2003年04月03日(木) |
あからさまに俗な話と俗でないようで俗な話 |
楽園の得票数がさっき見たところによるといつのまにか100票にもなっていました。Crusade。 まあうれしい。ありがとうございます。
今迄こんなにも多くの方がわざわざ楽園まで足を運んでぽちっとなしてくださったんですか。
ありがとうございます。
99名の皆様。
またやってるよえあさん……不正投票…… ……いや、黎明期よ。ここでやったのは。……多分。
そういや楽園から撤退するとかしないとか言っていたにもかかわらずまだ居座ってますなー。結局どう結論出したかも覚えてないけど私の出す結論なんてそんなもん。へっへっ。
このところ、それまで未踏の地であったジャンルに手を出すことが多くなっているえあさんですが、ここ数日、縁あってまた別のNewジャンルを覗いております。
詩。
いや、別のっちゅーか別でもないっちゅーか微妙なラインですけどね。 同じ文章書きですしね。小説・テキスト・詩と見てきましたが他って文章のジャンルって何があるのかなぁ?
……昔、国語の先生が言った台詞なんですが、「詩と小説は何が違うかって作者が詩だと言い張れば詩」って言う意見に激しく同意。
和歌のようにこうでなくちゃダメっていうきまりは両者、別にないですからね。縛りのある美しさもいいものですが、いやSMの話ぢゃなくって、境界線上にあるものだけでなく一般的に境界線から明らかにはみだしている作品であろうと、詩といえば詩だし小説と言えば小説。 自らの存在座標は自らで決する。んー。ヲトコ。
まあこれは、詩はこうこうで無ければならなく、小説はこのようでならなければならないという形式はないよという意味であって、書き手自身の中にはそれぞれ、詩と小説の境界線と言うのは明確にあると思うのです。 私の中ではこうです。
己の感情を描いているかいないか。
翻訳。
詩はイメージ先行型。インスピレーション、つまり、その瞬間瞬間の深い部分にある自分を率直に描き出すもの。まあ別に深くなくてもいいけど。とにかく感情に素直なもの。すなわち己の心境を映す鏡。なるべくなら思いついたままいじらない方が良いもの。 対して小説の方は、もちろんネタを思いつかなければどうにもならないという意味でインスピレーションは必要だが、それは思いつきと言うレベルで収めるべきもの。必要なのは瞬間の存在でなくて、ずっと自分が蓄えてきた知識、知恵。その時だけの感情は出してはいけないもの。形になったものをいじってこねて引っ張りまわせばまわすほど、良くなるもの。
更に訳わからん感じ満点ですがはぁそうですかと思っておいて下さい。 私の中ではそうなだけです。
具体的に言うと、感情の出てないただ小綺麗な言葉を並べて技巧を凝らしただけの詩は駄作だし、作者自身の感情を吐露しそれで塗り固めた小説は駄作です、という感じです。私にとっては。 もっともこれは自分の執筆の姿勢であって、正直、読者としての立場で他の方の作品を見るときは意識しないし、それ以前にはっきりとはわかんないんですけどね。
詩は書かないのであんまりコメントしようもないですが、小説の場合、もちろんキャラの感情でドロドロベタベタなのはOKなんですよ。ただそれが、書き手の感情で押し流されてきたものだと嫌なのです。小説の書き手はその世界の神でなければならない。ただ感情も感動も無くその世界を理知的に治めなければならないのです。詩は辛い時は辛い詩、楽しい時は楽しい詩を書いていいのだけど、小説は辛かったり楽しかったりするのはキャラであって、作者が辛かろうが楽かろうが、それが作品に現れてはいけない。と思うのです。 あ。前にどこかで言ったサーチエンジンの管理者の心構えにちょっと似てますね。
ってふと思ったんですがこれ結構異端な考えなような。 普通は小説も感情を映す鏡にするものかもなー。 まあいいや。
とはいえそう心がけながら、さらっとその時の気分の出ているシーンとか、あったりするんですけどね私も。自分で見ると。
|
|