*漫画版のイドロ(美女バージョン)と幼ガルで* ――――― もう随分昔。 まだウエストガンズなんて西部大陸の開拓は始まっておらず、エルフや精霊族が今よりもう少し多く、魔王ガルデスという恐怖の記憶がやや薄れようとしていた頃。 ダークエルフが捨てた沈黙の森には、冬ごとに雪が降り霜が降り、地も樹も全てが白く埋め尽くされていた。 そんな樹氷咲く森で、ひとり遊ぶ子供。 年を数えるのに片手で足りそうなくらいの、小さな子供だ。 毛皮の帽子を被り、クリーム色の厚いコートとマフラー、茶色のブーツを履いて、何が面白いのか、雪の中を無心にはしゃいでいる。 うさぎがそうする様に跳んだり駆けたりする度に、帽子から零れた柔らかな銀の髪が揺れ、陽光を跳ね返す。 弱々しい筈のその陽の、何と眩しく強い事。 まるで氷の結晶をまとっている様にきらきらしい。 と、其処に一人の女……ショールとボルドーのコートに身を包んだ妙齢の美女が現れた。 切れ長の目を細めながら、子供の名前を呼ぶ彼女――――― 「ガルデン様―――――」 「あっ、イドロ!」 呼ばれた子供は振り向き、手にしていた雪玉(石入り)を放って、女の方へと駆け寄った。 「こんな雪の日に、森にお出かけになっていらしたなんて」 「んん……だって、うちの中はたいくつなのだ」 「言って下されば、このイドロやシュテルが、いつだって貴方様の遊び相手になりますのに」 屈み込んで、子供の衣服に着いた雪を払ってやりながら言う女。 女の言葉に子供は、ぷるぷると首を振って髪や帽子の水滴を飛ばして、 「みんないそがしそうにしていたから……シュテルもイドロも、『ドゥームとのゆう合』のじっけんで、魔儀室(マギーア・テリトーリオ)にいたし」 その桃色の唇を少し尖らせ……つと、表情を改めた。 「……シュテルのその『ゆう合』は、うまくいっているのか?」 小さな主の問いに、女は申し訳なさそうに目を伏せ、 「……その……中々、シュテルの特殊な階級や能力に見合うだけのドゥームが見つかりませんで……」 「ふうん……『ゆう合』がうまくいったら、シュテルはもっともっと強くなるのだろう?」 「ええ。貴方様の馬として相応しい、より強く、気高い、無限の可能性を秘めたリューへと階級転移するのです」 「……そんなたいせつなじっけんをしているのに、シュテルをつれ出すわけにはいかないではないか。 わたしは一族の長となるもの!つまらないワガママを言うわけにはいかないのだ!」 「ガルデン様……」 すっかり「我慢する事」に慣れてしまった子供の、その屈託の無い言葉に、微かに柳眉を震わせた。 が、それに気付くほどには子供は大人でなく。 「……でも、じっけんがうまくいって終わったら、またいっぱい遊んでもらうのだ」 稀代の才と力を持ちながらも、やはり「子供」である主の言葉に、女は救われた様に頬を緩めた。 「……ええ、その為にも早く、実験を成功させねばなりませんね」 「うん!きたいしているぞ、イドロ!」 「お任せください、ガルデン様。 ……それにしても、まあまあ、手袋も耳当ても無しで……風邪を引いてしまいますよ」 雪に触れ、風に晒されて、指先と尖った耳の先は赤くなっている。 見咎められた子供は、むうっと頬を膨らませて。 「わたしは強いのだ。これくらいの雪で、かぜなんかひきはしない!」 「そんな事を言って、ほら、ほっぺたがこんなに真っ赤になっているではありませんか」 その膨らんだ丸い頬に女は笑い、自分のショールを子供に掛けてやった後、ゆっくりと立ち上がった。 「さあ、屋敷に戻りましょう。もう日も暮れますし……シュテルやマーカスも心配しております。 今晩の食事はあつーいポトフにしましたからね」 「うー……うん」 不承不承といった感じで頷いた子供は、女に向かって、「ん」と、手を差し出した。 女は、その、天から降る一片を受け止める様に広げられた小さなてのひらを見詰め、……それから、試薬で汚れた自分の手を見やり、少し困った様な顔をした。 「お手が、汚れてしまいます」 「かまうものか。イドロも、シュテルとおんなじことを言う」 蒼い宝石の様な目を細め、子供は可笑しそうに笑った。 そしてもう一度、ん、と手を差し出してくる。 女は一瞬躊躇った後、恭しくその手を取った。 ひんやりと冷たく柔らかな、アイスクリームの様な手。 「イドロの手はあったかい、シュテルの手は大きい」 くすくすと笑って言う子供に、女もまたその赤い唇を微笑ませた。 