2002年04月10日(水) 小説を読むときの基準2

読み始めには二通りあります。
まったくの初見の作品の一ページ目を開くか否か(検索サイトなどでその作品をクリックしてみるか)、と、その作品の続きを本格的に読むか否か。

いうまでもなくあたりまえのことなんですけどね。

しかし、作品を「読んでもらうために」作るには、これを明示的に認識しておくことは結構重要なことではないかと。

……まあ、それはおいといて。
今日は後者、「その作品の続きを本格的に読むか否か」についてです。

結局、実際のところ、
私が一ページ目を読む作品=前回あげたような自主的に読んでみようと思えた作品+オンラインでお知り合いになった方の作品、という図式が成り立つんですが……

残念ながらその中でも続きを読まずにお別れしてしまう作品も多々あります。

理由はさまざまですが前回と同じように箇条書きであげてみるとすると、

・実はやっぱりキャラの名前が漢字
とか、
・読んでみたら趣味と合わなかった
とかでしょうか。ああ、あと、
・ちょっと文章力が……
という理由も、ありますね。

上二つは完全に私の趣味の問題なんでほっといて、最後の文章力についてちょっとつぶやいてみます。



文章力……

はっきり言って私がこれについて語るのは僭越というものです。ですが、それを承知で言います。

文章力に問題のある作品が、オンライン小説界には多すぎる。

無論これはあたりまえのことです。
多すぎるという数の比較対象を、オフラインの出版界すなわちプロと設定してるのが間違いです。
文章力に自信があろうがなかろうが、オンラインでは誰でも作品を発表していいんですから。
一般の小中学生や、昨日生まれて初めて小説を書いた人が芥川賞作家並みの筆力を誇ってたら世のプロの小説家は全員首をくくってます。

目がさめるほどうまい必要はありません。
というか、ある程度のラインを超えてれば、ボーダーすれすれの文章であろうが、どれだけ技巧を凝らした文学的な文章であろうがおんなじだと思うのですね、楽しむ側としては。
物かきとして他の方の作品を読むのであれば熟練の技が見えれば見えるほど嬉しいものですけど、普通に楽しむためなら、物語が滞りなく理解できればそれで十分なわけです。
楽しい楽しくないは技術で決まるわけじゃないんですから。

でも、中には物語を滞りなく理解させられるというレベルに達していない作者さんもいるわけで。

文法的にオカシイとか説明が足りなくてワカランとか、メモをとったり読み返したりといった努力をすれば大概は解読可能なんですが、娯楽のためにそんな国語のテストのような真似をこの私がそうそうするはずありません。

まあこれも広義に分類すればわがままに過ぎないのですが……



結局何の話かって、つまりは、がんばりましょうという自戒。

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