2005年02月19日(土)
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この歳で「自分探し」か
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終電後の帰宅とか「夜回り」の便宜を図るため、会社に「常駐車」ってのがある。毎日特定のタクシーを借り切っておいて、社員が自由に使えんの。帰宅するだけならタクシー呼べばすむことだけれど、どっかの社長さんの自宅に押しかけるとなると、住所と名前だけをあてに大阪近隣を駆けずり回ることになるから、そのつどタクシー呼ぶよりは、カーナビの付いている車で、決まっている運転手さんがいるほうが便利。というわけで、よくお世話になる。
23時過ぎ、昨日ろくに寝てないしもう帰んべやって思って、まだ終電はあるんだけど、誰も常駐車使ってなくて空いてたから、家まで送ってもらった。運転手さんは、いつもお世話になってる60歳前くらいのおっちゃんで、車内でつらつら四方山話などしてると、おもむろに話題を変えてくる。
「なんだか最近、無理してるんとちゃいますか」
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「前から思っとったんですけどね、すごくね、正直ね、うちらみたいな運転手にも礼儀正しいなぁって評判ですよ。けど、気を使いすぎてるんとちゃいますか。自分を押し殺してるんちゃうかって心配になりますよ。会社入ってから一年経って、気疲れとか、たまってきてるんちゃいますか」
「もっとね、何て言ったらええんやろね、自分を出したほうがええんやないかって思いますよ。いや、礼儀正しいのはそれはそれでええんです。けどね、もっと遊んだほうがええですよ。たまにはミナミの街に繰り出すとか、パーっとね、なんや、みんなが遊んでる時にね、一人でいたりとかするんならね、そのうち、そのまま固まってしまいますよ。ちょっと羽目はずすのとかね、多めに見てもらえるってのは、今だけですよ」
会社から家までの30分間、まぁそんな話を交わしてた。話してて、あぁ、そっか、気ぃ使いすぎてたんかなぁって、確かに思うけど。「なんか、君、変わったね。学生時代もそうだったけれど、今は病的なほど気を使うようになってる」と、一度友人にも言われたことがある。職場に昇るエレベーターの中で「会社用」の自分を創ってて、それが普通になっちまったんだろうか。
たぶん仕事とか、社会人であることとか抜きに語れない。「今日もダメしたー」とか大っぴらに言えなくなっちまったから、物凄く隠している部分はある。他人に気を使うよりむしろ、自分を律しなければとか強く強く念じている所が、周りに気を使っているようにでも見えるんだろうか。「君が原稿を書いている時は、近寄りがたいオーラが出てる」と先輩に言われたこともある。 とにかく、つまり、まぁ、自分でも良く分からねえんだけれど、なんか、ダメっぽい。それ以上に分からないのは、「自分を押し殺しているように見える」って奴なんだけど。その「自分」ってのは、何なんだ一体。何かを我慢しているわけでもない(と思っている)のに、何で「押し殺している」ように見えるんだ。分からねえけれど、いやまぁ分かっっちゃいるけれど。
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てーか、運転手のおっちゃんは、ほんと、よく見ててくれるよなぁ。どっか変わった、ってのが、分かるんだなぁ。俺なんかを見ていてくれているって、嬉しかった、けど。どうしようもねえんじゃないか。見つかるのか「自分」。
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