夏が往きつつあるのを実感しつつ過ごしています。ドラムのまれです。
蝉の声がいつの間にか聞こえなくなり、気がつけば朝晩は虫の声が。季節の移り変わりをリアルタイムで感じられることに、よろこびを感じますね。
昨日は、大学時代の友人のライブを見に行ってきました。洋楽のコピーバンドで、主にトトとジャーニーの曲選。ドラムはロープーのお方ってことで、そういう先入観アリアリで拝見しました(・o・)
なんだろ。プロでドラムをやられている方の音を聴いて、まず感じるのは、「説得力」
一音一音の説得力が違う。叩いた後も、そこにそのときの一音が余韻として残っている。叩かれる前から、それ以前からそこに存在していたのではないかという存在感、その場にしか居場所はなかったのだろうと思える、シンプルな、でも唯一無二の打音。
そして、オーエディエンスに衝撃を与えようという意志を明確にはらんだまま打ち下ろされるクラッシュ。納得させられるしかない、という感覚。なぜ、プロでやっている人はこれができるのだろうか。できるのだからプロ、ということなのかもしれませんが。
でもね。自分が師と仰ぐドラムの方にも共通するのですが、なにか原曲があってコピーをする場合、どうも完コピは目指されていないようで。
その方が「自分なりに」コピーしたものを「どうだ」と出されたときの、こちらとしても何も言えない感。それさえも説得力、というのかもしれませんが。
でもぼくら、てかぼくはアマチュアなので。それを「それが正解なのですね」とは受け入れられない。ぼくはプロじゃないから、結局はできない完コピを追求することにしか音楽やる意味を感じられないのですよ。コピーバンドをやっている以上は。
いろんな「説得力」を感じてしまったのですが、ロープーの方とは目指すところが違うので、自分は自分なりにドラムを叩くことに意味を考えて、そのように演奏していくしかないのだなあと。
おらおらでひとりえぐも、ということなんだろうなと。
だから今回の演奏をお聴きして、トータルには、ってことでうらやましくなかったです。大変だなあ、と思いました。そして、自分はアマチュアなので。それも良かったんだな、と思いながら、これからの音楽生活をぼんやりと想像しながら、秋の夜長を過ごしています。
では皆様もよい秋を。アディオス。
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