と――――― 繋いだ手の向こう、子供のコートの、ファーのついた袖口の奥、何かがきらりと輝いた。 ただの装飾品には有り得ない、魔力の輝き。 「ガルデン様、手に何か……」 「え?……あっ」 思わず尋ねる女に、子供ははたと思い当たった様子で、その袖口を捲り上げた。 其処には、白いセーターの上から手首に嵌められた幅広のバングル。 大人の女に合うサイズの、金でも銀でもない金属で作られ、赤い大きな石を抱いた……。 「キレイだろう」 繋いだ手を解いてそれを取った子供は、もう片手からも全く同じデザインのバングルを外し、女の細い手首に掛けて笑った。 女は、ずしりとくるその重みに、喉が渇いていきそうな緊張感を覚えた。 「ガルデン様……これを、一体何処で……?」 「さっき、もらったのだ」 何でも無い事の様に、子供は言う。 「まっ黒いコートを着て、ぼうしをかぶった、せの高い男がな。 いつのまにかそこに立っていて、わたしの名前をよんだのだ」 そこ、と指差すのは、凍り付いた大きな木の傍。 「なにものだ、ときいても答えなくて…… 何だかとてもこまったような顔をしていたから、わたしもきくのをやめてしまった。 そしたら、『お前は今年一年、ちゃんといい子にしていたか』とたずねてきたからな、……どうかな、と思ったんだけれど、きのうシュテルがまほうのべんきょう中に『ガルデンさまは早くも[古だいまほう(えんしぇんと・あーと)]の何たるかをたいとくされた、すばらしい、とほめてくれたから、それを思い出して、そのことを言ったら、『じゃあ、お前はいい子だな』と言って、『いい子にはプレゼントをやろう』って、それをくれた。 キレイだなあって言ったら、そいつも何だかうれしそうに、『そうだろう』って言ってたぞ。 ……赤いふくも、白いひげも、トナカイもなかったけれど、あれはきっと、サンタさんだったのだ」 「―――――」 子供の、一生懸命な説明を何処か遠くに聞きながら、女は――――― 「ガルデン様、これは……この、腕輪は」 バングルの赤い石の中に封じ込まれた紋章と、金属の表面部分にびっしりと彫り込まれた『古代魔法言語』を見詰め、喉に引っかかる言葉に噎せそうになりながら――――― 「ドゥームの、召喚リングです」 震える声で、呟いた。 「……しょうかん?ドゥームの?」 ドゥームと言えば、グレムリンやゴーレムといった量産タイプのものしかまだ見た事が無い子供は、不思議そうに目を瞬いた。 「ドゥームも、シュテルみたいに、そんなのからよべるのか?」 「ええ。……ごく一部のものに限られますが」 力ある起動キィにして召喚アイテムたる「札」に封じられた「リュー」が、そう多くは無いように。 この「リング」に封じられた「ドゥーム」もまた。 「ごく一ぶ……それはたとえば、どんなドゥームだ?」 好奇心に表情を輝かせる子供とは対照的に、女は、まるでそれがパンドラの箱であるかの様な強張った顔で、召喚リングを翳す。 「例えば、ナイトであるとか、ガーディアンであるとか、ソーサラーであるとか…… 二つと同じものの無い、極めて強力で稀有なドゥーム……」 女がリングを翳しても、反応はない。 当然であろう、これは……このリングに封じられているものは、たったひとりの為に創られた――――― 「……これは、ガルデン様がお持ち下さい」 リングを外し、女はそれを子供に返した。 「なんだ、せっかくきれいなのに」 少しがっかりしたような子供の声に、「いいえ」と首を振る女。笑顔を浮かべようとする唇が、微かに戦慄く。 「これは、私めには重う御座います。 それに、その男性は……『サンタさん』は、貴方様にこそ、これをお預けになったのですから」 「わたしが、いい子だったからか?」 「……ええ。貴方様が、貴方様であったから」 リングを受け取った子供は、納得した様な、そうでもない様な顔で首を傾げた。 「わたしはわたしだ。それいがいの何だと言うのだ?」 そして、艶やかな金属部分に目をやって、嬉しそうに笑う。 「ああ、これは『古だいまほうげんご』だ。すこしならよめるぞ!ちゃんとべんきょうしているからな!」 柔らかな指先で、一見は記号とも何ともつかぬ「文字」をなぞり。 「『戦う』……『神』……『女』……『槍』……『翼』……『黒』……『はばたく』……」 リングの表面に刻まれた古代語を、習いたての知識を総動員して、途切れ途切れに拾い読みする子供。 ……蒼い目に映る赤い石が、ほのかな輝きを発し始める。 「いけません、ガルデン様!」 