深夜の井の頭公園で水面を眺めながら、この感情はなんなのかと考えていた。求めるのに叶わず、さみしくてせつなくて。書くのも恥ずかしい話だが、あぁこれは失恋と同じじゃないかと気づいた。だとすれば、俺は、あの時代に恋をしていたんだろう。
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学生時代の友人が式を挙げるというので、東京へ帰っていた。大学のサークルの同期と後輩。式場はキャンパスの中にある教会。神父はかつて講義を受けたことのある教授。パーティは学食。式への参加者は、100人くらいだったのかな。サークルの関係者が過半で、あとは新婦の職場の関係者と、夫婦の親類と。最初から最後まで、アットホームな雰囲気で楽しかった。
新郎新婦が付き合い始める前からを知っているので、その二人が夫婦として目の前に立っているのは、どこか不思議な気分になる。神父が言っていた言葉が印象に残っている。「いまから二人が交わす『誓約』の、言葉の意味は、語源をたどると『困難』と同じだと分かります。困難に遭う時、助け、助けられ、ともに歩んでいくことを、『誓約』と呼ぶようになったのです」。
現在大学院生で来春から就職する新郎と、社会人一年目で苦労も多いだろう新婦と、しばらく生活はバタバタが続くだろうけれど、この二人なら大丈夫だろうなぁと、傍から見てて思う。ぶっちゃけ、最初は何度か別れる危機もあったろうに、出会ってからここまで来たのには、結ばれる理由があったんだろう。今のままで、幸せな家庭を築いていってほしい。
男泣きする新郎と、幸せそうな表情の新婦の姿は、月並みな言葉だけど、人生の一大イベントを無事やり遂げたんだなぁという感じさせる。もうこの二人は名実ともに夫婦で、その証しをした場に居合わせたんだと思うと、やはり不思議な気持ちになる。ほんの少し前だと思っていた学生時代から、確実に時間は流れているんだなぁ。この先二人が子供を授かるようにでもなれば、なおさらその思いを強くするだろう。昔は遠くになりにけり、って。
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式やパーティの後、サークルの連中らと集まって吉祥寺で飲む。30人くらいか。実は卒業後もちょくちょく会っている人が多いのだけれど、久々の面々もいて、ぽつぽつ近況を話し、楽しいひと時を過ごした。やはり、昔を思い出す。「あの頃、俺はこいつとこんなことがあったっけ」とか。お互い最近何をしているのかを語らいながら、心はここになく、数年前に飛んでいる。
「あのころの経験が自分にどんな意味を持っているのか、それが分かるのはまだもっと先なんじゃないか」と言う奴がいた。が、なんかもう、分かっちまった。単純に、俺はあの学生時代が好きだった。これまで生きてきた短い人生の中で、もっとも一途に好きだった。ものすごく幸せだったと思う。
そんな幸せな時代はもう終わったんだと、ぼんやり気づいた。皆が変わったんじゃなくて、学生時代という奴が終わったんだ、と。あのころを共に過ごした仲間に会いたくて、東京まで行って。だけど会えば会ったでなんか寂しくなり、がっかりして大阪に帰ってくる。どうしてそんな気持ちになるのか、これまで不思議だったのだけれど、ようやく、なんとなく、分かった気がする。
「あれは恋だった」と、こっぱずかしいことを認識して、じゃあ今後どうするのか。時に不健全なほどに身を捧げたあの時間を、夢中だったんだと誇れば良い。そしてまた、今自分が過ごすこの時間に、惚れればいい。あの頃を思い出して理由も分からず落ち込む必要は、もうない。昔惚れた女に久しぶりに会う時のような、嬉しさと寂しさ懐かしさを、大事に味わえばいい。
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