Rollin' Age

2004年09月14日(火)
 学生⇔社会人

 直属の上司はとうに気づいているだろうが、何も言わない。

 「取材頑張ってんだね。いつも職場にいねえじゃん」。職場の喫煙所でぼんやり煙草を吸っていると、近くに机を並べている先輩がやってきて、そう言う。もしかしてカマかけられてるのかと疑いつつ、「いや、まぁ、ぼちぼちっすよ」と応える。毎日外で取材を頑張ってるならば、もっと記事書けるだろうなぁと思う。何やってんだろ、俺。いつ指摘されるんだろう。指摘されてみたところで、何か変わるんだろうか。自分でスケジュールを自由に埋められることは、つまり、自分で自分を律しなければならないわけで。きつい。

 ここのところ、新聞記者たちの「伝説」を読んでいて、あこがれを抱きながら同時に気分が沈んでいる。ナベツネは、ただのバカではなくて、かつて凄腕の記者だったことを、魚住昭の「渡邊恒雄 メディアと権力」で知る。日経や朝日や毎日に、凄腕の職人たちがいて、文字通り死力を尽くして働いていたことを、杉山隆男の「メディアの興亡」で知る。で、時代は違えど同じ舞台に立つ俺は、いったい何をしているのだろうかと悩む。

 この先やっていく自信が無いだとか、怒られてばかりだとか、あせる気持ちが止まらないだとか、そういったのは新人の誰もが通る道だとしても。自分が今立っている環境は、はたして単に新人特有のものなのか、とても怪しい。とすれば、「半年ではなく10ヶ月くらい立って初めて周りを見渡せるようになる」だとか、「なんだかんだいって慣れるのに1年はかかる」だとか周囲から聞かされるアドバイスは、自分に通じるのか、とても怪しい。

 働き出してそろそろ半年を迎えるにあたり、ぶっちゃけて言うと、「こんなものか」という感覚はすでにつかめてる、という気がする。自分に何が求められていて、それをかなえるために何をどのようにすればいいのかということは、もう理解している、という気がする。それなのにまだうまくやれないのは、やはりまだ新人だからなのか、それとも俺はダメだという最終通告を待たざるを得ないのか。実際、かなりのところ、真剣に考える。

 学生ならばまだ、「あいつはダメな奴だ」という言葉が、一つのキャラクターとして認知されもするだろう。ただ、社会人として、それは・・・。

 気概もなく、根性もなく、あやふやな目標だけを抱えて、最低限のことを果たすのにきゅうきゅうとしている。そんな俺を見て何も言わない上司が怖いし、やるべきことが分かっているのにその通りに動かない自分が、なによりも恐ろしく、ふがいない。自分は果たして不相応な仕事に就いてしまったのだろうか。この先で、うまく歯車が回りだすのか。あぁ、こういうのはやはり、新人特有の悩みだろうか。数年後に今の日記を読み返して、「あの頃は・・・」なんて言える自分がいれば、何も言うことはないのだけれど。

 少なくとも今の自分は、社会人であって社会人ではないだろう。学生時代に身に付けた「学生の貌」は、今も自分を縛り付けている。先日夏季休暇で東京に戻った際にしたことは、学生時代の再生産とでも言ったらよいだろうか。寝てばっかいたのも、酒を飲んでばっかいたのも、そして約束をすっぽかしたりしてたのも、当時のダメな自分のまま。別に「社会人の貌」なんて欲しくもないのだけれど、芯から変わらなければ、立ち行かない気がする。そして、今もっとも自分に必要だと思われるその「貌」を、もっとも手に入れにくい環境にいるのではとも思う。

 というようにゴチャゴチャ考えられるのも、学生でもなく社会人にもなれないでいる今のうちだけの気がするから、ここにこうして書き残しておこう。平日の昼間にブラブラしてる学生を見て向かっ腹を立てるのも、学生時代を懐かしんで物思いにふけるのも、今のうちだけに違いない。なんだかんだ言って、ある程度の時間を経験すると何も感じなくなってしまうだろうから。ただ、問題は、昔に思いをはせたり、悩んで立ち止まるだけのゆとりがあることだろう。がむしゃらになるまで求められていない、そしてがむしゃらになれない自分は、無事学生から社会人になれるのか、大きな疑問が残る。


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