビル・フリーゼルの新作2枚組ライブ「east / west」 (eastは2003年ビレッジ・ヴァンガード・ライブ、westは2004年ヨシズ・ライブ) で口直しだ。
ここからは、夜中に書いた日記への追加分です。現在、25日午後2時。 腰にコルセット状態です・・。トホホ。仕事どころではない。歩けないのだから。
昨夜の倉本聰脚本の超愚作ドラマ「祇園囃子」を観てから体調悪化。 痛めていた腰がいよいよひどくなる。 「北の国から」以後、ほとんど愚作(!)という倉本聰に それでもほんの少しは期待してた自分が情けないというか。 だって、つい先日、朝日新聞に倉本のインタビューが載っていて、 その内容に頷ける部分が多かったので。 「祇園囃子」を見てしまうと、あのインタビューが急に白々しく感じられてくる。 以前、富良野塾のドキュメンタリーを見た時の感想と同じだ。 倉本さん。弟子を教育する前に、ご自分の作品を検証してみましょう。 出演者が涙を流す(時に号泣)シーンで視聴者にカタルシスを与える手法は 「前略おふくろ様」時代からの倉本の基本パターンだが、 以前は、そのシーンに至るまでのさまざまなエピソードの積み重ね方に 緻密な計算があった。それが「北の国から」あたりからムード的というか 演出に多くを頼る方法に変わってきている気がする。 つまり、脚本第一主義から、演出第一主義へ。 駄目な脚本でも、風景や音楽や動物や出演者の演技(時に過剰な演技)で とりあえずは体裁を保ってしまおうという製作姿勢。 テレビドラマの張りぼて化。内容の空洞化。 音楽に頼らず、風景に頼らず、人気タレントに頼らず、子役に頼らず、 まずは独り立ちした脚本から始めるのがテレビドラマの流儀であったはず。
「北の国から」の田中邦衛と山田洋次監督作品「息子」の田中邦衛 を見比べると、その差が理解できるとおもう。 ドラマが違うのだから、演技に差がでるのは当たり前だろ、と 思われるかもしれないが、僕が言いたいのは、 過剰に演技をしなくては体裁が保てなかった前者と 抑えた演技でも十分に作者の思いが伝わってくる後者の違いは ようするに脚本の仕上がりの違い、脚本家の能力の差であるということ。
最晩年の黒澤作品(脚本は監督自身)とイメージがダブった。 恐ろしく空虚な内容の脚本の弱点を隠すために黒澤監督が行なったのは 映像に厚化粧をし、役者に臭い演技をさせること。それで乗り切る手法。 北野たけしが自身の駄作群で飽きもせず試みていることと同じ、それ。 脚本家はやはり「セリフ」が書けなくなると、つらいな。
余談だが、今回の「祇園囃子」は 松本清張の「球形の荒野」■のパクリという説も浮上してきた。 確かに・・。
さらに余談だが、溝口健二監督の1953年の作品に 「祇園囃子」という同名の傑作映画がある。
響 一朗
|