我に帰った女は、咄嗟にそのリングを奪って子供の視界から隠そうとしたが、その小さな唇が紡ぐ『言葉』は途切れず、ますます高まっていく。 「『竜』『子供』『炎』『雷』『闇』『光』『蒼』『翠』『眠り』『守護』『裏切り』『慈愛』『黄金』―――――」 最早留め様が無い程に、石から溢れる光。 夕焼けの陽よりまだ眩い赤金の輝きは、白い大地に縦横に走り、不可思議な紋章を刻んでゆく。 「ガルデン様、お止め下さい!」 女は悲鳴に近い声を上げた。取り返しのつかない事をした、と思った。 パンドラの箱が開かれてしまう……この幼い子供によって。 けれど…… 胸を焦がす焦燥と同時に、込み上げる渇望。 夢でしかなかった「解放」への希望もまた、この「箱」には収まっている。 主が札の騎士を手に入れた時と同じ期待感が、喪失感と共に膨れ上がる。 蒼い目が追うままに、光はやがてはっきりとした、固有名詞を描き出す。 或る者の為に創り出され、或る者の為に封ぜられた、稀有なる『破滅』の名。 「『Doom-Valkyrie Brunhild』」 翼と槍と薔薇で出来た、戦乙女の紋章が、雪の中で爆発した。 ―――――それから少しの後、子供が所有する馬は、その身に極めて特殊なドゥームの様式を組み込み、『闇の騎士』へと階級転移した。 精霊石を持たずして、莫大なる力を手に入れたのだ。 「あの時はびっくりしたけれど、こうやってシュテルも強くなったし、よかった」 無邪気に笑って、黒竜の如き尾と邪眼を備えた異形のリューを見上げる子供。 その目には、力強いものへの憧憬と誇らしさが溢れている。 それに馬は、獣の様な低い唸りで答えた。 「シュテルも、『力』が手に入ってうれしい、って。わたしのやくに立てるからって、言っているぞ」 その場の技師達に、馬の言葉を伝える子供。 技師達は幼い主の詔に、手を叩き合って喜んだ。 「イドロも、よろこんでくれるだろう?」 頬を紅潮させて振り向く子供。其処には魔法衣に身を包んだ女が、やはり異形の巨人を見上げている。 「……ええ、まさか、シュテルの持つ力を最大限に引き出し、伸ばした上で融合できるドゥームが居る等とは、思いもしませんでした」 女の言葉に、子供は嬉しそうに笑った。 「やっぱりあの男はサンタさんだったな。こんなにすごいプレゼントをしてくれた。 こんど会ったら、ちゃんとお礼を言って、シュテルを見せてあげるのだ」 その笑顔と言葉に女は頷き、……目を灼く眩しさに耐え切れず、瞼を閉じた。 何故、どうして、あの男は、まだ幼い子供に、ドゥームを託したのだろう。 それが「闇の騎士」の最後のパーツであると、引いてはこの世界を滅ぼす引き金になると、識(し)っていて――――― 何故、こんな早い時期に。 「いい子にしていたら、またいつか会えるって、あのサンタは言っていた。 ぎゅっとわたしをだきしめてな。ここに、『これからもずっと、そうであれ』と、おいのりとやくそくのキスをくれた」 言いながら、自分の額を撫でる子供。 馬がまたも唸るのに、可笑しそうに笑う。 「なれなれしい、だって?そうだな、ずいぶんなれなれしかったかもしれない。 このわたしの頭をなでたり、だきしめたり、キスしたり…… でも、あのサンタはとてもいい香りがしたから、ちっともいやじゃなかったのだ」 「それは、」 女は思わず、問い掛けていた。 「それは、どんな香でしたか?」 問われた子供は驚き、少し考えた後、 「……あ、そうだ。 このやしきにある、おいのりのへやみたいな香りだった」 と、答えた。 子供の言う「お祈りの部屋」とは、嘗て或る女性が使っていた寝室で…… 其処には確かに、微かに甘く涼しい匂いが染み付いていた。 怪我の痛み、病魔の苦しみを麻痺させる、薬草の匂いが。 「……そうでしたか」 女は、得心した様に呟いた。 これでもう、本当に、引き金は引かれてしまったのだ、という思いがあった。 「サンタは、ほんとうにいるのだな。 しんじてなかったけれど、それでもちゃんと、すごいプレゼントをくれた」 無邪気に笑う子供が、「プレゼント」の代わりに無くしたものに気付くのは、いつの事になるのだろう。 出来る事ならば、永遠に気付かないで居て欲しいけれど。 ……「搾取される一族」という状況を破壊する為に生まれた主に仕えながら、「変化」を恐れている自分に気付き、ひっそりと女は笑った。 「サンタ」が子供に向けていたものと同じ、小さく掠れた笑みだった。
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