昨日の福知山線の脱線事故。本当に悲惨な事故(事件の臭いもあり)になってしまった。父方の親戚が利用する沿線なので、ニュースを知った時には心臓が飛び出すほど驚いてしまったよ。従弟が利用しているのも知っていたしね。でもこの電車には乗っていなかったようで、ほっ。亡くなった方々のご冥福を心よりお祈り致します。私も一度だけ福知山線を利用した事があるんだ。高校1年生の夏休み。サークルのお友達と京都に遊びに行ってね。皆はその後関東に帰ったんだけど、私ともう一人4歳年上のTさんが関西に親戚があると言う事で、そのまま大阪に向かったの。Tさんはとっても穏やかで優しいお姉さん。大阪に着いたのがもう夜になっていたから「心配だから」と兵庫の親戚の家に向かう私の為に、わざわざ福知山線のホームまで一緒に来てくれたんだよね。大丈夫!って言ったんだけど、凄く面倒見の良い人で「あなたが電車に乗るまで私も電車に乗れない!」って譲らなくて。今はわからないけど、福知山線ってローカル路線で、特に私の目的地行きの電車は本数も少なくて、予想通り、ホームに行ったは良いけど発車まで30分位時間があって。自分だってそんなに本数の多い電車に乗る訳じゃないのに、発車までずっと私の相手をしていてくれたんだ。別れる時にずっと、ずっと手を振ってくれたのを良く覚えているよ・・・。その後2年して、Tさんは突然亡くなってしまったんだ。スキーに行って気分が悪くなって、部屋で一人で休んでいるうちにひっそりと息を引き取ったと聞いている。急性心不全だったそうだ。もう、あんなに優しかったTさんが亡くなったなんて、とても信じられなくて、お通夜に行ってお顔を見せていただいても、それでも信じられなくて。暫くは泣いてばかりいたような気がするなぁ。彼女のお葬式から何日ぐらいたった頃だろう?Tさんのお母さんから家に電話がかかって来たの。「お囃子さん、2年前に大阪でウチの娘とずっとお話してくれたでしょう?」って。彼女は大変なメモ魔で、その日にあった事を手帳に記す習慣があったんだよね。彼女の遺品を整理していたら、その時の事が詳細に書かれた手帳が出てきたんだそうだ。「あの娘ね、お囃子さんの事本当に可愛かったみたいで、また一緒に旅行がしたいって書いてあったのよ。それをどうしても伝えたくてお電話させて頂きました。そして最後のお別れに来てくれてありがとう・・・」Tさんのお母さん、最後は涙声で言葉になっていなかった。もちろん私もただ、ただ、涙するばかり。自分が親になってみて、この時電話を掛けて来てくれたお母さんの気持ちを思うと胸が張り裂けそうに切なくなる。あれからもう22年。その後もTさんのお母さんとは事あるごとに手紙で近況を知らせ合うお付き合いを続けている。でも、毎日の生活に追われていると、お母さんからの便りで彼女の事を思い出す・・・と言う日々だったんだけど・・・。今回の事故で、またTさんの事思い出したよ。大阪駅のホームでブンブン大きく手を振ってくれたTさんの姿を。今日のお弁当焼売、ゴマ入り卵焼き、ほうれん草とコーンのバター炒め牛ヒレとピーマンの炒め物、カブときゅうりの浅漬け今日は奮発ー!安売りの更に閉店間際の割引の牛ヒレ〜♪