By さくじゅん@ジャミン・ザ・キッチン
2004年04月14日(水) |
現代音楽というものを聴いてみての感想文。 |
卒論の課題にしてみようかな…とは思っているのだが、 ジョン・ケージっていうアメリカの音楽家(簡単な紹介はコチラ)について先生に紹介して頂いて、 CDもたくさんお借りして、 昨日、今日と、ざっと、かけっぱなしている。
が、
まず、どういう姿勢で聴いたらいいものかものすごく戸惑う。 正座してその音だけに耳を傾けて集中して聴くべきなのか、 あるいは、何かやりながら聞いてもいいものなのだろうか。
今、私は、後者のやり方を取っているわけだが…。
お借りしたCDが23枚あるので、 ひととおり「乱読」ならぬ「乱聴」してみよう、という名目でもあるのだが、
多分、 正座してその音だけに耳を傾けて集中して聴く…のは、 とても耐えられそうにない音楽だ(苦笑)
でも、 正座してその音だけに耳を傾けて集中して聴く…っていうことを、 私は普段音楽に対してしたことがあるのか?いや、やった覚えがない…。
家でCDをかけている時は、 たいてい何か別の作業してたりする。CDジャケット眺めたりとかも含めて。
コンサートとかライブとか行ったりしても、 聴いてるって言うよりも、演奏してる様子や人を見ている、気がする。
いわゆる「音楽」の約束事が、リズム、旋律、ハーモニー、だとすれば、 少なくとも私は音楽を聴く時、その約束事に乗っかって、 端折って聴いている。端折ることを許されていると思う。 聴いてるようで、聴いてないのかも。
ジョン・ケージの音楽は、リズム、旋律、ハーモニーは無い。のかどうなのか、とにかくバラバラに聞こえてくる。 「音楽」として満たされていることが望ましい約束事が、満たされていないものをCDでわざわざ聴かなきゃいけないとなると、 「ん…?これはどういう姿勢で聴けばええんやろ…?」と、 普段ならすっ飛ばしてた聴き方のプロセスから、そもそも「音楽を聴く」ってどうすることなのか、まずそのことについて迷ってしまいます。 何が来るか分からないから端折って聴けなくて、安心できなくて落ち着かない感じ。
彼のCDをかけっぱなしているだけな分には、予想していたよりも苦痛ではないんです。 街の騒音とか今日みたいな雨の日に聞こえてくる音とか、 お経とか、演劇とか映画とかでひっそり流れる微妙な音響とか、 どっかで聞いたことあるような音です。 ただ、 「このCD終わるまで(1時間くらい)CDラジカセの前で正座してじっと聴いてたら5万あげる。寝たら罰金5万」って言われたら、 とりあえず挑戦はしますが自信ないなあ(笑)今の私には。
「音楽」「音響」「雑音」「音」・・・
曖昧だ。それをどうするか。
「萌え」がヴェネチアビエンナーレ行ったりするもんなあ…。
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