Rollin' Age

2005年06月12日(日)
 虚ろな木鐸が奏でるマーチ

 夜中、家の前で、他紙の記者と共に社長の帰りを待ちながら、あぁ、これは「ゲーム」なんだと、ふと思った。ひところに比べるとだいぶ落ち着いてきた中で、この一連のドタバタはいったいなんだったんだろうかと振り返る。

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 現場にいる記者は、時に「兵隊」と言われる。言いえて妙だ。司令塔にあたるのは、デスクという紙面の編集権を持つ人たち。戦場となるのは、記者会見場や事故現場、社長など幹部の家の前。戦う相手は「他紙」。求める戦果は、「他紙に先駆けて報道する」こと。そんな合戦の中、俺は将棋の「歩」だった。とにかく現場にいればいい。誰か1人そこにいること自体が、他紙への牽制となる。加えて、細かい情報を探って、デスクまで上げる。

 様々な情報を総合して、デスク陣は戦略を立てる。「飛車」「角」や「歩」をどこにどれだけ置くか。戦力には大分差がある。どこそこは100人体制を敷き、どこそこは20人足らず。手駒が少ないなら、幾つかの戦場からは撤退し、どこかに重点的に置いて、一点突破を試みる。ね、ゲームでしょ。

 別にこういう仕組みそのものが悪いとは思わない。たくさんの人が関わる以上、駒なり指揮官なりの役割分担が生まれるのは当然のこと。問題は、「他紙に負けない」を至上命題に、この合戦が際限なく続いて、過熱する点にある。競い合うこと自体はいいのに、どこかから歯止めが利かなくなる。どこか1社だけがこの舞台を降りることはできない。戦線はより広く、小さく、細かく、収拾つかなくなってくる。いつのまにか、「何のための」取材・報道なのか、理由がいらなくなってくる。とにかく「他紙よりも先に・・・」。

 今回の報道は、別に今回に限らずとも、マスメディアが送り出す情報の量・質が、「適正」じゃない。読者が求めるものと、マスメディアが提供するそれとは、ずれている。じゃあどこで取材の線を引くべきなのか、引けるのか、それは今の俺には分からない。漠然と、「届けるべき人に届けるべき情報が届く」、それが理想なんだろうと思う。もとより不特定多数の読者を相手にするのがマスメディアだけど、何らかの工夫の余地はある気がする。

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 「歩」としてゲームに参加して、いろんな現場に足を運ぶ中で、自分自身への反省もある。君にとって、この一件はどんな意味を持つんだい?君は何を考え、何を思い、何を感じたんだい?と自問自答してみて、空っぽだった。「前へ進め」という指示を待つだけの、正真正銘「歩」だった。

 有事の際にこそ、見えてくるものがある。適正な量・質の情報が載っていないのもそうだし、「歩」として生きている自分もそうだし。じゃあ、これからどうするの?と、考えることにこそ意味があるとは思うけれど。メディアのあり方だとか、問題点とか、そういうのをしたり顔で議論するのはまだ早い。所感を胸のうちにとどめながら、まずはてめぇのことを、きちんとやろう。


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