あ、あれ、いつの間にやら当サイトも9周年目に突入していますよ。えあですこんにちは。 9周年…… このサイトが出来た日に生まれた子供がもう小学三年生ですよ。学校で割り算とか習ってますよ。すげえ。 まあ、ここ1年以上は開店休業のような状況で、継続は力なりとか口走ったらその瞬間に♪ケツの穴に割り箸突っ込んでぐーりーぐーり回す〜♪(蒲田行進曲のメロディで)という刑を執行されても文句が言えないような状態なので滅多なことは口走らないように留意はしておきますけれども。でもこう見てみると長くやってるんだなあとなんだかむずむずしてきます。5周年くらいの時に、10周年までは多分やってるだろうけど非現実的に遠い話だなあ、みたいなイメージを持っていたんですけれども全然非現実的でもなくなってきておりました。時の経つのは早いねえ。 来るべきXDay、10周年に向かってなんかこう、もう少し今年は、えあさんはまだ生きてます的な主張をしておきたいと思います。
そうそう、9周年記念と言うわけでは全然ありませんが、何日か前に図書館に2次創作のコンテンツを作成しました(何日か前って 現在の所人狼BBS2次のみ2作ほど公開しております。と言っても一年位前に日記に公開した奴と某所で書きなぐった奴。どっちも再録だったり。 ところでこれらの作品、地の文なしの会話文のみという構成なのですが、それをあえて小説としてリリースしてます。尚、ちょっと前に発表したオリジナルの掌編でもこの表現方法は既に用いております(そっちは2行くらい地の文入れてたけど)。
オンノベ、特にオリジナル小説の世界では、原稿用紙のお作法が絶対視されている節があるので、こういう作品を小説と称したら速攻で「こんなのを小説って言うな!」みたいに誰か突っ込んでくるかなあとちょっぴりドキドキしつつ待ち構えていたのですが、心の広い読者様が多いのか、単にあんまし読んでもらえてないのか、突っ込む価値すらないのかそういった苦情は今の所頂いておりません。 ……原因としましては上記後半のあたりが有力な気がひしひしひしとするわけですが、もしかしたらここ一年強でこういう特殊な表現技法に対する風当たりが弱まってきたんでしょうか。 今後、作品中の文字のフォントサイズ変更とか色変更とか、小説として全力で嫌われてたタイプの表現にもチャレンジできる機会があればしてみたいなあと思うんですけれども、そうだったらちょっと安心でありちょっと残念であり。
原稿用紙お作法絶対主義に対するアンチテーゼってわけじゃないんですけどね。そもそもそんなご大層な主義主張えあさんありませんし。 でも、技術的にそれが可能で、かつそれをしたいとクリエイターが望んでいるのに世間の風潮でそれはダメーとなっているのは非常に勿体無いと感じているわけなんですよ。いいじゃない、使えるものは使えば。「小説なんだから文字で表現しなきゃいけない」って定義、あるわけじゃないでしょ(そもそも児童文学じゃフォント変更くらいざらだし、フルカラーが許されるのなら色だって変えるだろう)。勿論使えるものを使わないという縛りをつけて書くのが好きだというならいいのですが、読者が文句言うからやらない、というのはなんかねー、あんたそれでいいのかと小一時間問い詰めたい。 要は作者が好きに書けるような状況であるのが望ましいと思ってるわけですね。作者が小説と言ったら小説でいいじゃん大げさだなあ。 まあでも文句言うな!とか言ってもしょうがないんで実際知らん振りして書いてみようかあと思った次第です。 書いた所でどこかに影響するわけでもない辺境でですけれども。
実は昔は私も普通な書き方のほうが綺麗だなあと思っていたんですが、いつの間にかこういう意見になっていたのですよね。 多分これって慣れなんじゃないかなあとか思うんですがどうでしょう。 かつて小説の範疇として受け入れられなかったスレイヤーズを認められるようになり、神坂一の才能を認識できるようになったりしたのも、結構な数ライトノベルを読んでからですし、人狼BBSで最初は許せなかったセオリー外の奇策が全然オッケェになったのも、経験を大分積んでからです。 「普通」に慣れることで「へんなの」に興味を持てるようになり許容範囲が広がったってことですかね。 まあ、許容範囲は広い方が楽しいとは思いますよ。今まで許せなかったものの中に実は面白いものが紛れ込んでることもあるかもしれませんしね。駄作掴まされるのくらいはご愛嬌ってことで。
あ。年取ってアバウトになっただけとか言われたら泣こうと思います。
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